鬼でも蛇でもない悪魔
「あいつ、なんて言ったと思います?
『キミはまだ若いから』ですって!
じゃぁ、ババァなら付き合うのかっつーの!
私をフるなんて、有り得ないですよー!
わが国の策略がパーですよ!」
・・・木下からは、鬼も蛇も出てきた。
いや、これはそんな生易しいものではない。
悪魔が出てきてしまった。
それも、とびっきり・・・酒に弱い悪魔だ。
「言い寄る女は、全員、あいつのことなんて好きでも何でもなくて
権力と財力でしか見てないのに、自分はモテるって勘違いしてるんですよ!
これだからお坊ちゃまは嫌いなんですよー!」
木下ユンム・・・こいつは、ただの秘書ではなかった。
『ハージェス公国』のスパイだった。
「私がこの国から出ていくと知った時の、あいつの顔!
やっかいな女が自ら出てってくれると思って
ホッとしやがって、すっげームカつきましたよ!
清々したのは、こっちのほうだっつーの!」
幼い頃から、スパイとしての技と知識を叩き込まれ、
二十歳になる前に『ある策略』のために、この国へ潜入し、
メイドから秘書になるまで、とにかく全力を尽くしたのだという。
「あー、チキショー!
最後に何かくらわしてやりたかったなー!
でも、バレちゃったらメンドーだし、仕方ないですよねー!」
秘書になった後は、その『策略』のために
動いていたのだという。その『策略』というのも、
この国が不利になるものではないらしい。
おもに情報収集が目的の『策略』で
あとは王様から、『あるヒミツ』を聞き出せば
策略完了だったらしいが・・・
「きっとアイツはマザコンですよ!
だから年下に興味がないんですよ!
もっとも有力なお妃候補は、今のところ
秘書長っぽい立場の長谷川さんですかねぇ。
私らの中では、一番年上だし。
っていうか、歳がいってるから有力ってだけで
いろんな意味で私のほうが優れてますけどねー!」
とうとう『スパイ任務期間』が終わったらしい。
期限までに聞き出せなかった・・・というか、
そもそも『ヒミツ』など存在しなかった・・・らしいのだ。
「それにしても、佐藤さんには感謝してるんですよー!
まさか、低能な村上さんの『特命』を!
あんな性悪な魂胆が見え見えの『特命』を!
受ける人が居るなんて、思ってもみなかったですよー!
ちょうど引き上げる手立てを考えていたところだったんで、
まさに私の船!いや、渡りに船!ですねー!」
村上の『隊員削減提案』や『特命』について、
公表される前に、上層部で話し合いが行われたらしく、
その席で、村上の案に『欠点』があることを
指摘してみたが、まったく聞く耳を持たれなかったらしい。
村上を止められなかったことで、少なからず
リストラ対象者たちに責任を感じていたらしい。
「なんで、あんな女の言いなりになっちゃうんですかねー、男って!
眼鏡かけてるからって頭いいわけじゃないのに。
まぁ、大臣たちともうまく付き合っているようですからね、彼女は。
弱みのひとつやふたつは握ってるんでしょうねぇ。」
・・・スパイになる訓練の中、まだ二十歳前だった木下は、
どうやら『飲酒』の訓練を受けてなかったらしい。
今までも、そういう場面があったが、任務遂行のために
巧みな話術でかわしてきたらしいのだが、
スパイ期間が終了して、あとは帰るだけとなった今、
わざわざオレの誘いを断る利点もなかったし、
『酒』というものに興味もあったとか。
「いやぁ、この『特命』を受けた人が
佐藤さんで本当によかったですよー!
あの遊撃隊の人だったら、
こんな手段で帰ることは無かったですねー。
あの人だったら、さすがに
身の危険を感じずにはいられませんね!
実力はたいしたことなくても、しつこそうだからメンドクサイ!」
初めての『酒』だったのだろう。
こんなに弱かったとは、本人も思っていなかったのだろうなぁ。
1杯目でこの有り様だ。
「このお酒に自白剤でも入っているのか?」ってぐらいに
洗いざらい話してくれた。
父親は、『ハージェス公国』の大臣。
母親は、表向きは専業主婦、
裏ではスパイ養成学校の校長らしい。
つまり、スパイの英才教育は母親の賜物なんだな。
初恋の人は、同じスパイの学校に通っていた先輩だったとか。
そんなどうでもいい情報まで根掘り葉掘り喋ってくれている。
「佐藤さんのことも、もう調べはついてるから
私は安心して、この手段で帰れるんです!
奥さんの尻に敷かれている人は、だいたい大丈夫!
女性に乱暴なことをすることないですから!
人畜無害!しかも、部下たちに信頼されてる!
そこもポイント高かったですよー!」
・・・こんなに口を割っちゃう
スパイなんて初めて見た。
というか、スパイ自体、初めて見たわけだが。
ぜんぜん違和感がないものなんだな。
その国特有の喋り方とか、うっかり出ててもおかしくないのに、
こうして理性が働いていない状態でも、
決して、そういう喋り方が出てこない。
それとも、この国の喋り方と
『ハージェス公国』の喋り方は、ほぼ同じなんだろうか?
そもそも、オレは、ほかの国へ出かけたことが
あまり無いので比べようがないが。
そういえば、隣の国の『ハガイ王国』も、
わが国の喋り方と大差なかったように思う。
・・・おそらく、わが国には
こういうスパイが何人か侵入してしまっているんだろうな。
今のところ、被害は出ていないようだが。
「佐藤さんは、すこし
私のお父様に似てるのですよー。
眼光が鋭いとことか、それでいて、目が合うと
柔らかい目になるとことか。
でもでも!明らかに体型が違うんですよねー!
佐藤さん、もうすこし背が高かったら
理想的だったんですけどねー!」
「ほっとけ!これでも、
背が小さいのは気にしてんだぞ!」
「あっはっはー!
なにそれ、かわいいー!
佐藤さんでもかわいいとこあるんですね!」
「笑いすぎだろ!」
でも・・・あぁ、なんか・・・
こういうの・・・いいなぁ・・・。
「次は、佐藤さんの番ですよ!
私は佐藤さんの数少ないかわいいとこを見つけてあげたんですから、
今度は、佐藤さんが私のかわいいとこを見つけて教えてくださいよー!」
「あー?かわいいところ?
かわいいところより、口の悪さが目立つから、
一向に見つからないぞ!」
「あー、ひっどーーーい!
でも、当たり過ぎて反論できなーい!
あっはっはっはー!」
・・・思えば、娘の香織と
こうして二人で酒を飲んだことがない。
もしも、叶うなら・・・
きっと、こんな感じで楽しい酒を飲みかわせただろうか。
こんなざっくばらんに会話できたら・・・いや、叶わぬ夢か。




