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猫と少年  作者: みみつきうさぎ
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第四部 凍土激戦

◆ 登 場 人 物 ◆


河井タケル          機動騎兵部隊小隊長 MAO第三型『リンクス』に搭乗 ホーム出身の四人の少年パイロットと共に、チトセ基地より機動騎兵特別部隊『デスペラード』に合流する

千早葉月           MAO第二型『サイベリアン』に搭乗機 機動騎兵特別部隊『デスペラード』に所属する 初期実験用操縦者として天才的な技能を有する

アキ・ユキザネ        河井小隊に新たに配属された十歳の少年

カスガ・ソメユキ       河井小隊に所属していた新型兵器の実験パイロット

ウィリアム・ボーナム     河井小隊に所属するホーム出身の少年

ミン・シャラット       河井小隊に所属するホーム出身の少女

ジョゼッタ・マリー      河井小隊に所属するホーム出身の少女

グラ・シャロナ        国際連合軍機動兵器システム統合部特別補佐官付

ゲオルグ・シュミット     国際連合軍機動兵器システム統合部特別補佐官

ジョン・プラント       機動騎兵特別部隊『デスペラード』隊長 階級は大尉

サラム・サイモン       国際連合軍技術開発部技術官 新型機の整備担当として『デスペラード隊』に合流

チェ・ソンド         『デスペラード』隊 戦車部隊長 階級は曹長

カシム・ゴンザレス      『デスペラード』隊 砲兵部隊長 階級は曹長

ジョアン・ペイス       『デスペラード』隊 通信兵 陽気な通信兵

ウォルフガング・オットー   『デスペラード』隊 整備兵 サイモンの良き部下

ピート・レジェップ      『デスペラード』隊 歩兵部隊所属 階級は伍長

ヴィラ・フェルナンデス    機動騎兵部隊『エリュシオン』の少年

ジャニス・メナン       機動騎兵部隊『エリュシオン』の少女

月形半平           国際連合軍機動兵器システム統合部欧州本部に所属

フランク・レスター      国際連合軍機動兵器システム統合部欧州本部に所属

ジェシー・ゴールドバック   国際連合軍機動兵器システム統合部欧州本部に所属

フェネル・フレデリカ     国際連合軍機動兵器システム統合部欧州本部に所属






第一話 「エリュシオン」


(一)


 白い壁に囲まれた部屋の中央に、投影パネル付きの円卓と椅子が並べてあるだけの場所、ここが月形たち教官に与えられた会議室であった。

 今、この部屋にいるのは静かに聖書を読むフェネルと月形の二名である。

(アキ・ユキザネ?)

 椅子に深く腰掛けていた月形は、携帯端末を操作しながら模擬戦闘データで突出した数値を出す子供に目をとめた。画面をクリックすると書類通りの十歳の青い目をした子供の微笑む画像が映しだされた。

(表情がある……珍しいな)

 ホームから訓練のために、ここ欧州支部のトレーニングセンターに送られてくる子供は一様に同じ表情であった。十歳前後の子供から年齢が下がるにつれ特に顕著な傾向であった。同僚のフランクは、目は見開いているが、死んだ魚のようなどんよりとした目をする子供たちを「チビのゴーレム」と言って嫌っている。

 入り口の扉が開くと同時に、同僚のジェシーが早口でスラングをまくし立てながら部屋に入ってきた。

「お払い箱だとさ」

 部屋に入るやいなや、缶コーヒーを抱えたジェシーは不満げな顔をしたまま月形の隣に座った。携帯端末を操作する月形は、軽く笑みを浮かべながらもデータ入力に余念がなかった。

「無視か」

「いや聞いているよ、これでいかれた子供を相手にした馬鹿な実験に付き合わなくてすむ、俺はこんな所にいたくはない」

「月形の言うとおりだ、むしろ俺たちは喜ぶべきだな」

 そう言うフェネルは読んでいた古びた聖書を机の上に置き、ジェシーの買ってきたコーヒーの缶を一本手に取った。

「俺たちのデータじゃもう役に立たないくらい、養成所の子供たちのスキルが上がったってことだ、見ろこのスコアを、後から配属された奴ほど、機動兵器との順応性が上がっている……気味が悪いほどな」

 月形はデータを打ち込み終えた端末をジェシーに渡した。

「なんだ、この馬鹿高い結果は!一桁違うんじゃねぇのか?」

 小さなパネルの数字を見てジェシーは舌を巻いた。

「頭の中、いじくられすぎてもう半分、人間じゃないってことだ、核兵器の使用といい、主は俺たちを許さないだろうな」

「もう許されていないだろう、世界中、でかいケツをした虫ばかりだ」

 真面目顔のフェネルに端末を手渡しながらジェシーはがっくりと肩を落とした。

「彼らの新しい部隊名を聞いたか?」

 フェネルはそう言いながらパネル上の数字を一瞥し、端末を月形へ戻した。

「いや」

 ジェシーが首を振る。

「『エリュシオン』、冥界の審判が統治する死後の楽園という意味だ」

「ガキなのに生きながらにして、既に死んじまっているということか、ああ、嫌だ、考え出した奴らこそ虫に喰われちまえばいいんだ、糞野郎どもめ」

 ジェシーの勢いよく開けた缶の飲み口から、コーヒーが飛び散った。

「そろそろフランクが戻ってくる」

 月形は、端末の電源を落とした。

「ここ切られたらどこに行くんだろうな……俺たち」

「もちろん楽園じゃない、地獄だろう、みんな死んじまったあの南極のような……だろ?」

 フェネルはジェシーの質問に答えながら月形を見た。

「忘れたよ……」

 月形は二人を見ずに、机上のコーヒー缶を手に取り、静かにふたを開けた。


(二)


 

 欧州本部のある西欧に人々が幸せに暮らしている小さな山沿いの街があった。その名を『シュヴァルツェンシュタット』という。

古い石畳の街道沿いに窓に花を飾った家が軒を連ね、街の中央にある泉は、万年雪を冠した山からの清水がこんこんと湧き出、旅人の渇いたのどを遥か昔から優しく潤し続けていた。

 この幸せの日々はあの時を境に白砂でできた城の石垣のようにあっけなく崩壊した。未確認生物の襲来ではない。近隣の都市からの避難民や他民族による蛮行であった。

 男は殺され、妙齢の女は性欲の餌食となっていった。時かけることなくこの残虐な行いにより、街の全てが焼かれ略奪された。暴徒と化した避難民は何もかも食い尽くす大量のバッタの大群のように次の街へと移り、煤で黒く汚れた街並みの跡と蛆のたかる腐乱した遺体だけが残った。

 この街で虫の犠牲になった者は一人も存在しない。

 泉の中央に立つ水瓶を持った顔の欠けた女神の石像は、街のうつろいと愚かな人間の行為を、皮肉にも薄ら笑みを浮かべて静かに見つめている。

『アキ・ユキザネ』と呼ばれる呪われし運命を背負わされた少年はこの街で生をうけた。が、父母から与えられたその本当の名を知る者はもう誰もいなかった。




(三)


 子どもたちは窓のない長い廊下に立たされ、正面の部屋の中から自分の名前が呼び出されるのを待っていた。

「ユキザネくん、何でこんなに操縦が上手くなったの?」

 パイロットスーツを兼ねた実験服を着る少女は、自分の前に立つ金髪の少年に話しかけた。

「分からない……でも、乗れば乗るほど、どんどん気持ちよくなっていくんだ」

 振り向くユキザネの返事を聞いた少女は醜く眉間に皺を寄せた。

「気持ちいい?私がこんなに苦しいのに?ずるい、ずるいよ」

 そう言って自分の抱えているヘルメットをユキザネの頭に振り上げた。周囲の子供に止める素振りを見せる者はいなかった。

 ユキザネは、軽く避け、バランスを崩した少女の首を掴み、身体ごと近くの固い金属製の壁に押し当てた。

「もっと、痛くなりたいの?僕はけんかをしたい気分じゃないんだ、女の子だからって許されるなんて昔話の中だけって習ったろう」

「ご……ごめん……なざい……許じで……ぐだざい……もう……じまぜ……」

 少女はがくりと力を抜き、持っていたヘルメットを床に落とした。

「謝ったね……それなら許してあげるよ」

 ユキザネは少女の首から手を放し、彼女が落としたヘルメットを拾い渡した。

「そいつ、いつも悪い子なんだから殺しちゃえよ、ユキザネくん」

「殺せ、殺せ、虫みたいにつぶしちゃえ」

 誰とも視線を合わすことのない周囲の子供たちは、小声でつぶやき続けているが、ユキザネは無視し、また前を向いた。

ロールアウトしたばかりの機動騎兵兵器に搭乗することが約束されているホームの子どもたちは、最終段階の訓練を終え、各配属地へ異動することとなっていた。

 部屋の正面に設置されたスピーカーから流れ出した声がユキザネの名前を告げた。

「入れ」

 中に入ると、正面の机にシュミットとグラ、そして訓練所関係者の軍人数名が机を隔てて、椅子に座っていた。

「こいつが例の少年か……」

 軍服姿のシュミットは興味深げにユキザネを見ていた。

「あいつらからも好かれているなんて、冗談みたいな話ね……でも、このかわいい顔ならそれも納得」

 グラは携帯端末のデータと、少年の顔を何度も見比べた。

「その通り、本当に集まってくるのです……間もなくここにも……」

 士官は説明しながら、嫌なものでも見るようにして顔をしかめた。

「アキ・ユキザネ、あなたの行き先はもう決定しています……シベリア『ティンダスク基地』……この場所に派遣するのはあなた一人となります、きょうの夕方には、私たちと同行してもらいます、後のことはこの課の責任者から聞いてください」

「了解しました、あの豪州戦線で活躍したデスペラード隊が配属されたところですね、でも随分遠い所に行っちゃったんですね」

 グラは、ユキザネが他の子供たちとは違う印象をもった、よく話すだけではなく、彼の目に特別な強い力を感じた。

「そこに僕の乗るMAOはあるのですか」

「ここで答えることはできません、それはあなたが配属された基地の偉い人に聞くことね」

「僕よりも上手く操縦できる人なんていませんよ」

 ユキザネはそう言って自信ありげに微笑んだ。

「あら、随分と天狗さんのようね」

「天狗?」

「東洋の怪物よ、あなたに必要な人たちが待っている場所、最後まで大切なことをみんなから教えてもらうことね……」

 そう言うグラの目は、ユキザネとは対照的に深い悲しみの色が浮かんだ。

「最後じゃありません、ここから始まるんですよ、ありがとうございます」

 ユキザネは自分の行き先を知り、終始、上機嫌であった。




(四)


 『タイガ』

 ロシア語で針葉樹林をあらわすその語感の通り、厳しい自然環境により近代まで人の手による開発を拒み続けてきた場所である。しかし、採掘や伐採の技術が高まった二十世紀に入りその範囲を徐々に狭めていった。

 モミやトウヒの木々によって太古より幾年もかけて描かれた景色。か弱い小動物達はいつか来るであろう再生の日を幹のうろの中で夢見ているに違いない。しかし、無常にもその枝の下には粉雪の積もる真っ直ぐに切り拓かれた道の跡だけ、柔肌に刻みこまれた手術の傷跡のように網の目に徐々に広がっていた。


 猛吹雪の中、二機のMAO三型『リンクス』が辺りを警戒しながら永久凍土の上に積もる雪に脚部を沈めつつゆっくりと東に向けて進んでいた。コクピット内の主なモニターは赤外線仕様に切り替えられており、外部カメラを通したモミの木だけが映るモノトーンの画面が目の前に大きく広がっている。

「落下地点まで二千五百メートル、中心地以外の熱源反応は感じられない、また樹木の密生が予想していたよりも高いため、予定到着時刻より三分二十秒遅くなる」

 河井の声に反応し、正面モニターの右隅にウィンドウが開くと、ペイス通信兵の顔が映った。

「状況了解、大尉が直接お前と話したいそうなので、回線を回すぞ、安心しろ、例の小言じゃあない」

 いつもの苦虫走ったプラント大尉の顔が入った。彼は昔から戦場の情報に関しては、自分の位置がそこから離れれば離れるほど自分の目や耳で確かめなくてはすまない性分である。

 しかし、尉官でありながら最前線に出るMAOに搭乗することに対し、さすがに司令部の中で問題となったのであろう。そのため大尉に昇進させ、事実上、彼の機体『サイベリアン』二号機は今、河井小隊のジョゼが主に乗っている。そのことで彼は最近まで大変不機嫌な日々が続き、部下にとっては大変気を遣う毎日であった。

「人工衛星の画像からすると、大気圏突入が可能な小型の殻だな、他の基地周辺でも同じような物が落下したという情報は入ってきている」

「形状に関してはウィルの『ロシナンテ』からも同様の報告を受けています」

「この荒れた天気だ、殻の空輸も陸輸もいかんともしがたい、その大きさであれば、オルベリーの時のような幼生体が糞つまった物かもしれない、猫からは絶対に降りるなよ、いいな、そっちのメガネの嬢ちゃんにも言っておけ、引き続き現地で監視を継続しろ」

「了解」

「それともう一つ、今し方なぁ連絡が極東本部からあった、カスガの代わりにお前の小隊にガキが明日付で一人配属される、詳しくは後で知らせる」

「了解」

ウィンドウが閉じ、背後の表の景色が再び前面に映し出された。

「ミン」

 すぐに変わりのウィンドウがモニターに開き、ヘルメットをかぶったミン・シャラットの顔が映った。

「はい」

「アンノウンの物体に対し虫が確認された時だけ攻撃だ、幼生体が潜んでいるかもしれない、機体からは降りるな、いいな」

「了解、私、寒いの苦手なんで、吹雪だし、ちょうどよかったです、でも、暖かい部屋の中のアイスは大好きですよ」

「私見は必要ない」

「ごめんなさい、了解しました、隊長」

 そうミンの答えを聞きながら河井は小さく笑った。

 ブリザードは全く収まる様子が無く、河井、ミン二人のMAOの機体は氷が貼り付き、全身白一色と化していた。

 樹木を左右に押し倒しながら、泳ぐように森に分け入る機体の前が急に開けた。焼けた黒い幹だけの樹木を円の輪郭に、直径五百メートル程の穴が数十メートルの深さとなって口を凍った大地に開いていた。中心部に見える物体はほんの少し顔をのぞかせた状態で地中にその容量の大部分を埋めたままとなっていた。

「猫より報告、物体の表面温度は低下し続けている、また、内部で虫の動き出す反応は確認できない」

「了解、引き続きデータを転送してくれ。分析が終わり次第、そちらに知らせる」

 ペイス通信士への連絡を終えようとした時、ミンの通信が割り込んだ。

「河井隊長、生体反応です」

 河井はすぐに、穴の底の物体に目を向けるが、異常は感じられない。

「どこだ?」

「穴の対岸です、これは……人間……子供のようです」

「子供?」

 モニターカメラを望遠に切り替えると、赤外線とサーモグラフィーで合成された映像の中に何かの姿が一瞬映った。

(小動物と誤認したか……?)

