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No name 6

 僕が出来る事ってなんだろう。

 僕に出来る事ってなんだろう。

 電灯もろくにない、暗い道路に残された僕は、ただそんな事ばかりを考える。

 秋菜が倒れた。

 とても苦しそうな顔をしながら、それでも僕に心配をかけさすまいと、気丈に「大丈夫」なんて言いながら。

 苦しいだろうに、辛いだろうに、それでも笑いながら。

 その時、僕に何が出来た?

 その時、僕は何をしてた?

 後になってからの予感。少し様子がおかしいとは思っていた。

 だからなんだ? その時にそう思ったなら、それにそった行動を起こせばいいのに、何もしなかった。

 下らない自己弁護。そんな事をして何になる?

 そんな事をして秋菜が楽になるのか? 秋菜が助かるのか?

 そんな訳ないだろう。

 こうして今、ただ一人立ち尽くしている僕。

 僕はあの時――あの丘で秋菜が倒れた時、ただ取り乱していた。どうすればいいのか分からず、焦って、ドジな事をやって、秋菜に負担をかけて……。

 結局、僕には何も出来ていない。僕は何も出来ないのだ。

 それは昔から変わらない。

 自分に自信がなくて、どうしようもなく卑屈で、どうしようもなく矮小で。

 僕は何がしたいんだろう。

 そんな意味のない事をずっと考えて生きていた。

 何をするのにも、そう。

 これは、この行動は世間一般で当たり前と言われる行動なのか。その場合のこの行動は、周りの目にはどう映るのか。おかしく見えてはいないだろうか。周りから浮いてはいないだろうか。この行動は正しいだろうか。この行動を受動した人は迷惑に思わないだろうか。誰かから笑われないだろうか。僕は――普通に見えているのだろうか。

 いつどこで何をするのにも、そんな不安が僕に付きまとった。

 だから、困ってる人には手を差し伸べられない。勇気がないから。

 だから、助けを求める人の手を取ってやれない。確証がないから。

 だってそうだろう。その人は、僕の手なんか求めてないかもしれないんだ。僕以外の誰かの手を求めているのかもしれないんだ。

 それなのに、僕が手を差し出したって、ただ迷惑になるだけなんじゃないのか。

 僕の手なんか、邪魔にしかならないんじゃないだろうか。

 そう考えると、僕の助けなんて誰も必要としていないように思えた。

 だから僕は、そういうモノは見て見ぬふりをして生きていた。

 多分、それが一番いい選択肢なんだろうと。それが僕にとっても相手にとっても一番な選択肢なんだろうと。

 ――こんな自分勝手な僕にも、しっかりと友達になってくれる人もいた。

 千鳥さんなんかがいい例だと思う。

 こんな最低な僕に対しても、みんなに向けるのと同じような笑顔をくれた。楽しそうな笑顔を浮かべて、僕に対して色んな言葉をくれた。だから彼女には友達が多いんだろうと思った。明るくて、裏表もなさそうで。そこにいるだけで周りを和ませる存在。久しぶりに会った時だって、昔と変わらない笑顔で僕に接してくれた。

 でも、この考えもきっと、僕の理想を押し付けているだけなんだと思う。

 そんな明るい彼女にだって、悩みはあるはずだ。それがどんなに、他人にとってどんなに小さな悩みに思えても、本人にとっては重大な悩みだと思えるものが。

 考えすぎかもしれないけど、いつも僕はそんな事を考えていた。

 何も出来ない、何の取り柄もない僕だけど、せめてその人のそういう暗い部分には触れない事を考えていた。

 こんな事、きっと他の人は無自覚に出来ているだろうけど、僕は常に思っていないと出来ないんだ。

 ――そんな僕に、好きと言ってくれる人もいた。

 何回か、女の子から告白された事はあった。好きです、付き合って下さい。そういう言葉を僕にくれた。ずいぶん一方的なのもあった。見てるこっちが心配になるほど緊張している人もいた。ものすごく一生懸命な人もいた。

