アグリオ・グルノ討伐戦
休憩後、オレたちは街道に沿いながら、街道から離れた雑木林の中を歩いて行った。
やがて、雑木林は、完全な深い森へと景色が変わる。
ここまで、木々が密集していると、潮風があまり吹いてこない。
潮の香りよりも、森林のニオイがする。
道なき道の坂道を歩いていくので、歩きにくい。
「はぁ・・・はぁ・・・。」
休憩時に、やっと息が整った木下だったが、
歩き始めて数分後には、また息が上がり始めている。
かくいうオレも、休憩して体力が回復したと思ったが、少しずつ疲れを感じている。
そんなオレの目の前を歩いているファロスは、順調に薪を集めている。
いきなり、たくさんの枝木を抱え込むのではなく、
1本ずつ、手頃な枝木を拾っていく。
そうすることで、自分への負荷を少しずつ上乗せしていっているようだ。
・・・やはり歳だな。
オレも20代、30代の頃なら、これぐらいのことで
息が上がることはなかったはずだ。
自分では、どうすることもできないことだが、
オレは、いつの間にか、なんとも言えない気持ちでファロスの背中を見ていた。
オレの隣りには、シホが歩いている。
オレの隣りというより、ファロスと並んで歩きたそうだが、
ファロスの足が速く、シホは並んで歩いていられないようだ。
それにしても、シホのやつ、やたらとファロスの周りをうろちょろしている気がする。
声をかけたり、かけなかったり。
このパーティーの新入りであるファロスを、
あいつなりに気遣って、世話しているつもりなのかもしれない。
ニュシェのほうは、周りの気配を探りつつ、
木下のために、食べられそうな野草を探している。
しかし、ニュシェが住んでいた村の周りにあった野草は、
このへんでは見かけないらしく、あまり多くは見つけられていない。
その時、気配を感じた!
「! ニュシェ、前方右側だ。」
「え!? ・・・うん!」
オレが気配に気づき、小声でニュシェに知らせる。
パーティー全員に緊張が走る。
オレは片手で口を塞ぎ、あがった息を抑える。
ニュシェは、すぐに弓矢を構えた。
なるべく音を立てない、その動作は、様になっている。
他のみんなは、なるべく気配を消すように静かに足を止める。
オレは、ニュシェとともに、ファロスより前へ出て、
足元に落ちていた手頃な小石を拾う。
ガサガサ・・・
ここからでは、少し分かりづらいが、
オレが気配を感じている前方右側・・・
こっちから30m先、草木が鬱蒼としている場所の、草木が不自然に揺れている。
あまり大きな気配ではない。小動物っぽい気配。
「今から投石で誘導する。相手が出てきたら射貫け。」
「う、うん!」
ヒュッ!
オレは、その揺れている草木よりも、向こう側へと小石を投げた!
コンッ
ガサガサガサガサガサッ!
小石が奥の木に当たり、その音に反応して、
草木から一匹の獣がこちら側へ飛び出してきた!
こげ茶色のブタのような、イノシシのような!
体長1mほどの小型の獣だ!
キュン!
ザシュッ!
「!」
獲物が姿を現したと同時に、ニュシェが矢を射るが、
小さいながらも素早い動きの獣!
ニュシェの矢は、頭ではなく背中に当たった!
それでも獣の逃げる速度は変わらない!
進路を変えて、森の奥へと走っていこうとする!
「ちっ!」
オレは、すかさず足元の地面から小石を拾い、
ビュン!
ドゴッ
「ブィィッィィィ!!」
今度は、思いっきり獣に向けて投げた!
小石は獣の胴体、脇腹に当たった!
明らかに、逃げ足が鈍った獣。
「ニュシェ!」
「うん!」
キュン!
ドシュッ!
