足りない契約書
「はぁ・・・盛大に泣いてから、私に入れ替わるなんて。ずずっ。」
泣いていたクラリヌスが、その場にうずくまってから、
しばらく沈黙が続いたと思ったら、顔をあげたクラリヌスが
そう言いながら、鼻をすすり、ふらりと立ち上がって
ベッドのほうへとゆっくり歩いて戻った。
「ずずずずずっ・・・大変、お見苦しい所をお見せして申し訳ありません。」
そう言って、ベッドに備えてあった布で涙や鼻水を拭った、クラリヌス。
いや、目以外は包帯で覆われているため、鼻水はうまく拭えないようだ。
少し赤い目が、困っているように見えた。
口調からして、また人格が変わったようだ。
寝ていたわけじゃないのに、人格が変わってしまうとは。
いったい、何がきっかけでクラリヌスの人格が変わってしまうのか、
もはや分からない。
「見苦しくなんて、ありません。ずずずっ。
クラリヌスさぁん・・・うぅぅぅ・・・。」
クラリヌスのほうは人格が変わってから、落ち着きを取り戻したようだが、
こちらの女性陣たちは、まだ泣き止んでいなかった。
特に木下はまだ泣いている。
自分の腰の布袋から布を取り出して、
涙から鼻水から拭き取っているようだが、一枚の布では足りないぐらいだ。
「ずずっ、ありがとうございます。」
布で鼻のあたりをおさえながら、クラリヌスが答える。
その声は、もう涙声ではなく、普通の声だ。
「はぁ。面会時間が限られているので、お話を進めさせていただきます。
私からの依頼は、達成していただけたようで、まずはお礼を。
みなさん、ありがとうございました。」
そう言って、ベッドに腰かけたまま、
クラリヌスは頭を下げた。
「あ、あー、では、私はこれで・・・。」
それまで装置の点検をしていた、あの医者が退室しようとした。
おそらく、装置の点検は建前で、泣きすぎているクラリヌスの体調が
心配だったから、泣き止むのを待っていたようだが、
クラリヌスが個人的な話をし始めているので、
この部屋から出て行こうとしている。
「お待ちください、ヴィクトワル医師。」
「え!?」
「そこに『呪いの紋章』の契約書があります。
そうですね、佐藤さん?」
「あ、あぁ!」
突然、名前を呼ばれて驚いたが、
オレは言われるままに、手に持っていた契約書の束を
医者に見せるようにした。
医者がそばに寄って来て、真剣に契約書を見ている。
「おぉ・・・おぉ・・・これが数百年前の契約書・・・!
まさに奇跡・・・おぉ・・・!」
どうやら、この医者も木下と同じで
歴史的に価値のありそうなものに興味津々らしい。
「私は、今、ここで契約書を焼却してもらおうと思っています。
ヴィクトワル医師に、それをお願いしたいのですが、
よろしいですか?」
「そ、そうだね・・・『呪いの紋章』の解呪だね。
分かった。歴史を燃やすようで気が引けるが・・・、
いや、『エルフのキミ』を救うことが最優先だ。今、準備をしよう。」
クラリヌスは医者に『呪いの紋章』の契約書を焼却させるらしい。
たしか、契約書さえ燃やしてしまえば、
体に付いている『呪いの紋章』の跡も消えるらしいが、
人によっては、その際に体調を崩してしまう者もいるという話だったな。
この医者に任せた方が、たしかに安心だ。
医者が、すぐに部屋の隅っこにある棚から、
医療器具のような物を取り出し始めた。
「あ、その前に、まだ報告してないことがあるんだが・・・。」
言いにくい内容だから、オレは少し言いづらそうに言う。
「なにか?」
「あー、そのー・・・。」
「じつは、ここにある契約書は、6枚だけなのです。」
「えぇ!?」
言いにくそうにしていたオレに代わって、
木下がさらっと答えてしまった。
その答えを聞いたクラリヌスが意外そうな声をあげた。
「・・・そうですか。7枚、無かったのですね・・・。」
「う・・・すまん。」
オレは申し訳なくなって、謝った。
もちろん、真面目にニュシェといっしょに探したから
こちらに落ち度があるというわけではないが、
あの広場を、隈なく探して来たか?というと
オレ自身、断言できない。
「いえ、あなたのせいではないでしょう。
元々、この胸の、呪いの契約書一枚さえ見つかればいいと思っていたわけですし。
それよりも、どの呪いの契約書が無いのかが知りたいです。」
クラリヌスは、そう言ってオレを責めなかった。
ホッとしつつも、クラリヌスの冷静さに驚く。
『エルフ』という種族は、みんな、こんな感じなのか?