 でも、それらのすべても、僕ははねのけた。ごめん、そういう気にはなれないんだ。もうテンプレートになってしまった、断りの言葉。

 だって、僕には分からないんだ。女の子と――いや、人と親密に付き合うやり方が。

「こんな僕と付き合ったって面白くともなんともないよ」……一見相手の事を気にかけているように聞こえるこの言葉も、裏側を見れば、ただ単に僕が、僕の醜いところを見られるのが嫌なだけ。

 僕はそうやって、他人をはねのけていた。

 傷付くのが嫌だから、失う事が怖いから。

 それは、自分に対して使った言葉。

 まるで、自分を中心に円を描いて、そこから先には人を入れないかのように。

 そうやって僕は生きていた。

 ――でも。そんな僕にでも。そんな僕の内側にも入ってこれる人がいた。入れてもいいと思える人が出来た。

「……秋菜……」

 無邪気で、明るくて、一生懸命で、悩みなんかなさそうなクセして、人一倍大きな悩みを抱えている……小さな女の子。

 最初は、どう思っていただろうか。あの夕暮れの教室で告白された時。何回体験してもなれない、あの空気の中。

 秋菜だけは違った。いつもなら、なんとも言い難い空気があるのに、秋菜の時だけは違った。

 なんというか、和やかな空気があった。

 冗談みたいな事を考える余裕もあった。

 なんでだろう。

 すごく、普通でいられた。

 おかしな空気の中、しまいには、僕らは笑っていた。

 それは、初めての事だった。

 いつもなら、笑うのは相手だけ。僕を気遣ったように、泣きそうな顔を笑顔に変えようとして。

 ああ、なんだか心地のいい空気だ。

 僕は、その時僕は、不安なんかどうでもいいと思った。

 そんなのを抜きにして、この少女と一緒にいてみたいと思った。

 ――それからの日々は、楽しかった。

 秋菜と一緒にいると、今まで僕が抱えていた悩みなんかちっぽけに思えた。

 秋菜の行動に、僕は温かい気持ちになって。不安なんて、見えなくなるほど小さくなって。

 そういえば、涼太と話すようになったのもその頃だった。

 クラスの中心人物で、あの持ち前の性格の軽さから、涼太は誰からも好かれていたと思う。そして、将来の夢は二次元に入れる発明をしてノーベル賞を取る事――そんな事を言い出す彼と、僕は関わる事はないだろうと思っていた。

 だけど、涼太が秋菜の幼馴染みだと知って。

 それから、なんとなく一緒にいる事が多くなって。

 今では――僕だけかもしれないけど――親友だと思えるようになって。

「…………」

 ああ、気付いてみれば、今の僕は、ほとんど秋菜によって出来ているようなものじゃないか。

 なんていう一方的な依存。

 きっと僕は、秋菜なしの人生はほとんど考えていないんだろう。

 こんな、相手に寄りかかりっぱなしの、弱い僕だから。

 秋菜が倒れた時に、みっともなく取り乱して。

 よっぽど冷静だった涼太に助けられて。

「は……はは、は……」

 力なく笑う。

 涼太が呼び出してくれた救急車に秋菜が担架で乗せられ、僕を取り残して救急車は去った。

 涼太は手を差し伸べる事だけして、もうどこかへ行ってしまった。

 弱い弱い僕は、恋人として秋菜に出来る事は何一つなかった。

 秋菜は僕に心配をかけさすまいと笑い。

 涼太は友達として当然の事として、あっけなく秋菜を助け出す。

「ははは……」

 あまりにも惨めじゃないか、僕は。

 何かをしようとしても、何一つ出来ない。何も出来ない。

 そのくせ、一人は嫌だと思い。

 それなのに、人に踏み込まれたくなくて。

 視界が滲みそうになり、僕は慌てて目元をぬぐう。

 人目も気にするから、どうにか体裁もとろうとする。

 なんて、救いようがない。

「…………」

 もう笑う気も起らない。

 さっき、涼太は言っていた。

 まだ僕にも出来る事があると。

 でも……それはきっと間違いだよ。

 こんな僕に、出来る事なんてないよ。

 あてもないまま僕の足は動きだす。

 ふらふら、ふらふらと。

 知らない道を。

 暗い道を。

 どこに続くか分からない道を。

 

