配達先はあなたへ
短編を出してみました。
駄文ですが楽しんでもらえれば何よりです。
「アリーナ、今日の配達物はこれで全部だ。頼んだよ」
帳簿とにらめっこしているガーランドの横を通り過ぎた筋骨隆々のおじさんは抱えてきた荷物をドンっと置く。
さらに別の筋骨隆々のお姉さんがドドンッと山ずみにし、遠慮なく置かれ増える荷物を前に冷や汗を垂らした。
「はい!任せてください!」
それでも元気よく返事をし、大量の荷物を収納宝石に吸い込ませた。
靴の先っぽを商会の玄関口に敷いてある石のタイルを使ってトントンとキツめに結んだブーツにつま先まで押し込む。
カラン、涼し気のある冷たい氷水の入った魔法瓶をポーチに入れ準備を終えて、陽射しが照りつける外へと出た。
早朝だが人通りが多く冒険者だったり、商人だったり、様々な人がこの街を盛り上げており、わたしも彼らに混じって通りを歩くのが日常になっている。
慣れたかのように大通りを抜け狭い路地に入るガーランド商会の配達員ことわたしアリーナは、先日誕生日を迎えて17になったばかりだ。
この仕事を続けてもう2年の月日が経つが未だに道に迷ったりする半人前のひよっこ配達員。
実はこのここの商会の配達員は人手不足なのでわたしのような使えなさそうな若者でも雇ってくれたりした。
一応求人はしているのだが如何せん応募する人間はおらずあくせく連日働いているので元気でわたしの負担を軽くしてくれるような人が入ってくれればと願うばかりだが、芳しくはない。
人が来ない理由はガーランド商会が位置するこの街の区画はかなり複雑でまるで迷路のように入り組んでいるため迷いやすいので仕事をこなすには少々億劫なのだ。
だからベテラン以外は地図が必須である。
もっとも地図自体が雑な作りになっているためなかなか見づらいという欠点がある。
こんな面倒な仕事でもわたしにとっては冒険者という選択肢を捨て、有りつけた事はとても幸運に思えた。
立派な冒険者を目指すと意気込んでいたあの頃なんて毎日命からがら手に入れた魔物の素材は少ないお金にしかならず、飢えを凌ぐのが精一杯だった。
そんな時代を考えるに今の配達員という職は安定し幸せである。
色々な人と交流をするため素敵な出会いだって舞い込んでくる。
飢え死に寸前のわたしを雇ってくれたガーランド商会に感謝しつつ今日も仕事にめいいっぱい励もう。
一件目の配達は商会から半刻歩いた所にある大きめの館を改装して建てた革細工専門店だ。従業員はガーランド商会に引けを取らないくらい抱えており良い商売相手となっている。
「こんにちはぁー、ガーランド商会のアリーナです」
コンコンと革細工専門店の裏手にある扉をノックし収納宝石から荷物を出す。
扉の向こう側からはドタドタと走ってくるのがわかり扉から少し離れた。
ガチャリと音が鳴り扉がわたしの身体スレスレを横切り開いた。
「やあやあガーランドの所のお嬢さんか、今日も配達ご苦労さま。日が照りつけてる暑い日に文句もなく運んでくれるのはアリーナ嬢くらいだから助かるよ。」
中から革細工師の髭をたっぷり蓄えた中年のオッターさんが出てきた。
どうやら作業中だったらしく汗を垂らしながら荷物を受け取る。
「ちょ、アリーナ嬢って言うのやめてくださいって毎回毎回言ってるじゃないですか!恥ずかしいんですよ…」
ごめんごめんと手を顔の前に立て軽く謝っているが恐らく直す気はないのだろう。
「もう…じゃあこちらにサインをしてください。…ありがとうごさいます。またのご利用を」
水分補給をしつつ次の配達先へ急ぐ。
コンコン、今度は魔術宝石ショップの店、次に冒険者ギルド、花屋等など他にも様々なお店が立ち並ぶこの区画はかなり配達件数が多い。
