第六部 春告鳥(前編)
アキ・ユキザネ
河井小隊に所属していた少年
千早葉月
MAO『サイベリアン』に搭乗 機動騎兵部隊『エリュシオン』に所属
カスガ・ソメユキ
国際連合軍機動兵器極地戦闘襲撃機『サザキ』パイロット
ウィリアム・ボーナム
河井小隊に所属していた少年
ミン・シャラット
河井小隊に所属していた少女
ジョゼッタ・マリー
河井小隊に所属していた少女
グラ・シャロナ
国際連合軍元機動兵器システム統合部特別補佐官付
ゲオルグ・シュミット
国際連合軍機動兵器システム統合部特別補佐官
河井タケル
機動騎兵部隊小隊長 シベリアの地において消息不明となる
ジョン・プラント
『デスペラード』隊長 シベリアの地において消息不明となる
ヴィラ・フェルナンデス
機動騎兵部隊『エリュシオン』の少年
ジャニス・メナン
機動騎兵部隊『エリュシオン』の少女
リューバ・ソーンツェア
ウィルとユキザネを保護した少女
ターニャ・ソーンツェア
リューバの母親
月形半平
国際連合軍旧式兵器『シロガネ』型パイロット
マハン・ゴールド
北米機動騎兵隊実質責任者 階級は大佐
(一)
河井の機体は鍾乳石のように盛り上がった岩を崩しながら、予定地点に着地した。
「ジョゼとミンは輸送機が到着するまで上空からの援護を、ウィルは機体信号回復後、次の指示に従え」
「了解」
「通信装置、落とします!」
ジョゼの乗るロシナンテから通信信号増幅装置が落とされた。
三メートル四方の立方体の箱からすぐに落下傘が開き、オシロイバナの花弁のようにふわりと金色の空に浮かんだ。それと共に霧が晴れていくように通信のノイズがクリアになっていき、各方面から飛び交う通信が鼓膜を刺していく。
異様な落下物に気付いたハムシがすぐに集まってきたが、全てウィルの操縦する『バステト』の狙撃の的となっていた。
河井は、レーダーに映るMAOの機体を確認した。HUDに緑の点が光るとその機体ナンバーと情報が流れるように投影されていく。
(この檻の中で撃墜されたのが二機だけとは……)
河井よりもほんの少し早く、ウィルの『バステト』機のレーダーが月形の『シロガネ』を補足した。
「河井隊長、連合軍の二足歩行兵器を確認、近くに大破した『リンクス』もあります」
河井は機体信号からそれはかつての上司であった月形が搭乗していることを知った。
「今、こちらでも確認できた、ウィル、『シロガネ』機救出にあたれ、ポイント六一三で合流」
「了解」
もう一つ信号が消え入りそうに点滅している機体があった。
機体コードの蒼い光がヘルメットバイザーに反射し『C/HAZUKI・MAO-TYPE02P』と河井に小さく自分の存在を知らせた。
(葉月!)
河井の機体は一迅の銀風と変容した。
妖精の撃ったプラズマ弾が命中し、月形の『シロガネ』の残っていた右腕をライフルごと高熱により溶かしていった。残っていた弾倉の残弾が大きな衝撃と共に暴発を続け、オイルの焦げた臭いが辺りにみるみる充満していった。
「お前馬鹿だよ!私みたいな屑はほっとけよ!気持ち悪いんだよ!」
ジャニスは、自分が守られていることを知りながらも月形に叫んだ。
「まず、言葉のつかい方からだな」
「やめろ!吐きそうなんだ!てめぇみたいな奴は!」
ジャニスがバイザーを上げ、モニターに唾を吐いた。
「かっこつけるんじゃないよ!パパだって、私を捨てたんだ!」
『シロガネ』の機体各部からギリギリと機械の悲鳴が上がってきた。
「俺はお前のパパじゃない……そこの岩陰を使え」
ジャニスは何も言えなくなった。
月形の今できることは自分の機体を妖精の群れの中に投じることであった。
(時間稼ぎにはなるだろう、パイロットのガキとカスガ、二人だけでも脱出できれば、死ぬつもりはなかったけれどな……)
「援護します!」
ウィルの操縦する『バステト』は上空から急降下し、その長い翼で、『シロガネ』に襲いかかろうとしていた妖精の身体を真っ二つに切断した。
「お前は……」
月形が見た機体は、あの強奪されたと聞いていた『バステト』であった。
ほんのわずかな時間で、辺り一面に虫と妖精の死骸が山のように積まれた。
「援護に感謝する、しかし、その機体は……」
「説明は後でします、できたら私たちの部隊にご同行願えませんか」
だが、月形は首を振って断った。
「いや、別に命令を受けている、昔から一人で逃げるのは得意なんでね、こっちは何とかなりそうだが、二名のパイロットの救助だけは願いたい」
ウィルのモニターにカスガの姿が映った。
「カスガぁ!」
聞き慣れていたはずの懐かしい声が『バステト』のコクピットにわずかな光を差しこませた。ウィルの声はスピーカーを通じてカスガの耳を刺激した。
(ウィ……ル……?)
「げふっ!」
息を大きくした途端、カスガの口中が自分の血でいっぱいになった。
「良かった……」
ウィルはモニターに笑いかけながらも、カスガの様子が気が気でならなかった。
すぐにレーダーで周囲の敵を慎重に確認した後、機体を降り、半壊した『シロガネ』に近付いた。
月形も自機のコクピットカバーを開けた。
「こいつを知っているのか……」
「はい、カスガは前に私と同じ小隊でした」
「もしや……河井小隊か、あいつは生きているのか?」
「はい……あっ、今のは聞かなかったことにしていただけませんか」
ウィルはつい自分の身元を明かしてしまった。
だが、月形はその返事を聞き、顔をほころばせた。
「そうか……早く手当を」
そう言う月形に介助されながらカスガが薄く微笑みながらウィルを出迎えようと右手をゆっくりと伸ばした。ウィルは、涙を流すのをそのままに、カスガの手をぎゅっとつかみ、右手でヘルメットをはぎ取った。
「ウィル……生きてたんだね……よかった……」
口の周りを血で赤く染めたカスガがウィルを見て笑った。
「当たり前だろ、お前に俺の新しい弟を見せるまではな……かわいい彼女の所に寄ってたんだ」
「は、はは……嘘つ……」
力の抜けたカスガを肩に抱え、ウィルは自分の機体へ向かって歩もうとした。
「河井に伝えてくれ、生きていて嬉しかったと」
「名前をお聞かせ願えますか」
「老いぼれペンギン、そう言えば奴には分かる」
月形は、少し不思議そうな顔をするウィルにそう言って、破損したシロガネに戻ろうとした。
「また、逃亡するのか!」
その後ろにジャニスがウィルに拳銃を構え立っていた。
ジャニスの暴挙を止めたのは月形であった。
月形は自分の拳銃をジャニスに向けていた。
「お前も行け、ここにいるよりマシだろ、どうせこのMAOでは帰投できない、その前に銃を下ろせ、そいつはオヤジの専用玩具でな、お前みたいなかわいい子には似合わない代物だ」
「ちっ!」
ジャニスは悔しそうに自分の持っている拳銃を地面に叩き付けた。
「ジャニスだっけか……狭いところだけど、一応歓迎するぜ……」
ウィルは背中を向けたまま彼女に言うと、自分の機体に向かってカスガの様態を気遣いながら再び歩き始めた。
(二)
光の届ききらない穴の底は虫に満ちている。
「ねぇ、あなた取引しない?と言ってもこの場所からはみんな動かないわよ、こんなに気持ちの良いところはないもの、ほら、みんなもそう言っている」
何百匹ものハムシが羽を震わせると風が鳴った。
少女は、その場に立ち上がって、風で乱れた髪をなおし衣服についた塵をはらった。
「私ね、ある子を探しているの……でもね、途中からその子の臭いが消えちゃったんだ……今、お友達にいっぱぁい探してもらってるんだけど、まだ見つからないみたい」
葉月は話を聞きながら、少女の一挙一動を注視した。
「この前のところでもそうだった、もう少しでキスできると思ったのに、小鳥のようなお人形に乗って消えちゃったわ、そう、あなたの汚い血の臭いもそこでぷんぷんした……」
葉月はレイクレイ基地での出来事を言っていると思った。
「そう、その場所、今、あなたが心で見た場所、あなたの心って戦っているか、あのお人形しかないのね……あなたとお友達になりたかったのに、かわいそうだなぁ……」
(!)