 そうして、どれくらい歩いただろうか。

 まとわりつくように粘っこい真夏の夜の空気を全身に浴びながら、僕は悩み続ける。

 自分の無力さ、自分の不甲斐なさ、自分の無様さ。

 何から考えていっても、最後には同じところを巡り続ける思考。辿り着くべき場所が分からない。仮に分かっていたとしても、そこに辿り着くための道は見えない。

 暗い暗い自己嫌悪の迷宮は、右手を壁につたい歩いても出口には辿り着かない。辿り着けない。

 その場所に出口はないから。

 僕はこの場所で迷い続けていた。

 そして、迷っていても、その足は同じところを歩き続ける。

 ――そもそも、僕はあの時……秋菜が倒れた時、何をしていたんだ?

 ただ苦しそうにしている秋菜を見て、焦っていただけ。するべき事も分からず、秋菜に負担をかけてしまっただけ。心配されるべき立場の秋菜に、逆に心配されてしまっただけ。

 ――ああ、やっぱり僕は最低な人間なんだな。

 そして、また同じところに行き着く。

 ……こんな僕の事を、秋菜は好きでいてくれているのだろうか。

 僕は好きだ。秋菜のなしの人生は考えられないくらいに、彼女の存在は僕の中で大きい。

 でも、秋菜にとっての僕はどうだ?

 こんな、何にもできない無力な僕のことを、本当はあまり好きじゃないんじゃないか?

 替えのきく、その場限りの恋人なんじゃないのか?

 好きだった。だけど、大事な時にどうしようもないほど役に立たない人は嫌い――そう思っているんじゃないか?

 だってそうだろう? 自分がすごく苦しい時に、なんの役にも立たない人間。そんな人を好きなままでいられることの方が珍しいんじゃないのか?

 あの笑顔も、仕草も。

 全てはもう、僕以外の誰かに向けられるものなんじゃないか?

 ……でも、それは最初から分かり切った事だった。よく考えればすぐに分かる。

 僕みたいな人間に、あんなに可愛い恋人が出来る事の方がおかしかったんだ。

 そして秋菜に愛想を尽かされた僕は、嫌われる。もう彼氏彼女の関係ではなく、ただのクラスメート……いや、背景にも写らない程の他人になるのかもしれない。

 その時、僕は変わってしまうんだろう。……いや、元に戻るんだろう。

 秋菜に会う前の自分に。どうしようもなく薄っぺらでからっぽな、つまらない人間に。

 でもそれは、起こり得るハズがなかったものが正常に戻っただけ。

 こんな僕に、あんな恋人が出来るだなんて、まるで夢のような出来事が終わるだけ。

 楽しい楽しい幻想が消えるだけ。楽な夢から醒めるだけ。

 だから、これはきっと当然の帰結。もう秋菜の視界には、僕は映らな――

「あれ、何やってんだ、お前?」

 そしてまた幾度目かの同じ結論に辿り着こうとしていた僕にかけられた声。顔を上げれば、そこには涼太がいた。

「またお前の事だから、来栖と一緒に無理矢理にでも救急車に乗り込んで病院に行ったと思ってたけど……ていうか、なんて顔してんだお前は」

 呆れたような、それでいて心配するような表情。しかし僕には、そんな涼太とも話していられるほどの余裕がない。

「って待て待て。無視すんなよ」

 黙ったまま、何事もなかったかのように歩き出そうとする僕を涼太は遮る。

「……一人にさせておいてくれないか……」

「いや、今のお前、一人にさせたら死にそうな顔してんだけど」

 そうか。今の僕はそんな暗い顔をしているのか。……でも、だからなんだ? 別に僕一人がいなくなったところで、世界にはなんら支障をきたさない。

「来栖は?」

「……病院に行ったよ。涼太が呼んだ救急車に乗って」

 涼太は少し驚いたような顔をする。そしてその顔を見て、また自分が嫌になった。その言葉は、ただ何も出来ずにうろたえていた僕の横から颯爽と現れて、冷静な対処をとった涼太に対する僻みのような響きを持っていたから。

