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猫と少年  作者: みみつきうさぎ
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第六部 春告鳥(後編)


◆ 登 場 人 物 ◆


アキ・ユキザネ

 河井小隊に所属していた少年 

千早葉月

 MAO『サイベリアン』に搭乗 機動騎兵部隊『エリュシオン』に所属

カスガ・ソメユキ

 国際連合軍機動兵器極地戦闘襲撃機『サザキ』パイロット

ウィリアム・ボーナム

 河井小隊に所属していた少年 

ミン・シャラット

 河井小隊に所属していた少女 

ジョゼッタ・マリー

 河井小隊に所属していた少女 

グラ・シャロナ

 元国際連合軍元機動兵器システム統合部特別補佐官付

ゲオルグ・シュミット

 国際連合軍機動兵器システム統合部特別補佐官

河井タケル

 機動騎兵部隊小隊長 

ジョン・プラント

 元『デスペラード』隊長

ヴィラ・フェルナンデス

 機動騎兵部隊『エリュシオン』の少年

ジャニス・メナン

 機動騎兵部隊『エリュシオン』の少女

リューバ・ソーンツェア

 ウィルとユキザネを保護した少女

ターニャ・ソーンツェア

 リューバの母親

月形半平

 『南極の動乱』の生存者 国際連合軍所属パイロット

マハン・ゴールド

 北米機動騎兵隊実質責任者



第二話 「内戦」


(一)


 ラテン語で『監獄』という言葉を国名の由来とする「カルセトニア共和国」

 東欧連邦南西部に位置する九州程の面積をもつ小さな自治共和国である。

 南をトラニア山脈、西をカルセリア山脈という峻険な高山に囲まれるが故に,国土の半分が標高千メートル以上の山岳地であり、前世紀までは農業と遊牧を主とする貧しい国であった。

今世紀に入り、レアメタルの豊富に含まれる鉱脈が相次いで発見されたため、東欧連邦の息のかかったトラニア人による財閥鉱業が急激に発達した。その結果、国民の間で経済格差が大きく広がり、貧困や失業、犯罪が増加する原因となった。

 また、親東欧派の現政権と独立を旗印としたカルセリア人を主とする武装勢力との間での民族紛争をも巻き込み、近年その状況が泥沼化していた。

 さらに異生物侵略により、兵器類に使用される金属の価値が暴騰、世界が混乱する中で利権を奪おうとする人々の思惑が入り乱れ、国家という枠が完全に崩壊しつつあった。


 シャーベットのように凍った泥の道の上をサクサクと音を立てながら兵士が二列縦隊で進んでいく。皆、口を真一文字に閉じ、辺りの変化を少しでも漏らすまいと目だけをギョロギョロと動かしていた。

 道の両側は草木がほとんど生えていない急峻な岩山である。その山間にヘリの飛来音がこだました。兵士たちはすぐに散開し、土色のシートを広げ岩陰に身を潜めながらヘリが通り過ぎるのを待った。しかし、それが自軍のヘリだとわかると、一転して大きく空に向かって手を振って自分の存在を誇示した。


「人がいる……あの人たちどこに行くんだろう」

 ユキザネは小さな腕と足を思い切り伸ばしてヘリを操縦していた。

「そのうちわかる」

 後ろのシートに座る兵士は、ガムを不快な音を立てて噛みながら短く答えた。


 岩山を越え、細い枯川を越えた先に、小さな石造りの家が狭い窪地のような所に隙間無く建て込んでいる集落が見えた。

「あそこに虫が隠れている」

 後ろの男がユキザネに指示した。

「えっ、何も見えないけど。」

 家の影から何かが一瞬発光した。

「RPGだ!避けろ!」

 ユキザネが操縦桿を倒し機体を横に移動させると、すぐ横をロケット弾が放出する白い煙が流れていった。

次々と放たれるロケット弾をユキザネは正確に避けていく。


「もっと近付いてから撃て」

「え?何を……」

「AGM(空対地ミサイル)だ、この街は汚い虫にやられているんだよ」

 ユキザネは、あのレイクレイ基地の地下で見た虫に包まれた兵士の姿を思い浮かべた。そして、あまり疑問を持つこともなくミサイルのトリガーを引いた。

 ミサイルが幾筋も尾を引き、家の一番密集している地点に着弾すると、黒いキノコ雲が空高々に上がった。

「な、何なの?」

 火に包まれた人間が瓦礫から這い出すように何人も出てきた。その中に年老いた女性や子供の姿も見える。

「よくやった!さすが噂のパイロットだ」

 後ろの男は満足げに声を上げて笑った。

「あれ……普通の人間じゃないの?」

「人間じゃねぇ、『ゲリラ』っていう虫だ」

「虫じゃないよ!」

「虫よりも始末におえない奴らさ」

「虫じゃないじゃないか!」

「あん?ガキ、俺たちが虫だと言ったら虫なんだよ」

「助けないと!」

「助ける?あれをやったのはお前だよ、寝ぼけたこと言っているんじゃねぇ、あれはウジ虫だ、基地に帰ってからみんなに聞いてみろ!」

「僕がやった……僕が普通の人を殺したの……?」

 ユキザネの心を支えている何かが少しずつ壊れかけていた。


(二)


 ユキザネは、暗いコンクリートをうっただけの部屋に両手をしばられ天井から振り子のように吊されていた。

革のバンドで締め付けられた指先は紫色に腫れ上がり、それぞれの指一本一本の感覚もとうに失せている。自分という人間がこの世から消えていきそうな感覚が身体全体を支配する度に、冷水がかけられた。

 鞭で付けられた背中の赤く割れた傷の痛みだけが、かろうじて彼の正気を維持させていた。

(僕は間違っていない……)

 この数日の間にユキザネが目にしたものは、解放と治安維持という目的のもと、老若男女の民間人を兵士が次々と殺戮していく様子であった。

 何かを訴えかけてきた老人を力尽くで地面にねじ伏せ、後頭部を銃弾で貫いていく所作は、細い葦を根本から折っていくよりも簡単そうにユキザネには見えた。

(僕は間違っていない……)

 ユキザネがヘリと共に駐屯しているキャンプ基地の周辺では、家族を些細な理由で殺された者たちの恨みの泣き声が一日中止むことはなかった。

 あの時、ユキザネは耐えられなかった、というよりもむしろもう終わりにしたかった。

ターニャによく似た農婦が、石塀の方へ引きずるように連れ去られていく夫にしがみついて、大きな声で泣き叫んでいる。

 背格好の高い一人の若い兵士は、うるさそうに右手で持っていた拳銃の銃口をその農婦の眉間に力強く押しつけた。

 ユキザネは反射的に飛び出し、その兵士の背中に飛びかかると、細い腕で後ろから首を締め上げた。その様子に気付いた周りの兵士がすぐに駆け寄り、ユキザネを引きはがし、小さな体を勢いよく地面に叩き付けた。

 地面を跳ねたユキザネに容赦なく兵士の蹴りが入った。その度に硬い靴の先が何度も小さな身体に食い込んだ。

 その騒ぎに乗じ、農婦と夫が手を連れ立って人の波の中に消えていく様子をユキザネはかすかに見ることができた。

(僕は……間違って……いない)

「このガキ、気持ち悪いな。泣くこともしねぇ」

 空のバケツを手にしたひげ面の男が、吊されているユキザネを驚いた様子で見つめていた。

「俺、何か興奮してきたぜ、こいつを犯りたくなってきた」

 鞭を手にした筋肉質の男は、さっきからユキザネのあらわになった傷だらけの背中に爪を立てている。

「けけっ!馬鹿野郎、軍曹からガキのケツを破れとは命令を受けてねぇ、それにこいつはゲリラの子供じゃねぇ、うちのヘリのパイロットだぜ、それはやめときな」

「だまってりゃ、わかんねぇだろ、ほぅら、こいつの肌、ツルツルだし、何より良い匂いだ」

 男は破れたスラックスの間から伸びるユキザネの足首を掴み自分の顔に近付けた。そして、脂ぎった鼻の穴をひくひくとさせ、少年の蒼い匂いを舐めるように堪能した。

 急に建物の外で何かが爆発するような音と振動が起こった。人々のざわめきがかすかに聞こえてくる。

 ユキザネにリンチを加えていた男たちは、持っていた道具を放り出すようにして、慌てて部屋から走り出て行った。


 兵士が司令部にしている建物の周りに次々とロケット砲が撃ち込まれていた。

ユキザネが乗ってきた戦闘ヘリの後部にもそのうちの一弾が命中し、炎と黒い煙が上がった。

兵士らは、逃げ惑う人々に何の呵責も無く次々と発砲を繰り返しながら、血眼になって、ロケット砲の発射場所を捜しはじめた。

 この場所で彼らが戦っている相手は侵略者の虫ではない。

 宗教や生活習慣を異にしただけの生身の人間である。

(僕は間違っていない……よね……お母さん……アレク……)

 神はユキザネが気を失った間だけ、彼に黒犬のアレクと野山で遊ぶ夢を見ることを許した。


(返事をして……ねぇ)


 吊されたままのユキザネの身体が、ロケット砲が着弾する度にふらふらと揺れる。

ぼんやりと見ている景色が陽炎のようにゆらぐ中、頭の中に少女の声がまたかすかに聞こえてきた。

(どこにいるの?返事をしてよ、もうすぐ準備ができるのよ)

 自分を誘いかけるような言葉が心に飛び込んでくる。

どこかで聞いたことのある声だったが、もう、そのことを思い出す余裕すらもなかった。


「こっちだ!」

 兵士の怒号と子供たちの泣き叫ぶ声が廊下の向こうから次第に近付いてくる。

扉が開くや、汚い身なりをした子供が三人、部屋の中に蹴り入れられた。そして、その後を顔を煤で汚した兵士が二人、暴君のような振る舞いで入ってきた。

 子供たちは抵抗することもなく、吊されたユキザネの足下まで転がり、互いにすがり付くように固まると、ひいひいと泣き続けている。

 ユキザネは自分とたいして年の変わらない少年が二人と少女が一人であることに気付いた。

「お前ら、近くで見ていただろう!どんな奴が撃ってきたんだ!」

 子供たちは兵士の言葉に泣きながら首を振って否定した。

「違う?そんなのが通用するか!見ろ!」

 一人の男がサバイバルナイフを子供の首に突き立てた。

「このぉ言わねぇと、このガキの首が落ちるぞ」

 刃に触れている首筋から血がゆっくりと流れ出た。兵士に捕まれている子供は、白眼のまま口から泡を吹き出した。

「やめろ……お前たち……やめろ……」

「あん?」

 ユキザネが兵士を睨んでいた。

「お前は、吊されている身分で何言ってやがる、ああ……吊されているのが飽きてきたのかぁ、よぅし、ここにいるガキ一人殺したら今までのこと許してやってもいいぜ、ぎゃははは!」

 兵士はそう言ってユキザネのすぐ鼻先まで顔を近付け、唾を吐きかけた。


(返事をして、すぐに迎えに行ってあげるから……)


「気失っているガキ殺しても面白くねぇ、そこのメス連れてきな」

「キャー」

 少女がもう一人の兵士に抱きかかえられ、ユキザネの前に突き出された。

 埃で髪が白く汚れた少女は恐怖の感情に呑まれ呆然とユキザネを見つめているだけであった。

「豚、このガキがお前のこと殺したいってよぉ、恨むならこの吊されたガキを恨めよ、それともその前に正直に話すか?まず、この汚ねぇ指から切り落とすか?」

 少女の足下に水たまりができた。

「汚ねぇ!この豚、漏らしやがった!」

 兵士はボールを投げつけるように少女の身体をコンクリートの壁にぶつけた。

ユキザネの止める声も空しく、少女は小さな嗚咽を最後に身体の痙攣を止めた。

「もったいねぇ、メスガキは楽しみ用にとっておけって言ったじゃねぇか!」

 もう一人の男が獣のようにわめき、投げつけた男をなじった。

「やめろ!お前ら!お前……殺し……殺して……やる」

 ユキザネの心臓が大きく鼓動し、見開いた目から血のような赤い涙が流れた。

 レイクレイの収容所で出会った少女の顔がユキザネの脳裏に瞬時に広がっていく。

金色の繭に包まれた少女の顔に満面の笑みが浮かんだ。


(うふ……見ぃつけた……)


「ぐぅ、痛ぇ、頭が……」

 ユキザネのそばにいた兵士の一人は急に頭をかかえて苦しそうなうめき声をあげた。

「おい!どうした!」

 横にいた兵の声も空しく、壁にふらふらと何度もぶつかってからパイプ椅子ごと床に倒れ込み泡を吹いてその場に悶絶死した。

 ユキザネは吊されながら冷たくその死体を見つめていたが、ゆっくりともう一人のうろたえている兵に目を向けた。

「がぁっ!」

 兵士が苦しみだした。


(もう最高よ、さっきからとても感じるの……ねぇ、もっと私を見て、私を知って……あなたにもっと死の力をおくってあげるから……)


 ユキザネの頭に『死の塔』の少女の声が乱打する教会の鐘の音のように繰り返されていく。

 卒倒した兵士は舌をだらしなく口からたらしたまま絶命した。


 薄い真鍮カバーの掛かった裸電球がキイキイと音を立て小さく揺れる。

部屋の中で動く気配を感じたユキザネは息を荒く吐きながら鷹のような目で音のする方向を探った。

 二人の子供が歯をがちがちと鳴らし部屋の隅で抱き合いながら震えているのが見えた。


「あ……」


 多くの子供たちを後ろに従えている『死の塔』の少女が幸せそうに笑っている幻影がユキザネを赤い霧で包んでいく。

 耳の奥の「殺せ」という何千人もの陽気な子供たちの声は、神をたたえる合唱曲のように、あまりにも甘美な旋律となりユキザネの心をがっしりと掴んでいた。


「だめ……」


 赤く深い霧の中にいるユキザネのそばに葉月が立っていた。

「葉月……何でここにいるの」

 葉月は伏し目がちな表情のまま、羽毛のように軽い手でユキザネの腕をとった。


 ユキザネは大きく目を見開いた。

二人の子供は部屋の隅で顔面を蒼白にしたまま、まだ震えている。

音楽が止み、遠くで銃を発砲する音や手榴弾のような物が爆発しているような乾いた音が耳にかすかに飛び込んできた。

「ねぇ……僕を降ろしてくれる……」

 二人ともはじめは全く無言のまま、ユキザネを見つめることしかできなかった。

「そこのナイフでロープを切ってくれるだけでいいんだ……」

 ユキザネの力無い願いに年下の少年の方が先に辺りを用心しながらゆっくりと立ち上がった。そして、怖々しく床に落ちていたサバイバルナイフを拾い、パイプに繋がり幾重にも巻かれた太いビニール製のロープへ慎重に刃をあてた。


(三)


 ジョゼがユキザネを迎えに行ってからもう八時間は経っている。

「誰だよ、ここに雑草植えている奴は、邪魔だろぉ!」

 整備兵のウォルフガングが、窓際の工具棚にあった白い植木鉢に気付き周りを見渡した。

「あ、私です、ごめんなさい!」

 ロシナンテのコクピットで調整作業を行っていたミンは、子猫のように素早く、そこから下りるとその整備兵から植木鉢をもらい受けた。

「ミンちゃんか、きれいな花ならわかるけど何でこんな雑草育ててるんだい」

「ううん、これは雑草じゃない、タンポポ……きれいな花が咲くじゃないですか」

「えっ、ただの雑草だろ?」

「私の思い出の花なの……あっ……蕾がふくらんできている!ほら!ほら!見て!」

 ウォルフガングもそう言われると何となく気になってきたようで、ミンの指さしている箇所に目をこらした。

「うん、確かに蕾だ、しょうがねぇ、工具ずらしてやるから、もっと陽の当たる所に置いていいぞ」

「ありがとう!」

「河井小隊は至急、ブリーフィングルームに集合しろ」

 格納庫にアナウンスが入った。


 小さな幸せの喜びを噛みしめていたミンはその数分後非情な命令を聞かなければならなかった。

「東方向より輸送機が一機索敵エリア内に侵入、二機の高機動騎兵兵器が降下した、降下地点はここより百五十キロ」

「よし、たった二機か、俺が『バステト』で墜としてやる」

 河井の話を聞き、ウィルの声にも力が入った。

「いや、ウィルの『バステト』は基地の最終防衛線上で待機、戦闘車両の保護を優先する、ミンはロシナンテで上空よりその援護、敵は分散する可能性もある、また、戦闘車両では、機動騎兵とは太刀打ちできないので論外だ」

「えっ!何を言っているんですか?こっちも二機とミンのロシナンテがあれば」

「輸送機や施設を破壊されたら、その後の作戦にも大きな影響がでる」

 ウィルは自分の悪い予感が当たらないような気持ちで河井に聞いた。

「隊長……もしかして……二機のMAOって……」

「三号機と二号機改、そのうち二号機は葉月の『サイベリアン』だ、命令は以上、それ以上の行動は慎め、いいな、特にウィル」

 河井はそう言うと、机上にあった自分のヘルメットを手にとった。

「隊長が何で葉月ちゃんと戦わなくちゃいけないんですか!」

 ミンが泣きながら、部屋から出て行こうとする河井の前に両手を広げ立ちはだかった。

「ミン、あいつを撃てるのはこの部隊では俺だけだ、お前たちに葉月が殺れるか?」

 河井はミンの頭を右手で優しくなで、静かにミンの身体を横に押しやると無表情に佇む自分の機体へと後ろを振り返らず歩いていった。


「安定翼のスペアが無かったんで、言われたとおり片方も外しておきました、低速度の安定度は増しましたが、高速度での機体制御が三十パーセントダウンします」

 整備兵が近付いてきた河井に言った。

「すまない……」

 河井はそう言って『リンクス』のコクピットに着座した。

 エンジンの出力は上がっていく。

ふと、横を見ると出撃する河井の機体を整備兵たちが一列に並び、帽子を振って見送っていた。

(いつからだろう、蒼い空を忘れ鉛色の煙を愛するようになったのは……)


(四)


 リューバはこの頃、軍の戦闘機が上空を飛ぶ回数が増えてきたように感じていた。

 今朝も戦闘機の轟音が雪で白くなった丘の上を通り過ぎていくのを聞いた。

(ここも戦争する場所になってしまうのかな)

 牛の乳を出す量も日増しに減り、飼っている雌鶏が卵を産まなくなってきているのも気になっていた。

 たった一人の兄が東京湾で戦死したという通知が届いて以来、今までの心労がたたったのか母親のターニャはベッドから起き上がることもできなくなる程生きる気力を無くしていた。