オレが小石を投げている間に、2本目の矢を弓にかけていたニュシェが
間髪入れず、2本目を射る。
矢は今度こそ獣の側頭部を射貫いた。
獣は絶命したようだ。その場に倒れ、ピクリとも動かなくなった。
「ふぅ・・・ははっ!」
オレは思わず笑みがこぼれた。
「おじさん! やったよ!」
「あぁ、よくやった、ニュシェ!」
嬉しそうな笑顔を見せるニュシェ。
2人で、倒れた獣の近くへ駆け寄った。
獣は、ブタではなくイノシシのようだ。下顎から少し大きな牙2本が突き出ている。
ニュシェの矢が刺さった背中と側頭部からは、赤い血を流している。
間違いなく、普通の獣だ。
「おぉ、イノシシじゃねぇか! よかったー。ちゃんとした獣だ。
魔獣肉じゃなくて、普通の肉が食べられるー!」
後ろから駆け寄ってきたシホが大げさに喜んでいる。
「・・・。」
「ん? どうした、ファロス?」
そんな中、ファロスだけが、神妙な顔をしながらイノシシの死体を見ていた。
「い、いや・・・なんでもござらん。」
「そうか・・・。」
何もないと言っているが、何かあるという表情をしているファロス。
しかし、理由を聞いても本人が言わない以上、オレには知る由もない。
もしかして、イノシシの肉は嫌いなのか?
「ニュシェは、獣の下処理は出来るのか?」
「うん、あまりやったことはないけど、できると思う。」
「では、やってみてくれ。うまくいかない場合は、オレが指示を出そう。」
「うん、やってみる。」
そういうとニュシェは、新品のハンドアックスでイノシシの下処理を始めた。
まずは毛皮を剝いていく。
「・・・うっぷ!」
「おいおい、ユンム。」
たったそれだけを見て、木下は顔色が青くなり、
すぐに顔を背けて、吐きそうになっている。
お嬢様には刺激が強すぎたか。
そうしている間にも、ニュシェは手際よく処理していく。
今度は、イノシシの首をハンドアックスで切断している。
「あ、おじさん・・・血抜きなんだけど・・・。」
「ん? あぁ、そうだな。ニュシェの身長では難しいか。
オレがやるよ。」
「うん。」
オレは、そう言うと、イノシシの後ろ足を持ち上げる。
とたんに、逆さまになったイノシシの首の切り口から、ドボドボと大量の血が落ちていく。
全長1mくらいの小さな獣だが、肉付きがいいから、そこそこの重量だな。
おそらくニュシェのチカラなら、これぐらいの重量は
なんなく持ち上げるかもしれないが、身長が小さいため、
イノシシを高く持ち上げられないだろう。
「ニュシェ、今回はオレが血抜きしたが、
一人で血抜きできないぐらいの大きい獣なら、
少々、血が飛び散るが、一気に部位ごとに切り分けてしまったほうが
早く処理ができる場合もある。」
「そっか、そうだね。」
今後、ニュシェが一人でも処理できるように補足説明をしておいた。
しかし、ニュシェの様子からすると、
これは、すでに父親に教わったことがあるようだな。
うっかり頭蓋骨を割ってしまってから、
自分の身長では高く持ち上げられないことに気づいたのだろう。
「イノシシの血を抜きながら、すごい会話してるな。」
シホは、こういった場面には慣れていそうだが、
手で口元をおさえながら、見ている。
いや、鼻をおさえているのか。
どうやら獣の血のニオイが嫌いらしいな。
「しかし、シホ殿。
獣の肉は、しっかり血抜きをしておかねば臭みが残りますからな。」
「そりゃ分かるけど、かわいいニュシェが
気兼ねなく獣をさばいてる姿が、なんとも、ね・・・。」
ファロスとシホの会話を聞いていると、
シホの言いたい気持ちも、なんとなく分かった。
たしかに、こんな幼い少女が、顔色変えずに獣を狩って、
その死体を解体、処理する姿は、ちょっと・・・
普段のニュシェからは想像もできない姿だ。
しかし、ファロスの言う通り、これは大事なことで・・・。
ファロス・・・イノシシの肉が苦手ではないのか?