 自分の恋人すら満足に助けられなくて、さらに助けてくれた友達を僻む。……本当、何様のつもりなんだ、僕は。

「……いや、そうじゃなくてだな……まぁいい。それで、お前は何やってんだ?」

「……さぁ?」

「さぁって、お前な……。病院には行かないでいいのか?」

「……病院って」

「来栖の運び込まれた病院にだよ」

「……僕が行ったってどうしようもないだろ?」

 それに場所も知らないし。そう続けた言葉に、涼太は肩を落として溜め息を吐く。

「場所はともかく、来栖の事が心配じゃないのか?」

「心配だよ」何を言ってるんだ、涼太は。僕が秋菜の事を心配しない訳がないじゃないか。「でも心配だからって、こんな僕が病院に行ったところでどうしようもないだろ……」

「はぁ?」

「僕が秋菜を心配したって、何も変わらないだろ……」

「お前な……」

 涼太の声の響きが少し怒った風に変わる。そういえば、今まで涼太が本気で怒ってるところを見た事がないな。

「だってそうだろう。こんな、どうしようもない僕が秋菜を心配して病院に行ったところで、何が変わる? もしもいい方向に変わるっていうのなら、僕は何度だって、いつだって行くさ」

 そう考えながらも、口は止まらない。自棄になったように、僕の言葉を吐き続ける。涼太の顔がだんだんと険しくなっていくことにも気付かずに。

 ――そして、この言葉が引き金だった。

「それに、僕が秋菜を気にしたところで――秋菜は僕の事なんて気にも留めないよ」

 涼太が一歩、僕に踏み込んできた。のったりと、一歩。そして、次に来たのは――

「――っ!?」

 ――涼太の拳。それが、僕の左頬を殴った。痛みはあまりなかったが、それよりも驚いた。

 殴られた僕は、その衝撃から一歩後ろに下がる。そしてなんとなく、殴られた頬に手をやりながら呆然と涼太を見る。

「ギャルゲ内における、俺が嫌いなものベストスリー!!」

 涼太は、いきなりそんな事を叫び出すと、僕を指差して続ける。

「第一位、ヘタレ主人公! 第二位、悲壮感を煽るためだけに死ぬヒロイン! 第三位、バッドエンド!!」

「い、いきなり何を――」

「分かんねぇか、なら教えてやる!! 今のお前だよ、第一位!!」

「なっ――」

 涼太は僕が下がった分もう一歩踏み込んできて、さらに捲し立てる。

「『僕が行ったって変わらない』? 『秋菜は僕の事なんて気にも留めない』? それってなんだよ、お前本当に目ぇ開けてんのか!? その耳は節穴か!? お前は馬鹿なのか、死ぬのか!?」

「は!?」

「『は!?』じゃねぇ!! お前は今まで来栖の傍にいて、何を見てきたんだよ!? 普通に考えたら分かるだろうが!!」

 ……分かるさ。きっと、秋菜は僕の事なんてもう嫌いだろう。もう愛想も尽きただろう。自分が苦しいのに、一番傍にいて一番役に立たなかった人のなんて、もうどうでもいいんだろう。

