ミノタウロス
ミノタウロスはヒルコに斬られた後、その肉体は黄色い光の粒となって消え始めた。
光の粒の中に、見知った少年が映っていた。幼いミノタウロスだ。
暗い檻の中に、彼は閉じ込められていた。
彼の隣には、母親が頭を下げ必死に訴えていた。
この子に酷いことをしないでください。何でもしますから、と。
檻の外にはガラの悪い男たちが立っていて、ニヤニヤと笑っていた。
村人たちはミノタウロスを化け物だと蔑んだ。
牛の面を被ったまま生まれた不気味な子供。少年ながら大人よりも力が強く、どれだけ痛めつけても、傷つかない化け物。
昨日、その手で人を殺した犯罪者。
ミノタウロスとしては、弱い者苛めをしている者に制裁を加えただけで、己が悪いことをしたという自覚は無かった。
村人たちはそんなミノタウロスを畏れ、檻の中に閉じ込めることに決めた。母親だけが、息子をかばった。
村人達はミノタウロスが神の『化身』であることを知らなかった。ミノタウロス自身も己が『化身』であることに気づいていなかった。
村人たちは、必死に頭を下げる母親を下卑た目で見ていた。ミノタウロスの母親は美しい容姿をしていた。
お前の態度次第だ、と馬鹿笑いしながら村の男達はミノタウロスの母を連れ去った。
『神様はいつも貴方を見ています。貴方は常に正しくありなさい。たくさんの人を救うのです』
母は最期に、そう言ってミノタウロスに微笑んだ。
その後、村は大災害に遭った。
何度も雷が落ち、村を燃やした。
村人達はミノタウロスの呪いだと誰もが思った。
元凶のミノタウロスを殺そうとしても、彼の身体は不死であり、どれだけむごいことをしても傷一つ負うことは無かった。
その日の夜、村に一つの隕石が落ち、村が跡形もなく消え去った。
村人は全員死んだ。最愛の母も。生き残ったのは、ミノタウロスただ一人。
それからミノタウロスの頭の中に、『アステロペーテース』の記憶が現れるようになった。己が『化身』であることを理解し、『凌辱』の衝動に憑かれるようになった。
村の残骸から、母親の残骸をかき集めた。その死骸に『神器』を被せた。それはミノタウロスが生まれた時から付けていた牛の仮面だった。不死を司る『神器』。
『神器』の力によって、母親の肉体は再生した。けれども母親の記憶は戻らなかった。それでもミノタウロスは喜んだ。
「俺は貴方の教え通り、たくさんの人を救うよ。そうだ。悪い奴らを『凌辱』して、この世を救うんだ。さぁ、行こう。パシパエ」
(あぁ、そうだ。俺はそれから盗賊と戦って。暴君とも戦って。ついでに女を救って、自分の居場所を造った。楽しかったなぁ)
ミノタウロスの走馬灯が光の粒に映っていた。
光の粒は、『アステロペーテース』の中へと戻るため天へ昇っていく。
巨大な黄色い巨神の姿が現れた。
頭は牛で、身体は人の姿をしていた。
(あぁ、そうだ。もともと俺は、『アステロペーテース』は虐げられる者を救うために戦う神だった。『凌辱』は、後から付け加えらたものだ。『邪な言葉を操る神』の村を襲ったのも、あいつが悪い神だと思ったからだ。あいつは悪い神では無いと分かってからも、どうして俺はあいつに喧嘩を吹っ掛けたんだっけ?)
