ニュシェの叶わぬ夢
オレは、女性店員に事情説明を受けた後、
さらに数枚のタオルを用意してもらい、
それを木下の体に巻き付けて、木下を背負って、2階の宿泊部屋へ運んだ。
・・・もちろん、背中に柔らかいものを感じたが、
これぐらいの役得があってもいいと思う。
シホのほうは意識があるが、自分で歩ける状態ではなく、
こちらも、タオルを体に巻き付けて、
オレが背負って、部屋まで運んだ。
・・・背中には、ほんのり柔らかいものを感じた。
これは、これで・・・ありがたく受け取っておこう。
オレとニュシェは店員たちに、何度も頭を下げた。
意識が朦朧としているシホが言うには、
2人とも、のぼせてしまったらしい・・・。
美容効果のある、例の『熱泉』の風呂へ入り、
欲をかいて、効果を実感できるまで入り続けたらしい。
途中からは「どちらが先に上がってしまうか?」という
我慢比べに発展し・・・気づけば、木下の意識がなくなり、
風呂の底へ沈み始めたため、シホがなんとか救出・・・。
運悪く、ほかに女性客がおらず。
そのあと、シホはフラフラになりながら、
濡れた体のまま、なんとか服を着て、
店員たちがいる受付へ助けを求めて、ずりずりと這って行ったらしい・・・。
アホの極みである。
「はぁぁぁぁ・・・情けない・・・。」
2人とも、部屋のベッドへ寝かせ、
2人の着替えを、ニュシェに任せた。
その間、オレは1人、部屋から出て、
もう一度1階の受付へ行き、店員たちへ迷惑をかけたことを謝罪した。
今は、1階の休憩の場で、イスに腰かけて
シホから聞いた話を思い出して、溜め息をついている。
・・・なんにしても、命に別条がなくてよかった。
『ヒトカリ』で出会った傭兵のことを
木下たちに伝えて相談したかったのだが、今はやむを得ない。
相談したところで、「警戒して行動する」という結論しか出ないだろう。
得体の知れない傭兵か・・・。
敵なのか、ただの通りすがりの男なのか。
できれば、もう会いたくないなぁ。
じゅうぶん時間をかけてから、部屋へ戻れば、
ニュシェは2人の着替えを済ませて、休んでいた。
冷たい水を飲み、冷たい濡れたタオルを
頭に乗せて寝ている木下とシホは、
まだ顔が赤いが、かなりラクになったような表情に見えた。
木下は、着替え中に一度、意識を取り戻したようだが、
ニュシェに寝かしつけられて、また静かに眠ったようだ。
むしろ、ニュシェのほうが、顔色が悪い。
オレも同じ顔色をしているのだろう。
ぞくぞくする気持ち悪い感覚が、ずっとある。
今夜は、この状態のまま、この宿屋で寝なければならないとは・・・。
ニュシェと2人だけで、ここを出て、
野宿したほうが安眠できるだろうなぁ・・・。
その後、夕食の時間になって
シホが、ばっちり目を覚まして食べに行こうとしたが、
やはり足元がおぼつかなかったため、
オレたちが食べ物を部屋へ持ち帰ることを約束して寝かしつけた。
『湯あたり』という症状は、頭痛や吐き気がして食欲も失せるはずだが、
シホのやつは・・・それだけ回復できたのか、
それとも、ただ食い意地があるだけか。
ニュシェとオレだけで、食堂で夕食を食べた。
食堂は、超満員だった。
席を確保するのに時間がかかり、注文するだけでも、また時間がかかった。
こんなところに長居は無用と感じ、
オレたち2人は、さっさと食べて、部屋へ食べ物を持ち帰った。
シホは、食べ物を食べるだけ食べて、
また、すぐに寝てしまった・・・。
食べている姿を見ると、もう回復したのでは?と感じるが、
食べた後でも、頭がフラフラしていたから、
まだまだ、めまいがするようだ。
木下のほうは、まだ眠り続けている。
顔色は、かなり良くなっている気がするので、
2人とも回復に向かっているようだ。
さて、あとは、夜の『ベッド問題』・・・。
この部屋のベッド2台が、
のぼせてしまった木下とシホに使われている。
具合が悪い者たちを優先するのは当然だから、
仕方ないとして・・・さて、どうしたものか・・・。
「あたしは、床で寝ても平気だよ。」
顔色が悪い状態で、ニュシェが、そう言うが・・・。
「この宿屋の中で寝るわけだから、どこで寝ても
気持ち悪いのは変わらないと思うが、
それでも、床で寝るのは良くないな。
木下なら大丈夫そうだから、
ニュシェは、き、ユンムといっしょに寝てくれ。」
オレは、そう言ってニュシェを説得した。
「でも、おじさんは?」
