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街歩き

 それからしばらく走って馬車は止まった。


 馬車を降りるときだけ、クリストフ様の手を借りて、そのあとは差し出された手を断って隣を歩くことにした。

 こんな街中でエスコートじみたことなんてされていたら、わざわざおしのびだって宣言しているみたいじゃない。


 少し歩くと、屋台のような屋根つきの出店が広場いっぱいに広がっていた。色とりどりの出店には、それぞれ果物や花といった思い思いの品が並んで、行き交う人々がそれらを眺めたり、買ったりしている。


「ここが……、青空市場?」


「そうだよ。ずいぶん賑わっているね」


 使用人たちから話を聞くことはあったけど、本の知識を合わせても実際に見るのは初めてだ。

 クリストフ様に続いて、きょろきょろと見回しながら市場に足を踏み入れる。

 近くで見ると、出店の並ぶ様は圧巻で、遠目に見るよりも、品物も多岐に渡っていて見ごたえがあった。


「そこのお嬢さん? よかったらうちの果物を見ていかない?」


「わ、私?」


 突然、大きな声をかけられて驚き、おずおずと尋ねる。相手は年若い青年で、出店には新鮮そうな果物がうず高く積まれていた。


「ずいぶんきれいな髪だね。どこぞのお姫様みたいだ」


「えっと……」


 一応、街に合わせて編み込んでくれたらしい髪は自分では見えない。

 侍女は大丈夫だと言っていたけど、こんなに早くばれるなんて。絶対に目立つと思っていたもの。このままだと、すぐに帰ることになってしまうかもしれない。

 どうごまかすか迷っていると、クリストフ様が肩を抱き寄せながら「お兄さん」と口を挟んできた。


「僕にとってのお姫様だから、あまり困らせないでほしいな。重そうだしまたあとで」


「どうぞひいきに!」


 クリストフ様が前に出たことで、青年は怯んだ様子を見せたけど、すぐに商売人らしい笑顔を浮かべた。

 ぺこりと会釈をして、その店の前を離れた。ある程度の距離をとってからクリストフ様に話しかける。


「もしかして……、慣れていますか?」


「どうかな?」


 クリストフ様がふふふと笑う。そんな様子を見ながら、しょんぼりとサイドに残した髪をつまむ。


「やっぱりこの髪、隠してくるべきでした」


「ん?」


「さっきの方、すぐに気付いてしまって……」


「リズはそう思ったの?」


 クリストフ様が可笑しそうに言うので、むっとしてしまう。


「大丈夫だよ。案外、気づかれないものだから」


 クリストフ様は手を伸ばして、私の耳元を優しくなでた。指がサイドの髪を絡め取り、そのまま流れるように髪をつまんでいた私の手を包んだ。


「でもね、こうしていればきっと声をかけられるのも減るはずだよ」


 てっきりエスコートされるときのように、手をつなぐのだと思ったのに、クリストフ様が指を絡めてきた。

 印象より指がゴツゴツしているなんて思いながら、くるくると手首を返して見つめる。


「……本当に? これで?」

「試してみようか」


 クリストフ様がにこりと笑って歩き出したので、繋いだ手はそのまま隣に並んだ。

 市場の奥へと進むと、人が増えてさらににぎやかになっていった。


「お二人さん、ジュースはいかが?」

「それより、こっちの菓子はどうだね?」


 たまに強引な客引きにあたって、品物を差し出される度、クリストフ様をちらりと見やる。そのたびに余裕そうな表情を返されて複雑だ。

 確かに最初の方ほど、ぐいぐい話しかけてくる方はいないけれど……。


「ほら、何も言われないでしょ?」


 クリストフ様が耳元で囁いてくる。その言葉もあっという間に雑踏に溶けていくようだった。


「そう……ですね」


 ばれて騒ぎになれば、帰らなければいけない。そんな怯えが収まってきて、かわりに楽しい気持ちが湧き上がってくる。

 だって、ずっと求めてきた庶民生活がこんなに身近にある。


「ふふふっ」


 つい自然と笑いが漏れる。

 前世ぶりの庶民的で活気を帯びた空間。日本とは全然違う外国めいた景色なのに、どこか懐かしささえ覚えてしまう。


