「営業トークを聞くから私の小説を読め」と訪問販売員の俺に美人の奥さんが迫ってきた
「お邪魔します」
広々とした応接室に通された俺は、革張りのソファに腰を下ろしながら家具やシャンデリアに目を配る。金持ちだ、とにんまり笑いそうになるのを堪え、訪問販売用の鞄を下に置く。
「まだ暑いのに大変ですね。お若いのに」
氷入りの麦茶をそっと差し出してくれた奥さんとおぼしき女性は膝を揃えて対面に座った。
艶やかな黒髪を頬から耳にかきあげると白いオフショルダーのトップスから覗く肩が露わになる。俺と同じ歳くらいの美人だ。
「ありがとうございます。それでは早速ですが」
「すみません。お話の前に聞いてください」
意気揚々と口火を切ったところで片手をあげて制される。
いくらでも聞こうじゃないか。インターフォンでガチャ切りされることを百回繰り返すよりも一人の優良客に時間をかけた方がずっとマシだ。
前のめりで聞く姿勢になると、どさりと紙束を目の前に置かれた。
「……これは?」
「営業の基本は会話ですよね?」
「はあ」
「会話は双方向で成り立つもの。つまりギブアンドテイク」
「まあ」
話の意図が見えなくて困惑していると奥さんはニッと笑って、
「ではまず私の小説を読んで私の主張を聞いてください。話はそれからです」
「ご冗談を」
思わず素で返してしまった。
「冗談ではありません。なぜ一方的に営業トークを聞かなければいけないんですか」
「ははは、そうきましたか……小説ねえ。薄いタウンページくらいありますね」
「三百枚ちょっとあります」
無言で席をたつと、奥さんはすがるように立ち上がった。
「待って! 自費出版する前に誰かに読んでほしいの。友達には恥ずかしくて見せられないし。お願い!」
「はあ」
やけに好待遇だったのはそういうことか。
……まあいいか。営業の合間に小説投稿サイトを読んだことはあるし、作者へ感想を書いたこともある。これも営業活動の一つだと思えば。
少し読んでから天井を仰いだ。
「あの、宇宙のビッグバン的なところから話が始まってますけど、ジャンルは?」
「ライトファンタジーのラブコメです。ヒロインは後半からでてきます」
「じゃあ、前半部分いりませんね」
「ん……っ」
そう言うと、奥さんはくすぐったそうに身をよじる。
「ごめんなさい。ずっと一人で書いていたものですから感想で少し感じてしまって。続けてください」
感じる? 今感じるっつった?
「あ、ええと、主人公のラインハルト殿下の洒脱な会話はいいんですが、日常の話ばかりで一向に進みませんね。何の話なんですか、これ」
「ライトファンタジーのラブコメです。ヒロインはもう少ししたらでてきます」
「……ヒロインが出る前に義理の兄との恋愛が始まりましたけど……。え、ギャグ?」
「ライトファンタジーのラブコメです。ああ……」
いつの間にか横にいた奥さんを見てぎょっとする。うっとりと濡れた瞳に上気した頬。
かすかに荒げた息がオフショルダーの胸元を上下させている。
思わず視線の焦点が胸に合いそうになるが無理やり紙束に戻す。
いい加減ページを捲るのが嫌になってきたらやっとヒロインが登場。
だが実はヒロインは魔王の化身で、主人公をかばって義理の兄が死亡してしまう。
怒り狂った主人公が不思議な力を発揮して魔王を撃退。どこぞの姫と王子が結婚して終わり。残り30ページで怒涛の急展開。
「……ヒロインとのラブコメは」
「ライトファンタジーのBLです!」
「さっきと言ってることがちょっと違う。タグ詐欺と同じだよこれ!」
客だということも忘れてつい声を荒げてしまった。だって三百枚分だぞ。
「大体主人公がずっと受け身で流されてるのがなあ。好かんなあ」
「やっ……や、やめて。それ以上は。んっ」
奥さんはしなだれかかってきて原稿を奪おうとする。
……というか、この人なんでさっきから発情してるんだろう?
執筆の孤独に耐えきれなくて、感想ならなんでも悦んじゃう体になったのだろうか。
反対側に掲げた原稿を奪おうとする奥さんの脇の下から手をさしこむ。
思い切って胸を触ってみるが抵抗する様子はない。マジか。
「奥さんは、この主人公みたいに流されて生きてるのかな?」
「んっ」
「このベッドシーンはお前の願望か? 受け攻め交代しながら書いてたのか? 笑っちゃうな」
「言わないで、やめて……お願い」
そう言いつつも身を預けてくる奥さん。柔らかい布ごしに胸の先端を弄りながら耳元に口を寄せ、
「その願望叶えてやるから、うちの商品全部買えよ」
「……はい」
やった! 美味しい思いができる上に、売上も上がるのか。なんて日だ!
息を荒げながら覆いかぶさると、涙をためていた奥さんの目が瞬間的に変わる。ぞくりとするような声で、
「ではまず私の小説を全部売ってきてください。ギブアンドテイクです」