下処理についても分かっているようだし、
実際、やったこともあるようだが・・・。
ならば、さっきの表情は、なんだったのか?
オレはイノシシを、ずっと持ち上げながら、
ファロスの顔をちらりと見たが、今は普通の表情だ。
いや、イノシシじゃなくても、獣の下処理などは、
だいたい、みんな同じ方法だ。
要は、「ファロスはイノシシの肉が好きか?嫌いか?」だな。
今後もいっしょに旅を続けるなら、
ここで、ファロスに聞いておくべきかもしれない。
しかし、律儀なファロスのことだ。
ニュシェが、せっかく狩ってくれたイノシシを
本人の目の前で「嫌いだ」とか「食べたくない」とは答えられないかもしれない。
さりげなくファロスの食べ物の好みを聞くには・・・。
「おじさん、そろそろいいかも。」
「ん? あぁ、そうだな。そろそろだな。」
ニュシェに言われて、いつの間にか
イノシシの流血の勢いがなくなってきたことに気づく。
本来なら、逆さまに吊るして、数時間放置すれば、
完璧に血抜きできるわけだが、狩った直後の
現場での下処理に、そんな時間をかけていられない。
だいたいの血抜きが終われば、持ち運びやすいように早々に解体して、
この場を離れなければ・・・。
「ん!?」
「ど、どうしたの? おじさん?」
さっきまでイノシシがいた方角から、ゆっくり近づいてくる気配を感じた。
まだ距離は30m先だが、この動きは、もしかして・・・。
「いかがなされました? 佐藤殿?」
「ファロス、さっきイノシシがいた方角から、魔獣が近づいている。」
「んな!?」
「マジかよ!」
「ぅえぇ!?」
オレの報告に、一同が驚きの声を上げてしまった。
特に・・・木下の情けない声が一番響いた気がする。
気配の近づいてくる速度が加速した! 気づかれた!
「っ! 間違いない、魔獣だ!
大きな気配1匹、こっちへ突進してきてる!
ファロス、やれるか!?」
「! 御意っ!」
オレの指示に、瞬時にファロスの目つきが変わる。
素早く、スラリと『刀』を鞘から抜いた。
オレが言った方角に向けて、駆け出すファロス。
オレも、イノシシの死体をその場に放り出して、剣の柄に手をかける。
「ユンム、シホ、魔法で防御だ!
ニュシェは状況に応じて、それぞれ援護を頼む!」
「は、はい!」
女性陣3人は、オレたちより後ろに下がって身構える。
木下とシホの魔法詠唱が始まり、2人の魔力が上がり始めた。
ニュシェは、弓矢を軽く構え始める。
「!!」
ガサガサガサガサッ
ドドドドドドドッ
気配が、15m先に迫っている!
草木が生い茂っている中、道なき道を、
まっすぐ、こちらへ突進してきている!
4足走行の地響きを感じるくらい、近づいてきた! 巨体だ!
気配が集団ではないし、動きが直線的だから、
おそらく『ゴリラタイプ』ではない。
この国に出没するという、もうひとつのタイプの魔獣だ。
「本当に来た!」
ドゴォン! バキバキバキィ!
ファロスも気配を感じたのだろう。
その瞬間、ファロスの前方、10m先の大きな木がなぎ倒されて、
その後ろから、気配の主が、黒い巨体が姿を現した!
獣の血のニオイに誘われてきたのだろう。
まっすぐ、こちらへ突進してきている!
「ブモキィィ!!」
「イノシシ!?」
ブタと似た鳴き声をあげながら、猛然と向かってくる黒い巨体!
黄色い目でファロスを睨む! 下顎から4本の太い牙が突き出している!
10mの距離など、あっという間だ!
ドドドドドドドドドッ
「はぁ!!」
ザシュン!!
魔獣の突進が、ファロスの間合いに入った瞬間!
