常識が塗り替えられる瞬間
辺りは、完全に暗くなった。
この国は、昼間は暑いのに
夜は冷え込むと聞いていたが、
そんなことはない。
夜になっても、砂地はまだまだ温かい。
逆に蒸し暑いほどだ。
時おり、風が吹くが焚火が消えることも
暴れることもない程度だ。
オレたちは、焚火のそばで
『衣類』や『着替え』と書かれた袋を敷き、
それを寝床とした。
もちろん、木下とは焚火をはさんで
距離を取って寝る。
焚火を使うことによって、
火が苦手な害獣や魔獣は寄ってこなくなる。
ただし、魔獣の中には頭のいいやつもいて、
『火=そこに人がいる』と
分かっていて寄ってくるやつもいる。
鼻がきくやつは、
人の臭いにつられて寄ってくる。
それに、火を見て寄ってくるのは
ケモノだけとは限らない。
特に今は『窃盗団』に便乗する悪い奴らも
うろついているだろう。
だから、野宿において
完全に安全ということはない。
つねに耳を澄ませ、気配を探り、時には辺りを見回す。
危険と隣り合わせで寝る・・・
これは、訓練していても
なかなか慣れるものではない。
今夜は仮眠程度の睡眠であると覚悟する。
腹も満たされているし、
寝床も確保できたので、あとは寝るだけなのだが、
寝るには、まだ早い時間帯だ。
木下は、寝床に寝転がって、読書している。
完全に安心しきっている状態だな。
「さて、剣の手入れでもするかな。」
オレは、わざと大きな独り言を言って
おもむろに剣を抜いた。
スラァァァ・・・
いくら気を許していても、
木下は他国の『スパイ』だから
オレがいきなり剣を抜き始めると
驚かせてしまうと思ったからだ。
案の定、オレが剣を抜いても
木下が身構えることは無かった。
数日前に、魔獣を斬ったせいか、
少し臭う気がする。入念に剣を拭く。
この臭いにつられて魔獣が
寄ってこないとも限らない。
人間でも、鼻が効く者もいるしな。
明日、村へ行って何事もなければいいが
木下の仮説が正しかった場合は、
戦闘になる可能性がある。
いや、実際に村人に被害が出ているわけだから
その可能性の方が高い。
剣に刃こぼれはない。
親父から譲り受けた古い剣なのに、
なかなか耐久力があるのだな。
そういえば、ご先祖様の武勇伝は
よく聞かされたが、親父の武勇伝は、
聞いたことがなかったな。使わなかったのか?
いや、それでも先祖代々受け継がれてきたのなら、
オレの手に渡る前に、誰かが使っているはずだ。
現に、持ち手の柄の部分は、
なにかをかたどった模様が施されていたらしいが
完全に擦り減っていて、分からなくなっている。
それほど使い込まれた証拠だ。
「その剣に名前はあるのですか?」
木下が、本を読みながら
興味無さそうに聞いてきた。
・・・興味がないなら聞かなきゃいいのに。
「いや、名前はないようだ。
親父から譲り受けたもので、
詳しくは聞かなかったが、名前があるくらい
良い剣ならば、親父が自慢しながら
オレに言うはずだからな。」
「・・・そうですか。」
やっぱり聞く気がないようだ。
意識の半分が、本の世界に入っているから
生返事になってる。
・・・なんとなく、女房を思い出す。
あいつも、いつもソファーで
寝っ転がりながら、本を読んでいたな。
そして、オレの言葉に生返事で返す・・・。
今、この時間にも、
あいつは本を読んでいるのだろうか。
そういえば、オレはオレで
女房がどんな本を読んでいるのか
興味がなかったから、聞いたことがないな。
「き、ユンムは、なんの本を読んでいるんだ?」
「え、あー・・・『魔法の書』ですよ。」
また『木下』と言いかけたが、
オレの言い間違いを気にもせず、
木下は本から視線を外さずに答えた。
「『魔法の書』?
