第五部 翼の猫(後編)
◆ 登 場 人 物 ◆
千早葉月
MAO第二型『サイベリアン』に搭乗 機動騎兵部隊『エリュシオン』に所属
カスガ・ソメユキ
国際連合軍機動兵器極地戦闘襲撃機『サザキ』パイロット
ウィリアム・ボーナム
河井小隊に所属していた少年 現在、機動騎兵部隊『エリュシオン』に所属
ミン・シャラット
河井小隊に所属していた少女 東亜支部に配属となる
ジョゼッタ・マリー
河井小隊に所属していた少女 東亜支部に配属となる
グラ・シャロナ
元国際連合軍機動兵器システム統合部特別補佐官付、現フランク隊に所属
ゲオルグ・シュミット
国際連合軍機動兵器システム統合部特別補佐官
河井タケル
機動騎兵部隊小隊長 MAO第三型『リンクス』に搭乗していたが、シベリアの地
において消息不明となる
ジョン・プラント
機動騎兵特別部隊『デスペラード』元隊長 シベリアの地において消息不明となる
ヴィラ・フェルナンデス
機動騎兵部隊『エリュシオン』の少年
ジャニス・メナン
機動騎兵部隊『エリュシオン』の少女
月形半平
国際連合軍旧式兵器『シロガネ』型パイロット
フランク・レスター
国際連合軍旧式兵器『シロガネ』型パイロット
フェネル・フレデリカ
国際連合軍旧式兵器『シロガネ』型パイロット
第一話 「碧血」
(一)
『忠義に殉じた者の血は三年過ぎると地中で碧玉と化する』
「碧血」宋の時代に荘周の著による「荘子」に記された言葉である。
この浅海の東京湾にそびえる『死の塔』の地下にはどれほどの未来を失った代償で鋳された碧玉があるのだろうか。
焦げた兵器の残骸に無情の雨が降り続ける中、地球上に存在しえなかったものだけが至る所で蠢いていた。
最前線で防衛している部隊はフランク小隊も含め、既にその数は激減していた。
妖精の撃ったプラズマ砲は戦車隊の上部を溶かしながらかすめていき、戦車上部の機銃は一発の弾を撃ち返すことなく兵士の身体ごと溶解させていった。
どの兵士たちも目は血走っていたが、唇は暗い紫色であり、言葉というものを失っていた。段々とその声を弱めていくうめき声が車両内で交錯する中、冷徹な中央本部の伝達は延々と続いていた。
「何匹いるんだ、こいつらは!糞本部の連中はちゃんと調査したのか!」
フランクの荒々しい声が『シロガネ』のコクピットを震わせる。
「こんな旧式の兵器と鼠(戦車)で何ができるっていうんだ、畜生!下がれ、戦闘車両は旧総武ライン上まで引け!」
フランクは、この状況において何としても生き残っている戦闘車両を一台でも温存させたかった。
兵士の千切れた腕が何かを掴むように地面から突き出ているのが小さく見えたが、哀れむ余裕はまるでなかった。
「フランク少尉、パック来ます!」
「わかってる!いいから、お前ら引け!」
「しかし、本部からの命令では!」
「ここは任せろ!まず第三十四中隊と合流しろ!話はそれからだ!」
襲いかかる虫の攻撃のため、兵士たちの動揺は急速に広がっている。
『シロガネ』のアサルトライフルが空になったので、すぐに別のカートリッジに差し替えた。
(その銀色の小さなお人形さんはカエルさんより強いのね……でも、あなたじゃないわ……)
「何?」
フランクは耳元で少女の声が聞こえたような気がした。
突然一匹の妖精がアカギレのような口を大きく開け狼のように吠えた。呼応して他の妖精は同じように次々と鳴き始めた。不思議なことにその声を聞いた妖精は陸上での戦いをやめ、塔の周りに再び集まっていった。
「なぜ戻る……」
フランクは敵の動きが不規則に見えながら見事なまでに統制されていることに舌を巻いた。
瓦礫の塔が高熱によりガラス細工のような光沢を一段と増していたように見える。塔の表面に虫達は集まり、口から分泌物を出しながら砲撃によってできた穴をみるみると固めていった。人類側にとって千載一遇のチャンスなのだが、フリゲート艦やイージス艦のミサイルが単発的に射出されるのみで、進展は全く見られなかった。
兵站の少なさがその原因であった。
虫の塔があるのはこの地域だけではない、むしろ、この小さな島国にこれだけの戦力を割いているのが異例と言えば異例であった。
『東洋の歴史ある実験場』
他国の兵士は日本という国を指してこう囁く。
しかし、『サザキ』による実験も前世紀の核兵器と同じく、多数の命を天の生け贄に捧げただけであった。
カスガは『サザキ』コクピット待機のまま、ナガノ基地で爆弾の装備完了の時を待っている。
機体の周りでは整備作業車が働き蟻のように整備場と往復している様子が見えた。
少女との会話が録音されていないか、何度も確かめてみたが、自分の独り言のような言葉だけが続いていた。
(低酸素が見せた幻覚……)
本部からの通信が入った。
「カスガ、装填終了予定時刻まであと二百四十分」
「二百四十分、二百四十分って、もっと早くできないのですか?」
「これでも早い方だ、それとだ、次の出撃時には念のためシステムを走らせる」
「は……はい」
自分が自分じゃなくなるあの感覚がまた来るのか。カスガは思った。しかし、カスガにとってそれがせめてもの心の救いだった。もう迷ったり悲しんだりしなくてもいい。
(僕は人間なのでしょうか……それとも機械なのでしょうか……僕は本当にこれでいいのでしょうか……)
その問いに答えてくれる存在は、カスガの周囲にはもういなかった。
(二)
何かとても温かかったような
何もない瓦礫だらけの街で誰かが手を握ってくれていた
だから生きていけた 生きる 誰が
私は死ぬだけ だからこうしてここにいる
言葉だけ 言葉だけで何を信じろっていうの
そんな人間は嫌い 嫌いだから殺すの
守れない自分も 殺すの
葉月の目にあのきらめいていた光はない。
怒りの中に悲しみの色が溶かれている。自分の中に潜んでいる何かを押さえつけられたまま、子宮の中の胎児のようにMAO二型『サイベリアン』のコクピット内でそのほとんどの時間を沈黙している。
「機動騎兵隊パイロット、今から流す新しい作戦データを確認しておくよう、ただし『サイベリアン』を中心に十機を先行、巣穴より直接侵入することについての変更はない」
通信オペレーターのその声に、葉月はかえって自己の静寂を深めていった。
「彼女たちは使えるのか?」
マハン大佐は、北米機動騎兵隊の少年らの様子を見た率直な感想をシュミットに言った。
「極めてまともです、どのような者でも……そう、たとえ肉親でも顔色一つ変えないで潰します」