「っのバカ野郎!! お前は何も分かってねぇ!! ただのバカだ!! バーカバーカバーカ!!」

 あまりにも幼稚なバカのコールに、僕も少し頭にきた。

「だってそうだろ!? 自分が、自分がすごく苦しい時に! 何も出来ないで! ただオロオロして、挙句に負担をかけるような男なんて! 嫌われて当然だろ!!」

「だからお前はバカなんだ!! 自分のものさしで世界を測るんじゃねぇ!!」

「自分のものさしじゃない! 普通だろ、そういう風に思うのは!?」

「このクソヘタレ野郎が!! じゃあもしも、もしもお前が来栖みたいに倒れたら、そして傍にいた来栖がお前のような行動を取ったらどう思う!?」

「秋菜は僕みたいな無様な真似はしない!! だって彼女は、僕なんかとは比べものにならないくらい、僕なんかとは釣り合わないほどのいい子だから!!」

「こんな時にまでノロケんじゃねぇ!! じゃあ質問を変えてやる! お前が来栖みたいに倒れた時、来栖が傍にいてくれなかったらどう思う!?」

「はぁ!?」

「救急車を呼ぶだけ呼んで後は知りませんって、そういう態度を取られたらどうだよ、どう思うよ!?」

「っ!!」

 もしも僕が、今日の秋菜みたいに倒れて……そして病院に連れ込まれて手術を受けるなりなんなりしている間、秋菜はどこか別のところにいる……。

「……嫌、だ……」

 傍にいて欲しい。何もしなくてもいいから。出来るだけでいいから傍にいて欲しい。出来ればすぐ近くにいて欲しい。こっちからは見えなくても、感じ取れなくても……近くにいて欲しい。

「そうだろ!? じゃあなんで来栖が同じように思うって考えない!?」

「だって、だってそれは……僕が秋菜の事を……何にも代え難いくらいに大事に思ってるからで……秋菜が同じように僕の事を想っている確証なんてないし……」

「あーあー本当にバカだねこいつは! 正直意味不明だ!!」

「だって、そうだろう……」

 人の気持ちなんて分からない。分からないから、どうしていいのか分からなくなる。僕のとった行動は、誰かには不快な思いをさせるかもしれないんだから。

「だから、誰かの好意と思えるものは僕の勘違いなのかもしれないし……」

「ああそうだねぇ、確かに俺は、お前が嫌いだったね!!」

「――っ」

 それは、常に予測していた言葉。人の気持ちなんて分からない。いつもは仲のいい人だって本当は僕の事を嫌っているのかもしれない。だから、常に思っていた。いつか、知り合いから「嫌い」と言われるかもしれないと。そして、言われてもいいように心の準備はしていたつもりだった。だけど……実際に言われてみると、そんな準備なんてなんの役にも立たない。想像以上に、心がヘコむ。

「第一印象からもうダメだったね! なんか、なんていうんだろう、全身にオドオドした雰囲気をまとったみたいで、まるで何かに媚びてるみたいな感じがしたから!!」

 ……それはきっと、大概間違ってはいない。当り前だ。僕がいつも思っている事を顧みてみれば、そういう風に見られたってなんら不思議はない。

「周りにもそう感じる奴がいたけど、そいつらは別に気になるほどじゃないって言ってた!! だけど俺は違ったね! 多分、前日に見たアニメの主人公のヘタレさにムカついてたせいで、余計にそう感じてたんだろうけど!! でもそれも間違ってないと思ってたさ!!」

「…………」

 それは、その考えは間違ってなんかいない。きっと、間違ってなんかいないさ……。

「だから、お前と俺が関わる事なんて一生ないと思ってた!! でもな、そういう訳にもいかなくなったんだよ!! 来栖が、俺の親友がな、相談に来たんだよ!! 好きな人が出来たって!!」

「な、に……?」

「お前はそういう事に疎いから知らんだろうけど、俺は恋愛事の相談をよく持ちかけられるタイプなんだよ!! それで、けっこう付き合いが長い俺は、ついに来栖にもそんな相手が出来たんだなって若干の感動すら覚えちゃったぜ!? その相手がお前と聞くまではな!!」

「秋菜が……涼太に相談……?」

「ああそうだよ! 相談されたさ、目一杯相談されたさ! それでな、来栖の話を聞いてる内に、もしかしたらお前は俺の想像とは違うイイ奴なのかと思えてきたんだよ!! だから、一生接点を持たないと思ってたお前に話しかけてみたんだよ!!」

「―――――」

 だからか。まだ涼太とも話した事がなかった頃、秋菜ともあまり面識のなかった頃に、いきなり涼太に話しかけられたのは。あの時は驚いた。いつもクラスの中心にいるような人物が、僕みたいな地味な人間に話しかけてきたんだから。

「それでなぁ、話してみるとこれがどうしたことか、イイ奴だったんだよ、実際に!! お前と話してる内に、ものすごく謝りたくなった! 勝手な想像で避けててスマンって!」