「あ、消えました」

 反応はすぐに消えた。河井はレーダーの出力を急いで上げてみたが、ウサギやキツネのような小動物の反応がぽつぽつと細かい赤い点によって捉えられたに過ぎなかった。

「隊長、今の人間でしたよね」

「間違いない、俺も確認した」

 風の音が一層激しくなっていった。

 暖国の人間は雪にロマンを求めている者が多いと聞く。青空の中きらきらと輝くパウダースノー、どこまでも歩いて行けそうな広大な雪原。誰もがそのイメージに事欠くことはないであろう。しかし、それはあたたかな家と食べていけるだけの物があればということである。

 ここシベリアに限らず雪国の冬はいつも薄暗くここで生活を営まねばならない人々を憂鬱な気分にさせる。それに輪をかけ正体不明の敵の存在は雪国に生きる者達のろうそくの火のような希望の明るさを吹き消していた。


(五)


 一夜明けて雪と風は嘘のように静まり、空には灰色の雲が低くたれ込めていた。クレーターの周囲には、後から到着した百四十ミリ迫撃砲がびっしりと並び寸部の動きも逃すまいと狙いを定めていた。底ではミンのMAOが殻の表面に計測装置をセットする作業に入り一時間を過ぎていた。人の指と全く同じように滑らかに動く鋼性の指を見て、兵士らは改めてその性能に一目をおいた。

「セット完了しました」

「よし、モニター開始だ」

 ミンの合図を受けたプラントの言葉により装置が作動しはじめる。そこにいるもの全員、固唾をのんでこれから起きるかもしれない事態を見守った。

 画像には、物体の形状や特徴が様々な方向から次々とスキャンされていった。

「小さな空洞があることはわかりましたが、何も入っていません」

 プラントは輸送ヘリの中で、兵士の報告を受けながらモニターの画像に見入っていた。

「卵か?」

「いえ、ただの外殻のようです、しかし……」

「早く言え」

「今は閉じていますが、物質の流動センサーには、子供が一人出ることができるくらいの隙間の痕跡があります」

「何か出て、閉じたということか」

「出たかどうかは、ここではわかりません、実際に残留物を採取して分析を行ってみないと」

「そうか」

右手の通信モニターのパネルスイッチを入れた。画面が分割されMAOの中で待機している河井とミンの顔が映った。

「ミンは落とし物を拾う前に周囲の地面の高解像度写真を撮っておけ、あんま踏むんじゃねぇぞ、それと、軍曹はすぐにここに来てくれ、機体はそのままでいい」

「了解」

MAOは軽い金属音を出し、その場に片膝をついた。河井は機体後頭部のコクピットカバーがスライドし終わるのを確かめると、すぐに機体からワイヤーオートロープを使い降りた。

「河井入ります」

「ご苦労、この画像、見たとおりただの殻だ、蟻一匹入っていねぇ、前世紀の『ツングースカ事件』の出来損ないかってところか」

「一九〇八年の大爆発ですね」

「お前も知っていたか、あの爆発の跡は蝶が羽を広げるような格好だったらしい、『むし』だとよ、面白い偶然だ、他にも南極の『アラン・ヒルズ』と同成分の指輪にもならねぇ『六方晶ダイヤモンド』のオマケ付きときた」

「南極……」

「俺たち人類の戦いはあの時から予約されていたんだろうな、そして、この殻……何かが間違いなくここから抜け出たとみる、お前はどう思う」

「大尉に同意します」

「そこで昨日、報告にあった例の話を詳しくもう一度聞かせてもらいたい、場合によっては、今度は雪の中で花火をしなきゃならねぇ」

 河井はプラントの求めに応じ、センサーに一時的に感知された内容についての説明を行った。その後、調査した結果、穴の周囲の雪の下のわずかに残る裸足の足跡が発見された。そこに子供のようなモノがいたことについて疑いをはさむ余地はなかった。


(六)


 こぼれそうになるほどのココアが入った紙コップを手にしたウィルがブリーフィングルームに機嫌良く入ってきた。コップを机の上に置いた瞬間、持っていた右手の親指が茶色く染まるほどかかった。

「あぢぃ!」

「ほんと騒がしいわね」

 ソファーに座っていたジョゼは後ろを向いたままテレビを見ている。最近の番組の内容は時々古い映画やあたりさわりのないドラマが再放送されているだけで、ほとんどが虫による各地の被害状況と行方不明者の名前が終わらないスタッフロールのように流れ続けている。ジョゼは自分の携帯端末にその情報を流し込む作業を行っていた。

「あれ、河井隊長やミンはまだ帰ってきてないの?」

「まだよ、空からのやっかい物の現地調査が続いているみたい、あっ、ちょっと、そこきちんと拭いときなさいよ、この前もあんたがよそ見してこぼしたところシミになってそのまま残っていたわ」

「わかったよ、うるせぇな、そんなガリガリ怒鳴るなって、真っ赤な唐辛子みたいだぜ、地上部隊は残業かぁ、ミンもあたりが悪かったなぁ。あれぇ葉月は?……ちょっとジョゼ無視するなって」

「さっき、二号機のコクピットでシミュレーター訓練をするって出て行った」

「あの子も熱心だねぇ、隊長といいカスガといい日本人ってのは昔からみんな熱心だねぇ、ここにいるのは俺とジョゼだけ、熱心じゃないねぇ」

 あきれてため息をつくジョゼを見ながらウィルはココアをおいしそうに飲んだ。

「飛んだ後のこいつはうまいねぇ」

「何くつろいでるの、すぐにまたスクランブルかかるかもしれないのよ」

「ジョゼみたいにいつもピリピリしてるの俺だめ、疲れるんだよねぇ、脳みそには甘いのが一番、女の子も俺にかけてくれる言葉も甘いのが一番、さしずめジョゼは期限切れのマスタードだな」

「ウィルお願い、あと五秒で私の前から消えてちょうだい」

 テレビの画面に今朝のクレーター跡の中継が入り、厚い防寒着を着たアナウンサーが深刻そうな声で現場の状況を説明していた。

「おっ、ミンの機体、映るんじゃないの?あっ、いたいた。かっこいいねぇ、大きな猫ちゃんは」

 もっと近くで見ようとウィルはテレビの前に駆け寄った。

 簡単な実況のあと、画面は、東京湾に新しくできつつある新たな『侵略生物の塔』のニュースに切り替わった。

「あれ、もう終わりかよ」

「何もない方がいいわよ」

「言われてみりゃそうだな、それにしても東京湾の塔はでかいなぁ、風の城の三倍はあるぜ……そう言えばプラント大尉が言ってた新入り、今日来るんだろ?」

「みたいね」

 答えながらもジョゼの目はニュースの画面をはずれることはない。

「男?女?あの豪州戦線にいた気が狂った子供じゃねぇよな」

「何で私がわかるのよ、あぁっ、ちょっとまたココアこぼしてるわ!」

「しっ……輸送機だぞ、この音は……」

ウィルは、自分自信でにぎやかな会話の時間を一時閉めた。

一機のMAO運搬用の大型輸送機がこのキャンプ基地の滑走路に雪煙を巻き上げながら着陸しようとしていた。


「うぉお寒いぞ、糞野郎!」

 突然二人のいるブリーフィングルームにチェ曹長とカシム曹長が灰色のコートを頭からすっぽりかぶった状態でドアを蹴破るかのような勢いで肩を並べ飛び込んできた。

「この寒さにはかなわねぇ、風の城の岩砂漠が懐かしいぜ」

「ブルート、てめぇの不甲斐なさで、こんな僻地に飛ばされてきたんじゃねぇのか」

そう言ってチェは大きなくしゃみをすると、近くのティッシュボックスから紙を取り出し垂れてきた鼻水をぬぐった。

「汚ねえな、てめぇ、今の言葉といい、俺の服に少しでもつけやがったら半殺しだ」

「何言ってる、糞野郎、お前が俺の髪にウィルス入りの唾をさんざんぶちかけやがったからこうなったんだろ!」

「何だとぉ!」

「ストップ!二人ともストップ!」

 はじめ驚いたまま様子を見ていたウィルであったが、険悪になりそうな状態にたまらず二人の間に割って入った。

「ぶぇっくしょん!」

 チェのくしゃみで飛んだ唾がウィルの顔にべたりとかかった。

 その悲しそうな顔を見て、カシムが腹をかかえて笑い出した。二人の口げんかもそこで止んだ。

「悪かったな小僧、ところでこんなところで何やってんだ、今日はもう飛ばないのか」

 チェはそう言って着ていたコートを脱ぐとソファーの背もたれにかけた。

「はい、プラント中尉から待機せよとの命令を受けていました」

「中尉じゃない、大尉だ、小僧」

「すいませんでした、ブル……いえ、カシム曹長」

「あん?今何か言おうとしたな」

「あ、ロシナンテの訓練の途中でした、すぐに戻ります」

 ウィルは飲みかけのココアの入ったコップをそのままに、自分のヘルメットのあごの部分をつかむと慌てて部屋から飛び出していった。

「ふふ、調子の良い野郎だぜ、なぁ、ブルート!」

 ブルートと呼ばれたカシム曹長の拳が大きな音を立ててチェの頭上に振り下ろされた。それを紙一重のところでかわし、自販機の方にすたすたと歩いていく。

「チェ、お前も口のへらねぇ野郎だ」

「お互い様だ、ほら、そこの赤毛の嬢ちゃんが、驚いてこっちを見てるぜ」

 ジョゼは二人のすれすれのやりとりをあきれた顔で見ていた。


「こんにちは、プラント大尉は在室しておりますか」

 ノックに続いて透明感のある甲高い声が扉の外から聞こえてきた。

「誰だ!」

 カシムが低くおどすような声で返事をした。

「失礼します」

 扉が開き、首の回りにふわふわした毛の付いたコートを着た十歳くらいの少年がにこにこ笑いながら一人で立っていた。

「あん、お前、どこのガキだ?ここは遠足の見学場所に入っていないぜ、てめぇの糞親はどこにいる?」

 ブルートことカシム曹長のその言葉の勢いに少年は少しだけ目を丸くしたが、すぐに姿勢を正して一礼後自己紹介を始めた。

「欧州司令部第一養成機関より本日付でプラント機動騎兵隊に配属されたアキ・ユキザネ特務兵です、この前までナンディ訓練所や豪州オルベリー基地にもいました、よろしくお願いします」

ジョゼもチェもぽかんと開いた口が塞がらなかった。

「お前か……例の新入りって?」

「はい、この部隊の為に命をかけて任務に取り組みます」

辛口のブルートでさえ、少年の言葉を聞いて言葉の勢いが急に弱まった。

「お前なぁ……命をかけてって意味わかるのかぁ?小便ひっかけるのとわけ違うんだぞ」

「カシム曹長、自走砲を扱わせれば世界一という噂を聞いています、そしてチェ曹長、豪州戦線では七七式戦車で多くの戦果をあげた英雄ですね、お二人はデスペラード隊の要です、そして……」

 少年は怪訝そうに見ているジョゼにも続けて話しかけた。

「ジョゼッタ・マリー特務兵、河井小隊で猫の初期パイロット、お会いできて光栄です」

 ユキザネという少年は微笑みながらジョゼを見ている。

「何、いい子のふりしてるの、子供がそうやって笑う時は何か悪いことを考えている時に使う手じゃないの」

「ここにいたの、勝手なことするんじゃないって言われてきたでしょ!」

 ユキザネの後ろの扉が開き、グラ・シャロナが入ってきた。

「グラさん、いつ戻ってきたんですか」

 ジョゼが思わず声を上げてソファーから立ち上がった。グラは一時、欧州本部に戻ったと人づてに聞いていた。

「今よ、今、この子が輸送機から先に飛び出してしまって、本当に困ったものだわ、冗談のきかない上司もいるっていうのに」

 グラは、ユキザネの小さな耳を引っ張りながらジョゼとの再会を喜んだ。

「お前みたいなはじけた姉ちゃんが戻ってくれるのは大歓迎だ」

「あら、カシム曹長、そのおひげが今日は特に黒光りして見えるわ、この金髪の子はあなた好み?」

そう言ってグラはユキザネを自分の正面に引き寄せた。

「この子が、これからあなたたちと任務を共にする『アキ・ユキザネ』特務兵、よろしく頼みますね」

 そう言い終える前にユキザネはグラの顔を見て、おもちゃをねだるような顔で質問をした。

「僕の乗るMAOはどこにあるのですか。」

「MAO?こいつもやっぱり例のいかれたガキの一人か?」

 チェは、グラに思わず聞き返した。グラは静かにこの場から離れようとするユキザネの腕を掴み、にこにことした表情で答えた。

「白いMAOの子たち?あそこまでいかれてはいないわ、時々生意気なことを言うけどね、落ちこぼれの河井小隊にはふさわしいと思うわ」

「私たち……落ちこぼれ……ですか」

 それを聞いたジョゼの表情が急に曇った。

「そう、いかれた大人や子供たちから見たらまぎれもなく落ちこぼれ、でも、優等生ばかりがこの世界をつくっているんじゃないわ、あなた方みたいな変わった子がいないとね、みんな疲れちゃうのよ」

