女房に勝てない竜騎士
「ただいま・・・。」
いつもより1時間くらい遅く帰宅した。
女房の多恵は、ソファで寝ていた。
オレは、鎧を脱ぎ、ラフな格好になって、
フゥっと溜め息をついた。
食卓には、いつも通り、女房が食べ残したおかずが置いてある。
今日は、煮物か。
いつもなら、腹ペコになっている時間だが
空腹のはずなのに食欲が湧かない。
とりあえず、箸を冷え切った煮物に伸ばしてみるが、
やはり口まで運ぶことが億劫に感じられた。
ぼんやり・・・女房のだらしない寝顔を見ながら、考えた。
結局、鈴木も小林も、自分の答えは言わずに、そのまま解散した。
今になって、やはり答え合わせしておけばよかったかなという
考えが頭をよぎったが、すぐに消えた。冷静に考えれば分かることだ。
今どき、『ドラゴン』!? バカバカしい。
そんな『生きた化石』じゃあるまいし、いるわけがない。
発掘調査隊でも編成して、化石を見つけに行くなら話は分かるが・・・
何百年も前に絶滅したと言われているモノを、どうやって見つけるんだ!?
第一、あんな遥か遠い大地へ行くだけでも数ヶ月はかかるだろう。
それから途方もない広さの大地を、たった5人で捜索!?
「死にに行け」と言っているのと同じだ。
・・・いや、実際、そういう意味だよな。
歴史の教科書でしか知らないが、
ドラゴンは巨体で、強大なチカラを持つという。
そんなバケモノを相手に、5人で挑むなんて無謀だ。
第一、『竜騎士』なんて試験だけの資格じゃないか。
ドラゴンの歴史を暗記しただけのスペシャリストが、ドラゴンを倒す!?
笑えない冗談だ。
それにしても『竜騎士』の資格を持っていた者たちが、
あんなに少ないとは驚きだった。それだけ人気が無い資格だったわけだが。
逆に、後藤が持っていたなんて意外だったな。
・・・ヤツは、『特命』を受けるつもりだろうか?
ヤツが最後に、王様に投げかけた言葉を思い出した。
「これは、ご命令ですか?」
もし、あの問いに王様が「そうだ」と返事をしていれば・・・
絶対服従を信条としているヤツのことだ。あの場で『特命』を受けていたかもしれない。
たとえ、それが・・・人事の村上が仕組んだ『特命』であっても。
本気で、ドラゴンの存在を信じているヤツなどいない。
そんな伝説上の魔物を、誰が本気で討伐して欲しいと願うだろうか。
要するに、オレたちに『特命』を断らせて、クビを切るのが目的なのだ。
後藤が、それを理解してないわけが無い。
後藤だけじゃなく、あの場にいたみんなが分かっていることだ。
じゃぁ、選択権も何も、もう答えは決まっているということか。
誰も、討伐へは行かないだろう。
・・・王様も、行って欲しくないから、後藤の問いに答えなかったのだろうな。
「なに?」
いきなり女房が話しかけてきた。
オレがぼんやりと見ていた女房の寝顔は、いつの間にか
目がパッチリ開いていて、オレを凝視していたので驚いた。
「うぉっ!・・・た、ただいま。」
「・・・遅かったのね。珍しく残業?」
「ん、まぁ、そんなとこだ。」
「ふーん・・・。」
なんとなく、軽い嘘をついてしまった。
まだ、女房に『特命』のことを言う気分になれない。
オレ自身もまだ考えがまとまってなかったし、女房に何か言われるのが怖かった。
オレが『リストラ』されたのを知ったら・・・きっと女房は去っていく。
数年前に、大喧嘩したことがあって、その時に女房は役所から
離婚届の書類をもらってきた。カーっとなっていたオレだが、
その書類を突きつけられて冷静になれて、結局、離婚には至らなかった。
しかし・・・あの時の書類が、
まだタンスの奥に眠っていることをオレは知っている。
「どうしたの? 食べないの?」
オレが全然食べてないことに気づいた女房が、聞いてくる。
「ん、そうだな・・・なんだか、おなかが空いてないんだ。」
「あら、そう・・・。」
オレの言葉に興味がない女房は、ソファの上にあった本を読み始めた。
たぶん、オレが帰って来る前に、本を読んでいる途中で寝てしまったのだろう。
『特命』のことは言いたくない気分だが、明日には結果が出てしまうわけだから、
今日中に言っておかねばならない。
女房が本気で本の世界へ突入してしまうと、もうオレの言葉は届かなくなる。
言うなら、今しかない。
「・・・なぁ。」
「・・・。」
「おい。」
「・・・ん?」
「そのままでいいから聞いてくれ。」
「・・・んー? なによ? 小遣いの交渉なら受け付けないわよ。」
「いや、そうじゃなくて・・・。」
「・・・。」
「今日、王宮人事室に呼ばれて、王宮へ行って来た。」
「・・・ふーん。」
「そこで、王様直々に『特命』を言い渡されたんだ。」
「・・・。」
「それが・・・受けても受けなくてもいいらしくてな。」
「・・・。」
女房は、半分以上の意識を本へ集中させているため、
オレの話は、ほとんど耳に入っていないようだ。
本気で聞いて欲しい話なら、怒鳴りつけるところだが・・・