収納宝石に付いている軽量化宝石の魔力徐々に少なくなり、最後の配達場所に行く頃には無くなってしまっていた。
この軽量化宝石はある魔法工房の魔術師お手製の便利なものなのだ。
名前の通り重量を減らしてくれる魔法が施されている。
他にも天翔石と言う軽量な物を中に吸い込み、指定した地点へ飛んでいく便利な魔法石もある。
軽い配達票等はを態々ガーランド商会に届けに行く必要が無くなくるのだ。
そして魔力を分けてもらうために今からその魔法工房へ配達も兼ねて訪ねる。
私は人気の少ない細い路地裏に入り、地図を見ながらあるお店を目指す。
何回も配達しているわたしでさえメモ書きした地図をしっかり見ないと簡単に迷ってしまう。
まるで大迷宮に入るのと同じくらいここは入り組み、そして迷いやすいのだ。
やっとのことで辿り着いた場所は知る人ぞ知る魔法工房だ。
ひっそりと隠すように木々が一階建ての家屋を覆っている。
古めかしい木製の扉の前には”フェイルの工房”とミミズがのたうち回ったような文字が書かれている。
コンコンと叩く前に扉が開き、わたしの拳は空を切る。中からはぼさぼさのアッシュグレーで染まったセミロングに鍔の広い真っ黒な魔法使い用の帽子をだらしなく被った綺麗な女性が出てきた。
この工房で特殊な魔術を使い魔法道具を作っている店主のフェイル・メアトリスだ。
「おはようアリー」
寝起きなのかくぁっと欠伸をする。
「おはようございます…と言ってももう夕方ですよ」
呆れ混じりで彼女を見る。
まあ入った入ったと手を拱かれ、今日の配達物を取り出し彼女の工房に入った。
中はいつも通り足の踏み場を見つけながら進むしかないほど散らかっており、彼女の辿る道をおっかなびっくり着いて行く。
雑多な魔法関連の荷物をを彼女に渡し、最後にとても良質な紙を使ったここらでも有名な貴族の紋章で封蝋をされた便箋を渡す。
「最近多いですね」
配達員があまり口を挟んではいけないが毎回荷物の中にこの貴族の手紙が彼女宛に入っていることが気になった。
「そうだね、まあ私ももうすぐ25だ、そろそろ婚活というものに目を向けた方がいいのかもしれないね」
「婚活…」
彼女の口から今まで聞いたことない言葉が飛び出たことに私はショックで気絶しかけた。
「してこれはどうしたものか…」
とヒラヒラと宙を彷徨う紙には社交界への招待状が同封されていた。
アスラー公爵に大層気にいられているのか、よく贈り物も届くらしい。
アスラー公爵は面食いで見目麗しい女性と頻繁に寝ている噂は有名だ。
その噂を聞いているが故に私はこの誘いに乗り気なのかは分からないが彼女を止めたい、けどそれは彼女の意志を無視しているのではと悩みに悩んで頭がオーバーヒート寸前だった。
そんなわたしの不安を露知らず彼女は何を思いついたのか、両の手でわたしの手を取った。
「そうだ。アリーも一緒に来ないかい?」
「わ、わたしですか?い、いえそんな大層なパーティーなんか行ったこともありませんしドレスだって持ってないんですよ」
「なんだそんなことか。アリーのエスコートは私がするから安心して良い。ドレスなら幾つかあるから貸そう、私のお下がりになってしまうけれど君ならどれでも似合うだろ」
貴族のパーティーなんて呼ばれたことのなど一度も無いので少々臆するが彼女を護衛及び悪い虫を追い払う目的で行くなら別だった。
日取りは明後日の宵の刻限にとサインを貰い別れを告げた。
別れ際に彼女は早めに工房来てくれると助かると言っていたので、その日の仕事は張り切らなければと地図で最短ルートを確認した。
そして迎えたパーティーの日、いつもの半分の時間で配達を済ませ早めに工房へと向かった。
昼時をちょうど過ぎたあたりに来てしまった。
