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 生まれつき弱いこの体が、嫌いだった。

 なかなか大きくならない背とか、そういうののコンプレックスもあったけど、何よりも誰かに心配されるのが嫌だった。

 心配してくれる気持ちは確かに嬉しいと思える。だけどその一方で、心配は病弱な人に対する一種の礼儀みたいなものに感じられたから。

 あの人は弱いから、心配してあげなきゃ。

 あの子は可哀想だから、ちゃんと様子を見てあげなきゃ。

 まるで、周りの人からそんな風に言われてるような気がして。まるで、私が普通の人間とは違う、哀れな生き物みたいに感じられて。

 でも分かってる。こんなのはただのワガママ。

 心配してくれた人の気持ちも知らずに、私は自分勝手な考えでそれを解釈する。そして勝手に嫌がる。

 ああ、なんて嫌な子。

 自分が心配されたくないから、普通に扱われたいから、私は明るく振る舞う。そしてその振る舞いを見るたびに、周りの大人の人や同級生は私の事を褒める。

『きっと周りに心配をかけない為にああやっているんだろうな、優しいんだね』

 違う。違うの。

 みんなにそんな事を言われるたびに、私は笑顔のままそれらを心の中で否定する。

 違う、私はそんなにいい子じゃないの。ただ自分が嫌だから、心配されるのが嫌だから明るく振る舞っているの。

 でも、それは思うだけだから誰にも伝わらない。分かってほしいけど、分かってほしくない。

 だってこんな事がみんなに分かっちゃったら……私は嫌われるだろうから。

 病弱だけど優しくて明るい子から、病弱でわがままで嫌な子に。

 生まれつき弱いこの体が、だから私は嫌いだった。

 でも、私を産んでくれた両親を恨んだ事はなかった。

 まだ私が小さい頃――特に小学校低学年の頃、私の体調は常に最悪だった。

 起きたくても、頭が痛くて重くて起きれない。起き上がると世界がぐるぐる回って見える。そして咳が止まらなくて、胸が焼けるように熱くて痛い。

 ほとんど常時、私はそんな体調だった。

 そんな苦しい思いをしながらベッドに寝そべっていると、朝方に開いた窓から楽しそうな声が聞こえてきた。

 ちょうど、その時の私と同じくらいの子供の声。学校へ向かう途中の楽しそうな会話。

 その声を聞くたびに、私は思った。

 なんで私はこんなに苦しい思いをしているのに、声しか聞いたことのないあの子たちはあんなに楽しそうなの? なんで私だけ家にいなくちゃいけないの? なんで私だけ、私だけ……。

 それは思ったってどうしようもない、無駄な行為。それでも何かに当たらずにはいられない子供のわがまま。そして、そんな思いをしている時、いつも近くにお母さんかお父さんがいてくれた。

『ごめんね、苦しいよね。ごめんね、お母さんのせいで……』

 私が咳き込んで苦しそうになる度に、お母さんはそう言った。

『秋菜、何か食べたい物とかあるか? お父さんが仕事の帰りに色々買ってきてやるぞ?』

 出勤する時間になると、お父さんはよく私のところに来てくれた。

 その二人の心配に、私は言葉を返したかった。

「ううん、そんな事ないよ。誰のせいでもないよ、こんなのは」

 泣きそうな顔をして笑っているお母さんに、笑ってそう言ってあげたかった。

「食べたいものは特にないけど、出来たら早く帰ってきてほしいかな……」

 胸を叩いてそう言うお父さんに、もっと甘えたかった。

 でも、そんな言葉も出ないほどその時の私は辛かった。そして、そういう言葉を言えないのも辛かった。だって二人とも、すごく私を気にしてくれるから。本当に心配そうな顔をして、自分の時間を割いて私の看病をしてくれるから。そんな両親に言葉も返せないのがすごく辛かった。

 ……こんなによくしてもらったら、恨む事なんて出来ないよ。それに、私の体の事で病院に行けばお金もいっぱいかかっちゃうし。

 だから、私は両親を恨んだ事はなかった。

 その代りに、私の負の気持ちは外に向かっていった。

 例えば、朝に聞こえてくる楽しそうな声に向かって。あなた達はいいよね、体が普通で、悩む事なんかもちっぽけな事ばっかりで。

 そして、そんな事を思った後に虚しくなる。自分の醜さに打ちひしがれる。

 ああ、私は何をやっているんだろうって。こんな事をして何になるんだろうって。なんで私はこんなに自分勝手でわがままなんだろうって。そんな悲壮感にぬるま湯のように浸かる自分に嫌気がさして。

