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猫と少年  作者: みみつきうさぎ
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第五部 翼の猫(前編)

『デスペラード隊』は壊滅し

残された河井小隊の少年たちは離散

自責の念にかられた葉月は、自己を捨て

戦いを求めるだけの人形となる道を選択する

彼女と別の生き方を歩み

収容所送りとなったユキザネの前に

シベリアの少女が再び姿を現す


増殖する虫によって

徐々に追い詰められていく連合軍

東京湾では風の城の数十倍の規模をもつ

『死の塔』が虫たちによって築かれつつあった


◆ 登 場 人 物 ◆


アキ・ユキザネ        河井小隊に所属していた少年 現在、機動騎兵部隊『エリュシオン』に所属

千早葉月           MAO第二型『サイベリアン』に搭乗 機動騎兵部隊『エリュシオン』に所属

カスガ・ソメユキ       国際連合軍機動兵器極地戦闘襲撃機『サザキ』パイロット

ウィリアム・ボーナム     河井小隊に所属していた少年 現在、機動騎兵部隊『エリュシオン』に所属

ミン・シャラット       河井小隊に所属していた少女 東亜支部に配属となる

ジョゼッタ・マリー      河井小隊に所属していた少女 東亜支部に配属となる

グラ・シャロナ        国際連合軍機動兵器システム統合部特別補佐官付

ゲオルグ・シュミット     国際連合軍機動兵器システム統合部特別補佐官

ヴィラ・フェルナンデス    機動騎兵部隊『エリュシオン』の少年

ジャニス・メナン       機動騎兵部隊『エリュシオン』の少女

月形半平           国際連合軍旧式兵器『シロガネ』型パイロット

フランク・レスター      国際連合軍旧式兵器『シロガネ』型パイロット

フェネル・フレデリカ     国際連合軍旧式兵器『シロガネ』型パイロット

山田人吉           北米レイクレイ基地の日本部隊将校 階級は少佐

マハン・ゴールド       北米機動騎兵隊実質責任者 階級は大佐




人の運命や生きている意味なんて変わるよ、それもほんの些細なことでね。

昔からこう言っている本や映画など有り余るほどあるし、ここであえて真剣な顔つきで話すのもわざとらしいと思うよ。

例えば『平和』という言葉があるだろ。

子供の頃の自分にはよくわからなくて、はじめは何となくいい響きの言葉だと思っていたよ。今になると、戦争をリアルで経験したことのない若い奴らや、安全な場所でのうのうと暮らしている連中が言ってもたいして重みのない、むしろ偽善者の言葉だとわかったけどね。

誰だってリアルに殺し合いなんてしたくないだろ、俺がここでお前の頭を平気で撃つような世界が正常か?頭がいかれたジャンキーは別さ。

えっ、ああ、その日のことかい?わかった、わかったよ。サイレンだ、遠くからけたたましくサイレンが鳴っていたのはよく覚えている。

「ニャー」ってかわいく鳴く雑種の猫がうちにいたんだ。でもちょっと不思議な奴でね、俺には全然なつかなかったんだけど、前の日の晩から珍しく甘えてきたんだ。

その日の朝もそうさ、俺の顔にそいつが自分の顔を何回もなすりつけてくる、俺は目だけ開けて枕元の目覚まし時計を見た。時刻は、まだ午前四時くらいだったなぁ。前の日は遅くまでゲームをしていたんで、またすぐ横になった、ほんの少しだけね。なぜって?ロケット花火のような音と、振動で部屋の中がギシギシと大きく鳴りはじめたからさ。棚に飾ってあったプラモや本が全部床に落ちやがった。

慌てた俺は尻餅をついたようにベッドから滑り落ちて狼狽えちまった。窓ガラスには、ほらそこ見えるような蜘蛛の巣のような亀裂がきれいに広がっていたよ。

はじめは、また大きな地震が来たと思ったのだけど、違う。

俺はよろめきながら何とか部屋の入り口まで必死の思いでたどり着いたのさ。

そして部屋の扉が開けにくかったんで力強く前に押した時、何かに吹き飛ばされたんだ。大きな板のような物で全身を叩かれたようだったけれど、今思えば、その扉だったんだろうね。

そこからあまりおぼえていないんだ。というか、あまり思い出したくないね。家族のことはそうでもないけれど、あの猫のこと思い出したらね悲しくなるんだ、おかしいだろう、両親よりもペットのことを思い出すなんて、自分でも馬鹿らしくて笑えるよ。

おっと、もう出撃の時間だ。俺の話はもういいだろう。

俺にとっての『平和』という幻想はその日で終わったのさ。




第一話 「湖の光」


(一)


 北米レイクレイ基地に吹く風は、あのシベリアほどの厳しさはなかったが、葉月の心を凍らすためには十分の冷たさであった。

(私は強くなりたい、私がもっと戦うことができていたら、タケル君は死なずにすんだ……)

 無影灯が光る手術室の闇の中に葉月はいた。

「グラ、お前はいつからそのようなつまらない感情をもつようになったのだ」

 葉月の手術の様子を隣の部屋から見ていたシュミットは、記録の手を止め青ざめているグラに冷ややかな言葉を浴びせた。

「いえ……補佐官の気のせいでは?」

 グラはそう言うと何事もなかったような振りをして、葉月の手術の様子を端末に記録していった。

「ふっ、お前の昔の友人が自ら望んだことだ。これで再編成の機動騎兵隊はより神の領域に近付くことができる、自らドロップアウトしたお前が決して踏み入れることのできない場所だ」


 初期の実験パイロットに選ばれようとする朝、自殺未遂を図った少女の時の自分の姿を彼女は思い出していた。

手首から血を大量に流す自分を泣きながら励ます葉月の姿があった。

(グラ、私が乗るから、私が代わりに今日の手術を受けるから)

 本当の少女であった頃の葉月は、うな垂れる幼いグラを抱きしめて泣いていた。


 グラは努めて冷静に振る舞おうとしていたが、シュミットの言葉を聞き、手が震え入力ペンを床に落とした。

「もっとできる奴だと思ったが、お前もその程度なのだな、今日付で機動騎兵隊の監視の任が解かれる、ちょうど良かったじゃないか、お前は明日から日本に行け、管制官が不足しているらしい、お前のその良い声でパイロットを地獄に送り出せ、もしくはお前の『ホーム』崩れのその優れた才能で、一般兵士のように前時代の二足歩行兵器に搭乗し、前線で戦ってみるの面白いのじゃないか、いつでも死ねるぞ……そのくらいだったらできるだろう?」

 シュミットの下卑た笑いを含んだ声が部屋に響いた。


 手術の日からしばらくたった時、ジョゼはレイクレイ基地地下にある葉月の病室を一人で訪ねていた。

窓のない白い部屋の病室に一台のベッドが置いてあり、そこに葉月は上半身を起こした状態で座っていた。

「起きていたのね、どう、体調の方は?」

 葉月は黙って聞いている。あの悲惨な戦いから脱出してきて以来、葉月の身体から心が消えていた。ジョゼは葉月に施された医療行為を知らされてはいない。

「今日はね、葉月にお別れを言いにきたの、ついさっきミンと私の東ヨーロッパ戦線への転属が決まったわ、向こうも色々と大変みたい、そこにはまだ猫もロシンナテもないけどね、後から配備されるみたいだけど……ミンもね、本当はここに来たかったようだけど、辛くなるからって言って結局こなかったわ」

 そう言いながら、細い花瓶の水を小さな洗面台の所でかえ、一輪の花をさした。

「これだけしかなかったの……ごめんね」

 その花は細く白かった。

ジョゼはベッドの横の椅子に座り、葉月の顔をのぞき込むようにして思いをこらしている。

「また、会えるって信じている、葉月にもみんなにも」

 そう言って、シーツの上にでている冷たい葉月の手をそっと握った。


ただ時間だけは過ぎていく。




(二)


 丘陵地帯のまっすぐ続く道路の上を、八機の白いMAO三型『リンクス』がそれぞれスナイドルライフルを構えながらゆっくり前進している。その後にハーメルンの笛吹きに導かれた子供たちのようにぞろぞろと戦車や自走砲が続く。その遙か後方の地方空港には戦闘ヘリや小型爆撃戦闘機が待機していた。

 この日、レイクレイ基地所属の機動騎兵部隊『エリュシオン』はユカタン半島に進出していた。

「目標はチクシュルーブ・クレータ『マヤの城壁』、新しい二人は僕たちの左翼に展開、邪魔だけはしないで」

 ウィルの機体モニターには、同じ部隊のパイロットの顔が分割された状態で映っている。皆、自分よりも年下の様々な人種の少年や少女であった。今、抑揚のない声で命令をしたのはリーダーの『ヴィラ・フェルナンデス』である。

(生意気な)

 ウィルは面白くない。何を考えているか分からない無表情な少年らの目を見ているだけで、言いようのない不快感をもってしまうのだ。

(自分たちが訓練所にいた時は、ここまでおかしな子供はいない)

今、この時点において、世界中に散らばっている同期の生存者にも、該当する者はいないだろうとウィルは思った。

「ウィル、何怒っているの?」

 ユキザネからのプライベート通信が入った。ヘルメットのバイザーを開け、いつものにこにこと笑う顔がモニターカメラを見つめている。

「何でもない」

「今回は楽だね、僕とウィルは援護だろ、帰ったらモノポリーの続きしようね」

「帰れたらね」

「帰れたら……そうだね、だから続きなんだよ、ならず者のおじさんたちとはもうできないんだから」

 あのシベリアでの出来事から、ユキザネの心が少し変化したようにウィルは感じている。それに比べて自分は、あの地に何かを置き忘れてきてしまったようだと思った。

「砲撃開始まであと六十秒、各機、第三次戦闘隊形に移行」

(どうしてこの基地のオペレーターの声は機械みたいな声を出すんだろう、『デスペラード』隊では、必ずその後に意味のわからない、でも、みんなには受けている一言があるはずなのに……でもこれが普通なのかもな……訓練所の時もそうだったかもしれない)

ユキザネは、自分ら子供用に小さく作られたスロットルの人差し指のあたる部分を気ぜわしく動かしながら考えていた。ほんの短い期間であったが、あれほど、疎ましく思っていた毎晩の宴会が今ではとても懐かしく感じている。

「MAOナンバーエイト、復唱はどうした」

 単調な声にさらに冷たさが増していた。

「あ、了解」

 自分は何でも完璧にできると思っていたことは全部まやかしであることも教わった。

シミュレーションでは葉月にあっさりと撃墜され、妖精の襲撃では怖いということがどういうことかをそれこそ、心のもっともっと奥の場所にしっかりとすり込まされた。

(それとトイレ掃除の仕方が人よりも上手くなったこともかな)

 メインモニター上のマーカーは、MAOナンバーワンからシックスまでの僚機が左右に展開をはじめたことをユキザネに知らせた。

一糸乱れない動きは後ろから見ていても完璧であった。訓練所で共に育成されてきた子供たち、ただ、彼らと再会した時、何もかもが変わっていたことを知った。廊下ですれ違っても何も言わないでまるで自分が目に入っていないかのように振る舞う子。いつも薄ら笑いを浮かべて下を向いている子。ずっと小さな声で同じところを何回も繰り返し歌っている子。

(あの後に何回も手術をしたって……)

 ユキザネは、ウィルが薄気味悪いと言うのもわかるような気がした。自分が彼らと過ごした訓練所を離れ、転々と他の基地や訓練所にまわされていた時に何があったのか。

(でも、僕もいつかそうなるのかもしれない)

確信に近い思いがユキザネの心の中をにぶい動きで通り過ぎる。


攻撃開始を告げる信号がモニターを走った。

自走砲から放たれた光の魂が、強くはじかれた小さなゴムボールのように幾筋も弧を描き塔に着弾した。塔の側面に黒い煙でできた花弁が幾重もちりばめられた。それを合図に前方の僚機が、背部バーニアを発光させて、塔へ進撃を開始した。

 それに合わせるかのように煙とは違う黒い物がゆっくりと浮上をはじめた。

黒の塔からハムシタイプのバグが数十匹の単位で飛び立った影であった。

「目標物側壁、ハムシ発生を確認、直ちに駆逐せよ、全機スレイブスシステム起動」

 個々にある程度任されていたプラントの『デスペラード』隊と違い、全て動きは本部オペレーターからの指示によるものである。

ユキザネも右足のペダルを踏み込み彼らの左翼へ、風にのるようにして自機を滑らせた。

ユキザネの全身に何かの衝撃が走った。

「うげっ!」

訓練所の頃にユキザネは、この不快感を幾度ともなく味わっていたことを思い出していた。しかし、強い嘔吐感に耐えられなくヘルメットの中で胃液を吐瀉した。

(でも、この感じ……あの葉月と会った夢の中と同じだ……)

 目の前に紫の光点が乱れ飛び、段々と視点の中央に収縮していく。

(やっと見付けた……さがしたのよ……私たちは一緒になるの……)

 収縮しきった光の一点から少女の声が聞こえてきた。

(誰だ……)

(蝶は蜜がなければ生きていけない……)

 紫の光は血のような赤色に変わり、ユキザネの顔に飛沫を飛ばした。

 ユキザネの顔は血しぶきを浴びたように濡れていく。

「あ!」

 現実の世界に戻ったユキザネのぼんやり霞む視界にモニター越しのウィルの姿を見た。ウィルもいつもの様子と異なり、自分の頭を何回も振っている。

(ウィル、だめだよ、これに引っ張られちゃ)

 ユキザネの心と相反するように、搭乗しているMAOの機動性が急激に高まっていった。


MAOの『スレイブズシステム』がロードされた。


『スレイブズシステム』

オルファンプログラムに組み込まれている脳のシナプス組織を人工的に活性化させることで高い戦闘能力を生み出すことができる理想的な操縦システム。しかし、そのために、乳幼児からの成長過程の中で、投薬や催眠、外科手術などあらゆる手段を施し、脳の働きを変容させなければならない強さを求めた結果の悪魔の所行。

「パパ!とってもあの虫のつくった壁は大きいね、何メートルあるの?」

「あそこに行ったら天国に行けるの!天使がね、みんなにケーキを食べさせてくれるんだ!」

「アレさ、プチプチつぶすといい音するんだよ」

 普段無口な子供たちの口から明るい声が次から次へと流暢に奏でられはじめていく。

全ての声が、通信を通じてユキザネの耳に飛び込んだ。

(河井隊長!)

