悪寒が走る宿屋
「な、なぁ・・・もう、ここでいいんじゃないか?」
宿屋を巡ること、7軒目。
木下もシホもニュシェも、3人とも
宿屋に空室があるかどうかよりも、
例の美容効果がある『熱泉』があるかどうかを
聞いて回っている。
「ダメです。次を探します。」
せっかく空室があっても、目当ての『熱泉』がないと
次の宿屋を探し始めてしまうのだ。
そして、美容効果がある『熱泉』がある宿屋は、どこも満室。
木下たちが躍起になって探しているほど、
女性に人気があるようだ。
グルルル・・・
もう昼の時間が過ぎようとしている。腹の虫も鳴くわけだ。
坂道や階段が多い、この町・・・。
平坦な道はなく、常に勾配がある道ばかり。
荷物を持って、宿屋探しをするのも、いい加減、疲れてきた。
潮風は感じるが、海沿いの町にいた時より、涼しさを感じない。
気温も高くなり、歩き回って、汗をかいている・・・。
はぁ・・・早く休みたい。
「おい、さっきの宿屋で言われただろ。
『熱泉』がある宿屋は、この町だけじゃないって。」
何軒目かの宿屋で言われたことだ。
馬車で出会った商人も、たしか言っていた。
山側の町なら、『熱泉』がある宿屋が多いと。
だから、たとえ、この町でお目当ての
宿屋が見つからなかったとしても、
次の町で探せばいいのだ。機会はまだある。
「そう言って、次の町でも見つからなかったら、
どうするんですか?
次の次の町でも、見つからなかったら?
おじ様は、責任、とれるんですか?」
「うぅ・・・。」
そう言い返してきた、木下の目が本気だ。
女ってやつは、どうして
こんなに『美』に対して貪欲なのだろうか。
だいたい・・・
オレを労わってくれるんじゃなかったのか?
いたぶってどうする・・・。
さらに30分ぐらい歩き回って、
ようやく、木下たちの求めていた宿屋に辿り着いた。
オレたちの目の前には、
町の中でも、かなり奥のほう、山の高いほうに
建っている宿屋『フェイト・シー・ガル』があった。
ここだけ、周りに家やお店がない。
林の中に、ポツンと建っている感じだ。
なんとなく、趣があるというか。
しかし、なんだ、ここは・・・。
「ほ、本当に、ここへ入るのか?」
オレは、つい、そう聞いてしまっていた。
店の佇まいは、至って普通の宿屋だ。
むしろ、普通の宿屋よりも大きく、立派な建物だ。
それなのに・・・この宿屋からは、異様なモノを感じる。
入っては、いけないような・・・そんな空気が。
「どうしたんだよ、おっさん。
なにが気に入らないんだ?
それと、ニュシェ・・・大丈夫か?」
シホが、そう聞いてくる。
木下とシホの様子からすると、この宿屋に
異様な空気を感じ取っているのは、オレとニュシェだけのようだ。
「・・・なんか気持ち悪いよぉ・・・。」
ニュシェは、宿屋を見ながら、そう言った。
顔色が悪い。たぶん、オレも同じ顔色をしているだろう。
ニュシェの獣の耳が垂れ下がっている。
先に宿屋へ入り、空室があるかどうか
聞いてきた木下が、宿屋の出入り口から出てきた。
「部屋が空いてましたよ!
さぁ、早く入りましょう。
・・・どうして、入ってこないんですか?」
木下が、怪訝そうな表情を見せる。
いつもなら、4人でぞろぞろと宿屋へ入っていくところだが・・・
今回は、宿屋の前でオレとニュシェの足が止まり、
シホが不思議に思って、オレたちと一緒に立ち止まっていた。
木下だけがオレたちに構うことなく、先に宿屋へ入っていったわけだ。
「なんだか・・・気が乗らないというか・・・。」
オレは、自分が感じ取っているモノが、
自分自身、よく分からないから、説明に困ってしまった。
「おじ様、わがままを言わないでください。
美容効果のある『熱泉』が、この宿屋にはあり、
なおかつ、空室もあったのです。
もう、ここを逃す手はありません。」
木下が、早口で、まくしたててきた。
どっちが、わがままなんだか・・・。
そして、木下はオレとニュシェの手をとって、
ぐいぐいと宿屋のほうへ引っ張って歩いていく。
オレは抵抗することもできたが、抵抗せず、
引っ張られるがままに宿屋へと入った。
ニュシェも、顔色は悪いが、されるがままだった。
一階は、休憩できる広い空間があり、
椅子が置いてあったり、ソファーが置いてあったり。
休憩の広場の天井が高く、2階まで吹き抜けになっていて、
2階の窓からの日差しが、1階まで明るく照らしている。
その休憩の場から奥のほうに、二手に分かれるような入り口があり、
「男」「女」と書かれた暖簾が垂れ下がっている?