それとも、クラリヌスだけが特別に冷静なのか?
「準備が出来た。それは私が確認しよう。」
水みたいな透明の液体が入っている医療用の四角い器を
あの医者が持ってきた。
そして、そう言ってオレから契約書の束を受け取った。
6枚だけの契約書の束を、ペラペラとめくって、
「ふむ・・・ここにあるのは、『体力微力回復』と・・・
『能力弱体化』・・・と、『強制発情』、『強制避妊』と・・・
『魔力消耗』と、最後に『発声無効』だけだね。」
医者は、そう言った。
6つの呪い・・・。ここに無い呪いというのは?
「・・・『魔法発動無効』の契約書がないのですね。」
クラリヌスが静かに言った。
「ま、『魔法発動無効』というのは、魔法を詠唱しても
魔法が発動しない呪いですか?」
「そうですね。魔法が発動しないのに、詠唱してしまえば、
その魔法分の魔力だけが消費されてしまう。そういう呪いです。」
木下の質問に答えたクラリヌスだが、
答えた後に「ふぅ」と小さく息を吐いた。
「大丈夫かね? 『エルフのキミ』?」
「はい・・・大丈夫です。
当時のことを思い出そうとして、少し気分が悪くなっただけです。」
「今のキミは、栄養が不足している状態で、
起きているだけで体力を消耗してしまうからね。
奇跡的に動けているとしても、無理はしない方がいい。
できれば、一定の体力を取り戻すまで、
この契約書の焼却を延期することを勧めるがね。」
過去の出来事を思い出すだけでも、クラリヌスには負担が大きいようだ。
そんな状態で、契約書を焼却して体調が崩れないか、
医者は、それを心配しているようだ。
「いいえ、これ以上、呪いで生命力を削られてしまえば、
私の命と体は、あっという間に土へと還ってしまうでしょう。
呪いで生きながらえても、本当に動けない年齢の体になってしまっては、
私の願いが叶わなくなってしまいます。」
「願い?」
「はい・・・私の願いは、故郷に帰ることです。」
初めて聞く、クラリヌスの願い。
医者は、それ以上、何も言えなくなったようだ。
『エルフ』は長寿と聞くが、いったい、いくつまで生きられるのか?
発見した時は、ミイラ化する手前だったが、
動けないほどの老体になる年齢は、いくつなのか?
500歳も生きられないオレたち人間には、想像もできない。
しかし、老体となってしまえば、いよいよ本当に
一人では歩けなくなってしまうだろう。
そうなってしまったら、クラリヌスの願いは叶わない。
「故郷・・・大森林『エルフィン・ラコヴィーナ』・・・。」
「そうです。今すぐ、エギーの遺骨を土へ還してあげたいけれど、
私たちにとって辛い思い出の、この帝国の土には、
私もエギーも還りたくないです。土に還るなら、やはり・・・
故郷の土に還りたいと思っています。」
木下のつぶやくような言葉に、クラリヌスはそう答える。
土に還る、か。
おそらく『エルフ』特有の考え方なのか、宗教の思想なのだろう。
たぶん『土葬』のことだろうから、
オレたち人間と変わらないか。
「ヴィクトワル先生・・・。」
心配そうな声で木下が、何かを言いかけたが、
「分かったよ。
元々、私たち医者には、治療するチカラはあっても、
治療する決定権はない。治療は、患者の意志ひとつで決定する。
7つの呪いを受けて、なお、今日まで生きてきたという
奇跡を起こした『エルフのキミ』の、その意志を尊重するよ。」
「ありがとうございます、ヴィクトワル医師。」
どうやら、医者はクラリヌスの言う通り、
今、ここで呪いの契約書を焼却してやるつもりらしい。
医者が、装置に近づき、何か操作したと思ったら、
ガシューーーー・・・
「おぉ・・・。」
何か空気が吹き抜けるような音がして、
筒状のガラスが地面の装置へと沈み込んでいった。
突然の装置の動きに、オレとシホが驚きの声を上げてしまっていた。
そうして医者がクラリヌスへ近づいて行って、
「では、今から呪いの契約書を焼却する。
キミたちは、この集中治療室から、しばらく出て行ってもらおうか。」
「なぜですか?」
「え?」
医者がオレたちを部屋の外へと促したのだが、
クラリヌスがそれを止めた。
「佐藤さんたちは、契約書を届けてくれた恩人です。
人払いは不要です。」
「あー、いや、そうではなくて・・・
『エルフのキミ』? これから、キミの全身の包帯を解いてだね・・・
『呪いの紋章』が消えるのを確認しながら、
この契約書を焼却するのだよ・・・。だから、そのぉ・・・。」
「!」
医者が言わんとする意味が分かった。
クラリヌスは、オレたちのことを恩人と思っていて、
退室させることが失礼だとか思っているのだろうが、
全身包帯でグルグル巻きにされているクラリヌスは、
今から、その全ての包帯を解かれてしまうのだ。
元々、衣服を身に付けていない。つまり、全裸・・・。
「面会の終了時間も迫っていることだしな。
俺たちは、ここで・・・。」
「いえいえ、まだ伝えたいこともあるので、
そのままでお待ちください。時間がもったいないならば、
焼却しながらも、お話しすることはできるでしょうから。」
「いやいやいやいや!」
シホが医者の言う通りに、それらしい理由をつけて
退室しようとしたのに、クラリヌスは気づいていないのか?