ユキザネは、スロットルから手を離し、無意識のうちに右の耳の後ろにあるヘルメットのロックを解除すると不快感の波が急激に静まった。そして、吐瀉物で汚れたヘルメットを座席の下に投げ捨てると、すぐにウィルの姿を追った。

「ウィル!ヘルメット!ヘルメットを外して!」

 ユキザネが叫んだ。

と同時に司令部のオペレーターから二人の通信を遮断するように怒鳴り声が飛び込んだ。

「アキ特務兵!何をしているか!勝手な行動は許さない、すぐにヘルメットを装着せよ」

「ウィル!」

 ヘルメットを外すぎこちない動きというよりは何かに必死で抵抗するような手の動きが見えた。

「おうぇっ!」

 太く巻き毛がかった黒髪の下にウィルは顔をのぞかせた。

「大丈夫?」

「アキ、覚えてるぜ、この気持ち悪さ、はじめてロシナンテのシミュレータに乗った時と同じだ、今回は漏らさなかったけどな」

 ウィルは、少し目の焦点が怪しげではあったが、いつもの様子に戻っていた。

「きゃははは!」

(誰の笑い声?)

ユキザネがモニターのスイッチを切り替えた。その声はあのいつも下を向いている褐色の肌をした少女のものであった。ジャニスと呼ばれている彼女のMAOは、ハムシの群れに飲み込まれまいと複雑な動きを機体に科しながらスナイドルライフルを連射している。

「ほら、緑のシロップいっぱい、向こうで見ている新しく来た子達にも食べさせてあげましょう、ママがいっぱいかけてあげるからね、あっ、見ていたの?もう待ちきれないのね、今、持って行ってあげるから!」

 モニターカメラに顔を近付け、充血した目を目一杯に開き、ユキザネを睨んだ。

「う、うわっ!」

ユキザネは、驚いてシートのヘッドレストに後頭部をぶつけた。

「ウィル、違う、違うよ!この子たち、おかしいよ!前と全然違うよ」

通常の動きではない集団のMAOの戦闘能力は凄まじいものであった。

塔の隙間の穴から沸いてくる虫の群れは次々といともあっさりと墜とされていく。後方にいる戦車隊からの砲撃はとうに止んでいた。

「きゃふー!」

 歓声とも悲鳴とも区別の付かない少年の声が聞こえた。ブライアンと言われているあの、いつも童謡を口ずさんでいる子のものだった。ハムシが集団でその子が搭乗しているMAOにとり付いていた。

驚異的な戦闘能力を誇る兵器も,集団で可動部の動きを止められてしまってはそれこそ手も足もでない。地面に倒れ伏す機体の上に無数のハムシがびっしりと隙間無く乗り、牙を何度も何度も突き立てていく。コクピット搭乗口の装甲の隙間がゆがんでいくのが他機からも視認できた。

「僕の周りが暗くなったよ……赤くなったよ……おかしいね……」

「助けなきゃ!」

「アキ!俺も援護する!」

 ユキザネとウィルは本部からの命令を待たずに、自機のバーニアを点火させ、救助に向かった。そして、とりついているハムシに照準マーカーを点灯させた。

その瞬間、ユキザネの機体に衝撃が走り、機体の右手に構えていたスナイドルライフルが爆発した。

「な……」

「ユキザネ、邪魔だけはするなって言ったろ」

 訓練所の頃から見知ったヴィラが乗っているMAOは明らかにユキザネの機体をめがけ発砲していた。

「あいつはのろまだからおしまいだ」

「ぎゃー!」

悲鳴がノイズ越しに聞こえる中、ブライアンの搭乗するMAOのコクピットはハムシの鋭い牙によってずたずたに引き裂かれていく。そこを狙うようにしてフェルナンデスのMAOは腰部に装着しているナパームミサイルを発射した。

群がっていたハムシはブライアンの身体ごと焼かれていった。

「ナンバーファイブブライアンの死亡を確認、作戦終了予定よりも二分遅れるよ、それと新しく入った二人は全然使えないね、邪魔だよ、ここで殺してしまいたいくらいだ」

 ヴィラはそう本部に通信を入れ、黒の塔の方向に地面をジャンプしながら飛ぶようにして戻っていった。


(三)


その頃、ミンとジョゼは複座の旧型戦闘機で、北米レイクレイ基地から太平洋上を横断し、次の配属先まで行くための給油地として、日本のチトセ基地へと向かっていた。

「アキとウィル、私たちいなくても大丈夫かな、葉月ちゃんもう治ったかなぁ?チトセのニモさんにどう話したらいいのかな……みんな悲しむだろうなぁ」

 首を横に思い切り伸ばすようにしてシートの背中越しにミンはジョゼに話しかけた。

「あんたさぁ、これで聞くの何度目?」

「何回聞いてもいいじゃない、しゃべっていないと嫌なんだよ」

「答えなんて同じよ」

「私だって知ってるよ、だけど、話を聞いてくれたっていいじゃない」

「もう!あの二人なら大丈夫よ、どっちもしぶとそうだもの、肌の色は全然違うけれど、まるで本当の兄弟みたいだし……でも葉月はまだ無理だと思う、何であんな手術を受けるなんて言ったんだろう」

「私たちも受けるみたいよ、あそこでは時間がなかったから……でも、受けたら頭良くなるのかなぁ」

 ジョゼはうんざりだという表情をしながらも、ミンのしつこい質問に一時間前に答えたものと似た言葉を同じ口調で返した。

「それより、あんたさっきから外部との通信は切っているの?」

「うん、ボイスレコーダーもね、じゃないと二人でおしゃべりできないじゃない、前にオッターさんに教わったんだ」

「ねぇ、私たちのあのシベリアでのことが一切記録にないなんておかしいと思わない」

 ジョゼの少し低く話す声にミンの顔もきりりとしまった。

「私も……ジョゼにそのこと教えてもらってから、色々見たり調べたりしたけれど、全て記録が残っていないの……私たちがあの場所にいたことも、豪州戦線からすぐに北米に配属されていることになっている、グラさんも急にみんなの前からいなくなっちゃったし……」

「死人に口なし……でも隠すことの必然性が私にはわからないわ、時間と燃料は十分にある……私は知りたいの……あの後にいったい何があったのか」

「寄り道にしてはちょっと遠回りじゃないかなぁ、でも……乗っているのは私たちだけだし……何たってプラントならず者部隊出身だしね、私たちは……銃殺の一歩手前くらいになっちゃうかなぁ」

 そう言ったミンの顔は明るくなった。

ジョゼは頷いて操縦桿をゆっくりと右に動かしていく。

間宮海峡の上空を越えた辺りで突然、メインモニターに飛行禁止空域を告げるアラートが点滅した。

ジョゼの記憶ではこの周辺の上空にそのような規制がかかっているとは聞いたことがなかった。

「ジョゼ、何かレーダーに反応が出たよ、機体コードは……識別不能?」

ジョゼはすぐに遠距離レーダーモニターに目を向けた。ミンの言うとおり通常の戦闘機よりやや速い速度で自分たちのいる地点に低空から迫りつつある飛行物体を確認した。このままでいくとあと数分以内に接触の可能性が出てくることは明らかであった。

「この速度は既知の妖精や虫ではなさそうね、この辺りの軍や民間機のフライト情報は?」

「データと照合できるものはないよ、近くの基地に通信しておいた方がいいかなぁ?」

「当たり前じゃないの!未確認物体補足、緊急戦闘態勢に入るってね」

 ジョゼはスロットルを手前に引き、エンジンの出力を上昇させた。

「あっ、何か守秘通信が、えっ……?」

 コクピットにミンの驚きの声が響く。

 数分後、「交戦中」という内容の短い通信を最後に、ジョゼとミンの乗った戦闘機はシベリア上空でその消息を絶った。


軍は彼女らが航空機事故によって消息不明のまま戦死したと処理したが、レイクレイに残された別部隊のウィルやユキザネに、そのような些細な情報が伝えられることはなかった。


(四)


ユカタン半島の『マヤの壁』はその日のうちにあっさりと陥落した。

番人の虫を全て殺された壁や付随する虫の塔は、戦車や自走砲、爆撃機の良い演習目標であった。軍の犠牲者はブライアンのMAO一機だけであったが、動力源のある胴体部分はコクピット周辺を除いてほぼ無傷の為、パーツを取り替えることで修理の期間もそう長くかかるものではないことが基地の司令官たちの自慢であった。

 ハムシタイプのバグしかいなかったという理由もあるが、子供たちの乗るMAOのめざましい活躍であったことを否定する者は誰もいない。


 別の意味での犠牲はあった。

ウィルとユキザネは作戦終了後、即座にMAOから降ろされ、命令違反の罪状でレイクレイシティ郊外の刑務所内にある隔離房の一室に監禁されていた。

「シベリアからずっと最悪だ……」

ウィルは弾力のないベッドに横になりながら上の段にいるユキザネに聞こえるくらいの声でつぶやいた。

「ここ……絶対盗聴されてるから、変なこと言わない方が良いよ」

 ユキザネが小さな声で返事をした。

 連続してウィルが壁を指で叩きリズムをとった。

ユキザネはそれが旧時代のモールス信号であるとすぐに気が付いた。プラント隊の連中とやったゲームである。答えられないと彼らの酒に入れる氷を、時間に関係なく吹雪の中でも取りに行かされたり、くすぐられたりするので、ユキザネは短期間で必死になっておぼえた。

(パイプに耳をつけろ)

とその音は伝えていた。

ユキザネが耳を付けるのを合図に、マイクでは拾えない小さな音の信号のやりとりがはじまった。

(アノ ヘンナ ソウジュウシステム シッテイタカ)

(マエニ クンレンデ ヤッタ)

(オレモ)

(ウィル モ)

(アタマノシュジュツ サレル オソレ アリダナ)

(ダレ)

(オレタチ)

(ボク オモワナイ)

(ナンデ)

(ジカン ツカウ ムダ アタラシイ パイロット イレル ハヤイ)

(ソウカ)

(デモ ハヅキ シンパイ)

(ナゼ)

(ハヅキ オリジナル ノ ヒトリ)

(ナニ)

(ハヅキ サイショ パイロット アノ ネコ ハヅキ ノ ネコ)

(ドウイウ コトダ)

(アノ ネコ ハヅキ ヒトリ ウゴカセル センヨウキ)

(ダッテ ミンナ ソウジュウ シテイタ)

(チカラ ヒキダス デキナイ ダカラ マタ ハヅキハ ノセル)

 ウィルはユキザネの言いたいことがわかった。自分たちのレベルの人間はいくらでも戦災孤児を使って大量に培養できる。しかし、あの二号機の黒い『サイベリアン』は葉月のために全て設計段階から微調整された究極の兵器である。大きな戦果を期待する者なら誰しも彼女の再搭乗を望むだろう。

(ハヅキ タスケル カ)

(ドウヤッテ)

(コレカラ カンガエル)

(ウィル バカ)

(オマエ バカ)

(ウィル バカ)

(オマエ イッショニ カンガエロ)

(ソウカ)

 二人だけの声のない会話は夜がふけるまで続いた。


「機動騎兵隊の再編」という連絡が入った時、山田人吉少佐はレイクレイ基地地下の日本街区の幹部室で部下の仕事上の些細な失態を怒鳴っていたところであった。

彼はすぐに話を止め、通信パネルの前に立った。

南極の動乱の時の『シロガネ』のように、体よく外国に乗っ取られたようなものというあきらめの気持ちが、山田少佐の全身を支配している。

「レイクレイ基地について、高機動騎兵部隊より、ウィリアム、アキ特務兵を外し、訓練所より新たなパイロットを配属する、尚、機体についてはパイロット特性に合わせ新たに次の『赤い河作戦』までに調整をするように、命令違反による罪については、ウィリアム・ボーナムは一か月の禁固と特務兵の階級剥奪、工兵育成プログラムへの編入とアラスカ基地への転属、アキ・ユキザネはアラスカ基地での軟禁の無期限継続がそれぞれ決定している」

 本部の連絡兵が山田少佐に淡々と指示を与え続けた。

「あの、極東より移送されてきた例の新型機のテストは……」

「指示あるまで凍結せよとのことだ、おそらく部隊再編終了後であろう、機動騎兵部隊『エリュシオン』がその任につくのは決定している」

 山田少佐にとって不幸な時期と言っていいだろう。

期待をかけていた日本の河井軍曹は既にシベリア戦線で多くの兵と共に玉砕したと伝えられている。その子飼いの少年たちもたった一年もたたない間に離散、もしくは消息不明となり、唯一の生存者も部隊再編計画からはずされてしまった。