シュミットは落ち着いた表情で答えた。
日本へ向かう大型輸送機の作戦室では、誰一人一睡することなく、「東洋の島国」にある塔の攻略作戦の修正を図っていた。
「しかし、新型の燃料気化爆弾も地表の雑草を薙ぎ払っただけだったとは、全くもって期待はずれだよ、あの国ほど核と相性の良い国はないというのにな」
(リメンバー・パールハーバーは今でも影響大なのですね)
シュミットは皮肉も加えて核信奉者のマハンにそう言いたかったが、この場で使える言葉ではない。
「あと、もう一発の予備弾を使用するとのことです、その後、我が機動騎兵部隊は武器、弾薬と共に直接降下、そして……」
「細かい点は良い、本当にあの子供たちの戦力を信用してもいいのだな、私はこのような小国に我々が出向く必要性がいまだに感じられないのだ」
マハンは短気である。シュミットの説明を半ばに腹立たしげに遮った。
「この第二次の作戦は彼らの兵器と彼ら自身の実験も兼ねていることです、そうご心配なさらずとも、彼らなら核を使うより局地的な戦果をあげることにおいて間違いありません、犠牲も少なくてすみますし、子供たちの補充はいつでもできます、大佐の戦歴に汚点を残すようなことは万が一も……」
シュミットの心の中では、すでに少年パイロットの命を消耗品と見る非情さがあった。
九機編隊でとぶ大型輸送機にはそれぞれ二台ずつMAOが搭載されている。計十八機、これほどの数のMAOが一つの戦場に投入されることはかつてなかった。
(三)
既に東京湾の夕日はすっかり闇の中に消えていた。
フランク少尉は硝煙で艶のなくなった『シロガネ』のコクピットハッチを開け、遠くの月光に浮かび上がる塔を自分の目で見ていた。
「被害の状況は?」
司令部との通信の中に吉報はない。
「数は海上部隊の東部エリアからいくと……」
「手短に言ってくれないか」
「半分死んでいます」
「カスガの方は?」
「ナガノ基地にて二発目を再装填終了した模様、まもなく離陸するそうです」
南の方に遺体を回収する装甲車両のライトが行き交うのが見えた。フランクは遺体が物のように戦場から運ばれていくその光景に一度だけ黙礼をした。
月形とグラの機体も可動部の応急的な点検をし、ライフルへの銃弾を再装填している。
「やるなぁ、一番先に逃げてくるんじゃないかと思っていたぜ。」
機体から降り立ったグラに整備兵が声をかけた。
「おかげさまで、左腕部をもう一度見てくれる、何か違和感を感じたわ」
「まぁ、この機体自体、骨董品のポンコツだからな、俺たちの整備に不満を言われてもねぇ」
「不満はないけど、文句ならあるわ、でもお願いね、あなたたちが頼りなの」
「OK、そうだ、今度一晩つきあえよ」
「さっきも誰かにそう言われたわ、考えとくけど、それだけのお金は持っているの?後払いなら遠慮するわ」
グラはそう言い残し、コクピットに戻った。
「次の出撃で最後……やっと私も楽になれそう……」
(四)
「発射から起爆までの時間を一秒調整した」
「聞こえるか、カスガ特務兵」
「は……い……」
「繰り返す、発射から起爆までの時間を一秒調整した、いいな」
通信兵の男は、自分の今言った言葉が伝わったかどうか不安だったので、もう一度カスガに確認の指示を行った。
「う……ん……」
「大丈夫か?」
返事が無く、うつろな目でシートにいるカスガを見て、通信兵は自分の横の座席に座っている同僚を呼んだ。
「パイロットの様子がおかしいんだが」
「えっ、見せてみろ」
パイロットの生体情報が流れるようにモニターに映し出された。
「何でもない、スレイブスシステムで頭がいかれてるだけだ」
「もうロードされているのか、予定より早くないか?」
「どうせ待ちきれない上からの命令だろ、トリップしてやがんのさ、このガキは……見てみろ、この阿呆面……こうはなりたくないよな」
同僚の男は一瞥すると、自分の椅子へと戻り、他の部隊に刻々と変化する作戦の指示を伝えることを再開した。
カスガは点滅を続ける空港の誘導灯をぼんやりと薄笑いをしながら見ていた。
「光る……消える……光る……いつまで続くのかな……もう、早く行きたいな……いつまで待っているのかな……あ、花火買ってきてくれたんだ……」
カスガの頭の中では、線香花火のじりじりと赤く大きくなった火球が火花を出すことなく闇に落ちていった。
「風が強いのかな……それとも僕が揺らしちゃったからかな……僕が悪いんだよね、だから、みんな死んじゃったんだよね……」
『サザキ』の周囲に止まっていた作業車が整備を終え、格納庫の方へと戻っていく。
「『サザキ』、離陸を許可する」
管制塔からの通信に返事を返すことなく、カスガは機体の飛行主翼を空中に広げた。背部のブースターノズルから青い炎が広がり、機体を真昼の太陽の下にいるかの如く白く照らし出していく。
鋼の鳥は滑走路から跳躍し、扉のような満月にその影を一瞬映すと、東京湾の方向へと再び翔けていった。
(五)
「少尉!パック(妖精)に新たな動きがでました」
「襲撃再開か?もっと休ませてほしいところだな」
フランクはすぐにコクピットに戻り、全通信回線をオープンにした。
そのうちの一つのモニターには東側の塔の近接映像が映し出されている。
すぐにフランクは拡大映像に切り替えた。塔にいるおびただしい数の妖精は何かの気配を察知したかのように、穴蔵から這い出ると次々と空へ飛び上がっていた。
「各部隊、攻撃準備」
本部や各部隊の指令が慌ただしい動きを見せ始めた。
「まだ、補給もまともにできてないっていうのに……ん?」
始めにその奇妙な動きに気付いたのは月形であった。
妖精は、こちらに来る気配を全く見せず天へ向かって一直線に飛んでいた。離れていた所から見るとタンポポの綿毛が風に吹かれて飛んでいくように間を開けず、塔から飛び立っている。
「やられた!」
月形は全身の血の気が引いた。
「どうした、月形!」
通信先のフランクがその声に驚いた。
「この妖精共の動き!本部の連中は気付いているのか……奴らの狙いは俺たちなんかじゃない、俺たちなんかじゃないんだよ!奴らの獲物はカスガの『サザキ』だ!」
弾頭を限界まで搭載したグラの『シロガネ』は再起動を始めていた。
「最後まで世話のやける子なんだから……最後まで見ていてあげる……だから頑張りなさい……カスガ・ソメユキ……」
歩行開始と同時にシートに座るグラの身体に軽い圧力がかかる。