引き留められてしまう。
シホが首を振りながら、さっきから
黙って俯いているファロスの前に立ちはだかった。
ファロスに見せないようにしているようだが、
ファロスは自分から見ることは無いだろう。
「ふむ、私は医者だからね。患者の意志を尊重するよ。
これから行うことは、ただの医療行為だしね。
私にとっては、どうでもいいことでもある。
あとは・・・キミたちの判断に委ねるとしよう。
では、包帯を解いていくよ。」
「はい、お願いします。」
「!」
そう言うと医者は、クラリヌスの頭の方から包帯を解き始めた。
「せ、拙者、トトトトイレへ! これにて御免!」
「あ!」
バタン!
早口で、もごもごと言い出したと思ったら、
ファロスは全速力で部屋のドアから出て行った。
「あ、待てよ、ファロス!」
そんなファロスの様子が気になったのか、
呼び止めながら、シホも退室して行ってしまう。
残ったのは、オレと木下とニュシェ。
「では、オレたちも・・・。」
「退室されるなら、おじ様だけでどうぞ。」
「え!?」
「私は・・・歴史ある契約書の焼却がどんなものなのか、
最後まで見届けたいと思います。」
やんわりとみんなで退室しようと促すつもりだったのに、
木下に断られてしまった。オレと話している時も、
木下は医者の行動を注目している。
いや、歴史ある契約書も何も・・・
現代の契約書と機能は同じじゃないのか?
あんな呪いの契約書も、木下から見れば歴史的な価値があるというのか?
「あたしも・・・ここにいていいなら、
その、呪いって、どうやって解くのか、見ていたい。」
ニュシェは、契約書の焼却自体に興味があるようだ。
そう言われれば、オレも契約書が焼却されたら
体の紋章がどうなってしまうのか、本当に消えるのか、
興味がないわけではないが・・・。
いや、多分ダメだ。
発見した当初は、ミイラと変わりない裸体だったクラリヌスだが、
今のクラリヌスの体つきは、おそらく成人女性そのものだ。
全身包帯で覆いつくされていても、体の凹凸がはっきり分かる。
今のクラリヌスの裸体を見るわけにはいかない。
「では、オレはこれで・・・。」
「佐藤さんに、お願いがあります。」
「えぇ!?」
オレが出て行こうとした時に、クラリヌスに名指しで呼び止められてしまった。
見てはいけないと思っていたが、反射的にクラリヌスの方を見てしまった。
クラリヌスは、すでに顔の部分の包帯が解かれたところだった。
洞窟で発見した時、ミイラにしか見えなかったクラリヌスの顔は・・・
オレたち人間と変わらない、一人の女性の顔だった。
頭髪は、全て剃られていて丸坊主だが、
肌は透き通るように白く、瑞々(みずみず)しそうに見える。
右耳だけが長く尖っていて、
左耳はオレたちと同じように小さく怪我の跡がある。
窪んでいて虚ろだった目は、
しっかりと見開かれていて、発見した時よりも、はっきりと黄色の目が見えた。
首には、黒い入れ墨? いや、あれは『呪いの紋章』のひとつだろう。
成人した『エルフ』は男女ともに美形が多いと聞いていたが、
クラリヌスも例に漏れず、美形のようだ。
医者が体の方の包帯を解き始めていたから、
オレは慌てて下を向き、視線を外した。
正直、見てみたい気もしているが、絶対ダメだ。
このオレの様子をペリコ君が、どこからか見張っているに違いない。
・・・女房の怖い顔が目に浮かんだ。