 横で聞いていたチェはグラの返答を聞いて笑った。

「その通りだ、赤毛の嬢ちゃん、お前らの方が俺たち馬鹿の集まりの部隊にゃぴったりだ」

 チェにそう言われながらも、ジョゼは少し釈然としない顔でグラを見た。

「そうやってふくれるとあなたのかわいい顔も台無しよ、ウィルにも言われない?今は馬鹿にしているように聞こえるかもしれないけれど、いつかこの意味もわかるようになるわ……」

 グラはガラス窓を隔て、輸送ヘリが管理棟脇のポートに着陸していくのを目にした。

「プラント大尉が戻ってきたようねって……あら……」

 ユキザネの姿はその場からもう消えていた。

(七)


(トイレに行ったと言えば大丈夫だな)

 そう言い訳を思いつくや、ユキザネはすぐに行動に移していた。

 ほとんどの兵士が落下物の調査にかり出されていたせいか、廊下の奥へ行くほど、基地内の人の気配が薄れていった。

「まずは格納庫だ、MAOを早く見たかったんだよなぁ」

ユキザネは胸をわくわくさせながら、野太く低いエンジンのアイドリング音がする方向に足を向けた。音の出ている場所はすぐにわかった。ユキザネは雑談に興じている整備兵らの後ろをすりぬけ、二機のうち手前にある二号機のコクピットに潜り込むようにして座った。

「これこれ……うわぁ、練習したのと全く同じだ、かっこいいなぁ。ヘルメットは……まぁ、いいか」

 手慣れたようにユキザネは、すぐにシートの位置を一番前に固定させ、左右のスロットルを自分の小さな手で持ちやすい位置まで調整した。

「あれ?シミュレーションシステムにリンクしている、もう一機に誰が乗ってるんだろ?」

 シミュレーションシステムとは仮想空間の中でMAOを操縦することができる簡易訓練モードの一つである。圧力や振動こそないものの二機のパイロットの動きをそのまま連動させることができるいわば大きなテレビゲームのようなものであった。

サブモニターには、葉月が波状攻撃のパターン練習に取り組んでいる様子が映っていた。

「あれ?あの子……どこかで……まぁ、いいや」

 ユキザネは操縦している自分の姿が相手に見えないよう通信を音声だけに切り替えた。

「ばれちゃまずいもんな、あの子はスナイドルライフルとキャノン装備か、なら僕も同じのだ、アキ・ユキザネ入ります」

 葉月のミッションに、敵機として同型のMAOが追加されたアラートが流れた。

「誰だろう?」

『砂の城』戦域を再現した仮想空間の中で、葉月機のすぐ横をもう一機の二型機がぶつかるようにすり抜けていく。

「ジョゼ?ううん違う」

ジョゼは二型にまだ慣れていないせいか、特に曲がる時に左に重心を偏らせる癖がある。

ユキザネのMAOは大きくジャンプすると、葉月の機体を低い地形に追い詰めるようにして、ライフルを掃射した。

「これはタケルくん……違う、ウィル……ミンでもない……誰?」

 あまりにも直情した攻撃方法であった。相手のコクピットからの映像は遮断されていたが、葉月は通信回線を開いた。

「こちら千早葉月です、貴機のパイロットコードを教えて下さい」

 返事がない。弾の降る中をかわしていると、いつの間にか背後に回っていた相手の機体がアームストロングキャノンを近距離から突然放った。

「あっ……」

 葉月は無意識のうちに回避行動をとり、かろうじて肩の装甲版の一部を焼いただけの被害にとどめた。

 ユキザネは興奮した。

「すごいよ、あんな動きができるなんて、今までの僕の友達でもよけることはできなかったのに、でも条件は同じだからね、また行くよ!」

 葉月は確信した。

(私の知らないパイロットが乗っている)

 葉月が背部バーニアの制御ペダルをぐっと踏み込むと、その機体は中腰のような姿勢になりながら正面に滑るように移動した。横から射出されたユキザネの機体のライフル弾はエラーのマーカーを示すと画面の奥に瞬時に消えていった。

「思い出した……僕は君と会ったことがあるよ……夢の中で……君は実験体三号の子だろ、逃げるのが本当にうまいね……」

 攻撃の手をゆるめることなくじわじわとユキザネの機体は、葉月の機体との距離を猟犬がウサギを追い込むように縮めてきた。葉月の操縦パターンが的確に読み解かれている。葉月は反撃の隙を見付けることができない状態に陥った。

(私……誰かに試されているのかな)

 葉月は追い込まれながらも、頭の片隅にぼんやりとした思いがわき上がった。プラントの部隊や思い焦がれていた河井に会ってからの自分が幸せだと感じていたペナルティなのではないかと。

「もう終わりだね、短いけど楽しかったよ、僕の方が君よりずっとうまい!」

 ユキザネの機体がブースターを使い、葉月の機体の頭上に飛び上がり、ライフルのねらいを頭部に向け、右人差し指のトリガーを引いた。

「!」

 突然、勝利を確信したユキザネのコクピットライトが真っ赤に点灯し、大きな衝撃があったことを知らせるアラートが鳴った。

「ええっ?」

 葉月の機体のアームストロングキャノンの光弾がユキザネの機体の腹部を貫いていた。葉月は、ほっとため息をついた。

「どうして?プログラムのミスじゃないの?嘘だろ!」

 ユキザネはパネルのボタンをバチバチと押しながら、自分の機体の状況を把握しようと努めていた。正面モニターには「撃墜」の赤い文字が点灯していた。

「こらぁ!糞ガキ早く出てこい、命令違反で施設に送り返すよ!」

 ユキザネのコクピット内にデスペラード隊の皆があまり聞くことのなかったグラの甲高い怒鳴り声が響いた。


 シミュレーションシステムが急にオフになったので、葉月は不思議に思い身体を固定していたベルトをはずし、リリースレバーを解除した。隣の機体の側にグラと彼女に耳をひっぱられた少年が立っているのが見えた。

「葉月、この子が迷惑かけたわね」

 グラは機体から上半身を覗かせた葉月の姿を見ると、軽く手招きをした。二人の近くまで行くと、少年が自分の顔を不思議そうにまじまじと見ていることに気付いた。

「あ、君が実験……」

 少年が葉月に声をかけようとしているのを、グラは少年の頭に持っていたファイルの背表紙を振り下ろした。

「いったぁ……」

 少年は痛みに耐えられずたたかれたところを両手で押さえその場にしゃがんだ。

「早く立ち上がりなさい、葉月、この子に会うのは初めてでしょ、紹介するわ」

 グラは、うずくまっている少年の腕をもち、ぐんと思い切り引き上げた。その勢いに体重の軽い少年は羽のようにふわりと宙を飛んだ。

「あ、僕はアキ・ユキザネです。実験体の君と同じ部隊になります、というか、前に何回か会ったことあるよね、ほら夢の中で……」

 葉月は先ほどからの言葉の中に『実験』という言葉が混じるのに気付いていた。自分の過去、研究所に飼われていた時、ずっと呼ばれていたコードネームを何でこの少年が知っているのも気になったが、それ以上に彼の言っている『夢の中で会ったことがある』という意味にひっかかりをおぼえた。

「私は千早葉月です」

「君を呼ぶときは、ちはや、でいいの?葉月でいいの?」

「どっちでもいいです」

「調子にのらないで、『会ったことがある』なんて嘘言ったって駄目、葉月、この子はね、少しお調子者の気があるから、失礼なことしたり気にくわないことがあったらすぐに報告してね」

 グラは、好奇心をそのまま絵に描いたような少年を心配そうに見つめた。

「グラ、気にしないで」

「それにしても葉月、今の勝負は辛勝だったようね」

 グラは壁のモニターに映し出されている先ほどの対戦結果の数値を見ながら言った。二人の対戦に気付いていた整備兵たちにとっては、はじめから賭け事の対象になっていたようであった。奥の方で笑ったり悔しがったりしながら、くしゃくしゃになった紙幣のやりとりをまだ続けていた。

「勝てたのは偶然……」

 その答えを聞いたグラは、明るい笑い声をたてた。

「傑作よ、私は本部からこの子をすぐにMAOに乗せるように言われてきたんだけど、まだまだこの子にはそうとうな修行が必要のようね、わかった?アキ、あなたにはまだ訓練が必要みたいね」

「えっ、まだMAOには乗れないの?」

「それはプラント大尉の許可が下りてからって言っているはずです」

「えぇー!ずっと楽しみにしていたのにぃ」

 グラは面白くなさそうにしている少年を見て続けて言った。

「アキ特務兵、さっき大尉から受けたはじめの命令を告げるわ、兵営のトイレ掃除、今から一時間以内に全ての便器を自分の舌でなめられるよう綺麗にしておけって……あら返事は?」

「えぇっ!」

「復唱は?それともこのまま帰る?」

「了解しましたぁ、あ、あのトイレの場所は」

「自分で探せ、人を頼るな……と大尉だったら言うわね」

「わかりましたぁ」

 アキと呼ばれた少年は渋々格納庫を出て行った。

「葉月、私の荷物を部屋に運ぶのを手伝ってくれる?」

「いいよ、また、関係のないものいっぱい持ってきたんでしょ」

「たまにはおしゃれもしたいでしょ、みんなも……かわいいの買ってきたわよ、もうすぐクリスマスだからね」

 葉月とグラが格納庫から出て行くのを別室のモニターで見ていた男たちがいた。シュミットとプラントである。

「あいつが初期実験体成功例の一人だな、グラと同類どうし仲が良いのもわかる……ここに出ている反応数値もいい、あのアキ・ユキザネがこうも簡単に撃墜されているなんて、愉快だ、元々、あの娘の戦闘行動パターンがMAOのフォーマットだからか……」

「そうですか?私たちの部隊の猫の乗り手で頼れるのは河井軍曹くらいなもんです、それより、開発部門はいかれたガキをどれだけ製造したら気が済むんですか?特別補佐官どの」

 プラントは自分の正面の椅子で深々と座ったまま満足そうに笑うシュミットに問いかけた。

「奴らの侵略が終わるまでと言いたいが、彼らは商品にもなる、どこの国でも喉から手が出るほどの存在だ」

「連合軍公認の生物兵器ですからね、上のやっていることは三流のテロリストと変わりませんね」

「その三流に使われているのが君だよ、それ以下のプラント大尉」

 プラントは辛辣なシュミットの言葉を豪快な笑いで返した。

「確かに……ところであなたのような男がここまで来た理由は何ですかからの大型輸送機の点検整備ですか?あいにくですが、こんな離れた僻地では整備兵の手がまわりません」

「空ではないよ……弾薬と戦闘車両を満載させてきた、あの子供アキ・ユキザネの持参金のようなものだ」

「このような辺境のシベリアの地にですか」

「辺境ではない、直ににぎやかになる、それと、敵の最新の情報を知りたくはないか、私の目的は大尉とここにいる兵に絶望を与えるために来た」

「データで送ればすむようなもの……じゃないってことですね」

「多少の演出も必要だろう……」

 シュミットは意味深な笑みを浮かべて、映像端末に持参してきたデータを流した。


(八)


 落下物の一次調査を終え、河井とミンを乗せたMAOは基地に帰還した。格納庫の整備台に機体の固定を終えて、ミンがMAOのコクピットから大きなあくびをしながら降りてきた。彼女が顔を上げると河井と偶然に目があった。

「す、すいません!」

 顔を真っ赤にして謝るミンに河井は微笑んだ。

「あ、あの……その……」

「俺は、落下物のデータ分析があるのでラボの方に行く、ミンはジョゼたちと共にブリーフィングルームに待機だ、徹夜あけの睡眠不足は能の働きがにぶる……そこならゆっくり居眠りしていてもいい」

「あ、ありがとうございます」

 ミンがその場から逃げるように走り去っていった。河井は自分たちの乗ってきたMAOの横を通りざま見上げた。

「何ぼけっと見上げているんだ、お前のその癖はいつまでたってもなおらねぇな」

 いつものようにオッターことサラム技術官がつばの飛ぶような勢いで話しかけてきた。

「俺たちの整備に不満でもあるのか……まぁ、そんなことはないだろうがな」

「いや、技術官の整備は完璧です」

「なら、そんなしけた顔して、この貴婦人を見上げるな、失礼じゃねぇか」

「そうでした」

 オッターは話をしながらも手元の端末を操作し、すぐに機体データを調べている。

「お前さんの操縦は本当に無駄がねぇな、こうやっていじっていても糞も楽しくねぇ、もっと、思いっきり使ってみたくならねぇか、俺が欲しいのはこの婦人のいっちゃった限界のデータなんだ、これだったら何の貯金にもなりゃしないよ、若いうちから淡泊は良くねぇぜ、まったくよぉ」

