童子囃し
ひだまり童話館、開館5周年記念祭参加作品、テーマは「5の話」です。
お母さんは背伸びをして押し入れの奥に手を伸ばしました。一年に一度しか取り出さないその箱は、外に出るのを待っていたかのようです。
「よっと」
一番大きな箱を取り出して、お母さんは後ろを向きました。
「今年はコレで良いわよね」
「えー、今年もぉ?」
小学6年生になる春香がお母さんから箱を受け取りそれを畳の上に置きました。お母さんはまた押し入れから中くらいの箱と平べったい箱を二つ取り出しました。
中にはまだ、いくつかの箱が残っています。でもお母さんは、それらは取り出さずに閉めてしまいました。
「だって出すのもしまうのも大変なのよ」
「しまうのも手伝うからー」
春香が駄々をこねたように言っても、お母さんは取り合いませんでした。
「部屋も狭くなっちゃうしねえ・・・」
お母さんはそう言いながら、ローテーブルを出してその上に黒い布を敷きました。それから平べったい箱から屏風を取り出して布の上に立てました。
「そうだけどさあ。あーあ、今年もあの子に会えないのか」
春香は中くらいの箱から緩衝材をざかざかと取り出しながらポツリと言いました。
「あの子? あの子って?」
「べつに」
春香はそれ以上答えませんでした。ちょっと恥ずかしくなったのです。それで畳台や桜橘を次々と取り出しては、親王雛を飾り付けていきました。
◇◇◇
春香のひな人形はおじいちゃんとおばあちゃんが買ってくれたもので、今時にはちょっと珍しい5段飾りの立派なものでした。
あれは春香が3歳の時でした。
お節句の日、おばあちゃんは春香をひざに乗せてひな祭りやひな人形のことをたくさんお話してくれました。それはどれも春香の心をほわほわと温かにするものばかりでしたが、なかでもとりわけ大好きだったのは、五人囃子のことでした。
「春ちゃん、五人囃子はねみんなまだ子どもなんだよ。毎日一生懸命お稽古に励んでいて、みんなの前で演奏するのを楽しみにしているんだよ」
おばあちゃんのお話しは少し難しい言葉もありましたが、他のお人形とは違ってあどけない顔をしている五人囃子が子どもだということはよくわかりました。
かわいいなあ。
かわいいおにんぎょうさんだなあ。
みんなが居間でお節句のごちそうを食べていても、春香は一人でひな人形の部屋で人形を見ていました。特に五人囃子は本当に可愛らしくて、今にもニコニコと演奏をしそうに見えました。
『いよーぉ、ほーぉ!』トン!
テレツク、ツク、ツク
『よ、ほっ』
ピー、ヒョロヒョロ
威勢の良い掛け声が聞こえたと思うと、太鼓の音が聞こえ始めました。春香は目を真ん丸にして五人囃子たちを見つめました。なんと彼らはその小さな手を動かして演奏しているではありませんか!
「うわあ、じょうず」
人形が動いていることよりも、五人囃子たちの演奏があまりにも上手なので春香は大喜びです。ずっと聞いていたいような音楽です。
曲が終わると、春香は手を叩きました。
すると笛を吹いていた少年が立ち上がり、春香に礼をしました。
『春香ちゃん、拍手をしてくれてありがとうございます』
「あたしのなまえ、しってるの?」
『勿論です、わたくしたちは春香ちゃんのひな人形ですから。わたくしたちは春香ちゃんの成長を願って、毎日練習しております。喜んでいただけてとても嬉しいです』
こうして春香は、五人囃子の少年たちと仲良くなりました。
春香が毎年少しずつ大きくなっていくのを、少年たちは『元気に大きくなられましたね』と喜んでくれて、そうして演奏をして楽しませてくれました。
春香が小学校に入ると、ほんの少し彼らのことを疑ったりもしました。だって、人形が動くなんて本当は変だからです。でも五人囃子の少年たちは毎年演奏をしてくれました。
『春香さんはおいくつになられましたか』
「わたし、3年生よ。9歳」
『では今、彼と同じ歳でございますよ』
彼と紹介されたのは、五人囃子の中で一番小柄な、高い声で浪々と謡う少年です。ついに彼らの年齢に追い付いたなんて、不思議なことです。だけど彼らは、ずっとその姿で春香の成長を見守ってくれているのです。
「あなたは、何歳?」
『わたくしは12歳でございます。この中で年長です。太鼓や鼓は小さくてもできますが、笛だけはある程度手が大きくならないと難しいのでございます』
どうやら笛の少年がリーダーのようです。あと3年もすると春香は笛の少年と同じ歳になるのでしょう。彼と同じ歳の時、春香は何を思っているでしょう。笛の少年は、五人囃子のリーダーとして毎日一生懸命練習して、春香の成長を見守っているのです。春香もそのくらい大人になっているのでしょうか。それはなんだか、とても楽しみでした。
◇◇◇