「オレは、床で・・・。」
「だったら、あたしも。」
「いやいやいやいや・・・。」
ニュシェと同じ状態のオレを、
心配してくれているのだろうが、
今のオレは、本当に、どこで寝ても変わらないと思うから
こんなことで、言い合うのが不毛に感じる。
しかし、ニュシェは本気で心配してくれていて、
なかなかオレを床で寝かせようとしない。
頑固者め・・・。
「わ、分かった。分かったから。
今夜は床で寝ず、シホといっしょに寝るから・・・。」
「本当?」
困ったオレは、そうウソをついた。
「あぁ、本当だ。
だから、ニュシェはユンムと寝てくれ。な?」
「そういうことなら・・・分かった。」
やっと、ニュシェの説得に成功したのだった。
・・・こいつが寝たら、床で寝よう。
明日の朝は、早めに起きるか、
ベッドから落ちたことにすればいい。
そういう、ウソの言い訳を考えながらも・・・
ニュシェに対して、つまらないウソをついてしまっていることに、
少し胸が痛んだ。
ニュシェには、今夜は『熱泉』に入るのを諦めさせた。
木下たちと入れればよかったが、
いつ命が狙われるか分からないと考えると、
1人で風呂に行かせるのは、ちょっと怖いと感じたからだ。
ニュシェがのぼせることはないと思うが、
何かあっても「女」と書かれた風呂場へは、
オレは助けに行けないから。
「ニュシェは、先に寝ててくれ。
オレは、もう少し経ったら、風呂へ行ってみる。」
たしか、木下が昼間に言っていた。
この気持ち悪い感覚も、『熱泉』へ入れば
体が慣れて、良くなるかもしれないと。
ニュシェには悪いが、オレが先に風呂へ入って、
本当に、風呂に入っただけで、
この気持ち悪さが改善されるかどうかを試したい。
本当なら、あとは寝るだけだし、
昼間、汗をかいたから、今すぐにでも入りたかったが、
夕食時の食堂の様子からすると、
きっと風呂場も今の時間は満員のはずだ。
木下が言うには、風呂は24時間入れると言っていたので、
もう少し夜が更けてから、入ろうと思った。
しばらくして、ニュシェが木下の隣りへ寝転がり、
オレは風呂へ入る準備をしはじめた。
「おじさん。」
「なんだ?」
「『熱泉』に入ったら、体調が治ったらいいね。」
ニュシェが、準備をしているオレの背中へ向けて、そんなことを言う。
自分も気分が悪いままなのに、他人を気遣うとは健気なやつだ。
「そうだな。オレが治るなら、
ニュシェも風呂に入れば治るってことだろう。
そうなったら、ニュシェは明日の朝、みんなで入ればいい。
本当に、治るといいな。」
「うん。」
寝転がっただけでは、気分の悪さは治らないが、
それでも眠気には勝てないらしく、
ニュシェの目が、だんだん細くなってきた。
「おじさん・・・。」
「なんだ?」
「あたしね・・・今日、おじさんとお出かけできて、楽しかったんだ。」
「そうか。情報収集だけで帰ってきてしまったから、
短い時間だったが、そんなことなら買い物もしてきたらよかったな。」
「ううん、いいの・・・。
おじさんと手を繋いで、並んで歩けるだけで・・・いいの。」
「そ、そうか。」
たったそれだけのことで、短時間だったけど、
楽しんでくれたなら、よかった。
「あたし・・・ずっと小さな村の中しか知らなかったから・・・。
いつか、どこか・・・知らない町を・・・明るい空の下で、隠れることなく・・・
お父さんとお母さんと、3人でお出かけしたかったんだぁ・・・。」
「・・・!」
オレは、思わず、準備する手を止めて、
ニュシェの顔を見た。
ニュシェは・・・とても幸せそうな表情で寝ていて・・・涙をこぼしていた。
「ありがと・・・おじさん・・・。
あたしの、夢・・・かなえてくれ、て・・・。」
そう、消え去りそうな声を出しながら、
ニュシェは目を閉じて、満足そうな顔で眠ってしまった。
思わず、目頭が熱くなり、鼻の奥がツーンとした。
「・・・ズズッ。
こちらこそ、ありがとう、ニュシェ・・・。
オレも叶わなかった夢が叶ったよ・・・。」
実の娘といっしょに出掛けることが無かったオレが・・・
もう二度と叶わないと思っていたことが、
ニュシェと出かけたことで、叶ったと感じる。
オレは、ニュシェの頭をさらさらと撫でた。
せめて寝ている間は、気持ち悪さを感じることなく眠れればいいな。
「おやすみ、ニュシェ・・・。
今日も一日、楽しかったな。」
オレは静かにそう告げて、1人、部屋を出ていった。