 ……だから、私の体調も少し良くなってきて、学校に普通に通えるようになった時は嬉しかった。

 当然無理は禁物、なんてお医者さまに言われたけれど、そんな事は右耳から左耳に通り過ぎって行っただけだった。

 すごい久しぶりに行った小学校。確か一年生の一学期以来だった気がする。そして、まるで転校生みたいに担任の先生に連れられて入った教室。

 教室中の視線が私に集まってすごく緊張した。心臓も人生で一番大きく鼓動を打っていたと思う。

 先生がみんなに向かって、私の説明をする。その説明も、浮ついた気持ちの私の耳には入ってこなかった。

 席を教えられてそこに座った時、隣の女の子が話しかけてきた。「憶えてる? 一年生の時、よく一緒に遊んでたんだけど……」という言葉に、私は一年生の一学期の事を思い出した。確かに記憶にあった、一年生の時に遊んでいたその子の記憶を。

「うん、憶えてるよ!」

 そして思わず大きくなった返事に集まる視線。その女の子も少し驚いてたみたい。私は自分の声の大きさに気付いて少し照れたけど、でも嬉しかった。

 そうして、私はすぐにクラスになじんでいった。でも少し大変な事もあった。

 まず最初に、勉強が大変だった。休んでいるうちにも、ほんの少しずつだけど勉強をしてたけどそれよりも全然授業内容は進んでいた。

 でもそれもクラスの子に色々と教えてもらえた。ノートを貸してもらったり、ここはこうやるんだよって先生みたいに教えてくれたりしてくれた。でも一番大きかったのは、叔母さんに教えてもらったことだった。叔母さんは、「私は教員免許を持ってるんだ。教えるのなんて余裕余裕」なんて言いながら、その教員免許を私に見せびらかしてきた。その時の私は素直に「すごい! 叔母さんすごーい!」なんて言ってたけど、後々思い出してみると、あれは保健教員の免許だった。

 その事に気付いて、叔母さんに聞いてみると、

「ああ、秋菜もいつの間にかにそんな事を気にする歳になっちゃったんだね……。嬉しいような寂しいような不思議な気分だよ、今……。それと、私の事は叔母さんと呼ばないように」

 なんておどけた事を言っていた。そういう明るさにも私は救われていたと思う。

 ――そんな小学生の頃を過ごし、私は中学生になった。

 言葉にすれば当たり前の事だけど、すごく不思議な気分だった。

 毎日決められた制服を着ることとか、小学校よりも圧倒的に人が多い教室とか、授業毎に変わる先生とか……そういう環境の変化よりも。

 私が、こうしていられることが。

 友達の輪の中にいられることが。

 その中で笑っていられることが、何より不思議だった。

 ほんの数年前まではほとんどベッドの上で過ごしてなきゃいけなかったのに、今はこうしていられる。

 あの頃は楽しそうな人たちが羨ましくて憎かった。けれど今の私は、あの頃の私が嫌いだった人たちの中にいられる。

 それが不思議で……嬉しかった。

 こうして、私の中学校生活は始まった。

 そういえば、吉良君に会ったのも中学校の時だったっけ。最初は普通の明るい人って印象で、私との接点もクラスメイト同士ってだけだったけど……よく話すようになったきっかけってなんだったかな。

 あれは……そうだ、私がちょっと困った人に付きまとわれてた時だ。

 付きまとわれてたって言うとなんだか誤解されちゃいそうだけど、とりあえずその時の私は困っていた。

 中学生にもなると、関わる人の数も増えるし、色んな事を考える時期なんだと思う。だからその時の私の周りにも色んな人がいた。吉良君みたいに明るい人もいれば、一人でいるのが好きな人、自分の好きな事にすごく打ち込む人……そして、色々と世話焼きな人。

 中学校に入学してから一ヶ月くらい経った頃。クラスのみんなも少しづつ打ち解けてきて、ゴールデンウィークに何をして遊んだとか、部活が大変だとか、そういう話が気軽に出来るようになった頃のこと。