ただ早すぎたのかノックしても扉の奥からは音一つもせずシンっと…していた。
不在なのか彼女が出ず、困っていたが彼女の事だからもしかしてと思いドアノブを捻ってみたら案の定開いていた。
ごちゃごちゃ散らかった廊下を進みリビングにやっとの事で着くと、ソファで猫のように丸まって眠っている。
些か不用心過ぎないかと思い叩き起そうとも思ったがあまりにも眠っている彼女からは普段の涼しさや静謐さを感じさせず可愛らしく寝息を立てているものなので怒る気が霧散した。
すーすーと寝息を立てる彼女を近くでよく見ると長いまつ毛を時折ピクっとさせている。
肌はキメ細かく出来物ひとつも無いのは魔道具によるものではなく天然物なのだろう。
相変わらずアッシュグレーの髪は纏まらずぴょんぴょん跳ねているが。
不意に「ん…」と声がし私は「ぴゃっ!」とびっくりして後ろへすっ転んでしまった。
ドタンッと鈍い音を立てて積み上げられた紙束を倒した。
ソファーから聞こえていた寝息は消え彼女が目を覚ました気配がする。
音に反応して彼女はのっそりと起き上がり不思議そうに私を見てとんちんかんな事を言ってきた。
「アリーも眠いのかい?」
彼女には私が仰向けで倒れて頭を埋めていのが眠そうに見えるらしい。
「いえ…」
彼女のことを近くで見つめていて転んだなんて死んでも言えない。
「すみません散らかしちゃって」
元々しっちゃかめっちゃかに床を埋めていたのもあって彼女は気にする様子は無かった。寧ろ謝っている理由がよく分かっていなさそうだ。
痛みがやっと引き立ち上がると彼女は私の手を引き隣の寝室へ連れてかれた。寝室に入るのは初めてであのリビングと同じように片付いていないと思っていたが予想に反して工房ここは綺麗に整頓されていた。
多分彼女はこの部屋に入ったのが久しぶりなのかもしれない。
恐らく寝室を寝室として使っていないのだろう、エンドテーブルにはホコリが積もり、窓際にある花であった物体は化石みたいに水分を微塵も感じさせずに枯れている。
「アリー脱いで」
さらっと言われたがかなり破壊力のある言葉だと思いつつ、いそいそと脱いだ。
ワードローブには高そうなドレスが並べられ、普段工房に閉じこもりきりの彼女には縁が無いものだと思うがよく社交界に誘われるのだろうと納得した。
「どれもこれもアリーに似合うな」
次々に煌びやかなドレスをシーツの上に並べ、彼女は吟味し始める。
わたしは着せ替え人形のように着せられては脱がされ別のドレスを着てまた脱がされを繰り返していた。
それも下着姿が恥ずかしく無くなるくらいには。
「あの、メアトリスさん。」
話しかけようにもドレスをわたしに当て比べをし、話を聞いてくれる様子が全く無い。
早めに来てくれとはこのことだったのかとうんざりしながら納得した。
夕暮れになり紅茶を飲みながら彼女の悩ましい顔を見ているとやっと決まったのか「アリーにはこれがベストだ」なんて妙な自信を持って渡してきた。
渡されたドレスは白やピンク、赤色などのかわいらしい小さな花が散りばめられたピンク色のドレスで質感だけでわたしのような庶民が一生に一度着れるかどうかぐらいの一級品だとわかる。
メアトリスさんに気付けてもらい、金色のショートカットの髪をサラサラと櫛で梳いて貰う。
わたしの準備が終わり「じゃあ行こうか」と玄関に行く。
そういえば彼女はドレスを来ておらず普段着で行くのだろうか。
「メアトリスさんはドレスを着ないのですか?」
というと帽子を外し中から黒いステッキがにゅっと出てきた。
わたしに振り向き何か企てているイタズラっ子のような顔をしている。
そしてそのステッキで床をトンっと強めに叩くと彼女の服は花を散らしドレスへ一瞬で様変わりした。
