村長の言付け
シホが老婆から鍋を受け取ったところで、
オレのところにまで美味しそうなニオイが漂ってきた。
さっきから腹を鳴らしていたニュシェが
嗅ぎとっていたのは、このニオイだったのだろう。
なんとも食欲をそそるニオイだ。
「うまそー!」
「わぁぁ・・・。」
鍋のフタを開け、中を覗き込んで、シホとニュシェが歓喜の声を上げる。
フタを開けた途端に、湯気がもくもくと立ち昇っていた。
久々に、温かい食事にありつけそうだ。
「・・・。」
老婆は、鍋をシホに渡した後、
ほんの少し、扉の前で立ち止まっていたが、
やがて、また階段へと歩き出した。
「え・・・ちょっと、イルばぁ?」
「あ・・・。」
シホが、去っていく老婆を見て、声をかけた。
木下やニュシェは、意外そうな表情で老婆を見ている。
老婆が、鉄格子の扉を閉めずに、立ち去ろうとしているからだ。
「・・・。」
ただの閉め忘れ・・・ではないだろう。
鉄格子の扉には、老婆が使ったカギが挿し込まれたままになっていて
そのカギから、カギの束がぶら下がっている。
老婆は、階段の下まで歩いてから、
こちらへ振り返り、
「うちの特製アブリスープじゃ。
冷めないうちにお食べ・・・。
今日、持ってくる食事は、それが最後じゃ。
あとは・・・そこで、どれだけ待っていても、
食事を持ってくることは無いでの。」
そう言った。
「ま、待てよ、イルばぁ!
俺たちは、シャンディーと約束をして・・・!」
慌ててシホが、そう言いかけたが、
老婆は、シホの言い分を聞かずに自分の話を続けた。
「それから、ここの突き当たりの部屋に
あんたらの荷物がそのまま置いてある。
・・・そこの男には、これを飲ませれば、歩けるぐらいに回復するじゃろ。」
コトン
そう言って、老婆は、懐から小瓶を取り出して、階段の2段上に置いた。
寝転がっているオレからは見づらいが、
おそらく、回復用の薬だろう。
「イ、イルばぁ!」
「・・・お嬢の背中を押してくれて、ありがとう。」
「・・・!」
老婆がお礼を言い出した。
あの年老いた男と同じように、お礼を言われるとは・・・。
「あの子は、昔から負けん気が強くて、家族思いで・・・
だからこそ、本当は、すぐにでも『シラナミ』様を討伐しようと考えていたのに、
ギルじぃに説得されて、ずっと我慢しておったようじゃ。
じゃが、このままの生活を続けておっても、
きっと長く続かなかっただろうよ。
じゃから、いいタイミングで背中を押してくれたと思っとるよ。」
「・・・。」
話を聞いていると、あの村長は、
家族思いで、仲間思いで、お年寄りの言うことを聞く、
とても良い子という印象になる。
対面していると、そう思えなかったが。
「じゃが・・・あんたたちには、悪い事をしたと思っとるし、
お嬢の背中を押してくれたことには感謝しとるけど・・・
そこの男に仲間を殺されたことは、まだ根に持っとる。」
「!」
穏やかな声の老婆。声のトーンに変化はないが、
その言葉は、とても重く感じた。
シホたちには、きつい言葉だったようだ。声も出ない。
「たとえ、お嬢が無事に『シラナミ』様を倒して帰ってきても、
そこの男に復讐する仲間たちがおるじゃろ。
さっきの約束とやらも、お嬢が約束しただけで、
ほかの男たちは、約束をしとらんからのぉ・・・。」
「そんな・・・!」
老婆の話を聞いて、シホが青ざめ始めている。
約束が違う・・・と言いたいところだが、老婆の言う通りだった。
オレと賭けの約束をしたのは、あの村長だけだ。
賭けに勝とうが負けようが、ほかの海賊たちは関係ない。
仲間の復讐をしようとする海賊たちを
あの村長は止めないだろう。
「・・・『俺たちが戻る前に消えろ』・・・
これは、村長の命令じゃ。」
「・・・!」
カツン・・・ カツン・・・
そう言い残して、老婆は階段を登り始めた。
老婆の言葉が本当ならば、
あの村長は、シホの真面目な性格も見抜いていて、
村に残った老婆に、そう言付けていたのか。
シホは、老婆が去っていったあとも、
しばらく階段を見ていたが・・・
キュルルルル・・・
「ぁうっ!」
鍋を覗いていたニュシェの腹の音がはっきり聞こえて、
ニュシェが恥ずかしそうに腹を手でおさえている。
空腹時に、美味しそうな料理が目の前にあれば、
当然、誰でも腹が鳴るというものだ。
「・・・シホさん、とりあえず、
扉に挿してあるカギ束を取ってきてくれませんか?
たぶん、あれの中に、私たちの手錠のカギがあると思うので。
それから、せっかくの食事なので温かいうちに、みんなで食べましょう。」
木下が、シホにそう言った。
シホは階段を見つめながら、何か考えていたようだった。
あの村長が、初めから約束を守ろうとしなかったことに
傷ついたのだろうか。
それとも、別の、なにか思うところがあったのだろうか。
「・・・。」
静かに立ち上がって、木下の言う通りに
鉄格子の扉へと歩き出したシホの横顔を見ていても、
その表情からは、何も読み取れなかった。