「来栖さんって、体弱いんでしょう?」

 そう、今まであまり喋った事のない女の子から話しかけられた。私はその言葉に頷きながらも、そんなに気にする事じゃないってその子には言った。

 それでも、その時からその子は何かと私を気にかけてくれるようになった。例えば掃除の時、私がゴミ捨ての当番になれば、「来栖さんは体が弱いんだから」と自分が変わったり、他の人にやるように言ってくれた。私が「大丈夫だよ」と言っても、その子は頑なに自分の言い分を通した。

 もちろん、その行動すべてが嫌だった訳じゃない。私の事を心配してくれるのは嬉しい。でもその度に、「来栖さんは体が弱いんだから」とか、そういう風に言われるのは嫌だった。そして嫌だと思うたびに、私はそう思った自分が嫌になった。

 その子は善意から私に親切にしてくれるのに、それを断わりもせずに嫌だと思う自分。嫌なら嫌ってはっきり言えばいいのに、でもそんな事言ったらみんなから「わがままな子」って嫌われるような気がして。

 そして、そんな気持ちを抱えたまま過ごしていた、ある日の事だった。

 私とその子、それから吉良君が掃除当番の時にその子と吉良君で喧嘩になってしまった。きっかけは、その子のいつもの言葉で。

 吉良君もその子も、最初はちゃんとした言葉をぶつけ合ってただけだったけど、次第に言葉が汚くなって、ついには手も出そうになってしまった。

 最初は言葉も出せずにその喧嘩を見ていた私は、その時になってようやく声を出せた。「二人ともやめて」って。

 多分、私の十年半ばぐらいの人生の中でも一番大きな声を出した時だったと思う。だから今にも取っ組み合いになりそうだった二人も、びっくりしたように私の事を見て、止まってくれた。

 私はそこで、二人に自分の気持ちを話した。

 その子には、今まで色々な事に気を配ってくれた事は嬉しいけど、やっぱり体の事を言われるのは嫌なんだって事。

 吉良君には、私の事で怒ってくれてありがとう、でも私なんかの事で喧嘩なんてしてほしくないって事。

 その気持ちを二人に伝えた後、私は頭を下げて謝った。「二人の気持ちを、私のわがままで否定してごめんなさい」って。

 私の謝罪を聞いた吉良君は、バツが悪そうに頭を掻きながら、こっちこそ調子に乗って悪かったって謝って、その子も少し暗い顔をしながら、今までごめんって謝ってくれた。

 それからは、その子が私を極端に病人扱いする事はなくなり、吉良君とはよく話をするような間柄になった。そのせいで一時期、吉良君と私が付き合ってる説なんていうのが流行ったけど、吉良君の「俺は二次元、ないしは声優にしか心を高鳴らせない性癖だ」発言でそれもなくなったっけ。

 そんな『当たり前』の中学校生活が終わり、私は地元の高校に通う高校生になった。

 そしてそこで……蒼くんに出会った。

 最初の印象は、すごくクールそうな人。自己紹介もなんだか淡々としていたし、顔立ちも大人びていて、どことなく人を引き寄せない雰囲気があったような気がしがした。……今となっては、全然そんな事ないんだけどね。

 そんな第一印象をもった蒼くんと、初めて関わり合いを持ったのは……そう、高校生になってから二ヶ月くらい経ったある日の放課後だった。

 私はその時期、少し体調が思わしくなくて学校を休みがちだった。そのせいで、私はノートをとれていなかった。

 だから、久しぶりに行った学校の放課後に、私は吉良君から借りたノートを写していた。吉良君は別に持って帰って写していいって言ってくれたけど、それもなんだか悪い気がして。

 流石に一週間近く休んでしまうと、写す量も結構なものになってしまっていた。それらを片付けている間に、私はどうやらウトウトとまどろんでしまっていたみたいだった。

 ふと気付くと、教室には茜色の光が差し込んできていて、真っ赤な色に染め上げられていて。校庭から響いてくる声も遠く少なく、まるで世界に一人ぼっちになってしまったかのような感覚。

 そんな事を考えてしまい、私はものすごく寂しくなった。誰かと話がしたくなった。

 そんな時に傍にいたのが、蒼くんだった。

「来栖さん?」

「え?」

 浅い眠りの淵から帰ってきたばかりだった私は、相当寝ぼけてたんだと思う。だって、起きてから茜色に染まった教室を視認して、校庭から聞こえてくる声も確認できたのに、すぐ近くに――私の席から右斜め前の自分の席にいた蒼くんの存在に全然気が付かなかったんだから。