「グラ『シロガネ』、任務に戻ります」
彼女はスロットルを徐々に開放した。
「ほら、見てご覧……ここが僕の故郷だよ……富士山が見えるだろ、とてもきれいな山なんだ……それにきれいな湖もあったんだ……もうすぐ着くからね、あぁ、何て気持ちが良いんだろう」
そう言いながらもカスガはヘルメットの中で嘔吐を続けている。
妖精の群れが歓迎のレセプションの準備を行っていることも知らずに、カスガの機体は数十秒で塔上空の冥府の饗宴の場に到着しようとしていた。
「作戦変更『サザキ』退却だ!」
妖精の予想できなかった動きに作戦司令室はまたも狼狽した。
『サザキ』のコクピットにもその声が響く。
カスガは既に正気ではない。
だが、『サザキ』の操縦だけは完璧であった。高速で飛行しながら、サーモバリックミサイルの安全装置を解除し、一秒の狂いもなく作戦を遂行している。
ターゲットモニター上には、妖精が砂をまいたかのようにその数を拡散していった。
「みんな花火を見に来てくれたんだ……嬉しいなぁ……」
「『サザキ』、カスガ特務兵、聞こえるか!」
「うん、聞こえているけど……黙っていてほしいな……これからきれいな花火を上げるんだから……カスガ……ああ、あの子か……僕はあんな弱虫の子は嫌いだよ……」
「何を言っている!退却だ!」
カスガの『サザキ』は勢いを少しも落とさず、妖精の群れの中へと飛び込んでいった。妖精の放ったプラズマ砲がまわりの仲間を巻き添えにしながら、『サザキ』に向かっていく。
カスガは、少しも取り乱すことなく、その光弾をかわした。
「みんなも花火持ってきてくれたんだ、あれ?ウィルは来てないんだ、あぁ、ミンとジョゼとオルベリーの街へ買い物に行っているんだね、なら、もう少し待っていようか……あの二人の買い物はいつも長いもんな……あぁ、そうかあの子もいるんだね、それなら、多分、河井隊長も来てくれる……きっと……」
両の翼をハの字のように大きくしならせながら、『サザキ』はさらにぐんぐんと上昇を続けた。
(六)
作戦の様子は全てシュミットにも伝わっていた。
「この様子だと爆撃失敗か、ナンバーエイト、あいかわらずお前たちの人種は弱腰だな」
ヴィラは葉月の映るモニターに向かって言った。ナンバーエイトと呼ばれた葉月は反応することもなく、うつむいたまま静かに息をしている。
「ヴィラ、あんた、あの娘とファックしたいの?」
「お前の腐った臭いには飽きたんだよ」
「ナンバースリーは腐った臭い!」
「ナンバーワンは腐った目玉」
「ナンバーエイトは良い臭い」
「腐った男子にお似合いだぁ!」
MAOのコクピットで待機している子供たちはゲラゲラと不潔な笑い声を立てている。
(いかれた時代がいかれた子供たちをつくる……)
輸送機の操縦室にいる軍人たちは黙ってその会話を聞いていた。
「高機動騎兵隊、出撃準備、あと二分で東京湾作戦空域に入る」
シュミットの冷徹な声が響いた。
そびえ立った塔のはるか上空で、『サザキ』のバルカン砲が妖精の身体を裂き、おびただしい緑の体液は月の夜に大輪を咲かせている。
フランク小隊は、地上で陽動作戦を仕掛けるものの、妖精たちはその手にはのってこない。が、しかし這い回る虫は包囲の輪を縮めていった。
月形は単機で前進をするグラの動きに気付いた。
「グラ、前進しすぎだ!」
しかし、グラはカスガの『サザキ』の動きしか目に入っていない。
(こうなることは分かっていたとはいえ……)
月形は、援護の発砲を継続しながら、自機の周囲になおも近付く虫を排除していく。
その時、月形のレーダーは連合軍籍の航空輸送部隊を示す信号をキャッチした。
(このコード……機動騎兵隊『エリュシオン』……この方面に投入されるとは聞いていなかったが)
戦火の煙で曇る空の向こうに、月形はまだ見えない希望の光を探した。
グラの放った銃弾が、虫に直撃し、彼らの羽根を四散させていく。
「『サザキ』は墜とさせない……でも……」
しかし、地上からはパックの群れが次々と飛び立ち、空中に乱舞する数は一向に減ることがない。『サザキ』に追いすがる妖精がカスガの一弾でまた空に散る。
「早く撃ちなさい!カスガ!」
グラは悲鳴に近い声で叫んだ。
『サザキ』は妖精の追撃を振り切り、サーモバリックミサイルの安全装置を解除し、照準を合わせるものの一斉に湧いてくるその数に圧倒され続けた。
「どけ、どくんだ!僕はどんな奴だって壊せる、花火に邪魔なんだよ、お前らは見ているだけだろ!」
うつろ顔から微笑みが消えると、急にカスガの息が荒くなっていった。最後まで獲物に食らいつく本能のまま、妖精の肉体の散乱物がモニターカメラをぼやけさせてしまうほど、機体にへばり付く。
「『サザキ』、応答しろ!どうした!」
司令部からの通信は止むことなく、空しいコールを続けていたが、カスガの耳にはまるで聞こえていない。
後部ノズルを形作るパネルが高熱により、バラバラと音もなくはじけ飛んでいく。それでもカスガは、自分の鳥を心の底から愛でることに満足しきっていた。
「みんな入るな、僕の遊び場に!」
二発目のサーモバリックミサイルが発射された。
妖精の鰯の群れのような固まりに大穴がぽかりと口を開けた瞬間、塔が再びまばゆい光に包まれていった。
瞬時に強い爆風が巻き起こり、塔の周辺の空気をゆがめた。
東京湾の水は蒸発し、周囲の光景は黒い煙と混ざり合い灰色の世界と変貌していく。
「ありがとう……カスガ……」
群がる虫の攻撃と爆風の衝撃により、グラの『シロガネ』は各間接部から黒い煙を上げ、そのまま制御不能になっていた。
「あなたは、私をここに導いた、いかれ帽子屋……」
どこからか聞き慣れた少女の声がグラの耳に聞こえ、彼女の機体に何かがぶつかるような大きな衝撃が走った。
妖精の放ったプラズマ球が空に孤立した『サザキ』の後部ブースターへ直撃した。
「あ……ああ……」
急激にバランスをくずし、『サザキ』は地上に墜ちていった。カスガはまだ繰り返し口の中で呟いている。
「僕はもうこのまま……死にたい……」
「いいえ、あなたは死に損ないの三月兎のまま……」
輸送機からいち早く飛び出した葉月のMAOは、落下する『サザキ』の機体を空中でしっかりととらえ、着地用のバーニアを全開に噴かした。そして、熱で溶けかかっている塔の表面に接触を確認すると、『サザキ』を窪みに隠すように放置し、後から落ちてくる武器コンテナの確保のため、高速移動を開始した。