 その傍らには犬のアレクが見守るようにずっと寝そべっている。

 リューバは兄が笑って写っている写真立てについた埃を丁寧に一つ一つ拭いた後、また、元通りの位置に戻した。

「どなたかいませんか?」

 扉が叩く音と聞き覚えのない女性の声が聞こえてきた。

 リューバは拭き掃除していた手を休め、玄関の方へ行き木の扉を慎重に開けた。

 そこには自分と同じくらいの年をした赤い髪の少女が立っていた。


「ターニャ・ソーンツェアさんのお宅ですか」

「どちら様でしょうか」

「あぁ、あなたがリューバさんね、聞いていた通りだわ」

「え、ええ。あの……あなたは……」

 きびきびとした声の見知らぬ少女が自分の名前を知っていることにリューバはたいへん驚いた。

「私はジョゼッタ・マリーと言います、我が隊所属ウィリアム・ボーナムの伝言を預かってきました、それとアキ・ユキザネはこちらにいますね……」

 針葉樹の梢に積もっていた雪の固まりがまた、一つ地面に落ちていく。ようやく犬のアレクが来客に気付き、元気のない声で吠えながら階段をのそのそと降りてきた。


 テーブル上のジャム入りの紅茶が冷めた。


 リューバからユキザネが出て行ってしまった経緯を聞き、ジョゼは愕然とした。

(見付ける?背後に大国が絡んだ状況ではまず捜し出すのは無理だ……まして、短時間のうちに……)

『ユキザネ所在不明』

ジョゼは今、そう判断せざるを得なかった。

 突然、腕に装着していた小型通信機から小鳥のさえずりのような呼び出し音が鳴った。

 ティンダスク基地のペイス通信兵からであった。

「失礼します」

 そう言ってジョゼは席を立つと、屋外に出、通信機を耳に当てた。

「ジョゼ、死の塔が予想よりも早く動きやがった、大尉がユキザネの状況を気にしているどうなっている?」

「最悪よ、ユキザネはここにいなかったわ」

「何だって?ああ、直接大尉に代わる」

 ペイスの軽い声からプラントの太い声に替わり、ジョゼの耳にがんがんと響く。

「ご苦労!あん?いない?そうか……そこまで上手くいくとは思っちゃあいなかったよ、でもな、まだ、あきらめるな……」

 プラントはたいして驚きもしない、そのことがかえってジョゼを驚かせた。

「東京湾の『死の塔』から妖精の群れが東に飛び立ったが、目的地がまだはっきりしねぇ、今、ニイガタ上空、予測では朝鮮半島をかすめ、俺たちの基地の南を通っていくコースだ、まぁ、その前にどこかに居座るかもしれないがな、そっちに何か異常はあるか」

「いえ、まだ何も」

「これから近くに潜んでいた虫が集まってくるかもしれねぇ、今、知りたいのは、どこに集まるかだ、できれば連合軍の連中よりもその地点を早くつかんでおきたい」

「大尉、もしかして、そこに……」

「ああ、そこにユキザネがいると考えてもいい、虫から教えてもらうとは皮肉なことだがな、今、自由に動けるのはお前だけだ、すぐにロシナンテに戻って次の命令があるまで待機していろ」

「了解、すぐに戻ります、大尉、一つ質問してもよろしいでしょうか」

「河井軍曹のことか?」

「はい」

「別の作戦を遂行中だ、なぁに、心配いらねぇ、俺はお前らや奴を信じている」


 ジョゼが通信を終えると、目の前に思い詰めたような顔をしてリューバが立っていた。

「マリーさん、お願い、私も連れてって下さい!」

 一迅の風が降ったばかりの粉雪を大きく巻き上げた。

 ジョゼは一呼吸おいて、力強く言った。

「じっとしていられない気持ちは私にも分かるわ、でも、だめ、リューバ、私は未来を信じている、その為に虫と戦っているの……でもね、助かった人たちが自己中心的で残忍な人たちばかりだったら嫌、絶対嫌……そんなことに私は命をかけたくないと思っている、だからね、あなたやあなたのご家族のような優しい気持ちをもった人たちがこの世界に少しでも多く残っていてほしいの……ウィルや私のような生き方をする子供たちをこれ以上増やしてはいけないの、私には私の、あなたにはあなたのつらい戦いがこれからあると思うわ……だけどあなたの戦いの場は戦場ではないの」

「それでも!」

「それにね……ユキザネの帰ってくる場所がなくなると、私がウィルに怒られちゃう、あいつ昔から本当に頭にくるほどうるさいんだ……」

 犬のアレクがリューバの足にすり付くようにして力なく甘えた。それは出て行こうとするリューバを引き留めるような仕草にも見えた。

「ありがとう、リューバ、また会いましょう……今度来るときは明るいけど泣き虫な中国の女の子や甘い物が大好きな日本人の女の子も連れてくるわ……この素敵な家でゆっくりおしゃべりさせてね……」

 ジョゼは、アレクの頭を軽くなでた後、すぐに雪道を駆け下っていった。

(わたしの戦い……)

 リューバは降りしきる泡雪の中に白く消えていくまでジョゼの後ろ姿を見つめ続けた。


(五)


 連合軍の大型輸送機は戦闘機の迎撃を警戒し、はるか後方で二機のMAOの状況を詳細にモニターしている。

「全く心配いりませんね、あの狂ったガキ共が二人もいれば」

 広い操縦室の一角にいる通信兵の一人は誇らしげに言った。

「盗人の始末だぜ、たいした仕事じゃないさ、あの『死の塔』の攻略戦に比べりゃ休暇みたいなもんだ」

 その場に同席しているグラの顔には、まだ苦渋の色が浮かんでいる。

(葉月、河井軍曹二人とも死んでしまえば、もっと自分は楽になるのかしら……)

 時々、自分でも信じられない思いが彼女の頭をよぎる

「スレイブスシステムの状況は?」

 兵士がグラに問いかけた。

「異常なし」

(全てが異常なら……)

 グラの目は想像したくない予感に怯えていた。


 二機の黒い機体は針葉樹林の中、荒々しく雪煙を上げながら、獲物を追う動物のように駆け抜けていく。時には太い樹木を鋼の足で根元からへし折り、時には屋根まで雪に埋まった廃屋を潰し、毛細血管の如く細い道の痕をなぞっていく。

 彼らの通り過ぎた雪上を彩った物は、ひどく削れた線と松ぼっくりの実が付いたまま折られた樹の枝であった。

 プラントらが駐屯している基地はもう目前に迫っていた。


「イャッフゥウ!馬鹿がいるぜぇ!」

 ヴィラ・フェルナンデスはたった単機で迎撃を試みる河井のMAO『リンクス』に気付き、喜びの雄叫びを上げた。その様子をはじめは平静に見ていようとしたが、本能的に突き上げられる高揚感に我慢できなくなっていたのだ。

「ナンバーエイト!俺が殺る!てめぇは手を出すな」

 葉月のメインモニターには正面から左右に分かれ後ろに勢いよく流れていく樹木の映像が映っていた。サイドモニターのヴィラへいぶかしそうな目を一度向けたきり、自分の進む方向を凝視し続けた。

(河井……あいつは忌むべき男……私をどこまでも苦しめる……)

葉月は顔をゆがめた。

 猛烈な吹雪によって自機の構えているライフルの先さえも見えない。この不利な状況であったが、河井の心中に風一つ吹いてはいない。

(葉月……)

 廃墟となった都市で、二人で手を握り虫から逃げた思い出が静かによみがえる。

死にたいと泣いていた葉月をなぐさめていた自分。

引き裂かれるように横田基地で離ればなれになる二人。

頬を赤らめた顔で恥ずかしそうにプレゼントを渡そうとする姿。

うつむいていた河井はゆっくりと顔を上げ、レーダーに映る迫り来る二機のMAOの赤い光点を静かに見つめた。


 『リンクス』頭部のメインカメラを覆う強化ガラスが七色に一瞬発光する。河井の機体は凍り付いた雪で全身に銀色の毛をまとわせた。黒い針葉樹林がブリザードで大きく波打ちながら、シベリアの大地をはるかに広がる大海原のように変貌させた。

「糞ジャップ!死ね!」

 戦闘の火蓋がとうとう切られた。遠距離からヴィラの乗る白い『リンクス』がライフルを乱射した。河井は握っていたスロットルを大きく手前に引き、機体を急激にスライドさせた。

(!)

 白い閃光が恐ろしいほどのスピードで正面を走る。

葉月の『サイベリアン』がアームストロングキャノンを発砲した。

 蒸発した雪が寒さによって一瞬のうちにキラキラと輝く氷結した粒と化し大きく巻き上がった。

 河井は目を思い切り見開き、全身の感覚を極限まで研ぎ澄ませる。

 ヴィラは、葉月の砲撃の合間を縫うように河井の機体へ接近を続けた。

「たった一機だとぉ……俺たちの腕を見くびりやがって!ふざけやがって!」

 ヴィラのライフルから吹き出した体液のように空の薬莢がほとばしる。

「!」

 河井は背部バーニアを青く光らせ、樹木に隠れるようにしながら、反撃の機会をうかがっていた。

「お願い……死んで……あなたには死んでもらいたいの……」

 葉月の冷たい声が河井のコクピットに響いた。

「葉月だな、あいにくだが……」

 河井はヴィラの機体が背後に回らないよう、ライフルで相手を牽制した。

「俺たちはまだ希望を捨ててはいない……そして……」

 河井の機体のすぐ脇を葉月の撃ったキャノンの光弾が轟音を巻き上げ、樹木を吹き飛ばしていく。

「お前との約束を守る」

 狂乱の時が戦いによってのみ刻まれていく。

三匹の猫が踊る舞台を白い吹雪で隠すことが精一杯の神の優しさであった。




(六)


「みんなは……」

 目を覚ましたカスガは、片時もそばを離れてないジャニスにベッドから半身を起こしながら聞いた。

「羽のない『リンクス』が単機でどこかに行った……もう一機の空飛ぶ猫とロシナンテは、まだここから見える所にいる」

 ジャニスは雪が窓うつ戸外を見つめ、小さく答えた。

 まだ痛む身体ではあったが、カスガは、指の先まで神経がつながっていることに、まだ自分が自分として生きている喜びを感じた。

「僕も行かなくちゃ……あの……手を貸してくれる?」

 カスガにつながれていた点滴の管が、無言のジャニスの手によって全て外された。

「お前、死にに行くのか?」

 ジャニスがうつろな目をして聞いた。

「ううん、僕が今できることをしにいくだけだよ……」

「私も行く!私を置いていくな!一人はいやだ!」

 突然彼女は不安の滲む幼女の表情に変わり、カスガにすがりついた。カスガは、はじめ戸惑ったが、彼女も自分と同じ不安と不幸の色によって染まり育成されてきた人間だと思うと、むげに断ることができなかった。

(カスガ!おめぇは不安で震える女を一人で置いて行く気か?そんな男は俺たちの仲間にはふさわしくねぇぞ、いつも言ってるだろ!愛だ!愛!愛があるからどこにだって飛べるんだ!空だから、ベッドだからなんて関係ねぇ!)

 その時、懐かしいジェシー軍曹の声がどこかで聞こえたような気がした。

「一緒に行こう、みんなは君のことを必ず受け入れてくれる……」

 そう言ってカスガはジャニスの震える手をしっかりと握り、力を込めて言った。


「大尉、カスガと少女パイロットが滑走路にいます!何、危ねぇことしてるんだ」

「何?」

 輸送機の操縦席の後ろに座っていたプラントは立ち上がって、風防ガラス越しに連れだってゆっくりと歩く二人の姿を認めた。

「もしかして脱走?カスガはあの女のガキに脅されているのかもしれません」

 プラントは輸送機パイロットの言葉に大きな笑い声を上げた。

「わはははは!見ろ、ガキだと思っていたが、あいつもいっちょまえのバカだ、見ろよ、手ぇしっかりと握ってるだろ、すぐに『バステト』と『ロシナンテ』に回線を開け」

「こちら『バステト』ウィル」

「見えてるか?」

「見えています」

「若い頃はな、鼻毛の抜けるようなくだらねぇことでも、周りが見えなくなっちまうもんだ、それが男は女に、女は男にな、それで俺も失敗したことは腐るほどある」

「し、失敗ですか?」

 ウィルは驚いた顔をしてプラントの言葉を聞き返した。

「だから、糞つまらねぇ人生に色がつくんだ、特にお前らのような真っ白な人生にはよ、カスガを『バステト』に、あの拾ってきた子猫は『ロシナンテ』に乗せてやれ、怪我していても少々のことは気にするな、奴はそれを覚悟で寝床から這い出してきたんだからな」

「えっ、二人を分けてしまうんですか?」

 ミンが聞いた。

「そういうのは、親の見えないところで帰ってきてからするもんだ」

 それを聞いてミンはきょとんとした顔をした。

「どんな意味ですか?」

 周りの兵士ももう笑いをこらえきれない。中には腹の底から大笑いしている者もいた。

「誰でも未来になりゃわかる、人との出会いは早いか遅いかのわずかな違いだけだ、そういうお前らの為にあいつは今、気張ってるんだろ?」

 基地のレーダーに映る河井を示す緑の点は、敵の赤い点と重なるように点滅していた。




(七)


 雪を伴った強風が急速に激しさを増しライフル弾の軌道を隠した。凄まじい速度で河井の機体は雪上を移動する。

 そのすぐ横を併走しながらヴィラの『リンクス』は密雲に姿を紛れ込ますように射撃を続ける。葉月の『サイベリアン』も近距離からライフルを絶え間なく撃ち込んでくる。

 河井の銀色の『リンクス』の前に、雪でできた白い小山がいきなりせせり上がった。

「てめぇ、逃げるのは得意そうだな」

 ヴィラが、甲高い声で河井を罵った。

 熱によって溶け落ちた雪が滝のように河井の機体のメインカメラを濡らす。

「もう死んでよ……お願いだから!死んで!」

 葉月が発狂するように叫び、アームストロングキャノンの引き金を引いた。

 河井にできることは空気の渦に巻き込まれないようにすることだけであった。空気は雪の細かい粒を伴うと、信じられない威力で辺りにある物をより破壊していく。

 河井は、宙に舞った太い樹木をライフルの持っていない左アームで掴むと、横から突入してくるヴィラの方へ銛のように放った。

「こんな子供だましで、俺が落ちるとでも!」

 大声を上げてヴィラが笑った瞬間、彼の足下から猛烈な爆発が起きた。

「接触式グレネード……こんな所に?」

 ほんの一瞬のひるみを河井は見逃さない。

スナイドルライフルの弾丸をヴィラの機体の制御翼に叩き込んだ。枯れ枝に付いた落ち葉が飛ぶようにして翼が落ちた。

「ぎゃぁ!貴様!殺す!殺してやる!」

 その機体を葉月の『サイベリアン』が横からぶつかり、さらに大きく吹き飛ばした。

「ナンバーエイト!な、何しやがる!」

 葉月の機体に河井の放ったミサイルが着弾した。彼女がカバーに入らなければ、ヴィラの『リンクス』の頭部は間違いなく破壊されていた。

 しかし、装甲の厚い『サイベリアン』には無意味な攻撃であった。

「!」

 河井には、ライフルを構え唸りを上げて接近する葉月の機体が黒い影絵のように見えていた。


 ヴィラは自分のパイロットとしてのプライドが陵辱されていることに我慢がならなかった。自分が他人に認められる場所、狭く冷たいコクピットは彼にとっての唯一の心休まるゆりかごでもあったのだ。先の死の塔の妖精戦においても遼機がダメージを受けている中、ほとんど傷を受けていなかった愛機がたった一機の敵の為に翼をもがれ、地に無残に落ちた。自分よりも劣っていると思っていた葉月に助けられたことも月のない闇夜のような屈辱感を倍増させた。

「ふざけるなぁ!」

 ヴィラの『リンクス』が、河井と葉月の機体の間に滑るように分け入り、河井の機体に向けライフルを狂ったように発砲した。

 河井は機体を雪の中へ潜り込ませるようにして伏せたが、銃弾は頭部のアンテナを引き千切り、一部は背部ブースターの吸気口にもにぶい金属音をあげ食い込んでいった。そして、すっかり耳慣れたシステムの警告音を無視し、葉月とヴィラの無謀とも思える攻撃の動きを注視した。

「うぇっ!」

 ヴィラの機体装甲の表面に丸く黒い穴が無数に開いていく。その場所から蒸気のような物が吹き出すや瞬く間に機体が紅蓮の炎に包まれていった。

「あの女!俺を撃ちやがった?えっ?うぉっ!」

 葉月は、ヴィラに背後からさらに銃弾を浴びせかけていく。ヴィラの周囲を囲んだパネルが腐った板のように大きく膨らんだ後、押さえていたものを全てはき出すように、限られたコクピットの空間に溢れ出た。

 彼の機体を形作っていた部品は主人であるヴィラの内臓を深くえぐった。

「ぐぇっ!」

 ヴィラ・フェルナンデスは自分の家で飼っていた小さなトラ猫を「僕のものだ。」と兄弟で笑いながら取り合っている幻を薄れゆく意識の中に見た。

「あなたも邪魔されたらこうしたでしょうに……」

 葉月はそう一言吐き捨て、鋼の廃棄物と化したヴィラの骸を飛ぶように乗り越えた。

(仲間をも殺すか……)

 河井は脚部に装備したミサイルポッドの全弾を葉月の機体に向け解き放った。ミサイルの束は始めに絡まり、徐々に離散しながら黒々とした機体を猟犬のように追い求めていく。

 葉月はライフルを掃射し、先頭のミサイル群を破壊した。その誘爆に巻き込まれた後続のミサイルは衝撃と熱により空中で自爆し火柱を吹き上げ、葉月の黒い機体を赤々と照らした。炎のカーテンの隙間から、撃ちもらした数発のミサイルが煙の裾を引きずり、尚も葉月の機体を執拗に追尾する。

 葉月の射撃がミサイルを撃墜した瞬間、まばゆい光が辺りを照らした。

「閃光弾!ダミー?」

 閃光弾は、爆発と共にレーダーを攪乱させるための電磁波を帯びた金属粉を風に乗せ四方にまき散らした。メインモニターの遮光システムも間に合わない程、強烈なフラッシュの断続の中に河井の気配がおぼろげに浮かぶのを葉月は感じた。



 薄青い空の下、立ち上る煙の間に浮かび上がる秩父連山の山並み、その麓まで続くかのような荒れ果てた廃墟が目前に広がる。

 破れたワイシャツを着た少年が泣いている昔の自分に優しく手を差しのばしている。

(歩くんだ……)

(歩くったってどこに行くの、もう家だってないし、どこに行っても殺されちゃうのよ)