「え? え?」

 そして私は錯覚してしまった。まるで、私が寂しいから、誰かと話をしたいなんて思ったから彼がそこに現れたかのように。

「どうしてここに?」

 そんな錯覚を抱きつつ、少し混乱した私が出した言葉は相当間が抜けていたものだった。

「いやどうしてって……僕はこの教室で授業を受ける身だし……。それにちょっと野暮用で鞄を教室に置いたままだったし……」

 蒼くんは、私の間抜けな言葉に、少しおぼつかないながらにも言葉を返してくれた。

「あ、うん。普通そうだよね」

「うんまぁ……」

 そして蒼くんは、なんとなくバツが悪そうに頬をかいた。その仕草がなんとなくおかしくて、私は思わず吹き出しそうになってしまった。

 だって本当におかしいもん。本当ならバツが悪いのは私なのに、なんだか蒼くんの方が決まりが悪いみたいで。

「う〜ん、なんだか印象が変わっちゃったな……」

 第一印象は先述の通り、すごくクールそうな人。だけど、どうだろう。こうやって面と向かって話してみると、反応が面白いというか……なんだか可愛い。

「……なんの?」

「えっと、こっちの話です」

「はぁ……」

 私のはぐらかす言葉に、何とも言えないような言葉を漏らす蒼くん。その反応も、なんだか私のツボだった。

「え、えっと、今何時だろ?」

 なんとなく不思議な気分になっちゃいそうだったから、私は取り繕う様に黒板の上にかけられている時計を見上げた。その時計の短い針は六の数字を指していた。

「あれ、もうこんな時間……」

「……もうこんな時間って、どれくらい寝てたの?」

 と、自分の鞄を手に取った蒼くんが話しかけてきた。

「えーと、確か……五時くらいまではちゃんと意識があったと思うから……一時間くらい?」

「けっこう寝てたみたいだね……。ところで、そのノートの惨状はいいの?」

「ふぇ? ああ!」

 言われて、机の上のノートに目を落として、気付いた。広げていたノート(しかも、よりによって吉良君の)の上に、小さな水たまりが出来てる事に。

「あ、あわ、どうしよ、これ吉良君のノートなのに……!」

 慌ててハンカチを取り出し、伸ばさないように拭き取る。拭き取ったんだけど……

「うー、跡が残っちゃった……」

 ノートの上には水たまりが出来ていた部分にだけ変なシワがよってしまった。

「……知らせない方が良かったかな……」

 ポツリと、蒼くんは何か自分が悪い事をしちゃったかのように呟いた。

「え?」

「あ、いや、なんでもないよ」蒼くんはそう言った後も、少し何かを悩みつつもう一度口を開いた。「あーでも……なんか、ごめん……」

「え? なんで謝るの?」

「いや、その、何か僕が悪いような気がして……」

 自分が悪いような気がするって。

「えー、これは私が悪いんだよ〜……」

「いや、うん。僕に責任がないっていうのは分かってるんだけど……何となく、悪い事をした気分で……」

「……くす」

 そんな風に自信なさそうに言う蒼くんを見ていたら、なんだかおかしくて思わず笑ってしまった。だって、蒼くんは何も悪くないのに、むしろ私が教えてくれてありがとうって言う方なのに、自分が悪い事した気分って……。

