第三部 空音
豪州戦線において『デスペラード』隊の機動騎兵兵器は、
甚大な被害を受け、豪州統合本部基地での整備を余儀なくされる
そこにヴィラをリーダーとする新しいMAOと少年兵が派遣されてきた
残党狩りにひたすら狂喜する彼らの様子にカスガは強い違和感を抱く
響き渡る警報
研究のために密かに統合本部基地に運ばれた妖精と虫が
蘇生し、市街地は住人の阿鼻叫喚に包まれる
機動騎兵兵器が使用できない状態の中
金色の繭の中に閉じ込められた者たちを救うため
『デスペラード』隊は歩兵戦を決断する
◆ 登 場 人 物 ◆
河井タケル 機動騎兵部隊小隊長 MAO第三型『リンクス』に搭乗 ホーム出身の四人の少年
パイロットと共に、チトセ基地より機動騎兵特別部隊『デスペラード』に合流する
千早葉月 MAO第二型『サイベリアン』に搭乗機 機動騎兵特別部隊『デスペラード』に所
属する 初期実験用操縦者として天才的な技能を有する
カスガ・ソメユキ 河井小隊に所属するホーム出身の少年
ウィリアム・ボーナム 河井小隊に所属するホーム出身の少年
ミン・シャラット 河井小隊に所属するホーム出身の少女
ジョゼッタ・マリー 河井小隊に所属するホーム出身の少女
グラ・シャロナ 国際連合軍機動兵器システム統合部特別補佐官付
ゲオルグ・シュミット 国際連合軍機動兵器システム統合部特別補佐官
ジョン・プラント 機動騎兵特別部隊『デスペラード』隊長 階級は中尉
サラム・サイモン 国際連合軍技術開発部技術官 新型機の整備担当として『デスペラード隊』に合流
チェ・ソンド 『デスペラード』隊 戦車部隊長 階級は曹長
カシム・ゴンザレス 『デスペラード』隊 砲兵部隊長 階級は曹長
ジョアン・ペイス 『デスペラード』隊 通信兵 陽気な通信兵
ウォルフガング・オットー 『デスペラード』隊 整備兵 サイモンの良き部下
ピート・レジェップ 『デスペラード』隊 歩兵部隊所属 階級は伍長
ドノバ・マイナ 『デスペラード』隊 歩兵部隊所属 階級は兵長
アキ・ユキザネ 南太平洋オルファン国際訓練所で訓練中の十歳の少年
ヴィラ・フェルナンデス 新しく戦場に投入された機動騎兵部隊の少年
ジャニス・メナン 新しく戦場に投入された機動騎兵部隊の少女
この地に建築され幾百年風雨に堪え忍んできたことであろうか。
紅葉に染まる古寺の五重塔は華やかさ以上に年月相応の気高さを兼ね備えていた。
舞い散る赤い楓の葉が岸を丸石で囲み、澄んだ水を湛えた池の上に一枚、また一枚と小さな波をたてていく。
かすかに何かの音が聞こえてきた。
老樹の松の枝で百舌鳥が潰れた口笛でこの世の無常さを歌った時、青いペンキの剥がれた木製のベンチにもう人は座っていない。誰かに置き忘れられた片方の子供靴だけがその下に寂しそうに転がっている。
鐘が一つ突かれた。
鐘の音は永遠という時の静寂にその余韻を埋めていく。
音に驚いた鴉が二羽、黒い風切り羽根をはらりと落とし、鳴き声を交わしながら山の奥へと消えていった。
小さな音が聞こえてきた。
長く延びる石段の脇に生えた夏の名残の羊歯の葉が小刻みに震えている。
遊ぶ幼子が絶えた公園の錆びた鎖のブランコは風もないのにほんの少しだけ揺れはじめた。
また一つ鐘が鳴った。
少年は母親の制止を聞かず、電気のつかない暗い部屋の中でカーテンの隙間からそっと表の様子を伺うと、小さく見える五重塔の向こうの空の異変に気付いた。
黒い帯が時には固まり、時には墨を流したような細い筋となり無限にその姿を変化させながら大空に流されていく。
少年は心の底から驚いた。
今まで想像していたものと異なり、そこにはあまりにも幻想的な風景が描かれていた。だが、すぐに少年は見てしまったことをとても後悔した。相手も自分に気付きじっと見返している、少年はそのように見えた。
大きな音は乳児が段々と歩み寄るように増してきた。少年はあわててカーテンを閉め、布団を頭からかぶり身体を丸めた。