(これも現実か)

 警戒を強めているとはいえ、自国の東京湾にそびえ立つ塔には手もつけられずじまいとなっている。当分、小さな半分見捨てられている島国に救いの手が伸びることはないだろう。蹂躙され続ける自国に対し何もできない自分の立場に歯がゆさだけが残った。

 山田少佐は、自分の椅子にどかっと座ると、傍らに立ち続けていた士官にようやく気付いた。

「お前、ここで何してるんだ」

「はい、山田少佐よりご指導をいただいておりました!」

その返事に、やっと自分が先程まで顔を真っ赤にして怒っていたことに気付いた。

「いつまでここにいる!早く出て行け」

再び怒鳴られた士官は、あわてて返事をすると、そそくさと退室した。

「何のことはない、金と力がある国と人間だけがこの世界に残るようになっている」

 山田少佐はそうつぶやき、心の中に自国の山河の様子や残してきた家族の顔を思い浮かべながら、うっすらと似合わない涙をにじませた。


(五)


目の前に一人の青年の顔がある。葉月にはその顔がもう誰かわからない。

(葉月……君が生きていてくれて俺は嬉しかった……)

 その声は澄んだ中にも懐かしい温もりがある。涼やかな目の彼はそう言うと暗闇の中に一人微笑を浮かべ消えていった。

 葉月は崖の下をのぞき込むと突撃の合図を待たずに、自分の乗る機体を落下させた。狭い渓谷の左右からMAO八機が空間を切り裂くようなエンジン音を上げながら攻撃を仕掛けた。機体の手にしっかりと握られている中距離ライフルは日の光をあびてきらめく。

渓谷の底には無数の蜘蛛のような虫が重なり蠢いていた。攻撃が自分たちに向けられると気付いた虫たちは、羽を小刻みに震わせて威嚇行動をとった。その音に反応して側壁に開いた無数の穴からは妖精が四つ足を岩にからめつつその身体をさらけ出していった。

 砲火は赤茶けた岩を砕き突き抜けながら凄まじい音をたてた。

「きゃはー!」

「ママァー!新しいフリーフォールだよぉお!」

「あは、あは……」

 MAO内のパイロットの子供たちの興奮した狂気の声が錯綜する。乾いた大地に切り刻まれた深い渓谷に沿うように、数キロ先まで土煙が一気に噴き上がり上空の偵察ヘリパイロットの視界を一瞬のうちに奪った。


「こちらスパロー四、妖精と猫との交戦を確認した、視界不良のため、虫の渓谷外への移動は確認できず、赤外線データを転送する。」

ロメオ中隊了解」

キロ中隊了解」


 総合司令室のモニターには、ヘルメットも付けずにMAO二型『サイベリアン』に搭乗している葉月が映し出されていた。

「実験体ゼロ三号……やはりオリジナルは違うな、新型機にふさわしい娘だ、これこそただの弱い存在が人類を勝利に導く兵器へと進化した結果だ」

 泰然とした様子の士官の中に一際異相を放つ男が混じっている。

その男は満足そうに声を上げると傍らにいるシュミットを見た。

「コム博士、はじめは、回復不可能と思われていましたが、医療プログラムを再開したら、ご覧の通り素晴らしい芸術作品へとさらに変貌しました、博士の生み出したMAOと彼女はまさに神の鎧を纏った天使と言っても過言ではありません」

「そうであろう、我らが進化していく生き物であることをこれで証明できた……我々は勝つ、どのような侵略者に対しても」

「私もそれを心から望んでいます」

 モニターを見つめるシュミットの表情は、子供のように無邪気で明るかった。


 葉月のMAO二型『サイベリアン』は他の子供たちの機体とは動きがまるで違っていた。相手の攻撃をすり抜け妖精の首をライフルの先端で突き、次の目標へと飛ぶように移動していく。『風の城』作戦時と同じように、緑の血しぶきが機体をまだらに染めていくまでの時間はほんのわずかであった。

 葉月の大きな瞳から涙が止まらなくなっている。

(ねぇ、何であなたは笑っているの?ねぇ、何で側に行くと消えちゃうの?)

 葉月は自分が何で泣いているのかももうわからない。青年の幻を追いながら本能に突き動かされるままに戦いの快楽に身をゆだねていたのだった。

「へぇ、僕たちみたいな奴がいたんだ」

ヴィラは葉月の機体制動の技術を目のあたりにし、静かに驚きの声を上げた。

他のパイロットも目をらんらんと輝かせ、攻撃の際に瞬時も油断がないが、彼女の動きだけは全くの別物であった。

葉月は点在している岩陰のあちらこちらに動く影を見るや、その影を数秒で踏みしだいている。妖精の一匹は葉月の機体の背中からからみついたが、バーニアを逆噴射させ背中から側壁にぶつかっていった動きに離れる間もなく、岩壁と機体の間でその屍を小間切れ肉と化していった。

「あの子ばかりずるいよ、僕も虫殺したいよ、ねぇ、君の仲間に入れてよぉ!」

 機体識別番号ナンバーフォーの少年ランディが虫と葉月の間に飛び込み、彼女の機体の動きを妨げた。

 葉月は無言でその機体のコクピットに近距離からライフルを撃ち込んだ。

「ぎゃぁ!」

高温に熱せられた弾丸が柔らかい木の肌を剥くように装甲板を引きはがした。瞬時に少年の身体は蒸気となってこの世から消えた。

「私の邪魔をしないで」

 ランディの機体は膝から崩れ落ちるように地面に倒れていった。葉月は彼の機体からライフルを奪うと、自機の背中に素早く装着させた。

「クールだ……」

 その様子をモニターで見ていたヴィラは興奮のあまり、よだれをだらだらと垂らしながら失禁した。黄色い液体が彼の履いていたパイロットブーツを濡らしていった。

「ナンバーエイト葉月、何があった、ナンバーフォーはどうした、報告せよ!」

「うるさい!」

 通信司令室からのよびかけに葉月は怒声とスラングで返し、通信を遮断した。同じパイロットの少女ジャニスはそのあざやかすぎる動きに強い嫉妬をおぼえた。

「何でみんなはあの子ばかり見ているのよ!だから、パパからのプレゼントがもらえなくなるんじゃない!ふざけないでよ、私はいつもそれを待っているんだから!」

 ジャニスのライフルの照準が葉月の機体を中心にとらえた。

「ベッドで一緒に寝てあげるからね!私も色々知っているのよ、だって大好きなパパから教わったんだもん」

 彼女がトリガーを引こうとした時、もう葉月のMAOは照準内から消えていた。

「どこ?どこにいったのよ!あっわかったわ、かくれんぼね、私も好き……いいわ、飽きるまで一緒に遊んであげる」

 葉月はナパーム弾の発した火炎が燃えさかる中を、虫の頭を潰しながら穴の奥へ奥へと突入していく。

(行かないで……ねぇ、待って、待って……私を置いていかないで……)

 葉月の心は風に飛ばされていく蜘蛛の子のように見えない糸を何かに結びつけようと苦悩し続けた。


(六)


ウィルとユキザネは収容所内の高い灰色の塀に囲まれた中庭にいる。そして、その一番東端、芝生が申し訳ない程度に生えた広いとはいえない一角に、たった二人だけで並んで座っていた。

 ユキザネは空を見ながら無心で芝の葉先をむしっている。レイクレイ基地からほどなく離れたその収容所は、元々州の刑務所だったところを利用したものである。ここに入れられていた男達は一部を除き、減刑を約束に既に最前線に出兵、その許されざる命を散らしていた。

「みんな、どこに行ったのかなぁ」

 ユキザネは白く光りながら流れてゆく雲を見上げ言った。

「知らね……」

ウィルは膝を両手で抱えながら呆然と聞いている。

「葉月、大丈夫かなぁ」

「わからね……」

「いつまでここに入れられてるのかなぁ」

「知らね……」

「ちっきしょう!ここに猫があったらなぁ、すぐに逃げるのになぁ」

「猫どころか野良猫もいねぇよ、高圧電気柵であの世行きだ……俺は寝る……」

ウィルはそう言うとその場でごろりと横になった。

このような監禁状態での日常が、もう一月めを迎えようとしている。


突然、空気のゆらめきをユキザネは感じた。自分たち二人をのぞいて誰もいないはずの中庭に人の気配があった。

「ウィル!」

 すぐに横になっているウィルを起こそうと声をかけ肩に手を添えた。

「うるせぇなぁ」

 ウィルは面倒くさそうに手を払いのけた。

(誰かいる……)

 顔を上げると、裸の少女が中庭の真ん中で、荒地に咲く一本の野ばらのように陽炎の中に佇んでいた。見た目や受ける印象は少し変わっていたが、まぎれもなくシベリア基地の虫の群れの中にいたあの蝶の羽根をもつ少女であった。

小猫のような大きな瞳で何かを訴えかけるよう、ユキザネをじっと見つめている。

(私、ずっとさがしていたの……)

 ユキザネの頭の中に少女の無感情な声が突き刺すように響いた。少女の身体は時折透け、実体がそこにはないように見えた。

「痛っ!」

ユキザネは痛みだした自分のこめかみを押さえ、その少女をぐっとにらんだ。

「お前は誰だ!」

(あなたをずっとさがしていたのよ)

「さがしていた?僕を……」

(あなたは私たちの一族になるべき資格を主より授けられた……美しい花として)

「ふざけんなよ、お前何なんだ!」

(あなたは下等な生き物のふりをすることはないのよ、そしてあなたは私の……)

「やめろ!」

(もうすぐお友達がみんなであなたを迎えに来てくれる……だからここで待っていて、あの続きをはじめましょう)

「あの続き?」

 小さく笑うと少女は太陽の光の中に溶けるように消えた。

白昼夢ではない、なぜなら塀の上に見える隣の建物の壁に蠅の頭をもつ幼児が三人貼り付き、じっとユキザネの動きを観察している様子が見えたからである。

「蠅……あの続き……ってまさか?!ウィル!大変だ!起きて!起きてよ!」

 飛びつくように寝ていたウィルの上にのっかり、彼の頬を力いっぱいつねり上げた。

「何だよ!いいかげんにしないと!」

「虫だ!虫がここに来るよ!」

「まさか、こんな収容所に?へへっ、寝ぼけんなよ、シベリアの夢でも見たんじゃねぇの」

 ウィルは強ばったユキザネの額をパチンと二本の指ではじいた。

「違うんだ!聞いてよ、ウィル!」

 その時、収容所のサイレンが破滅の序曲の金管ファンファーレをけたたましく鳴らした。

上空を赤い大きな火の玉が尾を引きながら横切り、鼓膜が破れるかと思うほどの落下音と地響きが辺りに轟いた。

「ここにいちゃだめだ!」

「えっ?」

ウィルは轟音と振動の意味が全く理解できなかった。彼は地下から聞こえてくる異様な連続音を耳にして、自分がどのような状況に陥ったのか必死に把握しようと努めた。

「おぉっと、何だぁ」

よろめいたウィルの腕を、ユキザネは小さな手でしっかりとつかみ、足下を揺れの為に何度もすくわれそうになりながらも建物の中に飛びこんだ。

「『ボルボックス』が落ちてきたんだ、多分、軍の迎撃が間に合わなかったのかもしれない……多分、一斉に襲ってきたんだ」

「何かを合図にか?俺たち、運が悪すぎらぁ、ったくよぉ!」

既に建物の中は非常警告灯が血のようにくすんだ赤い光を明滅させている。まっすぐな廊下の先には、収監者の逃亡を防ぐための鉄の柵が、彼らを自由の身にはさせまいとしっかりと床面まで下りている。

 二人は、さっきまで自分のいた戸外から、戦場で聞き慣れたあの不快な鳴き声を耳にした。

「パックだよ、ウィル!」

「畜生!監視カメラで見えているんだろ!早くここを開けろ!この糞野郎!」

 ウィルは鉄柵を握った両の手を何度も左右に力強く揺らした。


一方、職員は、外部映像に映し出される虫の群れを見て、この収容所があまりに無防備であることを知った。それぞれがあらん限り外部との緊急連絡を発信するのに夢中で、収容所の片隅にいるウィルの罵声が耳に入ることはなかった。

肝心の機動騎兵隊『エリュシオン』は、今アリゾナの北方の作戦に従事している。

「こちら、ウィック収容所、突然、地中から出現した虫による攻撃を現在受けている、至急救援を求む、レイクレイ!レイクレイ!」

 亜細亜や欧州基地などからの応答はすぐに飛びこんできたが、頼みのレイクレイ基地からの応答は途絶えている。

応答のできない理由は、同時刻、頑強を誇るレイクレイ基地の地下の至る所に虫が侵入を開始していたのだ。そんな由を一介の生餌になることが約束されたも同然の状況にいる施設職員がわかるはずもない。

コンクリート製の建物の壁は、何匹もの妖精の爪によって粉塵を動脈からほとばしる血のように巻き上げながらあっけなくはがされていった。天井が破壊され、部屋の中に逃げ場を失った職員たちの身体は硬直し、そこから一歩も動けなくなっていた。

