No name 3
――空を見上げてみた。視線の先に広がる、淡い青色の空には数えられるくらいの白い雲が悠々と泳いでいる。その遥か上方で煌めく太陽は惜しみなくその光を地上に降り注ぎ、それを受けた地面からはもうもうと陽炎が起きて、遠い風景を揺らめかせる。そしてどこからともなく響く蝉の声。
――夏だ。
ひどくそう実感させられる空気の中、空を見上げたまま目を瞑り、季節を体で感じていると――
「う――み――だ――!!」
そんな、ある意味夏に相応しく、ある意味夏の雰囲気を壊すようなクラスメート数人の叫び声が聞こえた。
「…………」
僕は若干顔をひきつらせ、目を開けて視線を眼前に広がる青に向けてみる。すると、脳裏に思い描いた通りに、浜辺から沖合に向かって叫ぶクラスメート4人の姿。
そのまま左右に視線を巡らせてみる。まだ叫び続けているのを除き、軽くグルリと見渡しただけで、パラソル設置に苦戦していたり愛を囁き合ってたりするクラスメートの顔が7つ。そして僕のすぐ隣に呆れた様に笑う秋菜。
「……確か、今日は秋菜と二人で海に来る予定だったと思うんだけど……」
何で僕と秋菜以外にあまりにも見知った人間が11人もいるんだ?
「それはだな――」
その疑問に答えるべく、後ろからかけられる声。振り返ればそこには12個目の見慣れた顔――吉良涼太が立っていた。
「登校日の日にみんなで約束したからだよ。いや別にどこかの無自覚バカップルが今日海に行くとかいう話を聞いたから今日にした訳じゃないんだぞ? ただこれは偶然に偶然が重なった必然なだけで――」
「いや、もういいよ涼太」
とりあえず、この事態を招いた原因は、教室で海に行く話をしていた僕の不注意なのだろう。そう自分に言い聞かせないとやってられない。
「ごめんね、秋菜。なんていうか、こんな騒々しい事になっちゃって……」
騒々しいとはなんだーとか後ろの方で涼太が叫んでいるが、無視する事にする。
「ううん、いいよ蒼くん。こうゆう賑やかなのも楽しいし」
そう言って秋菜はニッコリ笑う。後ろの方では、いい事言ったー来栖ー、と涼太が叫んでいたがアウトオブ眼中。
「秋菜……うん。じゃあ二人で来るのはまた今度にして、今日は皆で楽しもうか」
そうだぞそうしとけ大体お前らイチャつき過ぎなんだよ、と涼太が言っているが以下同文。
「うん。そうだね蒼くん」
秋菜は嬉しそうにニッコリと笑う。ああ、その顔を見れただけでも今日ここに来た意味が見い出せそうだ。
「無視しないでー……」
と、あまりに無視し過ぎたせいか、寂しそうな声を出す涼太。
「どうしたんだ、涼太。そんな声だして」
「うっせー。どーせ俺は背景要員ですよーだこんちくしょー」
うわ、拗ねだした。
「そんな事ないよ。吉良君はしっかりと目立ってるよ?」
拗ねまくって愚痴りモードの涼太に、すかさずフォローを入れる秋菜。
「おお……来栖……俺はお前を信じていたぞ! 流石俺の幼なじ――」
涼太はすぐさま元気になったが、
「蒼くんの友達として」
「…………」
そんな風に続いた秋菜のフォローに固まる。きっと涼太の見解は『僕の友達=脇役』なんだろうな。
「もう誰も信じねぇ……」
流石にからかい過ぎたのか、拗ね&愚痴りモードから人間不信状態へ昇華してしまった涼太。
「冗談だよ〜吉良君〜」
「ああ、少しからかい過ぎた。ごめん、謝るから、そんなどよ〜んとした空気を纏ってそんな所で体育座りをするなって」
クスクスと笑いながら僕と秋菜は、トボトボと堤防の端っこの方へ行ってそこで落ち込みだした涼太に謝る。
「ふーんだ。いいよいいよ、どーせボクなんか海の中で漂うワカメになってれば……」
……つまりは放っといてくれ、と。
「そうか……涼太がそう言うなら静かにしてあげておいた方がいいね」
「うんそうだね」