「機体各部の消耗の方は」

 河井は、風の城作戦終了後に一度大がかりなメンテナンスを行ったきりの機体だということに少しの不安をおぼえた。

「おかげさんでな、矛盾するようだが、お前さんが丁寧に乗っているからまだもってるようなもんだ、糞司令部の増産は口だけだな、でも、滑走路のあの輸送機見たか、こんな戦線から遠いど田舎で豪州戦線以上の武器、弾薬の量だ、あれだけの大盤振る舞いは最初で最後じゃねぇか」

「なぜ、それだけの弾薬を……」

「さぁな、上のやるこたぁ、いつもわからねぇよ、さっ、仕事の邪魔だ」

 そう言って、オッターは機体につないだ端末の画面をのぞき込みデータの調整を始めた。


「もれちゃう、もれちゃうー。整備場は寒くてたまらねぇや」

 ポケットに手を突っ込み鼻歌を歌いながらウィルはトイレの扉を開けた。すると小さな子供が便器を柄の付いたたわしで一生懸命便器を磨いてる姿に気付いた。

「ふーん」

 ウィルはその様子を横目に便器の前にそそくさと立ち小用をたそうとした。

「あぁっ、今磨いたばかりだったのに」

「えっ、使っちゃまずかった?あ、もう遅いわ」

「また、やりなおさなくちゃ」

「まぁ、いいじゃない。すぐに使われるもんだし」

 小用を終えたウィルは洗面台で手を洗いながら、少年に話しかけた。

「ここの地元の子かい、トイレ掃除なんてえらいな……でも、ここの近くに街なんてあったかなぁ」

「何、言ってるんですか、ぼくはプラント大尉の命令でここの掃除をしてるんです」

 そう言って少年はポタポタと水を垂らしたたわしをウィルの方へ向け持ち上げた。

「えっ、プラント大尉?」

 ウィルは、落ちてきたしずくが自分の靴にかからないよう、横にステップをしながら少年を見た。

「今日付で機動騎兵隊に着任しました、僕は……」

「なーんて、冗談でしょ、近頃の子供たちの間でも俺たちのこと有名だもんな、いいよ、そういうジョーク最高ね、小さいけど、お前センスあるぜ」

 自分の話をさえぎられ、ふくれっ面をした少年に右手の親指をたて、ウィルはさっさとトイレから出て行った。

「くっそー」

 ユキザネは持っていたたわしを床にたたきつけた。しかし、それはぽんと跳ね上がって自分のスラックスを濡らす結果になった。


 豪州基地の物々しさと違い、ここシベリアの『ティンダスク基地』はゆっくりと時間が進んでいる。

 手持ちぶさたな彼ら『ならず者部隊』の姿を目にしながらグラ・シャロナは連合軍のこのやり方に疑問を抱いていた。

(たった、これだけの兵器と弾薬でどれだけもつというのよ……)

 ガラス窓の向こうは青空であったが、遠くの雲から風によって流されてきたのであろう白い雪が、時折優しく天から舞い落ちた。

(九)


グラ・シャロナは少女の頃、同じように雪が静かに降る景色を窓から眺めていた。その日は朝から彼女にとって最高の気分であった。街まで家族と一緒にクリスマスの買い物へ行くことがふた月も前から約束されていたからだ。

「ねえ、雪もやんだんだよ、早く行こうよ」

そうせがむ幼いグラにソファーに座り新聞を読んでいた父はおだやかな声で答えた。そして子猫のようにじゃれつくグラの頭を優しく撫でた。

「ママの準備がまだだろう、あわてなくても大丈夫だよ、まだ、店も開いていないし、いい子のグラでいないとサンタさんが来てくれないぞ」

「だって、だってさ」

「グラ、パパの言う通りよ、これからサンタさんに電話かけてもらうわよ、パパの言うことを聞けないグラにプレゼントはいりませんって」

 奥のキッチンで朝食の後片付けをしていた母は我が儘を言うグラをたしなめた。

「パパ、ごめんなさい、でも私とっても今日が嬉しいの、もう、何日も前からずっと、ずっと待っていたのよ」

「お店やさんは子鼠のように隠れないぞ、良い子にしていたらグラにとって今日はもっと嬉しい日になる」

 父はグラを優しく抱きしめて言った。父の息は少したばこ臭かったがグラは大好きであった。


 巨大なショッピングモールの広い通路に付けられた照明は点滅するごとに変色し、クリスマスセールの賑わいをさらに彩らせていた。サンタクラウスに扮した従業員が行き交う子供達に「ホウホウ」と笑いかけ、手にしている店名入りのバルーンを渡している。毛皮のコートを身にまとい片手に何やら大きな荷物の入った紙袋を手にしている中年女性は同じような服を着た小型犬を連れ、グラの横を通り過ぎていく。

 グラの赤いリボンで結んだポニーテールの髪が本物の仔馬のしっぽのように上下に揺れていた。

 ショーウィンドウの中のマネキン人形に着せられた高価なスーツやバッグは少女のグラにとっては、たいして興味や関心をひく物ではなかった。

 今日の目的はただ一つ、サンタに頼むプレゼントを父に教えることであった。グラにとって大好きな父はサンタの秘密の電話番号を知っていると言う。昨年のクリスマスの朝、頼んでいたプレゼントが枕元に届いていた。そのことが彼女の思いをより確かなものにしていた。

今日のために嫌いなセロリを食べたり、苦手なピアノの練習も自分でも驚くほど頑張った。ぬいぐるみの売り場の棚の一番目立つところに置かれた、自分の身体ほどの大きな白熊のぬいぐるみが、彼女の目的の品であった。ぬいぐるみに付ける名前は「マルガレーテ」と、もう決めていた。

「もう、早く早く!」

 待ちきれずその場で飛び跳ねるグラの様子を、連れだって歩く父と母があきれながらも笑って見ていた。ガラス張りの天井から昼下がりの明るい陽光が差し込む中、モールの中にいた多くの人々は多少の違いはあれど、それぞれの幸せを噛みしめながらゆるやかな時間を楽しんでいた。

 次第に近付くヘリコプターの飛行音はクリスマスソングにかき消されている。

「あわてているお嬢ちゃんにも幸せの風船をあげよう」

 従業員のサンタがグラに風船を手渡そうとした時、ショッピングモールの外で大きな爆発音がいんいんと響き渡った。この音に驚いた人々は一瞬その場に足を止め、空を見上げた。


 今まで見たこともないほどのとてつもなく大きな銀色の虫が羽音を鳴らしながら建物の上空を飛びすぎていった。

「何だ、あれは!」

「きゃーっ!」

 軍用ヘリから発射されるミサイルが鋭い風切り音を上げ炸裂する。その情景に恐れをなした女性や子供の甲高い悲鳴があちらこちらでおき、人々が出口へ殺到し始めた。流れ弾となったミサイルがガラスを突き破り奥の建物を集まっている人々ごと吹き飛ばした。


 その日のグラの記憶はそこまでであった。針を刺されたような痛みに気が付くと負傷した子供達だけの部屋のベッドの上に全身を包帯にくるまれた状態でいた。

「パパ……ママ?」

「六十二番の子、意識が戻ったようです、誰かすぐに来て下さい」

 横のベッドに寝ていた東洋人の少女が少しあわてた声でインターホンマイクに呼びかけた。

「すぐ行く、六十二番だな」

 電子音のチャイムと共に天井のスピーカーから男性の声がし、すぐに廊下から足音が聞こえてきた。白衣を着た医師と看護師が病室の一番奥に横たわるグラの側に駆け寄ってきた。

「ここはどこなの……パパは……ママは……痛い……痛いよぅ」

「まだ、しゃべらないで、あなたはとても幸運だったのよ、パパにはまた後で会えるから……」

 女医は看護師に点滴を取り替えるように指示し、ガーゼが至る所にあてられた幼い胸に聴診器をあてた。点滴の中に安定剤がはいっていたのか、また次第に意識が薄れていった。

 看護師の後ろで、同じくらいの年頃の少女が心配そうにベッドに半身を起こしながら見つめていた。

「葉月、あなたはまだ寝ていなさい」

「この子、助かるの?助かるのね、良かったぁ!」

 東洋人の少女の声が消えた夢の中で、グラは暖かな火が燃える暖炉の前で白い大きな熊のぬいぐるみをかかえ、サンタに感謝の言葉を何度も繰り返していた。

「サンタさんありがとう、マルガレーテも私に会えて喜んでいるの」


「グラ、何見ているの」

「えっ、別に……寒いのに訓練なんてたいへんだなぁ、なんて思っていたりして」

 現実に戻ったグラは、振り返って事分の顔を見つめる少女のままの葉月へ恥ずかしそうに首をすくめた。

「グラ、あの……ちょっと教えてもらいたいのがあるんで、少しだけ部屋に来てくれないかな」

葉月がいつになくもじもじとした様子をグラに見せた。

「何?何?」

「部屋に来てくれたら言う、今は絶対に内緒」

「昔からのつきあいだからね、当然行くに決まっているじゃない」

 珍しい葉月の様子にグラは目を丸くした。その大きな理由はもちろん河井軍曹との再会であることと分かってはいたが、彼女が日に日に明るさを取り戻しているのがグラにとって何よりも嬉しいクリスマスプレゼントであった。


 先に歩く葉月はあの頃と全く変わっていない。

成長ホルモンをはじめとした分泌物の標的器官を脳に集中させる代わりに、一般人を遥かにしのぐ能力をパイロット試作品に授ける悪魔の実験。

 その数少ない完成品の生き残りがまさにグラの目の前にいる。

(彼女は私だったかもしれない)

 手術着をまとった葉月と少女のグラが消毒用アルコールの匂いが充満した部屋で、実験の順番を待っている。

 その後の思い出はもう振り返りたくはなかった。


(十)


 ウィルが機体格納庫に戻ってきた時、誰彼となく、配属された新入りパイロットの話題を口にしていた。

「ウィル、もうお前会ったのか?」

 若い整備兵が、コクピットシートに座ろうとするウィルに話しかけてきた。

「え?誰にですか」

「新入りの奴にさ」

「いえ、まだ会ってないですけど、もしかしてかわいい子っすか?」

「十歳にも満たない子供らしい」

「まさかね……でも豪州で見た少年パイロットのこともあるから」

「だよなぁ、二十代前半にして俺も予備役兵の時代だなぁ」

 整備兵は、コクピットのメーター周りを点検しながら話を続けた。

(もしかしてあの子供か?)

 ウィルの脳裏にトイレ用のたわしを手にした先ほどの少年の姿がかすめた。

(そんなことはないよな)

「さぁ、続き始めるぞ、ウィル、ライトスロットル二十パーセント上げてくれ。」

 自分のたわいもない想像を打ち消したウィルはすぐに機体調整の作業を共に続けた。

ウィルの予想は間違いではなかった。

その夜、自分の部屋に戻った彼の前にトイレで会ったあの少年が大きな荷物をかかえ立っていた。


 シュミットとプラントの話は、あれからまだ続いていた。ルームのモニターの明かりだけが室内にいる二人の顔を照らしている。

 最前線を担うプラントにとってMAOをはじめとした武器や弾薬の補給が当初の予定よりも遅れていることが心配の種であった。しかし、シュミットの話はこの男でさえ自らの耳を疑ったほどのひどい内容であった。

「この後に及んで火事場泥棒のような国ばかり、人間はやはり獣だよ、この情勢を知っているにもかかわらず己の欲望を満たす行動をとる、愉快だと思わないか」

 各前線で補給が遅れている主な原因としてあきれた事実が並べられていく。人種や宗教の対立がさらにひどくなり経済状態が一向に立ち直らず、鉱物やエネルギー資源などの物流がストップしていること、侵略のあった地域から出た難民問題は深刻さが増大しており、これに乗じて一部の国は救助を名目に進駐し、自国の領土を拡大していることなどであった。

「人類の自滅まで時間はさほど残されていない、だからこそ大尉の部隊は、もっと大きな釣り餌になってもらわないといけない、これからの活躍を期待させてもらう」

 プラントはシュミットの言葉の意味を表情から読もうとしたが、ようと掴むことはできなかった。

「大尉、そんなに考えなくても良い、すぐにわかることだ、もう、その兆しは十分にあらわれている……」

 シュミットの高い鼻がより深い陰を顔に刻んだようにプラントには見えた。


 ウィルの部屋では、さっそくユキザネへの一方的な友好の時間となっていた。ユキザネも初めて出会うタイプの人間に心底疲れていた。

「お前、好きな子いないのかよ」

「いません、何ですか、その好きっていうのは」

「嘘つくなよ、誰だって最初はそう言うんだ、正直に言えば寝かしてやる」

「今、正直に言いました」

「その答えじゃ、だめだ、先輩のウィル様がだめだと言っているんだからだめだ」

「お願いですから寝かせて下さい、昨日から一睡もしていないんですよ」

「せっかく出会えた記念すべき大切な日だぜ、さ、お前から俺に聞いてみたいことはまだないか」

「もう全部聞きました」

「またまたぁ、遠慮しちゃってぇ」

 ユキザネはたまらなくなって、自分のベッドに飛び込んでシーツを頭からすっぽりとかぶった。

「あ、まだまだぁ!」

 ウィルは上にまたがって彼のシーツをいっぺんにはがそうと試みていた。

「いやだよぉ」


「お前たち起きていたか!」

「新入りの歓迎会の時間だ!」

 ウィルの部屋にチェをはじめ、男たちが酒瓶やつまみをもってノックもせず、どやどやと十人ほど入ってきた。部屋の中の空気が一気に息がむせかえるような臭いでいっぱいになった。