母親の自分を呼ぶ声が雑音と振動にかき消されていく。
音が消えた。
少年は不安に押しつぶされそうになり、たまらずカーテンの隙間から表を見た。低く連なる山並みを背景にへし折られた五重塔、そして自分の存在に気付いた妖精は目のない顔で嬉しそうに笑った。
鐘の音が止んだ。
第一話 「洗礼」
(一)
十年前の夏の昼下がり、東京の空は夕焼けのような朱色に染めぬかれていた。
あの日、川縁の避難所から虫の襲撃を避け、逃げてきた二人の目の前には、荒れ果て黒こげになった街の残骸だけが地平線まで広がっていた。その先には今まで建物の陰に隠れて見えなかった秩父山地の山々だけが、靄の向こうにうっすらと稜線を描いているのが見えた。
「何もない」
葉月は、その場に立っていられず、タケル少年にふらりと倒れかかった。タケルは鳥のように軽い葉月の身体を地面に触れないようすぐに抱きとめた。
「虫が来る、歩くんだ」
気力だけでここまで歩いてきた葉月は、前に向かってもう一歩も踏み出せなくなっていた。
「歩くったってどこに行くの、もう家だってない、どこに行っても殺されちゃうの、みんな死んじゃうの」
「それでも行くんだ」
タケルは優しく右手を差し伸べたが、葉月は涙を流したまま拒否し続けた。
誰もいなかった二人の周りにも、時が経つにつれ、恐怖に怯え逃げ惑う避難民が大量に押し寄せてきていた。
「僕はまだ死にたくない、葉月ちゃんにも死んでほしくないんだ、いつか、みんなに会えるかもしれない、あきらめたらだめなんだよ」
「私なんておいていって、おいていってよ」
「行こう、これから僕が葉月ちゃんを守ってあげるから」
タケルは泣き止まない葉月を横から抱きかかえるようにして立たせ、無理矢理歩かせた。
二人は無意識のうちに煙の中に隠れつつある山が見える方向へ歩みをゆっくりと進めた。
なぎ倒されたままの葉が干からんだ街路樹やコンクリートの残骸が転がる道路に、避難民を乗せたトラックが二人の横を何台も行き過ぎていった。
そのうちの一台が大きなブレーキ音をたてて止まった。
「お前たち、親はいないのか、早く乗れ、奴らが来るぞ」
荷台には、なぜか他のトラックとは違い、子供たちだけが大勢乗っていた。どの顔も薄汚れ、怯えの色が濃く浮かんでいた。
タケルは葉月を先に下から支えるようにして荷台に乗せた。そして、運転手に合図を送った後、飛び乗るようにして、葉月の側に身を寄せた。
「このトラックはどこに行くの」
「わからない」
「どこかの飛行場みたい」
「怖いよぉ」
二人は、福生の横田基地から、外国へ避難する輸送機が出ていることを子供たちの話からおぼろげながら知ることができた。
「また燃えている……」
タケルは荷台から自分たちのいた方向を振り返ると黒煙を背景にトラックや乗用車の列が延々とつながっているのが見えた。
削られた丘陵地帯を抜けると、平地に伸びる国道十六号線に沿って、鉄条網のついたフェンスと避難民のテントが延々と連なっているのが目に入った。
前方左にまだ真新しい基地の簡易ゲートが築かれていることにタケルは気付いた。
「ストップ」
自動小銃を肩に掛けた白人の守衛は、運転手のライセンスとナンバーを見、問題がないことを確認すると、右手をあげ監視棟に合図をおくった。黄色と黒の遮断棒が上がり、さらにその向こうの鉄製のゲートがゆっくりと横に開いていった。
「タケルくん、ここ、どこなの?」
「アメリカの基地だよ、前にさっきの国道を通ったことがある」
「あそこにいる人たちは何で入れないの」
多くの避難民が金網に両手で取り付いてこちらを見ていた。金網の手前には軍用犬が何匹も放たれており、越えようとする者達に威嚇のうなり声を上げている。
「わからない……」
犬の吠声が銃声に変わるのを耳にしながら、青ざめた表情の葉月に河井はそう答えることしかできなかった。