カスガは薄れていく感覚の中でその声に奇妙であたたかい懐かしさを感じた。
「夢……」
カスガの目に、次々と機動騎兵部隊が輸送機から降下してくるのがぼんやりと見えていた。
その中に半壊した『シロガネ』の周囲の虫を掃討するロシナンテ上のジャニスの『リンクス』もいた。
「こんなゴミ、早く壊れちゃえばいいのに」
ジャニスは輸送機の中にいるシュミットに聞いた。
「その機体のパイロットは回収しろ、ゴミなりに何かの役に立つ」
ジャニスのリンクスは降下すると同時に、ロシナンテへグラの搭乗する『シロガネ』の胴体部を無造作に放り投げた。
(七)
生き残った妖精の群れが上空から葉月らのMAOに攻撃の刃を向けた。
「くくっ、全部つぶしてやるよ!」
ヴィラ・フェルナンデスをはじめ、その他のパイロットは皆、戦いのスリルに狂喜した。ただ、一人葉月を除いて。
葉月は戦闘前にシュミットが言っていたことだけを思い浮かべライフルの引き金を引いている。
「葉月、苦しいだろう、その苦しさからじきに開放される……お前が虫を一匹残らずこの大地から消し去ることができれば……どうだ、簡単なことだろう」
シュミットはずっと俯いたままの葉月のあごをくっと右手で持ち上げ言葉を続けた。
「お前の苦しみは私たち人類の苦しみでもある、自分だけ地獄に逃げることは許されないのだ、わかるな、そして、我々と違うところは一つ、苦しむほど相手を憎むほどお前は強くなれる……」
葉月の黒い機体が月光の中に立った。
「お前たち、楽に死なせてあげる……」
すぐに、ハムシの湧いてくる穴にグレネードを投擲し、爆破と同時に草木を薙ぎ払うように生き残りの虫をライフルで正確に仕留めていった。
建物の残骸が混じった岩山はぬらぬらとその体液で染まり、ちぎれた羽が一枚オブジェのように地につき立っている。
月が煙の影になった。
葉月が操縦するコクピットではメインモニターが赤外線用に切り替わり、モノクロ色に変化した。
MAO頭部のモニターカメラを覆うガラスに虫の姿が映る、が、一秒もしない間に撃破し死骸を鋼の足で踏み抜いていた。
緑色の体液が葉月の機体に豪雨のように降りかかる。
他のMAOもパイロットがみなぎる殺気を糧に一人一人狂喜乱舞しながら、戦場を駆け回っていた。
連合指令本部の参謀達は、落ち着いていられない。機動騎兵隊の直接攻撃が失敗した場合、連合軍は未曾有な損害を被ってしまう。皆、流れてくる動静を決して見落とすまいと食い入るように大型モニターに集中している。
被害の少なかったイージス艦内の乗員も煙の中から送られてくる状況に、今までの自分たちの戦い方がいかに無力で無意味であったかを悟った。しかし、それはこの作戦に命をかけてきた兵士にとってあまりにも酷な仕打ちであった。
葉月の機体が立っていた地面が大きく割れた。地中のハムシが発狂者のような奇声を発しながら岩石と共に空高く吹き飛んでいった。
(ミリペデ型……)
人類から「ゲジ」と呼ばれている全長数十メートルにも及ぶ多足生物が、その長い身体をくねらせながら、機動騎兵部隊の前に突然姿を現した。
目のくらむようなまばゆい閃光が発せられた。
葉月の『サイベリアン』が背部のアームストロングキャノンを放っていたのだ。近距離からのその威力は凄まじいものであった。しかし、虫は身体が半分になっても何事もないように地面にあるあらゆる物を巻き上げ襲いかかってくる。
ヴィラの『リンクス』も同じようにその長い足をもつ虫に砲撃を集中した。葉月は機体を虫の穴に沈めながらも命中弾を浴びせかけていく。『死の塔』の至る所からゲジがその尖った触角を振り回しながら顔を覗かせている。
「おもしろぉい!ほら、見てよママ!パパのアレみたい!」
ジャニスは、目を子猫のように丸くして、嬉しそうな叫び声を上げた。葉月は尚も自分の機体を泉のように虫が湧き続ける穴のまっただ中に突っ込ませていった。白い光跡が見えた瞬間、多くの虫の体液が噴水のように吹き上がった。
後続のMAOが葉月のようにライフルを乱射しながら穴の中に入っていった。
一番新しく配属された『ナンバー十二』と呼ばれた少年だ、しかし、その少年の機体はあっけなく後ろから迫ってきたゲジの長い身体に巻き付かれてその自由を奪われた。
「動かない……動かないんだけど……こんなんじゃ、面白くないよ……もっと僕と遊ぼうよ……」
肉食動物が生肉に群がるように彼の機体に取り付いた。
バチバチと大きな音を立てながら右脚が食いちぎられるようにもぎ取られていく。
「動かなくなっちゃった……歩けなくなっちゃった……これじゃ、ママの所にいけないよね……」
後続の機体の異常な様子に気付いた葉月は、「ちっ」と小さく舌打ちをしながら彼の機体に取り付いている虫をライフルで排除していった。今回の作戦では、機体数を極力減らさないこともその作戦完遂目的の一つに組み入れられている。
少年のコクピットをゲジの鋭い足が刺し貫いた。
「げぶぅ!」
誤って飲み込んだ水を吐くような音が通信で入り、MAOはその動きを完全に止めた。葉月はその虫の集まった場所にグレネードを投げ、ライフルで撃った。
グレネードが炸裂し、火柱が立った。
「あなたは、今日、一番はじめにママの所にいけたの……」
遠くのゲジの群れが、口から金色の糸を大量に吹き上げ始めたのを葉月は目にした。糸が爆風に乗ってゆっくりと広がっていく
連合本部は狼狽状態である。
「エンゼルヘアだ!奴ら塔を機動騎兵隊ごと囲む気だ!」
豪州において虫が金色の糸を使い繭のようなドームを作り上げたことは、記録を振り返るまでもなく、誰もが知っていた。
「外界と遮断する動きに出たのか……」
既に通信障害の兆候が見られはじめた。
しかし、その中心で戦うMAOを操る少年や少女たちの気力は旺盛であった。
「糸をたたき切れ!」
司令部からそう命令を受けた包囲軍は、沿岸から手元にあるだけの砲弾を撃ち込んでいた。
(あの糸で豪州のオルベリー基地は陥落したのか)
フランク少尉は、自分の部隊に砲撃を命令する中、繭がつくられていく過程に息を呑んだ。
「フランク少尉、伝令入ります」
「まわせ、月形にも通信の転送を頼む」
モニターに映った尉官の顔から緊張の汗がだらだらと流れている。目もつり上がり、彼らもこの戦局の流れに相当悩んでいるのだなとフランクは感じた。
「このエリアにいる戦闘車両を除く部隊は、北米機動騎兵隊を除き少尉と月形少尉の『シロガネ』二機だけだ、次の作戦は少尉の力なくしては完遂できない」