「曹長、よく来てくれました、見て下さい、僕に弟ができたんです!」

 ウィルは調子よく男たちのにぎやかな雰囲気の輪に入った。驚く間もなくユキザネはシーツを軽くはがされ、男たちの輪の中にちょこんとおかれた。まるで野犬の群れの中にいる一匹の子ウサギのような状態であった。

「聞いた通りだ」

「こんなチビがパイロット?時代はかわったもんだな」

「うちの姫さんより小さいぜ!」

「それでもついてるもんはついてるんだろ!カシムひっぺがしてみろ」

「なら遠慮無くやらせてもらうか。一番目は俺だ、文句ねぇよな」

この隊のいつものスラングだらけの会話であった。

「な、何ですか、この集まりは……」

ユキザネはシーツを蓑虫の蓑のように身体に巻いたまま半べそをかきながら質問した。

「お前の歓迎会にきまってるじゃねぇか、ウィル、氷もってこい」

「うぃーす!表の雪でいいっすかぁ」

「下痢したら、お前の部屋にぶちまけるぞ」

「よぅし!『モールス遊び』すんぞ!小僧モールス遊び知っているか?」

「?」

「今からモールス信号で合図する。三秒で答えられなければ、歌一曲歌うか、お前のかわいいケツを触らせろ」

「僕、そのモー何とかって知らないよ!」

「さぁ、行くぞ!」

 豪快を絵で描いたような男たちは遠慮無く、とまどうユキザネを肴にくだらないジョークを飛ばし続けた。ユキザネの心は今までにない動揺が続いている。そのため、周りを囲んでいる者たちの表情が皆にこやかに笑っていることまで気付く余裕はなかった。


そのにぎやかすぎるほどの様子は、少し離れた部屋にいるミンやジョゼの所にまで壁を筒抜けて聞こえてきた。

「ねぇ、ジョゼ、行ってみない?何かとっても楽しそうよ」

 二段になっているベッドの上のミンは下で横になっているジョゼに話しかけた。

「だめ、行ったら最後、あの人たちに朝までつきあわされるわよ」

「葉月ちゃん、今日グラさんとずっと部屋にいたね、何してるんだろう」

「あの子も不思議な子だからねって、ミンも私も同じでしょ、もう寝るよ」

「あーあ、いいなぁ」

 ベッド上に座るミンは枕を腕に両腕で抱えながら、聞こえてくる男たちの声に耳を澄ませた。


(十一)


 氷点下の寒空の下、早朝の点呼がはじまった。

 プラント大尉を正面に、待機中の者を除く基地内の兵士らが整然と並ぶ。その一番端にうさぎのように目を真っ赤にしたユキザネがふらふらの状態で立っていた。

「新入り、何だそれは!雪上腕立て五十回!」

 今日の点呼係であるレジェップ伍長から、するどい指導が入った。

「はい!」

 ユキザネは腕を半分雪の中に埋めたまま、腕立て伏せをはじめた。

「あら、それじゃ腕立てできないんじゃ?雪が顔に付いているぜ」

 横に並んでいたウィルがその様子を横目で見ていてつい言葉に出してしまった。

「ウィル、貴様はそこで百回だ」

「えっ……は、はい!」

「返事が遅く、小さい、プラス百回!」

「はい!」

 ウィルも自分でまいた種とはいえ、ユキザネの横で一緒に腕立て伏せをやるはめとなった。

 点呼が終わり、それぞれの持ち場に兵士が散った後に、朝からへとへとになった二人だけが残った。

「ならずもの部隊の親父たちはまさに化けものだな、あれだけ飲んでいてもけろっとしているぜ。いまだに信じられねぇ」

「元はといえばウィルが」

「えっ、俺がどうしたって?」

「お前らそこで何だらだらしている、スクワット二百回追加、二人ともだ!」

 レジェップの声が突き刺さるように二人の耳に飛び込んできた。

「アキぃ、いくぞ、いーち」

「にぃー」

 交互にカウントを声に出してふらついたスクワットをはじめた。

(こんなの僕の思っていた機動騎兵隊じゃないや……)

 ユキザネの頭の中が強烈な眠気と疲れで今朝の空のように曇ってきた。


「警戒警備中の兵士を除く、全ての者はすぐにランチホールに集合しろ。」

 断続的な集合合図の後に基地内放送が入った。

「ラッキー!ほら、アキ、行くぞ」

「ウィル、少し寝かせてもらってもいい?」

 雪の中に崩れ落ちるようにユキザネは倒れた。

「お前!遅刻したらまたやらされるぞ!起きろ!こら、寝るな!」

 ウィルはユキザネの両肩をもって思い切り揺り起こした。


 いつもは寒いランチホールが兵士達の人いきれで熱気を帯びている。ウィルとユキザネが到着した時にはすでに正面にプラントとシュミットが立体スクリーンを前に立っていた。その隅にはグラ・シャロナが映像を流すための端末を操作する準備をしている。

「あれ、シュミット特別補佐官、いつここに来たんだ」

「僕と一緒に来た」

「えっ、お前と?何で早く教えてくれなかったんだよ」

「だって、ウィルだって聞かなかったじゃないか。」


 プラントはつかつかと壇上に上がり演説の口火を切った。

「俺とお前たちの命は、虫けらにたかられている路上に落ちている馬糞並だ、しかし、その志は東洋のサムライだと確信している」

 ジョゼとミン、葉月も河井の横に並んで座っていた。

「大尉の言葉の表現が汚いの、どうにかならないのかな」

「そう?聞いていると面白いけどなぁ」

 ジョゼのつぶやきにミンがいつものように微笑みながら反応した。

「お前たちが、一番知りたいと思っていた娼婦のケツの穴について、ここにいる特別補佐官に説明をしていただく」

 下がったプラントの後にシュミットが続いて壇上に上った。

「あっ、シュミット補佐官、ずいぶん痩せたんじゃない?髪の毛も少なくなってきている。苦労してるのかな」

「ミン、あんたね、もうちょっと違う感想はないの」


 シュミットが音量を確かめるべく、軽くマイクの頭をたたいた後、ゆっくり話し出した。

「噂の機動騎兵隊を前に今回のような説明に機会をいただけることを心より感謝申し上げる、私は極東支部より派遣されたミヒャエル・シュミットだ、今回、ここの兵士皆に説明する任務を負ったので、朝のこのような時間に急遽集まってもらった、前置きはこれで省略する、私もせっかちな方なのですぐに本題を説明させてもらう」

 立体スクリーンにハムシと妖精の姿が映し出された。

「空から落下してきたこの生物のために、我々の同胞は多くの命を奪われた、いや今でも奪われ続けている憎しむべき対象だ、彼らの正体について今、わかり得た情報を特別に君たちにだけ教えよう」

 映像がかき消え空間に太陽を中心にした太陽系が映し出された。地球の位置に赤い矢印が点滅している。

「ここが我々のいる地球、それぞれの惑星間の距離は見やすくするため縮小している、楕円に描かれているのは代表的ないくつかの彗星の軌道、一番外側に冥王星と言われていた準惑星、その遙か外側に『オールトの雲』と呼ばれる二酸化炭素やメタンでできた海の広がる天体群がある」

 いつも騒がしい『ならず者部隊』の兵士が固唾を飲んでシュミットの説明に聞き入っている中、既にユキザネはウィルに寄りかかり心地よい寝息を立てている。

「そこに本星はまだ確認できていないが、六万天文単位から十万天文単位の所に奴らの巣、もしくは中継点があることがだいたい掴めてきた、しかし、その規模、なぜ太陽からそんなに離れている距離にそれだけの生物が生存していたかは皆目検討もつかないのが現状だ、そこから数十年いや数千年かけて団体で破壊オプション付きの地球観光に来たということだけは推測で大方一致している、つまりウェルズのタコのような火星人が小説を賑わせた遙か以前よりこの侵略のシナリオはできあがっていた」

 会場にざわめきが起きた。

「次に奴らの死骸から回収された物を分析した結果についての報告をする、遺伝を司るデオキシリボ核酸の配列は非常に地球上の生物と共通する点が見られるのが大きな特徴の一つとしてあげられる、また、核外環状DNAプラスミドが存在し一部に独自の進化を見ることができる、私は専門家ではないので詳細についてはうまく説明できない無責任な言い方だが、人間でも昆虫でもなく、君たちが見て来た姿そのものというほかない、そして脳と思われる器官の容量からこの『パック』と呼ばれている妖精タイプが高い知能を有していることは間違いなく、委員会の意見はこれが侵略の中心的な役割を担っているのではないかというむきもある、が、しかし、奴らのコミュニケーションの手段で確認できているのは臭いと単調な鳴き声によるもののみだ」

 次々にゲジタイプにとりつく妖精の写真が投影される。戦場の兵士がいう緑色のメロンシロップである。この液体の周りに妖精が花の蜜を求めるかのように続々と集まってくる様子もあわせて映し出されていた。

「奴らの持っている武器、『ステッキ』には、荷電粒子を加速させる生体機械ともいうべき不可思議な仕組みが組み込まれており、地球上の技術では未だ再現ができない、そこでも新たな謎が生まれるのだが、これだけの技術を有しながら人類への攻撃の仕方は野生生物が原住民を襲うやり方とほとんど違いがないということだ、この点については先進文明の星から奪い取ったもの、もしくは妖精はそれ以上の知能を有したものたちに操られている単なる生物兵器ではないかということ、現段階において委員会からの発表はこれ以上ない、さて、次にいく」

 写真がヨーロッパを中心に位置させた世界地図に切り替わった。

「二十世紀初頭イギリスの学者アルフレッド・ワトキンスは『古い直線路』という説を書物で発表した、確率論でも証明できるのだが、古代遺跡や巨石群がある一定の法則によって地図上に直線に並んでいるというもので、それは『レイライン』と名付けられている、いささか眉唾であり、当時はオカルティストや好事家の好む説として学会からは黙殺されていたが、この直線路『レイライン』を見たまえ、はじめはイギリスのストーンヘンジ、ソロモン諸島の古代遺跡、ピラミッド、モアイ、ナスカ。この位置の点と奴らの建設中のものも含めてシロアリの塔の地点もしくは出現場所を点対称にしてそれぞれ重ねてみる……そして、凍った湖に建つ南極の動乱者が集まっていた塔……」

 ランダムな点の集まりが、ほぼ一致した。

兵士たちから、ざわざわとしたどよめきが起こった。

「古代人はすでに何らかの危機感をもっていた……いや何らかのアプローチがあったのではないかとも推測はできる、ここでも不可解な点がある、奴らはその他にも人口密集地、軍事基地をピンポイントで大規模な攻撃をかけてきている、なぜ、それを知り得ているのかも不明だ、人類を餌に見立てているとすれば大都市が都合がいいと大体の予想はつくがね、先程の武器の使用ではないが私たちの考えているような愚かな虫の集合体ではないということは断言できる、最新の観測情報では、奴らがつまった遊星は地球の軌道上に確認できているだけでも二十個はくだらない、君たちが愛する家族とリビングで野球を観戦するのは当分先のことになるだろう」

 深いためいきと何かをののしる声がいたる所で漏れてきた。

「最後にもう一つ、これは私見だが、奴らはMAOのような新型兵器を大変好み、いや狙っている、それは豪州侵攻やバレンパン基地のMAO開発工場群侵攻、ナンディ訓練所の襲撃、繭に覆われた豪州本部……そして、つい先日の基地に近いシベリア落下物でも実証済みだ、つまり、この凍土の上が近いうちに戦場になることだって十分あり得る」

 シュミットの声が一層高くなる。

「ここに揃っているプラント機動騎兵部隊『デスペラード』はストーカー被害者という役割をこれから引き受けてもらうことになるだろう、あくまでも私見なのでこの部分は忘れてくれても結構、これで報告を終わらせてもらうが立場と内容上、質問を受け付けることはできないことを了承してもらいたい、君たちに偉大なる神のご加護があらんことを」

 続いてプラントの短い訓辞があり集会は終わった。「ならず者集団」と言われている兵士たちでさえ、終わりの見えない絶望と向き合ってしまうと意気消沈し、誰もが無言のままホールを後にした。

 ただ、河井だけはいつもと全く変わることはなく、やや寝ぼけ眼のユキザネとふざけあうミンとウィル、そして心配顔の葉月、ジョゼらをまるで遠足に引率する教師のように伴い、猫と戦闘機の眠っている格納庫へと歩いていった。


 演説を終えたシュミットを本部に帰還させるための輸送ヘリが上昇を始めた。雪の舞い散る薄暗い基地から青空は当分見えそうになかった。


(十二)


 ユキザネがこの機動騎兵隊に合流して一か月が過ぎた。

今日はクリスマスイブでもあったので、午後からの訓練は早く終了する予定となっていた。基地内の殺風景な部屋や廊下もグラの計らいで、金や銀色のモールがかけられ人間味のある季節感あふれた場となっていた。

自信たっぷりにこの基地に来た彼の主な仕事はトイレ掃除と機体清掃だけで、簡単なシミュレーションさえ命令されていない。そのため、不満とやるせない思いが小さな身体と心に徐々にたまっていった。ただ、周りの兵士や河井小隊の面々が自分に対して厳しさの中に優しく接してくれていることだけは感じることができた。