彼らはその両の目を大きく見開いたまま、叫び声を上げる間もなく身体を掴まれ順に頭から喰われていった。

「何やってるんだ、早く逃げるんだ!」

 ウィルの声は哀れな人間の姿をした羊の群れに届くことはなく、建物の破壊音にかき消されていった。

妖精の食欲は満たされることはなく、次の獲物を狙い、人体という小さな食物を奪い合うため互いの首筋にその鋭い爪を突き立てている。

「ウィル、見える、あそこ……」

 流れる霧の隙間から顔をのぞかせる下山道のように、表の世界へと通じる道がユキザネの視界の中に一瞬だけ見えた。厚い煙のベールに二人の身体が包まれていることが幸いした。嗅覚を頼りにしているであろう妖精は肉塊と化した職員の身体を貪るのに夢中になっている。

「アキ、怖くないのか?」

「少しだけ怖い……」

その正直な返事を聞いて、ウィルは小さく笑った。

「俺もだよ、俺たちはそうでなくっちゃな」

 妖精の一匹は二人の匂いに気付いた。狂ったようにがれきを吹き飛ばしながら、その後を執拗に追ってくる。収容所を飛び出した二人の前に職員の車が整然と並んでいた。

「使えるのはないか」

 自分たちが逃げてきた方向に神経を傾けながら、駐車された車の中をのぞき込んだ。

「あった、これ鍵が開いているよ!」

「だめだ!間に合わねぇ、こっちだ!」

 ユキザネの腕をとり、近くの灌木の中に飛び込むと、じっと息を潜めた。

「俺達の匂いだけは……消せねぇよな」

 ウィルはぽつりとつぶやいた。

 妖精の狂躁状態は尚も続いている。その醜い右手には首のもげた人間の身体がしっかりと握られていた。

「いいか、お前は隙を見て逃げろよ」

「!」

ウィルの突然の言葉にユキザネは驚愕した。

「じゃぁな!」

 ウィルの顔にかすかな笑みが浮かんだ。その時ウィルは河井やならず者部隊の兵士らが最後に自分達に託してくれた気持ちを痛い程思い出していた。

(河井隊長……プラント大尉……僕は……僕がしなくてはいけないことにやっと気が付きました、アキは俺が守ります)

 辺りは血の臭いがむせかえるように充ち満ちている。

 ユキザネの返事を待つことなく、樹木がまばらに立っている方向へ向かって、ウィルはわざと目立つように大声を上げながら茂みを飛び出した。

その後を巨大な影が煙の中から踊り出てウィルの姿を追っていった。

「ウィルだけにそんな勝手なことは絶対にさせないから」

 ユキザネは迷うことなく周囲に警戒しながら、途中で見た車列へと走った。

(動きそうなのは……)

 他の車内をのぞき込むが、全て防犯装置が付いておりエンジンをかけることは、この状況で不可能であった。ふと見ると大型RV車に隠れるようにして一台の青色をした古いスクーターが止まっている。普段、職員が施設巡視用に使用している物であったのであろう、丁寧に革製ホルダーの付いたキーが差し込まれたままになっていた。

ユキザネは、キーを回し、セルスイッチを押した。


荒い息を吐きながら、ウィルは収容所に隣接している公園内を無防備の状態で駆けている。

(そうは言っても頭から喰われるのは勘弁してほしいよな)

木々が一時的なカモフラージュになっているために、何とかしのいでいるが、妖精との距離はじりじりと縮められていた。

「俺はいつもこんな役回りだ!」

小さな窪地に落ち込むように続く坂道を転がるようにして走り抜けていく。突然目の前に、大きな樹木のようなものが日の光の中に浮かび上がった。

(木が動いた?)

 前方に目を向けたままウィルの自慢の足は硬直した。もう一匹の妖精が罠に陥る獲物を窪地の底でじっと待ち構えているのが見えた。

(まずいでしょ、これって……)

 ウィルの耳にクラクションのつんざくような音が飛び込んだ。

「ウィル!」

 ユキザネはスクーターのシートから半分腰を浮かせた姿勢で、目一杯声を張り上げた。スクーターは妖精の脇をすり抜け、芝に覆われた斜面を滑りながら、ウィルの側に近付いていく。

 二匹の妖精は、細かく動き回る獲物にいつ食らい付こうかと獣のように腰を低くしながら、じっとその様子を伺っている。

「馬鹿野郎!」

「何言ってるんだい!助けに来たんじゃないか!」

「違う、もっと馬力のあんの持ってこいよ!」

「これしかなかったんだよ!」

「お前にしちゃ上出来か!」

「馬鹿!」

 にやけ顔のウィルが車体に取り付くや、ふくれっ面のユキザネはリアシートに飛び移った。スロットルを全開にしたスクーターは後輪を軽くスリップさせた後、一気に走り出した。

 その瞬間、二匹の妖精は左右から同時に飛びかかった。しかし、鋭い爪は空を切り、近くの街路樹をその勢いごとなぎ倒しただけであった。

「もっとスピードは上がらねぇのか!」

「ウィルが降りたら早くなるよ!」

「うるせぇ!」

 公園の出口を飛び出し、交差点にさしかかるとウィルは左側に大きくハンドルを切った。避難命令が発令された後の人気のいない道の先には、煙で霞んだレイクレイ基地が見える。

「何で街に行かないの?」

「はぁ?このまま二匹のオマケ付けて、民間人の所に行くのか?」

「そ、そうだね」

 妖精は、尚も執拗に二人を追ってくる。

「基地に行って、また捕まったらどうするの?」

「何だお前、脱走したつもりでいたのかぁ?」

「えぇっ!?駄目だったの?」

 ウィルは急に真顔になり、一言言った。

「俺は、何か武器を奪う……それで奴らを……」

 その言葉を聞いて、ユキザネの顔が輝いた。

「なら、僕は『猫』を拾うよ!」

「みんな遠くに出張中じゃないか?」

「そうなの?」

 走行風が二人の頬と髪をなでる。

コンクリートの粉塵と硝煙の混ざった臭い、二人にとってその臭いはなぜか懐かしさを感じさせた。


 切り裂かれた空気分子の奏でる唸りが近付いた瞬間、それは一気に大きな爆発音と化した。

「砲弾か?」

 数発の命中した弾は,二匹のおぞましい姿の妖精「パック」を後方に吹き飛ばした。二匹とも首から胸にかけて引き裂かれた部分からおびただしい緑色の液体を吹きだし,狂ったように手足をばたつかせている。

 ウィルは爆風によってバランスを崩されまいと両膝に力をこめ、ハンドリングに集中した。

「基地からの援護か、ありがたいぜ」

 確かに、今の砲弾は基地からの援護によるものであった。忙しなく移動する戦車隊のそれぞれの砲塔からまばゆい光が放たれる。その数秒後、弾が雨のように降ってきた。

「撃ちすぎだ!……でも基地はまだ生きているってことか」

「ううん、だめ、死んでるよ、ウィル」

 地下からの非常用脱出口が至る所に開かれ、その周辺では兵士や職員が蜜蜂のように慌ただしい動きを見せていた。基地ゲートの周辺では、青い顔をした職員らが這々の体で逃げ出したままの姿で力なく座り込んでいる。

「いったい、どうしたんだ?」

 ウィルはスクーターから飛ぶように降り、傍らにいる放心状態の女性職員に聞いた。

「虫が……虫が……」

「虫がどうしたんだ!」

「基地の中にいっぱい……出て……」

「MAO残っているのか?」

 わなわなと震える彼女の口からはもうそれ以上の言葉を出すことができないようであった。非常口から怪我人が次々と担架に乗せられ運び出されているのを見て、ウィルは、この広大な地下軍事基地が予断を許されない状況に陥っていることを悟った。すぐに地下の病室に軟禁されているであろう葉月のことが脳裏をよぎった。

「アキ!そこら辺に銃はないか」

「誰ももってないみたい、向こうの戦車のおじさんに借りてこようか?」

「ちっ!」

「あっ!待ってどこ行くの?」

「病室の葉月を迎えに行く、多分、まだ入院しているだろう」

「ちょうど良かった、僕も葉月に貸していたゲームを返してもらうの忘れてたんだ」

 ユキザネはにこりと笑うと、ウィルの横を素通りし、一番手前に開いた地下へ続く非常口に向かってもう駆けだしていた。

(七)


ウィルやユキザネのような少年が基地の中に侵入する行為は、自分の命を守る為だけに精一杯の職員にとり、さほど大きな問題ではなかった。すれ違う時にも誰一人止めようとする者はなく、二人が赤色灯の輝く非常階段を駆け下りていくのには大変好都合な状況であった。

「お前達どこに行く!」

 階段が「G五十A」と書かれた厚い鉄製の防火扉によって遮られてしまっている。横に開いた小さな出入り口の前にいた四人の兵士にようやく声をかけられた。

「俺たちは機動騎兵隊のパイロットです、出撃するように命じられました」

「ガキ、冗談はよせ、連中ならアリゾナあたりにいると聞いている、今頃ラスベガスのホテルで泡風呂に入ってるぜ」

「冗談じゃないけど……嘘も少し……むぐ……」

 ユキザネが答えようとするのを、ウィルは手でその口を押さえた。

「あっ、すいません、まだ候補生です、それよりこの下はどうなっているか教えてほしいんですけど、医療区の地下病棟に行きたいんです」

 兵士らは、ウィルの顔を見て本気だと思ったのだろう。

「地下の第八エリアから虫の群れが侵入した、各エリア隔壁が破られるのもまぁ時間の問題だ、自慢の地下基地も地中からのお客さんにはお手上げよ、患者はおきざりにされている可能性があるが、これではな……」

「おじさんたち以外の兵は?」

「俺たちは最終関門の番兵だな、さっきからこの中に飛び込みたくてうずうずしてんだけどな、そういう訳だ、ガキ、死にたくなかったら早く戻れ」

 兵士の一人は銃をウィルの腰に押しつけるようにして引き返すことを促した。

「俺たちも上官に命令されたんです、早く行かなければならないんで、そこを通していただけると助かります」

 黙っていた一番隅の兵士が急に笑い出した。

「行かせてやれよ、こいつらも命令されてりゃ仕方ねぇ、ガキが何人死のうがこれだけ逝っちまったら俺たちに関係ないだろう」

「ありがとうございます、それと、もしライフルの予備があったら貸してもらえますか」

「悪い、俺たちもこれだけが頼りなんでな、ガキにはこれがお似合いだ」

 兵士はそれぞれ腰のホルスターからハンドガンを取りだし、二人に手渡した。ウィルは、一丁をズボンのポケットにねじこむと、もう一丁を左手に持ち、安全装置をはずした。

「感謝致します。お名前をお聞かせ願いますか」

「右から糞テリー、糞サム、糞トマス、それで俺がコレッリ、豪州戦線の死に損ないよ、俺たちもここに飽きたら下りていくぜ」

「僕たちは……」

「ガキ、帰ってきたらゆっくり聞いてやるぜ、戻ってこいよ」

「ありがと!おじさん!僕たちはプラント大尉の部隊にいたんだ、ならず者のおじさんたちに豪州の風の城の話は聞かせてもらったことがあるよ」

 ユキザネが別れ際に小さく手を振って答えた。

「えっ、あのプラント大尉か……」

 プラントの名を聞くや兵士たちは一瞬真顔になり、すぐに今まで以上のあたたかな表情で二人の顔を懐かしそうに見つめた。そして、先に行こうとするウィルからハンドガンを取り上げ、持っていたアサルトライフルと弾倉をおもむろに手渡した。そして力強くウィルの目を見て言った。

「これはプラント大尉殿へ」

「あはは!こりゃたまげたぜ、小便ちびるな糞ガキ!ならず者プラントの名を絶対に汚すなよ」

「そうか、お前たちも俺達と同じ豪州の糞仲間か!」

 他の兵士も弾倉ベルトをはずし、ウィルに渡した。さらにハンドライトやリチウム電池を二人のポケットにありったけ詰めこんだ、ユキザネはされるがままにしていながら兵士の顔を見ると、どの目にもうっすらと涙が光っている。

「本当は一緒に行ってやりたいんだが……病室は第三エリア、地下格納庫は第七エリアにあるはずだ、出てすぐ右の非常通路を進んでいけ」

 ウィルとユキザネは四人の兵士に見送られながら、重い鉄製の扉をゆっくりと開けた。

「行くぞ、アキ!」

「うん!」


 暗闇が延々と続いている。風がごうと吹き上がる地下通路はまるで地獄へとつながっているかのような錯覚を二人に与えた。脱出経路を指し示す緑色をした非常灯だけがぼんやりと光る中、むっとした血の臭いが二人の鼻孔をくすぐる。

 ウィルは持っているハンドライトの明かりを扉が開いたままのナースステーションの奥に伸びていった。

「誰かいないのか」

 見ると、白衣姿の女性職員が一人背を向けたまま椅子にだらりとした恰好で座っていた。事務用机の上にある端末装置もそのままで、陽気なネズミのキャラクターがスクリーンセーバーの中でくるくると舞い踊っている。

「お姉ちゃん、大丈夫?」

「アキ、無駄だよ」

 ウィルはその様子から、その職員がもう既にこと切れていることに気が付いていた。二人は近くへ慎重に寄り、遺体を中心にその周囲をライトで浮かび上がらせた。

ゆがんだ表情を顔に刻み込んだその遺体は、腹部に穴がいくつも開いており、一瞥しただけで内臓を全て喰われていることがわかった。

「食べられたの?」

「うまそうには見えないけどな……」

 ウィルは端末装置で、葉月の入っている病室を検索したが、その名前はどこにも現れなかった。

「ここにはいないみたいだ……」

「どういうこと?」

「退院したか、他の医療施設に移されたか……」

「なら、まだ生きているってことだね、良かったぁ。」

「そうとわかれば、次は猫のところだ、一機でも残っていればいいんだが」

「ウィル、怖かったら僕が先に行こうか?」

「馬鹿言うな」

 部屋を出ると、二人のペースは一段とはやくなった。

しかし、それ以上に心の中では、これまでにないほどの勢いでもう一人の自分に急かされている。もう、他の部屋を見て回る余裕などはなかった。書類や物、そして逃げ遅れた職員の無残な遺体が散乱している廊下をひたすら進み続けた。

