青い亡霊
黒い湖に小舟が一つ浮かんでいる。その小舟にヒルコは座っている。
周囲は真っ暗でヒルコは漂っている。
(俺は死んだのか?)
牛の面を被った男に斧で斬られたところまで覚えていた。
「『化身』に死は許されない」
目の前に青い靄で構成された人影が現れた。
「私は『邪な言葉を操る神』の『使徒』の亡霊だ」
青い人影が言った。
「私は貴様の物語を読んできた。その感想を述べよう。貴様は『化身』として相応しくない」
吐き捨てるように人影は言った。そいつは一冊の本を持っていた。それは先日ヒルコが手に入れた『邪な言葉を操る神』の『神器』であった。
ペラペラと本をめくりながら、それは告げる。
「我等『使徒』の目的は闇の中に封じられ、神を呪い、人を呪い、己を呪い続けたあの方を救うこと。あの方の身と魂は呪いで侵され、誰にもその呪いを解くことはできない。それを貴様は理解していない。そんな貴様があの方の『言葉』を我が物顔で使うことは許されないことだ。貴様が一言でも『言葉』を発するだけで虫唾が走る」
青い影が叫ぶ。
「あの方はもう止まらないのだ。呪いに憑き動かされ、神を殺し、『使徒』を殺し、『巫女』を殺し、人を滅ぼし、この世界を破壊し尽くす。それをサポートするのが『化身』だ。貴様にはその覚悟があるのか? 覚悟が無いのなら、せめて余計なことをせず『夢』の中で全てを観ていろ」
黒い湖から青い手がいくつも這い上がる。
青い手はヒルコを掴み、黒い水の中へと引きずり込む。
「貴様は寝ていろ。これより行われる全ての行為は邪神の『使徒』に操られたものだ。貴様とは無関係のものなのだ。貴様はただ『夢』を観ているだけ」
ヒルコに対して説教を青い影は延々と言っていたが、水の中へと沈んでいく度にその声は小さくなっていった。
水の中でヒルコはもがく。
誰もがヒルコのことを人形と見下し、相手にしない。
(俺は何も知らず、何もできない。このまま消え去ることが正しいのかな)
水の中へとヒルコは落ちていく。
暗い水底へと落ちていくと、青い光が小さく光っているのが見えた。
光へと近づくたびに息苦しさが薄れていく。
星のように小さく光っていた光が段々とその姿を現す。
水底には青い光に包まれた村が沈んでいた。
村の広場のような所へと引きずり落された。
「ようこそ。『邪な言葉を操る神』の『夢』に」
一人の女がヒルコの前へと躍り出て言った。
青い髪に白い肌を持つ女が告げる。
「私達は『邪な言葉を操る神』に仕えた者達の亡霊」
女の後ろにはいくつもの人影があった。しかし、女と違い他の人影は全て青い靄で覆われている。
「ここに堕ちてきたってことは、君も失敗したのかな? 失敗したんだよね? 君を責めたりはしないよ。私達も失敗してここに堕ちてしまったからね。でもね、私達は失敗を後悔していないよ。君もそうでしょう? 私達は仲間だ。仲良くしよう」
そう言って、女はヒルコへと顔を近づける。女に顔は無かった。
「でも、もしも君が『夢』から覚めたいと思うなら、私に相談して頂戴。何せ、私は『邪な言葉を操る神』の『巫女』を務めた女ですもの。死んでなお、ちょとは権限を持っているの」
『巫女』を名乗る女はヒルコの手を引き、青い人影の集団へと引っ張っる。
「さぁ、宴を始めましょう。折角新しい仲間が『夢』の中へとやって来たのだから」
それから『巫女』を中心に亡霊達はささやかな宴を始め出した。
ヒルコは心ここにあらずの状態でその宴の中へと放り出された。
※※※※※※
「俺達『化身』に自由は無い。本体である『アステロペーテース』の意思は絶対だ。しかも衝動的行動に身体を操られ、時には喋ることさえ禁じられる。そんでもって神の意に沿えず失敗すれば、神の『夢』へと堕とされる」
ミノタウロスは倒れて血を流すヒルコの頭を踏みつけながら言う。
ヒルコの身体に青い光が集う。その青い光の全ては回復を司る邪な言葉であり、ヒルコの身体の傷を癒やし続けていた。
「俺の根源には『アステロペーテース』の『凌辱』したいという衝動がある。それに逆らうことがどれだけ難しいかお前は分かるよな? お前にも神の意思が根底にあるんだろ! なぁ、何もできないんだろ? 身動きできず、喋ることすらできない。分かるぜ。俺もそんな時期があった。『化身』なら誰もが通る道だ。だけどなぁ、俺は『アステロペーテース』に逆らった。その結果がこのクレタの街だ。この街はミノタウロスの街だ。神の意思なんて関係ない。『予言書』なんて糞くらえだ」