「そりゃどうも」
「金の繭が出来あがる前に『サザキ』のパイロット回収を命ずる、回収地点の詳細なデータは既に送信済み、これをもち少尉の『シロガネ』小隊は解隊、以後隊の指揮権は第三十四中隊に統合する」
短い通信が終わった。
「聞いたか月形、捜索任務だとよ」
「ああ、だが、この機体はそういう任務の方が向いている、俺が索敵します……少尉は援護を行いつつ、回収をお願いしたい」
「たまには、お前の命令に従ってやるか、グラの方は?」
「機体信号が消えました……おそらく……」
「フェネルも先に逝っちまったよ、天国がまた賑やかになるな」
寂しそうにフランクがつぶやいた。
「ああ、だけど俺はまだ逝くつもりはない、昔の友人たちとの約束だからな、生ききってやる……少尉も……」
「そうだな、かわいい後輩のためにもう一肌脱いでやるか」
フランクは、護衛している戦闘車両隊に陣地の移動を命令した。
「少尉、お気を付けて」
「ああ、戻ったら吐くほど飲もうや」
残っているライフルの予備カートリッジを全て装着させると、フランクと月形の『シロガネ』は塔に向け進路をとった。
月形は、東京湾の水深と塔の地形、侵入、脱出経路をそれぞれリンクさせ、どこが適当であるかを判断した。
「待ってろよ、カスガ……フランク『シロガネ』、前進する」
「月形『シロガネ』続く」
二機の『シロガネ』は、コンビナートの廃墟が広がる港の岸壁から水しぶきを大きくあげながら波間へと消えていった。
(八)
きらきらとした金の糸の雨が『死の塔』を季節外れのクリスマスツリーのように飾っていった。
「すごぉい、大きなツリーだ!もうクリスマス?まだ、カードを作っていないよ」
パイロットの子供たちは戦いながら歓喜の声を上げた。一人の少年がクリスマスキャロルを口ずさむと、それにあわせて歌い出す者もいた。
ハムシは飛ぶことをやめ、糸の上を蜘蛛のようにつたい、MAOをじりじりと奥に追い詰めようとしている。
「お前らの手にのるかよ!」
ヴィラのライフルの弾がハムシを連続で打ち抜いていった。
「ヴィラ、トナカイのルドルフは殺しちゃだめだよ」
ナンバー十四の少女が乗る『リンクス』はハムシの攻撃を楽しそうに避けながら言った。
「あれは、腐った七面鳥だ、潰しがいがある」
「スリーピン、ヘェブンリーピィィス!」
子供の歌にノイズがさらにかぶっていく。コクピットの中では小さなモニター映像が順番に消えていった。
「テレビの時間が終わったのね、これからはパパとの時間よ……」
ナンバースリーのジャニスは、そう言ってケラケラと大声を出して笑った。
妖精の襲撃を避け、ナリタに着陸している輸送機内でも反応は同じであった。
「情報遮断続いています」
シュミットは椅子から立ち上がって、通信兵の肩越しにその様子を伺った。
「光通信の状況は?」
「敷設準備の為の機材を揚陸艦に積み込んでいる段階です」
「手遅れだな……」
「騎兵隊の弾薬は足りますか」
「外部からの援護攻撃ができないとなると厳しい、追加の補給についてはどうだ」
隣の通信兵が、キーボードを叩きながらシュミットの質問に答えた。
「塔への弾倉コンテナ投下予定は五時間後です」
シュミットは悔しそうに爪を噛んだ。
「ぎりぎりか……」
「『シロガネ』パイロット来ました、入れますか?」
「ああ」
短く切った髪と血にまみれた顔を見て、それがグラ・シャロナであるとわかったのはシュミットをのぞいて誰もいなかった。
「ほう、随分と変わったな……少女の時に戻ったふりでもしていたのか」
ようやく歩いているグラは、シュミットに形だけの敬礼をした。
「お久し……ぶりです……」
「香水の匂いを振りまいていたお前から、今は血の臭いがする、これが本来のお前の臭いだよ」
グラは何も言わない。
「今は兵が不足している、すぐにガキ共らのモニターをここで行え、上部には私から伝えておく、やはり、ガキのしつけ役は慣れた奴にかぎる」
シュミットは一言言うと、もう戦況を伝える画面に目を移した。
「裏切るかもしれませんよ……」
グラが小さい声で返答した。
「今のお前にそれができる訳がないだろう、葉月の命がかかっている……」
シュミットの笑いに冷たさが増した。
葉月の目の前に一人の少女がメインモニターから浮き上がるように立っていた。
「そんなに殺して楽しい?」
その少女は悲しそうな顔で葉月を見ている。
「あなたには関係ない」
「いいえ、あなたは私のお友達をいっぱい殺しているもの、メイリ、ブラン、マイク、ジータ、みんな良い子だったのよ、痛い、痛いって言いながら死んでいるわ」
「私が殺しているのは虫よ」
「虫なんかじゃない、新しいおうちにきたお友達なの、せっかく、遊ぶのをやめておうちをまた作ろうとしたのに」
「あなた誰?」……
「私は私……あなたは……葉月……葉月って言うのね、変な名前、私になればいいのに……誰、この男の子、あなたも知りたいでしょ……カワ……?」
心の中が読まれている?葉月は目をぐっと細め、目の前の少女を睨み付けた。
「痛っ!大きいお人形さんに乗っている子って、みんな馬鹿みたい、そんなに苦しいならやめればいい、そんなこともわからないの?」
葉月は無言であった。
少女は言葉をさらに続けていく。
「今までの星では、みんな気持ちよさそうにして眠っていたわ……だからすごく、すごくおいしくなったの……最後の子は涙を流して震えながら喜んでいたわ……でも、あなたたちはずっとずっと一緒になるのをこばんでいる……そんなに飼われるのがいや?」
「あなた、かわいくないのよ……」
憎々しげに葉月は言った。
大きな音がショックと同時に葉月の機体を襲った。
ゲジによって葉月の『サイベリアン』が岩に横から叩き付けられていた。
機体破損の警告音がコクピットに鳴り響く。
幻影のような少女の姿はもう消えている。
食らい付こうとする虫の口の中に弾丸を撃ち込んだ後、エビ反った姿勢のまま葉月はバーニアを思い切り噴かし、確かな足場のある位置に機体を着地させた。
背部のアームストロングキャノンの上部はぐしゃりと潰れこれ以上の砲撃ができそうにない。葉月は背部アタッチメントから砲塔をはずし、それを掴むと足下で蠢くゲジの身体に槍のように突き立てた。ゲジは鋭い足だけをひくひくと空中に泳がせたまま熱せられた空気の中、絶命した。
モニターの左端にオレンジ色の文字で残弾数の確認を促すアラートが点滅する。
