腐敗する大地、不敗の命
道とはとても形容し難い、ただ邪魔なだけの石段がポツ、ポツと足元を過ぎ去っていく。
周囲の生命は生気を失っており、昼間である筈なのに、どこか暗いような、そんな錯覚すら覚える。
土と血が混ざりあったような、そう。それはまるで、あの世界を彷彿とさせるような、そんな空気。
そして、ヒトのニオイが強くなってきました、と、ましろから報告を受けた、そんな数分後。
例のエルフ族襲撃事件の時と似たような風貌を持つガラの悪い男三人組と、俺の頭一つ分程小さい華奢な黒髪の少女が一人。
善と悪が一目でわかる感じのいざこざが数寸先で催されている。
「(なんかおもしろそうですね、あっち)」
冷静な状況判断である。
って、んなワケあるか。
「お前と一緒にされたら流石に可哀そうだと思う」
そんな無駄なやり取りをする間にも、男三人の魔の手が、女の子の華奢な身が纏う薄い布切れへと――
「ちょッッ、さっさと助けてやれ! 見ちゃいられん!」
涙目になりながらもそれを手放すまいと、布切れにしがみ付き必死の抵抗を行う女の子。
布切れを引き剥がそうとしている男は、ワザと手加減をしてその恥じらう姿を楽しんでいるらしい。
これ以上この現場を注視するのは気が引ける。
あとはましろに任せて後ろでも向いておこう。
「おい、次は俺だかんな? 気絶させるんじゃねェぞ」
「わーってるって。ヘヘ、たっぷり愉しませてくれよ、なァ?」
「……ぁ、ぉかあさ……たす、けて」
「ましろもまぜてください!」
「へっ、しょうがねぇなぁ――って、誰だテメェッ!?」
「待て、よく見ろ、こいつァ極上だぜ? 今日はツイてるなァ。かわいこちゃんがノコノコ向こうからやってくるだなんてよォ」
「怪我したくなかったら動くんじゃねぇぞ……? コイツと一緒にたっぷり愉しませてやるから、なぁ?」
「うぅ、なんか気持ちわるいです……」
背中から嫌悪感が這い上がってくるような感じが……
あっ、うっかり首を叩き折ってしまいました……ご主人に怒られちゃうかもです……
「ぅう……あ、あれ……?」
ど、どうすればいいのでしょう。
ご主人は――まだ後ろを向いてますし。
取り敢えず謝っておいた方がいいでしょうか。
「すみません、ぜんぜん面白くなかったです……」
「ふぇっ?」
「終わったか〜? って、おいぃ!」
川の字に並ぶ無残な亡骸と、布切れを半分剥かれてしまった状態の女の子が俺の目に飛び込む。
「ちょ、ましろ! この際そこに転がってるのはどうでもいいから、さっさとお前の替えの服でも渡して着させてやれ!」
「あ! わ、わかりました! ええっと……はい、どうぞ。これを着てください」
「あ、えっと……? ……えっ?」
「ご主人に怒られちゃうんで早く着てください」
「ひっ! す、すみません……ありがとう、ございます……?」
「ご主人〜もうだいじょうぶですよ〜」
「へいへい。はぁ、びっくりした」
「ましろ、ちゃんと助けましたよ!」
「ああ、よくやってくれたな。それはともかく、これは一体」
横に転がる三つの骸を指差す。
「思わず首を叩き折ってしまいまして」
「気絶ぐらいで抑えられなかったのか? 態々生き返してやる必要はないけどさぁ」
「ご主人、さっきどうでもいいって仰いました……」
「あ、あの……?」
「ああ悪い悪い、怪我は――」
――これは酷いな。
袖から先に露出するか細い手足には、黒ずんだ斑点があちこちに散見している。
それは古いモノから最近付けられたであろうモノまで様々。
そして今見え得る限りでも、頭から顔、首元にかけて焼け爛れたような痛々しい跡が白磁の肌に染み付いている。
「女の子に対して失礼だとは思うが、随分傷だらけじゃないか。一体どう扱われたらそうなるんだ」
「こ、これは……」
「思い出したくない事なら別に無理にとは言わんけども」
俺にもそんな思い出の一つや二つある。ましろにもあるだろう。だが、流石にここまで酷い傷跡を付けられた記憶は無い。
そもそもここに来る時に綺麗さっぱり消えちゃったけど。
「……痛み、苦み、そして、恥辱の数々。わたしに与えられたのは、それだけでした」
その整った顔に僅かに陰りが差す。
「わたしの悲鳴は、囀る小鳥よりも愛おしいと、如何なる音色よりも美しいと、そう、言われました」
自嘲するかのように、歪む口元。
「わたしは耐えました。耐えて耐えて、耐え抜きました。自分が壊れてしまう、その寸前まで」
陰りは益々濃く成り行く。
「果ては、物申さぬ人形に興味はない、と。つまりは……処分が、言い渡されました」
事の全てを吐き出し、少し吹っ切れたようで幾分か面持ちが柔らかくなった様子が見て取れる。
しかし、思ってたよりも凄惨なストーリーだった。
従魔であるか否かの確認をましろに取ったが、どうやら見たまんま、人間らしい。
「キミの所有者は随分といい趣味をお持ちのようで?」
ましろの反応を仰ぐように首を捻る。
「ご、ご主人がそういうことをしたいと仰るのなら……ましろ、がんばります」
何か強い決心を固めたような熱い眼差しがその目に宿る。
「いや拒絶しろ! してくれ! 流石に怖い、お前!」
「ご主人から受ける痛み、苦しみ、辱め。それら全てを愛として受け入れます」
俺の中にそんな歪んだ愛は無いッ!