「あー、えーっと……それじゃあ、僕はそろそろ帰るから」

 私に笑われたのが恥ずかしかったのか、蒼くんは踵を返してスタコラと教室を出ていこうとして、

「……来栖さん。寝るなら、ちゃんと布団で寝た方がいいよ」

 一度立ち止まり、私の方を振り返ってそう言うと、今度こそ教室を出ていった。

 残された私は少しポカンとした後、

「……普通、そんな所で寝てると風邪ひくよ、とかそういう事を言う場面だよね……。変なの」

 やっぱりおかしくて笑ってしまった。

 そんな邂逅があってから、何気なく蒼くんの事を気にするようになった。

 授業中にぼんやりと蒼くんの背中を眺めたり、廊下ですれ違った時に少し振り返ったり、友達と話してる姿を見ていたり。

 そんな事をしていると、いつの間にか、自分でも気が付かないくらいに蒼くんの事が好きになってた。本当に明確な理由も見当たらないほど自然に、何気なく自覚してしまった。

 いつも蒼くんの事が、頭の中にいる事に。

 それからが色々大変だった。

 自覚してしまうと、途端に蒼くんを意識してしまう。背中を眺めるだけでドキドキするし、顔を見れば目を逸らしちゃうし、声をかけられたり目があったりしたらもう大惨事だ。

 なんでこんなになっちゃうんだろう。そう考えてみて、気付いたらこれが私の初恋だった。

 小学生の時はほとんど学校に行けなかったし、中学校では自分のそういうのを気にした事はあまりなかった。

 だから、初恋。

 そう思うと、もう何がなんやらでどうしたらいいのか分からず、お風呂で考えすぎてのぼせたり、眠れずに布団の上を無駄にゴロゴロしたりした。

 吉良君に相談もした。

 最初は人に、しかも男の子にこういう相談をするのってどうだろうとは思ったけど、やっぱり男の子の事は男の子にしか分からないと思って、勇気を出して相談してみた。

 私に相談を持ちかけられた吉良君は、始めはすこし難色を示していたけど、一週間くらいしたらすぐに親身になってくれた。

 そうやって相談を重ねていく内に、私にも一つの決心がついた。

 何もしないままでクラスメートという距離でいるよりも、一歩踏み出して、良くなるにしろ悪くなるにしろ私と蒼くんの関係を変えてみようって。

 だから私は、蒼くんに告白するきっかけをなにか作りだそうとした。

 しかし、手紙を出して呼び出そうとしても、直接声をかけてみようとしても、すんでのところで躊躇ってしまう。

 だって、ものすごく怖いから。

 拒絶されたらどうしよう、嫌われちゃったらどうしよう……。

 いくら関係を変えようと決心したところで、怖いものは怖いのだ。それでも頑張ろうとして、結局駄目だった。

 そんな葛藤の日々を過ごしていると、突然転機は訪れた。

 ある冬の日の放課後。

 空気も澄んでいて、夕焼けがすごく綺麗な日。

 また体調を崩してしばらく休んでしまっていた私は、いつもの様に吉良君にノートを借りて、それを写していた。

 あの、初めて蒼くんと初めて関わり合いを持った日みたいに。

(あー、ドラマとかだと、こういう時にまた片思いの人と出会ったりするんだろうなぁ……)

 少し手が疲れた私は、窓の外の夕焼け空を何とにはなしに眺めていた。

 空の向こうに日が落ちていく。それを止める事なんて出来ない。

「……会いたいな……」

 確かそんな歌があったな、なんて思いつつ、つい口から漏れ出た言葉。言ってすぐに思う。どうせ会えたって、何も出来やしないって。

 ――ガラ。

 そんな自嘲をしていた私の耳に届いてきた、教室の扉が開く音。

 振り返る。開いた扉のほうへ。

 そこにいた人は、

「あれ、来栖さん?」

「……っ」

 蒼くんだった。

 その姿を確認してから、私の鼓動は一気に早くなった。そして手足が強張る。身体中熱くなって、背中に汗が垂れる。

(ど、どうしよう……本当に会えちゃった……!!)