「てへっ!なぁんて嘘、いい気味よ、私の友達をいっぱい殺した報いよ!」
少女は突然、口調と目つきを変えた。
「あの子をすぐに連れてきて、それまではここにいてあげるから、でも、このお人形はいらない、だってすごく臭いもの」
葉月の脳裏がユキザネの顔に染まった瞬間、機体に急激な圧力がかかりはじめた。
警告音は機体が尋常じゃない状態に追い込まれていることを無感情に赤く知らせた。
『サイベリアン』の肩の装甲板が大きく湾曲し、ジョイント部分から放たれる白い火花がチラチラと虫のひしめきあっている暗い穴の壁を照らす。
「くっ!」
葉月は何度もブースターを作動させるがオーバーヒートの警告をパネルに点滅させるだけであった。密集した虫の強力な力によってまるで身動きがとれなくなっているのだ。
するどい触手がいくつも伸び、厳重に固定しているはずのコクピットカバーをいともあっさりと吹き飛ばした。
「そこに乗っていたんでしょ、メックが焼け死ぬ前に心で教えてくれたわ……扉の後ろに隠れていた間抜けな子、丸見えじゃない……いやぁだぁ、恥ずかしくないの?」
この事態でも葉月は座席に座ったまま、まるで動じる姿を見せなかった。
「ごめんね、失敗してあなたごと潰しちゃうかもしれない。お人形のピクピクした変な動き見てたら急におかしくなっちゃって……ふふふ……あはははは!」
「いいわよ、早く殺して……」
葉月が生身で対面している少女をぐっとにらみ返した。
「かぁわいい!怒ってるの?でも、だぁめ、殺すんだったらもっと楽しみながらじゃないと……」
機体にまた震動と衝撃が加えられた。
防護壁もない生身の葉月はショックに耐えられずシートに崩れるように気絶した。
「あぁあ、つまんない……強がりばかり言う人は嫌い……」
(葉月!)
「はっ?」
少女が上空の異変に気付いた時にはもう銃弾が雨のように大量に降り注ぎ、岩棚に張り付いた虫たちがその勢いに引きはがされていった。葉月の機体に絡みついた虫も緑の血と肉片を振りまきながら徐々にゆるまり、とぐろを巻いた状態で地面にだらしなく落ちていった。
少女は穴に急激に降下してくる機体に目を向けた。
河井の機体に装備してあるスティンガーミサイルが一斉に射出されると、マークされた虫の一匹一匹はその早さに逃げることも出来ず、ミサイルの爆発に身をはじかせていった。
穴の中が煙で真っ白くなる中、河井機の伸びる鋼の拳が少女の立っていた岩を砕いた。しかし、少女はそれよりも早く蛍火のような淡い光で全身を包み空中に浮遊していた。
「ああ、驚いた……あなたは、あの時の人ね……」
河井の頭に少女の声が響いた。
「お前と会うのはたしか三度目だな、あの羽はどうした……」
「羽……ここは私のおうちよ、それにほら……この恰好の方があなたたちに似ている、あぁ、わかった!この子の頭の中で時々ちょっとだけ見えている人はあなたでしょ」
少女はコクピットの中で土砂に半分埋まった葉月を指さし河井を見た。
「そいつに手を出すな」
「あら、変な武器を使ったのはあなたよ、もう少しでこの子焼け死ぬところだったじゃない、私、この子大好きなのに……今、起こしてあげるわ」
少女は葉月のすぐ横に移動していた。
そして、気絶している葉月からヘルメットをはずすと顔をそっと起こし、頬を小さな舌で軽く舐めた。きらきらと光る唾液の糸が短く蛍光色に反射する。
「うふふ、クリームのようにとっても柔らかぁい、あなたもそんなお人形に乗っていないで、表に出てきたらどうなの、このままこの子食べちゃってもいいの?」
河井は『リンクス』頸椎部のカバーを開けコクピットの上に立った。
「そう、それでやっと私たちと同じよ」
「何のためにお前たちはここに来たんだ」
「え?あなたの言っていることがわからない、どうして来ちゃいけないの?」
「ここにお前たちの居場所はない」
「そんなことないわ、この子のようなおいしい食べ物はいっぱいあるし、動いている物を殺すのも楽しいし……昔に蒔いておいた種がここまで育ったのがすごく嬉しかったわ、それよりもあなたたちは何でそんなに抗っているの?」
「お前たちが来たからだ」
「そんなことないよぉ、いつでもなかよしになれるのに!ほら見てよ、みんな喜んでいる」
壁の一端が崩れ、紫水晶のような物質があらわれた。その中に固められた人間が数多く浮いていた。泣いている子供、ひきつった顔の女性、つぶれた上半身、全てが生なる時を永遠に止めていた。
「きゃははは!ほら、見てこの子なんて、小さな犬もかかえているわ、かぁわいい!」
さすがの河井もその残忍な光景に目をぐっと細めた。
「今、私をそのお人形を使って潰そうとしたでしょ。それとも撃とうとしたのかなぁ?無理よ、あっ?もうお友達がいっぱいいっぱいこっちに来てるわ、もうすぐ起きるこの子にも言っておいてね、約束成立よ」
「約束?」
「この子があなたを思っているように、私にも必要な子がいるの、あなたにもその匂いが少しついている……だからあなたも食べないでおいてあげる今だけね……」
河井の頭の中にもユキザネのイメージが流れ込んできた。
「ユキザネ?」
「ふぅん、ユキザネって言うのかぁ……この子は私にとって、必要なの」
「なぜ?」
「ふふふ……それはあなたたちの方がよく知っているはず。この場所はとっても良い場所よ、みんなでここに決めたの……あっ、いけない!お友達を歓迎する準備にいかなくちゃ……約束を忘れないでね……」
少女が光の中に消えると、溢れかえっていた虫は至る所に開いた横穴に潜り始めた。
河井は二号機『サイベリアン』のコクピットに走り寄り、ぐったりとうなだれている葉月の頬に手を優しく添えた。
「葉月!」
「うぅうん……」
うっすらと葉月の目に河井の顔が映った。
「何……?」
河井は何も言わずに両の腕で葉月を抱きしめた。
「すまなかった……お前を一人残して……」
「一人……私はずっと……ひと……」
葉月の心が何かいけないものを知ってしまったように激しく動揺した。
河井の優しいまなざしが葉月の心の中にいっぱい広がり、涙がその目から落ちるのをおさえきれなくなっていた。
「お前は……私を……」
上空から一機のMAOの轟音が二人だけのほんの短い時間を引き裂いた。
「ナンバーエイト、撤収命令だ、何だ、この見慣れない機体は、誰のだ、これは!消毒してやる!」
ヴィラのMAOであった。
ヴィラは河井の機体にライフルの弾を撃ち込んでいった。
「やめろ!この機体を撃つならお前を殺す!」
葉月は叫んだ。
「殺す?おもしれぇ、そんな壊れた機体でか?やってみやがれ」
「北米機動騎兵隊!撤収だ!ナンバーワン、ナンバーエイト!何を手間取っている!」
シュミットからの撤収命令の通信が両機に入った。
「何でお前は私を苦しめるの……でも、そんなお前を……」
葉月は河井を地面に突き落とし、エンジンを作動させた。
「葉月ぃ!」
二機のMAOが穴の上方へ向かって飛翔した。
河井は身体が吹き飛ばされないように地面の岩を掴んだ。
「ああああああ!」
操縦しながら葉月は自分の心が苦しくなって声を上げて泣いた。どうしていいかわからない無慈悲な葛藤に苦しむ思いが彼女の心を血の出るほどかきむしった。
大地の震動が激しくなった。
「河井隊長、西方の虫の群れの先端がまもなく九州地方にさしかかります、被害が多数出ている模様、あれ、河井隊長?隊長!」
ミンは誰もいないコクピットの映像に驚愕した。
河井がコクピットに着座した。
「すまない、こちらは葉月と接触したが、救出に失敗した」
「葉月?葉月ちゃんがいたんですか?」
「ああ、やはりウィルの言った通りだった……他の部隊の脱出状況は?」
「ジョゼのロシナンテが脱出口まで誘導しています、最深部で残っているのは隊長だけです」
「すぐに戻る」
「了解」
通信が終わる。
(俺は何をやっているんだ!)