 通路の角に差し迫った時、人工的な赤く細い光の線が横に伸びているのが見えた。不定期にその線は空中を上下、左右とせわしなく移動している。

「アキ、ストップだ、これ以上進むなよ」

 先頭を歩いていたウィルは、ユキザネを軽く制止し、覗き込むことをせず、壁際に背中を押し当てながらじっと光跡を観察した。

「旧式のセントリーガン(自動追尾式歩哨銃)……ご丁寧に誰かが置いていきやがった」

「弾はまだあるの?」

「試してみる、耳ふさいどけよ」

 ウィルは足下に転がっていた紙を丸め、交差する通路の真ん中めがけて放り投げると、あっという間に広い廊下中、甲高い連続した発砲音と撮影用のフラッシュが一秒間に数百回たかれ続けたかのような白い空間と化した。

それが数秒続くと、また辺りは静まりかえり、遠くから避難誘導の自動アナウンスが小さく途切れて聞こえてきた。

「ここは、駄目だな、アキ、そこら辺から潜り込めるようなダクトはないか、ほら、映画とかで匍匐前進しながら行くようなところ」

「そんな都合のいいのはないよ」

「だろうな」

 ハンドライトの灯は暗い。

時折揺らすたび二人の影が伸縮する。

(緊急退避……緊急退避……)

 繰り返される暗闇からのアナウンス。

「あっ……」

 ユキザネが通路の奥から迫り来る物音に気付き、小さく叫んだ。

「お前はハンドガンの準備だ……絶対に通路を越えさせるな」

「うん、わかった、でも、もし越えたら?」

「逃げる、おっ、耳栓忘れてるぞ、俺の唾でもつけておいてやろうか?」

 緊張したユキザネの顔をウィルはそう言っておどけた表情でのぞき込んだ。


 にわかに物を掃き散らしたような音が大きくなり、ライトの照らし出した先に球体の固まりが沸く、同時に発狂した女性のようにセントリーガンの銃声が轟いた。

 廊下の中央がみるみると黒い球体の虫で膨れあがる。

「撃て!」

 全身を覆う虫の毛の一本まではっきりと見える位置にまで近付いた時、ウィルは恐怖という感情を荒い息づかいの中で無理矢理押さえ込みアサルトライフルの引き金を引いた。

二人は時間が立つごとに心の中を浸食する甘き「死」への誘惑に必死になって耐えた。

 何時間たったのだろうか、いやほんの数秒かもしれないとウィルは思った。

 セントリーガンの銃身が焼き付き,カラカラとした空虚であまりにも頼りのない音が辺りにこぼれた。

二人の手持ちの銃弾も既に尽きていた。

「アキ、下がれ、もたねぇ!」

 ウィルの声にユキザネは答えることなく、ひたすら、終わり無く迫り来る虫の群れに水滴のようなハンドガンの弾を浴びせ続けていた。

ウィルはユキザネの身体を後ろから抱えると脱兎の如く、その場から離れた。

「まだだよ!まだ、僕の弾はあるよ!」

「そんなのはわかってる、でもな!」

「悔しいんだよ、いつも……いつも、僕たち逃げてばかりじゃないか!」

 腕の中でユキザネはもがき暴れた。

「逃げてるんじゃねぇ、生きてんだ!」

 ウィルはそう言って、血のにじむ程、自分の下唇をぐっと噛みしめた。


 走っていった先の薄暗い廊下にいくつかのぼんやりとした人影が浮かんだ。姿やその装備の様子から先ほど階段の踊り場で出会った兵士であることに間違いはなかった。

「おじさんたち、来てくれたんだ!」

 ユキザネは、ウィルの腕の中を飛び出し、腕を大きく広げ、その兵士の方へ走り寄った。

「!」

 兵士の姿を間近で見たユキザネは息を呑むことさえも忘れた。

磯場で見かけるフナムシに似た甲殻をもつ掌大の虫がびっしりとその男らの身体全体を覆っていたのだ。黒々とした虫の隙間から時折、膿と血がはじけ飛んでいく。幽鬼の如く歩く兵士は、もう人というものから遙かに遠くなり、働き蟻に巣穴へと運ばれる単なる餌としてのみ、その存在が許された。

(何でみんな、そうやって死んじゃうんだよ……)

「だからお前は!」

 ウィルは、さっきと同じようにして呆然としたユキザネの身体を後ろからかい抱き、先の見えない廊下を走り続けた。

 波に似た虫の迫る音は、いつまでも消えることなく二人の後を追い続けていた。


それまで前方に吸い込まれていた細いライトの光跡が壁にぶつかり、目前に大きな円をぽかりと描いた。

「くそっ、ここも行き止まりか!迷っちまった……」

「ウィル、もう大丈夫、一人で走れるよ」

「世話かけんじゃねぇよ、ったく、あれ、お前ハンドガンどうした?」

「どっかで落としたみたい……」

「かぁーっ、やりきれないぜ、全くよぉ、まぁ、あってもなくてもここまできたら関係なさそうだしな」

 ユキザネの目に淡いオレンジ色の瞬きが目に入った。それは廊下の壁に埋め込んであるモニターのすぐにでも消え入りそうな光であった。

「何か書いているよ、ウィル」

 ウィルは飛びつくように壁に近付き、タッチパネルに映し出された文字へ目をやった。

「緊急、非常時のみに通電します……か、非常口か何かならいいけどな、まぁ最後の運試しだ、アキ、あまり離れるなよ」

「うん」

 口では強がりを言ってみたもののその実、ウィルの不安は頂点に達していた。彼にとっては珍しく慎重に、『解除』と書かれた箇所へ右手の人差し指を軽く添えた。

(ウィル、待ちくたびれたぜ、かわいい弟も一緒か?)

 耳の奥に豪州で戦死したドノバ兵長の優しい声が聞こえたような気がした。


(八)


 正面の壁が音をたてずにするすると開き、人が二人並んで歩けるくらいの入り口が現れた。

よどんだ空気に蝋燭の炎がほんの少しゆらめくほどの風が吹いた。その風に誘われるように二人はゆっくり、その残響の多い空間に足を踏み入れた。

「こんな広い所が、この地下にあったなんて……」

 計測機械やパイプ、配線などが壁や床にぎっしりと敷き詰められている様子を見て、ウィルはここが何かの実験場か何かだったのではないかと想像できた。

「あっ!」

 二人は夢から覚めた愚者のように目を大きく見開いた。ハンドライトの光跡の先に黒い大きな影を見たのだ。

「これは……」

「ウィル……猫(MAO)だよ……それも今まで見たことがない型だ」

「前に資料で見た軽騎兵一型に似ている、でも……」

 眼前の一機のMAOは、他の型式より華奢な印象を与えた。前頭部の長い索敵アンテナ、白い機体に不釣り合いな大きさの蒼いラインの入った背部可変ブースターと折りたたまれた翼。傍らにはスナイドルライフルを一回り小さくした武器が寄り添うように立ててあった。

「まだ、待避していなかったのか」

 突然、機体のそばから男の声が聞こえ、格納庫内のハロゲン灯がいくつか点灯した。

「少佐……」

 制服がちぎれ、少ない髪がこびりついた血で固まっていたもののウィルはすぐに気が付いた。山田少佐であった。

「大きい黒い方のお前はどこかで見たことがあるな……」

「特務兵ウィリアム・ボーナムです、この基地で高機動騎兵隊に所属していました」

「機動騎兵隊員なら、全員、別の作戦にあたっていたのではないか?」

「ウィル、まずいんじゃない?)

 ユキザネが小さく横で囁いた。

「ここまできたら隠したってしょうがないだろ、はい、不祥事を起こし、転属を命じられておりました」

「もしや、お前たちは河井小隊の……」

「はい、隣にいるのは同じくアキ・ユキザネ特務兵です」

 山田は人の運不運を信じない男ではあったが、この時だけは神の「奇跡」を目の当たりにしたような気がした。

そして一人大きくうなずいた。

「ウィリアム・ボーナム特務兵、そしてその小さいの」

「アキ・ユキザネです」

「顔は西洋人だが、日本人のような名前だな」

「はい、僕の最初の担当者は日本人と聞いています」

「オルファンホームの落とし子か、ウィリアム・ボーナム、アキ・ユキザネ両特務兵に新たな任務を命ずる、お前たちに、このMAO一型改『バステト』を託す」

「ええっ?」

「少佐、どうしてここにこんな新型があるのですか?」

 ユキザネがウィルの聞きたかった疑問を投げかけた。

「新たなシステムの実験機だ、ここの機動騎兵隊員を使ってな、だが、その者たちもここにはいない」

 そう言って気力が絶えたのか、山田は、がくりと膝を落とした。慌ててウィルが駆け寄り、腕を肩に抱えるようにして横から支えた。ユキザネも小さい身体をぴたりと山田に寄せた。

「どうして、避難されなかったのです」

「ふっ、誰も乗ることなく朽ちていくあの墓標をただ置いていくことに絶えられなかった、この機体を開発するのにどれだけのパイロットが犠牲になったことか……あ……あの、部屋に連れて行ってくれ」

 指さした方向の奥に強化ガラスで囲まれた調整室が見えた。

「少佐、一緒に脱出しましょう」

 ウィルの言葉に山田はうなずくことはなく、調整室に入ると真ん中の椅子にずり落ちるように座った。彼の服に出血のシミが浮かんでくる。

「少佐、一つお聞きしてよろしいでしょうか」

「何だ……」

「私たちと同じ部隊にいた『千早葉月』というパイロットをご存じですか」

「あの日本人の娘か……彼女ならMAOに既に乗っている」

 その答えを聞いてユキザネの顔が明るくなった。

「生きているのですね」

「ああ、しかし、人類のためとはいえ、彼女にはすまないことをしてしまった……」

 山田は一瞬まぶたを閉じた。

「なにをし……」

ウィルの質問を遮るように、強い衝撃音が発生した。

地上まで百メートルはあろうかと思われる高さにある天井が突き破られ、日の光が格納庫の奥まで差し入った。破片の一つがMAOに直撃し、機体が流されるように大きく横に吹き飛ばされた。

「妖精が嗅ぎつけたようだ、行け!」

「少佐!何を言っているのですか!」

 山田は反論するウィルの鼻先に、ハンドガンを突きつけた。

「小僧……上官の命令には逆らうな……」

 ユキザネは、目の奥に狂人が息を潜めているような彼の顔を見てぞっとした。

「はい!」

 二人の返事を聞いて、再び山田の表情が柔らかくなった。

「このMAOは今まで以上に扱いが難しい……最後にどうするかはお前たちに任せる」

 そして、山田は小さく微笑み、椅子をゆっくり回し背を向けた。

 ウィルとユキザネは、敬礼をすると後ろを振り向くことなく、新型のMAOに向かって駆けだした。二人が複座のコクピットにようやく着座した時、小さな調整室が虫の群れに飲み込まれていくのが見えた。

「アキ、操縦系統を俺に回せ!」

「ウィル、僕にやらせてくれる?」

 ウィルは、その言葉に少し目を見張ったが、すぐに答えた。

「ああ、やれ!好きなだけやってみろ!俺が攻撃をサポートしてやる」

「ありがとう、行くよ!」

 ブースターが一閃し、二人に強烈な圧力がかかった。長い眠りから覚めた神の名をもつ猫は、太陽のあたたかな光をそのなまめかしい肌で直に感じていた。

「ねぇ、ウィル」

「何だ?」

「どうして大人って先に死んじゃうのかな、あの人だって……」

「遊び疲れたんじゃないか……アキ、来たぞ!」


 地上に出たMAO『バステト』を待ち構えていたパック強力な爪を武器に、体当たりを試みていた。コクピットの半分を覆うフロントモニターのターゲットマーカーが目標の眉間で重なり停止をするのを確認すると、ユキザネはすぐに右スロットルのトリガーを引いた。

猫の右手に握られている改良型スナイドルライフルが火を噴き、パックの下半身を数秒のうちに消失させていた。

「ターゲット十五、行けるか!」

「うん!」

 動きが速い。

今までのシミュレーション上の機体とはまるで操作感覚が異なっていたことは、今し方まで味わっていた陰鬱な気を忘れさせユキザネに大きな驚きと喜びを感じさせた。

「地上の避難民に気を付けろよ!」

「うん、見えてる……でも、すごいよ……この猫……」

 エネルギー圧力値は、数値が低いまま安定している。ウィルはその秘められた機体のパワーに目を見張った。

「後方二!」

 大型ブースターのノズルがぎゅっと絞り込まれるように縮んだ。一瞬の圧力の中、空中をひねり飛ぶように移動しながら、目標の二匹のパックの口と、こめかみに弾丸を撃ち込んだ。妖精は断末魔の悲鳴をあげ緑色の汚物と変容を遂げた。