そう解釈した僕と秋菜は、黙って涼太を見守る事にする。
「…………」(僕)
「…………」(秋菜)
「…………」(涼太)
「…………」(僕)
「…………」(秋菜)
「…………」(涼太)
どれくらいそうしていただろうか。それが曖昧になる程、真夏の容赦ない陽射しと海からの潮風を全身に感じながら、木々のざわめきと潮騒、それに紛れてはしゃぐ人達の声を聞くだけののんびりとした時間が流れた。
「…………すまん」
その静寂と喧騒の間をたゆたう空気を打ち破ったのは、涼太の謝罪の言葉だった。
「何か知らんが俺が悪かった……だから放置しないでぇ!」
「うわ!?」
続けて、ガシッと僕の腰にしがみ着いて涙声でそう懇願してくる。
「わ、分かったから、僕にしがみ着かないでくれ!」
「やだ、離したらまた放置するもん!」
「しない! しないから! だから僕を解放してその女言葉をやめて!」
「……ホントにしない……?」
「……ああ、しない」
何故だろう、こんな気弱な涼太を見てるとドス黒い感情が沸々と湧いてくるのは。もう普段の僕なら絶対にしないような言葉遣いとか今ならしそうだ。
「……うん。なら信じるね……」
そう言って僕から離れる涼太。……堪えろ、堪えるんだ僕。そうだ、秋菜がそう言ってると思え、思い込むんだ……。
僕がそんな自己暗示を頑張ってかけて理性を保っていると、浜の方から涼太を呼ぶクラスメートの声が聞こえた。どうやら、ビーチパラソルがうまく立たないようだ。
「おう、そういう事は俺に任せときな〜!」
そう言って、すぐに立ち直った涼太は、さっさとパラソルのところまで走って行ってしまった。
「……僕らも行こうか」
僕は溜め息を一つ吐くと、秋菜に声をかける。
「うん、そうだね」
秋菜は少し呆れたような笑顔を浮かべ、僕と歩調を合わせて、ようやく立ちかけたビーチパラソルの元へ向かった。
「よっしゃ、これでオーケーだろ」
僕らがビーチパラソルの元へ着くと、ちょうど涼太がそれを設置し終わったところみたいだった。
「ずいぶんと早く設置できたね」
「ああ。俺こういう事得意だから。褒めることを許すぞ?」
僕が感心してそう言うと、涼太は得意げにそう言って胸を張った。
「へぇ〜。器用なんだね、吉良君」
「はっはっは〜。そう褒めるなよ。照れちゃうぜ?」
自分で褒めろって言っておいて、そんな事を言うか……。まぁ、確かに僕はこういう事は出来ないだろうけど。
「ああそうそう」秋菜に褒められて気分を良くした涼太が、僕の方を向く。「これはお前ら専用だからな。存分に楽しんでくれ。吉良様特製パラソルの下で、こっちの事なんて気にせず、いつも通りにイチャついてくれてて構わないからな」
そしてそんな事を言う。ものすごくいい笑顔で。いい笑顔すぎて、何か裏がありそうな気分にさせる笑顔で。
「…………」
僕はしばらく、この好意を素直に受け取るべきかを考えた。
「イ、イチャつくなんて……そんな……」
そんな僕の隣では、秋菜が涼太の言葉に照れて赤くなっていた。
(……やっぱり可愛いなぁ、秋菜は……)
その姿を見た僕は、もう涼太の好意の裏に隠された思惑なんてどうでもよくなった。
(でも一応、釘くらいは刺しておいたほうがいいか……)
「それじゃあ、遠慮なく使わせてもらうよ。ありがとう、涼太」
「よせやい。俺は友達として当然の事をしたまでだって」
涼太は鼻の下を人差し指でかいて、照れたような仕草をする。
「いや、ごめん。てっきり涼太の事だから、このパラソルがちょうどあっちの方の岩の陰から覗くのに絶好の位置にあるからってあの岩陰の近くにもう一つパラソルを立ててこちらの様子をこっそり伺おうとしているのかと思っちゃったよ」
「…………」
その僕の言葉に、無言になって固まる涼太。ジト目になる僕。
「……涼太?」