河井はうかつな振る舞いを恥じ、自分の腿を拳で思い切り叩いた。
(三)
金色の繭に包まれた死の塔に虎落笛が響き渡る。
人類の最新兵器部隊機動騎兵隊という侵入者を排除することに成功した虫たちは、再び塔の修復に着手していた。
外敵襲撃の報を受けた連合軍は四散した前線守備隊を集結せすべく、緊急打電を続けている。しかし、どの部隊も敵の頑強なる抵抗に疲弊しきっていた。
(くそっ……こんなはずでは)
最前線にわずかに残る旧ナリタF滑走路上のシュミットは、装甲板が無残にほとんど剥がれている葉月の『サイベリアン』を見上げた。
「修理の進行状況は?」
整備兵の男はその質問に手元の小型端末を見ながら答えた。
「最終的に戦場で二機落とされているのを除き、全機体トータルで約七十三パーセントのパーツ交換、これは補給が来てからの作業になります、また、武装システム周りの調整に四時間程はかかりそうです、弾薬の補給については、まもなく到着します」
「パイロットは?」
「死亡一名、ナンバートゥエルブ、ケント・ロッシュ、行方不明一名、ナンバースリー、ジャニス・メナンです、その他は中度の精神疲労がありますが、これは投薬で治療できる範囲のものだと医療班から聞いています」
既に日本の本土に虫の群れの一端が到着している。
一部の敵の動きが止まっているとはいえ迎撃する前から負けが決まっているような戦であった。
気がかりなことがまだあった。
突如彗星のようにあらわれたもう一つの銀色の機動騎兵部隊。今、その部隊は後続の大型輸送機と共に九州・四国方面へ既に移動を開始していた。
(上層部は、我々にもその存在を隠していたというのか……それならなぜ……)
シュミットの出した結論であった。
旧関西国際空港はその半分を大阪湾の中に沈めていた。
崩れ落ちた管制塔と巨大なターミナルビルにかつての繁栄を垣間見ることができる。辛うじて使用できる荒れた滑走路上に着陸している大型輸送機から戦車や自走砲車が次々と降ろされていく。
作戦本部となっている輸送機の室内に隻眼となったプラントと河井が対峙して座っていた。その周りには勇猛さを刻み込んだかのような厳めしい顔の兵士らが取り囲んでいる。
「軍曹、その話が本当だとすると……」
「敵の第一の目的は塔への集結です、塔の虫による反撃は現段階では無いと判断します」
「女王蜂への謁見式か、犠牲者はその手土産ということだな、チェ、お前はどう思う?」
「軍曹や大尉の話を聞いていると、その娘がなぜ、そこまでユキザネにこだわるかが、私には理解できません、第一あのガキと娘との接触で考えられるのはティンダスク基地とレイクレイ基地くらい、それもほんの短時間の条件でしか考えられないのですが……」
プラントはその質問に頷きながら聞いていた。そして、聞き終わると組んでいた手をほどいて、テーブルに肘をつけた姿勢でこう言った。
「うむ、実はな、その点について俺には思い当たる節がある……なぜ、あの少年がたった一人だけオルファンホーム、訓練所と特別な扱いをされ、そして俺たちのところに送られてきたか、まずそこから話をしないといけないな……」
河井をはじめ兵士たちは固唾をのんで、プラントの次の言葉を待った。
狭い機関室の一室が今は急ごしらえの医療室となっている。
ナンバースリーと呼ばれていた少女ジャニスはベッドで救命機器に全身繋がれたまま昏睡しているカスガの横に立っていた。
酸素吸入器も気休め程度にしかならず苦しそうな息を続けているカスガをジャニスは黙ってその顔を見つめていた。
ウィルが部屋に入ってきた。
ウィルは少女の様子に驚いて腰のピストルホルダーに手をかけた。
「お前、カスガに何するつもりだ」
ジャニスは顔色を全く変えずその態度を一瞥すると、すぐにカスガに目をやった。
「私を辱めた奴の顔を見に来ただけだ……」
「辱めたって?」
「こいつは私を差し置いて、『サザキ』のパイロットに選ばれた」
「知らねぇよ」
「教えろ……なぜ、旧式機体に乗っていた男は私を助けたんだ?」
「それは当たり前のことじゃねえか、あぁ、そうか、お前らの場合は失敗イコール死だもんな」
「今ここで苦しんでいるこの男を殺せば、それも救ったことになるのか……」
「知らねぇよ、だけどよ、あの人が助けてくれたからこそ、こうしてカスガもお前もそこに立っていられる、それだけのことだ」
「苦しいから殺して欲しい者の気持ちがお前にはわかるのか」
「わかりたくもねぇよ」
「ちっ!」
ジャニスは悔しそうに唇を噛んだ。
「もうすぐ連合軍のヘリが来るようだ、お前も仲間のところに戻ればいい、おっと、それまでスパイ活動は禁止だぜ、この部屋から早く出な、カスガも落ち着いて眠れないだろ」
「脱走兵にそんなことは言われたくない」
「まぁ確かにな、それには同意するぜ」
ウィルはホルダーから手をゆっくり離した。
(四)
「アキ・ユキザネ、あいつは一度死んだ人間だ」
プラントが口を開いた。
「それはどういうことですか」
青年兵がたまらず身を乗り出すとそれを河井は静かに右手で制した。
「『スレイブスシステム』言葉通り、子供たちを鋼の奴隷とし、無駄のない戦闘力を身に付けさせる兵士育成としては理想的な機能だ、ウィル、ジョゼらガキ共の頭の中にもしっかりプログラムが刻み込まれている、ここにいる河井軍曹は同じホーム出身でも年長だったことから幸いにもまぬがれたわけだが……軍曹の報告を聞く限り俺たちの『親指姫』は今ではただのカスガの救出したガキと同じジャンキー(麻薬中毒者)だ……」
「くぅっ!」
葉月と過ごしたことを知っている兵士たちの顔は、皆ちぢれた紙のようにゆがんだ。
「世界各地から送られてくる孤児それも赤ん坊を対象にある実験を行った、遺伝子レベルでの他生物との融合、生命力、再生力、それぞれのもつ生物の長所を組み込んでいくものだ……本来ならば従来の医薬品のように動物実験など重ねて進めていくものだが、今は戦時、ナチの時と同じだ、歴史は必ず狂った人間を生む……その代償としてほとんどの赤ん坊が闇に葬られていった……」
多くの乳児が整然と並べられた大きな無菌室をのぞき込む集団がいた。
「また、二人死にました」
「この辺で実験を中止した方が良いのではないでしょうか」
若い黒人医師が生命維持装置の緑色のランプが次々と消えていくことにたまらず声を上げた。しかし、そのほとんどが無言で言葉を返した。
「ベクターの投入量を増加」
中心にいる白い髭をたたえたアジア系の顔立ちをした老人は、そばの女性医師に短く伝えた。
乳児の全身に刺されたチューブの一本から物質が血液の早さで流れ込んでいく。
あわれな子供たちは大きく息をすることも、まぶたを動かすこともなくその命が絶たれていった。
そこに並べられた様々な肌の色をした全ての乳児の命が瞬時に消えていく。
「ユキザネ先生、私はもう我慢できない!」
黒人医師が立ち上がり、部屋から椅子を蹴り上げるようにして出て行った。
「うるさいのが消えただけだ、例のやつを与えてくれ……」
老人の指示に女性医師は素直に従った。
重々しい沈黙の時間が白く広い部屋に流れていく。
「ドクター、今日もだめでしたね」
「どうというものではない、この子らはここに来なくても死んでいる運命だ……命あるものだったらモルモットも人間もさして変わるものではない……我々は、我々以上の能力を持つ人間を生み出さなければならないのだ、進化には犠牲がつきものだ……ましてや、虫共はそれまで待ってはくれまい……」
ドクターは今日の実験を中止する旨を伝えようとしたとき、待ち望んでいた出来事が起こった。
たった一人だけ赤いランプが生存を示す緑色に変わったのだ。
「ドクターユキザネ!」
経過を見ていた老人医師は喉をぐっと鳴らした。
「すぐにモニターを続けろ、やはり私の考えは……」
プラントの目がそこにいる者たち一人一人の目を見据えた。
「そいつに投与されていたもの、軍曹……もうわかるな」