学校の教科書みたいなやつか?」
「えー・・・学校のは基本の魔法しか載ってませんから
難しくないんですが、この本は
上級者向けの魔法が載っている本ですので・・・
・・・おじ様には難しいかも、ですね・・・。」
本に集中しながら、
オレに失礼なことを言えるのだな。
器用なやつだ。
「そんな上級者の魔法をユンムは使えるのか?」
「・・・。」
「・・・。」
とうとう意識が本の世界へ
すべて入ってしまったようだ。
それとも、上級者の魔法は使えないとか?
「・・・使えなくもないですよ。」
かなり遅れて返事が返ってきた。
意識が、本の世界から、こっちの世界へと
行ったり来たりしているのだな。
「使ったことがないだけです・・・。」
未経験ということは、
使えないのと同じだな。
「たとえば、どんな魔法が使えるんだ?」
「はい・・・たとえば・・・
人の速さを倍加する『スピードアップ』の補助魔法とか。」
なるほど、補助系の魔法か。
しかし・・・
「それは上級者じゃなく、中級者向けだろ?
学校で習ったことがあるぞ。
ただ、スピードがアップするだけだろ?」
「え? ・・・なに言ってるんですか?
簡単に『スピードアップ』って言いますけど、
速度を制御する魔法は、魔力の制御がとても重要で、
その制御がめちゃくちゃ難しいんですよ?
上級者でもなければ、とても扱いが難しい魔法で・・・。」
オレが『スピードアップ』の魔法を
バカにしてると感じたのだろう。
木下の意識は、本の世界から
完全にこちらの世界へ戻ってきて
まじめに反論し始めた。
「え? おじ様、今・・・
学校で習ったって言いましたか?
この上級の魔法『スピードアップ』を?
おじ様は、たしか体術系の大学卒だったはずですよね?」
木下が上体を起こして、聞いてきた。
オレのことまで、よく調べてあるな。
「それは高等学校で習う中級者向けの魔法だ。」
オレは素直に答えた。
だが、
「あ、有り得ません。
この魔法は、大学で学ぶか、
高等な魔法を専門とする学校で学ぶのです。
高校生のような精神的に未熟な者が
不用意に扱える魔法ではありません。
間違えれば、大事故になるのですよ。」
「事故に繋がるのは容易に想像できるが
それは、使い方を間違えたらの話で、
高校生にもなって、間違った使い方をする者は
かなり頭が悪い、恥ずかしいやつだ。
友達をなくすぞ。」
実際に、間違った使い方をするやつはいるが、
制御ができているので、大事故にはならない。
わざとではなく、実力が伴わず
失敗するヤツはいるかもしれないが。
木下の表情が、こわばっている・・・。
なんだ?
「・・・高等学校で上級魔法を習う・・・?
では、大学では何を学ぶんですか?」
「もちろん、大学では上級の魔法を学ぶ。
オレは残念ながら魔法は苦手で、
体を使う方が得意だったんでな。
体術系の大学へ進んだから
オレは上級の魔法は学んでいない。」
「では・・・『スピードアップ』の
上級魔法って、なんですか?
これ以上の上級魔法って、
私は知らないんですけど。」
木下が、真顔で聞いてくる。
「え、あー・・・たしか、体術と合わせて
その上級魔法を使えるって言ってた友人がいたなぁ・・・。
えーっと・・・ナントカ『チック』だった気がするが、
『スピードチック』? いや、もっと短い名前だった気がする。
すまん、忘れた。」
「・・・。」
自分で、こうして話しながら、
黙ってしまった木下の真顔を見ていると、違和感を感じる。
まさか・・・?
「まさか・・・これは『ソール王国』だけなのか?
ほかの国では、その『スピードアップ』を
上級魔法として習っているのか?」
木下が、真顔でうなづいた。
「それは、『ハージェス公国』だけじゃないのか?