ミノタウロスの魂が『アステロペーテース』へと少しずつ同化し始めていた。
(あぁ、俺はあいつの強さに憧れたんだ。そうだ、俺は)
『『邪な言葉を操る神』の友人になりたかったのだ』
黄色い巨神『アステロペーテース』が言った。
(そうだった。それなのに、どうしてこんなにも想いがねじれちまったのか)
『だが、ねじれたこの呪いを彼が断ち切ってくれた。もう私は『凌辱』者ではなくなった』
(俺の後輩はなかなか良い仕事をしてくれただろ)
ミノタウロスは無邪気な笑い声を上げながら、『アステロペーテース』の中へと戻った。
※※※※※※
ラビリュントスの中、ヒルコ達はミノタウロスの光が天へと昇っていくのを見届けた。
「全て終わりましたか」
そこへ牛の仮面を付けた女がやって来た。ミノタウロスの『使徒』であり、街の門番を務めるパシパエである。
パシパエはゴルゴーンを背負っている。ミノタウロスによってぶっ飛ばされたゴルゴーンを運んできてくれたようだ。
「ミノタウロス様を救っていただきありがとうございました」
パシパエがヒルコへお礼を言った。仮面から涙が零れ落ちた。
「それと、ミノタウロス様は貴方に先輩としていろんなことを教えてやると息巻いてましたが、伝わりましたか?」
「はい。いろんなものを教えていただきました」
「あの子は、昔から人に言葉で説明することが苦手な子だったので、心配していたのです。ですが、杞憂だったようです」
ミノタウロスは言葉よりも、すぐに手が出る性格だった。一番最初から付き従ったパシパエは、感情のままに動く彼に振り回されてばかりだった。悪者を聞くや否や、勝負を挑みに行った。それでも、楽しい日々だったと、懐かしむ。
ただ、ミノタウロス自身は『凌辱』の衝動をどうにか抑えようと苦しんでいるのも知っていた。その欲望はもはや抑えつけるのは限界で、溢れ出そうになっていた。『凌辱』の衝動を抑える術はなく、不死のミノタウロスは死ぬことができない。そんな時、『邪な言葉を操る神』がやって来た。
ミノタウロスが『邪な言葉を操る神』に会いたいと言い出した時、『使徒』の誰もが思った。彼は死ぬつもりだ、と。
『使徒』はミノタウロスに救われた者達から選ばれていた。敬愛する主が殺されるのを黙って見ている者は少ないとパシパエは思っていた。
パシパエは意識を失っているマダラグーチ達を見る。
「気持ちは分かるのですが、お説教が必要ですね」
そう呟いてから、ヒルコ達へ向き直る。
「私達は、ここでミノタウロス様を弔います。貴方たちはどうされますか?」
「ラビリュントスの『神器』を貰いたいところだけど、もうクタクタよ。今日は、ホテルに帰って寝たいわ」
ラミアが言う。
「ボクも、身体のメンテナンスをしたいなぁ。自動再生機能も限界があるし」
オトヒメは切断された頭を無理やり首の上にのっけていた。彼女はアンドロイドであり、再生機能も搭載されている。ミノタウロスによって一度、機能停止まで追い詰められたが、今は動けるまで回復していた。オトヒメはゴルゴーンを受け取り、担ぐこともできた。
「分かりました。貴方たちが『神器』を欲しているようであれば、差し上げるようミノタウロス様に言われています。『神器』は明日届けます。さて、アリアドネ。出口を作ってください」
出口の扉をアリアドネが作成する。
扉を開くと、明るい陽射しが入ってきた。
ヒルコ達はラビリュントスを出て行った。
扉が閉まり、再びラビリュントスの中に夜の静寂が戻る。
「ムニャ、ムニャ」
眠っていたマダラグーチが目を覚ました。彼女はラビリュントスに広がる満点の星空を見上げた。
「ミノタウロス様はやっぱり逝ってしまったのかニャ」
「ええ。だから、今から盛大に弔いましょう。さぁ、アリアドネ。お酒を出してください! 今日はとことん飲みますよ」
パシパエに言われて、アリアドネが嬉々として亜空間から高い酒を取り出す。
「気が進まないニャ。アリアドネは酒癖が悪いし、パシパエは酒を飲むとぐちぐち説教ばかりしてくるニャ。きっとパシパエもアリアドネもミノタウロス様の言いつけを破って『邪な言葉を操る神』の『化身』に挑んだことを怒っているニャ。どんな雰囲気になるか想像できるニャ」
マダラグーチが溜息を吐く。
「ミノタウロス様ぁ、こいつらが私に酷いことをしなように見守っていてほしいニャ。お願いだニャー」
星に願うと、一つの星が瞬いた気がした。
その瞬きが、何だかミノタウロスが笑っているようにマダラグーチには感じた。