兵士の目が河井へ一斉に注がれた。
「……異生物の遺伝子」
河井が静かにそう言うと、対するプラントは大きく頷いた。
「地球上のウィルスの中には、取り付けない生物に対し、ある者を仲介し変異することで取り付けるようになるものがあるだろう」
「インフルエンザのようなものですか」
チェが呻くように言葉を漏らした。
「ああ、その中でも奴らは一番致死率の高い糞ってことだ、大量に糞が押し寄せた場所チトセ、オルベリー、シベリア、ナンディ……全てユキザネがいた所だ」
「つまりシベリアでの我々は……」
「シュミットの言うとおり、ストーカーから少年と守る警備員と虫の餌の兼任だったってことよ……もう一つ、マカロフ親父からの情報だ、『分封』という虫の現象を知っているか」
プラントがリモコンを手に取り、スイッチを入れると、今まで映っていた東京湾の塔から青空の下、樹木の枝に蜜蜂が山のように固まっている映像に切り替わった。
「次にパンツはいてねぇ黄色い熊がでてくるんですかい?」
チェの冗談にプラントは笑いながらも話を続けた。
「蜂蜜好きな発情期の雄熊はでてこねぇ、簡単に言うと女王と家来が新しい巣を探してふらふらと外の世界へ飛び出る現象だそうだ……巣の中で奴らの数が増えすぎると、家来蜂は数匹の女王蜂候補を育てはじめる、そして、その女王蜂になる幼虫が羽化する前に、前の女王と今までの巣を捨ててトンヅラするって話だ」
蜂の固まりは玉のように丸くなっているように見える。
「少し、映像の時間を進めるぞ、今、画面の下から飛び立った蜂が斥候役だ」
蜂球が徐々に小さくなっていく。蜂が固まりから離れていっているのだ。
兵士たちはそこまで話を聞き、プラントの意図がわかった。
「そして、新しい巣の場所が、この地球……って訳ですか」
「そう、それも地球の中でもっとも奴らが気に入った場所、それが……」
東京湾の死の塔に画面が戻った。
「見てみろ、雄蜂アキ・ユキザネを招く準備中、『関係者以外お断り』と書かれた看板が立ってねぇ、あのガキがここに来たのは、機動騎兵部隊パイロットという表向きの命令があった訳だが、一度死んだ人間であるあいつは死を呼ぶガキだ」
「死を呼ぶ……」
河井も静かに頷いた。
「実験成功後、奴がいるところに、必ず虫や妖精が集まり、相当な被害が生じる、はじめのうちは軍も原因がようと掴めなかったが、繰り返されていくことで、確信に近いものとなった」
「それで、俺たちの部隊に白羽の矢がたったと……俺たちが戦場から遠いシベリアに送られて来たのかがつながったな、ブルートもオッターの親父もその生け贄ってやつですか」
チェ曹長はぎりぎりと自分の拳を握った。
「ただ上の奴らも虫たちがなぜユキザネを追うかまではわからなかったが、今回の軍曹の少女の話を聞いて俺はわかったよ、奴らは宇宙のどのような場所でも適合できる遺伝子を欲している、生物の究極の進化をめざしていやがるんだ」
「昔の南極の動乱も学者の連中が進化とか何とか言っておっぱじめたようだし、その進化ってのは、そんなに大事なものなのですか」
怒りに震える他の兵士も吐き捨てるように言った。
「ああ、生物にとっては必要不可欠なものだ、俺たちが猿のままだったら、この地球は今頃、あの巨大人食い生物の楽園だったろう、タイプの違う妖精も元は違う星の生き物だったかもしれねぇな……だから、あんなステッキのような奇妙な兵器を扱うことができる……」
「虫が高等生物を支配なんてできるのですか」
「一匹でも頭の良い女王がいれば可能だ……虫は俺たち人間と違って死を恐れない究極の兵士だ」
プラントはそう言い切った。
「敵がウワジマシティ上空に達しました、補足できたものだけで先頭の妖精型五十八匹、羽虫型百三十三匹です。当初より進撃速度が上がり到達まで予想より二十分早くなっています、プラント大尉ご指示を願います」
沈黙を破り、スピーカーから襲来を伝える放送が入った。
「これより本隊は次の作戦行動に移る、各個撃破だ、猫のガキ共にも出撃命令を出せ」
チェ曹長らをはじめ、皆指示を最後まで聞くまでもなく、整然と自分の持ち場に戻っていった。
(ガキ共か……)
一人部屋に残ったプラントだけではない、この話を聞いていた大人たちは子供らに対し、今自分のやっていることが、過去の医師らとたいして違いがないのに気付いていた。
滑走路に再びエンジン音が轟く。
コクピットシートに座り、ウィルは自分のヘルメットがしっかりと固定しているか、両の手で確かめた。
「ウィル、あんたが連れてきたあの子大丈夫なの?」
通信モニター内に映るジョゼが心配そうに言った。
「ああ、奴らは薬打って操縦しなけりゃ、ただの子供だ、その点は心配ない、計器全て異常なし、ジョゼ、遅れるなよ」
「ねぇ、ウィル……」
ミンが二人の通信に入ってきた。
「ウィルさぁ、何か昔と違うよね、何か大人になったっていうかさぁ……」
「ん?俺に惚れちゃった?」
「ってジョゼが言っていたよ」
「ミン!あんた何てこと言うの!」
怒り出したジョゼを見てミンが笑いながら通信を切ると、入れ替わるように河井の顔が映った。
「ウィル、拡散ミサイルによる先制攻撃後、後退、援護しながら……」
「はい、一匹たりとも絶対防衛戦は越えさせません」
河井が優しい目で笑った。
「頼む」
「隊長、先に行きます、ウィリアム・ボーナム『バステト』離陸します!」
高機動性能をもつエンジンの噴出口から青白い炎がまばゆく光った。
連合軍は西方から迫り来る虫の群れに対し迎撃も出来ず、東京湾にそびえる『死の塔』の包囲を解くこともできないという板挟みのジレンマに陥っていた。
「隊長、あのぉ援軍はやっぱり来ないのでしょうか」
ロシナンテ戦闘機を操縦するミンは、憂慮していたことを我慢できず河井に質問した。
「援軍……ミン、俺たちはあの日を境にはじめから最後まで孤軍だ……」
「そう……そうですよね」
ミンはわかっていた。
自分たちはもう正規の連合軍ではない。異生物排除という同じ目標を遂行しながらも、支援してもらえるだけの理由は何一つない。
「ただな、ミン」
「あ、はい」
「俺はお前達たちを葉月のようにはさせない」
河井の言葉にミンの顔が雨雲の隙間から差し込む太陽に照らし出されたように輝いた。
「はい、私も隊長のこと、信じています!」
(俺も信じていますよ、河井隊長)
ウィルもその会話を聞きながら、嬉しくなり操縦桿を握る小指の先まで力を込めた。もう一機のロシナンテ戦闘機を操縦しているジョゼもまた同じであった。
(五)
虫の群れが押し寄せたあの冬の日
少年たちが脱出した後のシベリア『ティンダスク』基地は虫と妖精で溢れかえった。
装甲車からアサルトライフルを構え勢いよく飛び出た歩兵は、銃声を発する間もなく瞬時に丸々妖精の餌食となっていった。
少しでも仲間を生きながらえさせるためだけを目的に、プラントの『サイベリアン』と河井の『リンクス』は群れの中に飛び込み、手当たり次第、妖精の頭を銃弾で潰した。
「近付けさせるな!軍曹!あいつらをできるだけ守ってやってくれ!」
「了解」
背中に装備された噴出口を紅く燃やし、敵をなぎ倒していく河井の『リンクス』
彼の機体が通り過ぎた後は屍肉と体液が散らばるだけの一本の道となった。兵士たちは盾となって自分たちを守るこの鋼の機体を見て、どこにそれだけのスピードとパワーを秘めていたのか心から圧倒され、そして確信した、自分たちはまだ負けていないのだということを。
銃口にかぶった体液が蒸発し、白い煙が濛々と大量に上がっていく。
「うぉっ!」
左方向から放たれた妖精のプラズマ弾がプラント機の脇腹を直撃した。
バランスを少しだけ崩した動きを妖精は、少したりとも見逃さなかった。のし掛かるように多くの虫が固まりとなってぶつかっていった。
メインパネルとコンソールが破断し、吹き上げ飛ばされた機械部品がプラントのヘルメットバイザーを粉々に砕いた。