「わあ!って…凄いですねその魔法。それととても似合ってますよ」
普段の彼女は何処へ行ったのかつい見とれてしまった。
「そうかい?お世辞でも嬉しいね。でもちょっぴり恥ずかしいな」
頬を桃色に染め後ろ手にステッキを持つ。
「いえ、お世辞ではないですよ」
今の彼女がどこかの令嬢と言われても違和感は無いだろう。
彼女の目立つ銀髪とは対称的な真っ黒な落ち気のあるドレスだ。
ドレスは身体のラインをなぞるように、そして押し上げられた胸を強調させており、背中は大きく開いて白い肩甲骨が顕になっている。
正直目のやり場に困り目を泳がせてしまう。
因みさっき見せてもらった魔法は衣服を花びらにして使い物地ならなくなってしまうので滅多にやらないらしい。
目を彷徨わせてるが気付かれるのも嫌なので真っ直ぐ彼女の黒い目を見つめる。
ガン見されるのが恥ずかしくなったのか先に外へと行ってしまった。
てっきりまた魔法を使って会場まで行くのかと思ったがどうやら今日は歩きたいらしい。
内心緊張していたりするのだろうか。
先程までの高揚感は消え、深い悲しみを覚える。
彼女を止めることができないか私の小さな脳みそをフル回転させたが、恋に突き動かされる彼女を私のような矮小な存在が止められるはずが無いと諦めた。諦めるしかない。
今日で私の初恋が散るのかもしれない。
せめて月明かりに照らされる綺麗ドレスを纏った彼女を目に収めようと、歩きながら横顔を見つめる。
彼女は一度もこちらに目を向けることはない。
コツコツとパンプスを鳴らしながら、ついに視線は交わらずアスラーの邸宅が見えてきた。
「招待状をお見せ頂けますか?」
門番に招待状を見せ私達は豪奢な門をを通り大理石の道をコツコツと鳴らしながら進む。
わたしが話を切り出せば会話は始まるのが、彼女は二言三言喋ると何かを考えるかの様に黙りこんでしまう。わたしの話題がつまらなかったのかもしれないし予想以上にだったのかもしれない。
中は綺羅びやかなシャンデリアがいくつもぶら下がり、ビュッフェ形式で普段なら食べれないような高級食材をふんだんに使った料理が取り揃えられている。
「凄いですね、アスラー公爵の舞踏会は」
広間の豪華さや料理などもそうだが、各地から様々な子爵や侯爵などが集まり皆顔を広げるために交流を交わしている。
有力な公爵故にカリスマ性を醸し出す彼は、例え女遊びが激しくてもついていく人はいるだろう。
「彼はこの国を支える立派な政治家としても活躍しているし、物流の面でも私はかなりお世話になっている。有能だよ奴は」
彼女は嬉しそうに褒めちぎってアスラー公爵の話をし始めた。
私は上の空でへーとかほーとか適当な相槌を返す、じゃないと私は端なく泣き叫んでしまいそうだった。
噂をすればなんとやら、私達の方へアスラー公爵が向かってきた。
「やあ、久しいねメア」
短いブロンドの髪をオールバックで上げた如何にも遊んでそうな見た目をしていて少し抵抗感を感じる。
彼女とは親しいのか愛称で呼んでいることに苛立ちを覚えてしまう。
「ええ。ご無沙汰しております、アスラー公」
彼女は片足を引き膝を曲げてお辞儀をした。
流石に貴族の前では砕けた話し方をしないのか、普段の彼女の言動からは想像できないような一面に驚きを隠せない。
「かしこまるなよメア。そういえば見ない顔だがそちらはメアの友人かい?」
「母上と父上は元気にしていますか?」
「ああ、二人とも歳を重ねたせいなのか身を固めろと煩いんだ。たまには顔を出してやってくれ、きっと二人とも喜ぶだろう」
「では近いうちにそうさせてもらいます」
やはり深い関係にあるのだろうか、父方母方にまで認知されているという事は二人は幼なじみか、それとも考えたくはないが許婚の可能性も浮き上がってくる。
