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カレー小説 臆病者、カレーを食べる

密談 ~臆病者、カレーを食べる~

作者: 侍 崗

人気を憚り、肩を並べてなにやら意味深な単語を並べた密談するというのを中学時代に憧れた人は、一体世間にどの位いるのでしょう。実際の密談って人を払ったり、けれど自然を装ったりとものすごく準備がいるのだと思います。そうまでして得られる情報とは、どんなものなのでしょうね。

案外殆どの人には理解されない妙なところに、価値があるものかもしれません。


~この物語はフィクションです。登場する人物、団体、店名等は架空のものであり、実在するものとは一切関係がありません~


 突然の豪雨が止んだ後の路上は、頭上から降り注ぐ太陽の光に温められ、生ぬるい上に見えない湯気を吐き出し、辺り一帯を温度の低いサウナに変えた。皆一様にその輝く太陽を仰ぎ、手にしていた傘を閉じながらその身にかかった水気を振るい落としていく。

 私が階段を下りて地下へとやってきたのは、そんな安い不快感から逃れるためではない。


 神戸三宮。


 通過することはあっても降り立つことはなかった場所を私は歩いている。この土地には正直、縁もゆかりもない。しかし目的があるならどうだろうか。


 ――そう、今日は目的があるのだ。


 2日前に私の下へ届いた1通のメール。それが始まりだった。

『蒼い目の黒豹を六甲居留地北側で捉えた センタープラザの地下36』

 それだけ書かれたメールの宛先はフリーメールからだったが、メールの最後の署名でそれが私の知る者であることが分かった。その知らせを私はひそかに待っていた。

 六甲の居留地などそんな名前の場所はないが、送り主がそう言いたいのだろう。六甲で居留地、そしてその北側ならおそらく神戸の三宮だろうとあたりをつけた私は、少し留守にすると家人に伝え、長時間電車を乗り継いではるばるこの地にやってきたのだ。

 ビルが密集する駅前。その下には長大な通路が伸びている。なれた者が雨を避けて歩く分にはいいのだろうが、この土地を知らない私にしてみれば巨大な迷宮である。

 通路はそれぞれがブロック別に切り分けされており、1つのブロックが終わりを迎えると次の通りへの入り口が待っている。雨を避けて咄嗟に地下へ下りたのだから、まず位置を把握しなければならなかった。目的としている「センタープラザ地下」へはこのブロックの端へ向かい、更にもう1ブロック先の様だ。私はただただ真っすぐ、目的の位置へと向かった。どうやらこの上にはさんプラザ、センタープラザとその西館と称されるビルがあるらしい。その地下がこのように長い道を形成しているのだ。

 センタープラザの地下へと入ると、私は掲示されているフロアマップを確認する。36と書かれている場所は他よりも小さく区切られている。場所もそれほど遠くはない。この区画は飲食店が軒を連ねている。しかし昼時を過ぎてしまっているからか、思ったよりも静かだった。

 マップ上で36と書かれた場所。その入り口の上にはこうある。

『Dear Old Curry SAVOY』

 懐かしきカレー……か。

 私はガラス窓から灯りがこぼれる焦げ色の木製ドアを引いた。

 店内にはカウンター席しかなかった。並ぶ椅子は間隔が狭く、数名座ればたちまち満員となるだろう。

 カウンターの奥が広いかと言えばそうでもない。店員が1人そこに立てば、別のものが通る時、体をひねらなければならない幅だ。

 そのカウンター席の一番奥にそいつは座っていた。

 丸渕眼鏡に整髪料で神経質に整えられた髪。黒いスーツを纏ったその男は、私の入ってきた事を確認すると、にやりと笑った。私はその男の隣に腰を掛けた。


「こんなところまで呼び出すとは。時間があるやつは羨ましい」


 私は男の顔を見ず、皮肉を込めて言った。

 店員が席に着いた私の前に、コップに入れられた水を置いた。


「時間は有効に使うもんさ。平等な上に限られているんだからな」


 男は手前で組んでいた両手を組みなおしながら続ける。


「例のサンプルが見つかった。一両日中には回収できるだろう」


「アンタにしちゃ随分と仕事が遅かったじゃないか。で、そいつが本物だという信憑性は」


「積荷の送り主にちょっとした知り合いがいてね。あんたにメールを送った2日前、穀物と表記された積荷と共にあの国の『警察』が警備と称して神戸港へ入った。小麦粉にしては大層大掛かりな警備だったそうだ。奴ら正面から堂々と持ち込んできやがった。我々が動いているのを知らない上はそれはもう大慌てさ」


 男は組んだ両手を自分の口元に持ち上げた。


「高値のつく小麦粉、ねぇ……。密売ならこう、それらしくこっそりやって欲しいもんだな」


「ここにきて、あの国の急進派が頭をもたげてきている。脅迫を含んだ悪意のあるプレゼンさ。それより、何か頼んだらどうだ」


 私は「わかってる」と言い、正面に下がっているプレートを見た。

 メニューには「ビーフカレー650円」とだけあり、あとは「玉子」と「ビール」しか書かれていない。何かといわれても、最初から選択肢はないのだ。私は店員にビーフカレーとだけ伝えた。奥へ入って行った店員に代わり、別の店員が私の前に小鉢に入った千切りキャベツ、先に座っていた男の前にカレーを出した。男のカレーには生卵が乗っていた。