GPS信号はほとんど遮断され、自機の位置を確かめることに困難を極めた状態に陥った。葉月は自機の地形の様子を望遠赤外線モニター越しに観察した。僚機のMAO『リンクス』がハムシの羽をもぎとっているその後方の岩場に、パラシュートの紐が幾重にも絡んだ黄土色をした弾薬コンテナがあった。
接近する葉月の機体。
その『リンクス』は葉月に向け発砲を仕掛けてきた。
「近付くなよ、これは全部僕の物だからあげないよ」
葉月はコンテナに取り付くと黙って絡んだパラシュートを引き裂き、重い扉を開けた。
「ねぇ、聞こえてるの?ナンバーエイト、盗んでいったら容赦しないよ」
ナンバーイレブンの『リンクス』が葉月の機体に狙いを定めトリガーに指をかける前に、葉月はコンテナのグレネードを一つ彼の機体の前方に投げていた。
「ぎゃっ!」
直撃じゃないものの、爆風でナンバーイレブンの『リンクス』は後方に大きく吹き飛ばされた。そこに生き残りのハムシが飛びついた。
「うわぁ!うわぁ!助けて!助けてよ!僕が悪かったよぉ!」
少年の機体は倒れながら四肢をばたつかせ、被さるハムシを振り落としている。
連続する炸裂音と共にハムシの姿が消えた。
「弾を渡すの、渡さないの?それとも虫の餌になりたいの?お前が決めろ……」
ナンバーイレブンの『リンクス』の眉間にあたる部分に葉月は自分のライフルの銃口をぐいと突きつけた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、渡す、渡すよぉ!」
(九)
「海水浴シーズンも終わってるってのに……」
月形の『シロガネ』は装甲についているヘドロをしたたらせながら、ようやくごつごつとした岩が連なる塔の東端ヘたどり着いた。
内部からの通信信号はごく僅かに反応している。アサルトライフルの弾を金色のカーテンに近距離で叩き込むと、糸の絡みが少ない箇所にようやく裂け目があらわれた。
「修正モース硬度十三?炭化ケイ素並か……以前のデータと違う」
金色の幕の中は月が雲の間から顔を出す瞬間だけ、蛍色にぼんやりとそこに存在する物を照らし出す。
「上陸侵入に成功、これより『サザキ』の捜索地点に向かう」
「了解、こちらからは虫の姿は確認できない、奴ら、隠れているな……」
「ああ、俺たちは大切な餌だからな」
頭部と銃口だけを水面上に出したフランクの『シロガネ』は、陸に上がった月形の姿を目で追っている。
ノイズだけがザーザーと波のように続いている中、幕の中にいる北米機動騎兵隊に搭乗する子供の声だけが途切れ途切れ入ってくる。
「いかれたガキのお楽しみは、サーカス小屋のテントの中でって訳か」
虫の出現に全神経を尖らせながら、フランクの機体も上陸を開始した。
第一次攻撃でできた砲撃の痕跡が生々しい、月形はその中に他とは違う奇妙な一角に気付いた。砲撃でできた深い窪みの側面に二メートルくらいの細い柱が剣山のようにびっしりと隙間無く立っている景色は異様さをさらに強調していた。
「何だ?」
望遠カメラは対象をモノクロでしっかりと捉えた。
琥珀に包まれた太古の昆虫のように、軍人、民間人、犬のような動物までもが、怯えた時間と表情をそのままに透明な水晶のような中に固められていた。
「奴らの食料庫か……」
言いようのない不快感が月形を支配したが、今はぐっと堪えざるをえなかった。
そこを越えた窪みの底に目指すべきカスガの『サザキ』が、吹き上げられた土砂に埋もれたまま横たわっている。
「少尉、『サザキ』を確認した、回収を願う、自機は索敵を継続する」
「了解、案外早かったな」
月形は、妙な気配を感じ取った。
(どこだ……どこで見ている)
月形は南極で感じた恐怖感とは違う何かを思い出していた。
「カスガ、カスガ、聞こえるか、迎えに来てやったぜ!」
月の光がまた消え、空気が薄暗く濁った。
回収のために近付いたフランクの機体の前で、突然岩石が跳ね上がり、水蒸気のように土砂が噴き上がった。
「くそ、いやがったか!」
二匹のゲジタイプの虫がぐねぐねと長い身体を岩場に這いずらせ、触覚で巣に落ちた餌のありかを確かめながら、フランクの機体の行く手を妨げた。
「ご丁寧に出迎えつきとはな、大事な落とし物を引き取りにきた」
フランク機のライフルの発砲音が『死の塔』のカタコンベに轟いた。
「人間をなめるんじゃねぇ」
彼の『シロガネ』から射出される弾丸がゲジのような長い胴体と節足をもったおぞましい敵の身体に次々と命中していった。細かくちぎれた足が緑の体液を噴きだしながらくるくると宙を舞う。
虫は鋭い牙がびっしりと生えた口を使って、右に左にと避けながら射撃を続ける彼の機体をとらえようと懸命に喰らいついてきた。
「少尉!」
後方での戦闘に気付いた月形の『シロガネ』も戻ってきた。
「こっちから始めちまった、援護を頼む」
「了解」
二機の背部バーニアのノズルからでる排気音が一層激しくうなった。
「呑みな!」
フランクは機体を急激に反転させ、その中にライフルの銃口をぐっと鋼の腕ごと突っ込み、引き金を躊躇無く引いた。銃弾の固まりが後頭部へ勢いよく突き抜けると、地が割れんばかりの虫の苦悶の悲鳴が岩山にこだました。長い身体は大きく二つに切断された後、その一つ一つが何度も空中を大きく跳ね、辺りの岩山もろとも、人間の固められた琥珀を次々と潰していった。
「これだけ派手にやらかしたら、妖精が集まるな」
高性能の多方位レーダーもこの電波障害の中ではまるで頼りになるものではない。
フランクはHUDに描かれた残りの一匹に狙いを定め、移動しようとした。
突然、鈍い衝撃音がコクピットを振動させた。
「何!」
倒したと思っていたゲジの下半身がミミズのように伸縮した動きをしながらフランクの『シロガネ』右脚部にからみついていた。
「未練がましい奴だ」
その虫に発砲しようとレーダーから目を離した瞬間、突然、警報音が響き渡った。
「!」
何匹もの地獄の妖精が、岩上からステッキを構えていた。
近距離から発砲された妖精のプラズマ弾がフランクの機体に複数直撃をした。
「ぐぁっ!」
「フランク少尉!」
計器類から火花が飛び、モニターパネルが焦げ付いた。コクピット内が暗闇に包まれた。
すぐに非常用復元装置が作動し、システムのリカバリーが始まった。
「システムニ異常発生……システムニ異常発生……リカバリーガ中断サレマシタ」