「そ、そ、そそんな訳ないだろう! まったく、人の好意を疑うなんてお前はいつからそんな薄情な奴になったんだ! あは、あはははは……」
……覗く気満々だったな、この男。まぁ先に釘を刺しておいたし、多分これで覗かれないだろう。
――なんて。そう思った僕は、どうやら甘かったらしい。
そもそも、涼太たちが別の場所にビーチパラソルを立てると言って、移動した場所が僕の指した岩の方の時点でおかしいと思ったんだ。
(まさか、釘を刺しておいたのに敢えてやる気か? いやそんな訳がない。いくら涼太でも、見破られた事はしないだろう……)
僕はそう思ってしばらくしてから、何気なく視線をその岩の方へ移し――
「…………」
――唖然とした。秋菜とビーチパラソルの下、持ってきた荷物の中で使うものを整理していた手も止まった。
岩の向こう側から、顔を出しているのは吉良涼太含む三人のクラスメート。
その手にあるのは双眼鏡。
おまけにあちらのビーチパラソルの近くに『バカップル観測実験中』なんてのぼりが立ててある。
一体どこからツッコミを入れればいいのか、お笑いに疎い僕には分らなかった。
「いや、この場合お笑いは関係ないか……」
「? どうしたの、蒼くん?」
「……なんでもない……」
僕は重い溜め息を吐き、荷物の整理を進めた。あちらの事は気にしない事にして。そう、あれは別の次元の出来事だ。こちらの世界とは関係ない。
(……盗聴器とか、流石にないよな?)
そう思っても、そういう事まで心配してしまう。涼太ならそれくらい手の込んだ事はやりそうだった。いや、でもそれはないだろう。いくらなんでもないはずだ。信じたぞ、涼太……。
「蒼くん、私、そろそろ着替えてくるね」
「あ、ああ、うん。それじゃあ荷物の整理とかは僕がやっておくから」
多分紙よりも薄い信頼を涼太に寄せていると、秋菜が立ち上がってそう言う。
「うん、お願いね」
秋菜は水着が入ったバッグだけを抱えて、浜辺の端の方にある更衣室まで歩いて行った。
「さて……と」
それからしばらく荷物の整理をしていた僕は、一通りの整理が終わると手持無沙汰になってしまった。
「やることがないな……」
着替えてこようかな、と思ったけど流石に荷物を放置しておく訳にはいかない。涼太にもう一度釘を刺してこようかとも思ったが、同じ理由で却下。
(……秋菜、早く戻ってこないかな……)
ここを動けない以上仕方ないので、僕はそんな事を思いながら秋菜の水着姿を脳裏に浮かべる。
(本当に僕が選んだものを買ったのかな。……だとしたら、似合ってるといいな)
不意に、僕の目の前の地面に影が差した。秋菜が戻ってきたのかな、と思い視線を上げると――
「…………」
「……え?」
――知らない女の人が、無言で立っていた。
「…………」
その女の人は、黙ったまま僕を見つめている。僕はといえば、どういう反応をすればいいかに困っている。
「…………」
「……あの……」
ずっと黙ったままな女の人に、僕はとりあえず声をかける。
「はい?」
「えっと……何か用ですか?」
「…………」
「…………」
その言葉に、また黙ってしまう女の人。
「あの――」
「憶えて……いませんか?」
「え?」
そう言われて、その女の人の顔をまじまじと見つめてみる。吸い込まれそうなほど綺麗で大きめな瞳、肩を少し過ぎた辺りまで伸ばされた髪の毛。少しきょとんとした仕草から、幼いような、そうでないような、よく分からない不思議な印象を受けた。けど、
「……どこかでお会いしましたっけ?」
こんな不思議な雰囲気を漂わせる女性には出会った事がない。というか、多分会ってたら忘れられないと思う。
「そうですか」
その女の人は特に目立つ素振りも見せず、そう淡白に言う。
「…………」
「…………」
そしてまた訪れる沈黙。
(えーと、こういう時ってどうすればいいんだろう……?)