「リズ、やっと笑ってくれた」


 クリストフ様の笑い声。雰囲気に流されてしまっていたことに、少しだけ焦る。


「少しくらい羽目を外して大丈夫だよ。きちんと口止めもしておくし」

「……ありがとうございます」


「よし、せっかくだしもっとまわろうか」


 はしゃいで歩く市場は、ついさっきまでのびくびくしていたときの何倍も素敵に見えた。声をかけられるのも、この空気に溶け込んているようでむしろ楽しい。


「ありがとう、クリス!」


 ここに連れてきてもらえて本当に嬉しい。心からお礼を伝えると、クリストフ様が目を見開いた。

 馬車のときは普通だったのにと、不思議に思って見つめると、心なしか頬が赤いことに気がついた。自分のことばかりに夢中だったけれど、王子であるクリストフ様がこんなに長く屋外にいることはあまりないのかもしれない。


「大丈夫ですか?」


 熱中症だったら大変だ。慌てて、繋いでいないもう片方の手で頬に触れようとした。だけど、触れる直前でクリストフ様の手がそっと私を押し止める。


「いや……、平気」


 決まり悪そうに顔をそらされて珍しいなと思う。もしかして、具合が悪くなってしまったのだろうか。


「でも……」


 クリストフ様が困ったように眉を下げた。


「正直、呼んでもらえるとは思っていなかったから。もう一回呼んで?」


 わずかにかしげた首が本当にあざとい。そうなると、途端に恥ずかしくなってきて、私はふいと顔をそらした。


「今は嫌です。でも、……ここにいる間なら」


 私もいい加減この顔に甘いと思う。

 私の知る限り、クリストフ様を愛称で呼ぶような方はいない。王子としての立場はそれだけ特別なものだ。


「どうせなら敬語もなくていいよ」


「それは……、やっぱり慣れなくて……」


 ちらりと伺うと、クリストフ様はきれいな笑顔を返してくれた。いちいちきらきらしいのはなんなのだ。目をそらすと、通りかかったお嬢さんたちが見惚れているのに気がついた。

 クリストフ様も、やっぱり目立っているじゃない。早く行かないともっと注目されてしまうかも。


 繋ぎっぱなしの手をぐいと引っぱる。すると、クリストフ様が楽しそうに笑って、ぎゅっと私の手を握った。



 気がつくと、日も高く登り昼時だ。そろそろ次の視察場所に移らないといけない。

 もう戻りましょう、とクリストフ様に言いかけ、そのまま私は固まった。


 呆然と立ち尽くす私に、気さくな雰囲気の店主が笑顔を向けてくる。


「そこのおキレイなお嬢さん? うちのポテトチップスは最高だよ!」


 出店には見本らしいポテトチップスが器に盛られ、その隣に袋詰されたポテトチップスが山と積まれている。

 まさか、これはポテトチップス? 本当に?


「今日だけは宣伝も兼ねて出店しているんだよ。普段は加工場も兼ねた店で売っているんだけどね」


 しかも、今日だけ? 何たる偶然!

 喜ぶ私に、店主が説明を加えてくれる。


「ちょうどさっき、補充したばかりなんだ。人気がすごくて作るのも追いつかないよ」


 人気があるということは、しばらく前から売っているのだろうか。使用人たちの口にものぼっていなかったし、まったく知らなかった。


「ぜひ! ぜひお店を教えて下さい!」


 店主が地図を取り出して教えてくれた場所は、使用人がよく買い物に行くと言っていたあたりだ。なんて偶然が重なるの!

 にまにまと口の端が上がるのをごまかしきれない。


「リズ、随分嬉しそうだね?」


 クリストフ様が不思議そうに声をかけてくる。

 だって、ずっと食べたかったポテトチップスをこれからは好きなときに食べられるのだ。これは喜ばずにいられない。

 きちんと店名も所在地も覚えたから、今度、買い物ついでに買ってきてもらおう。



 初めての城下視察で、長年の願いが思いがけず叶ってしまった。たくさんのおみやげを買い込んで、ご機嫌で馬車まで歩く。

 クリストフ様はそんな私をじっと見ていたけれど、そんなことも気にならないくらい私はポテトチップスに夢中だった。

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