本当に・・・ほかの国も?」
木下がうなづいて、
「ただし、魔法に特化した国があります。
偉大な魔導士が築いた魔法の王国とか。
そこでは上級の魔法よりも、さらに高度な魔法を
使える者たちがいると聞きます。
たしか、『極大魔法』とか『絶大魔法』とか
禁止されている魔法もあるとか。
でも、普通の国は・・・上級の魔法より
さらに上の魔法を使える者はいません。
そういう者は、魔法に特化した国の出身者だけです。」
そう、オレに告げた。
「・・・!」
またもや、自分が
常識だと思っていたことが覆された。
いや、『ソール王国』の王族によって
「これが常識」だと思い込まされてきたのだろう。
「・・・そうか、これが当たり前だと思っていたが、
王族によって、これが常識だと
刷り込まれていたのだな、オレたちは・・・。」
軽く衝撃を受けつつも、
今まで自分が、いかに『世界』を知らなかったかを実感する。
この歳になるまで
とても小さな『世界』のことしか知らなかったのだ。
「ふぅー・・・。」
空を見上げて、小さな溜め息をついた。
満天の星を見ながら、小さな自分の存在を感じた。
今さらだが・・・世界は、果てしなく広いのだな。
「・・・私は、ずっと王宮ばかりを調査していて、
『ソール王国』の教育機関までは調べていませんでした。
そうですよね、生まれつき身体能力が高ければ、
生まれ持った魔力も通常より高いのでしょうね。
幼い頃から、しっかり学ばせば
すべての国民の強さの水準を高くできるわけですね。
今、改めて、『ソール王国』の強さを知った気がします。」
木下が、新しい発見をしたようで、
すこし興奮ぎみに、そう話してくれた。
なるほど、そういう解釈になるな。
・・・だからこそ、魔獣が出没する城外でも
騎士や剣士でもない一般人が住めるわけか。
オレは、城外で魔獣を倒した
民間警備隊の男を思い出していた。
「そうだな・・・
あー、魔法の名前は忘れてしまったが、
『スピードアップ』より上級の魔法は
すべてにおいて速くなる魔法というか、
動体視力と脳の処理速度までアップする効果があるって、
それを使える友人が言っていた気がする。」
友人の言葉を思い出すが、
その肝心な友人の顔が思い浮かばない・・・。
んー・・・志村だったかなぁ?
いや、志村とは、そんなマジメな話で
盛り上がったことがない気がするし・・・。
友人じゃなく、小野寺だったかな?
「そんな魔法が!
私も学校でいろいろ学んだ方ですが、
そんな多重の効果がある魔法は
極めて珍しい魔法だと聞いてます。」
「いや、まぁ、オレも苦手だから
話半分に聞き流してしまっていたが、
たしか、そう言っていたはずだ。
『スピードアップ』の授業でも
ちょっとだけ教わったはずだが、
ただただ自分の速度を上げても、
その速度を捉える『眼』と
その速度の情報を処理する『脳』の
速度があがっていないと、
『スピードアップ』以上の速さは制御できないんだとさ。」
何事も、結局は『制御』できるかどうかの問題だ。
ただただ速度を上げるだけなら誰でも簡単にできる。
しかし、その速度は、
『自分が制御できる範囲内の速度』ということになるから
使う者の限界を超えた速度は、扱えないことになる。
「理屈は分かりますが・・・
そんな多重効果の魔法・・・
相当な魔力とそれを制御する精神力がないと
扱えない魔法ですね。」
「あぁ、魔力の消費が激しいらしいな。
だいたい、そんな限界を越えた速度に
人の肉体がついていけるわけがないからな。
魔法を使えたとしても、一瞬しか使えないだろうな。」
そう言いながらも・・・
『ソール王国』出身者ならば、優れた身体能力によって
その限界を超えた速度に耐えうる体を
初めから持っているのかもしれない・・・と、
ふと思った。
こうして
オレは、また木下との会話によって、
新たな『常識』を教えてもらったのだった。