左目に激痛が走った。
「糞野郎!目がやられちまった」
パイロットスーツにも金属片が次々と刺さっていく。その度に言いようのないするどい痛みがプラントの身体を包んだ。
「ちっ!」
河井はプラント機を救出する為、妖精の群れをかき分けるようにしながら距離を縮めていく。その横でチェ曹長の戦車隊が最後の砲弾を放ち沈黙した。
(へぇ、もう、おわりなんだ……)
そこで戦っていた全ての兵士の頭に少女の冷たい声が響いた。
急に妖精は動きを止め、地獄に垂らされた蜘蛛の糸に群がる亡者のように腕を大きく伸ばし空を仰ぎながら歓喜の声を上げた。
「何が起きた」
プラントは顔を血で真っ赤に染めてはいたものの、この状況をできるだけ冷静に把握しようと努めた。
「大尉、敵の攻撃が全て止みました」
河井の言葉に嘘はない、しかし、プラントはどうにも信じることができなかった。
百メートル程先の滑走路上に緑がかった淡い光の球体がふわふわと浮いている。それを中心に、虫や妖精が丸い円陣を組むかの如くぞろぞろと集まっていく。どの敵もそばにいる河井機や兵士の乗る戦闘車両がまるで目に入っていないようであった。
ハムシは羽根を震わせ、妖精は緑の唾液をふりまきながら曇りガラスを爪でこすったかのような奇声を発し続けている。
遠くの空からさらに虫の群れが集まりはじめた。
河井は装甲車両が踏みつぶされそうなるのに気付き、すぐに妖精の太い足を撃った。吹き飛ばされた妖精は何事もないように匍匐前進しながら光の周りに集まっていくのをやめなかった。
(巡礼者きどりか)
河井はそう思いながらプラントに通信回線を開いた。
「大尉、西七番格納庫損傷軽微」
河井の一言にプラントは我に返った。
「全車両、西格納庫に集まれ……俺たちも固まるぞ、こっちはメインカメラがやられた、誰かビーコン(無線標識)を発信してくれ」
その通信を合図に傷ついた車両は恐る恐る虫の隙間を縫うように移動をはじめた。
(あなたたちがどんなに痛くしたって、私たちには勝てないの……)
また、少女の声が兵士達の頭の中に脳を爪の伸びた五指で握られたように響いた。虫たちの間で大きなどよめきが起こった。
河井は一人落ち着いて、その蒼色の光の中心に見える人影にライフルの照準を合わせた。
(ほら、また、無駄なことしようとする子がいる……)
全ての妖精がなだれのように河井の機体だけに襲いかかった。河井はほとんど抵抗することもできなく、機体の自由を奪われ、四肢を荒縄で縛られた動物のように緑の光の前に引き出された。
(汚いお人形さんね)
その時、河井は声の主を見ることができた。
年端もいかない全裸の少女であった、だが、その背には幾何学模様の入った大きな蝶のような羽をきらきらと輝いていた。
「蝶……あの空にいた奴か……」
(まず一本め、お話しをよく聞いていない罰)
少女が笑顔で右手の人指し指を一本上げ左右に小さく振りながら言った。
命令されたパックはまさに餌に群がる猿であった。河井の『リンクス』のライフルを持っていた腕が根本から引きちぎられた。
(次に二本目、私を痛くする杖で狙った罰)
右足の膝関節部から妖精のステッキが刺し抜かれ、切断された。
(次はねぇ、お腹かな、頭かな?それとも……)
機体のノズルには黒こげになった妖精の身体が頭を突っ込んだ状態で何匹もぶらさがっている。河井はオーバーヒートを告げる警告音を強制的に切り、コクピット内を無音にした。そして、どのようにすれば時間をもっと稼ぐことができるか、この場においても考え続けた。
(騒ぎたいなら騒ぐがいい、もうすぐ(核が)落ちる……お前たちもそれまでだ)
「軍曹!」
プラントは大破している機体で虫の群れに突進した。しかし、糸の切れた操り人形にできることはなく、地面に崩れ落ちるとすぐに妖精たちを乱舞させる小さな岩場の一つと化した。
「畜生、自爆装置はねぇのか!自爆装置は!」
無論そのようなものはない。
(わかったわ、みんなの言うとおり、そのお人形さんの首を抜きましょうね)
虫たちの興奮した雄叫びと全身を痙攣させるような不気味な動きがさらに兵士らの緊張の度合いを高めていった。
河井の『リンクス』の頭部に無数の妖精の指がからみつき、ゴリゴリと、ろくろを回すように引っ張っていた。
首の間接部から熱せられたオイルが勢いよく噴き出し、妖精の身体に吹きかかった。何匹かの妖精は「ぎゃっ!」と短い悲鳴を上げると、機体からあわてて離れていった。それでも河井の生命が危険にさらされているという事態に何の進展もない。葉月がくれた白いマフラーの半分は彼の血で赤く濡れていた。
(はっ!)
少女は何かに気付き、梟のように大きく目を開けた。
(みんな、熱いのが近付いてくるよ、はやく食べちゃって)
「爆撃機に気付いたか……」
妖精は高々と持ち上げていた河井の機体を地面に叩き付けると、少女の指さした方向に喚きながら一斉に空に向かって飛んだ。
一面の空を覆い移動する虫たち。
(せっかくみんながここまで出迎えてくれたのに残念ね……今、お友達が私の新しいおうちを作ってくれているの、一度そこに帰るわ、それからあの子を追いかけるのよ……ああ、とても面白かったぁ、いつかまた、そのお人形さんと遊びたいなぁ……)
「馬鹿にするのも!」
プラントが怒声を上げスクラップと化した自機のコクピットから飛び出した。
(あなたたち生物は従属するのが好きでしょ?これからは何も心配いらないわ、みんな一緒、あなた方みんな私たちのものだもの……)
プラントは蒼色の光に包まれた少女に拳銃で発砲を続けたが、少女は意にも介していない。
透き通った羽の下半分の両端を両手で軽くつまみ、西洋の貴婦人が会釈するように軽く足を交差させ、頭をこくりと下げた。
そして、黒煙と暗闇の虚空へ溶けていった。
虫と妖精の死骸、そして無残に潰された戦闘車両や潰された兵士の死体が広がる荒れ地の中にプラントは呆然と立ち尽くした。
「俺たちは虫に遊ばれ……遊ばれていやがった……」
数十秒後、漆黒の東の空が目もくらむほど白く光り輝いた。
しばらく遅れて地鳴りと強く吹き荒れる風が焼け残った針葉樹の樹々を大きくゆらした。
「爆撃機が落とされた……」
河井は、核を積んだ爆撃機を表す白い光点が赤い光点の波に呑まれ消失したのをレーダーで確認した。それを知らせるためだけにこの猫(MAO)は耐えていたのだろうか、電気系統が急に焼き切れ、コクピットが音のない暗闇に包まれていく。
生き残ったわずかな数の兵士も口を閉ざしたまま幽鬼のような足取りで、粉雪の舞う車外へふらふらと歩み出た。
「うおおおおおお!」
プラントは、血にまみれた一本の兵士の腕を拾い上げ抱きかかえると、辺り構わず天に向かって大きな声で泣き叫んだ。
連合軍先鋭と評された自分たちが、出迎えの余興を彩るあまりにも惨めな道化師役であったことに彼は詫びた。
先に死んでいった者たちに詫びた。
そして自分がまだ生きていることに……。
(六)
大地に大きな穴が開き、それを取り囲むようにして黒い円が描かれている。
写真が拡大されるにつれ、その黒く太い線は放射線状に倒れた樹木の焼け焦げた痕であることが誰の目にも明らかになった。
「これが最後の衛星写真ですが、この周囲の樹林地帯は現時点で無期限の封鎖を命じております、民間人への放射能による汚染が、お手元の資料に記されているように最小限に止まっているのが不幸中の幸いです」
マカロフ極東軍事顧問をはじめ、連合参謀本部会議室にいる面々の顔は暗い。
「それから残った機動騎兵隊員の処遇だな」
中央に座っている参謀本部長はそう言って両腕を前に組み、首を軽く回した。
「ほぼ無傷なのがレイクレイに脱出させた二号機『サイベリアン』と三号機『リンクス』各一機、それに輸送用戦闘機『ロシナンテ』二機と大型輸送機、パイロットは例の少年とプロトタイプの少女を含めた子供たちが五名、それに女性士官が一名……」