 ライフルの弾倉は空になるやすぐに排出され、上腕部に装備された次の弾倉を自動的に装填させた。

「左一!残すな!」

パックは、執拗に襲いかかるのを止めなかった。

「アキ!弾倉残り八!奴ら俺たちを囲むつもりだ」

「大丈夫……わかる、よくわかるんだ……この猫は僕の……友達だ……」

 ユキザネは左から襲いかかるパックに対し急速に機体を下げ、軽くかわすと背部から狙撃した。

「あと、十一!」

その時、モニターに警告表示が点滅した。

「何?」

 ウィルがモニターを望遠に切り替えると、ロシナンテ戦闘機と機動騎兵部隊が隊列を組んでこちらに近付いてくる様子が映し出された。


「僕たちの留守を襲うなんて、卑怯だと思わないか……ほら、あれはナンバーエイト葉月、お前が乗るはずだった機体だろ、だれか泥棒が入ったみたいだね、そんな子はお仕置きしなきゃ……操縦しているのは誰だ?あの役立たずの坊やとニガーか?」

「何で、ナンバーエイトのなのよ!あれは私のおもちゃじゃないの!」

 ユキザネらの機体に金切り声の通信が全周波数を使って飛び込んできた。その声を聞きウィルの背筋に悪寒が走った。

「アキ、奴らだ、奴らが戻ってきた!ターゲット照射受けてるぞ!」

 ユキザネは、モニターを流し見、もう一体のパックを建物ごと粉砕させていた。

「あんなのは違う、僕たちの……僕たちの機動騎兵隊じゃない……」

 パックの攻撃を避けながらユキザネは同じように上空の編隊に向けターゲットマーカーを点灯させた。

(僕はまだ遊び疲れてなんていない)

 ヴィラのMAOは、ロシナンテ上からユキザネの機体へ何の躊躇もなくライフルの弾丸を撃ち込んだ。ユキザネはスロットルを動かし、機体のバーニアを全開にしながら大きく回避した。

「お前たち、許さないからな!こんな、こんな味方どうしで戦うなんて!」

「味方?いつから、味方になった?俺は嫌いな奴は全て嫌いなんだよ」

 ユキザネの言葉にヴィラは鼻で笑った。

脛に備え付けたロケットポッドからミサイルがユキザネの機体に向け小蜘蛛を散らすように吹き出していく。ユキザネは、そのミサイルに向けライフルを乱射させた。金属の殻が太陽光にその光を託した後、黒煙がゆっくりと空を覆い尽くしていく。

 その黒煙にヴィラは一瞬視界を失った。

「ちっ!」

 ヴィラがレーダーを確認したコンマ数秒の間に、ユキザネは彼の機体の頭部モニターカメラをライフルで破壊していた。

「くぅっ!」

「あはははは、情けないのね、面白くておもらししちゃいそう!」

 ジャニスと呼ばれる少女の声であった。

輸送機から地上に降り立った彼女の機体から、手持ち用に改良された汎用型アームストロングキャノンが発射された。

排気熱で空気がゆらゆらとゆらめく。かろうじて避けた二機であったが、ロシナンテ輸送戦闘機とヴィラの機体の右腕が蒸発した。ヴィラの機体は空中から落下していった。

「なぁんだ、助かっちゃったの」

 残念そうにその少女は、肩を落とした。

「ヴィラの猫ちゃん、かわいそう、腕をなくしちゃったのね、これで夜にオンモにでれないのね、でも、ずっと今日は一緒にベッドで寝ようね、きゃはは……」

 その少女もユキザネの機体のスピードの速さにはまだ気付いていないようであった。

「えっ?」

 スナイドルライフルの鋭い銃身が、彼女の機体の頭部を真上から貫いた。ユキザネの乗った機体は空中から地上に滑り降りるようにして着地した。

「味方を撃つなんて……みんなを……みんなを馬鹿にするな……」

「アキ、落ち着け!」

 すぐそばのウィルの呼びかけにもユキザネは応じることなく、機体を左に旋回させた。

それを予想していたかの如く足下にミサイルが着弾した。その反動でユキザネの機体は大きくバランスを崩した。そこにさらに数発のミサイルが追い打ちをかけていく。

 ミサイルの飛来してきた方向を確認したユキザネは、そこではじめて大きく息を吐き出し、呆然とした。

「ウィル、ごめん、僕だめかもしれない……」

「何言ってるんだ!聞こえていたなら返事ぐらいしろよ!」

「だって、だって僕にはあの機体を撃てないよ!」

「どうした、アキ、何が撃てないって?」

 ユキザネが震えている。

二人だけのコクピットのモニターに悲しい声が響き渡る。

「私の大切な人……」

「!」

「何で……連れて行ってくれなかったの?」

 ウィルは、その聞き覚えのある声に度を失った。

「葉月……なのか……」

 ようやくユキザネの言っている意味をウィルがわかった時、漆黒に再塗装された、MAO二号機『サイベリアン』が、煙の間からユキザネ機の前を立ちふさがるように、その姿を現した。

ライフルを両腕に装備した葉月の『サイベリアン』は、ユキザネの乗る機体に激烈ともいえる攻撃を加えていく。廃墟になりつつあるレイクレイ基地の滑走路に光弾と化した弾丸が、貫く相手を求めて狂ったように飛び交った。

「ぐぅっ!」

 それでも『バステト』は機動性が功を奏し、ユキザネの右スロットルの反応に遅延することなく、背部の翼の形を模した姿勢制御装置を開かせると、空中に飛び上がった。しかし,その姿はいぶし出された虫であった。

「葉月!気付いて!僕だよ!」

 ユキザネの必死の問いに対し,葉月からの通信は沈黙を続けている。

『バステト』はすぐに地上に降り立つと,後進蛇行しながら小型ミサイルの追尾をいなした。行き場の見失ったミサイルの一発は、地上の避難民の集まったキャンプに着弾した。地下から避難し何とか生きながらえた人々にもその兵器は容赦なくあの世への誘い水となった。

「ウィル僕、僕……無理だ……もう撃てない」

「まだ弾倉は一つ残ってる!馬鹿!てめぇ!あきらめたらなぁ!う、うおぇっ!」

 ウィルが、急激な機体運動に絶えきれなくなって嘔吐したが、右手の袖ですぐに拭い思いっきりわめいた。

「きれいなコクピット汚しちまったじゃねぇか、アキ!負けたら、てめえに掃除させるからな!あれに乗っているのは葉月じゃねぇ!人形だ!」

「ううう……」

 『サイベリアン』に装着しているアームストロングキャノンの銃口が何万匹の蛍の群れが流れるように光のドレスをまとい始めた。

「アキ!キャノンだ!」

 右に避けるか左に避けるか、この至近距離では、たった一回のスロットルの判断でウィルとユキザネの肉体は機体ごと蒸発する。普段ではとらえきることのできない短い時間の中に,ユキザネの思考は目的地を見失った巡礼者のように錯綜した。

「左だ!」

 ブースターに直結するペダルを床にくい込むかと思う程ユキザネは踏み込んだ。

『バステト』のコクピット内のモニター全てが警告灯の赤い色で満ち溢れていく。葉月の操る『サイベリアン』を円の中心に、熱で膨張してできるねじれた空気の輪が砲塔から急速に広がった。爆風は空を思い切り揺らし、複雑に渦巻く気流が『バステト』を地上に叩き付けた。

しかし、次が来る。

ユキザネはすぐに首を横に幾度か大きく振ると、モニターに映る影を目で追った。

ユキザネの心臓の鼓動が徐々に高鳴っていく。

その間に葉月の機体はアームストロングキャノンの砲身を後方へ吹き飛ばすようにはずし、すぐにライフルを構え追撃の姿勢をとっていた。

「葉月は本当に僕たちを殺そうとしている……」

 ユキザネは、彼女が自分以上の尋常ではない戦闘能力をもっていることに、この状況下で嫉妬さえ感じていた。

「間に合え」

 自分に言い聞かせるように叫び、一つだけ残っていた弾薬カートリッジを自機のライフルに取り付けた。しかし、モニターには絶望への追い打ちをかけるかの如くエラー表示が慌ただしく点滅している。

「装着エラー?ウィル、どうしたら……」

 後部座席を映し出すモニターには衝撃によって壁にぶつけた頭の傷から大量に血を流して気を失っているウィルがいた。

「ウィル!」

 葉月の攻撃は後部シートのウィルに呼びかける暇を与えることはなく続く。

ユキザネの機体は格納庫の残骸の一部である鋼板を盾のようにし、飛び来る弾丸をかろうじて受け止めた。厚い鋼の板は大きな衝撃音を上げながら薄紙のように徐々に細かく裂かれていった。

「くぅっ!」

 ユキザネがこの世の生の終わりを感じた瞬間、葉月の攻撃が突然止んだ。


「全MAOは攻撃を中止せよ!繰り返す!全MAOは攻撃を中止せよ!」

 緊急通信がシートさえも揺するように響く。

「何が……?」

 はるか西の上空に重爆撃機が近付いていたことに,飛行音が聞こえるまでユキザネは全く気付かなかった。

レーダーに反応はない。最新ステルス搭載の新型爆撃機であることは明らかであった。

「アキ・ユキザネ元特務兵、スレイブスシステムに頼ることなく、贄のお前がここまでやるとはな、軍にとっても嬉しい誤算だ」

 通信モニターに映った顔を見て、ユキザネの心のかけらがまた地に墜ちた。

「シュミット……」

「久しぶりだな、やはりお前は特別な存在だ、機体の性能だけではないことが証明できる……これより機体及び生存者の回収を行う、活動可能な各MAOは、葉月機の停止地点へ移動!本時点をもってレイクレイ基地を放棄、敵掃討活動に移れ……タイムリミットは二時間、以降は堕天使(新型核爆弾)による滅菌処置をとる」

「どういうことなの?何でここに葉月がいるの?教えてよ!」

「聞こえたか、すぐに活動を停止させ、こちらの指示に従え」

 信じがたい事実の連続は、ユキザネの次の行動を見失わせるために十分であった。

「……キ……逃げ……ろ……」

「ウィル!」

 ウィルは、シートに上半身をあずけ、ようやく血の流れ込んでいない片目を開けてユキザネを静かに見つめている。

「ウィル!死んじゃうよ!血がこんなにいっぱい出てるじゃないか」

「逃げ……よう……」

「早く!病院に行かなきゃ!」

「お前も……葉月みたいに……なりたい……か?」

 葉月の『サイベリアン』はユキザネの『バステト』にライフルを向けたまま微動だにせず立っている。

「う、ううん」

「だ……ろ……?」

 ユキザネはこくりとうなずき正面の葉月機をじっとにらみ据えた。そして左スロットルを高出力モードのポジションに入れると、エンジンの圧力を臨界まで上昇させた。

涙こそうっすらと両目にためているが、もうこれからの運命への覚悟はとうにできていた。


その機体の動きの様子に気付いたシュミットはすぐにマイクをつかむと通信を入れた。

「停止だ、命令違反を犯す訳ではないな……アキ・ユキザネ……」

シュミットの言葉が終わるのを待たず、ユキザネは通信モニターを全てオフに切り替えた。

「行くよ、ウィル!僕が絶対にウィルを死なせない!だから、だから……」

 ブースターが金色の粒子をふりまいた。

翼を広げ飛行体制に入った『バステト』は、シュミットの乗る爆撃機を牽制するようにかすめ、その姿を一瞬のうちに成長する積乱雲の中へと消した。

「シュミット大尉、追撃命令を!」

 乗員らが一気にざわめき立つと、シュミットは顔をしかめた。

「『バステト』ロスト!ステルスシステム発動信号をキャッチしました」

 ユキザネ機の反応はレーダーから既に消えている。

「慌てることはない……奴らに逃げるところなんてありはしない……まずは限られた時間で、できるだけ虫の掃討作業を続けろ、爆撃予定範囲より絶対に広げるな、通信兵!極東基地に回線をまわせ」


 その光景を見ている者の中に、自機をユキザネに破壊されようやくコクピットから脱出を終えたヴィラや少女がいた。

「あ……あいつ、に、逃げやがった……畜生!」

「口ばかりの糞野郎は黙ってな、すぐにやられたくせに……」

 ジャニスがヴィラの方に向かって唾を吐いた。

「黙れビッチ!お前は堕天使に焼かれりゃいいんだ!」


 廃墟の中に残された葉月は『サイベリアン』のコクピットの中で、無表情のまま、ただじっと二人が消えていった空を見つめ続けていた。

「また……誰もいなくなった……どうして私は泣いているのだろう……」

 自分で意識することのない葉月の頬を涙が止めどとなくつたっていく。


 ユキザネの猫に美しい衣を与えてくれていた太陽の光は微笑みを雲と煙に遮られ、緑の多く残るこの地に二度と届くことはない。

数時間後には爆撃によって裂傷のようなクレーターへと、その様相を無残に変貌させていることであろう。人類にとって重要な地が、またひとつこの世界から消えることが約束された。


どうして猫は 小鳥と遊べないの

それはね 小鳥が逃げるから

どうして猫は 羽をもっていないの

それはね お空に飛んでいる小鳥を 

遊んで 殺してしまうから

どうして 猫はいつも眠るの

それはね 遠い静かな夢の中で

いっぱい お空へ飛びたいの






第二話 「死の塔」


(一)