「着いたぞ、早く降りるんだ!」
滑走路を走り抜けた先の停車した場所にアメリカ兵が待機していた。彼らは次々と荷台から子供たちを下ろしていった。そのすぐ側には巨大な輸送機が横に四機並びエンジン音を響かせている。
「心配シナイ、安全ナトコロニイキマス」
「ガールズ、コノ飛行機ニ、ボーイズ、アノ飛行機」
「タケル君……」
タケルは握っていた冷たい葉月の手を両の手で優しく包んで言った。
「着いた向こうでまた会えるから、頑張るんだよ、絶対に死のうと思っちゃだめだよ」
「タケル君!」
「そこ、何している!」
運転手が二人の間に割って入った。
「虫が来るぞ、早く乗れ!」
子供たちは皆、泣くことも忘れ、指示された大型輸送機へと走る。タケルも葉月の後ろ姿を時々目で追いながら足をはやめた。
紙鉄砲をポンとならしたような音が聞こえた瞬間、ゲートのある方向の建物から黒煙が上がり、銀色の光が上空を行き過ぎた。
「虫だ、走れ走れ!」
大型輸送機の周りの兵の動きが慌ただしくなり、タケルも輸送機に後ろから突き飛ばされるように乗せられた。同じ年頃の少年たちが暗い貨物室でひしめきあっている。機体の後部ハッチが閉められたと同時に機体に大きな振動が伝わった。
「葉月ちゃん!」
タケルの乗せられた貨物室には窓がついていない。あれは爆発音だ、立ち上がろうとすると、兵に着席するように怒鳴られた。機内放送で今の状況が告げられるはずもなく、この場に全く不似合いなモーツァルトのピアノソナタが静かに流されている。
輸送機が離陸した。
何時間、飛行機に乗っていたのか、時間の感覚はもうとっくに麻痺していた。輸送機から空港へ降り立った時に、はじめて吸った空気は、とても乾いているとタケルは思った。
後から来ると聞かされていた輸送機は、その後一機も到着することはなかった。
(二)
MAOの投入など鳴り物入りで立案された『風の城作戦』は、人々を混乱に陥れたまま、再演の幕を開こうとしている。
新型投下型核爆弾『エンジェル・ボム』の威力を物語るかのように、爆心地には大きな穴が開き『風の城』は痕跡が残るのみとなっていた。そして、その大きすぎる代償として、数多の兵士が命を落とし、夕暮れ時に燃えるように赤く染まるアボリジニ聖地の美しい景色は、あの日を境に地図上からかき消された。
城という拠り所を失った虫や妖精の多くは、尚も四方に分散し狂ったような攻撃を続けており、砂の中に潜んでいると思われる敵の数の多さに、生き残った連合軍は為す術がなくなっていた。
このような規模の虫の塔はわかっているだけで、この地球上に三本立っている。そのため、この前線だけへの補給は容易ではなかった。
プラント中尉率いる高機動騎兵部隊を含め、戦いの中でこれだけ多くの兵士が死傷したことは前代未聞であり、その主な原因が味方による爆撃であった事実は最大の皮肉としか言いようがなかった。
今まで使用していた前線基地は放射能被害を受ける恐れがあるため全面廃棄、前線第二基地ははるかに後退した位置につくられていた。軍の中では爆心地より三百キロも離れたこの場所に「前線」という言葉を冠するのはいかがなものかという議論もあったらしいが、この噂を耳にした前線の将校は「司令部は愚者の掃き溜めだ」と侮蔑した。
風向きが変わったことを知らせる基地のサイレンが唸るように辺りに鳴り響いた。屋外で作業していた兵士は、近くの車両から着慣れない放射能防護服を取り出しあわてて着替えていく。
(うまくいかねぇ時はうまくいかねぇもんだ)
狭い休憩室の窓からプラントはその様子を眺めながら、彼には珍しく神妙な顔つきで一人、紙コップに入った冷めかけたコーヒーを飲んでいた。
「そこにいたか糞野郎」
入口から一人の男が入るなりプラントの姿を見て声を上げた。
「親父さんか、いつオルベリーから戻ったんだ」
「けっ、珍しい物飲んでいやがる、どぶ水で酔っているのか、変わった奴だ」
