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絵空事のセカイ、漆黒。

「クソがッ! あぁあアァッ! なんでオレだけがッ、クソッ、死ね! 死ね!」


 脇腹から肋骨に、腸に、深い鈍痛が響く。


 降り注ぐ理不尽な暴力を、嗚咽の一つも漏らす事無く淡々と受け入れ続け。


「ハァ、ハァ、ああアぁァッ!」


 表情を殺し、感情を殺し、()()が過ぎ去るまで無を演じ。


「……チッ」


 遂に悲鳴を上げたのは、代わり役となったドア。

 そうして間もなく訪れた静寂が、我が身を安息へと誘う。


 空を仰ぐ。


 尚も曇天。


 全身に伝播する痛みを噛み締め、目の前に転がる固いパンを口に運ぶ。


 いつか訪れるであろう、復讐の機会。

 きっと訪れる筈の、その機会。


 たった一つの拠り所。

 即ち、惨めな自分を誤魔化し続ける為の逃避。


 再び響く恐怖の鳴動。

 役目を潰えし板が伏す。


「来い」

 

 露骨に不機嫌なその形相。

 凶か吉か、その捌け口にはされず。


 命令を聞かなければどうなるかは、脳より身体の方がよく知っている。

 

 覚束無い足がゆらゆらと動く。

 向かう先は死か、地獄か、はたまた破滅か。


 否、そのいずれにも当て嵌まらず。

 先には見知らぬ男が一人。


「コイツか」


「へ、へい」


 その男は眉一つ動かさぬまま、こちらを一瞥する。


「来い、仕事をやる」


「で、ですが」


 無機質な顔から発せられる圧倒的な威圧感。


「ッ!……」


 蛇に睨まれし鼠には畏怖以外の選択肢などありもせず。


 振られた手に引かれるがまま、その男の後を付ける。


「お前、名前は?」


 名前、感情、意思。あらゆるモノをあの場所に落としてきた。

 それが大切なモノだったのかでさえ、よく覚えてはいない。


「わかり――せ――」


 久しく震える事の無かった声帯が寂しく掠れる。


「そうか」


 沈黙に身を任せ、脚を漕ぎ、地を泳ぐ。


 横目でこちらを観察するような、そんな気配が肌を伝う。


「クロ……」


 ……? 俺の、名前?


 この状況に相応する反応の取り方など、俺は知らない。知る由もない。


「お前の名前はクロツグ。そう、名乗れ」


「クロ、ツグ」


 男は前に向き直し、更に言葉を紡ぐ。


「この先に待つ道もお前にとっちゃロクなもんじゃ無いだろう。だが、少なくとも今日までよりはマシな筈だ」


 先程までの無機質で冷たい様子は、彼の本当の顔では無いのだろう。

 その声に、少なからず感情が乗り始める。


「そう、ですか」


 どの道、今の無力な俺にどう生きるかの決定権などありはしない。

 黙って指し示された道をなぞる他無い。


「どうなるかはクロツグ、お前次第だ」


 ガレキとガラクタを積み重ねたような建物が頭角を顕にし、威圧を仕掛ける。


「ま、精々頑張ってくれ。死なない程度にな」




 生き残る為、死ぬ寸前まで働き。


 強い権力を持つ者には媚を売り、弱い者からは奪い続け。


 盗み、忍び込み、壊し、そして――


 片手指に収まる程度、手も汚した。


 これは自分の意思ではない、俺に責任は無い。そう自分に言い聞かせ、正気を保った。


 狂気こそが正気だと、思い込み続けた。


 しかしそんな狂気も、限界を向かえようとしている。

 狂気が正気へと、侵食を始める。


 黒は緋色に、染まってしまった。


 気付けばそこは鼠の住処。


「クソッ! ……ん? 誰だ……? ……ッ! テメェ! ノコノコ戻って来やがって、一体なんのつもりだ!? あぁ!?」


 右手にはナイフ、左手には殺意。


「いい度胸じゃねぇか。丁度イラついてたんだ、また楽しませてくれよ、なァ?」


 脚を止め、踏み締め、構える。


「どうした、今更怖気づきでもしたか? そうだよなァ!? お前は、俺に、刃向かえやしない!」


 姿勢を低く。


「這い蹲って赦しを乞え。一生オレのオモチャにしてやる」


 切っ先を獲物に。


「それでもソレを向けるつもりってンなら」


 全体重を乗せて。


「チッ、死に晒せッッ!」


 首を掻っ切る。


「ガハあァああアァァッッ! イテェ、イテェ、首が、イテェよォ……うッ、ガハッ――」


 鼠はのたうち舞い踊る。

 空気を漏らし、鮮血を散らし、舞い踊る。


 劇は終幕。

 目障りな肉塊を蹴りを入れる。


 もう、終わりか。……足りない、タりない。

 手が、首が、全身が、どうしようもなく痒い。

 カユい、痒い、かゆい、


 皮膚から滲み出す黒い涙。

 全身を這いずり回る紫のミミズ。


 這い蹲り、転げ回り、河原へと辿り着く。


 水面に映る化け物。

 躊躇いも無く、疑いも無く、その非情な現実を受け入れる。



 あぁ、落ちない、おちない、アカいのが、おちない。


 カユい。


 落ちない、助けて、痒い。


 ダレか、だれか。



 昏く輝く一本のナイフが目に入る。

 


 無の慈悲に、縋り付くかのように。




 孤独なる一本のナイフが蹉跌と化した。





―――――――――――――――――――――――――――――――





 何処までがホンモノで、何処までがニセモノか。

 それすらも曖昧な程、鮮明に、鮮烈に、脳裏に焼き付いた孤独なる夢路。

 

 それもその筈。

 腹を切り裂く寸、一歩前。

 その道のりは、忘れたくも手放し難い、ホンモノの記憶。


「暖かい」


 白い毛玉が胸の内に寄り添う。

 その身体を撫でながら、かじかむ口を懸命に動かす。


「お前も寝てたのか。悪い、邪魔したか?」


 静かなる返答。


「笑っちゃうよな」


 ふわっとしたその耳がピンと立つ。


「お前の居ない世界の俺、体中掻き毟った挙げ句ナイフで自分の腹カッ裂いて臓物ブチ撒けてたわ」


 徐に、ビタビタと叩き付けられる尻尾。


「だからさ、これからも俺がトチ狂わないように見張っててくれよ」


 呆れたような、それでもそんなワガママを受け入れてくれたような、そんな鼻息が鳴らされる。


「俺も、お前を守るから」


 反応が途切れる。

 相も変わらず毛玉にうずまるその顔。


「お前を置いてったりはしない」


 一度(ひとたび)、叩き付けられる尻尾。


「お前を、一人にはしない」


 弧を描くかのように、ゆらゆらと揺れる尻尾。


「お前の居ない世界なんて、生きる意味は無い」


 そう言い濁した所で、むくりとうごめくその毛玉。

 俺の顔色を一瞬伺ったかと思えば、再びこの胸の内に身体を預け、毛玉に戻る。


「だからさ。俺とお前、二人きりになるまで」



「この世界に、取り残されても」



「全てが終わっても、そばにいて欲しい」

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