マカロフは、ある考えのもと、もう一人のMAOパイロットである河井の生存を伏せて報告していた。そのため現記録上では河井は戦死扱いとなっている。
「子供たちはわが方面部隊でひきとらせてもらおうか」
白髪を油で撫でつけた強面の老人が口火を切った。
「それはおかしい、彼らはこの後、アフリカ戦線に配属予定されていたはずではないか」
それに反論したのはアフリカ方面参謀本部長であった。
「両方面とも不公平だろう、我が方面隊にはまだ『スレイブス・システム』に適した武器さえ配備されていないのだぞ、この現状なら、北大西洋方面にこそ」
彼らの本音は自国の周辺地域をより強固に守備するところが目的である。その為、この協議は長くなった。
結局、MAOを含め、はじめに声を上げた男が管轄する北米方面に配属が決まった。
が、そのうち二名は軍事バランス均衡のため、亜細亜方面への移籍が検討されることとなった。
「残ったプラント隊二十三名については、いかがか」
議長役の男が言った。
「戦場の申し子も負傷し、再起不能らしいな」
今回の戦闘において、プラントは左目を失明し、右足はその後の裂傷と凍傷による壊疽のため切断されている。
「彼らのような戦歴だけが勲章の地面を這いつくばる役割はもう終わった……貴公のところで好きに処理すればよかろう、これからは子供たちが兵の中心になる時代だ」
「それはそうと、この機動騎兵隊敗退の事実がマスコミや民衆に騒がれないかね」
「心配は無用だ、彼らはいつの時代でも私達の味方じゃないかね、新しい機動騎兵隊を編成したと大きく喧伝すればこの状況下だ、すぐにそちらに流れる……そのための根回しは多分に必要だがね、その辺は部下にやらせればいい、今、現在この事実を知っているのはここにいる私と君たちだけだ……」
マカロフをのぞく他の者は皆一様に満足げであった。
機動騎兵隊が配備されないところにはより多くの弾薬や物資が優先的に回されることになったことも功を奏したのだろう。
「もう一度だけ皆に確認したいのだが、プラントと生き残りの者、破壊された兵器の処遇はこの私に一任ということでいいのか」
マカロフは念をおした。
「残されたガラクタに文句を言う奴は誰もおらんよ」
一堂、異論なく皆うなずいた。
数日後、各国の思惑が絡む連合参謀本部の命により部隊の再編成が緊急に行われプラント高機動騎兵隊については事実上消滅した。
しかし、その結果、マカロフの本来考えていた小さな独立遊撃部隊を極秘裏に編成できたことはまさにケガの功名でもあった。
「各国の意図に束縛されない高機動騎兵部隊」の誕生。
プラント、河井らの公式上の記録はこの日以来全てが抹消され、今日に至っている。
(七)
ウィルの操縦する『バステト』は猫の神の名が与えられている通り、飛行する姿が尊く気高い。高機動性能の利を生かし大空をぐんぐんと駆け抜けていく。
「河井隊長、敵先行捕捉しました、これより攻撃を開始します」
「了解」
『バステト』の構えたポッドから、それぞれの人々がもつ心の中のくすんだ思いを打ち消すように拡散弾頭が虫のつくる黒い渦に放たれた。
「お前らなぁ、一匹だって死の塔には行けないぜ」
ウィルは再度引き金に指をかける。河井小隊の出口の見えない戦いは、まさに覚めない悪夢の連続でもあった。
『バステト』は空になったミサイルポットを翼の裏に取り付けると、反対の翼に装着していたライフルを構えた。
「援護にまわります」
はじめの役割を終えた『バステト』が急上昇を開始した。
「ウィル、やるじゃない!」
思わずそうジョゼが声を上げたほど、羽をもがれた妖精が次々と地上へ落下していった。
「狙撃開始」
ミンとジョゼは河井の命じられた通り、遠距離から狙撃を開始した。
「速度だ、空中での奴らの速度を甘く見ると黒い波に飲まれる、必ず敵との距離を保て」
出撃前に河井が発していた言葉である。
河井のMAO三型『リンクス』が放つ弾丸は一発ごとに正確に虫の急所を貫いていた。
「隊長、熱源反応確認、撃ってきます」
高々度のウィルの報告通り、妖精もプラズマ弾で反撃をはじめた。周りの羽虫の命をも巻き込みながら、その高熱を帯びた弾は空中で幾筋も交差していく。
眼下に広がる街では、戦闘機やプラズマ弾が発する衝撃波で集合住宅のガラスがシャボン玉のように割れていった。
「早く!終わらせろ!!どっちも消えてくれ!どっちも死んじまえ!」
人々は上空で繰り広げられている者たちの気持ちを知る余裕も機会もない。
怯えながら空を見上げ口々に恨みの言葉を河井たちの機体にぶつけた。
「北西部からの虫の侵攻が軍事境界線を突破、東京湾の塔に到達した模様です、連合軍の反撃は機動騎兵隊をはじめ沈黙しています」
遠距離で狙撃しながら飛行しているジョゼが戦局を河井に伝えていく。
すでに河井はウィルの援護を受けながら、最初に西から侵攻してくる虫の数を三分の二まで減らしていた。
「弾薬残りわずかです」
ミンの言うとおり、短時間の間に弾薬数がもう心もとない状態となっていた。
敵の数があまりにも多すぎた、かと言ってプラントらが待機している輸送機にもそれだけの弾薬はない。
「撤退後、再補給、西部防衛ラインを淡路島上空に変更する」
河井の決断は早かった。
この状況下において焼け石に水の状態であることは戦っている皆がわかっていた。満足のいかない補給、そして増殖する虫の数。
「了解」
昔の河井だったら、多少の無理を言ってでも戦闘を続行していたに違いない。しかし、これらの機体を一機でも失ったらこの部隊はもう後がないのである。
河井の心の中ではあの敵の少女が笑っていた。
(あぁあ、楽しかったぁ……)
そしてもう一人の少女、葉月が泣いていた。
(どうして、もっと早く……)
「隊長、大丈夫ですか……」
ミンの緊張した顔がモニターに映った。
「ああ、すまない、ウィル、本機撤退地点まで牽制を頼む」
(半分、あと半分は大阪湾で落としておかなくては)
「了解、まだ遊ばせてもらいます」
ウィルの『バステト』は反転する二機の機体と敵の群れの間にこれ見よがしに突入した。そして、敵の前に立ちはだかると、翼の後ろ半分を大きく湾曲させ、風にのる鳶のようにふわりと空中に舞った。
(アキ、リューバ、俺は命をかけて守るよ、みんなを……だから……)
ライフルが火を噴き、薬莢が瀬戸内海の多くの小島が浮かぶ蒼い海に広く蒔かれていく。
それぞれの運命の歯車は知らぬ間に悲しみに包まれ、また大きく軋んでいった。
(八)
大阪湾の沖合に浮かぶ人工島では、過去の輝かしい栄光を捨てた者たちが集っている。ロシナンテ戦闘機が着陸すると、すぐにあるだけの弾薬を搭載した。
「お嬢さん、いつものように満タンにしといたぜ!」
見慣れた整備兵の一人がコクピットに座るジョゼにウィンクした。ジョゼは軽く投げキスをして、その行為に感謝した。
自分たちの残り少ない弾薬も河井小隊に預けるのだ。
彼らも碧となることを覚悟していた。
「隊長、大丈夫ですよね、本当に大丈夫ですよね、私たち……」
ミンがいつものように心配した顔で、モニター越しで河井に話しかけた。
「俺たちは今、一番の絶望の中にいるかもしれない……だからこそ希望は、俺たちが抱く希望は決して捨ててはいけない、それが人類へ、今の俺たちができるだけの精一杯の証だ……ミンへのその答えはもちろん『大丈夫』だ、ほら、よく見てみろ、ミンは今もこうして生きている、だからみんなを守ることができる……」
河井の目はいつも優しい。
「はい!」
「ジョゼッタ・マリー、ロシナンテ準備完了しました、再出撃します、隊長、私もまだ生きています」
ジョゼのヘルメットに日の光が反射する。
再び、ロシナンテ戦闘機のエンジンに火が入った。入れ替わるように牽制攻撃を終えたウィルの『バステト』が着陸体勢に移行した。
「隊長、この猫も俺もまだ息をしてますよ、あとは寝ているカスガだけだな!」