「そういえば見ない顔だがメアの友人か?」
一人で焦っている間に興味の対象がわたしに移り姿勢が固まる。
「その、あ、アリーナと申します」
私も彼女を見習うようにお辞儀をしたが少し違っていたのか、アスラー公爵は不思議そうに私を見据えた。
「ええ、友人…とは少し違いますが、彼女を同伴させていただきました」
「あぁ…そうか、まあ2人とも今夜はゆっくりしていってくれ。そうだ、後で私と踊らないか?先に取り付けておかないとお前は引っ張りだこなもんだから一緒に踊れそうに無いものでね、では他の者達と話に花を咲かせてくるよ」
そう言い彼は去っていった。
私は彼女が踊りを取り付けられたことより彼女の”友人とは違う”と言う部分が気になって仕方なかった。
もしかして彼女にとって私はただの配達員でしかなく、気まぐれに同伴させてもらったのではないかと勘ぐってしまう。
黙っていると他の貴族令嬢が寄ってきた。
旧知の仲なのか一瞬ちらっと私を見た彼女は迷った末に申し訳無さそうして去っていった。
顔が広いのか引っ張りだこの彼女を壁際で遠くから眺め、取り残された私は一人で冷たいケーキをちまちまとつまむ。
そろそろ社交ダンスが始まるのか男性貴族が一様にして女性にダンスを申し込み始めた。
指揮者は指揮棒を振りクラシカルな音楽に合わせペアの男女がくるくると踊る。
蕾を開かせ色とりどりの花を咲かせるようにドレスがふわりと舞い、華やかな空間が会場全体を陽気なものへと染める。
一人寂しく踊る相手のいない私は壁際で眺めること以外にやることも無く、ただ彼女が戻ってくるのをひたすら待っていた。
私のような爵位を持たない一般人は誰からも誘われること無く、壁の花になるのは必然でそのことには何も思うところは無い。万が一にも誘われた場合は申し訳ないが断るつもりだ。
「帰ろうかな…」
彼女は一向に戻る気配が無く見失ってしまってから時間がかなり経った。
待っていても迷惑だろうか。
ここにいても壁の花にすらなれずお目汚しになるだけだろう。
とぼとぼと会場から出ようとしたとき、アスラー公と彼女が楽しげに踊っている姿が目に写った。
破裂寸前だった思いはパァンっと弾け、わたしはなりふり構わず外へ走った。
会場にいた人は皆驚き道を開け走るわたしをなんだなんだと奥の方から野次馬のように出てくる貴族がチラホラ。
パンプスでは走り辛く何度も何度も転びそうになるが止まることなく走る。
後でいくらでも馬鹿にすればいい、これだから庶民はと蔑まれても構わない。
涙を拭きもせず歪む視界の中を灯りを頼りに逃げるように屋敷から去った。
二人の間に隙があるなんて思っていたわたしはなんて愚かだったのだろう。
一生分の後悔を背負って夜道に溶け込んだ。
走り疲れて途中で寄った広場のベンチに腰を下ろした。
赤く腫らした目で当たりを見渡すと見たくもない名前が目に入った。
「アスラー広場…」
ここら一帯は彼の出資金によって作られているのでところどころにアスラーアスラーと名付けられているのだ。
噴水がサァーと噴き上がり周りを霞ませ涼しい空気が潤う中、わたしは淀んだ顔で辛気臭さを漂わせていた。
彼女に何も言わず出ていってしまったが大丈夫だっただろうか。せっかく誘ってくれたのに気分を害していないだろうか。
心配はすれど彼女に会いたくはなかった、突然走って逃げた理由を聞かれてなんと言えばよいのか。
嫉妬して逃げたなんてみっともなく言えるはずもない。
そもそも同性であるわたしが彼女に好きだなんて言えるはずも無い。
初めて会った2年前、わたしは彼女の配達物を四苦八苦しながら届けたときに彼女に一目惚れしてしまった。