 まるでドラマみたいな恋。ああ、そういえばこんな歌もあったような気がする。

「え、えええっと」

 とりあえず私は冷静になろうとした。歌がどうとか現実逃避してる場合じゃない。目の前に自分の想い人がいるんだから。

「? どうしたの、どこか調子でも悪いの?」

 と、挙動不審だったのか、蒼くんは不思議そうにそう言った。

「えと、ううん、そうじゃないけどそうなんですみたいな、じゃなくって……」

 対する私はしどろもどろ。自分でも何を言ってるのか意味不明だった。

「……まぁ、まだ病み上がりみたいだし、気をつけてね」

「え? な、な、なにを?」

 蒼くんは普通に、私はものすごく慌てたように交わす会話。

「いやほら、この前みたいに居眠りとかするのは身体に悪いと思うから、寝ちゃわないように」

「あっ――」

 もう半年くらいも前の、ほんの少しの邂逅。特に印象深かった訳でもなければ、なにか特別なことをした訳でもない、なんでもない事柄。でもそれを蒼くんは憶えていてくれた。

 そう考えると、胸が熱くなって、色々と吹っ切れた。というより、テンションに流された。

 私は両手を机につき、立ち上がり、そして――

「好きです」

 ――告白してしまった。

 静寂が二人の空間を支配する。時計の秒針が時を刻む音もしっかり聞き取れる。カチ、カチ、カチ――

「えっと……はい?」

 三回刻んだところで、蒼くんから間の抜けた言葉が一つ。いやでも仕方がないと思う。だっていきなりこんな、好きですなんて言われたら……

(って私、告白しちゃった……!?)

 頭が真っ白になりかける。頬が熱くて熱くて、蒼くんの顔を直視できない。けど、蒼くんの反応が知りたい。

 上目づかいでちょこっとうかがった蒼くんは、私を見つめていた。私はどうしていいか分からずに焦る。

(ど、どうしよう、ていうか、え、なんで私告白したの!?)

 まとまらない思考をまとめようとしてさっきの歌の事について考える。これは現実逃避としてカウントされないよね? しょうがないことだよね?

(……あ、そういえばさっきの歌、両方とも別れ話の歌だ……)

 い、いやでも関係ないよね、関係ない、関係ないハズ……。

「え〜と……」

 蒼くんは少し困ったようにしている。

(あ、あわわ、やっぱりいきなりこんな事言われても困っちゃうよね、どうしよう、今すぐこの場から逃げたい……!!)

 でも足は動かなかった。ていうか逃げるのは本当に駄目だと思った。

(そ、そうだよ、これは逆にチャンスと思って、今まで躊躇って出来なかったことが出来たんだから!)

 私はそう思って腹をくくる事にした。

「…………」

 そんな私に対する蒼くんは、何事かを考えている様子。

(で、でも、どうしよう……)

 腹をくくったのはいいけど、私はやっぱりどうしていいか分からずに焦るばっかり。

(そうだ、私ってばまだ好きですしか言ってないよ! これじゃあ上手く伝わってないんじゃないかな!?)

 そう、そうだ、言葉は分かりやすく伝えないとすぐに誤解されちゃうんだから。

「「それで――あっ」」

 ……やっちゃった――!! ど、どうしよう、よりにもよって同じタイミングで……!! 私、焦りすぎちゃったかな!?

「…………」

「…………」

 静寂が訪れた教室の空気は、正直に表現してすごく気まずい。

(あうぅ……どうしよ〜!! 私、こんな場面体験したことないのに……!!)

 こんな事なら、吉良君がよくやってるゲームを貸してもらえばよかった。吉良君曰く、「(主にモテない人間が)恋愛を練習するゲーム」みたいだし……。

(って、今はそんな現実逃避をしてる場合じゃないよ!!)

 私は気を取り戻し、蒼くんがもう一度喋り出すまで黙っていようと決心した。

「…………」

「…………」

「…………………」

「…………………」

「「……………………………」」

 でも続いたのは沈黙だった。そしてなんだかより気まずい空気に……。

「…………」「…………」

(うぅ、やっぱりここは、告白した私から言葉を出さないと……)

 そう決心して、私は口を開く。

「「あの――」」

 ……そして、再び被ってしまった言葉。蒼くんのやっちゃったっていう顔。

「「…………」」

 そして、もうどうすればいいのか分からない、といったような表情。

「…………」

「…………」

「……プッ」「……クスッ」

 黙ったまま、そんな蒼くんの顔を見ていたら、なんだかおかしくなってきて、私と蒼くんは同時に吹き出してしまった。

(なんていうか……すごい息ぴったり……)