そのウィルの気持ちが表れているかのように、『バステト』は華麗に着陸をきめた。
「敵の侵攻、旧高松市タカマツシティ上空に達しました」
「河井小隊、プラントだ、お前らの糞脳天気は最高だ!残弾使い切るか、この方面の敵を撃滅するか皆でぬるいビール飲みながら見させてもらうぞ、なぁ野郎ども!」
滑走路上の整備兵がその言葉に腹をかかえて笑っていた。当然のように、その顔には誰一人としてあきらめの色が浮かんでいない。
はじめにジョゼの操縦するロシナンテが西の空へ向かって離陸した。
「隊長、俺もすぐ行きます!」
ウィルの声である。
「集合場所を間違えるな」
河井は珍しく冗談を言うと、ミンと共に続けて空へ飛んだ。
その頃ようやくカスガはベッドの上でうっすらと目を開けた。
「ここは……」
「私の知らない機動騎兵の部隊……」
どこかで出会ったことがある少女の顔が目の前にあった。
「君もウィルに助けられたんだね……」
酸素吸入器の下、カスガが小さく微笑んだ。少女の暗い目の奥に、ほんの少しだけ明るさが灯った。
河井小隊はこの方面の最終防衛線を鳴門海峡から紀淡海峡までの二十キロの間と定めた。レーダーに映る虫のつくる影は数を減らしたといえ、播磨灘の上空に広がっている。
「ジョゼは、引き続き遠距離からの狙撃を、ミン、あと十五秒で分離する、その後はジョゼと援護を」
「了解」
河井の機体はエンジンをブーストさせ、渦潮の上にかかる大きな白い橋の袂に着地した。
「戦闘開始!」
ミンのロシナンテ戦闘機からミサイルが射出された。筋を描く間もなく空に炸裂音が響き渡り、黒い塊が海上に落下していく。
光が交叉する下の海上では、黒こげになった虫の死骸とミサイルの残骸が海水に触れ水蒸気を吹き上げていた。
妖精の一部は地上から狙撃する河井の機体に気付いた。プラズマ弾が河井の機体に集中した。
「!」
河井は機体を急激に旋回させ、火柱が林立する中を、ライフルによる攻撃の手をゆるめることなく続けた。
モニターの敵を示す赤い点が方向を南に変え小さな岬にさらに集まってくる。緑色の松に覆われていた小さな岬は、またたくまに火の海と化した。
「近付いて来い、俺はここにいる」
河井が高速で後退と前進を繰り返し、敵の目を一斉に引きつけた。平行に並ぶようにして飛来してきた七匹の妖精は、歓喜の嬌声を上げた。
しかし、河井の機体に食らい付く前に、ジョゼやミンの放つ弾頭の的となっていた。
河井は尚も直撃を交わしながら、自分の機体の居場所を敵に見せつける。辺りの空気は爆風のつくる熱気で大きくゆらいだ。
羽虫の立てる奇妙な羽音がコクピット内に広がった。
「下から来るか」
高々と水柱が盛り上がり、海中から虫が跳ね出てきた。
河井の放つ弾丸が無数の光点を輝かせ、激しい震動を狭い海峡一帯に起こした。
「隊長!」
ミンがその様子に我慢できなくなって、悲鳴に近い声を上げた。河井の機体を包む光はさらに増していく。
「ミン、攻撃をやめないで、隊長を信じるの!」
ジョゼが一喝した。
黒煙と砂煙から銀色の機体が鮮やかに浮かび出た。
その時、ミサイルのつくる白い雷跡が河井機を取り囲む妖精や虫の身体を砕いた。
「『バステト』、ウィル参戦します!隊長、無理は駄目ですよ」
(ふっ)
河井の顔から笑みがこぼれた。
「隊長、敵の残存数四十を切りました」
ジョゼは冷静に状況を伝えた。
「頼むぞ、ここを押さえられるのはお前たちだけだ」
撃墜され次々と落下する虫の死骸は渦潮に飲まれていった。
飛翔するウィルの『バステト』と地上の河井の『リンクス』によって、まさに見えない防護壁が設置されていた。
妖精は地上に降り立ち、低い木々を倒しながら、河井機の包囲を狭め接近していった。
河井小隊にとって「激烈」ともいえる時間は尚も過ぎていく。
その頃、プラントたちは輸送機と戦車の間のアスファルトの上で期限の切れたビールを片手に西の空を見つめていた。
携帯端末のモニターに通信兵の顔が映った。
「大尉、連合軍から我が部隊に投降命令が発せられたようです」
「おいおい、人間同士が争う事態じゃねぇだろ、連合軍の心臓まで喰われようとしているこの時に全く馬鹿な連中だ」
「脱出用の輸送機の離陸の準備だけはさせておきます」
「それだが……」
「わかっています、彼らが帰ってくるまで輸送機は絶対に離陸させません」
「そうだ、ガキ共の帰る家は親が待っていてやらないとな」
「隊長、私たちもビールもらいます」
「認める」
通信兵はプラントの答えに満足そうにうなずくとモニターから消えた。
「隊長、あと七……ロシナンテ二機、ミサイル、バルカン残弾ゼロです、援護不能です」
「ジョゼ、ミン下がれ、ウィルは?」
「ミサイル二発ですが、まだやれます」
その言葉通り、数秒のうちに二匹の虫は空に散った。
「あと、五」
河井はライフルの先で後ろから飛びかかる妖精の頭部を貫いた。
「四」
ウィルも負けじと空中に飛ぶ羽虫をすれ違いざまに大きな翼で切断した。
「三……」
妖精はプラズマ弾を発するステッキをかなぐり捨て、河井機ののど笛をなんとしてでも食い千切ろうと野獣の本能の思うまま襲いかかる。
ようやく取り付いた一匹の妖精が河井機の背中の翼をへし折った。
河井はバーニアをフル稼働させ、取り付く妖精を背後に吹き飛ばし、倒れ込む身体に深々とライフルを突き刺した。
残りの二匹はウィルの『バステト』機を追い、急上昇していた。
ウィルは、エンジンを逆噴射させ、追いすがる妖精の背後に一瞬のうちに回った。
「ラストだぁ!」
広がる翼が妖精の身体を音もなく四散させた。
敵の姿が視界から消えた。
「私たち……負けなかった」
ミンの目に光るものが浮かんだ。
皆がつかの間の喜びに包まれている中、前世紀につくられた大きな白い橋が無残にも真ん中から折れ、その美しい橋脚が海の中に沈んでいることに河井だけが気付いていた。
(神がいるのなら……俺の破壊行為を許してはくれないだろう……)
「軍曹、すぐに帰投しろ、連合軍の糞共が騒ぎ出した、日本から一度離れる」
プラントからの通信である。
「了解、河井小隊、全機帰投します」
河井は一人、小さくため息をついた。
(九)
シュミットはナリタ基地でその報告を受けた。
「河井、あの銀色の『リンクス』のパイロットを河井と言うんだな、間違いないか」
「はい、間違いありません、通信の大部分は暗号化されていましたが」
「奴が生きていた……そうか奴が生きていたんだな、大佐には俺が報告しておく、すぐに追撃部隊を参謀本部に要請しろ、機動騎兵隊は二つもいらん、すぐに機体とパイロットを接収しろ」
(やはり、俺たちは参謀本部の茶番につきあわされているということか……)
シュミットの表情に悔しさが滲んだ。
呆然と椅子に座り、宙を見ている葉月の側にグラは立った。
「葉月、私がわかる?」
葉月はグラの問いかけに返事をしなかったが、グラとは逆方向の窓に振り向き空の方を見て少し微笑んだ。
葉月の目には、名前の知らないあの青年が手をさしのべている幻影が映っていた。
静かに微笑む葉月の目に映っている青年は白いマフラーを巻いていた。
グラは思わずひざまずき、葉月の小さな身体を抱きしめると、おいおいと声を上げて泣いた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……本当にごめんなさい……」
周囲のパイロットの子供たちは、誰もその様子を気にかける者はいない。
それぞれ自分の世界の中に入り恍惚とした表情を浮かべていた。
雨に煙る向こうに『死の塔』は金色の衣をたなびかせ依然そびえ立つ。
多くの兵士の血を吸って、またさらに高さを増しているかのように。
そぼ降る冷たい雨だけが皆に今が冬であることを無言で伝えた。
(十)
一昨日からの冷たい雨は一向に止む気配がない。
幸いなことにあの大侵攻の時を除き『死の塔』には大きな変化も見られず、連合軍は補給を含め、その立て直しに集中することができた。