6年生になった春香はがっかりしていました。去年もお母さんは、5段飾りを出すのは大変だと言って、お雛様とお内裏様だけの親王雛として飾ったのです。五人囃子に会えなかった去年も残念でしたが今年はもっとがっかりしました。
春香は今12歳。あの笛の少年と同じ歳になったというのに。同じ歳になって会えるのをとても楽しみにしていたのに。
がっかりとしながら、春香は一人で親王雛を眺めていました。
「本当に可愛い顔のお雛様よね・・・でも五人囃子はもっと可愛いのにな」
お雛様の扇をちょいちょいと直しながらそんなことを呟いた時でした。
「ああ春香、ここにいたの」
お母さんがひな人形の部屋に入ってきました。少し暗い顔をしています。
「どうしたの?」
お母さんは長く息を吐きながら春香のそばに座りました。
「おばあちゃん、具合悪いんですって」
「えー、そうなんだ」
「おじいちゃんが亡くなってからお家も遠くなっちゃったし、なかなか会いに行けないからねえ、お見舞いどうしようかしら」
お母さんの話しぶりから、おばあちゃんはただ風邪をひいただけとは違うような予感がしました。
「電話してみようよ」
「そうねえ。春香の声聞いたら元気になるかもね」
「うん」
おばあちゃんの家に電話をすると、おばあちゃんの声は思ったよりも元気に聞こえました。
電話を切ってから、春香は思いつきました。
「ねえ、やっぱりひな人形全部出そうよ。そんで、おばあちゃんに写真送ろう?」
それはとても良い考えでした。お母さんも、おばあちゃんのためならと5段飾りを出してくれました。
押し入れからお雛様の箱を全部出し、段々を作りその上に赤い布を敷きました。それから五人囃子の箱を開けると、一人ひとりを丁寧に取り出しました。
顔に巻かれている紙を外し、心の中であいさつをしてその柔和な顔を見ると、少年もこちらをじっと見つめていました。
やっと会えた。
笛の少年は、12歳の春香と同じ歳くらいに見えました。
昔はずっとお兄さんに見えていたのに、今は本当に同じくらいに見えるのですから不思議なものです。
5段飾りをすっかり設えると、春香は着替えに行きました。
だぶだぶの中学校の制服です。
そして、すべて飾り付けたひな人形の横に正座をして、12歳の春香の写真を撮り、おばあちゃんに送りました。
その日の夜、春香は2年ぶりに五人囃子のお囃子を聞くことができました。春香の成長を喜んで演奏される笛や太鼓。小気味よく響く掛け声や打ち鳴らされる拍子をどんなに待ち望んでいたことでしょう。
演奏が終わると春香はいつものように拍手をしました。
『春香さん、今年はお会いできてようございました』
「そうなの、去年はだしてあげられなくてごめんね」
『春香さんは、今年は装いが違いますね』
笛吹きの童子が言うと春香は少し照れました。
「うん、あのね。春から中学校に行くから、その制服なの」
『なんと! では大人の仲間入りでございますね。それは感慨深い。感無量とはこのこと』
五人囃子たちが真面目な顔をして言うものですから、春香はなんだかおかしくて笑ってしまいました。しかし五人囃子たちは違いました。春香の成長を心から喜んで、しみじみと、少し涙ぐんでいるようでした。
『春香さんの成長を喜び、本日はもう一番演奏いたしましょう』
「わあ、ありがとう」
トン、ポン『よぉーお』
いつもよりしっとりと始まった演奏に春香は居住まいを正しました。彼らの演奏は若さに溢れていますが、今日はなんだかもっと厳かな雰囲気でした。
ヒョロー、ピー!
『高砂やこの浦舟に帆をあげて・・・』
高く響く笛の音に続き、難しい言葉の謡が続きます。
春香はおじいちゃんの顔を思い出しました。今までは子どもだったから気づかなかった五人囃子の演奏は、おじいちゃんが時々口ずさんでいた能の一番でした。お正月などのおめでたい時に謡われるものです。
そうか、五人囃子はいつも春香の成長を願い謡い、そして成長した姿を喜んで謡っていたのね――
そうして演奏が終わると、春香は深々と彼らに頭を下げて礼をしました。
◇
3月3日の朝、春香は五人囃子の笛が折れているのに気づきました。嫌な予感がしてその笛をそっと手に取った時、お母さんが部屋に入ってきました。
「春ちゃん、おばあちゃん亡くなったって」
具合が悪いとは聞いていたけれど、急なことに驚き言葉も出ずに、手のひらに乗った折れた笛を眺めるばかりでした。
大急ぎでおばあちゃんのところへ駆けつけ、最後のお別れをしました。
おばあちゃんがくれたひな人形の笛が折れた日、おばあちゃんは旅立っていきました。おばあちゃんは春香が大きくなるのを願い、そして見守ってくれていたことを春香は知っています。
制服を着た春香の成長を誰よりも喜び、祝ってくれたおばあちゃん。
五人囃子はおばあちゃんの心だったのではないでしょうか。
幼いあの日の、おばあちゃんの膝で聞いた五人囃子の話を思い出して、春香は心を温かくするのでした。