おっさんからのエール
「かーーーー・・・くーーーー・・・。」
馬車には小さな窓がついていて、外の様子が見える。
草原を抜けて、森林を行く。
途中で、分かれ道があり、看板に『サキエ』と書かれた矢印があったが、
この馬車は、それとは違う方向へと走っていく。
ひたすら、東へ。
「すぅ・・・すぅ・・・。」
いつもの大型馬車より速く感じる。
なのに、全然、揺れを感じさせない馬車内。
窓が全開のため、馬車内の『お香』の煙は
ほとんど外へ逃げていき、そこそこ新鮮な空気が入ってきている。
「すーーー・・・すーーー・・・。」
デーアが落ち込んでから、馬車内は静かになり・・・
「・・・みんな、寝てしまったな。」
フッカフカのイスの座り心地の良さもあって、
オレとデーアを除く、3人の女性が眠りこけている。
ニュシェとシホは、お互いに頭をくっつけて
寄り添って寝ている。
オレの隣りに座っている木下は、
思いっきり、オレに寄りかかって寝ている。
「そうだな・・・。」
オレの言葉に、デーアは答えたが、
『心ここにあらず』という感じがする。
ここで、何か気の利いたことが言えればいいのだが、
オレは話題豊富なほうではない。
それに、相手は、この国の重要人物。
下手に話しかけて、こちらの隠していることが
バレてしまっても困る。
仕方なく、デーアを視界から外し、
視線を窓の外へ向ける。
かなりの速さで馬車は駆けているようで、
森林の景色が、飛ぶように過ぎ去っていく。
それでいて、イスからは振動がほとんどないため・・・
まるで、外の世界から切り離されて、
オレたちだけ、別の世界へ運ばれていくような、
そんな感覚にすらなる。
「・・・私は、まるで鳥籠の鳥だな。」
ふいに、デーアがそう言った。
それは・・・オレに言ったのではなく、
ただの独り言のように聞こえた。
デーアのほうに、ふと視線を戻すと、
デーアはオレのほうを見ておらず、
オレとは反対側の窓から景色を眺めていた。
もしかしたら、窓からの景色を見て
オレが感じたように、この馬車内が、
外の世界から隔離された空間に感じたのだろうか?
「私は、この国から出たことがない。
幼いころから、一度も・・・。
でも、なんとも思っていなかった。
何不自由なく暮らせているし、
外からの情報は、いろんな人たちから聞いていたし、
この国は、じゅうぶん広くて・・・
どこへ出かけても、楽しいことや美しいものに溢れていた・・・。」
「・・・。」
どこか寂しそうなデーアの横顔。
白銀の長い髪が、窓から入ってくる風でサラサラとなびいている。
美人というものは、悲しんでいる姿も美しいのだなと、
デーアの気持ちとは関係なく、
オレはそう感じて、デーアの横顔を黙って見ていた。
「でも、それは、偽りで創られた環境だったのだな。
父上が・・・いや、もっと遠いご先祖様たちが創り上げた世界に、
私は、なんの疑問も持たず、ただ生きていただけ・・・。
いや、生かされていたのだな。
周りのみんなに・・・。この環境に・・・。
私が生かされていた、その裏で、
どれほどの血が流され、どれほどの人が苦しみ、
どれほど・・・おぞましい出来事があったのか・・・。
私は知らなかっただけなんだ・・・
いや、自分で知ろうとしなかったんだ・・・。
そして、私も・・・その罪深き出来事に加担したのだ。
なんの疑いもなく、剣を振ってしまった・・・。
それが、この国の平和のためと信じて・・・。
私は・・・なんと愚かで滑稽なやつなんだ・・・。」
デーアの青い瞳から、静かに涙が流れた。
白い頬に、一筋の雫が流れ落ちていく。
「・・・。」
ほかの者たちを起こさないために、静かに語っているデーアだが、
その心の中の感情は、激しいものだと感じる。
ここに誰もいなければ、号泣していたかもしれない。
泣き崩れ、泣き叫び、心が壊れるほど・・・。
それとも・・・
あの『洞窟』の日以来、すでに数日が経っているから、
デーアは、その間、一人になるたびに
泣いていたのかもしれない・・・。
その泣いている姿すら美しいと感じてしまっている
オレのほうが、デーアよりも愚かで、
どこまでも滑稽な者に感じる。
「・・・幸せじゃないか。」
「え・・・?」
オレがこの場に似つかわしくない言葉を使ったためか、
デーアが、青い瞳を見開いて、オレを見た。
その驚き顔も一瞬で消える。
「健一さん、キミは私をバカにするのか!?」
少し怒った表情になったデーアだが、
涙が流れているから、怒っているように見えない。
むしろ、悲しみが増したような、そんな表情に見えてしまう。
「そうじゃない。
デーアは、『獣人族』と『バンパイア』の違いを知らなくても、
幸せに暮らせていたってことじゃないか。
デーアだけでなく、多くの民が、
そうして幸せに暮らせていたってことだろ?」
「そ、それのどこが幸せなんだ!?