(それでも行くんだ)

 力強い瞳とぬくもりのある手……その手を葉月が握ろうとすると、ぼろりと腐れ落ちた。

辺りがいきなり暗くなると、自分が守ることのできなかった兵士や子供たちの青黒く変色した顔が彼女を囲み、何かを訴えようと座り込む葉月を上から黙って見つめていた。葉月の心の中を無数の足を持った虫がぞろぞろと音をたてて這いずり回った。

「いやぁ!一緒に殺して……お願い!私も殺してよ!」

 締め付けられる胸の痛みと息苦しさをこらえ、葉月はアームストロングキャノンのターゲットマーカーを点灯させた。



 河井の銀色の『リンクス』は,しっかと雪の大地を踏みしめ、ライフルの銃口を葉月に向けて仁王立ちに立っている。

「葉月……俺はお前を……」

 アームストロングキャノンの砲口にエネルギーが充填されたことを告げる光の輪がきらめいた。


(八)


「『サイベリアン』パイロット限界数値まで上がっています」

 兵士の声は上ずったまま、グラに数値を読み上げている。

「そのまま行かせなさい、スレイブスシステムは継続、でないと彼女が墜とされる」

 どのような戦いになっているのか、地上の様子はわからない。ただ、戦場となっている森林が二人の悲しみに染められているのは間違いない。

 輸送機のコクピット内に葉月の『サイベリアン』の異常を知らせる警告音が鳴り響いた。

「葉月!」

 グラはなりふり構わずモニターにすがりつくように飛びついた。


 基地に待機していたプラントたちも、事態の成り行きを見守っていた。

 レーダーから二機のMAOの光点が全て消え、森に再び深い静寂が戻った。

「大尉……救助に行かせて下さい、僕たちを……」

 ウィルの声は、震えていた。

「お願いです!私たちを!」

 カスガやミンも顔を硬直させたまま訴えた。しかし、プラントは険しい目を向け、一言だけ言った。

「迎撃成功、予定通りだ」

「何が予定通りなんですか……何が……」

 ウィルの顔は強ばった。

「ガキ共に命令する、これから俺たちは先に『死の塔』へ戻り猫の進入路を確保する、お前らはジョゼと共にユキザネ救出後、俺たちの後に続け、遅れることは許さん」

「大尉!」

「うるせぇ!虫姫の奴隷妖精がユキザネと接触するか、お前らがユキザネと共に塔でほくそ笑んでいる虫姫を倒すか、今の俺たちにゃ二つしか選択肢はねぇんだ、お前らの味わう地獄はこれからなんだよ……何の為にお前らの隊長は単機で行ったと思っているんだ?」

「僕たちをかばって……」

 カスガがぽつりと言った言葉をプラントは否定した。

「お前らや俺たちをかばう?くだらねぇ、全人類の重すぎる未来を俺たちにゆだねたんだ、分かったらすぐに飛べ!一秒でも早くユキザネを虫よりも始末の悪い腐った連中から奪い取って来い!」

「任務……了解しました」

 ウィルとカスガもそれ以上のことを言わず、機体の翼を大きく広げ、低くたれ込む雲の中に飛び立っていった。


「大尉、ガキ共はこんな状態でやれるのでしょうか?」

 ペイス通信兵がプラントから目をそらしたまま聞いた。

「愚問だな、俺たち大人がガキ共の可能性を信じなくてどうする?」

「ははは!そうでした、あいつらならやってくれる、そうだ、そうですね!」

「チェをすぐに『リンクス』の機体回収に向かわせろ、まだ使用できる部品があればストックしておきたい」

「了解」

「基地内の全兵士に伝達、河井軍曹の生死確認より三時間後、当基地を放棄、次の作戦遂行地点は東京湾『死の塔』、いいな!」

(『ならず者』部隊らしく最後まで好き勝手にやらせてもらう……な、てめぇら……)

 死んでいったブルートやオッターをはじめとした兵士たちの幻影は、プラントの周りでは皆満足そうな微笑を浮かべていた。


(九)


(中央アジア……国境付近、ううん、もっと北上するかな)

 ユキザネがいるであろう場所を補足するため、プラントから送られてくるデータと近距離レーダーシステムをリンクさせることに夢中になっていたジョゼは、太い針葉樹の影からちらちらと顔をのぞかせる人の動きを見留めた。

「もう人が集まってきたか、警備兵が来るとまずい」

 ジョゼはスロットルを手前に引き、垂直離陸の位置に固定すると操縦桿を握った。ロシナンテ戦闘機の後部ノズルが下方向に直角に曲がると、噴射により積もっていた地面の雪と水蒸気がうず高く舞い上がった。ジョゼは機体の高度を保つとゆっくりと機首を右に旋回させていく。

(本当に美しい場所、今度はここにいつ来れるかな……)

 ブースターに点火された音がリューバの故郷の森に響いた時、機体はすでに雪雲の靄の中に消えていた。


「ウィル、ジョゼの機体と妖精群を捕捉できたよ」

 後部座席に乗るカスガのレーダーに光点とジョゼの機体番号を表すコードが点滅した。

「ウィル?」

 ウィルは二度呼びかけられて、はっと我に返った。

「あ、わりい。俺、あの時うろたえた自分が恥ずかしくて……大尉に悪いこと言ったんじゃないかって考えていたんだ、でも、こうやってお前やミンたちと空にいて、今、飛んでいることだって俺にとって十分奇跡なんじゃないかって思ってさ……」

「僕もだよ……あの時、悲しんでいたって先には進まないことを大尉は僕らに言いたかったんだと思う、アキを救えるのは今は僕たちしかいないんだ」

「何だ、お前もか、そう、思っていたのは俺だけじゃなかったんだ、カスガ、お前……大人になったじゃないか」

「違う、ウィルが子供だったんだろ」

 二人の笑い声はどこまでも明るかった。その軽やかな空気に乗るように『バステト』は速度を一段と増していく。


「こんなんじゃ追いつけないよ、みんな、みんな嫌い、嫌いだ」

「それなら任務を遂行しなければいい、私が操縦してやる」

 ミンのつぶやきを聞いていたジャニスは答えた。

「任務を……できない、自分だけ逃げるなんてことなんて」

「自分で答えが出ているものに考える必要はない」

「そんなの……」

「私は泣く奴が嫌いだ」

 ジャニスの短い言葉はミンの心を野バラの刺のように刺した。そして、頬を膨らませて怒っていた表情をも変化させた。

(私だって、泣いてしまう自分が嫌いだ)

 ミンの機体も数秒後には音速をはるかに超えた速度で、雲のスケートリンクを滑るように飛行していた。


 チェ曹長は雪上車を駆り、河井軍曹の救出に向かっている。

 寒気は樹林の中に濃く漂い、残り四人の兵士も不安と諦めの広がった表情でわずかに開いたスリットから、降りしきる雪だけを眺めていた。

 機体の信号が消えたエリアに踏み入れるほど、MAO同士の戦闘が尋常でなかったことを告げるように、至る所に焼け焦げたままどうにか幹の一部だけを残した森が続いた。

 そして、その木々さえ無くなり、巨大な熊手で掘られたような穴が前方に無数に点在している風景へと段々と変わっていった。

「曹長、森が消えています……」

「ああ、たった短時間でこうなっちまうなんて、河井がいなけりゃ、俺たちは化け物のような兵器を相手にしなければならなかったのかもな」

「熱源反応確認しました、ここから進路十一時の方向五百十一メートル」

「救難信号は」

「出ていません、空気中の放射能濃度がごく微量ですが、上がってきています、目標地点においては、さらに上昇している恐れもあります」

「機体の部品回収は難しそうだな、被曝量の高さイコール死神の宣告だ」

 チェは破壊されたMAO動力炉からの放射能であると直感した。

 その時、赤外線モニターで監視をしていた兵士が声を上げた。

「生体反応確認、進路十二時の方向、百五十メートル」

「止めろ」

 ライフルを握っていた兵士は自分の弾倉を確認すると、近付いてくるものの正体が明らかになるのを息を殺して待った。

 モニターをかぶりつくように覗いていたチェ曹長が突然張りのある大声を上げた。

「あの野郎!」


 河井は、積もった雪の上を歩くことが、こんなに困難なことだったのかと改めて実感していた。

しかし、どのようなことがあろうと、一刻も早く基地にたどり着かなければならないという気持ちだけが足を一歩一歩前に踏み出させていた。それでも、刺すような全身の痛みと寒さによる疲労は、かれの筋肉の力を少しずつ失わせていた。

「おうちに帰れるの……ねぇお兄ちゃん、お母さんはどこに行ったの……」

 少女の消え入るような声と息がかすかに河井の耳に触れる。河井は雪の中に腰を崩すようにしてしゃがみ込んだ。

「もうすぐ迎えに来る……心配するな」

 雪上車のオレンジ色のハロゲンライトが半身を雪に沈めた河井と、死人のようにうな垂れたまま背負われている葉月の姿をはっきりと吹雪の中に照らし出した。




(十)


 河井の放ったライフル弾が、臨界点寸前に達していたアームストロングキャノンの砲口の中心部を貫いた。行き場の失ったエネルギーは激しい衝撃で砲身を切り裂き、葉月の機体の装甲を内部から容赦なく吹き飛ばした。

「うっ!」

 葉月は背後からはじけるような凄まじい衝撃を受けた。が、反射的にライフルを河井の機体めがけて撃つことだけは忘れてはいなかった。

 河井は自機に多数被弾しながらも前進することをやめない。

「来るな!来るな!」

 葉月は自機の各部を失いながらも無言で迫る河井の『リンクス』に恐怖を感ぜずにはいられなかった。

 コントロールシステムに障害が広がっていくアラートが鳴り続ける中、ライフルのカートリッジが空になったことも気付かず、葉月は引き金を引き続けた。

「いやだ!来ないで!何で来るのよ!」

 河井の『リンクス』の頭部に葉月はライフルを思い切り振り下ろした。メインカメラを司る頭部は庇おうとした左腕部ごと強力な力で潰された。

 火花と血の色に似たオイルがその箇所から滝のように雪の上に降り注いでいく。河井はコントロールを失いつつある自機をそのまま葉月の機体にぶつけるように接触させた。そして、残された右腕のライフルでコクピットカバーの接続部分を破壊した。

 葉月の『サイベリアン』はぎこちなく動く右腕で河井の機体の動力機関の臓物をかきまわすようにねじ込んでいく。しかし、その動作もいつしか停止した。

 河井は自分と葉月のMAOがもう、死に近付いたことを感じ取った。

 残った力を振り絞るように葉月の機体のコクピットカバーをはがすと、河井の『リンクス』はその動きを止めた。

 葉月はコクピットシートの中で身もだえるように反応の消えたスロットルを何度も前後に動かす動作を繰り返した。

コンソールからは既に小さな火の手が上がっている。

 河井は自機のコクピットカバーを飛ばすと、自分の身体を固定していたベルトを外し、葉月のコクピットに飛び移った。

「動かない!動かない!私の『サイベリアン』が……」

 葉月はそのことに気付くことなく、半狂乱で泣きながら同じ操作を続けている。河井は葉月のヘルメットを即座に引きはがし、ベルトのロックを解除させた。

 髪の乱れたままの葉月は自分の置かれた状況に呆然とした表情を河井に見せた。

「お前は……私の敵……」

「帰るぞ……葉月」

 硬直した葉月の身体を引き出したと同時にコクピットの後部が小爆発を起こした。吹き飛ばされながら河井は葉月の身体をかばうようにしっかりと空中で抱きしめた。

(お前は私を苦しめる……なのに……)

 二機のMAOは地面に積もった真綿のような白い雪が二人を優しく包み込むのを見届けた後、各部から火の手を上げ、抱き合うように黒い煙に包まれたままその悲しい役目を終えた。




(十一)


 河井救出の報告を無線で受けたプラント大尉の待つティンダスク基地では一際大きな歓声が上がった。

 その一方でナリタの北米機動騎兵隊司令部には澱んだ空気が立ちこめていた。

「追撃部隊が全滅……あの二人が……葉月とヴィラだぞ……」

 シュミットは呻くような声を上げ、天を見上げた。

 皮肉にも立ちこめていた暗雲のわずかな隙間から陽光が差していく。

 自分たちの造り上げた究極の結晶ともいえる二人が、こうも簡単に迎撃されたことについて、シュミット自身、最初のグラの報告に耳を疑わざるをえなかった。

「せっかく、ここまで……」

 マハン大佐も深いため息をつき、自分の椅子に力なく腰をあずけた。

『死の塔』をレーダーで監視していた兵の一人が悲鳴のような叫び声を上げた。

「どうした」

 シュミットがすぐに声をかけた。

「う、動きました!塔の虫が繭の隙間から多数這い出てきています!」

「出撃できる機動騎兵は?」

「全機整備完了していますが、多量に投薬しているためパイロットの意識が皆完全ではありません」

「薬を打て、無理矢理にでも機動、出撃準備させろ」

「りょ、了解」


 虫や妖精の発する金切り声のような嬌声が『死の塔』の空に満ちていく。

(さぁ、あなたたち、喜んで!あの子がもうすぐここに来るのよ……うふふふ……)

 塔の影が冷たい風の中に揺れた。


(十二)


 満天の星がこぼれ落ちそうな空の下、ジョゼのロシナンテ輸送戦闘機は西へ速度をおさえ飛行している。

 メインモニターに『照合終了』と大きく文字が透かされると、ジョゼは気ぜわしそうにタッチパネルに指をあて、別ウィンドウ上で、算出された結果を開いた。

虫の群れの各地域からの進行予測ルートがモニター上のマップにCGアニメーションで描き出され、確率の低いルートが時間毎に次々と消え、残った予測ルートの交錯した箇所と、経度と緯度そしてその地域に関する情報が次々と表示されていった。

「みんな、聞こえる?ユキザネの位置のデータを転送するわ」

「セル……チェル……何て読むんだ?」

 ウィルは画面に表示された文字をすぐに読めず、カスガに聞いた。

「『カルセトニア』、異生物侵略の前から内戦が続いているところだよ」

「あいつ、それで軍に良いように利用されている訳か……くそっ」

 ウィルが悔しそうに言った。

「何、ぶつぶつ言ってるの、あと三分であんたたちと合流するわ」

 ジョゼがいつもの強い口調で、モニターからウィルをたしなめた。

「どうやって上手く救出したらいいんだろう」

 カスガが心配そうにウィルに聞いた。

「決まってんじゃないか、領空強行突破、んで、邪魔する東欧軍と共和国軍、ゲリラ全部ぶっ潰す」

「後々面倒にならないか、軍と交戦になるぞ」

「そんなの俺が知る訳ねぇだろ、何たって連合軍と交戦しているくらいだぜ」

「馬鹿、ウィル、あんたの脳は筋肉と爆弾でできてるんじゃない、大尉から何も聞いてこなかったの?」

 モニターの中のジョゼはあきれてため息をつき、大きく首をふった。

「ジョゼ、お前知っていたのか、早く言えよ」

「作戦も聞かないで飛び出してくる方が私には信じられないわ」

「もう、ジョゼ、早く教えてよ」

 ミンがたまらず通信に割り入った。

「ミン、あなたもなの……」

 ミンは照れ笑いの顔をジョゼに見られまいと、すぐにモニターのスイッチを切り、音声通信に切り替えた。

「私たちは空中で虫を追撃しながら領空に入る、もちろん、共和国防衛支援という名目でね、先導役はこの一番北にいる群れよ、東欧軍にも虫の動きの情報が入っている頃でしょ、ウィルは、ユキザネがいる可能性の高い目標地点へ先に急行、より詳細な地点を割り出し、多方向から来る虫の位置に気を付けながら東欧軍から奪還する、陸上での機動力は『バステト』の方が上だし応用も利くわ、その後、虫は間違いなくユキザネと私たちを追って来る」

「アキを捜索する時間は短いな」

 話を聞いたカスガはそう言ってじっと考えている。

「もし、アキちゃんが見つからなくて、虫や妖精が先に接触したら……」

 ミンは唾を飲み込み、恐る恐る確かめるように質問した。

「おしまいね」

 ジョゼの目の色に悲しさが浮かんだ。

「おしまいになんかさせねぇ、絶対させねぇ、俺がいる限りさせねぇよ」

 力強く否定するウィルの言葉にカスガが笑って短く付け加えた。

「俺たちだろ」

「悪ぃ、その通りだ」

 ジョゼの『ロシナンテ』の発する光が、流れ星のようにウィルには見えた。


(十三)


 この街に緑はない。

 道路の真ん中で大声を上げ投石をしていた若者は、黄土色をした戦車に見る間に潰され、ただの赤い肉塊となった。軍用トラックから飛び降りた兵士達は、上官の命令のまま背を向けて逃げる人々に向け銃弾と催涙弾を撃ち込んでいく。

 街のメインストリートは血とアスファルト、ガラス片が至る所に散乱していたが、その上を子供たちは裸足のまま少しでも安全な場所を求めようと泣きながら駆け抜けていった。

 散発的な銃声の後に続けて、巨大なバスドラムを叩き破ったようなロケットランチャーの発射音が地面を揺する。空気を切り裂く音の方向に振り向くと、建物の二階の一角が監視兵もろとも粉々に吹き飛ばされていくのが見えた。

 硝煙の匂いが充満する中を、ユキザネと男児、それに動かなくなった少女を背負った年長の少年は兵の目を避け建物の影伝いに走り抜けていった。

「隠れて」

 前方から人の来る気配を感じたユキザネは少年たちを制した。銃を手にした兵が二人、物陰に潜む子供たちに気付くことなく、互いにスラングを口走りながら、基地の方に慌てた様子で向かっていった。

 また銃声が鳴った。

二人の兵は、黄色い雪がかさぶたのように積もった道の上にうつ伏せの状態で倒れ、はずれた銃弾は細かく壁の破片をポップコーンのように辺りに飛ばしている。

(長い銃撃戦だな)

 ユキザネたちは流れ弾を避けるため、空き家となっている石造りの建物の中に破れた窓から潜り込んだ。家具や食器の散乱した部屋から人の生活の匂いはとうに消え、埃が立ちこめた部屋の窓から入る光が線となり、壁に足の折れたテーブルの影を描いているだけであった。