わずかに天井近くの小窓に陽光が差し込む以外は冷たい金属の壁に囲まれた広い部屋。

その中心に置かれた椅子に、フランク少尉は一人座っていた。

「カスガを監視しろということですか」

フランクは、はっきりとした口調で監視管に返事をした。彼は表情を硬くし、目の前に座る自分よりも年若なその青年を見据えた。

「少尉、今、話したとおりだ、収容所からの脱走、『バステト』試作機の強奪、友軍の機動騎兵兵器MAOの破壊、一つだけでも十分、極刑に値する」

「だからって」

「君に反論する権限はない」

青年の隣に座っていた士官服をまとった西洋人は、強くフランクの言葉を遮った。会議室にその甲高い声が響く。

「脱走兵二人は、必ず何らかの形でカスガ特務兵と接触することが考えられる、もし、特務兵が彼らの誘いにのるような素振りまたは、怪しい行動をした場合はすぐに知らせたまえ、そして、少尉が脱走兵と直接接触できた場合は……」

「処分ですか……」

 フランクは指で拳銃の形をつくり、自分のこめかみに人差し指をあてた。

「事態は君の想像している以上だ……」

深刻そうに青年士官は腕を組んだ。しかし、目の奥にはありありと心の銃口を彼に向けている姿が浮かんでいた。

(こいつらは俺たちを何だと思っていやがる)

「フランク少尉、君たちはその他にもう一つ命令を与える」

 士官の後ろのパネルに旧式の二足歩行兵器が映しだされた。

「『シロガネ』改、君の隊の月形くんなら、懐かしく感じるのではないかね、君たちは、カスガ特務兵がナガノ基地に移動次第、東京湾岸京葉防衛ラインで戦闘車両部隊の護衛任務を命ずる」

(博物館級の兵器じゃないか……そこまで軍は逼迫した状況なのか)

 数世代前の小型の二足歩行兵器を見て、フランクは愕然とした。

「安心したまえ、『玉梓』システムは積んでいない、もし、積んでいたとしても、君たちのような年長者、元パイロットの月形にさえ、扱える代物ではないだろう、君たちは年をとりすぎた」

 そう言って笑う士官に、フランクは強い嫌悪感をもった。

「そして、君たちの小隊にもう一名加わることになった、君も会ったことがある人物だ」

「誰です?」

「安心したまえ、それでも連合軍公認パイロットだよ」

 士官は、フランクにその人物の画像を見せた。

「何で……」

 フランクは絶句した。

 たしかにパネルに映しだされていた人物はフランクがよく知る存在であった。


(二)


 戦況は、全ての兵器を投入する連合軍の必死の抵抗が功を奏し、当初、極東地域ではやや優勢に戦線を展開していた。

東京湾にそびえ立つ『死の塔』の周囲では連合軍が海上を封鎖し、これ以上生息域を広がらせないための戦いに日々明け暮れていた。しかし、長期化する戦いに物資や食糧の不足が重なり、そこで戦う兵士達一人一人の希望は次第に死の灰色に蝕まれていった。


試作機の訓練を終えたカスガ特務兵は、今、チトセ基地で戦場と異なる青い空を眺めている。

「ウィル、今頃何してるんだろうな……」

涼やかな風が吹いた。

その後を追うかのように、滑走路の芝生の向こうで、レイクレイで出会った木漏れ日の中で微笑んでいる葉月の幻影が吸い込まれるように消えていった。

「何、ぼけっとしてるんだ、また、いつもの考えごとか?」

月形が後ろから声をかけた。

「少尉」

カスガははっと驚き、月形の姿を見やると、自分の姿を恥じ、小さく敬礼をした手で頭をかいた。

カスガは東京湾の『死の塔』攻略作戦遂行のため、フランク小隊のパイロット数名と先月からこのチトセ基地で合流した。

それまでは、その中にジェシー曹長という陽気な男もいたが、バレンパン基地MAO開発工場群侵攻の際、その命を落としていた。

「そんなので、操縦ができるのか、明日は襲撃機『サザキ』をロールアウトさせる特別な日だろ?」

「は、はい」

格納庫から戦車や自走砲が引き出され、整然と並べられている光景が陽炎ごしに見えていた。

「命令とはいえ、嫌ではないのか」

カスガは月形の言っている意味がはじめわからなかった。

「何ですか?」

「本当は、河井たちの部隊に戻りたいんじゃないか?」

「今更やめてください、僕が自分で選んだ道ですから」

若者にありがちなカスガの答えを聞いて月形は声をたてて笑った。

「選んだ?違うな、たまたま運がそう仕向けただけだ」

 同じ部隊のフェネルもいつの間にか、側に来ていて二人の話に割り込んできた。

「フェネル曹長」

「まだ、お前が自分自身で考えられる頭を持っているのが嬉しいよ、そう、『運』だ……ほら」

フェネルはその向こうに見える戦車を指さして言った。

「あの寄せ集めの兵の何人がこの戦いの勝利を信じている?」

いったいフェネル曹長は何が言いたいのか、いつもの皮肉にしては辛らつだなとカスガは思った。

「最近つとに俺は人類が死に急いでいるようにしか見えなくなっている、だから最後くらいはな……」

「最後って……何言っているんですか」

「最後くらい、信じ合える連中と戦いたい、それが俺の正直な気持ちだ、もうお前にとっては、かなわない夢だがな……実はな……」

 フェネルが少し口ごもりながら何かを告げようとした。

「そういうことだ、カスガ、正直になるということは悪いことじゃない、むしろ正直になることで、本当の自分の行うことが見えてくる」

 月形は、フェネルの言葉を押し止め、カスガにそう言って笑いかけた。

(そうかもしれない、短い時間であったが、河井と共にいた時は緊張を強いられる戦場の中でも、何かを信じることができた、でも、今は命令のまま行動しているだけの自分がいる……でも、兵士はそういう自分の感情を捨てなければいけない……本当の自分の気持って……)

 カスガは悩んだ。

「三日後の作戦日まで、東京湾で俺たちがお前の露払いをしてやる、お前の搭乗する新兵器で少しだけでも俺たちに希望を感じさせてくれ」

フェネルはそう言って、カスガの肩を軽くたたき、背中を少し丸め、ゆっくりとした足取りで、パイロットルームのある建物へ去った。

「河井たちもお前の作戦の成功を祈っているはずだ……下界から、お前の活躍を楽しみにしている、頼むぞ、カスガ」

 月形は何事もなかったかのように、カスガの両肩をおさえた後、静かに立ち去っていった。


その後、フランク小隊は、司令室において新しいパイロットを紹介された。

「なぜ、あんたが……」

 月形もフェネルもフランクに紹介される新しいパイロットを見て、絶句した。

「グラ・シャロナです、よろしくお願いします」

 髪を短く切ったグラがフランクの横に立っていた。

 いつもの化粧をしていないことが、かえって彼女を若く見せた。


 その夜、カスガはナガノ基地への移動するための戦闘機の中で河井やプラントのいる部隊が壊滅したこと、レイクレイ基地が突然の虫の出現により消失したこと、ウィルが新型機を強奪したこと、同じ部隊だったミンやジョゼがシベリア上空で戦死したことなど、口の軽い同乗パイロットから直接聞いた。

「ウィルが……みんなも……」

(フェネル曹長も月形少尉も……もう知っていたんだ……もう誰もいないんだ、あの頃には……みんながいたあの頃には、二度と戻ることはないんだ……)


 『死の塔』への直接総攻撃まで、あと五十四時間と迫っていた。


(三)


作戦日当日、この方面を任されているシェンベルグ参謀が連合本部より受けた命令を実行した。「南房総半島及び伊豆半島に展開している部隊は『塔』に向けて攻撃前進」これは、決戦計画「オペレーションサムライ」に基づいた攻撃命令であった。

極東高機動騎兵部隊は、旧京葉ラインに沿って北から南に移動を開始した。

 ホーム出身の子供たちが搭乗する機動騎兵兵器MAOはこの地域には未だ配備されていない。既存の戦闘車両群が地上部隊の要であった。

フランクとフェネル、月形には特別に旧式二足歩行の兵器『シロガネ』改が貸与された。ほぼ、妖精と同じ大きさしかない小さな機体であったが、南極の英雄『月形』が『シロガネ』に搭乗するという噂を聞いた兵たちにとってはとても心強い存在であった。

だが、隊長のフランクも月形自身も過去の名声に頼る宣伝行為だけのために利用されていると知っていた。

「古い棺桶にしては上等じゃないか、月形」

「ああ、まさか、また乗るとは思わなかった……システム周りは違うが、コンソールは昔のままだ……」

 月形は、操縦桿を握りながらそうつぶやき、平和の維持ができなかったことを、昔の亡くなった戦友たちへ懺悔した。

「フェネル、月形、グラ、我々の任務は、カスガが来てくれるまでのあくまでも戦闘車両の護衛だ……不満だけは聞いてやるが、命令は守れ」

「了解、しかし、その命令は月形には酷ですね」

 フェネルの冷静な言葉にフランクは笑う。

「お前もだろ、フェネルよ……そしてグラ」

「了解」

 四機の『シロガネ』は破壊された建造物を利用しつつ、前進を始めた。

「少尉、あのことはカスガに?」

「カスガにか……言えなかったよ、あいつの目を見ていたらな……」

「天国の河井やジェシーも納得してくれるはずです」

援護を担う戦車や弾薬の数は極端に不足している。物資が少ない中での戦闘は当初から予想されていたことだが、あまりにもその状況はひどいものであった。

(どこの国も同じだとは言ってもな……まるであの時の南極のようだ)

 月形はパネルに映しだされた地図を拡大した。

 塔の地形図上には虫を示す赤い光点が地面の隙間を埋め尽くすほど点灯していた。

(葉月……あなただけを苦しめたくない……決して許してもらえるとは思えないけれど……これが私のできるつぐないなら……)

 流れていく照明の光に照らされながら、グラの搭乗する『シロガネ』は歩みを進めた。


(四)


「ミサイル、インパクト」

 通信兵の少し上ずった声のすぐ後、フランク少尉のヘルメット内のスピーカーに背中から頭上を通り過ぎるような轟音が伝わった。

「上手く当たれよ」

 ミサイルは次々と塔の中腹に着弾し、ビルの廃墟群で形成している岩盤の一部が、光の中ではじけ飛んだ。塔の中腹に何本も垂れ下がった細い体液が固まってできた枝の一本がゆっくりと地上へ落下していった。

「たりねぇよ、もったいぶらないで、もっと撃ち込みやがれ」

 数秒遅れて、ミサイルの第二波が塔の立ち上る黒煙の中に消えた。

「パック、ハムシの活動を確認、それぞれの部隊は計画通りに進行を開始せよ」

 四機の『シロガネ』を護衛にした戦闘車両部隊は、その命令を合図に前進を始めた。彼らの使命は敵を絶対防衛ライン、すなわち海岸線から一匹たりとも上陸させないことである。

「東部十四方面戦車隊はミハマ地区海岸線まで前進を許可、南部十七方面隊は百二十秒後に自走砲砲撃開始、クリハマ西部第八方面艦隊は、羽付きに備え航空部隊を展開させよ」

「了解」

 戦車の砲身は塔への照準をずらすことなく整然と空に伸び、初秋のまだ蒸し暑い風を受けていた。

「虫たちの野郎、もう修繕をおっぱじめてやがる、よっぽど、我が家が大事らしいな」

 徐々にモニターに敵の情報が詳細に映し出されていくのを見ながらフランクは言った。

「しょうがないだろ、あの塔は奴らの保育施設だ、見ろよ、パパが守るのに必死になってやがる」

 砲弾はさらに彼らの頭上を越えていった。次々と送り込まれているのを証明しているかのように爆発音も続いていく。

「パックの外壁部出現を多数確認、イーストエリアの奴はステッキ(プラズマ兵器)付きだ、各部隊オペレーションA五十三からB四十四ルートにすみやかに移行せよ」

 海面の至る所に蒸気爆発を伴った水柱が高々と上がった。

「とどかねぇ、とどかねぇよ、そんなんじゃ」

 塔から撃ち出されるプラズマ兵器の光跡を視認しながら、フランクはゆっくりと舌をなめずった。

 黒々とした太い蚊柱が塔の二倍くらいの高さまでうねりながら天へと伸びていった。

「来たぞ!全砲門開け!奴らを陸に上がらせるな」

 蚊柱の一部が幾筋にも分かれ、そのうちの一本が東部海上に浮かぶイージス艦隊の喉元を突き刺していくように向かっていった。


 第五十七イージス艦「つくばね」の桐野艦長は、虫の群れが予想していた通りの動きを見せたことに作戦成功への自信をもった。

そして、落ち着いた声ですぐに艦艇用近接防御火器システム「ファランクス三」と艦載砲Mod七の発砲を命じた。数秒の間をおいて狂乱状態のまま襲い来る虫の体が緑色の体液とともに空中ではじけ飛んだ。