「……別に、謝る必要なんてない。だって、実際僕はイイ奴なんかじゃないんだから……」

「ああ、確かに今のお前はな! でもな、その時のお前は確実にイイ奴だった!! だから来栖の相談にも真剣に乗ってやる事が出来た!! けっこうな数だぜ、来栖から受けた相談の数はよ!! だってあいつってばさ、「さっき授業中にちょっと目が合っちゃった!」とか「どうしよう、プリント手渡しされちゃったよ!」とか、そんな小さな事でさえ俺に相談してくるんだぜ!? だから――」

 そこで涼太は言葉を区切り、僕を指差す。

「分かったか!?」

「……何、を……」

「来栖がどんだけお前の事を好きかどうかだよ!!」

「…………」

 言われて、想像する。秋菜が僕の事で一喜一憂してくれている仕草を。授業中に少し目が合っただけで慌てる秋菜、プリントを直接渡しただけで喜ぶ秋菜。僕と付き合うようになってからは、堂々と僕に甘えてきたり、デートに行った先でたまに不機嫌になったり、僕をからかって楽しそうにしていたり。一緒に学校に行く時には、待ち合わせ場所で会う度に嬉しそうな笑顔を僕に見せてくれたり。どの表情も輝いていて、それらに惹かれて僕も笑えて、自然でいられて……。

「ああ、」

 僕が笑うのは当たり前。だって僕は秋菜の事が好きだから。何にも代え難い、絶対に失いたくないものだから。

 じゃあ、秋菜はどうして笑うんだ? 嫌いな人に、そんなに好きでもない人に、あんな笑顔を向けるのか?

 ふざけるな。秋菜は、そんな安い女の子じゃない。

 じゃあどうして? どうして秋菜は僕に笑顔を向けてくれるんだ?