ユキザネは耳鳴りのような音をかすかに感じた。

「伏せて」

 圧縮された空気の塊が残っていた全ての窓ガラスを砕いた。戦車の放った弾頭は向かいの建物の一棟を煙の中に沈めていった。

「畜生!奴ら戦車を引っ張り出してきたぞ」

 隣の部屋に銃を構えた数人のゲリラ兵が叫びながら飛び込んできた。自分の身を隠す場所がないという全く予想外の展開にユキザネは緊張した。

「ピリー兄ちゃん!」

 一緒に隠れていた少年が、彼らの姿を見て立ち上がった。ゲリラ兵も銃口を咄嗟に向けたものの、声を上げた少年に気付き目を丸くして驚きの声を上げた。

「ケナン!それにカスムか!どうしてこんなところに」

「奴らに捕まったんだ、それをこの子と一緒に逃げてきたんだよ」

 ゲリラ兵は立ちすくんでいるユキザネの姿を子供と見て安心し構えていた銃を下ろした。

「イゼルが殺されちゃったよぅ」

「何!」

 ピリーは、隣の男に銃を預け、床に横たわる少女の所へ急いで駆け寄った。

「イゼル!イゼル!」

 少女の固く冷たくなった身体をピリーは抱き上げ、何度も何度も大声で名前を呼び揺り動かした。しかし、固く閉じられた口から小鳥のような美しい声が返ってくることはもう二度となかった。

「うぉお!許さない!くそっ!くそっ!」

 この若者と少女の関係はユキザネにはわからない。

しかし、怖かった。

自分もその手を下した側の人間であること、泣き叫ぶ若者の怒りの言葉が全て自分に向けられているものだと受け止めること、それが本当に怖かった。

「おい、ピリー、やばいぞ、逃げよう」

 キャタピラのざりざりとした音が近付いて来る。

 肩を落とす若者の肩を抱くように他の男達は裏口の扉へと向かった。

「お前たちも行くぞ」

 二人の子供たちはすぐに後についていったが、ユキザネはその場から足を動かすことができなくなっていた。

「自分で命を捨てようとする奴はそれまでだ」

 黙ったままうつむくユキザネを見て男はこうつぶやき、二人の少年達と共に屋外へ走り出て行った。


(全部僕がいけないんだ。全部僕が悪いんだ……僕は生きていちゃいけない)


 戦車が通り過ぎていく振動で天井の一部が剥がれ、壁に塗り込められた土が固まりとなって床に落ちた。ユキザネは無意識のうちに足下のガラスの破片を右手に持ち自分の首筋へと突き立てた。


(十四)


 眼下に山塊の広がる空に、妖精達は真雁のような群れをなして飛んでいた。

「領空侵入、攻撃いくよ」

 ジョゼが放ったミサイルが先頭に飛ぶ妖精の身体を縦横に引き裂いた。ジョゼとミンの乗る二機の戦闘機は空中でもつれあうように絡み妖精達の進路を妨害していく。妖精の銀のステッキから発射されたプラズマ球は、白い光を凝縮させ翼のはるか下をかすめていった。

 強烈な圧力のかかる中、信じられないことにミンの後ろに座っているジャニスは静かな寝息を立てている。

(この子の心には、まだお休みが必要なのかな)

 そう思いながらミンはミサイルポッドに拡散弾頭を充填させた。


 曙の空に単機で先行するバステトのノズル噴射が赤い色を添える。

 妖精の予想進路が渦のような動きに変わるのをカスガは見逃さなかった。

「予測到達地点収縮、ウィル近いぞ!」

 操縦桿を握るウィルはカスガの報告に大きく頷いた。


(いつもそうやって一人で行って!僕が助けてあげているんじゃないか!)


 リューバの家で泣きついてきたユキザネの顔がウィルの脳裏に一瞬浮かんだ。

「もう少しだアキ……今度は本当に俺が助けてやる番だ」




(十五)


「何でこんな所に集まるんだ……」

 東欧軍の兵は虫の襲来を告げる遅すぎた入電に未曾有の恐怖を感じた。

 ゲリラ討伐どころではなく、自分たちが短時間の間に全滅の憂き目を見ることは、ほぼ間違いなかった。

「援軍だ」

 レーダーに映る編隊を組む光点を見て、一人の兵が喜びの声を上げたのもつかの間、双眼鏡で覗いていた兵からはうめき声が漏れた。東の空に浮かぶ黒い点は資料で見たことのあるだけの不気味な姿をした生き物であった。

 その生き物は魚眼のような目を顔の細い隙間からぎょろぎょろと覗かせ、警戒の嬌声を山々に轟かせた。

「神よ……」

 自軍の航空部隊であるという兵士の淡い期待は泡沫と化した。


 朝焼けの空は発狂したかのような風切り音で大きく揺らいでいた。

妖精の杖から放たれたいくつもの光弾は地を焼き、網の目のような地割れをつくる。迎撃の砲弾はことごとく外れ、放物線を描いたような煙を残し、遠い山裾の岩を砕いた。

戦車がプラズマ球の高熱の濁流に呑まれ、中の兵士ごと蒸し焼きとなるのにそう時間はかからなかった。


 強烈な上下動がユキザネのいる建物を襲った。

「あっ」

 持っていたガラス片が一筋の傷を引きながら手から離れ、床の上でさらに小さく割れた。その時、血に飢えた獣のような鳴き声が街全体を包んだ。

「パック……」

 ふらふらとした足取りでようやく窓の側にたどり着くと、黒い影がいくつも目の前の空を横切っていった。

一瞬ユキザネは幻を見たような気がした。

そのすぐ後を神の翼を持った機体が衝撃波をまといながら追っていた。

「バス……テト……あれは……僕の……ウィルの猫……」


「だぁりゃー!」

 ウィルは、地に降り立つ様相を見せた妖精に機体ごとぶつかっていった。

直線の道を転がり滑る妖精は固まった瓦礫を一掃しながら深い溝を描いた。

「アキ!アキ!どこだ馬鹿野郎!出てこい!」

「ウィル、後ろに下りる奴」

 カスガの指示を待つまでもなく、スナイドルライフルの銃口が赤熱した。妖精は銃弾のおこす旋風の中に緑の血を振りまいていった。

「どこだ!アキ!アキ!」

「建物に気をつけて、第一波はあと四匹だ」

「わかってらぁ!」

「来たぞ!」

『バステト』はブースターを一閃し、大地を思い切り蹴った。プラズマ球は『バステト』の立っていた場所を兵士の死体ごと蒸発させた。


「ウィル……ウィル……僕を迎えに……僕を迎えに来てくれたんだ……」

 轟々とした音が空に上っていく。

 壁越しに吹き付ける熱風はユキザネの髪を焼いた。着弾するごとに、ユキザネの身体は波のようにうねる床に打ち付けられた。

「ウィル……僕はここに……僕はここに……」

 這いずりながら扉の取っ手に手をかけ、大きく外に開けた。

 目前に下をのぞき込むような姿勢で妖精がただれた顔をぬっと突き出していた。

「あぁっ……」

 妖精は唾液を飛ばし押さえきれない快感に絶叫した。

 ユキザネは頭を両手で抱え込み、その場にしゃがみこんだ。そして、妖精のつくる暗い影の中に自分の死を受け入れる覚悟を決めた。

(ウィル……でも僕は嬉しかったよ……)

 生温かい緑色のしぶきが自分の全身を息が止まりそうなほど濡らした。


 痛みはない。

静かに片目を開け、見上げると頭の失った妖精が、建物を半壊させながらゆっくりと横に倒れていく。

「探したぜ、泣き虫野郎」

 そこには朝日の伸ばす七色の光に翼を反射させる『バステト』が膝をつき、鋼の無骨な手をさしのべる姿があった。

 コクピットカバーを開けてこちらを優しく見るウィルとカスガの笑顔がユキザネの涙の中にぼやけていた。





第三話 「胡蝶」


(一)


Ding, dong, bell      (鐘が辺りに鳴り響く)

Pussy's in the well     (小猫は井戸の奥底に)

Who put her in        (いったい誰が投げ込んだ)

Little Johnny Green     (ジョニー・グリーンという奴さ)

Who pulled her out     (誰がいったい助けたの)

Little Tommy Stout     (そいつはトミー・スタウトさ)

What a naughty boy was that (何て行儀の悪い子だ)

To try to drown poor pussy cat (哀れな小猫に罪はない)

Who never did him any harm   (だのに井戸に投げ込まれそれはひどい目にあった)

And killed the mice in his father's barn(奴の親父のボロ納屋で鼠をいっぱいとったのに)



 シュミットら本部の出す命令を無視し、滑走路上の十四機のMAO三型『リンクス』は全機回路を切断したまま沈黙していた。

コクピットに座る少年や少女たちは、恍惚の表情を満面に浮かべ、記憶の片隅にある『マザーグース』の一節を口ずさんでいる。

「どうして動かない、何があったんだ」

「まだ、足りない、投薬量を上げろ」

 パイロットの意識の戻らない原因をまるで掴めないことに司令部は混乱した。

しかし、どのような処置を施しても、効果は上がらず、自動点滴装置が静脈に冷たい薬液を送り込むたびに、少年らはびくびくとまぶたと指先を痙攣させているだけであった。


 彼らは夢の中で虫の少女と戯れていた。星々のきらめく広い空間の中で透き通る羽根が風を起こす度、きらきらした金色の鱗粉は、甘い匂いの羊水となり、彼らの裸体を包み込んでいった。


(眠っていいの……疲れたでしょ……私を信じて……)


 虫の少女は手慣れたように少年達に取り付くと男女の別なく一人一人に優しく唇を重ね舌を軽く絡ませた。甘いバニラエッセンスのような香りと髪の毛の先まで深く浸透していく感覚は、彼らの小さく芽生えていた性欲を十分満足させた。


 一匹の妖精は、圧壊したビルの先端にちょうど蜻蛉が止まるような恰好で戦闘車両からなる包囲軍を見つめ、時々首をかしげるような素振りを見せていた。

「砲撃だ、砲撃をしろ」

 戦車の砲塔が火を吹くと、着弾したビル群が見る間に大音響と共に崩壊していく。

突如、その背後から虫の集団のつくりあげる高く黒い波がせせり立った。高速で空中を突き進んできた妖精に『死の塔』を囲む戦闘車両はなす術もなく、次々と大海嘯に呑まれるように破壊されていった。


「北部地区第十五包囲網突破されました」

「巡航ミサイルはまだか」

「機動騎兵部隊は何してんだよ」

 兵士たちの間に悲鳴が交錯した。

「耐えろ、仲間を信じるんだ」

 月形の『シロガネ』が、自らの身をかえりみずに自走砲や戦闘車両を守る姿は、兵士たちにわずかな勇気を与えていた。

(河井、早く猫を連れてこい……遊び場はもう十分に広がっているぞ)

 整備が十分ではないため、停止寸前の『シロガネ』であったが、月形はそのようなことも忘れ、戦場の空気を楽しんでいた。

(俺もいやな人間になったものだ……)

 月形は自嘲しながらも操縦桿を、虫の波が一番強い地点に向け、押し倒していた。


「なぜ、パイロットは動かないんだ、大丈夫ではなかったのか!」

マハン大佐はいつ自分の部隊に襲ってくるかもしれない恐怖に怯え、シュミットをなじった。

「今、原因を調査中です」

 そう答えたものの、シュミットも背筋の凍り付く思いであった。

「大尉!」

「何だ」

「グラ・シャロナより報告です」

「つなげ!」

 通信モニターにグラのやつれた顔が映った。

「早く言え!」

 シュミットの横暴な督促に、グラはわざとゆっくりデータを交えながら説明をはじめた。

「彼らの脳波の波形を見てください」

 グラはそう言って少年パイロットたちの波形をモニターに分割して映し出した。

「まるで全員が同調しているかのように見えます、あり得ないことですが、全員人格が深層で同一化しています、この状態で個々の機体制御プログラムが走ることはありません」

 『スレイブス・システム』によるプログラムはパイロットの脳波をコントロールし、常人以上の力を引き出すためのものである。

「機動騎兵兵器のパイロットはもう使い物になりません、皮肉ですね……」

 グラの言葉で脳波の逆流と同調、シュミットは虫たちがそのシステムを利用し精神浸食していたのだということにようやく気付かされた。

(報告にあったカスガや葉月が見ていた幻の原因もこれか……)

「奴らは人類を操る術を学んだのだよ、それも我々の最新システムを使って……」

 シュミットはグラに力なく言った。

(傀儡にするな、兵器を操るのは人形じゃなく人間だ)

 オリバー教官の言葉をシュミットは急に思いだした。

(手遅れ……もう、手遅れですよ……教官、私をあざけ笑って下さい……)

 シュミットは笑いながら、目に涙をにじませた。

 それが悔し涙か、後悔の涙か、彼自身にも分からなかった。


(二)


「所属コード不明の航空機領空侵犯、前回侵入したMAOを載せた機体と照合一致」

 コマキにある空軍基地にスクランブルがかかり、すぐさま旧式の戦闘機が轟音を上げて飛び立っていった。


 プラントたちを乗せた大型輸送機が日本の領空に近付いていた。

「迎撃戦闘機の離陸を確認、どうします」

 若い通信兵がレーダーから顔を上げた。

「痛っ」

 後ろ中央の座席に座っているプラントは伸びていた鼻毛を一本引き抜き、顔をしかめた。

「どうもこうもねぇだろ、まだ軍曹は休ませておけよ、葉月は絶対安静だ、『死の塔』の動きは……」

「こっちがユキザネを救出したとほぼ同時刻から活動を再開しています、よっぽど悔しかったんでしょう」

「その通りだろう、チェリー印の花婿を奪われたんだからな」

 プラントは声を上げて笑った。

「ナリタの北米機動騎兵隊は?」

「要請指令は、各部隊からひっきりなしに飛んでいますが、動いていませんね」

「動けないのか、動かないのか、まぁ、いい、よし、全回線通信開いてくれ」

「全回線オープン、暗号モード解除しました」

 通信兵の返事に頷くと、プラントはマイクを握った。


「こちら、元機動騎兵隊隊長ジョン・プラント、現時点より勝手ながらうちの死に損ないの兵士と共に『オペレーションサムライ』に参戦する、貴軍らの作戦行動に対する邪魔をしないつもりだが、うちに所属する猫と少年たちによる『死の塔』への露払いだけはさせてもらう、貴軍らにサムライの志がほんの少しでも残っていることと信じているからこそ、このような手段をとらせてもらった、同じこの地球で生まれ育った人類として我が部隊への攻撃及びそれに準ずる行動をとらないよう心から切に願う、こちらからは以上だ」


 プラントはそう言い終えると元のようにマイクを座席の横にかけた。前方を見つめたままのパイロットの一人は、プラントの言葉に感動しながらも質問した。

「うまくいきますかね」

「幸運の女神って奴は稀代の浮気性だからなぁ、遊ぶにはいいが、嫁にするなら別の奴の方が良い」

 プラントの言葉に最初は呆れていた兵たちは、最後には納得したように頷いた。



(三)


『バステト』とロシナンテはまだ冷たい大陸風に乗り大空を東へと駆けている。

「あ……」

 その音に気付き、老女ターニャ・ソーンツェアが自分の部屋の窓を弱々しく開けると、もう三機の機影は遥か彼方に消えていた。

 その代わり、窓の下に雪割草のつぼみが黄色く色付いているのを目にすることができた。


 透明な空気が小さく動いた。


 静けさの戻った木の枝に薄緑色の羽根の鳥が止まり、ちょんちょんと横へ小刻みに跳ねるかわいい姿が見えた。そして、すぐにターニャの重く苦しい心をなぐさめるように小さな体に精一杯力を込め高い声でさえずり始めた。


「どうしたの、お母さん」

 ターニャは部屋の奥から呼びかけた娘のリューバへ「しっ」と口の前に指を立ててみせた。そして、手招きし耳元で小さな声で囁いた。

「リューバ、ごらん、春を呼ぶ鳥が鳴いたんだよ、ほら、見えるかい、あそこだよ……鳥だよ、私たちに春を告げてくれる鳥が、今年もまた来てくれたんだよ……」

 童女のような顔をして浮かれる母の姿を見て、リューバの目から涙がひとしずくこぼれ落ちた。



(四)


 プラントはシートの固い肘掛けによりかかり宙を見つめ黙っている。時々、大きく息を吐いては首をゆっくりと回す。

 思案している時の彼の癖であると周りの兵士は皆知っているので誰も声をかけようとはしない。

 新型とはいえ機動騎兵兵器が『バステト』一機という勝算の少ない現状の位置から短時間でどこまで這い上がらせるか、ユキザネ、河井らを救出してからの課題はそのことに尽きていた。

 彼は戦闘において見通しのない幸運を信じることを自分でも戒めてきたつもりだ。しかし、今回ばかりは心のどこかで女神の腕にすがっている自分をずっと感じていた。

「やっぱり、これしかねぇか」

 プラントの腹は決まった。

「ナリタへ」

 プラントはシートから立ち上がり、そう短くパイロットの兵士に指示をした。

「ナリタですか、最高だ、連中の猫(MAO)を分捕るんですね」

「場合によってはな」

 そう言ってレーダーパネルの前に立ち、兵の頭越しに自機の周辺の状況を確認した。

「コマキからの迎撃戦闘機、まもなく本機との干渉エリアに入ります」

「そのまま進め」

 三機の旧式戦闘機は輸送機の進行方向を北西に迂回しつつ後方からの追撃を試みようとする動きを見せた。

「『バステト』の光はこれか」

「はい、内モンゴル自治区国境を越え中国赤峰市付近です」

「まだ遠いな」

 一瞥するとプラントは自分のシートに戻りまた深く腰掛けた。

 戦闘機の長距離空対空ミサイルの射程距離に入るまであと数秒まで迫った。

「通信入ります」

 操縦司令室に戦闘機パイロットの声が響いた。

「こちら連合軍極東司令部コマキ基地所属第四マル四飛行隊、本機はこれより貴機と合流、日本領空内において貴機の護衛任務につきます、ならず者部隊の虫退治につきあいますよ、他の基地からもわずかですが支援に来ます」

 戦闘機は後方から輸送機を上空から追い抜くと、はるか前方でアロー編隊を組んだ。

緊張した兵士の顔に笑顔が戻った。

「まだ、この国にサムライの末裔は生きていたか」

 プラントは軽く胸をなで下ろした。


 死の塔から少しずつ離れるように連合軍の部隊はその包囲の輪を雲散させていた。その包囲部隊に対し虫の攻撃がまだ続いているため、ナリタへの直進空路上に虫の波が達していないことは幸いであった。

 駐屯している北米機動騎兵部隊は小さな動きすら起こしてはいない。何かが起きていることに間違いはないとプラントは確信した。

「大尉、まもなく着陸態勢に入ります」

 輸送機はその太い胴体を叩き付けるようにして荒れた滑走路に着陸した。遠くにグラ・シャロナの乗っていた輸送機が停まっているのが見えた。

「俺一人で行く、お前らは俺が拘束されたり、あの猫(MAO)たちが少しでも変な動きを見せたら目の前の鼠を潰して離陸しろ、ガキ共と合流後、塔への進入路は打ち合わせ通り、北から南進しろ」