ミノタウロスがヒルコの頭を何度も何度も踏みつける。
ヒルコはうめき声を上げながらも、赤い光を放つ瞳をミノタウロスへと向けている。その瞳の色に感情は無く、無機質なものだった。
無機質な瞳を見返しながら、ミノタウロスは頭を踏みつけるを止めない。
「俺の街は! 俺の女達は! 俺は! お前にはどう見えた? どんな『声』を聞いた? なぁどうだ? 羨ましいと思っただろう? 羨ましかったと言えよ! 『化身』!」
ミノタウロスが怒声を上げた。それから彼は踏みつけるのを止めた。
「あぁ。やっぱりこいつは駄目だ。神の『夢』に堕とされちまった。『夢』から覚めるのは不可能だ。折角、俺と同じ『化身』と話せると楽しみにしていたのによぉ。後輩の『化身』に『化身』とは何たるかをを教えようと思っていたのによぉ。『化身』とギリギリの殺し合いができると思ったのによぉ。これじゃあ、いつも通りただの虐殺になっちまうよ」
喚きながらミノタウロスは斧を振り上げた。
斧から雷が発生する。
「止まりなさい。ミノタウロス」
ラミアが静かな口調で割り込んだ。
ミノタウロスはつまらなそうな顔をラミアに向けた。
「なんだ『神の王』の『巫女』。俺をそんな目で見るなんて不敬だぞ」
「ヒルコは私のものなの。勝手に壊すなんて許さないわ」
「うるせぇなぁ。俺は『化身』なんだよ。俺の成すこと全ては神の意思によるものだ。お前たちは俺の行動に対して、首を垂れて感謝するのが決まりだろうが。『巫女』とはいえ、人間だ。そこを勘違いするんじゃねぇよ。これ以上、そんな目で睨むってんなら、ぶち犯すぞ。他人の女を奪うことほど愉しいことはねぇしなぁ」
「ヒルコに手を出さないと約束してくれるならいくらでもどうぞ」
「はん。誰がそんな約束するかよ。お前を犯して、コイツも殺す。『陵辱』こそが俺の根源だからなぁ。アヒャヒャヒャ」
ミノタウロスが笑う。
「【鏡剣】」
男の声が響き、無数の鏡の剣がミノタウロスに降り注ぐ。
ミノタウロスの周囲から雷が発生し、鏡の剣は吹き飛ばされた。
「大切な妹と友人を好きにはさせない」
ゴルゴーンがミノタウロスへ接近し、剣を振るう。
「不敬な奴め」
ミノタウロスが舌打し、斧をゴルゴーンへと叩きつけた。
「ぐっ」
リビュア国で最も力が強いと評されるゴルゴーンからうめき声が上がる。
ゴルゴーンは力負けし、遥か彼方に吹き飛ばされた。
「アヒャヒャヒャ。よく飛んだなぁ」
ミノタウロスが笑っているところへ、オトヒメが銃を向けて放つ。弾丸はミノタウロスの周囲で発生する雷によって跡形もなく消し飛ばされた。
「奇妙な武器を持っているなぁ」
好奇心に満ちた瞳がオトヒメを捉えた。
瞬間、ミノタウロスは雷となってオトヒメへと迫り、斧を首へ叩きつけた。
その雷の使い方はマダラグーチにそっくりだった。ただ、マダラグーチよりも雷の量が多く、速い。
「『化身』は人間どもに『神器』を与える。『化身』が『神器』以上の力を持っているのは当然だろう。ヒャヒャヒャヒャ」
斧によって胴と頭を切り離されたオトヒメの頭が宙に舞う。その顔は苦笑していた。
「これは無理ゲーじゃん」
宙を舞う頭が呆れたような声音で言う。
首が無くなったオトヒメの身体が彼女の頭をキャッチする。
オトヒメの首からは血が一滴も流れていなかった。
切断面からは導線がいくつも垂れている。
「換えのパーツもあんまり無いし、どうやってゲームクリアするんだよ。だってまだ一面のボスでこの様だ。ゲーマーのボクでもこれは無理」
切り離された頭は苦痛の表情も見せずに喋る。
その様をミノタウロスは苛立ちながら見つめていた。
「お前は何者だ?」
「ボクは『ヤオヨロズ』から派遣された【浦島太郎】式人型異界探査機229号。正式名は堅苦しくて好きじゃないんだ。気軽にオトヒメと呼んでくれ」
「異界の邪教徒か。そんな身体に成り果ててまで何故ここまでやって来た?」
「そりゃぁ当然、好きな人に会うためだよ」
オトヒメの頭は満面の笑みを浮かべる。
「ロボットになってでも、好きな人を追いかけるのはボクの国では普通だよ?」