今は、そのままのほうが、オレとしても気持ちをラクにして話せる気がした。
「まぁ、受けるかどうか、まだ迷ってたりするんだが、
受ければ命を落としかねない長い旅に出させられて、断れば職を失うんだ。」
しかし・・・というか、やはり、オレの話は片耳で聞いていても
耳を疑ってしまう内容だった。だから、女房が突然、本を放り出して
「はぁ!?」
と、言い出すのも仕方ないことだった。
「な、なんなの? そんな悪い冗談・・・冗談でしょ?」
女房の顔が引きつっている。オレは黙って、首を横に振った。
「なによ、それ!? 『特命』って、なんなの!?」
「未確認らしいが、未開の大地にドラゴンがいるとかで、
その討伐を命じられたんだが・・・」
「はぁ!? ドラゴン!? バカじゃないの!?」
女房が信じられないという顔で、俺を見る。
いや、俺もいまだに信じられない話だ。バカバカしくて、怒りも失せる。
しかし、女房は怒りが爆発したようだ。
「なんで、そんな悪い冗談が『特命』なのよ! 誰が聞いたっておかしいじゃない!」
「王様直々のご命令なんだ。だから『特命』っていうんだ。
本来は断れないが、今回は特別に断っても許されるんだ。」
「当たり前でしょ、そんなの! 誰も行かないわよ!」
「ただし、断ったら、クビなんだ。」
「はぁぁ!? どうして断っていいくせに、クビになるのよ!」
女房の言うことは、もっともだ。
しかし・・・どうも、いかん。
「・・・。」
このままでは、熱くなった女房と激しい言い合いになると感じて、
オレは、少し黙ってみた。
「あなた、仕事で大きな失敗でもしたんじゃないの!?」
予想していたことだが、オレが黙ったところで、
女房がすぐに冷静さを取り戻すことはなかった。
「そうでもなきゃ、おかしいじゃない!」
オレは、事後報告しているに過ぎないのだ。女房がいくら怒ったところで、
現状は変わらない。というか、オレに怒ったところで意味がないことだ。
言ってみれば、オレが今回の件の被害者なのだから。
「なんで黙っているのよ! 図星なんでしょ!?」
「・・・。」
相手の問いに対して、何も答えないのは、たしかに良くないことだ。
肯定とも否定ともとれる態度なのだから、イライラが募って、
女房はさらに熱くなるだろう。
「なんとか言ったらどうなの!?」
しかし、今までの経験上、熱くなっている女房の問いに対して、
きちんと答えると、『口答え』もしくは『反論』として受け取られてしまうのだ。
火に油を注ぐことになるから、オレは黙って、女房が冷静になるのを待つ。
「都合が悪くなると、すぐに黙るのね!」
「・・・そう熱くなるな。気持ちは分かる。」
「バカにしてるの!? あなたにワタシの何が分かるのよ!」
女房の気持ちは本当に分かっている。王室で『特命』を言い渡された
オレと同じ気持ちでいるはずだ。事態が急すぎて、
ただただ『信じられない』と思っていることだろう。
それはオレも同じ気持ちなのだ。
その気持ちを、オレにしかぶつけることが出来ないのだろう。
それも、分かる。
しかし、『特命』を受けたのはオレなのだ。
だんだん・・・オレの気持ちがザワザワと荒れていくのが分かる。
オレも本来、気が長いほうじゃない。
職業柄、ずっと感情を押し殺すことはできるが・・・
家の中まで『我慢』や『忍耐』を強いられるのは不本意だ。
「冷静になって聞いてくれ。これは王様直々の『特命』であって、
悪い冗談のように聞こえるが、冗談じゃないんだ。そして、これは、
もう決定していることで、オレを責めても何も変わらないんだ。」
なるべく自分の感情を抑えながら、落ち着いた声で女房を説得する。
「これが落ち着いていられる?
落ち着いたら、そのデタラメな『特命』がなくなるわけ!?
あなたがそんなだから、『特命』を受けるハメになったんじゃないの!」
女房は、オレと同じ気持ちのはずだ。
なのに・・・
どうして、女房はオレの気持ちを察してくれないのだろう?
「言っておくが、『特命』を受けたのは、オレだけじゃない。
『竜騎士』の資格を持った数人の隊長に言い渡されたんだ。」
「じゃあ、なに? それを持っていたってだけで選ばれたんじゃないの!?
そんな、あってもなくてもいいような資格のせいで・・・!
それを持った人が他にもいること自体、信じられないわ!」
・・・ダメだ。もう耐えられない。
ガタン!
オレは少し乱暴に席を立ち、女房にはそれ以上何も言わず、玄関へ向かった。
「ちょっと! 話し合いは済んでないのよ!
これは、あなただけの問題じゃないんだから!
あなたが職を失うってことは、
ワタシの生活にも関わってくるんだから!」
「・・・お前は、こんなときに自分の心配しかしないのか。」
「え!?」
「ちょっと、頭を冷やしてくる。」
オレは、そう言い残して家を出た。
話し合い? 一方的に相手をののしることを話し合いとは言わん!
バカ女房め・・・。
オレは、心でそう毒づいて夜道を歩き出した。