今まで入ったことがある宿屋とは、少し造りが違うようだ。
ゾワゾワゾワ・・・
「お、おじさん、大丈夫? 鳥肌、立ってるよ?」
ニュシェがオレの体を気遣ってくれる。
見れば、ニュシェも同じように鳥肌が立ち、
獣の耳は、ずっと垂れ下がっている。
自分も気分悪いくせに、オレの心配をしてくれるとは、
どこまでも優しい子だな。
「大丈夫だ・・・。ニュシェこそ、大丈夫か。」
「ん・・・なんとか。」
オレとニュシェは、
この宿屋に入った瞬間に、鳥肌が立ってしまった。
ニュシェは「大丈夫」とは言わなかったが、
作り笑顔をしてみせてくれた。なんとも健気だ。
鳥肌が立っているが、寒いわけじゃない。
背中に悪寒が走っている。
なんだ、この感覚は・・・!?
自分でも分からない。
風邪か?
ニュシェと同時に風邪をひいたのか?
木下とシホだけは、平気のようだ。
「んー・・・おじ様だけなら、ともかく、ニュシェちゃんまで・・・。
ごくまれに、ある種の魔鉱石のエネルギーに過剰反応する人がいるようですが、
もしかして、おじ様とニュシェちゃんは、
そういう体質なのかもしれませんね。」
オレたちの様子を見て、木下が、そう言った。
なるほど・・・オレは、今まで
いくつかの魔鉱石を見たことはあるが、こんなことは初めてだ。
おそらく、ニュシェにとっても初めての経験だろう。
数ある魔鉱石の中に、オレとニュシェの体が苦手とする魔鉱石があって、
その魔鉱石のエネルギーを含んだ『熱泉』が、
この宿屋にあるということなのだろうか・・・?
「でも、大丈夫ですよ。魔鉱石に直接触れるわけではないし、
そういう人でも、『熱泉』には、普通に入れるはずです。
『熱泉』に入って、体がおかしくなるなんて話は、
今まで聞いたことがないですし。
『熱泉』に入ってしまえば、そのうち慣れると思います。」
木下が、そう説明してくれる。
そういうものなのか?
「へぇ~、おっさんとニュシェは敏感肌ってやつか。」
シホが、そんなことを言うが、
この場合、敏感肌とは違う気がする。
「私たちが宿泊する部屋は2階で、
食堂も2階にあるそうです。行きましょう。」
まだ、背中がゾクゾクしているが、
木下に、そう促されて、
オレたちは2階への階段を登り始めた。
なんだか、2階へ上がった瞬間に、また
一段と気持ち悪くなった気がするが・・・。
今回も、一部屋しか空いてなかったようだ。
しかし、部屋は広く、ベッドが2台あった。
それだけでも、ありがたいが・・・
この宿屋では、一部屋につき宿泊料金が発生するのではなく、
1人に付き宿泊料金が発生する仕組みだった。
なかなかいい値段だ。
だから、どうせなら、もう一部屋空いていたほうが、
オレとしてはありがたかったのだが、泊まれるだけマシか。
部屋には、大きな窓があり、その窓から外を覗けば・・・
「わー、ここからも海が見えるね!」
まだ顔色が悪いニュシェだが、窓を開いて、
明るい声でそう言った。
宿屋の周りに、林があるが、
その木々よりも高い場所に、この部屋があるのだろう。
遠くの海が一望できた。たしかに絶景だ。
オレもニュシェの隣りに立ち、窓からの風に当たる。
風に当たっていると、少し気分がラクになるのを感じた。
ニュシェが明るい声を出せたのも納得できた。
「へぇ~、この丸くて白い紙の箱、なんだろって思ったら、
ランプだったよ。こんなランプもあるんだな。」
シホが、そう言って、部屋の壁に備え付けられていた
紙で覆われているランプに、さっそく火を灯し始めた。
通常のガラスで覆われたランプと違い、そのランプは火を灯しても、
ぼんやりと部屋を照らす感じだ。
今は昼間だから明るさが分かりづらいが、
通常のランプよりも、ちょっと暗いようだ。
しかし、これはこれで趣があるな。
「わぁ、見て見て! 壁に、ほら!」
「わー! ステキー!」
ニュシェがはしゃいで壁を指さしていたから、
何事かと思えば、ランプの紙に透かし絵が施されており、
壁に、絵が浮かび上がっていた。
どうやら、『人魚』の絵のようだ。
木下もニュシェと同じテンションで壁を見ている。
「人魚ポワトリンヌ様・・・って思いたいけれど、
この国では、伝承の『人魚』の絵なんでしょうね。」
木下が、そう言った。
ランプの灯が揺れると、壁に浮かび上がった
『人魚』の絵もユラユラと揺れる。
まるで、生きているかのように。
『人魚』か・・・。
結局、例の『伝説の海獣』が、『人魚』なのか『海竜』なのか、
はたまた、ただの海に出没する魔獣なのか、分からず仕舞いだ。
そういえば、『ヒトカリ』で、この国に出没する魔獣の情報を
聞きたかったのだが、聞いていないな。
ぐぅぅぅぅぅぅ・・・ぎゅるるる・・・
「ぷっ! あはは!」
気分は悪くとも食欲は衰えていない。
オレの腹が盛大に鳴り、シホに大笑いされる。
恥ずかしい・・・。
「はい、それでは、食堂へ行きましょう。
お昼も過ぎてますし、空いているでしょうから。」
木下にそう言われ、オレたちは荷物を置いて
食堂へ向かった。