無機質なシステムエラーを告げる声は、フランク機が外部カメラによる視覚情報を全て遮断され、盲目の状態に陥ったことを宣告した。
「畜生!たった数発だぞ!このポンコツが!」
フランクはすぐにリリースレバーを引き、コクピットを覆っていた自機の装甲板を吹き飛ばした。操縦したまま生身を外界にさらしてしまうことは、あまりにも危険な行為である。しかし、今のフランクにはこうするしかなかった。
「もう少し!もう少しでいい!動けよこの野郎!お前の彼女を最後くらい守れ!」
彼の『シロガネ』は脚部を引きずるように歩を進め、カスガの『サザキ』機の上に崩れるようにゆっくりと覆い被さった。
月形の『シロガネ』は二人を守るように、援護射撃を続けている。
カスガからの応答はまだない。
「カスガ!迎えに来たぞ!おい!」
フランクは接触通信で『サザキ』機に何度もよびかけを続けた。
「うっ……誰……です……」
カスガは明瞭に響く通信で、ようやく目をうっすらと開けることができたが、同時に身体のあらゆるところから打撲した痛みがじわじわと伝わってきた。
「くっ!」
「痛いか!よし!それでいい!薬の効果が薄れてきてるんだろうよ」
もう一匹の無傷のゲジがフランク機の背後からぞろぞろとした音を立てて足を絡め、装甲を締め付けることを止めない。とうとう背中の機体安定翼が金属の破断する音と共にひしゃげていった。
フランクはその振動で身体を大きく揺さぶられながらも、カスガの無事を心から喜んだ。
「フ……フランク少尉……ですか……」
カスガの瞳に色が戻っていく。
「迎えに来たらご覧のありさまだ」
「み……みんなは?」
「ここは金色の檻の中、お前は知っているはずだ」
「あの豪州戦線の……」
「そうだ、今、北米機動騎兵隊の連中が支援に入ってくれている」
「北米機動騎兵隊?」
「元レイクレイ基地所属、過去の俺たちがいたところだったな」
「はい……」
「そろそろ包囲している軍が脱出口を確保しているいるはずだ、ともかく無事で何よりだ、この機体はいかれちまった……月形と一緒に脱出する、俺はまだ死にたくないんでな、急いでくれ……」
「わ……わかりました」
カスガは時々ぼやける意識の中で、キャノピーを開けようと指をレバーに伸ばそうとしたその時、妖精の撃ったプラズマ弾が近距離に大音量をたてて落ちた。
スローモーションのように光と熱の中に消えていくフランクの影。
「少尉!」
カスガが光の消えた後に見たものは、『サザキ』をかばうような姿勢のまま外装甲がただれコクピットの部分が丸々溶け落ちたフランクの『シロガネ』と、虫を形作っていた炭のような長く黒い塊であった。
「う、うわぁーっ!少尉!少尉!」
カスガは全身を震わせながら絶叫した。
まだレイクレイ基地にいた頃の面影がカスガの脳裏に浮かんだ。
(僕たちは何で戦い続けなくてはいけないんでしょうか、終わりの見えない戦いなんて)
(おいよぉ、またこの日本人のガキは暗いこと言ってるぜぇ、そこまでタケルちゃんに似ることはねぇぜ)
パイロットルームの中で、ジェシーが缶コーヒーを片手にあきれ顔で見ている。フェネルは何も言わず、ソファーに寝そべってオスカー・ワイルドの本を読んでいた。
椅子に座っていたフランクは立ち上がり、優しくカスガの肩を叩いて言った。
(元々終わりなんてものはないし、脳天気な連中のように上辺のきれいごとだけで「戦争反対」と言ったからって明るい未来が保証される訳でもない、「平和」はな、昔から俺たちみたいな連中の血によって作られた泥舟のようなもんだ、漕ぐのを止めると沈んでいくだけさ……)
生き残った妖精や虫が徐々に周囲を警戒しながら接近してくる。
「カスガ、今、向かっている風防を飛ばせ」
月形の『シロガネ』は、旧式兵器とは呼べないほどの鮮やかな動きであった。『サザキ』の横に機体を付けると、すぐにカスガを自分のコクピットに乗せた。
「お前には少尉の分まで生きる義務が生じただけだ……行くぞ」
「は……い」
カスガは『シロガネ』コクピットの狭い補助シートに身を沈めた。
(十)
マハン大佐は、入ってくる情報のあまりの少なさに苛立ちを押さえきれず、自分の髪をぼりぼりと太い指で掻きむしった。
「猫との通信網の回復はまだできないのか!」
「各工兵部隊から何も言ってきません」
シュミットは答えた。
「何でこの状況にそんなに落ち着いていられるのだ、貴様の言った大丈夫というのは嘘ではないか!全くだ、えぇい、すぐに各部隊の担当将校を呼び出せ」
通信兵が二人の気まずい雰囲気を払拭するかのように会話に割り入った。
「マハン大佐、本部より直接通信入りました」
「開け」
極東参謀本部の司令室をバックにマハル・ベーガム参謀の上半身がノイズの流れる通信モニターに映し出された。
「大佐の機動騎兵隊は苦戦しているようだな」
「いえ、まだ予定通りには遂行していますが……予想外の……」
「予想外?実はこちらも同じなのだ……現時刻をもって東京湾エリアに警戒レベルSの緊急事態を発令することとなった……各国の虫の塔に動きが出てきたことがその大きな理由である」
マハン大佐は驚愕した。
「予想外の動きと言いますと?」
「君も知っているだろう、『シベリアの憂鬱』を……」
「げぇっ」
小さなシベリア地方にある基地に虫の群れが集まり、プラント機動騎兵隊全軍を壊滅させた事件である。原因不明の虫の動きを含め未だにその詳細については明らかにされておらず、基地の存在さえ記録から抹消されたままとなっている。
(お前たちの予定通りだったのだろう……)
側にいるシュミットはそれを聞いても何も感じない。
「現在、塔より急激に湧きだした虫の群れが移動をし始めた、その方向を分析した結果がこれ。」
参謀の右下にあるマップ上の赤い点からそれぞれ矢印が動き、その終着が全て東京湾の塔を示した。
「日本時間本日午前九時をもって、機動騎兵隊を塔の周囲より撤収、各方面部隊と協力し、日本国本土にて襲撃に備えよ」
「九時?彼らはドームの中にまだ……」
「何のために最新鋭の戦力を投入しているのだ、自慢の部隊であれば、それだけの時間で十分だろう、この方面の諸隊が全滅したら人類は終わりなのだ、何としてでも撤収させ、各部隊の援護にあたらせろ。君たち北米機動騎兵隊のすみやかなる任務遂行を祈る」
通信が終わった。
「大佐、次のご指示を」
シュミットはわざと冷静な態度を装って答えを待ったが、マハン大佐は呆然と立ちつくしたままであった。