このことは今までの自分の育った環境では考えられないことであった。

「ああ、嫌だ、こんな仕事ばかりやってられないよ、早く夜がこないかなぁ、ミンはごちそうがいっぱいあるって言っていたけれど」

基地の上空では、ミンとウィルのロシナンテ戦闘機が轟音をたててドッグファイトの模擬戦を展開していた。距離を離して行う空対空ミサイル戦ではなく、もつれ合うと表すべく翼が擦れ合うほどの近距離戦である。

「絶対、僕の方がうまいのに。あぁあ、そこは旋回しなくてハイGだよ、ミンもまだまだだな」

ガラスから結露した水滴が一筋線を描いて流れていった。ユキザネはトイレ掃除の道具を片手にしばらくその様子を窓際で見ていた。

「ん?」

視線を地上にやると、宿舎からそう離れていない鉄柵の向こうに小さな人影が見えた。黒服の幼児が柵に手をかけこちらの方を見ている。

「誰だ?」

 好奇心の塊といってもいい年頃である。もう任務である掃除のことはすっかりと忘れ、上着を着るなり白い息をはずませがら表に飛び出していった。

「あれ、いないや」

 雪に足を取られながらもようやく幼児のいた所までユキザネはたどりついたが、その姿はそこにはなかった。

「帰っちゃったのかぁ、どんな子だったんだろう」

 何かがあるかもしれないと期待をしてみたものの、何もなかったことに少し気を落とした。

「あれ?」

雪にうまった足がなかなかぬけなくなってしまったのは彼にとって誤算であった。

「何で抜けないんだよぉ」

無理矢理引っ張り続けること数分、勢いよくぬけたのはよかったが、そのはずみでユキザネの全身は白く雪まみれになった。

「冷て!」

 起き上がり上着についた雪をはたこうとした時、カエルのような笑い声がフェンスの向こうから聞こえた。奥の木の陰から、自分よりも小さい四歳くらいの裸身の幼児がこっちを見て奇妙な声をたてていた。

 ユキザネはその姿を見て言葉が出なくなった。

 黒い服ではなく、繊毛がその身体を包み、幼児の頭があるべき所に大きな『蠅』の頭が据えられていた。

「うわぁぁ!」

 ユキザネは雪を丸めてその蠅の頭をしたモノに投げた。雪玉はフェンスにあたって簡単に軽い音をたててこわれた。さっと身をひるがえしたモノは、羽の生えた背中を向け雪の上を飛ぶようにして針葉樹林の中にその姿をくらませたように見えた。

「あっ……」

 我に返ったユキザネは自分の取り乱した行動を恥じた。足跡の類はまるできれいに消されたように無くなっていた。

「まぼろし……」

 そこで見たできごとについて今は誰にも言わないでおこうと思った。


 両手にチキンを持った兵士、ワインの瓶を片手にラッパ飲みしている兵士たちがランチホールにあふれかえっている。クリスマスイブの夜はいくつになっても楽しいということを彼らの無邪気な行動が表していた。

 肩をかかえ、適当な歌詞で聖歌を歌う者、まとめたクラッカーを相手の頭の上でいっぺんに鳴らし驚いた表情に腹をかかえて笑う者。ここが軍事基地とは誰も思わないであろう。

「ミン・シャラット特務兵、クリスマスソング歌いまぁす!」

「待ってました、ミンちゃん!」

「良いぞぉ!ウィル下がれぇ!見えねぇぞ、糞野郎!」

「俺、ミンにコーラス頼まれてたんですけど……」

「コーラス?奴にコークを頭からぶっかけろ、ミンちゃん、服脱いでくれぇええ!」

「次はジョゼちゃんの番だ、頼むぜぇ!」

「いやだ、私、絶対歌わないからね、ユキザネ、あんた行きなさいよ」

「僕、まだむこうのチョコケーキ食べていないんだよぉ」

 兵士らは喜びの声を互いに交わし、つかの間の休息を思う存分楽しんでいた。

 ユキザネ自身も、自分の知らない世界にはこのように楽しい所もあると知って、本当に夢のような心地であった。

 ここは軍事基地ではあっても自分の育った『エリュシオン』ではないことが、始めて知る本当の喜びであった。


 河井はその頃、一人でブリーフィングルームの椅子に座り、基地の周囲に以上がないかを監視カメラで確かめていた。パーティーを楽しみたい当直の兵士と交替したのだが、一人を好む河井にとってその方が好都合であった。

 自分がいる部屋に足音が近づいてくる気配を河井は感じた。後ろを振り向くと扉のところに葉月がリボンの付いた紙袋を手に立っていた。

「あの……タケル君」

「どうした?料理でも食べ過ぎてしまったのか」

 河井の冗談ともつかない言葉に葉月は顔を真っ赤にした。

「タケル君の馬鹿ぁ、じゃなかった……あの……これ、受け取って下さい」

側に近付いた河井におずおずと葉月は紙袋を差し出した。

「えっ、ありがとう……」

 袋を開けてみると、葉月が編んだのであろう、縫い目の揃っていない少しいびつな白い毛糸のマフラーが入っていた。

「あの……そこにいるグラさんに手伝ってもらって……」

 扉の陰から二人の様子をこっそり覗いていたグラは、あわてて首をひっこめた。

(葉月、あの子何言ってるのよ!)

 河井は袋から取りだし葉月の見ている前で自分の首に巻いてみせた。

「あったかいよ、ありがとう、よく頑張ったな」

 河井はそう言って、葉月の小さな手を包むように握った。

葉月の目に嬉し涙が光った。

「タ……とう……」

 泣きながら葉月はすぐに背を向け、部屋から飛び出していった。

「あっ、ちょっと葉月、あんた、ここからが良いところなのに」

 たまらずグラが廊下を走っていく葉月に呼びかけた。グラのすぐ横に河井は立っていた。

「グラさん、ありがとう、君がいればあの子にとっても幸運だ」

 河井のあまり見たことのなかった嬉しそうな笑顔にグラもつい顔を赤くした。

「軍曹……まぁ、気にしないことねって……では失礼させていただきます……ただ、軍曹、あなたの言葉を訂正するとあなたがいたらあの子にとって最大の幸運だと思いますよ……それじゃぁメリークリスマス」

「メリークリスマス」

 グラが葉月の後を追いかけるように廊下を走っていった。遠くから男達の歌う力強い軍歌のような『ジングルベル』の合唱が聞こえてくる。楽しい時間が過ぎていく。

しかし、監視モニター内に蠅の頭をもつ幼児の姿が一瞬だけ横切ったことを河井をはじめ誰も気付くことはできなかった。




第二話 「赤い雪」


(一)


 夜が明け、ほとんどの兵士がまだ酔いつぶれている基地内に警報が鳴り響いた。

 小さな司令室は処理するのに困難なほど本部から次々と飛び込んできていた。

「もう一回言ってくれ、えっ?聞こえないぞ」

「まさか、そんなことがあるのか」

 通信兵たちは、入ってきた情報を送信されてきたデータと照合させながら、状況把握に努めていた。

 プラント大尉が軍服の上着のボタンを留めないまま指令室に飛び込んできた。

「報告します!」

「む」

 北半球の広域図を写しだしたパネルに小さな赤い点が血しぶきのように点滅を始める。

「北半球に確認されているシロアリの塔から、虫の集団が発生、一斉にこちらに向かっているとのことです、連合軍は迎撃にあたるも、かいくぐり、なおも数を増やしているそうです」

 シュミットが言っていた言葉がプラントの脳裏に稲光のようによぎる。

(大きな釣り餌になってもらわないといけない)

「友軍からの補給予定は?」

「輸送機ルートを策定中とのことです」

「一番早い奴らのこの基地への到達時間は?」

「パック(妖精)のスピードであればゴビ地域からの五時間」

「映像入りました!」

 モニターにいきなり映し出されたのは、夕立をもたらす黒々とした入道雲のように見える虫の群れであった。

「げぇっ!」

 通信兵の悲鳴と共に司令本部内に極度の緊張が走る。

 プラントは恐怖という感情をまた味わうことができ、このような中にありながら笑みがついついこぼれてしまう自分がおかしかった。そしてすぐに全回線を開き、力強い声で命令を下した。

「全隊員に告ぐ、レベルS警戒待機!それと迎え酒飲みたい奴は今だけ特別にコップ二杯までなら許す、てめぇら客人を歓迎する準備をしておけ!」

「レベルS発令!レベルS発令!各員所定の位置に待機せよ!」

 サイレンにかぶるように上ずった声のアナウンスが断続的に流された。


 ブリーフィングルームでは、大型モニターの前でジョゼと葉月が神妙な面持ちでこれから入るであろう指示を待っていた。

廊下や周辺では兵士たちの動きとざわめきが大きくなっている。中にはまだ大声でクリスマスソングを歌っている兵士もいる。

「何があったのかしら?」

「わからない。でも、いきなりレベルS警戒なんて聞いたことがないよ」

「そうね、あら?葉月、あんた髪の後ろちょっと乱れているんじゃない?」

「あ、でもすぐヘルメットかぶるから……」

「ちょっと来て」

 ジョゼが、自分のベルトについている小物入れから小さな櫛を取り出し、葉月の髪を軽く整えた。

「レディは、こういうとこ大事にしないとだめって、どんな時でもね」

「ありがとう、ジョゼ」

 家族のあたたかさを感じた一瞬であった。


 一方、プラントは状況の大筋を確認するや、すぐに部屋を出、別室で各部隊の上官を集め作戦を構築し始めていた。

「どこまで俺たちのケツが耐えられるか知りたいと思わないか」

 カシム曹長のその一言ですぐに方針が決まった。

 『籠城戦』であった。

敵を引きつけるだけ、引きつけておき、外部からの支援を可能な限り待つ、時間の少ない今はその方法が一番得策であると思われた。そのことに異論はなく、淡々とプラント大尉を中心に作戦内容が立てられていった。一通り決まると戦慣れした兵士たちは深刻な面持ちを相手に見せることなくそれぞれの部隊に戻っていった。

 席を立つ河井をプラントは呼び止め、静かに告げた。

「軍曹、ガキどもにはレイクレイが待っている、機を逃すなよ」

「はい、オリバー教官の遺言通り……」

 その会話だけで、河井は大尉が何を言いたいのかすぐに理解することができた。

万が一うまくいかなかった場合、パイロットの少年たちを北米のレイクレイ基地へ脱出させろということである。作戦の中でロシナンテ戦闘機を出撃させないのはそのためでもあった。また、このことを予期していたかのようにシュミットが乗ってきた大型輸送機も滑走路にある。

「グラ、お前は輸送機の操縦を、お前があの機体を扱えることはシュミット特別補佐官様から聞いている、ただの女狐じゃねぇ、極上もんのオンナだよ」

「見かけによらず、彼っておしゃべりなのよね」

 黙って二人のやりとりを聞いていたグラはコンパクトを取り出しながら言葉を続けた。

「ここの基地、結構楽しかったのになぁ、とんだクリスマスパーティーになったわね、やっぱりクリスマスはそういう日……」

「長すぎた休憩の代償だ」

「代償にしては大きすぎるわ、そう思わない、河井軍曹」

 河井は答えない。

「答えられないでしょうね……昨日の今日のことだものね、いいわ、レイクレイまでの案内役」

 そう言ってグラは口紅を軽く塗り直した。

「葉月を頼む……」

「そんなに軽々しく言わないでよ……馬鹿……」

 河井の言葉にグラは頬に流れた自分の涙をそっと隠した。


(二)


 血相を変えて、ミンとウィルが葉月たちのいるブリーフィングルームに飛び込んできた。その後に寝癖で髪の毛が立っているままのユキザネもくっついている。

 ようやくモニターに、虫のかつてない侵攻がこの地域に迫っていることと、それぞれの部隊への詳細な命令が画像と文字で伝えられていった。

「アキ、おもらしするなよ」

 ウィルがユキザネの頭を軽くこつんとたたいた。

「僕はウィルと違うからね、僕が猫に乗ったら絶対に勝つよ」

「言ったなこいつ!」

 ウィルがユキザネの身体をくすぐる。

「きゃはは、やめてよ!いやだよ!」

 ユキザネが逃げるようにしてそばに立っていたジョゼの後ろに隠れた。このウィルのいたずらにジョゼが何も言わなかったのは、彼が寂しそうな顔で笑っているのを見てしまったからである。

「行こう、みんな、私たちの猫が待ってる」

 この雰囲気を振り払うかのように葉月はこう言うと、自分の髪を軽くさわりヘルメットを持って真っ先に部屋を飛び出していった。

「おめぇら、遅いぞ」

 葉月らが来るのを今か今かと待ちかまえていたかに違いない。

格納庫デッキのそばで腕を組むオッターことサラム技術官は、少年たちの顔を見た途端大声で怒鳴った。

「お前らの上官も上官だ、あの糞ジャップはまだ来ていやがらねぇ、こら、赤毛、何むっとした顔してんだ!すぐ顔に出るのはガキの証拠だ」

 アームレシーバーに弾薬庫にいる部下のウォルフガングから通信が入ったのが、小言の閉めの合図であった。

「おやっさん、ガトリング弾の搬出終わりました」

「全部出したか?」

「いえ、多少予備は残して……」

「馬鹿野郎!予備なんて必要ねぇんだよ、ネズミの糞まで洗いざらい運び出しやがれ!」

 大声を出すたび酒臭い臭いを周囲に振りまいている。

「あのひげおやじ、少しお酒臭いね……」

 ユキザネがミンの背中をつんと押して言った。

「あん、小僧?何か言ったか」

 ぎろりとオッターにすごまれたユキザネは慌ててウィルの後ろに隠れ、その場をやりすごした。


格納庫横の通路扉が音を立てて開き、その陰からヘルメットを小脇に抱えパイロットスーツ姿の河井が颯爽とした歩みで、彼らのいる方へ近付いてきた。首には白いマフラーが巻かれていた。