「そんなの……分かり切った事じゃないか……」

 好きだからに決まっている。きっと僕と同じように、秋菜も僕の事を好きでいてくれている。

 そして僕と同じように好きでいてくれるというのならば、僕が望むように、秋菜も僕を望んでくれているのだろう。

 なら、そうだとしたのなら……

「僕は何をやってるんだ……こんなところで……」

 なんで秋菜の傍にいてやらない。何を一人、自分の弱さに浮かされているんだ。今この時も、こうしている間にも秋菜は苦しんでいるのに。

「やぁっっっと気付いたのかこの野郎は!! つぅかどんだけ鈍感なんだお前!?」

「うん……。本当に僕は、どれだけバカなんだろう」

「大丈夫、お前はバカでもいいバカだ!」

「大丈夫な要素が見当たらないよ、それ。……でも、ありがとう、涼太」

「おう!」

 満足そうに力強く頷く涼太。その後、意地悪そうに言葉を続ける。

「それにしても、お前の動揺っぷりは半端じゃなかったなぁ」

「うっ……まぁ……確かに……」

 秋菜が倒れてからの僕の行動を振り返ってみると、ものすごく赤面してしまうようなものばかりだった。

「これはいいトラウマになりそうだな……」

「いいじゃねぇか、そういう若さ故の過ち。いい思い出になるぜ? 来栖と結婚した時とかに」

「ああ、確かに。それじゃあ、式の時には涼太に面白おかしいスピーチをしてもらおうかな」

 僕の冗談めかした、内心本気な言葉に、涼太はニッと頬を吊り上げる。

「あーあーやっちまったよ、日本バカップル撲滅運動委員会作戦参謀の俺が直々にバカップルのレベルを上げちまうなんてな。こいつ、もう結婚まで視野に入れてやがる」

「まぁ、僕は秋菜以外の女の子と付き合う気はないからね」

 わざと澄まして言った後、涼太と顔を見合せてから、同時に笑いだした。笑いながら視界が少し歪んだ。きっと、笑いすぎて、幸せすぎて涙が出たんだろう。

 しばらくの間、星々が点々と散りばめられた夜空に、二人分の笑い声が響いていた。

「さて、じゃあちょっと秋菜の所に行ってこようかな」

 ひとしきり笑い終わった後、目元を拭いながら僕はそう言う。

「ああ。場所は知ってんのか?」

「……そういえば知らないや。というか今思ったんだけど、こんな時間に病院に入れるのかな?」

「ああ? 入れなかったら玄関突き破って突入してやれよ」

「いや、それは少し恥ずかしい……」

「……さっき散々ノロケたどの口が言う」

 心底呆れた様な表情。その顔がおかしくて、僕はまた吹き出しそうになってしまった。

「……僕はけっこう人目を気にするタイプだよ?」

「あれで人目を気にしてるのか……恐れ入ったぜ……」

「照れるな……」

「褒めてねぇ。……まぁ、人目が気になるって言ったって、大体はお前らの名前も知らない奴らの目だろ? もしくは世間の目……っていうのか分からんけど、そんなもんだろ?」

「まぁ、」

 昔は、一概にはそうは言えないかもしれなかった。ある程度知り合った人の目でも気になっていた。嫌われないにはどうすればいいのか、周りから浮かないためにはどうすればいいのかとか、そんな事を常に考えていた。当然、名前も知らない、道ですれ違うだけで、それ以降は僕の人生とは関わり合わないであろう人の目でも気になった。でも、今は違う。

 今の僕には秋菜がいる。ちっぽけな悩みなんて、抱えるだけキャパシティーの無駄だと思えるような、可愛い最高の彼女が。それ以外にも、友達と呼べる人がいる。親友と言っても差し支えのない人もいる。

「そう、かな……」

 まったく気にならないと言ったら嘘になる。だけど、僕の事を理解してくれる人がいる。それだけでも、全然違う。

「ならいいじゃねぇか。他人から見れば――もっと広く世間、世界から見てみれば、お前と来栖の名前のない物語なんだぞ? そんなの気にする奴はいねぇって」

「…………」

「ん? どうした?」

「いや、今日の涼太って……いやにまともなこと言うなって……」

「ふん、何を言っている。俺はいつでもまともな事しか言わねぇっつの」

「…………」

 その言葉に甚だ疑問を覚えるのは僕だけだろうか。

「信じてねぇな、お前」

「いや、信じる信じないの問題じゃないと思う」

「……まぁいい。とにかく、早く病院に行ってやれよ。場所は……メールにして送ってやる。ちょっと待っちょれ」

 涼太はそう言って、ポケットから自分の携帯電話を取り出して打鍵しだす。

 僕はそれを見ながら、小さく呟く。

「……本当に、涼太が友達で良かったよ……」

「ん? 何か言ったか――とテンプレートな返しをするところを俺は敢えて変えて言うぜ。ん? 二次元に目覚めたか?」

「僕はリア充だから」

「ちっ……」

 普通にありえない切り返し、即答の返事、おどけた舌打ち、やっぱり涼太はまともじゃなかったな、なんて思う僕。こんな下らない会話が出来る頼れる親友がいて、僕は幸せだと思った。

 

 涼太から、ここから病院までの道のりを書いたメールを貰った僕は、涼太にもう一度礼を言って走り出した。

 背中には「焦って転ぶなよ〜」という涼太の声。

 その言葉に、僕は心の中で返事をする。

 大丈夫、僕はもう大丈夫だから。もう焦らないし、転びもしない。もう迷ったりはしない。

 点々と置かれた街灯の頼りない光が照らす道を、僕は走る。

 粘っこい夏の空気も、どこからともなく聞こえる虫の声も、全てを切って走り続ける。

 目指すのは秋菜がいる場所。

 今も苦しんでいる秋菜のすぐ近く。

 病院に入れるかだとか、行ってなんになるだとか、そんなの知ったこっちゃない。

 秋菜は僕の彼女だ。

 大好きな彼女の傍に彼氏がいるのに、どんな罪がある。

 大好きな彼女の元へ彼氏が行くのに、何の理由がいる。

 待っていてくれなくたって構わない。僕は秋菜の傍にいたいから行くんだ。

 それでも。

 それでも秋菜が僕を、僕と同じように好きでいてくれるのなら。

(待っていてくれよ、秋菜……!)

 時折メールを確認しながら、僕はお祭りの夜を駆け抜ける。

 


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