 既に兵士が三人、士官服を着た男一人の乗った軽装甲機動車が離陸を妨げるように滑走路上に停車をしていた。

 プラントの命令を受けていた歩兵は、輸送機後部乗降扉の影で車両破壊のための無反動砲を持ち待機している。

 プラントは、むっと咳き込むような戦場の空気とジェットエンジンのアイドリングの音がこだまする中を一人、アルミパイプでできた不格好な松葉杖をつき簡易タラップをぎこちなく降りていった。


 行動を合わせるようにプラントにとって見覚えのある風体をした男と女性が機動車から降り、輸送機に歩いて近付いてきた。

 他の兵士は降車と同時にアサルトライフルの銃口をプラントに向け一斉に構えた。

「シュミット……グラ……随分とやつれたな」

 プラントは二人の代わり映えように気付き一瞬驚いたものの、いつものようににやりと笑って隙をかわした。グラは何も言わずシュミットの傍らに立っている。

「大尉……今頃何の用事でこの辺鄙な島国に来たのだ」

「虫に引かれて来たついでに先日の送り土産の礼を言いに来た、お前がここの機動騎兵部隊の責任者の一人だったとは、俺も知らなかった」

「私も大尉の子飼いの河井が、あそこまでやるとは想像していませんでした、オリバー教官とならず者部隊の賜だな、私は今、大尉を殺してしまいたいほど憎いが嬉しく思う……で、大尉の用件は何だ」

 シュミットは憔悴していたが、努めて冷静にふるまっている。

「猫をもらい受けにきた」

 その言葉にグラは目を丸くし驚き、シュミットを護衛している兵士も反応したが、シュミットはそれを軽く制した。

「何を今更、何となく予想はしていたがこの期に及んで強盗まがいとは……機動兵器私的運用といい、マカロフ参謀の武器横流しの要因といい、大尉の部隊は我々連合軍にとって余計なことしかしない」

「シュミット、軍がやったことを俺は許せねぇ……俺たちの部隊を虫をおびき寄せる餌にしたこと、葉月をはじめ奴隷システムで、とち狂ったガキ共をいまだに造っていること、どれもいかれ頭の野郎にしかできねぇ曲芸よ」

「似たものどうしのののしりあいか……でももう人類は終わりだよ大尉、貴様になら話してもいいだろう、あの虫けら共は『スレイブス』を手中に収めたのだよ、あそこに見える猫とパイロットは既にガラクタだ……さすがに兵器の奴隷ではなく、虫の奴隷になるとは大きな誤算でしあったが……」

「だろうな」

「『バステト』に乗っているのは逃亡したウィルか?ユキザネの行方は我が軍でも探したが、無駄骨だった、既に虫にでも喰われているのだろう……大尉がここの猫に乗ったとしても何ができる訳でもないだろう……人類の完敗……我々は大量の虫におののきながら未来永劫瓦礫の片隅で生きていくしかない」

「ああ、俺もそう思いたくなる時もあった、ただな、てめぇらのやってきたことで、それ以上に大きな誤算があったんだよ、それはな……」

 プラントは息を一度飲み込んで短く言い切った。

「できそこないのガキの集まり、つまり『河井小隊』をつくったことだ」

 シュミットは驚き、次の言葉の途中からはもう右手を顔に当て天を仰いでいた。

「奴らはこの糞ったれな戦場で誰一人欠けることなく生きているんだよ、俺たちは糞虫の中枢らしき野郎を見付けた、そいつを河井小隊で叩く、それが残された作戦だ、グラ……葉月も救出している、お前にはとても感謝している」

「ああっ!」

 グラはその場で顔を覆い、地面に跪き、泣き声を上げた。

(あの子たちが全員生きていてくれた……葉月も……)

 シュミットの閉じられたまぶたの裏にカスガ、ウィル、ジョゼ、ミン、そしてユキザネの顔が浮かんだ。

「ふふふ……ははは……規格外の未完成品が完成品だったとは……皮肉だ……あまりにも皮肉だ……ははは……あの少年たちが人類の希望……万物は計算のみで動かずか……やはり神のいたずらを人類は永遠に理解しえないのだな……」

 シュミットは声を上げて笑った。

 笑い終えると、シュミットは右腰のホルダーから拳銃を抜いた。

 プラントは微動だにせず、シュミットを見つめている。

「グラ、……本基地の機動騎兵兵器及び弾薬の類を全てプラント大尉に引き渡すようマハン大佐に連絡を入れろ……認められない場合、連合軍は即時全滅すると付け加えてな……」

 命令にたじろぎながら兵士はライフルを下ろし、車両の方へ走っていった。それを見届けると、シュミットは言った。

「この件について、私には私の責任の取り方がある……利己的に自分のためだけに動く連中を私は永遠に許せない、それだけはわかってくれるな……大尉」

「ああ、お前のやってきたことも間違いではない、神聖すぎるほどの正論だよ……」

「大尉、河井小隊をお願いする……ここの憐れな女も一緒に……」

 シュミットは微笑み、自らのこめかみに銃口を当て、ゆっくりと引き金を引いた。

それはあまりにも短い時間の中でのできごとであった。

動揺したグラが駆け寄る中、倒れ伏した彼の頭部から流れ出た赤い血は滑走路のアスファルト上にゆっくりと広がっていった。

「シュミット……」

 グラがシュミットの遺体に這いずるように号泣しながら近付いていった。

「糞野郎、もう少し文句を言わせてくれてもいいだろう……だがな、俺も俺なりの責任をとるつもりだ、向こうで待っていてくれ、後からうまい酒を持っていく……」

 霞んだ空気の中で動かないMAOの機体を背に、プラントはシュミットの遺体へ向かって静かに敬礼をおくった。




(五)


 時の駆け足は止まることがない。

 シーツにくるまれベッドで死んだように眠る葉月ではあったが、今だけ自分のすぐ目の前で昔のように見守ることができた。そのことが河井にとって何よりも嬉しかったし、また、戦うだけの不器用な人間に安らぎの時間を与えてくれたことを感謝していた。

「今はゆっくり休むんだ……目を覚ました時、もう戦いは終わっているだろう……」

 優しく微笑む河井は、葉月の白い頬へ軽く右の掌を添え彼女の身体の温かさを確かめると、そう静かに言い残し医療室から足早に去った。


 とうに整備を終えた白いMAO『リンクス』は、少年たちをずっと待っていたかのようであった。

「河井隊長!」

 輸送機の扉を開けると、ユキザネが小猫のような素早さで抱きついてきた。

「夢みたいだ……夢じゃないよね、夢じゃないんだよね」

 乱れた髪型と傷だらけのユキザネの顔を見ただけで、その苦しい時間を過ごしてきたことが河井の心に痛いほど伝わった。

「背が伸びたな」

 涙に濡れながら照れ笑いするユキザネの頭の上に手をのせた。

「昔のままは隊長だけじゃないですか」

 そう声をかけたウィル、カスガ、ジョゼ、ミンがパイロットスーツを着て横一列に整列していた。どの目も宝石のような輝きをもち、彼の姿を信頼の視線でとらえている。

「いつでも命令を」

 ジョゼがきりりと敬礼をし、力強く言った。

弱々しい太陽の光は次第にその力を増し、風が低く垂れ込めた黒い雲を流していく。


 河井のこと細やかな作戦の説明を聞きながら、コクピットの少年たちはモニターに映る「死の塔」の外観にかぶるようにCGで描き出されている突入路を確認した。

「この北壁面はまだ、金の繭が一番薄いことが確認されている、ジョゼとカスガによる近距離砲撃により壁面破壊を行うが、問題は塔の周囲を護衛する虫の襲来だ」

 頼りとしている連合軍の包囲網は既に死に体となっていた。

「ウィルとミンによる迎撃は広範囲となることが予想される、妖精や虫の数匹の陽動に巻き込まれるな」

「波に呑まれるなですね」

 ミンが復唱した。

「そう、突入路が開いた段階で俺が飛び込み敵の動きを牽制する、ジョゼとカスガは武装を換装し後に続け、必ず二機で行動、塔までユキザネの乗る『バステト』を先導してもらう、ユキザネが突入後、ウィルとミンは後方から援護を継続、もし、仲間の小隊の一機が撃墜されたとしても決して本来の目的を見失うな、特にウィル、もう後はない、一時の感情の迷いは犠牲を増やす」

 ウィルは唾を飲み込んだ。

「そして、ユキザネ、お前には……」

「僕は僕にしかできないことをやります、さっきプラント大尉からも聞きました、僕は絶対に負けません」

「頼りにする」

「アキ……」

 ウィルは、ユキザネのけなげな言葉に涙を浮かべた。

「心配するな、アキ!俺たちや河井隊長が絶対お前を守ってやる!」

 ウィルが大きな声を出して、微笑むユキザネに声をかけた。

「それで、あのかわいいリューバさんのところに二人で行くんでしょ」

 ジョゼも笑った。

「ウィル、お前のかわいい彼女の話って本当だったんだ、僕にも紹介してほしいな」

 カスガも笑っていた。

「それにお菓子がおいしいって、みんなで行こうよ、葉月ちゃんも連れて、ねっ隊長」

 河井もミンの言葉に苦笑した。

「ああ、それもいいだろう」

 彼らの心に一葉の希望が芽吹いた。

悲しすぎるほど清々しい風が墓標と揶揄された白い鋼の機体の上を幾筋も通りすぎていく。しかし、滑走路脇に待避している兵達にとっては誰もが史実を刻み込む輝くオベリスクのようにも見えていた。

「高機動騎兵小隊、出撃」

「了解!」

 MAO『リンクス』のエンジンがバッハのアリオーソを奏でるパイプオルガンのような荘厳な響きを高らかに鳴らした。

 陽春の光にいざなわれた「猫と少年」たちが、壊れそうな未来を託され大地を駆ける。

今まで硝煙でくすんでいた空は、信じられないほど高くそして蒼い色で徐々に染められていった。


(六)


 岩と建物の瓦礫しかないこの地を見て、かつて日本の人口が最も多く集中していた街と思う者は皆無であろう。

 異性物の突然の侵攻は、人々の記憶と財産、そしてかけがえのない生命を奪い、風雨と共にあらゆるものを風化させていった。

 目の前に真っ直ぐに伸びた一本の道の跡がある。

住民が追われるようにこの地から避難するのに使用した国道跡であることは一目瞭然である。ここから多くの人々は愛する家屋や土地を捨て惨めな放浪の旅路へとついた、いわば血と涙の跡で描かれた道である。

傷ついた家族の手を引き避難できた者はその中でもまだ幸運であった。親、兄弟を失った数多の子供たちは、恨み言をつぶやく暇さえなく、空腹と絶望感の渦巻く中、ある者は冥府へと堕ち、ある者は心が壊れた兵器へと変容させられた。

今、この道を進む者は誰もいない、「猫」と呼ばれる鋼の人型兵器を除いて……


 河井機動騎兵小隊は、旧避難路を逆走するようにナリタからほぼ直線で陸上を西進した。

赤錆に覆われた乗用車が、疾走する河井の『リンクス』のつま先にぶつかり大きく前に吹き飛ばされていく。その振動と衝撃によって鉄骨がむき出しになった高速道路の支柱の残骸は自ら横倒しになって崩れた。

前方のわずかに地面が盛り上がっているように見えるところが、飛鳥山や上野山を形成している元山手台地の一端である。

 兵士からブラックゲートと呼ばれていたエリアから山裾に沿うように連合軍の多数の戦車隊が破壊されたまま朽ちていた。どの車両も外装の破損がひどく、また無理な連射を行ったため、砲塔が黒こげに曲がったまま裂けていた。

ここで厳しい戦いがあったことを無残にさらけ出した残骸は長い時間無言で証明していた。

傍らの裂けた軍服から除く黄ばんだ指の骨が彼らの行き先を示すように南を指している。


「散開」


 高い建造物が全て爆風で薙ぎ払われていたため、遠くの場所からでもうっすらと金色の繭が幼児の小指のように見えていることはかえって河井たちに好都合であった。

全身に武器と弾倉を備えたユキザネの『バステト』は台地の上で翼を閉じ、静止した。


「狙撃準備」


 干上がった運河を越えた所で、ミンとウィルの『リンクス』が長距離ミニェーライフルを肩のジョイントから外し、剥がれたアスファルトの狭間に台座を据えた。放熱装置の目立つ細い銃口が太陽の光を遮り、右側の横倒しになった建物の壁に黒い影を幾筋もつくった。


 河井とカスガ、ジョゼの機体は砂塵を上げながら尚も前進する。

 レーダー上で定期的に点滅していた赤い点が、河井達の機体がある一定の位置まで到達すると急にめまぐるしく動き出した。正面のメインモニターには、妖精と虫の集団を示す識別記号が乱舞し、黒い固まりが三方から押し迫ってくる光景をはっきりと映し出していた。


「全機、攻撃開始」


 カスガとジョゼの機体は、ガトリングキャノンを抱え込むように構え、銃口を幾何学的な模様が描かれた金色の壁面の一点に集中させていく。

 銃身が高速に回転しながら強い衝撃と共に、空の薬莢を泉のように辺りに溢れさせた。

 河井の機体は背部の翼をしならせながら壁面に沿うように急上昇し、虫の流れを自機に引きつけていく中、ミンとウィルが撃った五月雨のようなライフル弾は空気をゆがませ、彼の誘いに乗った虫と妖精の体を緑の血の花弁と化した。

 壁面破壊に投入されているガトリングキャノンの銃口がただれたように赤く焼き付きカラカラと空虚な音をたてた。ジョゼは先端のパーツを投げ捨て、予備のパーツを背部から引き出すと同時に装着した。

 その間にもカスガが正確に徐々にその亀裂を広げていく。


「突入路、貫通」


 カスガはまだ痛みの残る身体への震動に耐えながら言った。

 繭内部からの圧力の変化で生じた風は壁面の一部を切り裂かれたシーツのようにはためかせ、繊維屑を辺りに振りまいた。予想していた通り、その亀裂から吹き出るように、ゲジタイプの虫が長い身体をくねらせ何匹も絡まったまま躍り出てきた。


「突入」


 上空から急降下した河井の機体が、一匹のゲジの太い胴体を踏みちぎると、そのまま金色に光る塔の中に獲物を見付けた猫のように軽やかに飛び込んでいった。

 虫の流れが急激に変わった。

 カスガとジョゼは、銃弾を撃ち尽くすとすぐにガトリングキャノンを外し、スナイドルライフルを機体に装備させた。


「換装完了、行くよ」


 ジョゼの声を合図に後方で待機していたユキザネは、両の手でスロットルを思い切り引いた。ユキザネの乗る『バステト』は、『リンクス』の倍以上の面積をもつ翼を空に大きく広げていく。


「アキ・ユキザネ『バステト』、起動します」


 背部の巨大なブースターが閃光を発し、一条の砂煙でできたラインを荒れ野に刻んだ。


(七)


 ローズ・ベルタン調の飾りを付けたドレスの少女は空中で淡い光の中に浮いていた。

(来たのよ、あの子が……ふふふ、うれしい、自分から私のところに会いに来てくれたのね……おもちゃの兵隊をいっぱい引き連れて……ねぇ、みんな歌って……新しく生まれ変わる私たちのために)

 全ての妖精や虫たちが腕や触手を開き、頭を震わせ空に伸び上がるように奇声を高らかに上げた。

(祝福された輪廻の歯車を二人で回すの……)

 少女の声はユキザネを導くように金色に包まれた大聖堂の中で延々とこだまし続けた。


「人々のため犠牲となりて 十字架上でまことの苦しみを受け、貫かれたその脇腹から血と水を流し給いし方よ 我らの臨終の試練をあらかじめ知らせ給え」

(Ave verum corpusより)


(八)


 河井小隊が繭の内部に突入した頃、「ならず者」部隊、チェ曹長の率いる戦闘車両群は、連合軍の残存部隊と共に水流の減った荒川を渡河していた。

「第八十七砲撃隊合流要請の通信入りました、各基地の航空隊も上空で援護に入ります」

「オールOKだ」

 合流した中に、月形の『シロガネ』があった。

「たいして役には立たないが、同行の許可を願いたい」

「おおっ」

 チェは、満足な外装も付けていない半壊した旧式の兵器を見て、思わず声を上げた。

 彼は、その機体とレーダーに映ったパイロット名を見て、子供のようにはしゃいだ。

「こんな所でお目にかかれるとは……おい、見ろ、お前ら、南極の英雄と愛すべき伝説の機体が俺たちの隊に加わった、これは幸運だぜ」

 チェの言葉に、操縦している者でさえ、月形の機体を見ようと身を乗り出した。

「冗談だろう、こいつが動かなくなったら、すぐに俺は逃げるつもりだ、その時は援護を頼むぞ、君たちの勇気と実力はよく知っている」

 月形の言葉は、死地に向かう彼らの陰鬱とした空気を払拭した。


「繭外エリアの虫、確認できません」

 通信指令車両の報告は、全ての虫の流れが繭内部に集中していることを伝えた。

「サバトの始まりか、乗り遅れるな何としてもガキ共を援護しろ、あいつらがやられちまったらあの世のブルートに俺たちのケツの穴掘られるぞ」

 チェは、愛すべき自分の車両兵を力強く叱咤した。


(九)


上空を覆う繭は陽の光が強くなるにつれ、金色の輝きの度合いを増す。

 塔の内部は偉人ガウディがデザインしたかのような奇妙な形状をした柱が林立し、地形を不気味に変貌させていた。

 ジョゼとカスガは飛び込んですぐに通信信号増幅装置の入ったカプセルを周囲に飛ばした。

カプセルは岩のくぼみに吸い込まれるように吸着した瞬間、回路を作動させ、レーダーと通信網を気休め程度に復旧させた。

「前よりも柱が増えている」

「悪趣味な馬鹿ほど自分の宮殿を飾り付けるものよ」

 半分黒いタールのような物に包まれた人工物をジョゼは目の端にとらえた。

前回の失敗した作戦の置き土産、塔の内部に残された弾倉コンテナだとジョゼはすぐに気付いた。

「カスガ、武器コンテナを視認、あそこを中心に火線を張るよ」

「どれだけ残っているかな」

「期待しない方がいいわ」

 二人は互いに自機の背を合わせるように横滑りしながら、四方から次々と襲いかかる虫を撃ち落としていった。


 濁流のように迫る虫の隙を縫うように飛ぶ河井は、虫の塊へ向けグレネードを投げ、空中で撃ち抜くことを繰り返す。数の減る様相を見せない襲来にも動ぜず、河井の機体の動きはあくまでも繊細であった。


