おっさんの旅支度
「ただいま・・・。」
自宅へ帰ったら、
とりあえず、この言葉を言ってしまう。
当たり前の日課になっている。
女房がいてもいなくても
いつも返事は返ってこないわけだが、
今日は、家に誰もいない。
しーんと静まり返る家の中。
今日はさっさと体を休めたいが、
明日からの長旅のための準備を
終わらせておかないと、一度眠ってしまったら
朝まで起きれないと思われる。
それほどに、今日は、なんだか疲れた。
鎧と剣を外して、ラフな格好になってから
まずは必要な服装からバッグに詰め込んでいく。
ふと、女房がいたソファーを見つめる。
今日は、ここに来た痕跡がないから、
実家へ帰ったっきりなんだな。
出発前に、お互いに冷静になって
話し合いがしたかったのだが・・・。
テーブルに置かれた手紙と書類が
視界に入る。
『離婚届』も『生命保険』も、まだ白紙だ。
どちらに必要事項を記入するか・・・
どちらに判を押すか・・・
もう『特命』を受けてしまったのだから、
どちらを選ぶかは決定しているはずだが・・・
自分の中にまだ迷いがあった。
それらを見ないようにして、
オレはまた準備を再開した。
子供たちの部屋を、チラリと見たが、
テーブルとイス以外、なにも置かれていない。
がらんとした部屋だ。
あいつらが出て行って、もう数年。
女房と二人だけで生活するには広い家になっていた。
オレが定年退職したあとは、
もうすこし、こじんまりとした家に
移れればいいかなと、ぼんやり思っていたが・・・。
女房も出て行って・・・
これからしばらく、オレも出ていくから・・・
本当に、この家は、もう
その役割を果たしきったのだなと感じる。
服装や必需品の準備は、
あっさり終わった。
春夏秋冬の季節に合った服装なんて
持って行けるわけじゃないから、
その土地、その季節に合った服を
現地で調達し、不要な服は捨てていくスタイルでいかないと、
服は、長旅では一番の荷物になる。
次に、装備だが・・・
王国から支給されていた鎧は
耐久性があるが、見栄えを良くするための
無駄な装飾がほどこされているだけに
少々、重量がある。
なので、戦闘向きというわけではない。
自前の鎧は、軽量だが、
その分、耐久性が低い。
それに、かなり古くて、いつ壊れてもおかしくない。
定年退職が近かったから、
新しく買おうなんて思っていなかったから
持っている鎧は、これだけだ。
「やっぱり昼間のうちに買えばよかったかなぁ。」
夕方、市場で見かけた
動きやすそうな新品の鎧を思い出す。
しかし、もう明朝には出発だ。
店が開くまで待つ時間はない。
すこし悩んだが、使い古した自前の鎧を
装備していくことにした。
王国の物は頑丈であっても、動きづらければ役に立たない。
このソール王国の領地内には、
敵と呼べるモノはいないはずだから、
次の国へ行ってから、そこの村か町で
装備を買うことにする。
剣のほうは、おいそれと買えるものではない。
王国から支給された剣を使用するつもりだったが・・・。
ふと、人事室の村上から渡された
今回の『特命』に関する『注意事項』の資料を
思い出し、もう一度開いてみた。
そこには
「ソール王国の隊員として、王国の名を穢す行動を慎むべし。」
と書いてあり、その下に
「ただし、特命遂行中は、特命のことを秘匿とし、
王国の名を控えつつ、行動すべし。」
と書いてある・・・。
つまり、今回のバカげた『特命』を
他国に知られないように行動しろってことだ。
そりゃそうだろうな。
『特命』の真相を話せば、
王国の名を穢すことになってしまうからな。
そうなると・・・
王国から支給された剣も鎧も
『ソール王国』の刻印が施されていて
目立ってしまうため・・・
やはり、支給品は装備していけないことになる。
そうか、鎧も、初めから
自前の鎧を着て行くという選択しかなかったわけだ。
マントも、刻印が入っているからダメだな。
マント自体、防御力は皆無だし
戦闘になれば、すぐに破けるし、旅には不向きだ。
物置となっている部屋の奥から
ホコリがかぶっている剣を取り出した。
なんとも、年季が入っているというか・・・
古すぎる剣だ。
たしか、オレが大学を卒業した際に
父親から譲り受けた剣だ。
あまり詳しく聞かなかったが、
この剣は、代々受け継がれていたのか?
だとすれば、本来は、
息子の直人が大学を卒業した際に
これを渡さなければならなかったのかもしれない。
しかし、直人は『騎士』にはならなかったし、
今は、こうして家にあったことがありがたい。
渡していれば、オレは丸腰で
出発しなければならないところだった。
剣にかぶったホコリを丁寧に拭く。
それから、剣を鞘から抜いてみた。
キィン・・・
その刀身は、びっくりするほど、
キレイだった・・・。
ぜんぜん手入れしていないのに。
錆無し、刃こぼれ無し。
刃渡りは約90cm。
保管していた場所というか、放置していた場所が
たまたま良い環境だったということか。
これがご先祖様たちのおかげならば、
感謝しておかなきゃな。
ご先祖様の遺影がならんでいる棚に向かって、
オレは一礼した。
ただ、この剣は一度も使ったことが無いから
切れ味や耐久性がよく分からない。
長旅に耐えうる強度があればいいが。
戦闘になった時に、途中で折れないことを祈ろう。