「不味いコーヒーで酔ってみたいもんだ」
「糞ゴリラが、シケた面しやがって、そんな繊細な野郎のふりするんじゃねぇ」
川獺の愛称をもつ技術官はそう悪態をつきながら、机を挟んだ向かいの椅子に腰を下ろした。
「猫だけでどうにかできるような状態じゃなかったってことよ、まして連合軍は寄せ集めの馬鹿集団ときてる、自分の国で偉い階級をもっていた奴ほど名声をあげることに執着してるんだよ、そんな糞がまとまる訳ねぇ、糞は多いほどくせぇだろ」
そう言いながらオッターは自慢の髭をピンと右手ではじいて言った。
「ところで陸軍病院につっこまれたうちの親指姫の具合はどうなんだ」
「あいつの機体共々、オルベリーシティにホームステイ延長決定だ、時々、目を覚ましてはいるそうだが、原因はわからねぇ」
「一番大事な時に失神しやがったからな……」
「それだ、その件について俺はどうも腑に落ちないことがある」
「何だ?」
「あれだけの防御力を誇る機体が、戦車の砲火を浴びたからといって、中の者を気絶させるほどの影響が出るものなのか」
プラントの問いにオッターは急に声をひそめた。
「考えていることは同じだったか、お前さんに聞きたいことがあって、このど田舎まで来てやったのよ、あの後なぁ、うちのかわいい馬鹿どもがオルベリーの臭ぇ基地で整備しているとどうにもわからない通信記録がでてきやがった、本当は電話ですませたかったんだが、そうもいかねぇと思ったんでな、お前さんの機体を届けるついでに来てやったのよ」
「?」
「機体からヘルメットを通して脳に直結する信号、それも今までに見たことのねぇ波形だ」
「何の信号だ?」
「お前は俺の思っている以上のいかれ頭だな、それを俺が知りたかったんじゃねぇか。まぁ俺が言えることは一つ、信号があのガキの脳をレイプしようとした途端、気絶、いや拒絶したってことだ」
「昔、日本が南極で使用した何とか戦闘補助システムっていう奴か?」
「似ているな、だが違う」
「その通信の発信元は」
オッターはその先から声を出さず、机に指を使ってアルファベットで『ACC(豪州中央司令部)』とだけ書いた。
プラントはそれを見て、眉間に深いしわを寄せた。
(猫に何か仕掛けている?)
オッターはポケットからちり紙を出して、鼻を大きくかんだ。
「ここの砂は放射能のタバスコ入りか?鼻がかゆくてたまらねぇ、レイクレイからの子犬共はどうだ、あいつらの機体記録を見ると、お前さんの倍近いスコアが出ているぜ」
「悔しいが今回だけは奴らに助けられた」
「その素直さは怪しいもんだ、猫も馬も整備していて無駄がなさすぎて面白くねぇ、まるでプラスチックでできたガキのおもちゃだ、火薬の匂いのする錆びた鉄くずはお前さんの年齢で最後だな」
「おもちゃか……おっと、噂の飼犬との打ち合わせを思い出した、もっと話をしていたかったが行かせてもらう」
プラントはそう言うと椅子から立ち上がり、椅子の背もたれにかけてあった上着をはおった。
「親父さん、礼だ。飲みかけですまないが俺のコーヒーをやる」
「いらねぇよ、糞ゴリラ野郎、財布ごと置いて行け」
プラントは笑って、腰のポケットから財布を取り出しそれごと机上に放り投げた。
「おい、お前さんはいつから冗談の通じない間抜け野郎になっちまったんだ」
「感謝の気持ちだ、やはりうちの姫の責任じゃないのが分かったことで十分だ」
目を丸くして驚くオッターの表情を尻目にプラントは休憩室から出て行った。
第一次『風の城』作戦を終えた後、初めて河井小隊の面々に生身で接した時、プラントは、ただただ絶句した。
隊長の河井ですら、少年の面影を引きずっているというのに、他のパイロットは、まるで子供であった。その子供たちが、落下してきた敵の撃滅に単独で成功し、彼らの救援無しでは葉月をはじめ、自隊は全滅していた。プラントは葉月だけが特別な存在ではなくなってきたのだということをあらためて感じていた。