「ステッキ付きを最優先で攻撃、ミサイルのコミュニケーション・リンクを常時確認せよ」

 一瞬の光の後、右舷前方の海面が大きく吹き上がり、艦が大きく左右に揺れた。パックの放ったプラズマ弾が海上に着弾したためであった。乗組員の数名の手の動きが止まった。

「そう簡単に当たるものか、奴らの武器にホーミングはついていない」

 艦長のその一言で、乗組員は我に返り自分たちが今やるべきことに集中した。


 一方、低い山が連なる三浦半島沖の空母の甲板では、局地戦闘機『雷電八型』がカタパルトへの移動を開始していた。

「思いっきり撃っていいんだぁ、はは……僕……楽しみだなぁ……」

「あの大きな塔の中には、コースターは通っているの?」

「七歳以下の子供は一人じゃ乗せてもらえないって、私は大丈夫だよ」

この戦闘機にはMAO搭乗にあぶれた少年たちが搭乗させられている。コクピットに座るパイロットは、ただ一人をのぞいては全て十二、三才くらいの子供たちであった。

その子供たちの通信が飛び交いはじめた。

飴のように曲がった赤錆びた鉄骨が地面から何本も不格好な十字架のように突き出している光景が広がる。幾多の爆撃によりこの区域の市街地はほぼ壊滅していた。

「ああ、すごくきれいだ」

モニター上の塔にヒカリゴケのような群生がちりばめられている。戦闘機に乗る少年はその一つ一つが小さく小刻みに震えているように見えた。

「まだお休みの最中だね」

その時、指令本部から通信が入った。

「まもなくシステムを作動させる、生命維持装置の最終チェックを」

「もうやってるよ、早くしてよ、待っているんだから」

「そうそう、また気持ちよくなりたいよ」

 戦場に向かう子供たちの声は明るかったが、スレイブスシステムの効用の為、どの子供も生きることに疲れ切った老人のように視点の合わない表情でぼんやりとしている。

「ここに何で蒼い絨毯が敷かれているんだろう……」

 一番はじめにカタパルトに載った少年は、じっと揺れ動く海面を見つめていた。

海、どこかでいつも見ていたような記憶もあるが、その先は薄暗い靄で包まれていた。

「『雷電』発進を許可する。」

 司令室からオペレーターの指示が飛んだ。

「うん、わかったよ、父さん、スズメバチには気を付けるよ、でも、今日はカブトムシ何匹とれるのかな……」

 少年は左手で掴んでいるエンジンスロットルレバーを、手前へ力を込め引いた。

轟音を残し、甲板から一機目の戦闘機がボウガンの矢のように戦場へ向かって撃ち出された。


カスガはナガノ基地の滑走路上に戦闘襲撃機『サザキ』に乗った状態で待機している。

大きな両翼には燃料タンク、胴体には大型の爆弾が装備されていた。

エンジンの振動がかすかにコクピットのカスガに伝わってくる。

「こっちでモニターはしている、出力の現状最大値のデータが、開発部から送られてこなかったのでわからないが、機体への過剰な要求はしないでくれ、仮にお前が失敗してもそいつに積んでいる宝石だけはやつらの塔に送り届けられるようにしている」

司令室からの通信にカスガは少し上の空で返事を返した。

(ウィル、お前もこうやって知らない機体に乗っているんだろうな……)

滑走路の誘導灯が赤色から緑に変わった。

「『サザキ』、離陸を許可する、幸運を」

「カスガ、『サザキ』発進します」

基地の誰もが、急速に離陸する戦闘機『サザキ』の速度にあらためて目を見張った。


(五)


東京湾に硝煙の幕が覆い、真昼の空は夕焼けのように赤く染まっていた。

塔から湧き出たハムシの群れの一端が、防空網を切り抜け、海岸線上空へと迫ってきていた。

「行くぜ、糞虫!」

フランク少尉の『シロガネ』が対空砲に迫り来るハムシに向け、スナイドルライフルを乱射した。ボールを打ち返すように、ハムシの身体は空中ではじかれ、数本の足を残したまま、海へ次々と重なるように落下していった。

「来い!来い!来い!」

フェネルも熱を帯びた弾倉カートリッジを付け替えると、HUDに投影されたハムシにマーカーをあわせトリガーを引いた。ライフルの上部から薬莢が水のように吹きだし続けていく。対空機銃も首をいやいやと振る赤子のように上空から向かってくる虫の群れに銃弾を贈っていた。

モニターに緊張している通信兵の顔が映しだされる。

「フランク少尉、パックさらに塔の北東部に多数出現しました、これもステッキ付きです」

「何匹来ても変わらねぇよ、海上の友軍はまだ健在か?」

「まだ、何とかもっています、三浦半島沖に展開している空母より戦闘機『雷電』が投入されました。」

「『雷電』?あのいかれたガキ共らの新型戦闘機か、カスガの『サザキ』は?」

「まだ補足中です、ナガノを離陸した情報は入っています」

 月形は『シロガネ』の操縦に慣れないグラを援護しつつ、正面から突入してくる虫へ射撃を続けた。

「フランク隊長、左の壁の方が厚くなってきている、展開の許可を願う」

「任せる」

「了解」

 月形は、他の兵士たちほど緊張というものを感じていない。

(最後まで俺のできることをやるまでだ……なぁ、みんな)

 月形の脳裏に昔の南極で若い命を散らせていった友人たちが笑っていた。

「『サザキ』捕捉、全部隊は攻撃を中断し、対衝撃体制に入れ」

 軍の一斉通信が、全部隊に通達された。


その時、カスガが搭乗する大きな翼を持つ『サザキ』が、塔直上の高々度でネオサーモバリックミサイル(新型燃料気化弾)を装填した巨大な容器の安全装置を解除し、静かに塔の中心部に照準をあわせていた。

(はずすな……失敗したらみんな死んでしまうんだ……)

拡大スコープを除きながら、カスガは自分にずっと言い聞かせていた。HUDディスプレイには『雷電』と呼ばれている局地戦闘機群が赤い点で表されているハムシや妖精と混戦をはじめていた。

(あの子たち、近すぎる……爆風に巻き込まれるじゃないか)

額から冷や汗がつと流れ落ち目に入った。つぶった眼の裏に笑っているウィルたち河井小隊の面々の顔がなぜか浮かんできた。


「楽しい、楽しいよ!」

 局地強襲専用に開発された戦闘機『雷電』のパイロットの少年は、発進前の無感情とは一転し、全員がゲームを楽しむかの如く、興奮の波に浮いていた。

 しかし、それが世界で一番美しく速く飛べる翼をもつものも、想像だにしない奇妙な雲霞の群れに飛び込むと哀れなものであるということをあらわしただけの結果となった。

「虫とり……楽し……」

『雷電』という昔の戦闘機の名前を冠した鋼の鳥の半数は上辺だけの笑いをつくろい、爆弾を卵のように大事に抱えたまま海上に墜ちていった。

そのうちの何機かは、自分の帰る巣であると見てとったのであろう、正確に母艦の上に刺さっていった。自軍による事故で頼みの綱である航空母艦が次々と炎上を始めた。


「スレイブスシステムに頼りすぎているから、もっと考えて立ち回らないと……」

グラ・シャロナは自分の機体を旋回させ、ハムシを撃墜していく。

(もう考えられないんだっけか……)

 グラの心臓の動悸が止まらない。身体に課せられ続ける急激な力が、ホーム出身とはいえブランクの分、彼女を生の限界へと導いていった。

 グラの『シロガネ』に迫る虫を月形は銃弾で粉砕していく。

「グラ……死ぬことならいつでもできる、だからこそ、死に急ぐな……」

 グラが礼を言う前に、月形の搭乗する『シロガネ』は、戦闘車両を攻撃する妖精の群れに突貫していった。


(六)


銀色の虫たちは当然のように無表情のまま死んでいく。

「こいつら、死ぬの恐くないのか?俺たちは何なんだよ」

 防衛し続ける兵士達は執拗に襲いかかるその数の多さに、この作戦の尋常ではない状況を身に染みて知った。兵士達は無駄口をたたく余裕さえもなくなり、自分の任務に対し逃げ込むようにして没頭せざるをえなかった。


兵士の尊い命が消えていくのをカスガはコクピットの中でじっと見つめていなければならない。

(僕は……)

カスガは口の中が乾くのが気になった。『サザキ』のコクピット内の空気を薄いとなぜか急に感じてきたからである。

(僕は……河井隊長……教えて下さい……)

 敵の赤い点がまた白い包帯に血が染みていくように塔の周りにじわじわと広がる。虫の群れは地の底からさらにその数を増やし始めていた。

(河井隊長……僕たちとはじめて会った時……不幸だ……と言いましたね)

 本部オペレーターから、確認の指示が飛ぶ。

(でも……僕は何が幸せか……何が不幸か……まだわからないんです、考えても……考えてもわからないんです……僕はどうすればいいか……助け……助けて下さい……河井隊長……お願いです……僕は……そんなに……)

「『サザキ』機カスガ、軌道通り、リミットだ、ネオサーモバリックミサイルの射出を許可する」

 カスガの脳裏に訓練所時代のウィルやジョゼ、ミンと戯れていた時が駆け巡った。

(カスガ、暗くなるなって、頑張れよ)

(カスガ、ジョゼとアイス食べない?)

(また、ウィルとカスガ……しっかりしてよね)

三人の生き生きとした顔が浮かんでは消えていく。

「僕は……そんなに……」

 地上の戦闘車両部隊は、移動しながら襲い来る妖精を撃破していた。

 あの雲の向こうにあいつはいるのだ。そう思うとフランクは心の底から安心することができた。フェネルも妖精に攻撃を加えながら同じように空を仰ぎ見た。

「撃てぇ!カスガぁ!」

 ここからでは聞こえるはずもないとわかってはいてもフランクは、煙で隠れている上空に向かって叫んだ。

 同じ大地にいるグラもキャノピーのガラス越しに何か感じ取った。

「来るのね……あの子……」


めまぐるしく下がっていくモニター上のカウントがゼロになった。

「僕はそんなに強い人間じゃないんだ……」

カスガは泣きながら作戦本部の指示通り、トリガーを引いた。

 機体から切り離された弾頭はすぐに秒速数千メートルの勢いで空気を切り裂き、中のガスが加圧沸騰しながら塔に蒸気雲の装飾を加えると、瞬きをする間に想像をはるかに超えた爆風が塔全体を包んでいった。

 爆風は生きとし生けるものの呼吸を一瞬のうちに止めていく。

 沿岸地帯に数十メートルの高波が押し寄せ、虫や戦車の残骸といった運命のけがれを全て引き受けるかのように飲み込んでいった。

 イージス艦も予想以上の力に対応できず、船体そのまま陸上のオブジェと化したものもあった。


「やったぞ!さすがカスガだ!なぁ、フェネ……」

 フェネル機との通信モニターが途絶えている。

 僚機のフェネルの機体は、自らのライフルを妖精の身体に貫通させたまま仰向けに倒れていた。コクピットからプラズマ兵器の直撃した黒い煙が細く立ち上っていた。

まわりの戦車数台も車体のほとんどが潰れた状態のまま、コンクリートの残骸の上に折り重なるようになって命の時を止めていた。

「お前ら……まだ寝るのには早すぎるじゃないか……なぁ……」

 フランク少尉は、もうフェネルの機体を見ることをせず、自分の隊の生き残ったと思われる兵士達に指示を出した。

「生き残った奴らに告ぐ、残党を掃討!爆風で奥まで飛ばされた虫もいるかもしれない、レーダーで確認後、各個撃破に作戦を移行する!」

もう勝負はついた。

皆、誰もがそう思った。が、そのやり遂げた脱力感にひたる時間はあまりにも少なかった。

自軍本部のオペレーターは、落ち着いた声で次のように全軍に伝えた。

「塔内部より敵反応多数、今まで以上の数だ、妖精タイプが七十九パーセント、作戦変更、各部隊の攻撃の続行を命ずる、明日未明に北米機動騎兵部隊が合流する、それまで各絶対防衛線を死守せよ」

『幸福なる状態において、その生命を終えた者のみを幸福と考えよ』という「アガメンノン」よりアイスキュロスの言葉がある。

 戦場にいる兵士は、自分たちの認識の甘さを痛感した。


「失敗……」

カスガは自分の行った行為とその結果に震えた。

冷や汗が体中に吹きだし、悪寒が終わりのない波のように繰り返されていく。背中から死者が自分を責める呪いの言葉を吐きかける錯覚から逃れようとしてもできない。一人心の中で必死になって耐える時間が永遠に続くかのように思われた。

「『サザキ』、基地へ帰還し、二回目の爆撃に備えよ、カスガ!聞こえているか?返事をしろ」

「は……い……」

 自分の身体がまるで別物の器のように感じながら、基地への帰還に向けたスロットル操作を行った。


(ねぇ、どうして……)

 カスガの頭の中に少女の声が響いた。

(ねぇ、どうして、そんなに戦うことが好きなの?)

「誰?」

(そんなに苦しかったらやめればいいのに)

 通信系統を確認しても何も反応は見られない。

少女の声はなおも続いていく。

(みんな、考えることをやめればいいのに)

「お前は……」

 成層圏に近い上空に漂う『サザキ』の前に、一人の少女が宙に映る幻灯の中にいた。

(家畜になればいいのよ、そのかわり大きくなるまで育ててあげるから)

「家畜……」

(心配することは何もないのよ……怖くなんてないわ、怖いのは最後のほんの一時だけ、でも、その後は何も感じない……永遠の安息が訪れるから……)

 レーダーには微かな反応さえもあらわれない。

 カスガは両翼に装着している小型ミサイルを発射した。

しかし、ミサイルは目標をすぐに見失い絡みながら落ち空中で自爆した。

(さがしているの……私の大切な人……大きな『お人形さん』に乗っていたわ、あなた……知らない?)

「誰、お前は誰なんだ……」

(あなたも私……みんなも私……はじめからみんな同じ……)

 バルカン砲も少女の身体を素通りしていく。

(もう少し……もう少しだけお友達が遊んでくれるみたい……でも、遊ぶだけよ、飽きたら終わりだからね……)

 少女が光の中に消えた。


「カスガ!聞こえているのか!こちらの指示に従え!」

 会話の終わりを告げるチャイムのように本部からの怒号まじりの通信が聞こえて来た。

「はい……帰投します……」

 自分はもう正気ではないのだ、カスガは自分の震えの止まらぬ手を見てそう実感した。




第五部「翼の猫」(中編)につづく


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