あれから何時間たったのだろうか。時刻を正確に示す装置類は、正常な働きをすでに止めている。金のドームの中がおぼろに煙ったように白く霞みはじめ、今が夜明けの時間であることをパイロットの子供たちに教えた。
葉月は『死の塔』のきつい傾斜で岩を盾にし、迫り来る虫を落としていた。目の前の地面の岩が大地からMAO『サイベリアン』の頭上まで跳ね上がった。
「何匹いても同じ」
虎視眈々と待ち構えていたゲジ型の虫は、ほんの数秒で頭部を撃ち抜かれていた。
意味不明の叫び声が断片的に音声だけ飛び込んでくる。他の北米機動騎兵隊のMAOの少年や少女の声であった。
「シュミッ……の野郎、早く!」
「弾が……が……く!」
「やったよぉ!また……ちゃった!」
予定していた補給物資は、外部と遮断されたこの地に届く気配もない。
葉月は、その目に単機で攻撃を続ける月形の『シロガネ』を見た。
「三月兎は無事だった……」
月形も山裾の方向に黒い機体のMAO『サイベリアン』が、虫を鮮やかに仕留めていたのを目にしていた。
「あの二型……誰が動かしている」
よそ見をしている暇はなかった。フランク機の遺品とも言うべきライフルで、進路を防ぐように飛び回るハムシ三匹を撃った。
「つぅ!」
引き金を引くたびに月形の肩に激痛が走る。
彼の身体だけではない、焼け焦げた装甲をまとった『シロガネ』もまた同じであった。右腕部は肩からもげ、オイルの血を流し、乾いた地面に吸い込ませている。
補助シートのカスガはまた意識を失っていた。
(死ぬなよ……絶対に……)
弾切れを示すエラーが出た。装填に手間取ることは、死を意味している。それでも月形は、飛びかかるゲジの攻撃をかわして、器用に脇に挟んだライフルに弾倉の再装填を行った。
「ピリカ……頼む」
言葉が返ることのないシステムへ、月形は無意識のうちに呼びかけていた。
近くで戦闘を続けている機体に気付いた。
背にあった大きな翼の折れていることが、機体のバランス感をさらに狂わしていることに月形は気付いた。
「ああっ!」
ナンバースリーの少女ジャニスがプラズマ弾を受け、その機体の半身を大きく仰け反らせた。彼女の機体は、岩に勢いよくぶつかり、前のめりに倒れた。スロットルを作動させるが、ノズルの噴射音が響くだけで、立ち上がることができない。ガツガツと岩の一部に機体がぶつかるだけで反応が消えた。
「あはははは!妖精の奴、そんなに私とファックしたかったのね」
ジャニスは、そう強がりを言ったが自分の死を間近に見た。
「あははは……もう、お休みの時間……」
つり上がったジャニスの目に涙が浮かんだ。
「戻るぞ」
月形の『シロガネ』の発した弾が周囲を囲む妖精をつぶした、そして、シロガネよりも二回りも大きいジャニスの機体を背部から押すようにして、起き上がらせた。
「何で助けるんだ!」
ジャニスは月形に毒づいた。
「任務だ……それも特別のな」
「おやじのくせに……」
ジャニスの機体はぎりぎりと音をきしませるだけであった。その様子に気付いた虫がじわじわと押し寄せてくる。
「気にするな……おやじだからだ」
月形は残弾数を気にしながらジャニス機を守るために戦いを続けた。
葉月の機体も袋小路のような地点に追い詰められていた。
「虫の司令塔をつぶさないと……どこに……」
機体の足下に突然大きな穴が開いた。
「しまった!」
その穴は想像以上に深く、重量感のある衝撃が辺りに響いた。暗い穴の底に虫の幾多もの目が星のように不気味に光っている。
「ようこそ、大きなお人形さん」
モニターには、大きな岩の上でこちらを見て立っているあの少女が映っていた。
「あなたに用事があって、ここまで来てもらったの」
葉月はライフルで少女を撃とうとした。しかし、腕と胴体がゲジの長い腕に絡みつかれていた。
「ほんとは、お友達が、このままみんなで頭から食べちゃいたいって言っているけれど、私はあなたたちのことをもっと知りたくて……」
少女は風によって巻き上がるスカートを気にすることなく、未成熟な白く細い足を太ももまでのぞかせ、かわいらしく微笑んだ。
葉月は無言でその少女をにらみ続ける。
(十一)
朝焼けに染まる空が動いた。
ナリタ前線基地のシュミットにまずその変異は知らされた。
「シュミット大尉!北西の方向より未確認の航空編隊が急速にこちらに接近しています」
「連合軍の救援か、補給物資輸送機か?」
「いえ、発しているコードは既存のものではありません、他の部隊は各個で虫の襲来の迎撃にあたっています、えっ?こ、これは!」
「何だ!」
「ロシナンテ!?ロシナンテとMAO!先頭機体は……『バステト』、『バステト』です!」
「何!そんな馬鹿なことが……」
確かにレーダーの指し示すコードは高機動騎兵部隊を表すものであった。
「どこからだ!どこから来ているんだ!」
「不明です!間もなく塔の上空に到達します」
シュミットは、自分が全く知らされていない情報に、ただ驚愕するだけであった。
(十二)
「わかってんの?あんたが穴開けないと先進まないんだからね」
「うるせぇのはかわらねぇな、この女!」
「こんな時にけんかはだめですよぉ」
飛翔する『バステト』がブースターを最大にし、金のドームの頭頂部に迫った。
長い銃身をもつライフルの先端が光る。
弾は正確に、絡み合った繊維を引き裂き、大きな穴を開けた。
「上出来だ」
銀色の装甲をまとったMAO三型『リンクス』のパイロットは口元をゆるませた。
「わかっているな、お前ら、今回の作戦は虫の撃破よりもドーム内の機動騎兵隊の救出だ、いいな」
『リンクス』の男とは違う力強い声の通信ががんがんとコクピットに響く。
「わかってますって」
『バステト』のパイロットが応答した。
補助燃料タンクを翼下に装備したロシナンテのパイロットの少女が落ち着いた声でカウントを読みはじめる。
「目標ポイントまで三……二……時間です」
ロシナンテと『リンクス』を固定しているアタッチメントが外されていく。『リンクス』のパイロットのヘルメットバイザーが降ろされ、HUDが作動を始めた。
そして、小さな翼を跳ね上げると同時にロシナンテの機体から大きく飛び上がり、落下体勢に無駄の一切無い動きで入っていった。
「MAO『リンクス』河井、これより突入を開始する」
水平線からのびた一筋の太陽の弱々しい光が飛翔する機体をきらめかせた。
第五部「翼の猫」 おわり
第六部(最終)「春告鳥」へつづく