「タケルくん……それ……」

葉月の言葉に発した言葉に皆驚いたが、すぐに各々の少年たちに笑顔の火が点った。葉月、ウィル、ミン、ジョゼ、ユキザネらはじゃれつくボールを見付けた小猫のように河井のそばに駆け寄ってきた。

「すまない、遅くなった」

「あれ、その変な形のマフラーはどうしたんすか?」

 ウィルが何気なく河井に聞いた。

「俺のお守りだ」

河井は少し笑って言った。

「この頃、寒いもんなぁ……」

ウィルは見当違いなことを言いながら、祈るように両手を組んで嬉しそうに河井を見つめる葉月の顔を見た。

(隊長もすみにおけねぇなぁ、でも、この年の差はまずいぞ……隊長、いくら隊長でも少女趣味はまずいっすよ……)

「隊長!今日は僕を猫に乗せてくれるんだよね、早く戦ってみたいんだよ!」

 ユキザネがその場所でぴょんぴょんと飛び跳ねながら、いてもたってもいられない様子で河井の答えを待った。河井は軽く首を振りすぐにユキザネの身勝手な要望を否定した。

「今から命令をする、この命令に反論は一切許されない、まずウィル、コクピットを複座仕様に換装後、ユキザネを複座に乗せロシナンテアルファで待機、ユキザネは後部バルカンの射手を」

「エッ?何で……もご……もご」

 ウィルはむずがるユキザネの口を後ろから押さえている。

「了解、アキと空に上がります」

「いや、C滑走路上で待機、離陸は俺の合図が出るまでしないと約束しろ、MAOの後方支援と輸送機の援護を、勝手に離陸した場合は機動騎兵隊の任をその場で解く」

 河井が急に厳しい顔つきになった。ウィルは、河井のその顔に並々ならぬ意志を感じ、何も言うことができなくなった。こういう顔付きをしている時の河井は魔物のように見えた。

「ミン、お前もアルファ機の後ろでロシナンテベータにて待機、ウィルと条件は同じだ」

「はい」

「ジョゼは三型『リンクス』ベータに搭乗、葉月は二型『サイベリアン』アルファ、『リンクス』は重武装仕様に換装、各個の迎撃位置の詳細は追って指示するが、はじめに俺の『リンクス』アルファとジョゼのベータが敵進行方向前面に展開する、葉月は後方からロシナンテと戦車隊の援護を」

「了解!」

「おやじさん、よろしく頼みます」

「まかしておけ、若造、腰骨が折れるぐらいこいつらに武器を背負わせてやらぁ」

 オッターはそう機嫌良く言い残し、踵を返して機体の方へ走っていった。

「軍曹、まだ一機、『サイベリアン』ベータが空いてます!」

 ユキザネが不満たっぷりな表情で河井に質問した。

「小僧!それには、俺が乗る」

 少年たちの背後からいつものあの野太い声が聞こえた。振り向くとパイロットスーツ姿のプラントが、そこにいた。

「大尉!」

 ユキザネがあわてて口をつぐんだ。

「小僧、お前はな俺たちの戦いを間近で見ておくのが今回の重要な任務だ、最後まで絶対に目をそむけるんじゃねぇぞ」

「はい」

「声が小さい!」

「はい!」

「よぅし、そうやって男はでかくなるもんだ、時間だ軍曹、指示しろ」

 少年たちのさっきまでの暗い表情はもうすっかりと消えていた。河井は、その決意に溢れる全員の目を一人一人見終えると力強い声で号令を下した。

「高機動騎兵隊出撃!」

 機体の出力が上がるにつれて、足下の雪がもうもうと吹き上がり、辺り一面が白色に包まれた。それでも、雪で視界が閉ざされる前、整備兵の一人は左手でいつものサインを出し、騎兵隊の出撃の儀式を厳かに見守った。

 各機のコクピットの広域レーダーには敵の位置が自分たちのいるこのティンダスク基地を中心に徐々に輪を狭めている様子が映し出されていた。

 プラントが各部隊に檄を飛ばしている通信をバックミュージックに、河井の『リンクス』は所定の位置に地面を震わせながら移動を開始した。それに追いすがるようにジョゼの『リンクス』も一緒に移動を開始した。

(敵はどのくらい集まるか……)

プラントはMAOのコクピットの中で隙間無く尚も分析を続けている。味方の軍がどれだけ後続の群れを落とすことができるか、自軍がどこまで耐えられるか。頭に痛みが走るほど慎重に繰り返し考えていた。

(空中からの攻撃が続けば……)

 下から上を攻めること、それだけで圧倒的に不利であることは明らかであった。


 姿を見せることなく太陽とはいえないぼんやりとした塊が地平線から消えていく。MAOの周りに武器のスペアや弾薬がクレーンによって積み上げられていった。長距離ミニェーライフルは低い壁を作るように横一列に等間隔で置かれている。

「こんな田舎の基地にこれだけあったなんて、すごい量ね」

 ジョゼがその山のようになった弾薬を見て思わず言ってしまった。

「この前、シュミットさんが持ってきたのも入っているんだって」

「もって二時間だ」

ミンとジョゼの会話を通信で聞いていた河井はと冷静に言った。

「そ、そうですか……」

 その言葉に二人は自分たちの想像以上の戦闘がここで行われることを予感した。


「アキ、お前本当に怖くないのかよ」

 ロシナンテ輸送戦闘機の二人、ウィルは背中合わせのシートに座るユキザネに話しかけた。

「だって、まだ本当に戦ったことないから、でも少し楽しみなんだ」

「俺以上におめでたい奴だな、武器は使えるのかよ」

「ウィル、僕とどっちが敵を墜とせるか競争しようか」

「やめとくわ、今日はあんまりその気分じゃないんだよなぁ」

(いつから俺はこんなに臆病になったのかな……)

 ウィルは、あの歩兵となって戦った記憶を思い出していた。


 葉月は、MAOのコクピットの中で一人静かに目をつぶり通信を聞いていた。ヘルメットのバイザーが計器の光によって淡く青白く照らされている。

「やらせない。タケルくんを、みんなを、絶対にやらせない、絶対に……」

 敵の到達予測時刻までついに一時間を切った。

 普段は猫の輸送に使われているトレーラーの上に、地対空ミサイルを乗せたM四十五連装ランチャーが、空の一点に照準を向けていた。


「これっぽちだけ撃っても意味ねぇんじゃないの?」

 兵士が白く塗装されたミサイルを見上げて同僚の兵士オウラにぼやいた。

「これは、始まりの花火だろ、雪の上の花火なんてきれいじゃないか」

 オウラはそう言ってちらと横目で遠くに待機しているミンの乗ったロシナンテ輸送戦闘機を見た。あの少しとぼけた彼女とはもっと話をしたかったと思った。

「冬に花火か?」

「俺の生まれた所は冬祭りに花火を上げるんだよ。」

「そうかい、おっと、もう一台がやっと来たぜ、誘導してくるわ」

 兵士は、雪煙を上げて近付く車両を、誘導灯を手に出迎えに行った。


 プラントの指示により歩兵戦闘装甲車は全て格納庫に移動させられた。まるで冬眠中のテントウムシのようにびっしりと這い入る隙間もなく整然と並んでいる情景は圧巻であった。そして屋外には、戦車と自走砲が魚鱗のような形の中央部が飛び出した陣を築いていた。格納庫横にはロシナンテ戦闘機と葉月のMAO、距離をおいてはるか前方にプラント、河井、ジョゼが搭乗したそれぞれのMAOが大量の弾薬の横に狙撃の構えをとっていた。

 一番数の多い虫の群れは、本部からの再三の情報の通り、この地域に向け徐々に数を増殖させながらバイカル湖上空を西に向かって進んでいる。

この群れが通り過ぎた地域にいた人々は恐怖に生きた心地がしなかった。曇天の中を羽虫の不気味な飛翔音が空を震わし続ける。おののきながらもその光景を見た者の印象は黒い積乱雲がそのまま塊となって移動しているというものであった。

プラントはその映像を隠すことなく、兵士にモニター回線を通じて見せた。これで臆するような連中ではないということを百も承知の上での行動であった。

「ここにいる、勇敢なる兵士諸君に告ぐ、こちら機動騎兵隊長プラント、今、俺たちはこれだけの大量の糞虫を相手にしなければならない、このように突然にあまりにも勝算の無い戦いになってしまうことについて許してほしい、作戦時にも言ったが、おりたい者は今でも遠慮無く言ってほしい、それは決して恥ずべきものではない、この戦いは今日この一日で終わりではないからだ、その方がよりつらい選択になってしまうことに同情さえ禁じ得ない……残る馬鹿どもに告げる、お前たちの大部分はこの冷たい大地に命を散らせることになるだろう、しかし、ここで奴らの数を俺たちの赤い血をもって極力減らすことにより、同胞の家族が生き延びる可能性があがる、幾多もの故郷の山河に草一本を残すことができる、まるきりの無駄死にではないのだ、無駄死にでは……」

 兵士たちはじっとプラントの語りに耳を傾けている。

「この一戦が、これからの同胞の春への扉を開けることになるのだ、そして……そして、俺はお前たちのような狂った者たちと同じ部隊で共に誇りある戦いができる奇跡を心から神に感謝している、本当にありがとう」

 プラントの通信はそこで終わった。

 旧世紀のロシアの探検家アルセーニエフは、この広大な森でナナイ族『デルス・ウザラ』という名の一人の猟師と出会った。彼は動物を殺す者を「悪い人」と言い、自分もその「悪い人」であると短い言葉で言った。

(奴らを殺しても「悪い人」になるのか、俺たちは……)

 話を終えたプラントは自問した。




(三)


 虫の群れの先端が形だけの最終防衛戦を越えた。

「攻撃開始」

 プラントの命令が全機に下されると、はじめに二機のM四十五から地対空ミサイルが一気に放たれた。空気を紙くずのようにゆがめた轟音はすぐに小さくなり、兵士達には耳鳴りだけが残った。

「軍曹、狙撃開始」

「了解、狙撃します」

 無人偵察機から転送される遠距離モニターには狂ったように迫り来るあの不気味な妖精の群れが画面から溢れるように映っていた。

 河井は、長距離ライフルのトリガーを何のためらいもなく引いた。最初の軌跡は黒い雲の中に吸い込まれるように消えていく。それを合図に、プラントとジョゼ二機のMAOのライフルが次々と火を吹いた。

 大きな薬莢が絶え間なく熱を帯びたまま吐き出されていく。それは基地のフェンスを飴のように曲げ、辺りに積もった雪を白い煙と共に蒸発させていった。確実に着弾しているとはいえ、レーダーのおびただしい赤い光点の数にほとんど変化は見られず、敵の進撃は衰える気配さえもない。


 ブルート隊の自走対空砲の砲塔が油圧ポンプのキリキリという音を立て、水平方向からそのごつい顔をゆっくりともたげさせはじめた。また、用済みのミサイルランチャーを降ろした二台のトレーラーは大型燃料タンクをかねての手順通り載せ替えると待機している葉月の『サイベリアン』の方へと移動を開始した。

「姫さん!お待ちどぉさん、猫の栄養ドリンク持ってきたぞ」

「ありがとうございます」

「おっ、いつもの声だね、安心したぜ」

 葉月は燃料パイプケーブルを『サイベリアン』背部のアームストロングキャノンに接続させた。にぶい接続音の後、いつものように内部エンジンの圧力がみるみると上昇していく。

「一時、穴ぐらに戻るけどよ、何かあったらすぐみんなで助けにくるぜ、また、俺たちを笑わせてくれよ、あのガキ共らと一緒にな!」

 トレーラーを運転していた兵士はにっと笑い親指を立てると、車からおり、迎えのジープに乗り込んだ。葉月は兵士達が格納庫へ戻る姿を見届けると、アームストロングキャノンのターゲットモードに画面を切り替えた。攻撃範囲が黄色い輪になって画面中央に描かれ、レーダーと連動した敵の位置がマーカーに示されていく。

そのマーカーが画面中を覆い尽くすのにそう時間はかからなかった。

葉月は、子供の頃に読んだ絵本の一節をなぜかふと思い出していた。


Who saw him die (誰が死ぬのを見ていたの)

I said the Fly(それは僕、蠅が言った)

With my little eye(この小さな目で)

I saw him die(彼が死ぬのを見ていたの)


 敵までの距離の数字が奈落の深海に沈んでいくかのように画面の片隅でどんどんとその数値を下げていく。突然、銃声が止み、木霊だけが名残惜しみつつ森の中をかけ渡っていった。

河井らの搭乗しているMAO各機は長距離ライフルから離れ、大容量の弾倉を装備させたスナイドルライフルやガトリングガンに持ち替え、互いの機体の距離を狭めていく隊形に移行しはじめた。

 そのつかの間の静寂の中、小さなおもちゃのモーターが回転するような音が西の空から小さく本当に小さく聞こえて来た。

(その蠅を殺すのは私、タケル君を守るの……そのために私は生きてきたの)


 プラント機動騎兵隊の極東ティンダスク前線基地というと聞こえがいいが、実際は三庫の格納庫と二本の滑走路、そして鉄筋二階建ての司令棟と宿舎がそれぞれ一棟あるだけの粗末な場所であった。そこに身体を寄せ合うように戦車や自走砲、迫撃砲、そして高機動兵器MAOが極小規模に展開されている。

 その少ない兵が一斉に行動を開始した。

 針葉樹林がすっぽりと吹雪をもたらす低い雲におおわれてる中、対空砲の発した光が空全体を稲妻のように幾度も瞬かせた。

『パック』と呼ばれる異形の妖精が集まり小さな基地を覆い尽くそうとしている。おだやかな春の雨でも、しんしんと降り積もる綿雪でもない。まるで全てを飲み込む空に突然吹き出した黒い激流そのものであった。

「葉月!」

 河井がスナイドルライフルを乱射させながら、葉月の機体に向かって叫んだ。

その声と同時に、葉月はアームストロングキャノンの光弾を妖精の雲の真ん中に叩き込んだ。ぽかりと空の中心に月食のような穴が開き、終わりかけた線香花火の火花のように妖精の残骸が地上に落ちていく。そこに向かって、チェ曹長の戦車隊が次々と砲弾を雹の如く降らせた。

 河井やジョゼの機体は風のように速い。密集体形を維持しつつ、不死鳥の翼のように広がるや、両翼から攻め込んでくる敵妖精の頭を的確に打ち砕いていた。

(これが、スレイブスシステムのできそこないと言われる連中の動きなのか?)