間違いに気づきもせず、罪のない命を奪い続けて・・・
そんな犠牲の上で成り立った世界が、幸せなのか!?」
「そうだ。」
「・・・なにを!!」
静かに話し合っていたが、デーアのほうは、
どんどん感情が高まってきて、声が大きくなりつつあった。
それに気づいて、自分の手で口を抑えたデーア。
「健一さん、見損なったぞ!
その言葉、ニュシェさんが起きている時に、
同じことが言えるのか!?」
泣きながらも怒り顔のデーア。
声を抑えながらも、その言葉には強い怒りが含まれている。
「言えない。というより、言う必要がない。
今のオレの言葉は、デーアだけに伝えたい言葉で、
デーアだけに必要と感じる言葉だから、他の者には使えない。」
「ざ、戯言を!」
「どんなにキレイな言葉も、受け取る人間が違えば、
トゲにも刃にもなるものだ。
オレより頭のいいお前なら、分かってくれるはずだ。
オレは、お前を信じて、この言葉を使っている。」
「・・・!」
デーアが黙り込んだ。
オレの今の言葉を、冷静に受け入れて、
しっかり考えるようにしてくれているようだ。
「デーア、お前は、以前、
ユンムに『薬師』の話をしてくれたよな?」
デーアは黙ってうなづいた。
「町で売られている薬は、
すべて自然に出来たわけじゃない・・・。
多くの犠牲を経て、安心・安全な薬が作られているわけだ。
でもな・・・薬を服用している全ての人間が、
その犠牲のことを知っていると思うか?
犠牲者の名前、性別、その家族・・・
犠牲者たちの人生を知っている者はいるか?
いったい、何人? 何百人? 何千人の犠牲者なのか?
