お説教
男性店員は、目的の部屋の前で
オレたちに鍵を渡すと、さっさと階段を下りて行った。
オレたちは部屋に入り、荷物を下ろす。
部屋はそこそこ広く、ベッドが2台ある。
ベッドとベッドの間にテーブルとイスがある。
オレは、とりあえず
ベッドが2台あり、それも離れて置いてあることに
ひとまずの安心を覚えた。
「あのな、木下!」
部屋に入って開口一番、
木下に説教をしてやろうと思っていたが、
「しっ!」
木下に黙るように言われて、口を閉じた。
木下は、そのままドアに近づき、
耳を澄ませて・・・そのまま
ドアのロックをかけた。
部外者の気配がなかったことを確認したのだ。
それからオレのほうに向きなおり、
「さて、おじ様には、これから
『隠密』とは、なんたるかを
しっかり、丁寧に、教えて差し上げなくては
ならないようですね・・・!」
木下の作り笑顔が消え、
無表情で、鋭い眼光の表情になった。
「うっ・・・うむ、よろしく頼む。」
女房の怒り顔のほうが
迫力はあるのだが、それでも
いつも笑顔だった木下の怒り顔も
なかなか精神的にくるものがあった。
昼間のオレの失態を考えれば、
お叱りも当然のこと。
オレはすっかり説教する気が失せてしまった。
・・・なるほど、こりゃ
男女の間違いが起こるはずもないか。
それから1時間ほど、
オレは木下に、昼間の言動や行動のダメ出しや
『隠密』の心得、オレたちの関係の細かい設定などを
叩きこまれたのだった・・・。
木下の説教・・・いや、『隠密』の説明を受けた後、
オレたちは食堂で食事を受けとり、
また部屋にこもって、食事をしながら
今後の話をすることにした。
「・・・それにしても、おじ様は
相当、お強いのですね。」
この『特命』の長旅の間、オレたちは
遠い親戚を演じるために、二人きりの時でも
お互いに「おじ様」「ユンム」と呼び合うようにと
木下が決めたのだった。
「ん?あぁ、そのようだな。
しかし、東の停留場でも話していた通り、
あの民間警備隊の男よりも
オレは体力や筋力で劣るかもしれんがな。
いくら、身体能力が凄くても老体には違いないからな。」
食事の中に、見慣れない食べ物がある。
パンという食べ物が通常よりも赤い色になっている。
例の、レッサー名物の香辛料が使われているようだ。
パンの香りに混じって、辛そうな刺激臭がある。
木下は、何食わぬ顔で、その赤いパンを
自分の皿からオレの皿に置いた。
オレも黙って、それを受け入れて食べる。
うん、辛い・・・やはり、酒が欲しくなるな。
オレが食べ始めてから、木下も食べ始めた。
あとで分かったことだが、食事に毒が盛られていないか、
先にオレが食べるのを観察して判断したらしい。
赤いパンをくれたのも、計算の内らしい。
「さて、おじ様の身体能力を踏まえて・・・
今後の話をしたいと思います。」
木下が、真剣な目で見てくる。
まじめな話ということだ。
「おじ様は、どうやら、
まだまだ、私のことを『女性』として
意識しているようですが、
私は、おじ様のことを『男性』としては見ていません。
ウソの設定どおり、親戚のおじ様として見ています。」
どうやら、今後の話の最初に
「一部屋か、二部屋か」の問題について
話し合うようだ。
オレも、説教してやりたいと思っていた案件だ。
長旅の間、こうして宿に泊まるごとに
いがみ合っていては先が思いやられる。
そして、木下がオレのことを『男性』、
つまり『異性』として見ていないというのは
態度と言動で分かる。
こいつは、本当に『演技の設定』どおり
オレのことを遠い親戚として見ているのだろう。
・・・となると、問題はオレの認識だけなのか?