 プラントは思った。

 背後から彼らを援護する『ならずもの部隊』、それ以上に飛ばない戦闘機ロシナンテ二機からの火器の援護は見るも鮮やかなものであった。その数千匹はくだらない湧きあがる妖精群に一歩も揺らぐことはなかった。

「やるな、ガキ共!」

 プラントは、声を上げて喜んだ。


 ほんの数千メートル先に群れの密集度が高い箇所がある。葉月のMAOのアームストロングキャノンが再び閃光を放った。水平に近い射撃角度だったので濛々たる雪煙があがり、瞬時に水滴となって機体を濡らしていく。多くの木々を敵の死骸と共になぎ倒し、一本のまっすぐな焦げ茶色をした線を地上に描いた。

 間をおかず連射した砲塔はすぐに焼けただれ、使い物にならなくなっていた。葉月は、使用していたキャノンをすぐに外し飛ばして、機体の横に用意していた予備の新しい砲塔を固定させた。そして、外部ケーブルでチャージをしつつ、両手持ちのスナイドルライフルを使い射撃を続けた。

「次のチャージ完了まであと四十秒」

 葉月の心にもう一点の迷いもなかった。


 爆発音がおこった。戦車隊の数機が後方の車両を巻き込んで吹き飛ばされていた。敵の放ったプラズマ弾が落ちてきたのである。守備に専念する兵達が敵兵器の射程距離に入ったことを知った。

「くそっ、プラズマだ!」

 ウィルは、翼上部に備えているライフルで発射された敵の一角を狙った。

「面白い!シミュレーションゲーム通りだよ!」

 ユキザネは、笑いながら火器のトリガーを引いている。

「せいぜい今だけ楽しんでいろよ」

「えっ、ウィル、今何て言ったの。」

 一発のプラズマ弾がキャノピーの脇をかすめていった。ユキザネが今まで味わったことのない鋭い衝撃がコクピットを襲う。

「アキ!撃つのをやめるな!」

 ウィルの叫び声で、ユキザネは今まで引いていたバトルスティックのトリガーから反射的に指が離れていたことにようやく気付いた。


「猫に近付けさせるな!」

 戦車の中では、チェ曹長が怒鳴り続けた。プラント、河井らのMAOに敵の動きが集中してきているのが見えていたからである。彼らMAOのパイロットはそれを知って敵の主力を引きつけようとしているのだ。

「連射だ!連射!」

「いっぱいです!」

 スタンレー上等兵が珍しく泣きそうな声になっている。

「俺たちオヤジが頑張らなくて、誰があのガキ共を守るんだ?」

「わかってる、わかってますけど!」


 河井はプラズマ弾を避けつつ、背部バーニアを全開にしたまま敵の群れに飛び込む。そして、左右の機体安定翼を逆ハの形で展開させながら上昇し、三百六十度全方向から来る妖精の身体へ至近距離からライフル弾を食い込ませていった。

(お前らでも仲間は撃たないか)

 ライフルから空の弾倉がすっとこぼれ落ちていった。河井はすぐさまMAO腰部に装着されている弾倉をはめ込むと地面に向かって急速に機体高度を下げた。そこに葉月のMAOから三発目のアームストロングキャノンが放たれた。

 河井の機体を喰らおうと集まった妖精が空中でどろどろになった肉塊を散らし絶命していった。河井はそれらの最後を見届けることなく再び前進と後退を繰り返しながら射撃を行った。


「隊長があれだけやれるんだから」

 ジョゼは河井と葉月の連携攻撃の鮮やかさに目を奪われながらも、戦車隊まで敵を近付けさせまいとライフルを連射していた。彼女の視野に左翼から敵が集まってくるのが見えた。その動きの流れから、兵士らの籠もる格納庫に気付いたようである。

「いけない!」

 ライフルを捨て、傍らの連射ガトリングガンを抱えると、機体を急旋回させた。プラントもその動きに気付き、正面から左翼へと攻撃目標を変更した。

 対空自走砲隊のブルートは、上機嫌であった。

「こっちが指名してないのに!奴ら向こうからのこのこ来やがったぜ!」

「隊長!がつんといきましょう!」

「ナニの先からウミの出る病気もらうんじゃねぇぞ!」

「うぇっ?!」

 砲撃の狭間を縫って、妖精が一台の自走砲の上部にとりついたが、ジョゼのガトリングガンの格好の獲物となっただけであった。蜂の巣のように千切れ飛び、緑色をした内臓のようなものがアスファルト上にびちゃびちゃと散らばっていく。

「カシム曹長、大丈夫ですか!」

「てめぇのでかいケツに隠されて撃てねぇじゃねえか!そこどけ、ただ、礼だけは言っておく」

「もう!」

 そのジョゼの機体へ右後方の妖精がプラズマ弾を放とうとしていた。

「あっ!」

 濃い弾幕が近くにいた妖精達を真横から根こそぎ吹き飛ばしていった。

「こんな時にけんかはいけません……よね」

 ハイパーバルカン砲。ミンのロシナンテ輸送戦闘機から放たれたものであった。


(四)


 どのように反撃していても、限界というものはあった。妖精や虫の甲高い叫び声が天地のあらゆる場所に満ちあふれてきた。四方から来る攻撃をこの時間まで何とかしのぐことができていること自体がまさに奇跡であり、それと同時にMAOの能力の高さがここでも立証されたことに間違いはなかった。だが、守られるべき戦車や自走砲は徐々にその数を減らしてきた。

「軍曹、来ると思うか……」

味方の増援をである。

「堕天使(新型核爆弾)だけは間違いなく」

プラントの問いに河井は短く答えた。このように一極集中した敵を殲滅する絶好の機会を軍は無駄にしようとは思わない。

「やはり感情だけでは戦争はできねぇな」


 同時刻、彼の言葉通り、堕天使を積んだ爆撃戦闘機が、東欧の空軍基地を飛び立とうとしていた。


 プラズマ弾が戦車隊の中心に落ちた。もう敵の攻撃を防ぐことは事実上不可能であった。

 ユキザネの乗る機体の正面ガラスに親指だけかろうじて付いている男の腕が一本だけへばり付くようにぶつかり、血のりをべったりと残し転がり落ちていく。

「あ……あぁっ……」

 ユキザネが自分の顔を突然両手で覆った。自分の頭をなでてくれながら笑う『ならず者部隊』の兵士の面影、それが脳裏に突き刺さってきたのだ。

「アキ!アキ!しっかりしろ!馬鹿!右だ!右!くそっ!」

(なっ、遊びじゃないのがわかったろ?)

 ウィルはそう思いながらも、声を振り絞ってユキザネに叫び続けた。


 既に葉月のアームストロングキャノンは全弾撃ち尽くした。右翼の敵に狙いを定め、残りのライフルの銃弾をおくる。レーダーは妖精に遅れてハムシタイプの敵が来襲することを色の違う光点によって告げていた。

「大尉、そろそろ行かせます」

 河井はその様子を見て言った。

「ああ、いいタイミングだ」

 プラントは攻撃しながら静かに答えた。そして、すぐに待機している輸送機の中にいるグラ・シャロナに通信を入れた。

「グラ、時間だ、良い女ほど苦労するとは本当だな」

 広い操縦室に一人だけで座るグラは、唇を噛んで滑走路の前方を見つめたまま、聞きたくなかったプラントの言葉に短く返答した。

「私はこういう生き方しかできないみたい、ご幸運をプラント大尉」


「えっ?」

 今まで格納庫に待機していた装甲車両が機銃を掃射しながら次々と屋外に出てきた。

「何で出てきたの!」

 ただの装甲車がこれだけ近い距離で、妖精の群れに対し無力なことは明らかである。葉月は絶句した。

「猫、ロシナンテ各機に命令する!」

 河井の通信が飛び込んできた。

「葉月の『サイベリアン』は全武装を解除し大型輸送機へ、ジョゼはミンのロシナンテへ急行!ウィルは輸送機の援護を、そして至急この地より離脱!目的地はレイクレイ!」

「レイクレイ?」

 聞き慣れた北米にある基地名に少年たちの時間が凍り付いた。

(この装甲車は、私たちを脱出させるためのオトリ?)

「河井隊長!」

「すぐに敵の新手が来る、命令だ!」

「そんなのできるわけない!できるわけないじゃないの!」

 葉月が叫んだ。

 沈黙を維持していたウィルは顔を苦痛にゆがませ復唱した。

「河井隊長!行きます!ウィリアム、ロシナンテアルファ、離陸します!」

 ジョゼも苦々しい顔をしたまま何も言わず、機体をブーストさせ、全武装武器を解除し飛び乗るようにしてミンのロシナンテにドッキングした。

「葉月ちゃん、行くよ!ミン、ロシナンテベータ、離陸します!」

 機銃の威力はあっけない。装甲車両が紙製の玩具のようにぐしゃりと踏みつぶされていく。河井とプラントの機体は少しでも少年達の脱出の妨げにならないよう、前方の敵を減らすことに集中した。

「行け!葉月!」

 河井は葉月に対して今までにないような声で怒鳴った。

「だ、だって!」

「行け!時間がない」

「早く行くんだ、俺たちの親指姫!」

「何もたもたしてやがるんだ!糞野郎!」

「そのかわいいケツ後ろから叩くぞ!」

 回線がオープンになり聞き慣れた兵士たちの声が次々と飛び込んで来る。

「み、みん……な……」

 兵士たちの声はどれもいつものように明るい。

「俺たちの希望だよ、お前らは!だから生きてくれ!」

 葉月は首を振った。

「嫌だ……嫌だ、嫌ぁ!」

「行け!馬鹿野郎!お前がみんなを守らないでどうするんだ!」

 河井の声が葉月の心をこれでもかとさらにきつく締め上げる。

「葉月、愛する人を困らせては駄目、早く載りなさい」

 グラのいつも以上の冷静な声が葉月のコクピットに響いた。

「葉……葉月『サイベリアン』、離脱し……ま……す……」

「すまない、ウィル、ミン、ジョゼ、ユキザネを頼んだぞ、葉月……君が生きていてくれて俺は嬉しかった……」

「りょ……了……」

 少年たちは涙に詰まって声が出ない。ユキザネはコクピットのシートで呆然としていた。

「な、何で僕たち負けちゃうの、何で教えてよ……ウィル、違うよ、こんなの違うよ!」

 泣きべそをかきながらこの少年は惨劇の続く燃えさかる窓の外へ震える視線を落とした。その時、蒼い球体の光の中、透き通る蝶の羽を持つ一人の少女が、蠅の頭を持つ幼児らを周りにかしずかせ立っているのが見えた。

「あ……あいつは……」


 それぞれMAOを搭載した輸送機と二機のロシナンテ輸送戦闘機は、エンジン出力を最大限に上げ、離陸を開始した。

 妖精の攻撃を器用にかわしながらこのエリアを高速度で離脱していく二機の機影が雲の中に消えていく。

「何も……結局何もできなかった……私は何もできなかったじゃない!」

 葉月は自分の運命をこの時ほど呪ったことはなかった。コクピットコンソールを血の出るまで小さな両の拳で叩き続ける。自分の一番大切な人を守るどころか自分の命のために犠牲にしてしまう、その心の痛みにじっと耐えることなどできる訳がなかった。


(五)


 少年たちの脱出を見届けるまでと辛うじて守っていた戦闘車両の堰が一気に決壊した。基地の左右から狂乱する妖精の群れが津波のように押し寄せてくる。

「軍曹、ガキに戦争やらせるようじゃ俺たちもしまいだな」

「私もそう思います、大尉」

 河井はそう言いながら、そっと自分の首に巻かれた白いマフラーの感触を手袋の上から確かめた。

「そうか、そうだろ!ははは!もう少しお前とは酒が飲みたかったなぁ、まもなく軍の堕天使もここへ遊びに来るだろうよ、よぅし、先に逝かせてもらう、あっちで奴らが待っている」

「了解、河井、『リンクス』続きます……」

 二機のMAOは装甲版のはがれた箇所から黒いオイルの血を流しながら、まるでこれから遊びに行く雄猫のように軽やかに戦場の闇の中へ、その身を投じていった。


All the birds of the air   (大空全ての鳥たちは)

Fell a sighing and a sobbing (ため息ついてすすり泣き)

When they heard the bell toll (鐘が鳴るのを聞いていた)

For poor Cock Robin      (哀れな駒鳥お弔い)


 後日、この基地の存在、戦闘、兵士の生死に至る全ての記録が軍の公式書類上から抹消された。









第四部「凍土激戦」 おわり




第五部「翼の猫」へつづく

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