前線基地の一つナリタの滑走路上に設置された屋外テントに、マハン大佐の命により、将校達が招集された。
そこに集まった誰もがこの予断を許されない状況下に睡眠をとる余裕さえもなく、目だけがぎらぎらと血走っていた。
ただ、心配していた要因はこの数日で一つ減った。
他部隊に比し被害が少なかったことが幸いし、マハン北米機動騎兵隊に作戦失敗の責を求める声があまり上がらなかったことであった。
「任務ご苦労、兵の補充、弾薬補給も一定のめどが立った今、我が、北米機動騎兵隊にもう一つの作戦が上層部より下った、詳細はそこのシュミット特別補佐官が説明する」
マハンは挨拶もそこそこに、すぐにシュミットに説明を促した。
「それでは、大佐の命により説明を行わさせていただく、我が隊に機動騎兵兵器を有する所属不明部隊の追撃と接収命令が先ほど下った、しかし、全部隊をもって塔の包囲網を解くことは『オペレーション・サムライ』が発せられている今現在かなわないことは察する通りだ、そこで、我が隊より二機のMAOを派遣することが決められた、追撃部隊はMAO『サイベリアン』ナンバーエイト『千早葉月』、そしてMAO『リンクス』ナンバーワン『ヴィラ・フェルナンデス』、移動は先ほど補給物資を積んできた輸送機をそのまま使用する、他の機動騎兵隊および戦闘車両は引き続き塔への警戒態勢を継続、尚、弾薬の補給、その他については予定通り進めていく」
(あの謎の部隊に河井がいる……すなわち同等もしくそれ以上の技量をもつパイロットでなくては、この追撃は確実に失敗する)
シュミットはそう判断してこの二名を即座に選ぶよう進言していた。
彼にもいわば彼なりの大義というものがある。
それは、正規部隊による正統な命令系統による兵器運用である。兵器の横流しによる各地域の紛争、国や部族間による侵略行為は潔癖な彼にとって最も忌み嫌うものでもあったのだ。
強奪した新型の『バステト』機やロシナンテ輸送戦闘機を私物のように使うことは絶対に許されることではない。
「パイロットの生死は一切問わない、機動騎兵兵器の回収がもっとも重要事項である」
彼はそのことを作戦説明の中で何回も繰り返した。
この件に関しては全てシュミットの思う方向に事が進んでいた。
(十一)
プラントたちは、シベリアに帰還している。
「嫌です、アキをこの戦いに復帰させるなんて!あいつはまだ、あんなに小さいんですよ!それに前に隊長に話した時、納得してくれたじゃないですか!いや俺はそう思っていました!」
ティンダスク基地の一室
ウィルは懇願の目をしながら河井からの命令を否定した。机の上の紙コップが倒れ、ジュースがテーブルの端からぽたぽたとしたたり落ちた。
「ウィル……」
ミンもジョゼもそう言ったきり何も言葉が見つからない。
「事態が変わった」
「何の事態ですか!俺にはわからないんです!一歩間違ったらあいつ死んじまうんですよ!そんなことになったら俺には耐えられないです!」
河井は興奮しているウィルの前でも眉毛一つ動かすこともなく、用件だけを静かに伝えた。
「命令は伝えたぞ、ジョゼ、ウィルからユキザネの居場所を聞き次第、すぐにロシナンテで迎えに行け、事は急を要する」
「隊長、俺は絶対に言いません!言わないからな!いくら大好きな、尊敬している河井隊長の命令でも」
河井はその言葉に何も言わず部屋から出て行った。
「ウィル、教えて、今、ユキザネはどこにいるの」
ジョゼは、机に両手をついたまま俯いているウィルのそばに近付いた。
「いやだ……絶対に言わねぇ……言わねぇよ」
ジョゼは、頑なに拒んでいるウィルの様子に我慢できなく言葉を続けた。
「ウィル、あんた何甘いこと言っているのよ、今は一分でも二分でも時間が足りないのはあんたにもわかっているでしょ、それにさ!」
「作戦のためなら戦わなくてもいい子供の命を犠牲にしてもいいのかよ!」
「あんたのくだらない感傷よ!」
ジョゼの面持ちに怒りの色が浮かんだ。
「何!」
ウィルがジョゼにつかみかかりそうに体勢になった。その時、小さく震えていたミンが慌てて駆け寄り、ウィルの頬を平手で叩いた。
「馬鹿!馬鹿!ウィル!誰だってわかってるの!アキちゃんを殺したいと願っている人なんて誰もいないの!ジョゼだって!隊長だって!プラント大尉だって!何でそんな人がここにいるのよ!それに私だって死にたくない!みんな!みんな!死にたくないんだよ!怖いの!すごく!とっても!戦いたくないんだって!でも!でも……」
そう言って、ミンは他の部屋にも響き渡るくらいの声を上げて泣いた。
「あなたも聞いたでしょ……あの子の周りには虫が集まるの……」
ジョゼの言葉にウィルは疲れたようにどかりと椅子に座り、ため息を大きく一つつくと黙って天井を見つめた。
「ロシア、ウィスタリスクシティ郊外……ターニャ・ソーンツェアさんの所にいる……」
ウィルの目からもぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。
「つらい役目ご苦労だった」
作戦室に入ってきた河井に開口一番プラントは言った。
「いえ、遅れて申し訳ありませんでした」
河井は自分の席に着く前に、先に待っていた兵士たちに一礼した。
「これで全員揃ったな、マカロフ親父から入った最高に愉快な話を先にしておく、俺たちを追撃する命令が正式に連合軍内で決定した」
チェ曹長はプラントの顔を凝視した。
「大尉、悪い冗談でしょ、機動騎兵部隊救出で感謝されるならわかるけど、何で俺たちが」
「いや、こんな笑える話、お前らに隠してもしょうがないだろう」
「極東司令部は、この件に関して何か?」
もう一人の兵士も心配顔で質問をした。
「俺たちは正規軍ではないんだ、親父の話だと、補給の横流しも昨日ので最後らしい、周りの連中はそれだけガキ共の兵器のケツに魅力あるんだろ、今までこれだけやってもらっただけでもまぁ恩の字だな」
「猫と馬(機動騎兵兵器)を連合軍に引き渡せば?」
「奴らはそれが一番の解決策だと言い張るだろう、だがなぁ、河井や兵器分捕ってきたガキ共はまず銃殺もんだろ、俺たちも含め、かわりはいくらでもいるからな、親父とは昨日を最後に連絡がとれなくなった」
狭い作戦室に緊迫した冷たい空気が広がった。
「何だって?」
兵士の一人は驚きを隠せず、持っていたコップを落とした。
「機動騎兵兵器の私有……親父はうまくやっていたつもりでも、黙認していたまわりの連中がここの猫(MAO)と馬を又飼いたくなったんだろうよ、親父からの最後のメッセージはご丁寧なことに『好きにやれ』だ」
皆の顔が強ばった。
「女王との接触にはユキザネが不可欠だ、我々の部隊は死の塔における猫突入の援護、猫本隊はユキザネと共に女王との接触、そして撃滅、どうだ、この単純さが俺たち向きだろう?その前に河井は連合軍追撃部隊の排除だ、やれるな」
聞いていた兵士一同に沈黙の時間が流れた。
「任務了解しました」
河井は一言そう言って力強く頷いた。
「よし、せっかく拾った命だしな」
「いつになったらお姉ちゃんのところに飲みにいけるんだろうなぁ」
「消毒用アルコールならすぐに持ってくるぜ」
周囲の兵士たちは少ないながらも口々に冗談を言い始めた。
「さぁ、もうそろそろ俺たちを捕獲しに来る猟師が来る」
「大尉、どのくらいの追撃部隊でしょうか」
兵士の一人が質問をした。
「間違いなく少数だ……何せ自分たちのケツに火が付いているこの状態で、人数は割けまい……そのかわり来る連中は最も腕利きの……」
「高機動騎兵部隊……」
「わははは、お前の脳みそも柔らかくなってきたな、そう、かわいいが腕利きの猟師だ……」
プラントはそう言って兵士に答えた後、河井の目を見つめた。
(葉月が来る)
河井も同じ思いであった。
それから、プラントを中心に作戦の詳細が詰められていった。
つづく