「すげぇよ、河井隊長は」

 遠くで狙撃を続けるウィルは思わず感嘆のため息をもらした。

「ウィル、『バステト』来るよ!」

 ユキザネの『バステト』がウィルとミンの機体のすぐ頭上をかすめていくと、『リンクス』の機体をよろめかせる程の猛烈な風が後方から吹き抜けていった。

「アキ、負けんなよ」

「ウィル、ありがとう、僕、頑張るよ」

「ああ、終わったらモノポリーの続きをやるぞ」

 ウィルの言葉にユキザネは、力強く頷いた。

「お先に」

 バステトの突入を見届けたミンは、ライフルを台座からはずし、射撃を続けながら繭の中にウィルよりも先に滑り込んでいった。

「おっ、待ってくれよ」

 ウィルの機体もすぐにライフルを鋼の手でしっかりととらえ金色の繭内に高速で突入した。


(待っていたわ)

 ユキザネの心にあの少女のささやきが爪を立てた。

(うん、僕もだ……今から君に会いに行くよ)


 地面が岩を噴き出しながら大きく割れた。

巨大なミリペデ型の虫が牙を剥き、空中に無数の脚を伸ばして『バステト』を地の底に引きずり込もうとした。

「邪魔はさせない」

 先に待ち構えていたカスガが撃ったライフル弾は、まるで草を刈っていくかのように、その脚を上から順番に薙いでいく。

「!」

 戦いに没頭するカスガの心が瞬間的に震えた。

(この感覚……あの時と同じ……)

 カスガにはもう少女の声は聞こえてこない。

ただ、言いようのない嫌悪感がじわじわと全身を包んでいった。

(出てきたか)

 ジョゼ、ウィル、河井も少女の気配をかすかに感じた。

(どこだ……)

 しかし、彼らの視界に入るのはどこまでもおぞましい妖精と虫の群れだけであった。


(十)


(早く来て……)

 死の塔の基部の一部が音をたてて粉塵を巻き上げながら崩れ落ちていく。

(ここはあなたの玉座……)

 黒く、つや光りする岩壁に先の全く見えない深い空洞が口を開けていく。

闇に隠された奥底から吹き上げてくる風は、その空間の広さと深さを語っていた。

 断崖の下方の暗闇の中に時々フラッシュのような火球が輝く。

(かしずきなさい……王子の到着よ……)

 太陽がつむぎ出す光のカーテンが裾をひるがえし、その周りを縁取るように地面から湧きだした虫が我先にと集まっていく。

(全ての贄を我が手中に)

 虫は互いに自らの羽根を食いちぎり、銀色の絨毯を岩の上に敷き詰めていく。

(奇しき金管楽器の響きは地の墓より全ての者を玉座の前にかしずかせ、創られし者が自己の罪科を明らかに、裁く者の前に甦生する。死は万物と共に驚愕せし時を有し、哀れな者は何を語れば良いのか迷いの中にうずもれる……)

 『バステト』への攻撃がぴたりと止み、ユキザネの操る機体は、ゆっくりとその空間の中に沈むように進んでいった。

(私が抱いてあげる……)


 『バステト』のカメラを通して見た塔の光景は、冷静沈着な河井を狂気と変容させるのに十分であった。

「まずい、バステトが単機で呑まれては」

 河井は虫の攻撃をかわしながら、弾倉を脱着させる間もなくすぐに自分の機体を塔へ転進させた。機体を守る耐熱タイルが急激なブースターの噴出と同時に焼け落ちていく。

「隊長!」

 スコープモニターを覗いていたミンの口から悲痛な叫び声がもれた。

消えていく『バステト』を追い、虫の一番集中しているエリアに河井の機体が進んでいるのが彼女の目に飛び込んだ。

「何で、減らないの!」

 撃墜する数が増殖する数にまるで追いついていないことがミンにとって、とても歯がゆかった。

 また一方、カスガが前進する『バステト』の援護に集中している間に、ジョゼの機体の周辺に妖精の放ったプラズマ弾が集中した。ジョゼはかろうじて避けたものの、高熱を帯びた光球は弾倉コンテナに着弾し、辺り一面誘爆を伴う烈火の海へと変えた。

「ジョゼ!」

「カスガ、こっちは平常、それよりもユキザネを!」


 ウィルは苦痛に顔をゆがめた。

「ミン、やっぱ俺は兵士にはなりきれない……」

 ウィルは持っていた長距離ライフルをはずし、背部のアタッチメントからスナイドルライフルを自機に装着させた。

「ウィル、何するの!」

「みすみす命を投げ出そうとするアキを見過ごす事なんてできねぇんだ……」

 前で狙撃を続けるミンの機体をかわし、ウィルは河井の後を追うように塔へ向かって飛んだ。

「ウィル、あんたやっぱり馬鹿……馬鹿よ、でも、そう言う私も……」

 その声に切ない思いがにじみ出ている。

「だめな子かもね」

ミンも狙撃を止めて、ライフルを中距離戦用に換装し、ウィルの機体を追うように塔の中心部へ突貫していった。


 ようやくチェ曹長の率いる戦闘車両部隊が繭の入り口にさしかかり砲撃を始めた。

「ぶちこめぇ、虫を繭から出すな、絶対に出すなよ!」

 砲塔から撃ち放たれた砲弾がハムシの群れに直撃する。

「あたりましたぁっ!」

 嬉しそうに若い兵が車内で叫ぶ。

「偶然だ、狙え、糞ブルートの分までもっとぶちこんでやれ!」

「わっかりましたぁ!」

 続々と戦車隊が後続につながっていく。

 繭の裂け目から、何匹かのハムシが外界の空中に飛び立った。

「飛ばすな」

 空中の戦闘機部隊も、虫に逃げる暇もあたえないほどの空対空ミサイルを叩き込んでいった。


 はじめに虫の波に呑まれたのは、河井の機体であった。

ミリペデ型の虫は『リンクス』の右脚部に長い胴体をからませ、虫の渦の中に引きずり込もうと試みた。

 河井は自分の機体の膝より下部をライフルで虫の頭部ごと撃ち抜いた。虫は悲鳴を上げ、オイルが吹き出た脚部を抱きかかえたまま地面に叩き付けられた。地面で待ち構えていた虫はぞろぞろと集まり虫の身体ごと金属の脚を喰らった。

 さらに河井の機体は翼の風切り音を高鳴らせ、武器を構える妖精の群れに近付いて行く。

襲いかかる妖精の頭部は河井の撃った弾ではじけ、くすんだ緑色の脳漿をまき散らした。


(私の嫌いなお人形さん、この子を取り戻しに来たの?)

「隊長、来ないで下さい!僕一人で」

(あなたなんか招待していないわ)

「ユキザネぇぇぇ!」

 虫の動きが慌ただしく、さらに塔へ向かって大河のように流れていく。

少年たちの複雑な思いが荒れ狂い交叉する中で、『バステト』を飲み込んだ空間は虫の身体を潰しながらゆっくりと岩の蓋を閉じていった。


(十一)


 金色に輝く世界から一転、そこに息づくものは闇であった。

 黒色がさらに濃くなり、虫と妖精の壁を這い回る音だけが四方から空気を小刻みに振動する。

ブースターのきらめきやライトの光さえも何かに遮られるように宙に吸い込まれていった。

 空に浮いているのか、地に足を付けているのか、ユキザネは自分のいる位置を冷静に把握しようと努めた。


「私たちの生まれたところはこういうところ」

 前方に蒼く異様な光がまたたいた。

「永遠に冷たく、暗いところ……そこで、ずっと、ずっと順番を待っていたの」

「順番?」

「先に行ったお友達はとうとう素晴らしい楽園にたどりついた、暖かく蜜の香りが満ちあふれるこの地に……ある者は神として万物に崇められ、ある者は怪物として、あなたの世界の神話に恐怖の姿で語り継がれている」

 蒼い光は海中に遊ぶ夜光虫のように注視すると、するするとその視界から逃げていく。

「でも、お友達はある時間を過ぎると、また、出て行かなければならないの、だって、そのお友達は次の場所を探すためだけに、大切な命をもらっているから……」

 ユキザネは右手の中指で、パネルボタンを作動させ、ターゲットマーカーを少女の声のする光の方向へ向けた。

「私を撃つの?あなたにはそんなことはできない……だってあなたは……」

 バステトがスナイドルライフルの銃口を光に向けた。ユキザネは確実に仕留められると自信をもった。

「えっ?」

 しかし、スロットルの引き金にかけた自分の指が意に反して凍ったように動かなくなった。


「だって、あなたは私たちと同じだから」


 少女の姿が闇の中からはっきりと現れた。

巨大な蝶と言ってもよいほどの大きな羽を背中に広げていた。

複眼の上の頭には虫達の頂点の証と思える長い触覚が二本揺れ動いている。虫の群れの中から歓喜の奇声とどよめきが湧きあがっていった。

ユキザネは自機の核融合エンジンを暴走させようとしたが、全身が麻痺したように動かなくなった。

「さぁ、そんな醜いお人形さんに乗っていないで、私を抱きしめて……」

(どうしたんだ、何で僕の身体は動いてくれないんだ)

 『バステト』の翼が閉じ、機体は仰向けの姿勢のまま雷鳴のような音を立てて地面に落下していく。

「僕の身体?違う……あなたは私の身体なの……」

 機体の損傷を告げる赤い警告灯がコクピット内にまた点灯した。

「ひっ」

 ユキザネの隣には、過去に出会った子供たちが血だらけのまま舌をだらりとたらして、彼を恨めしそうに見ていた。

「うわぁ!」

 目前に火に包まれて、のたうち回りながら黒く焼けていく母子の姿が情景が広がる。

「僕が……撃った弾で」

 自分を犯そうとした男の臭い息が鼻の奥をついていった。

(そうだよ、お前が殺した……ハァハァ、何て良い肌をしていやがる)

 胎児の姿をした親指くらいの小さな子供たちが、ユキザネの足下から服を伝って這い上がってきた。

(何で、僕は生きたかったのに……お前が僕を殺したの……お前が僕のママも殺したの……)

「やめろ!やめろ!」

 ユキザネのつぶらな瞳に錯乱した光がうかんだ。


(人間でいることは苦しいこと……この感情があなたを容赦なくさいなむの……あなたの時が止まるまで……でもそんなに嫌なものではないはず、だって、まだあなたは忘れたいと願う苦しみをたくさん抱えているから……)

 ユキザネの頭上で『デスペラード隊』の兵士が妖精につかまれ、悲鳴を上げて頭から食い千切られていった。

したたる血がユキザネの全身を濡らしていく。

 母親らしき女性が炎の中を逃げている。赤子は背負われたまま、ただ泣きじゃくっていた。

(大丈夫よ、だから泣かないの、良い子だからね)

一発の銃声が響き、美しかった女性の顔の半分が吹き飛ばされ失われていた。

 女性の優しい笑顔が血塗られた髪の一部と化した。


「うわぁぁぁぁ!」

「記憶は振り返ってこそ価値のあるもの……自身をさいなむ感情……それも悦楽ということを本当のあなたは気付いているはず……」

「あぁぁぁぁ……」

 自分は何で戦い続けなくてはならないのか。

自分はいったい何によって生をうけているのか。

腐食した数の遺体が寄りかかる感触の中で、ユキザネは顔を仰向かせ声を上げて泣いた。


(十二)


「さすがオッターのおやじさん仕込みの整備だな、義足の俺にも良い感触だ」

 プラントは自分の乗った『リンクス』の翼とノズルが寸部の狂いもなく動作することを確認した。

「ここ(ナリタ)の整備の連中はつめが甘いっすね、何て言いたいところですが、まだまだっす、今でもおやじに耳元で怒鳴られている感じがしますよ……」

機体につなげた携帯端末を片手で持ったウォルフガングが頭をかきながら笑った。

「先ほどナガノより未調整のサーモバリックランチャーが届きました、今、こちらにある情報でやれるだけのことはやっておきましたが、この状況でユキザネの『バステト』にどうやって渡すんですか……もしかして、大尉……まさか……」

 プラントはウォルフガングの言葉に不敵な笑みで返した。

「その通りだ、俺の機体にはこのでかいの一丁だけでいい、そのかわりガキ共に渡す弾倉を目一杯装着しておいてくれ、グラの『ロシナンテ』はどうだ」

「搭載オーバーで捕まるくらい弾倉を積んでおきました」

「さすがだ」

 会話の途中、プラントは輸送機の方から少女が駆け寄ってくるのを見た。

ジャニスである。

「ここにいた奴らはどこに行った」

 彼女は今まさにプラントの『リンクス』のハッチが閉じられようとする場に走り寄って叫んだ。

過去の彼女を知っていた他の整備兵は生存していたことにまず驚き、面倒事を避けるような素振りで彼女との距離をおいた。

「いかれ娘か、カスガたちなら戻ってくる、お前はここにいろ、戦闘中に狂われたらあいつらの邪魔になる」

「ふざけるな、私も行く、整備兵、私のMAOを用意しろ」

 しかし、その声の威勢とは裏腹にすぐ、ふらふらと足を崩してその場にしゃがみ込んだ。

「お前の心は葉月と同じでまだ治っていない、それとな、男は女が待っていると力が倍増する馬鹿な生き物なんだ、ガキであればあるほどな……待っていてやれ、そして、お前の狂った今までの時間をあいつらとやり直せ……」

「くっ、くそっ……」

 ジャニスはコクピットの縁に手をかけるようにして静かにうなだれ再び気を失った。

「こいつを頼む、ウォルフ、お前はこれからも多くの出撃を目にするだろう、だがな、ガキを兵器に乗せるなよ、ただでさえ少ない大人の楽しみが減っちまうからな……兵器に乗って戦うガキは今戦っている奴らが最後だ、いいな」

「命令、たしかに受けました」

「じゃぁな」

 そう言い終えると、プラントはウォルフガングをはじめとした整備兵たちに敬礼をおくり、コクピットカバーをゆっくり閉じていった。

MAOのコクピットの懐かしい感触が彼の神経を刺激していく。

(やっぱり、こいつは大人ための玩具だ)

義足のため推進ペダルに多少の不安が彼にはあったが、今は十分行けると身をもって確信していた。

「大尉、ご搭乗下さい」

 『リンクス』のモニターには、グラの乗ったロシナンテ輸送戦闘機がゆっくりと滑走路に移動を開始している。

「お前におくってもらうなんて俺は幸せものだ、他の兵が嫉妬するな」

「私も幸せです、感謝します、大尉」

 プラントの『リンクス』はグラのロシナンテ上に搭乗した。

「ジョン・プラント『リンクス』出撃する」

 サーモバリックランチャーという巨大で不釣り合いな武器を背に載せた『リンクス』と『ロシナンテ』二人の出撃の姿に、後を任された「ならず者」部隊のわずかな整備兵は頬を涙で濡らした笑顔で敬礼しながら見送った。


 大きな岩塊は天の岩戸の扉のように河井の行く手を塞いでいる。


 長時間連射した為に装備しているスナイドルライフルが焼け付き、硝煙を燻らせている。翼の裏に搭載していた予備のライフルも最後の一丁となり、頼みの綱の弾倉も残り僅かとなっていた。しかし、その状態も気に留めることなく、岩壁に背もたれた姿勢で立ち、失った脚部の負担をカバーしながら、ユキザネを閉じ込めている岩塊への射撃を続けた。

 妖精がじりじりと距離を縮め、プラズマ弾を撃ち出す杖を河井の機体に向けた。

「隊長!」

 河井への叫びと同時にウィルがその妖精の胸部を撃ち抜いた。

「何で持ち場を離れた!」

 河井はウィルに怒声を浴びせた。

「俺にとって、ここが持ち場です、そう判断しました、兵士失格です、でも、どうしても自分の心が捨てられませんでした、軍法会議で銃殺刑になっても文句は絶対言いません!」

 ウィルは負けずに大声を上げて返答した。既にカスガやジョゼ、ミンの機体もすぐ側まで接近し、河井の壊れた機体に群がろうとする虫に対し死力を尽くして反撃していた。

「お前たち……」

 河井は小さく首をふって、もうそれ以上のことは言わずユキザネ救出のためにライフルの引き金を引いた。

 河井小隊のMAOは自然に寄り添うように固まって援護を続けた。誰の目もきらきらと輝き、無言で見合わせる顔に、兵器の性能以上の力と自信をみなぎらせていた。


(十三)


「私たちと一緒になれば、もう考えることもない、この子たちもそうして私たちと一緒になったのよ、美しい姿をさらに美しくして」

美麗な男女の天使が、醜い生き物に変貌する幻影がユキザネに見えた。

「ユキザネ、あなたはこの星で一番はじめの融合体……」

 少女がおだやかに眠りを誘うような声で言った。

「嫌だ、嫌だよ……僕は」

 ユキザネは自分の心と反し、いつの間にか表情が和らいでくるのがわかった。


(本当にあなたはそれで良いの?それでみんなが喜ぶの?)