 そう考えると、もうおかしくて笑いが止まらなかった。

 こんなに息がぴったりなら、きっと相性がいいんだと思う。なんというか、蒼くんとなら何をしてても楽しくて、共感できて、笑いあえる気がする。

 そう考えると、今まで散々悩んできた自分が馬鹿みたいに思えた。

「えっと、えっとね?」

 だから口から出た言葉も、いつも喋るような軽い口調。

「私は、君の事が好きなんだ。だから、その、付き合って……くれないかな?」

 でもやっぱり少しはかしこまった言い方がしたくて、蒼くんを「君」だなんて言ったりしてみて。

「ああ、いいよ」

 蒼くんはいつものように、なんともない口調で承諾してくれて。私は嬉しくって嬉しくって。

「え〜と、よろしくお願いします……って言うのかな? こういう時って」

「……僕に聞かれても……」

 そんなやり取りができる事が、まるで夢みたいに思えた。

 ――そうして始まった、私と蒼くんの恋人関係。

 そういえば、その後ノートを写していると、ページの間にメモが挟まれてたっけ。

 そこには『お節介でスマン』ていう文字が書かれてた。という事は、多分私がいる教室に蒼くんを来させたのは吉良君だったんだろう。

 だから私は、そのメモに『お節介じゃなかったよ。ありがとう』って書いて、またページの間に挟んでおいた。

 後日ノートを返した後、吉良君がそのメモを見たかは分からない。けど、吉良君は一目で私と蒼くんがそういう関係になったって事を看破していた。曰く「初々しい恋人オーラとバカップルオーラを感じ取った」らしい。どういうのなんだろう、それって。

 ともかく、私と蒼くんの関係はそうして始まった。

 あの頃も好きだったけど、半年以上たった今はもっと好きになってる。

 蒼くん。

 クールそうに見えて、意外と抜けてるところがあったり。

 実はのんびり屋で可愛いものが好きだったり。

 何気に家事全般が得意で、手作りお弁当がすごくおいしかったり。

 デートの度にほかの女の人に言い寄られたり。

 カッコよくて優しいのに自覚なかったり。

 変なところでガンコだったり。

 そういういいところはもちろん、悪いところも全て大好きな……私の彼氏。

 そんな蒼くんがいる世界。そこには、温かい家族や楽しい友達もいる。

 そんな世界から、離れられるわけがない。

 あそこには、私の帰る場所がある。

 だから……もうすぐ帰るからね。

 もうちょっと待っててね。

 愛想尽かしてどこかに行かないでね。

 

 ――私の大好きな……蒼くん……――

 

 

 走った。僕はただ涼太に教えてもらった道を。お祭りの花火はとうに打ち上げ終わって、家路を辿る人とたまにすれ違った。

 その人の目に僕はどう映っただろう。

 少し考えて、すぐやめた。

 どうせ考えたって分かりはしないんだ。どう思われたって、どうせ一期一会。エンディングロールでは名無しの通りすがりA。

 僕はただ走った。

 ――そして、辿りついた病院。

 正面玄関へ。自動ドアは開いた。

 中へ入る。暗い空間に、仄かな月明かりが差し込んでくる。

 少し歩いたところに、長椅子が沢山置かれた待合室。そこにいる、二つの人影。秋菜の両親。

 その人たちのところへ行って、一先ず僕は謝った。

 秋菜を危険な目にあわせた事。近くにいながら大した事も出来なかった事。

 その言葉を聞いた二人は、揃って言う。

 君のせいじゃないよ、君は悪くない、むしろ感謝しているよ。

 迅速に対応して救急車を呼んでくれた事。秋菜の傍にいてくれた事。

 だけどその半分は、一番大事なことをしたのは涼太だ。

 僕はやっぱり、涼太には力及ばない。恋人の大変な時に、取り乱す事しか出来なかった。

 でも、今はそれでもいい。いいんだ。

 だって、どうせ僕は秋菜から離れるつもりはない。秋菜が僕に愛想を尽かすまで、ずっと一緒にいるつもりだ。

 なら、今は焦らなくてもいいじゃないか。

 これからじっくり、ゆっくり、時間をかけて、こういう事態にも対処できるようになっていけばいい。

 いつか白石先生が言っていた、命の意味。

 今はまだそれに返せる答えはない。

 もしかしたら一生返せないかもしれない。

 でも、それでも僕は秋菜の隣にいる事を望む。

 人一倍体が弱くとも、人一倍明るくて健気な、僕の彼女。

 こんな可愛い女の子を手放せるわけがない。

 だから、戻ってきてくれよ?

「秋菜……」

 ――待合室から続く廊下の奥から、ガラガラとキャスターを転がすような音が聞こえてくる。

 ハッとなって、僕と秋菜の両親は立ち上がる。

 やがて待合室へとやってきた、移動式のベッドに横たわる秋菜。

 

 月明かりに照らされた彼女の白い顔は、とてもきれいだと思った。


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