あの時の彼女は身だしなみをしっかり整え、できる魔法使いのようだったのだ。
はっきり言ってしまえば今の彼女を見ても当時は好きになったりしなかっただろう。
一目惚れなんて好きになる理由としてはいい加減で、外面しか見ること無く一時のものだろうと思っていた。
でも度々会うことが多くなり彼女はどんどん化けの皮剥がれ、如何に適当でだらしなくマイペースな人間であるかがわかった。
けれど日に日に思っていた人物像からかけ離れてく彼女が好きだった。
そんな彼女の一面ですら好きだった。
彼女の全部が好きになっていた。
だがどうだろうこのザマは。
今は負け犬のように逃げ、嫉妬に振り回され満身創痍だ。
「消えたい…この街から」
もうこの街から出て他の場所で新たな自分として生きていきたい。
いっその事胸の内を晒して嫌われた方がマシなのかもしれない。
彼女を忘れて恋愛とは無縁な教会の人間になれば未練を無くせるだろうか、そんな事を頭でぐるぐる巡らせベンチで項垂れてた。
すると座っているベンチの後ろから声を掛けられた。
「アリーが消えてしまったら私が困ってしまうよ」
突然の声に私はびっくりして座っているベンチごと転げ落ちそうになる。
間一髪で声の主に支えられわたしはドレスを土埃で汚すことはなかった。
「アリーはよく転げ落ちそうになるね。今日の昼頃だってそうだった」
思い出し笑いをしている彼女は紛れもなくメアトリスだった。
「どうして…」
まだ舞踏化にいるはずだった彼女がいる。
「隣良いかい?」と言われうなずく。
わたしの隣に座った彼女は手を握り、絡めるように指を間に入れてきた。
平然とそんなことをやる彼女に憤りすら感じた。
「アリーにサプライズがしたくてあまり構わないようにしてたんだ、けどアリーには申し訳ないことをしたね」
サプライズ、それはアスラー公との婚約なのか。
そんなの聞きたくない。
また涙が溢れ胸が苦しくなる。
わたしは繋いだ手を振り切り逃げようとした、けれど彼女もわたしと同じように立ち、繋いだ手を引いた彼女は腰に手を回し体が密着させてきた。
急に彼女の顔が近づき呼吸が乱れ心臓が煩く暴れだす。
「な、な、なんなんですか!何がしたいんですか!」
声を荒げて彼女を突き放そうとじたばたするが意外にも力があるのか彼女から離れられない。
今度は緊張という別の理由で涙が溢れ、彼女の顔が、視界が歪んだ。
「わたしは伝えるのが下手で分かりづらい女かもしれないね。だから…」
「ん…!?」
そう言いわたしと彼女の唇は溶け合うように重なった。
唇が離れると彼女は「ケーキの味がする」なんて言って自分の唇をぺろっと舐めた。
脳は痺れまともに頭が働かないがファーストキスを唐突に奪われたことだけは唇に未だに残る感触が物語っていた。
現実なのか夢なのかわけが分からず顔を真っ赤にして放心していると彼女は「もしかして嫌、だった…?」と不安そうな声で私の顔を見てきた。
わたしは我に返りすぐに否定の言葉を出す。
「全然…全然嫌じゃないです」
わたしの返事に安心した彼女は再びキスをしようと迫ってきた。
「ちょっと待ってください!」
ぐいっと顔を押し止める。
「え…やっぱり嫌なんじゃ」
きょとんとした後すぐ眉を下げまた不安そうにする。
「違います!嫌なわけじゃないんですけど…その、心の準備が…というか節操なさすぎじゃないですか?…」
彼女の性格上ここまでグイグイと来るとは思わずわたしの心は暴風が吹き荒れている。
一応まだ人が通ってもおかしくない時間帯なので周りを気にしたほうが良い気がする。
というかこれはわたしのことが好きってことなのか。
流石に泣いている人にキスをして慰めるなんてこと無いと思うが…この人なら有り得そうで怖い。