そもそもこの人の要件がよく分からない。僕に何か用があるのだろうか? でもさっき聞いたら沈黙で返されたしな……。
「あーいたいた。こんなところにいたの?」
どうすべきかと困っていると、その女の人の後ろの方からそんな声があがった。
「も〜、黙って勝手にどこか行かないでよ〜」
その声の主は、目の前にいる不思議な雰囲気を持つ女の人と同じくらいの年齢の女性で、ボブカットで整えられた髪や勝ち気そうな目元から、明るい印象を受けた。
(なんか、対照的だな、この人たち……)
僕がそんな事を考えていると、勝ち気そうな人は、僕の目の前にいる女の人の肩を掴み、自分の方へと顔を向かせた。
「……ごめんなさい。でも、海に来たらとりあえず見目麗しい異性の方に声をかけるのが礼儀だと――」
「そんな礼儀は存在しないの! ていうかどこからそんな知識を得たの?」
「お兄様が所持しているゲームの中に、そういう事を仰る方がいまして……」
「そういう事を鵜呑みにしない!」
そして、僕の目の前でそんなやり取りを始める。
(……とりあえず、これは助かったのか?)
そんな事を考えていると、話に区切りがついたのか、今しがた乱入してきた女の子がこちらを向く。
「ごめんなさい! ほんっとごめんなさい! ちょっとこの子世間知らずというかそういうので……」
そしてものすごい勢いで謝ってきた。
「ああ、別に気にしてないから……」
というかそこまでされると逆に恐縮してしまうというか、居心地が悪くなるというか……。
「すいません! 後でこの子にはよ〜く言い聞かせておきますから! ですので、後でよろしければお茶でも……」
「……人の事、言えません……」
「うっさい。えっと、そういう訳で失礼しました!」
そう言うと、二人は僕に背を向けて歩いていってしまった。
「……なんというか……賑やかな人たちだったなぁ……」
残された僕は、一人呟く。それにしても、今のやり取りをあっちで双眼鏡を覗き込んでいる涼太たちに見られていたとしたら……
「あとで何を言われるか、分かったもんじゃないなぁ」
というか絶対に見られてたよなぁ……。
思わず溜め息がこぼれる。幸先が悪すぎる。
(……早く、秋菜戻ってこないかなぁ)
八月の陽光を受け、きらびやかに光る海面には穏やかな波がはしる。その波が打ち寄せては引いていく浜辺では、色々な人がそれぞれの楽しみ方をしていた。
ある若い男三人組は、道行く女の子に声をかけては落ち込み、ある男女のカップルは海を見つつ肩を寄せ合い愛を囁きあって、ある女の子は目に執念の炎を燃やし、そこらに出ている屋台の料理を食べては買い食べては買い……という事を繰り返したりしている。
かくいう僕も、自分の彼女とビーチパラソルの下でとりとめのない事を喋ったりしている。
「っと、そろそろお昼だね」
「ああ、本当だ。もうそんな時間か」
秋菜がそう言って、僕が時計を確認すると確かにお昼ご飯を食べるのには十分な時間になっていた。うーん、やっぱり楽しい時間は過ぎるのが早いんだなぁ。
「それじゃあそろそろお昼ご飯にする?」
「うん」
そう言った秋菜は、僕の事をじっと見つめる。幾分か期待のこもった目で。
「ああうん。一応、僕がお弁当作ってきたけど……」
「やったー! 蒼くんのお弁当〜」
その目に応えるべく、そう言って小さめのクーラーボックスに入れてきた僕の手作り弁当をシートの上に出すと、嬉しそうな声をあげる秋菜。
「……でもこういう時って、普通彼女の方が作ってくるんだよね……」
しかしその後にそう言って落ち込んでしまう秋菜。
「あー、秋菜? 気にしないで。僕は秋菜においしく食べてもらる事がすごく嬉しいから」
「うん……でもお弁当一つ作れない彼女って、彼女失格なんじゃ……」
「そんな事ないよ。それに、秋菜だって作れない訳じゃないじゃないか」
「作れる事は作れるけど……蒼くんには敵わないかな……」
「大丈夫。少し練習すれば僕くらいの腕にはすぐなれるよ」
「そうかなぁ……」
「そうだよ。そもそも、料理はレシピとか本の通りに作ればちゃんと出来るんだから」
「……それが難しいような気もするけど……」
「…………」
まずい。このままだと秋菜がなにか暗い領域に落ちて行ってしまう。話を変えなければ。
「あー、秋菜。とりあえず食べよう? ほら、今日は秋菜がおいしいって言ってくれた玉子焼とかいっぱいあるから」
「うん……」
まだ微妙に落ち込み中な秋菜は、弁当箱の蓋を開け、
「あああああ!!」
絶叫。え、ていうか何故!?