あぁ、完全に自分から地雷踏みに行っちまった……
取り敢えず平静を装おう、それしかない。
これ以上こいつのペースに流されると取り返しの付かない事になる。
「よしよし、風邪でも引いたか? 疲れたんなら今日は出直そうか?」
「ましろはご主人という名の病に侵されています」
こりゃダメだ、まるで話が通じてない。
「あ、あの……? ? 、?」
完全に置いてけぼり状態で右往左往させてしまっている。すまん。
「はぁ……この子の傷、治してやってくれ」
「お安いごようです。では少しじっとしててください」
切り替えはえーな、おい?
「は、はい……? ……あ、なんだか、あんしん、するような……あたたかい……」
困惑を隠せずにいるその様子。
しかし程なくして、身体の内に流れ込む癒やしの温もりを受け入れたようだ。
見る見るうちに生来の輝きを取り戻し始めるその肌。
「う、うそ……傷が……もう、あきらめてたのに」
先程まで痛々しい跡が刻印されていた箇所へと、空事を拭うかのように指を這わす少女。
「はい、もう大丈夫ですよ。おかげんはいかがですか?」
「……あ、の。あ――わ、たしは、どうしたら?」
「お疲れ、ましろ。えーっと、どうしたらって別にどうもしなくていいけど」
「だ、だって、急に助けてくれたり、立派な洋服を着せてくれたり、癒やしの術を掛けてくれたり……」
余裕のある内に弱者には出来る限り手を差し伸べようってのが俺のモットーだからな。
弱者を切り捨てるのは簡単だろう。
しかし、徳を積み重ねていく内に巡り巡って返って来る事は案外多い。
この世は無数に存在する弱者で成り立っている。
どんな強者だって、いつかは弱者に成り下がるのだ。
自分が弱者と成り下がって尚、愛する者と平和に暮らせる。そんな世界を少しでも実現出来たなら、それに勝る喜びは無い。
「君、名前は? 親は生きてる?」
「あたしの名前は……レイ」
「レイ、か。いい名だな。俺はクロツグ、こいつはましろだ」
「お父さんは……あたしの、目の、前で。お母さんは……連れて、行かれました。もう、多分、会えない」
「そうか。そういう事なら……そうだな」
「お礼を言うのが遅れちゃった。ごめんなさい。本当に、こんなにいっぱいの優しさ、温もりを、ありがとう、ございます」
「俺らにとっちゃ大したことじゃないし、気にすんな。んでだ、これから先、行く宛はあるのか? ……あるわけないか」
「もうこれ以上のことを望んだら、贅沢……だよね。……このお洋服も、もう、あたしには必要ない、かな。最後に大切な気持ちを思い出すことが出来ました。改めて、本当に、ありがとうございます」
なんか行く宛があるっぽいな? あの世への孤独な一人旅ってか?
「全てを失っても尚、粘り強く生き続けたくせ、死ぬと決めるときは随分あっさりなんだな?」
「そ、それは……」
「せっかく綺麗になったのに、なんかもったいないです」
「……だって、ずっと、ずっと死にたかった、んだもん……お父さんを殺された時、棒で打たれる時、肌を焼かれる時。身体を――弄ばれている時。あたしはずっと、死にたかった……」
「でも、その勇気が出なかった、と。幸か不幸か、絶望し切れなかったんだな、この世界に」
「……そう、本当に、そのとおりです。本当に惨めだなぁ……あたし。……でも、もう」
「生きてりゃいい事もあるだろうさ、俺が言うんだから間違いない」
「ましろも、そう思います。 ご主人に会えて、本当に生きていてよかったと、心からそう思うんです」
「……二人を見てると、本当に、そんな未来が、見えて、来るような、気がして……あれ、おかしいな」
その曇り無き眼から、ぽろぽろと雫がゆっくりと頬を伝い、枯れ果てた地を潤すかのように、ぽたり、ぽたりと零れ落ちる。
「ましろ、今日は帰るぞ。乗員の一人が増える程度、問題ないな?」
「ほんとうは、ましろの背中はご主人専用なんですよ? でも、今回はとくべつです」
「ぐすっ、そっ、それって、どういう……」
犬形態へと変身するましろ。
他人に優しくした分、ましろを愛でる。それが俺の信条。
帰って一段落したら、めいっぱい甘えさせてやろう。
「わっ、びっくりした! きれいな毛……」
「(はい、乗ってください。ご遠慮なく)」
「ほら、乗った乗った。帰ったらなんか食わせてやるからさ」
「……あたし、幸せになっても、いいのかな」
「その答えは自分で導くんだな。さあ、早く。誰か来たら面倒だ」
「う、うん!」
悲壮が鬱蒼と茂るその大地。
連なる三つの影には光明が差す。