その犠牲の話を教えてくれた薬師でさえ、
そんな正確な情報は知らないだろう。」
「しかし・・・!」
デーアが何か言いかけたので、
オレは手を挙げて、制止を求めた。
「何も知らず、薬を飲んで元気になって、
幸せそうに暮らしている子供に、
お前は、わざわざ犠牲者の話をするのか?」
「・・・!!」
今の言葉で、デーアの表情からは
怒りが消えていった。
「平和に暮らしている子供たちは、
過去にあった戦争の悲惨さを知らない。
愚かな戦争を繰り返さないために、何も知らない子供たちに、
早いうちに過去の戦争の話をするのは、まぁ・・・
戦争が起きない未来を願うという目的があるから、
一概に、ダメとは思わないが・・・。
いずれ大人になれば分かることだからって、
わざわざ子供の幸せな気持ちをぶち壊すように、
過去の犠牲者の話をするのは、目的がズレてるとオレは思ってる。」
デーアの表情を、よく確認して話を進める。
デーアの涙は、止まったように見える。
「デーア、お前が今まで『獣人族』の犠牲を知らずして、
幸せだと感じていたのなら、それはそれでいいんだよ。
知らなかったんだからな。
知っているやつが、たまたま周りにいなかっただけかもしれないし、
もしくは・・・知っているやつがいたけど、
お前の幸せを壊してたくなくて、知らせなかったのかもしれない。
でも、それは裏切りとか偽りではない。
周りのみんなが、お前の幸せを願った結果なんだ。
例えば・・・お前のご両親は、お前が生まれた瞬間に、
誰よりも早く、一番に、お前の幸せを願っただろう。
この国の不幸、この国の不具合、不平等を、
生まれたばかりのお前にわざわざ伝える親などいるものか。」
「・・・父上・・・母上・・・。」
「平和とか、幸せとか、それは状態のことだ。
人間には、元気な状態や病気の状態があるように、
生まれてから死ぬまでに、状態が変化して当たり前なんだ。
それが、自然なんだ。自然の流れなんだよ。
それでも、国の平和や人々の幸せの状態が続くようにと、
人々が願い、そうなるように行動して・・・
『今の状態』があるんだ。当たり前ではないんだよな。
普通に生きていると、つい当たり前に感じて忘れてしまうものだが。
お前が幸せな状態でいるのは、お前自身が、そう願って行動していたのもあるが、
周りも同じように、そう願って行動してくれていたおかげなんだよ。」
・・・オレが、ずっと城門警備隊のまま
定年を迎えられると、思い込んでいたように・・・。
この世には、ずっと同じ状態が続くという保証はないのだ。
「・・・もう、お前は、周りに幸せを願ってもらって、
守られているばかりの子供ではない。
この国は、これから大きく変わっていくだろう。
間違いに気づいた『今の状態』を、これからどうしていくかが重要なんだ。
過去の間違いを精算するのは、容易ではないが、
お前は、過去を嘆いて動けぬような、弱い聖騎士ではないはずだ。」
デーアの青い瞳から、また涙が流れ始めた。
でも、その涙は、さきほどの悲しい涙ではない・・・と願いたい。
「そして、この国の大変な状態を
なんとかしようと願って動く者は、お前だけではない。
仲間がいる。お前を慕う騎士団がいる。
そして、頑固者だが、お前の幸せを一番に願う親父もいる。」
デーアは、こくこくとうなづきながら、
手で涙を拭っている。
「このまま、この国を離れていくが、
オレたちも、お前の幸せを願っている。
ユンムも、シホも、『獣人族』であるニュシェも・・・
この国の平和と、お前の幸せを願っている。」
「うぅ・・・!」
デーアが、大粒の涙を流し始める。
泣き顔を見られたくないのか、
デーアは、両手で顔を覆った。
「こんなに多くの者たちに、幸せを願われているお前が、
幸せじゃないなんて言わせないぞ。」
「ずずっ・・・ありがと・・・健一さん・・・!
わ、私・・・ぐすっ! がんばる・・・!
ずずずーっ!」
とうとう、泣きながら
鼻水をすすりだしたデーア。
「ずずっ・・・。」
「ふぇぇぇ・・・。」
「!!」
よく見れば、隣りで寝ているはずの木下や
対面で寝ていたシホやニュシェまでも、
涙を流し、鼻水をすすりだしていた。
「・・・起きていたのか、お前たち!」
オレが、そう言うと、
寝たふりをしていた3人が起きだし、
より一層、女性陣の泣き声がひどくなってしまった・・・。
「デーアさん! 私たちも幸せ願ってますから! ずずずっ!」
「ふぇぇぇ! ありがどう、ギミだぢぃ!!」
「あたしもー!」
「俺もだぞ! ずずずっ!」
あっという間に、涙と鼻水で
ぐちゃぐちゃになった女性たち・・・。
オレは、さっきまでの話を聞かれたことが、
なんだか恥ずかしくなって、耳や顔が熱くなるのを感じ、
視線を窓に向けた。
窓から入ってくる空気が、さっきよりも心地よかった。