「えっと、わたしにキスしたのって…つまりそういうことなんですよね?」
「そういうことも何も好きでもない人間にキスしたりするような軽い女じゃないぞ」
ムッとした顔をした彼女はまたもや再びキスしようと迫る。
「ストップ!ストップ!落ち着いてください!」
流石に二度目は止められると思っていなかったのかこの世の終わりを見たような顔をした。これ以上待たせると立ち直れなくなりそうなので捲し立てる様に喋った。
「違うんです!本当に違うんですよ!その、気がかりなことがまだハッキリしてなくて。わたし知りたいんです、アスラー公爵との関係を」
え?みたいな顔をした彼女はさも当たり前かの様にわたしに驚愕の事実を突きつけた。
「彼奴はわたしの兄だ、言ってなかったか?」
「へ?お兄さんだったんですか!?ということは貴族なんですか!?」
「いいや、私はもう貴族ではないよ。爵位はとうの昔に捨てたさ」
彼女は元貴族だったのだ。
本名はフェイル・メアトリス・アスラー。
アスラー夫妻の末娘で魔法に興味を持ち、自らの爵位を捨てて魔法工房を自営し始めたらしい。
わたしは彼女の兄に嫉妬していたと知りへなへなと力が抜け膝から崩れ落ちた。
彼女は丁度良いタイミングで社交界を開いた兄にわたしへのサプライズを企画し、あの会場でわたしに告白する手筈だったらしい。
わたしが逃げ出してしまったのでおじゃんになってしまったが。
「説明してなくてごめんよアリー」
「いえ、わたしも先走って誤解してしまいましたので」
抱き合って見つめ合いお互いに謝る状況は少しおかしく二人で笑った。
彼女は抱えていた私を離し少し距離を取って姿勢を正した。
緊張で顔が強張っている彼女を見るのは今日が初めてかもしれない。
少しもじもじした後、彼女は覚悟を決め口を開いた。
「好きだよアリー、結婚しよう」
「はい!わたしも好きでした…って結婚ですかぁ!?」
結婚を前提でわたしに告白しようとしていたらしい。
「もしかしてこの格好って」
「ウェディングドレスだよ」
どうりで私のドレスを選ぶのに時間を掛けていた訳だ。
結果として会場から逃げ出して良かったと思うのは彼女に失礼だろうか。
「ちなみにこの会話あっちの会場に繋いであるよ」
彼女の手には青い通信晶石が淡く光動作していることが確認できた。
一瞬彼女が何を言ってるのか理解出来ず固まった。
しかし脳が処理を始めた瞬間私は顔はリンゴより真っ赤に染め叫んだ。
「は?……ちょ、止めてくださいよおおおおおおおおおおおお!!!!」
会場の人に全て筒抜けだったようだ。
これから先、一生のネタにされることを想像しわたしは膝を折り、この世の終わりを見た。
翌日、ここら一帯では私達の話題が飛び交い暫く家に閉じこもりたかったが、仕事はいつも通り山ずみなのでお届けをしなければならない。
ガーランド商会の筋肉の人はわたしと顔を合わせるとにこにこと荷物を運び入れ、訪ねる先訪ねる先で「おめでとう」と祝ってくれたり「ヒューお似合いだよ!」なんて冷やかされたりと暫くはわたし達の話で持ちきりになるだろう。
恥ずかしさに身を悶えさせることに慣れ始めるのにはまだ時間が足りなさそうだ。
早足で配達をし残り一件の配達を終えれば家に帰れる。
「さてこれで最後かな」
収納宝石の中身をチェックし地図を片手に進む。
そろそろ地図無しで辿り着けれはいいものだが遠からずその日は来るだろう。
古めかしいドアのノブを回し、散らかった家の中に入る。
奥で魔道具を弄っている彼女は自分の世界に入り込んでわたしに気が付かない。
メアと声を掛けると気がついた彼女は振り向き嬉しそうな顔でわたしを迎えた。
「おかえりアリー」
「ただいまメア」