スパイとおっさんの溝
オレと木下が、食堂のカウンターのそばで突っ立っている間、
木下は、オレに体を密着させ、
周りから声をかけにくい空気を作っておいて、
小さな声でオレに話しかけてきた。
「おじ様、本当に、反省されたんですよね?
あの夜の単独行動のこと。」
小さな声だが、言葉が厳しい。
こいつは、まだ怒っているようだ。
「あぁ、本当にすまなかった・・・。」
オレは、また同じ謝罪の言葉を繰り返す。
「・・・あの行動は、私たちが
『ソール王国』から旅立つときにした約束を
破ったことになるのですよ?
本当に、分かってますか?」
「うっ・・・!」
たしかに、その通りだった。
木下が『スパイ』だと分かった時、
「もし、旅の間に逃亡すれば裏切り行為と見なす」と
約束したはずだ・・・。
「いや、しかし、あの約束は
お前が逃亡した場合の話で・・・。」
「いいえ、おじ様は、あの時、
私と対等の立場でいたいと言っていました。
ですから、約束も、対等の条件のはずです。」
「うぐっ・・・。」
頭の良い木下と、口論しても
とてもじゃないが勝てる気がしない。
結局、
「本当に、すまなかった・・・。」
オレは、この謝罪の言葉以外の発言は
許されないのだった。
「しかし・・・本当に・・・
おじ様たちが無事でよかったです・・・。」
木下は、そう言いながら
ぎゅっと、オレの腕に絡めている手に
力を込めてきた。密着しているから、
オレの腕に木下の胸が押し付けられる。
「起きた時に、シホさんがそばにいたから
パニックにならずに済みましたが、
私一人だけだったら、
きっと・・・路頭に迷うところでした。」
「路頭に迷うなんて、そんな・・・。」
頭の良い木下が、オレがいなくなっただけで、
そんな状態になるとは想像できない。
「以前も、話しましたが、
私は、おじ様が思っているよりも
頭が良い女ではありません。
私一人では、この旅を続けることも、
故郷に帰ることすら難しいと思っています。」
そういえば、以前、『レッサー王国』で、そんな話をしていたか。
木下は、案外、頭がよくないとか。
例の『ソウル』ナントカという組織に対する
対策も得策も思いつかず、
オレのチカラに頼ろうとしてるという話だった。
「・・・もう私を1人にしないでください。」
「!!」
ドキっとしてしまった!
木下ほどの美人が体を密着させながら、
そういうことを言うのは反則だ。
オレが既婚者じゃなくて、
こいつが『スパイ』でなければ、
勘違いして撃沈させられていたことだろうな。
「・・・今から言うことを
信じてもらえるかどうか分からんが・・・。
信頼関係は相手を信じることから築けると思っている。
しかし、オレは、まだお前を
『スパイ』として認識している。」
「!!」
木下が、少し驚いた表情になったが、
すぐに、いつもの作り笑顔に戻った。
「それは、そうでしょうね。
それは事実であり、これまでも、これからも
その認識は変わらないと思います。」
木下が、そう言った。
オレのことを全面的に信頼している素振りを見せていたが、
オレと同じく、相手への認識が変わったわけではないようだ。
「その通りだ。たぶん、お前にとっても、
オレという男は、『ソール王国』でリストラされたジジィで、
その『ソウル』ナントカという組織のやつらと
同じ出身者という認識のはずだ。
今までも、これからも、それは変わらない事実だろう。」
木下の母国『ハージェス公国』を乗っ取っている
『ソウル』ナントカという組織は、
『ソール王国』出身者で形成されているわけだが、
木下の潜入調査により、その組織と『ソール王国』は
繋がりがないことが分かっている。
それでも、その組織のやつらと同じ出身者というだけで
怒りや憎しみ、嫌悪、疑惑などの感情はあるだろう。
信頼するほうが難しい。
「しかし、これでも、オレは・・・
最初から、お前を1人の人間として見ている。
国だとか『スパイ』という肩書きとか、関係なく。
『木下ユンム』という一人の人間と、
少しずつ、お互いを知っていって、
信頼関係が築ければいいと思っているよ。」
「・・・。」
オレの言葉を真剣な表情で受け止めている木下。
「だから、先日はすまなかった。
まだ、お前を信頼しきれてなかった証拠だな。
お前からの信頼も、また築きなおさねばならないと思う。
信頼回復のために、これから努めようと思っている。」
オレは、素直に、
今、思っていることを伝えた。
「・・・また一から信頼関係を築くのは大変でしょうが、
今は、その言葉を信じてあげます。
がんばってくださいね、おじ様。」
木下の表情が和らいだ。
「ありがとう、ユンム。」
オレは、「木下」と言い間違うことなく、
自然に「ユンム」と言えた。
『前夜祭』のような盛り上がりを見せていた食堂も、
夜の遅い時間となり、
厨房の食材切れとともに、閉店時間となった。
傭兵たちも、ぞろぞろと帰りだし・・・
食堂に残ったのは、オレたちだけとなった。
さっきまでの喧騒が、ウソのように、
静まり返った食堂・・・。
「ふぅぅぅ・・・ようやく座れる。」
ずっと立ちっぱなしだったオレは、
溜め息とともに、そばにあった
テーブルの席に腰かけた。
もう痛みはないとはいえ、
立ちっぱなしは腰にくるものがある。
木下も、シホも、同じテーブルに着く。
「あーーー、喋り続けて、ノドがカラカラだ!」
シホが、そう言いながら
テーブルの上に突っ伏した。
しかし、その口調は疲れ切った感じではなく、
まだまだ喋り足りていないと感じるほど、
明るい口調だった。