 目の前の少女とは違う、懐かしい声が耳の奥で響いた。

「あ……」

 ユキザネは葉月が寂しそうな顔をしてバステトの前で佇んでいるのを見た。

「また、あなたなの……もう帰ってくれる」

 少女は驚きもせず、葉月を蔑視した。

「何で葉月が……ここに」

 ユキザネは、淫らな睡魔と戦いながら何とか自分の身体を動かそうとした。

 ゲラゲラと声を上げ少女はさげすむように笑った。

「知りたいの?その子の心は、あなたの乗っているお人形たちに取り込まれているの、縛り付けられた奴隷よ」

「システムが虫に浸食されていた?」

 ユキザネは葉月の意識がそこに存在していることを信じることができなかった。

(戻ろうとしても戻れない……帰ろうとしても帰れない……暗闇の中を泣いていた……あなたのように……でも、その為にあなたの心も素直に感じることができた……)

「!」

(同じ暗闇の中で……異形の者たちに囲まれ……あなたは耐えてきた……ずっと、無限とも思える時間を……)

 葉月の言葉に少女の顔がこわばった。

(気が付いた時には、あなたはその役割を演じていただけ、恐怖の源から湧き出る何かに命じられて……あなたも本当は……)

 葉月の透き通った幻影に虫たちが牙を立てたが、空気を裂く音だけが空しく闇に響いた。

「うるさい!その鉛のお人形さんがしゃべっているのね、汚れた臓物まで食い尽くしてしまいなさい」

(本当はあなたも寂しいの……私も同じ……ずっと待っていたの……見えない希望に追いすがっていたの……何かが約束されていた訳でもなく……一人は嫌なのに……一人が好きな訳ではないのに……あなたも私と同じ漆黒の闇の中で強がっていただけ……)

 少女の足下にひれ伏していた虫が『バステト』に強烈な体当たりを加えた。

吹き飛ばされた『バステト』は、なす術もなく転がりながら岩にぶつかる。

(そして、この子に出会った……美しい陽の光の下で……でも、悲しいことにあなたの運命はもう決まっていた……自分の意志をそこに一字たりとも刻むことなく……)

「潰して!」

 心の中を全て覗かれていると感じた少女は、今までに経験のしたことのない羞恥心と怒りに唇を噛みしめた。

(悲しみと苦しさを我慢しているのはあなた自身……それを知った時……私は……)

 『バステト』の翼と左腕が無造作に妖精にもぎ取られた。破損箇所から機械の悲鳴のようなノイズが上がった。

(アキ……この子に憎しみをぶつけてはだめ……この子はあなた以上に絶望の中でもがき苦しんでいたの……それを救えるのはあなたの……)

『バステト』の頭部が閃光の中、爆発音と共に潰された。

葉月の声と幻影が闇の中に消えていった。

「葉月!」

ユキザネが悲痛な叫び声を上げた。

 機体の各部からきしむ音が唸り、虫の群れによる無残な破壊が尚も続く。

少女はその傍らの空間で蹂躙されていく『バステト』の姿を見下ろしながら、孤独な時の寂しさの思いに涙を流していた。

「葉月、憎しみをぶつけるなって言ってたけどmそんな簡単なものじゃないよ……みんな、みんなあいつの為に殺されたんだ……何もしていないのに殺されてしまったんだ、僕はあいつを許せない……」


(それはあなたも同じじゃないの?)


 気が付くとユキザネは見知らぬ場所で一人草を踏みしめ立っていた。柔らかな風がユキザネの髪を優しくなでた。


(十四)


(どこなんだ……ここは?)

 リューバたちと楽しい時間を過ごした場所ではないことはわかった。

見渡す限りなだらかな地に、色とりどりの見たことのないきれいな花々が咲き乱れている。

耳を澄ますと小鳥たちのさざめきと泉からこんこんと湧き出る水の流れが、小さな合奏曲のように、繊細な音色をつむぎだしていた。

 見上げるとどこまでも高く続いているかと思えるような透き通った水色の空が続いている。太陽が輝く方向と逆の空には、白い月が糸の切れた風船のようにぽかりと浮かんでいるのが見えた。


(月がいつもより大きく見える)


 暖かい風に誘われたのだろうか、美しい羽根をもった蝶や小さな蜂が花から花へ、この幸せな季節を謳歌しながら飛んでいた。

 ユキザネの目の前を一匹の蝶がひらひらとそよ風に乗って羽ばたき通り過ぎていった。間近で見たその虫の姿にユキザネは驚きの声を上げ、思わずよろめきながら後ずさった。

 光を受け蒼く輝く羽根を持つ蝶の身体は人間の形をしている。

 ユキザネがそこにいることにも気付かず、真剣なまなざしで次の花を探し求めている姿は、まるで本の世界から飛び出してきた『フェアリー』の姿そのものであった。

 一輪のスズランのような白い花にその奇妙な蝶は止まった。

蝶が花を覗き込もうとすると、顔中に黄色い花粉を付けた男が花弁から首だけだし、追い払うようにわめいた。羽音と思っていた音は、よく聞くと彼らのせわしない話し声であった。

彼らは、決して人間には真似することができない複雑な発音で互いに何かを言い争っていた。

 どこからともなくあらわれたもう一匹の蝶が、喧嘩をしている蝶の身体をその腕で優しく背中から抱いた。それに気付いた蝶は喧嘩をしていたことをすぐに忘れ笑いながら、二人手を取り合い空へ向かって羽ばたいた。

 ユキザネの足下で何かざわめきが起こった。

 中性的な顔立ちをした小さな人間がいっぱい集まってユキザネの足を自分たちの進む道から手や足で押しながら排除しようとしていた。すぐにユキザネは自分の右足を上げ、何もない草むらに足を置いた。

 小さな人間たちは、辺りを見回し、障害物がなくなったのを確認すると、整列し足並み軽やかに草でできた隧道の中に消えていった。

 隧道の上に生える黄色みがかった葉の上で、その様子を見てくすくすと笑いながら長い羽根と薄緑色の肌をもった青年がリラを陽気に奏でている。

(この世界は……)

 ユキザネの肩に一匹の蝶が羽根を休めた。

その顔はあの少女にとても似た顔をしていた。しかし、相手を見下し残忍に笑う形相ではなく、本当に幸せそうな瞳でユキザネの顔を見つめ微笑み、顔を赤らめながらそっと頬に口づけをした。

(僕は死んでしまったのだろうか……)

 今までユキザネが足を踏み入れたことがないその世界は、悲しすぎるほど誰をも安らぎに満ちた心へと変える楽園であった。


 青年が不意にリラの演奏を止めた。

 突然、空に墨を流したような黒い雲が天頂からむくむくと湧きだし、辺りをあっという間に暗黒の世界へと変貌させた。

 ドンドンという低く連続した破裂音が空一杯に広がっていく。

(!)

 妖精のような生き物は自分の逃げ場を必死に探しながら恐怖の悲鳴を上げていた。

何本もの雷光が地面の上を大きな音を轟かせ縦横無尽に走り、花々を焦がしていく。

突風が吹き荒れ、突如、黒く大きな球体が空を割ってあらわれた。

肩に止まっていた蝶は飛ばされまいとユキザネの服にしがみついた。ユキザネもそれに気付き彼女の身体を風から守ろうと手をさしのべたが、強風は羽根を引き裂きながら、彼女を暗闇の空へ奪っていった。

「あぁっ!」


 広大な花畑はただの赤色の砂漠へと一変し、砂塵と共に何億枚ものぼろぼろになった虫の羽根が冷たく乾いた風に吹き流されていった。空はまだ昼だというのに星が瞬き、これからこの地が死神の住む場となることは明白であった。

 すすり泣きの声がどこからともなく聞こえる。蝶の羽根をもっていた少女が暗く狭い所で手足を縮め、身体をがたがたと震わせながら泣いている声であった。

 全ての景色を形作っていた物質は小さな塵と化し、宇宙の終わりのない闇の中に飛散していった。


(ここは、あいつがいた世界……)


 ユキザネの意識がまた、すうっと遠くなっていった。


(十五)


「緊急警告、緊急警告、脱出装置作動セヨ、緊急警告、緊急警告、脱出装置作動セヨ」

 アラート音と赤色灯がバステトのコクピットに座るユキザネに機体がもうもたないことを告げていた。

「ぐっ!」

 急に現実に呼び戻されたユキザネは、慌てて痺れる身体の残った力を振り絞って、何とか脱出スイッチを作動させようとした。

 が、それよりも早くするどい妖精の爪がコクピットカバーに大きな穴を開けた。

「お止め」

 少女の声が洞穴にこだました。

全ての虫と妖精は動きを止め、するすると『バステト』を取り囲んだ円を保ったまま引き下がっていった。

「これでわかったでしょ、あなたが抵抗しても無駄だということを」

「僕は見たよ……お前の故郷を」

 その言葉に少女の表情が小さく反応した。

「お前も僕らと同じ運命を背負ってきた……そうなんだろ……」

 少女はケラケラと笑い、ユキザネの言葉を否定した。

「何を夢見ていたのか知らないけど、くだらない……あなたは、いつまで私を退屈にさせる気なの?」

「きれいだった……みんな陽の光の中で幸せな時間をおくっていた……そしてお前も……きれいな羽をして笑っていた……」

 少女は、憎々しげにユキザネをにらんだ。

「ふざけないで!あなたの命は私の手の中にあるのよ」

 ユキザネは少し自由のきいてきた手でロックをはずし、シートにゆっくりと立ち上がった。

「僕の命ならあげる……あげるよ……僕ははじめから助かりたいとはこれっぽっちも思っていない……お前が僕の見た世界をまたつくっていきたいのなら、僕の命なんていらない……血の一滴も残さないでいい……ただ……ただ……この世界を……みんなを殺すのはもうやめてくれ……みんなが泣き叫ぶ世界は僕は……」

「甘いのよ!あなたに私の何がわかるの!」

 少女の拒絶の言葉とユキザネの哀願する言葉が一音、一音、もつれあいながら闇に溶けていく。

 二人の間に沈黙が広がった。

 ユキザネが喘ぐように口を開いた。

「お前が来ないのなら、僕から行くよ……そして、どこか違うところにみんなで……」

「やめて、やめて、やめてよ!何でそんな気持ちの悪いことを言う!」

「お前が言ったんだろ、僕も同じだって……」

「あなたたちは家畜なの、この子たちの……」

「本当は醜くなんかない……こいつらも、そしてお前も……お前は泣いていたんだ……葉月が教えてくれたように、ずっと一人で……」

「あのまま怯え……震え……恨んでいればいいのに」

「あの世界を見たら、そんな気持ちは……」

「あなたに縛り付けられている者の苦しみがわかる?時という概念がなくなるまでたった一人だった苦しみがどれだけわかるというの?あなたみたいに、何も知らないくせに、少し見てきただけなのに知ったようなことを言わないで」

「でも、見てしまったんだ……あれは幻なんかじゃない、存在していた地だ……」

「あなたは、私のようになってまた、暗闇に眠るの……生物の進化の欲求に備えて……それが選ばれ、与えられた運命なのよ……種の絶滅は新しい種の誕生でもあるものなの……」

「違う、違うよ」

「違うわけ無い、あなたたちは、私の友達をいっぱい殺してきた……せっかく新しい楽園にたどり着いたのに……ずっと、みんなそれを待っていたのに……力の強いものが弱いものを駆逐し支配する、どこでも当たり前のことでしょ、子供っていつもずるいものね、自分の知らないことは、泣いたり、否定すればそれでいいって……」

 少女がユキザネのすぐ手の触れる位置まで、宙に浮かぶ見えない階段を降りるように近付いてきた。


(十六)


 二人の静寂な時間は終わった。

 天井の岩盤から衝撃音が徐々に高まってきた。

「ほら、またお友達を殺しに来た……ずるいのよ、みんな……」

 最初はほんの少しだけ岩に切れめが現れた。

洞窟に細い針のような光がさしこみ、それが段々と太い棒のように広がっていく。

「ユキザネ!」

 河井の機体が岩に翼を激突させながら側壁を滑り落ちてきた。

「隊長!」

「離れろ、ユキザネ!」

「だめ!だめだ!隊長!攻撃しちゃだめだよ!」

「何を?」

「みんな本当は戦いたくないんだよ!葉月も言っていたんだ!」

「どうしたんだ……ユキザネ」

 河井の照準が少女をとらえた。しかし、その円の中心にユキザネも立っている。

「ほらね、さぁ、みんなお人形さんを殺して」

「だめだよ!だめなんだよ!」

 河井はライフルの引き金をひくスイッチに指をかけた。が、それよりも早くユキザネは少女の身体にすがりついた。

「どけ!ユキザネ!」

「行くよ、行くから、どこだって、寂しいところだって、僕がお前の代わりになれるんだったら、だから、もうやめて、やめてよ、もう……」

 そう言ってユキザネは泣きながら少女の腕をとった。

「ぐぁっ!」

 河井の機体はライフル弾を一発も発射できないまま妖精と虫の激流に呑まれた。

「なら、あのお人形さんと中に入っている人をあなたは殺せる?そうしたら他の人たちを助けてもいいわ……さぁ、あなたは私を信じるの、信じないの」

 少女が冷たく笑った。

しかしその目からは涙が流れていた。

「選ばれた私は殺したわ……自分の仲間を……それで他のものたちが助かると信じて……」

「!」

「でもだめだった……そして、ほとんどの者が死んでしまった」

 少女の目から大粒の涙がこぼれていった。

「アキ、どこにいる!」

 ウィル、ジョゼ、ミン、春日の機体も虫の群れに反撃しながら穴に降下してきた。少女があごで妖精に命令を下した。

「きゃぁ!」

「うわっ!」

 今までにない程の虫が上空から雪のように降り、地中から溶岩のように湧きだし、彼らの機体をいとも簡単に手足から押し潰していく。

 ウィルはかろうじて動く右腕のライフルの銃口を向けた。

彼に少女の羽に隠れているユキザネの姿は見えない。

「これで終わりだ……」

「ウィル!」

 それに気付いたユキザネは少女の身体を自分の後ろにかばった。

ウィルの放った無情な弾丸は二人の立つ無防備な空間の中心を灼熱でゆがませていった。


 周囲の樹の葉は朝露に濡れ、白い薄霧が蕾を閉じた花々の上を流れていく。

 ユキザネはまた一人であの世界に立っていた。

「また、あの場所……」

「ここは私の思いでの場所……あなたが来ていい場所ではなかったの」

 その声に振り向くと、少女が立っていた。

「まだ、みんな寝ている……でも、お日様が昇ると、ここは……」

 霧が再び景色を包むと、強い風がうなった。

 見る間に足下から延々と赤い砂の海が広がっていった。

「悲しみの場所、この砂の下にあの花々の枯れたかけらが埋もれている……」

「何で、こんなことになったんだ」

 ユキザネは少女に目を向けた。

 しばらくうつむいていた少女は顔を上げた。

「何かを形作る世界には、それを必ず壊すものがいる……壊すというのは淘汰された種から発する言葉……新しい種は、進化という言葉で屍の上に世界を引き継いでいく」

「それは敵なの?」

「生命を得ている全てにとって、繁栄するものと死滅していくものの単純な理……何の疑問ももたず、あなたの身体は他のものの命によって、生きながらえることができている、その立場がかわっただけ……彼らはその消えていく種の一部は残すことを決めている、それが私であり……あなた……」

「あの虫たちや妖精は……」

「私の身体の一部……そして、あの杖は違う生物文明の遺物……あなたは私に……私はあなたになれるはずだった……そうすれば、大好きなあなたと生きていけたのに……」

「生きていけるよ、違う世界で、二人でやり直そうよ」

 少女は寂しく笑った。

「ここは私の記憶……心の中だけに失った家族や風景は生き続けることができるの……」


 河井やウィルらの乗るMAOが虫の塊の下で断末魔の金属音を上げていた。

 ユキザネは少女の羽が柔らかな毛布のように自分をつつんでいるのに気が付いた。少女の羽は焼け焦げ、原型をほぼとどめていなかった。

「な、何で……逃げることができたのに……」

「だって……あなたは私の手をずっとにぎっていたでしょ」

 少女の顔から険しさが消えていた。

「死んじゃだめだ、死んじゃだめだよ……僕の身体をあげるっていったじゃないか……嘘じゃないよ、僕の……僕の……」

 少女はだまってかぶりを振った。

「僕の命を全部あげるから!」

「同情も嫌い……哀れみも嫌い……優しさも大嫌い……」

「なら、何で僕を、僕を助けたんだ……」

「さっき、言ったでしょ、私ははじめからあなたを助けたいと思っていた……ずっと生きていてほしいと思っていた、ただそれだけ……」

 ユキザネは、小さな身体に満身の力を込め、膝から崩れ落ちる少女の身体を抱きとめた。

「何で……」

 ユキザネはぼろぼろと少女の顔に涙を落とした。

「あなたこそ、さっきまで私を殺そうとしていたじゃないの……」

「だめだ、だめだよ……」

「どこかで……また会いたいな……ああ、見て……お花がとってもきれい……」

「僕は君の名前だって……聞いていない……聞いていないのに」

「私の名……忘れ……」

 少女は力なく微笑んだまま瞳を閉じた。


 少女の死と共に、全ての虫や妖精が動きを止めた。

わずかに触覚だけが力無く震えていた。

(何が……何が起きた)

 河井は、動かなくなった『リンクス』のコクピットから這い出るように外に出た。

 カスガやミンも検討がつかないまま、自機を虫の重なる中からゆっくりと起き上がらせた。


 風が焦げた臭いと泣き声を運んできた。

「ユキザネ……」

 河井は空からの冴えた金色の光の散る中、バステトの傍らでユキザネが少女の冷たくなった身体を抱いて大声を上げて泣いているのを目にした。


(十七)


「全ての敵、沈黙しています……しかし、生体反応はあるので油断はできません」

 チェからの報告にプラントは耳を疑った。

 確かに、プラントの目からも敵の動きが感じられない。

「チェ、全車両後退させろ、俺はガキ共を探しに行く、グラ、このまま低空で進め」

「了解」

「私たちも突入します」

 チェ曹長の言葉をプラントは切った。

「命令だ、繭封鎖の継続を優先、敵が攻撃を再開したら、遠慮無くやれ、それまでは待て……誰も塔の周囲に近付けるな」

 チェはプラントの言葉に軽い疑問を抱きつつも、その命令に従った。

(軍曹……河井軍曹……どこなの……)

 黙ってじっとこちらを見つめている虫の数の多さに驚いたものの、妨害が一切ないまま、グラは自分の機体をプラントの『リンクス』と共に塔へと接近させた。

(こいつら……俺たちの死が決まって喜んでいやがるのか?)