「カレーに生卵か……」


「案外いけるもんさ。先に食うぞ」


「勝手にどうぞ」


 男は嬉しそうにスプーンで黄身をつぶす。皮膜を破られた黄身は卵液を四方に零し、それが茶色いカレーの斜面をゆっくりと滑り下りる。その男がやっているからだろうか。私はそれがどうにも好きになれず、玉子はつけなくてよかったのかもと思ってしまった。

 次いで私の前にもカレーは運ばれてきた。

 平たく白い皿にターメリックライスの黄色、そこへ茶褐色のカレーがかかると途端に華やかになるもんだなと私は思った。そこには他の何物も突出することを許さない連携があった。カレーの中に肉の塊などはこの時点で見ることはできない。目の前に出された直後から、この店に最初からあった香辛料の匂いが一気に強くなった気がする。そう言えばカレーライスを最後に食べたのはいつだっただろうか。


「回収したサンプルは筑波へ送られる。解析が順調に進めば、大勢の国民が平穏を貫けるのさ。ただ、奴らがそうはさせてはくれないだろう。下手に動けばたちまち戦闘状態になるが、『なかったこと』にだってできる。この機に乗じて主導を握ろうと躍起になっている奴らも、重い腰を上げようとし始めた。あんたの所とも益々仲良くやろうって雰囲気ではなくなったわけさ」


 私は男の話を聞きながらカレーを口に入れる。カレーの香ばしく辛味を帯びたソースに対し、これが白飯でなくて良かったと感じていた。ビーフカレーというが、前述のとおり牛肉らしい塊や薄切りのそれは見当たらない。煮込まれているのか、点々と牛肉の繊維がスプーンで掬った先に発掘された。

 キャベツはドレッシングがかかっており、小さなフォークが付いているのでそれを使って食べる。口の中が濃いカレーの味で埋まっている中へ投入されるキャベツのヒヤリとした温度は、一時の清涼剤だ。だが、キャベツはあくまで付け合わせ。忽ち小鉢からその姿を消した。


「お宅の処と犬猿の仲である()()にアンタが加勢する……理由はなんだ?」


「あんたの上に興味はないが、あんたには興味がある。悪いが色々と調べさせてもらった。人のことは言えないが、内外通じて随分ご活躍じゃないか。そんな人間と個人的なトモダチであるのは、悪いことじゃあない」


「トモダチねぇ……」


 私は男の一方的なトモダチ宣言など、御免こうむりたかった。


「トモダチついでにその3つ目の瓶、とってくんない?」


 男はクックッと笑いながら目の前に置かれていた3つの瓶のうち、一番右のピクルスを手に取り私の前に置いた。


「で、こんなところへ呼び出したのはどういう理由なんだ」


 私は聞いた。男はカレーを口に運びながら言った。


「こっちで『観察』を続けていてね。ふと此処のカレーが食べたくなったのさ。あっちまで戻る予定もとれない。情報を伝えるには直接が一番だ。こちらまでくればあんたも何のしがらみもないと思って誘ったんだがな」


「おい」


「電車賃を無駄に使わせたのは悪かったよ。しかしたまにはちょっとした小旅行気分を味わうのだって、そう悪くはないだろ」


「あのな、私はカレーを食べたくてここまで来たわけじゃあないんだ。何も収穫なしってのは、あんまりと思わないか」


 そう言いながら私は、キュウリのピクルスをかじった。酸味が辛味と交わり、口の中は途端に甘さを感じていた。キュウリをボリっと齧ると、鼻に酸っぱさが微かに抜けた。


「土産位はあるさ」


 そういうと男は懐から小さく折りたたまれた紙を取り出し、指でカウンターの上を滑らせ、私の前に止めた。私はそれを受け取ると、開くことをせず胸ポケットに仕舞った。


「三宮駅の改札内ロッカー。そこに土産は用意した。あんたの上が欲しがっている情報は、224のファイルに細分化されて眠っている。これはその鍵さ。明後日午前、米国政府の専用機が羽田に到着する。それと同時にあの国を含めた各国が一斉に動くだろう。我が国のサンプル解析が先か、阻止する奴らが先か。一歩違えばすべて終わる椅子取りゲームの始まりさ」


 食べ終わった男は皿にスプーンを置き、席を立った。


「で、名前の出せないアンタらに代わって、表向きクリーンなイメージのウチに動いてもらおうってことか。それだけでも、あんたらのとこと仲良くしたくなくなる理由には充分だぜ」


「お互いが直接刃を向けない事だけを祈るよ。ここの払いはおごりだ。ゆっくり食べて行くといい」


 男はにやりと口元だけで笑い、店員に代金を渡して出て行った。

 残った私は残り3分の1となったカレーを食べる事に専念した。こんな用がなければ…。もう少し、ゆっくり気兼ねなく食べていたかったと、私は小さく悔やんだ。


 店を後にした私は、先程男から受け取った紙を取り出して開いた。その中には小さな鍵が入っており、紙の内側には几帳面な文字で何やら書かれている。俺は鍵をポケットに仕舞うと紙を広げた。そこにはこう書いてある。

『シチュエーションアドリブ劇コミュニティの単発オフ会お疲れさまでした。神戸まで来ていただきありがとうございます! ロッカーにほんの僅かですが、神戸で人気のチョコを入れておきました。召し上がってください。またよろしくお願いします♪』

 今月もいいオフ会だった。しかし今回の相手の演者さんはいい人なのだろうけど、ちょっと強引なところもあったな。そんなことを思いながら、私は含み笑いを浮かべた。次回は誰とどういうシチュエーション劇を演じて遊ぶか。それを考えている時、私は生きているなあと感じられるのだ。




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