「そ、蒼くん!!」
「な、なに?」
「こ、これ……!!」
秋菜は勢いよく弁当箱の一角を指差す。そこにあるのは、イカ焼き。
――ちなみにこれは、お祭りの屋台とかで出回っているイカの姿焼きの事ではない。あれは焼きイカという。このイカ焼きというのは関西発祥の粉物料理で、小麦粉(主に強力粉)を水で溶いてよく練った生地にイカの切り身を入れて数時間寝かせ、それを熱した鉄板に乗せ、さらにその上から卵を落とす。そしてさらに上から熱した鉄板を押し付けて、薄く焼き上げる。それにお好み焼きのソースなどを塗りたくるのがイカ焼き。本来は上下から熱した鉄板を押しつけることで、もちっとした食感が出来るのだが、僕の家には専用の道具だとかそういう気の利いた物がなく、フライ返しでどうにか作った物なので食感は本場の物と少し違う。
「そ、それが?」
「どうして!? 蒼くんこれどうして作ったの!?」
「いや、親戚から大量のイカが送られてきて、そのまま腐らすのは勿体ないから僕が調理――」
「蒼くん、ファインプレー!!」
「え?」
「そうだよね、イカさんを腐らすのなんて勿体なくて出来ないよね!」
「あ、ああ、うん」
……なんだこの変わりよう……。もしかして、秋菜ってイカが大好きなのか……?
「ねぇねぇ、食べてもいい!?」
「う、うん、いいけど」
「いただきまーす!!」
秋菜はスチャッといつの間にかにとり出していた箸を構え、イカ焼きへと向ける。
「…………」
僕はといえばそんな秋菜の変化についていけずに呆然としている。
「ん〜! おいしい〜!!」
秋菜はイカ焼きを次から次へと消費していく。普段の食事ペースからは想像もつかない速さで。
「ん〜蒼くんの青森の親戚さんに感謝だね!」
「え? 僕、青森のおじさんから貰ったって言ったっけ?」
「ん〜ん、言ってないよ? でもこれ青森のイカの味がするもん」
「…………」
思わず言葉を失う僕。……まさか、食べただけでどこの産物か分かる人が現実に存在するなんて……。
(しかも僕の彼女……)
おいしく食べてくれているのはすごく嬉しい。だけど、なんでだろう。素直に喜べない……というかすごい複雑な気分だ。
「おいしかったぁ!」
そんなとても微妙な気持ちに満たされている間に、すべて秋菜の胃に吸収されてしまったイカ焼きたち。
(……おやつのつもりで作ってきたんだけどなぁ……)
「すっごくおいしかったよ、蒼くん!」
「う、うん……ありがとう……」
まぁ秋菜が嬉しそうだし……いいか。
「イカ焼き、好きなんだね……」
「うん! でもイカ焼きだけじゃないよ? イカ全般は大好きだよ!」
異様に目を輝かせた秋菜は、イカについてのうんちくやら想いのほどやらを語り出した。
「…………」
黙ってそれを聞く僕は、なんとなく「長くなりそうだなぁ」と呑気に思っていた。
「それでね、イカって消化に悪いイメージがあるけど、実際は他の魚介類とあんまり変わらないんだよ」
…………。
「あとね、ユダヤ教の人はイカを食べちゃいけないんだって」
………………。
「それからイカとかタコの墨で作られたインクがセピア色になるんだけど、このセピアってね、ギリシア語で甲イカっていう意味なんだって」
………………………。
と、こういう風な会話がお弁当を食べ終えわるまで続いた……。
……秋菜ってけっこう物知りなんだな……。