 プラントに不安な気持ちがよぎる。

 突然、雑音に混じりながら河井からの音声通信が飛び込んできた。

「作戦終了、河井小隊、目標の撃破に成功せり、これより帰還します」

「!」

 プラントは人類側の勝利を表した河井の短い言葉を耳にしてもまだ素直に信じることができなかった。

「本当なの……」

 グラの操縦桿を握る手もプラント同様にこわばっていた。

 おびただしい虫の死骸、戦闘機や戦闘車両の焼け焦げた残骸、塔の黒い礎石その全てがプラントやグラにとって、自分たちにのしかかる幻のように見えていた。

 グラは河井の通信を頼りに、自機を塔へ向かう回廊上空に進ませている。岩壁の一部には水晶に閉じ込められた人間の屍が、太陽の光を受け、自己の生きていた存在を無言で彼女らに語りかけていた。

 緑の血しぶきと共に至る所に欠けた虫の頭部やトゲの生えた脚が散らばっている。二人の目に入るもの全てが、河井小隊の戦いが尋常でないものであったことの証印であった。

 二人の耳にスピーカーを通してカチカチという音が穴の底から段々と大きく聞こえてきた。

「何の音だ……」

 音の出所はすぐにわかった。

身じろぎもしないでじっとしている虫の牙が擦れ合っている音であった。

「軍曹、どこにいる」

「こちら、河井小隊カスガ、まもなく、地上に到達します、こちらからはロシナンテの位置を確認しています、我が小隊で現在稼働可能な機体は本機のみ、しかし機体破損度が高く、脱出には、まだ時間がかかりそうです」

 その通信を聞いて間もなく、プラントは救難発光信号を点滅させながら穴から這い出るカスガの機体を認めた。

 すぐに、プラントはロシナンテを大破してるカスガ機の側に寄せるよう命じた。

カスガ機の内部構造が剥き出しになっている手のひら上に、河井、ユキザネら少年たちの姿を確認し、ようやくプラントは安堵のため息をついた。

「負傷の度合いは」

「はい。無傷なのはユキザネだけです、特にジョゼとウィルは先ほどから出血のため意識がない状態、応急パックで対応中」

「グラのロシナンテに載ってすぐに基地まで帰還」

 プラントはカスガとの通信を切るのも忘れ、すぐに自機を降り彼らの側に近付いていった。

「よくやった」

 ひどく重傷を負っている少年たちの姿を目の当たりにした彼は、短い言葉を発しただけで、勝利の喜びにひたる気分にはなれなかった。

 プラントは、ユキザネの抱いている少女の醜い亡骸に目をとめた。

「こいつは……ユキザネ……どうしてお前が……」

「あっ……」

 突然、少女の全身が淡い緑色に発光し、ユキザネの腕の中で蛍のような小さな光の粒となっていった。

そして、はかない朝露のように、硝煙の臭い漂う風の中に消えた。


 地響きと虫の悲痛な雄叫びが繭の中に轟く。

 それは沈黙を保っていた虫たちが一斉に覚醒した音であった。

「全軍撤退、ガキ共の生命を優先、軍曹、頼むぞ」

「了解」

 主を失い、統制のとれなくなった虫たちが発狂しながら、彼らのすぐ側まで迫ってきた。

プラントはネオサーモバリックランチャーを抱えた自分の『リンクス』に走り込み起動させると、塔の中心部へ向かって歩み始めた。

「大尉、どこへ」

 グラが叫んだ。

「手負いの相手が一番油断ならねぇ、俺たちのようにな」

「大尉、共に撤退を」

「撤退、笑わせるな、でっかい人類の祝砲をここで打ち上げてやる、リミットは二分、カスガ、てめぇの機体ごと、ロシナンテに移れ」

「いくら大尉の『リンクス』でも、脱出は……」

「理屈じゃねぇ、やれるか、やれねぇか……だろ?」

 河井は顔を少年たちに向けた。

「河井小隊、全員、死の塔より離脱します」

 河井の声が少年たちを制するように響いた。

「それでいい……ユキザネ、ミン、ジョゼ、カスガ、ウィル……お前らのガキをこんな地獄に投入したことを今ここで詫びさせてもらう、本当にすまなかった……そして、軍曹……お前には心から感謝する」

「大尉!」

「グラ……お前の人生は今まで不幸だったかもしれない……だが、その分これから本当の幸福が待っているはずだ、ありがとう、ガキ共がこうやって生きているのもお前がいてくれたおかげだ、軍曹だけでは荷が重すぎる……」

「大尉!行かないで、私は一人では……一人では!」

「その苦しみごと包んでくれる奴にいつか必ず出会える……自分が今、生きていることを決して疑うな」

 プラントの機体の速度が上がっていく。

 傷だらけのミンやユキザネの目に涙が光った。

 カスガは河井や少年たちを鋼の大きな手の中に包み込むのを確認すると、機体をグラのロシナンテに搭載させた。グラのロシナンテは垂直に離陸を始める。

「後始末は大人がしっかりとやらせてもらう……」

 その姿を見上げていたプラントは今までに無いほど豪快な笑い声を上げた。


 虫の執拗な攻撃を避けながらグラのロシナンテは、今まさに砲撃を再開しようとしているチェの戦車隊の待つ出口へと向かった。

 河井には春の太陽の光が彼らの乗る機体を手招きして呼んでいるように見えている。繭への進入路から猫を載せたロシナンテが砂煙と風に乗ってその姿を現した。

「『ロシナンテ』の離脱を確認」

 兵士の通信を待っていたかのように塔の中心で強い光がきらめき、凄まじい爆風は繭の中の虫や妖精達を宙へと舞上げていく。

 渦まく火柱は、死の塔そのものを聖火台のように鮮やかに彩っていった。













最終話 「暁 霞」


(一)


「参謀長がご無事であったのを嬉しく存じます」


 元の地位に復職したマカロフのところにはここ一月、そのような内容の連絡や面会ばかりであった。

 彼は決して浮かれてはいない。

放射能汚染による国土の減少

 希少資源の争奪

 宗教観による対立と民族紛争

 不吉を呼ぶ赤い小惑星は、アステロイドベルトの中にある。

虎視眈々と再来する機会をうかがっているに違いないとマカロフは確信している。

第四惑星よりも遠い位置に存在している敵をリアルタイムで捕捉、攻撃する技術を人類はまだ得ていない。

(この星にしがみつくことしかできない我々こそ、地を這いずり回る虫だ……先が見えないからこそ、人間は今の快楽にふけることができるとは言っても、それは、あまりにも短絡的だ……)


 多くの犠牲によってつくられたこの一時の平和は、幼児が高い塀の上で一人寝ているよりも危ういものであることが十分にわかっていた。


 彼は機動騎兵兵器等に使用されていた『スレイブス』に関するシステムの開発研究をこの度の大戦でほとんど役にたたなかったことを理由に即刻中止させた。また、自身の愛した大地に眠るプラント名誉大佐の約束通り、彼の部隊に所属していた全ての兵士を復隊させた。

 ただ一つの例外はあった。

 隊長の河井を除く小隊に所属していた少年たちの兵役を免除し、その身分を「自由」の名の下に、各国で庇護するよう通達していた。

「例の実験体の少女はどうなった」

 目の前に立つ青年将校にマカロフは尋ねた。

「はい、彼女の場合、記憶操作が幾重にも重ねられていたため、他の子供たちとは別の治療法で対処しています、結果として意識を取り戻したものの、途中からの記憶が消去されていると言ったらいいのでしょうか、彼女はこの大戦があったこと自体覚えていません……自分の家族といた頃の程度なら少しだけ……色々手はつくしてみたものの複雑なシナプス素子の……」

 青年将校は説明する言葉の最後を歯切れ悪く濁した。

「あの戦いを知らないということ、それはある意味幸福ということなのか……」

「考えようによっては……」

「神は、生き残ったこれからの我々をどう試そうとしているのか……」

 マカロフは椅子から立ち上がり、カーテンを少し開け窓の外を眺めた。

この建物から見る街はまだ薄暗かったが、明かりが少しずつ増えてきたように感じた。



(二)


なだらかな坂道の脇には、小さな花々が道なりに咲き乱れている。

リューバ・ソーンツェアと母親の住む家は、澄んだ青空の下、春のまばゆい陽の光に照らされていた。

 見慣れない小さな子供たちが彼女の家の周りで遊んでいる。ここを訪れる誰しもが、泣き、笑い、にぎやかな場所となっていることに驚いた。


 母親のターニャは、はじめリューバが戦争孤児を引き取るという言葉に耳を疑ったが、彼女の言い出したことに対して異は唱えなかった。

彼女自身、失った子供たちへの贖罪の気持ちもあり、また何よりも「不幸な子供たちを少しでも増やさないために、私がしなくちゃいけないことなの」というリューバの一言が彼女の決心の深さを物語っていると感じたからであった。


 髪をおさげにした元孤児の少女が車の近付いている音に気付いた。

「リューバお姉ちゃん、お客さんが来たみたい」

「えっ、誰かしら」

 少女の言葉の通り、下の坂に一台のワゴン車が止まった。

「あっ……」

「お姉ちゃん、どうしたの……誰なの……」

 リューバは、車から飛び降りて坂を駆け上ってくる少年の姿を窓から見て思わず神の感謝の言葉を口にした。


「お母さん、お母さん、お母さん……」

 ユキザネは何回も言いたかった言葉を繰り返した。途中、窪みに足を取られて転んだ。

でも、にこりと笑い、土で汚れたズボンのまま、また駆けだした。

犬のアレクはすぐに気が付き、表へ出る玄関の扉をがりがりと爪でひっかいた。

「あら、お行儀の悪い犬だよ、そんなに表へ行きたいのかい」

 ターニャは、眼鏡をはずし毛糸の編み物を止め、座っていたそばの玄関の扉を開けた。アレクが嬉しそうな声を上げながら表へ飛び出していった。

「何なんだい……」

「お母さん!ただいまぁ!帰ってきたよ!僕、帰ってきたんだよ!」

 ターニャは、遠くから手を振りながら息をはずませ駆けてくるユキザネの姿に気付いた。

「ああ、神様……」

 ターニャは地面に持っていた編み棒を落とし、よろよろと膝をついた。

 ユキザネはターニャの胸に勢いよく飛び込んだ。

 もう何も言葉はいらなかった。

抱き合って泣く実の親子以上の姿がそこにあった。


この様子に不思議がっていた子供たちも周りに集まってきて口々に質問した。

「ねえ、この子誰なの?ねぇ、教えて、教えてよ、お母さん、新しいお兄ちゃんなの?」

「ははは、泣いてらぁ、このお兄ちゃん!」

 車から、ウィルとジョゼ、カスガとジャニスが降りた。

「ここは良い所だな」

 ジャニスがつぶやいた。

「僕たちが来て迷惑じゃないのか?」

 カスガが不安げにウィルに聞いた。

「さぁ、それはリューバに聞いてみないとな……お前、薪割りできんの?」

 ウィルはふざけて意地悪そうに笑った。

「私もミンが来るまでゆっくりさせてもらってもいいかな……薪割りはウィルにやってもらうけど」

 ジョゼが大きく伸びをして言った。

「へん、誰がやるかよ」

 子供たちのはしゃぐ声が聞こえてきた。

「ほら、ウィル、あんたも本当はユキザネのように走りたいんじゃないの?」

 ジョゼのその言葉に冗談を言っていたウィルの顔が赤くなった。

「う、うるせぇぞ」

 丘の上にリューバが両の手を祈るように組みながら、長い髪をそよ風になびかせ立っている。広がった青空に一羽の雲雀が春の歌を無邪気に歌いながら天高く上っていった。



(三)


 ミンとみんなから呼ばれるかわいい目をした少女は、病室で葉月が気付いて以来、いつも側にいて、何かと身の回りの世話をしてくれている。

「どうしてミンさんやグラさんは、私に色々なことをしてくれるの?」

 葉月は天気の良い朝に、今までずっと思っていたことを聞いた。

「私の大切な人たちに頼まれたの、もっと体力がついたらみんなに会わせてあげるね、今頃はもう楽しんでいる頃じゃないかな」

「だって……」

「私や友達のお父さんやお母さんが葉月ちゃんのお父さんとお母さんの友達だったの……ねぇ、リンゴむいてあげようか、それともお菓子がいいかなぁ……」

「みんなどこに行ったの……夏休みはもう終わったの……学校は……」

「葉月ちゃん、すごく言いにくいことなんだけど、大きな戦争があってね、葉月ちゃんはね、すぐに頭に大けがをしちゃったんだ、だから何も知らないの……その長い時間の間、みんな家や家族をなくしちゃったの……私もお友達も……それで……葉月ちゃんも……でももう戦争は終わったよ……だから、もうずっと安心だから」

 ミンは慌てながら適当なことを言いつくろいその場を笑ってごまかしたが、少しの罪悪感をもった。

 ミンの言葉を聞いていても葉月はあまり悲しみがわかなかった。

目覚めてからいつも頭の奥にぼんやりと霧がかかっているような感じがし、自分の心が深く考える行為を拒絶しているかのようであった。


 そこに美しい白衣を着た女性が入ってきた。

「あら、葉月、今日はお寝坊さんだったみたい。」

「あっ、グラさん、どうしたのその書類は」

 ミンがグラのもつ書類の束に驚いた。

「ああ、これね、子供たちの頭の中からいやなことを消すための大事な研究書類」

「ええっ、ならジョゼに大事なケーキを食べられたこととかも忘れられるの」

「それは良い思い出よ……もっともっと違うもの」

 グラが女神のように優しく微笑んだ。

「ねぇ、午後から天気がいいみたいだし、ちょっと二人でお散歩に行ってみたら?お医者さんも少し歩いた方がいいって、病院の近くに広い公園があるでしょ」

「ああ、そうだね!葉月ちゃん、一緒に行こう!」

「うん……」

 窓から差し込む日差しがシーツに映るカーテンの陰を小さく揺すった。




(四)


 石畳のくねった道が薄緑色の新芽を芽吹き始めた落葉松林の中に続いている。

ミンは静かに葉月の座る車椅子を押し、時折たわいもないことを話しかけ、天使のような微笑みを見せた。


 木々が途切れたその場所は、三方に春霞がかかった低い山が連なり、山裾まで所々たんぽぽの黄色と芝と林の緑がパッチワークのように広がる公園であった。

柔らかな日差しの中、芝生の上で幸せそうに家族連れの親子は遊び、恋人同士は身を寄せ合って睦言を語り合っていた。

「ねぇ、ミンさん、あの白い柵の向こうには何があるの」

 右手のゆるやかな丘の向こうに長く白い柵が続いていた。

「あそこ?私も時々行くことがあるの……とても大切な人たちがそこに眠っているから、あとで葉月ちゃんも行ってみようか、私も最近忙しくて行けなかったし……」

 ミンは少し寂しそうな表情で、延々と続く柵を見つめた。

 たんぽぽが織りなす黄色い絨毯の上でモンシロチョウが至る所で、風にのって戯れている。

 葉月は、春の太陽の気持ちの良いまぶしさに目を細め、かぶっていた白い帽子のつばを前に落とした。

「あっ、いけない、買っておいたお菓子と飲み物を病室に忘れて来ちゃった、私、取ってくるから、葉月ちゃん、ここの場所で待っていてくれる?」

「うん、でも、いいです、我慢できますから」

「だめだめ、だって私が食べたいんだもん」

 ミンはそう言って、息をはずませながら林の道を駆け戻っていった。


 葉月が一人で待っている間、花束をたずさえた者たちが何人も無言のまま通り過ぎていく。

誰もが皆、白い柵へ向かう道をぽつぽつと寂しそうに歩いて行くのが葉月にはとても印象的であった。

「とても大切な人たちが眠っているって……」

 葉月は白い柵の向こうを見てみたい気持ちにかられ、車椅子の両輪をゆっくりと回した。


 おだやかだった風が次第に強くなり、遠くから木々のざわめきが聞こえてきた。

 雪解け水の流れる小川にかかった橋を渡り、少し小高くなった所にある白い柵の前まで来た葉月は眼前に広がるプレート型をした洋形墓石が延々と続く景色に目を見張った。

「お墓……こんなに……」

 葉月は石畳の道をさらに奥に進んでいく。

 後から人によって植えられたものであろう、細い桜や白樺の木がまばらに佇んでいた。


「あっ……」

 突然吹いた風に葉月のつば広の帽子は空に高々と舞い上げられた。

帽子は地面におちると風にのって転がり、花で埋めつくされたプレートを静かに見つめている軍服姿の青年の前で止まった。

すぐに青年は気付き、その帽子を拾い上げ落とし主と思われる少女の方に振り向いた。

「すいません、風でとばされてしまって……」

 葉月は慌てて車椅子を近付けた。


 そこに立っていた青年は河井であった。

 すぐに河井は車椅子の少女が葉月であることに気付いたが、何も言わず笑みを浮かべ、その帽子についた埃をはらい手渡した。

「あ、あの……ありがとうございます」

 そう言いながらおずおずと自分の帽子を受け取った葉月に河井は軽く頷いた。

葉月はどこかでその顔を見たような気がした。

「あ、あの……失礼ですが、昔、どこかでお会いしましたか……」

 河井は、黙って首を小さく振って否定したが、目だけは彼女を優しく見つめていた。

そして、小さく右手を挙げた後、一度も振り返らず緑の小道をしっかりとした歩みで下っていった。

 葉月が目を落とすとまだ真新しいプレートに

「偉大で勇敢なるジョン・プラントここに眠る」

 と刻まれた文字を読むことができた。

 青年の姿がすっかり春霞の中に消えると、反対側の道から大声で葉月の名前を呼びながらミンが息せききって走ってくるのを葉月は気付いた


「葉月ちゃん、どこ行っていたの?心配したんだから」

「ごめんなさい……」

 急にミンが墓前に向かって今まで葉月に見せたことが無いほどきびきびとした姿勢で敬礼をした。そして、不思議そうに葉月とそのプレートを交互に見つめて聞いた。

「どうしてこの場所に一人で来たの?」

「帽子が風で飛ばされちゃったの……でも、親切な兵隊さんがここで拾ってくれたから……」


(ミィ、ミィ……)

 草の陰から子猫が親を求める哀れな鳴き声がどこからか聞こえてきた。

「捨て猫かしら……」

 ミンがその鳴き声のする方に歩むと汚れた黒毛の子猫が人肌恋しさに草むらから姿を見せた。

「何てかわいそうなことをするんだろう、葉月ちゃん、見てよ、この黒ちゃん、お腹もすいているみたい……」

 ミンは抱き上げて、葉月に見せた。

 人に抱かれて安心したのか子猫はごろごろと喉を鳴らし、甘えた声を出している。子猫は隣にいる葉月にも時折鳴きながらそのつぶらな瞳を葉月に向けた。


 葉月の頬に涙が流れていく。

「あれ、葉月ちゃん、どうして泣いているの……」

 葉月の脳裏には、さっきの青年の顔がずっとよぎっていた。


(さぁ、行くんだ……)


 明るい光の中に少年が力強い目で自分に向かって手をさしのべている。

 依然として吹きつのる風が樹幹にただよう霞を空にかき消していった。

「ずっと……今まで……いつも私を……」

 葉月は涙で顔をくしゃくしゃにし、ミンに哀願した。

「ミンさん、すぐにこの道をまっすぐ行ってくれませんか!私の大切な人が……」

「えっ?誰、大切……」

 ミンも何かに気付いたようであった。

「この道ね、この道を行けばいいのね」

「はい!」

 ミンは抱いていた子猫を葉月に渡すと、車椅子を押す手に力を込め七色の光に照らし出された野を足早に下っていった。


 葉月の温かい腕の中で、憐れな黒毛の子猫はようやく春の女神に幸福のまどろみを許された。







僕はまだ鉛色の空の下にいる 

でも蒼い空を飛ぶ夢はいつまでも忘れない











「猫と少年」 おわり







この物語執筆にあたって支えてくださった

Someyuki様、Mikucharat様、Koide様

そして最後まで読んでくださった皆様に

心より感謝申し上げます。


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