ファロスが、素早く横一文字に切りつけたのは、魔獣の右前足1本!
太い丸太のような足を見事に切断した!
黒い血の飛沫が飛ぶ!
ちょうど前へ踏み込んでいた右前足を失って、
大きく体勢を崩す魔獣だが、勢いが止まらない!
「ふぅ! はっ!」
ズバァァァ!!
「ブッキ!」
ファロスは、そのまま続けて、魔獣の顔を顎から頭まで斬り上げた!
顔面から頭まで、真っ黒い血が噴き出す!
ドスン! ドドドドドッ!
魔獣はおそらく絶命しただろうが、
制御を失った巨体が、勢いよく転がってきている!
ファロスは、斬った勢いのまま魔獣の体を飛び越えた!
「「シルフ・シールドォー!!」」
その時、オレの後ろで、木下とシホの魔法が発動した!
2人の『重ね掛け』した風の防御魔法!
これなら、オレの背後は、もう安心だ。
「佐藤殿!」
「大丈夫だ!」
ファロスが声をかけてくれたが、心配には及ばない。
魔獣の巨体が目前に迫ってきた。勢いよく転がってくる。
「すぅ、はぁぁぁーーー!」
ズバァァァ!
オレは、迫ってきた魔獣の胴体を、一刀両断に斬り上げた!
オレもファロスのように、そのまま魔獣の体を飛び越える。
「わわわっ!」
「きゃぁ!」
ドッスン!
真っ二つになった胴体が、木下たちの魔法の壁にぶつかった。
風の防御魔法で作られた半透明に光っている緑色の壁に、
魔獣の真っ黒い血が降りかかる。
それでも、ビクともしない魔法の壁。
あの『クマタイプ』の突進でも、シホだけの魔法の壁で防げるほどだから、
2人の『重ね掛け』の壁なら、これぐらい問題ないだろうな。
「ぶ、無事ござるか?」
「あぁ、大丈夫だ。」
「ありがとうございます、ファロスさん。」
ファロスが、すぐに木下とシホの元へ駆け寄った。
2人とも安全が確保できたので、防御魔法を解いていた。
途端に、魔法の壁にかかっていた魔獣の血が、地に落ちる。
ボタボタボタタタタッ
その様子を見て、しかめっ面のシホ。
ニオイに敏感なやつだな。
オレは周りの気配に集中してみたが、
ほかの気配を感じることはなかった。
どうやら、この魔獣は単体で行動していたようだ。
ビュン! ビシャァァ!
オレとファロスが、おのおの、剣と『刀』に付いた血を振り払う。
地面に勢いよく、黒い血が落ちる。
改めて魔獣の死体を見てみた。
胴体が真っ二つになってしまったが、
だいたい全長10mほどありそうだ。
大きな牙が4本。頭の部分の皮がやたらとゴツゴツしていて堅そうだ。
「それにしても、あの一瞬で、よく対応できたなぁ。」
オレは剣を鞘に納めながら、ファロスを褒めてみたが、
「いえ、佐藤殿には及びませぬ。
それよりも・・・。」
「ん?」
「先ほどのイノシシといい、この魔獣といい・・・
佐藤殿は、どこまで気配を感じ取っているでござるか?」
「んー、たぶん、30mほどだが・・・。」
「30m・・・!」
ファロスの質問に、気軽に答えてみたが、ファロスは驚きの表情になった。
ふと木下を見れば、少し怖い顔で首を横に振っている。
あぁ、そうか・・・オレの索敵の範囲は『ソール王国』出身者ゆえの・・・。
しかし、すでに言ってしまったものは、どうしようもない。
「あぁ、その、なんだ・・・食材が増えたな! はっはっは!」
オレは、その場しのぎに、魔獣の死体を指さして、笑ってごまかそうと思ったのだが、
「誰が魔獣肉なんか食べるかって!」
「食べません!」
「あたしも、それはイヤかな・・・。」
女性陣3人に嫌がられてしまった。