小型端末と五十インチモニターが据えられた粗末な作りの作戦室に入ってきたプラントを河井は立ったまま迎えた。
「軍曹、座れ」
プラントは椅子に座り河井の顔をまじまじと見つめた。爆心地に最も近いところで葉月のMAOは虫の攻撃に身をさらされていた。しかし、この男は顔色一つ変えずに高機動騎兵の長所を生かして火中に飛び込み、外装のほとんどの部分を熱で溶解させながらも、パイロットごと無事脱出させてきた。
(この小僧に、なぜあれだけのことができるんだ)
彼の観察癖に気付いていた河井は黙ってプラントの指示を待った。
「子犬共の使っている猫と馬の整備の状況は」
「リンクス一機と二機のロシナンテはすぐにでも出撃できますが、もう一機は、完了まで八十五パーセントという報告をオルベリー基地から受けています」
「そうか……」
河井は、『風の城』作戦の結果に対し、連合軍内部のみならず各国から批判が続出しているのを耳にしていた。残留放射能の嵐の中、再び出撃命令が下るのも近いということをプラントの苦しい表情から感じ取った。
プラントは河井の目をぐっと見据えたまま小声で質問をした。
「うちの千早葉月特務兵とは知り合いだったらしいな、そのことについていくつか聞きたかったことがある」
「はい」
「あいつから、その話は何となく聞いていた、だがな、初めてその話を聞いた時、誰でももつ疑問をもった……あいつの顔を見たお前も同じだろう」
「年齢のことですか」
「そう、良い年齢になっている娘が姿格好ガキのままだ、あいつは、それについて何も答えないし、俺もそれ以上の追求は特にしなかった、軍の養成施設で混乱した仮想記憶を植え付けられている程度のことと思っていたが、どうやらそれも違うようだ、教えろ、葉月は本当はいくつになるんだ」
「私と出会った頃から十年は立っていますので、二十歳前後かと思います」
「あいつのふだん言っていた冗談が、冗談じゃなかったってことか……」
プラントは視線を斜め下に一度軽く落とした後、机の上でゆっくりと肘をつき自分の両手を顔の前で組み合わせた。
「葉月といい、お前の小隊の子犬共といい、ホームの出は一体何者だ、なぜ、こうも簡単に短期間であの猫を扱える?」
MAOに搭載されている『スレイブス(奴隷)』のことを遠回しに聞いているのかと河井は思ったが、その件について自分から触れるなと、オリバー教官から強く口止めされていた。
(奴らを木偶のままにしておくな。)
「わかりません」
河井はオリバーのそう言った時の顔と、システムが作動した際の苦しむカスガやウィルの顔を思い出しながら短く否定した。
「軍曹、お前の目には戸惑いの色が滲み出ている、俺も人のことは言えないが、相手がどのようなことを言ってきても心を動揺させるな、安心しろ、俺は お前の尋問官ではないし、葉月のことについても俺以外ここでは誰も知らない、だがな……俺は経験主義者なもんでな、そこら辺の子供が短期間であの兵器を扱うことを今でも認めたくないだけだ、そして……」
プラントは手をほぐし、河井の目を見て力強く次のように言った。
「千早葉月という仲間を放ってはおけない」
プラントの鷹のような眼光を前に、河井は未だ口をつぐむことしかできなかった。
(三)
ウィルとカスガが操縦する二機のロシナンテ戦闘機は、爆心地上空の哨戒任務を終え着陸態勢に入っていた。
「高度そのままを維持、よぅし、タッチダウン」
二人は管制官の指示に従って、急ごしらえの基地滑走路に砂煙を巻き上げながら着陸させると、それぞれ機体を誘導路へと進入させた。
「こちら、管制室、ロシナンテの着陸を確認した、このまま誘導路を進め、先にプラント中尉の『サイベリアン』を載せたトレーラーが見えるだろう、その横に駐機してくれ、大気の関係でまだ放射能警戒レベルが高い、念のため次の指示があるまでパイロットは搭乗したまま待機していろ」
「了解」
「なぁ、カスガぁ、匂いも色もないのを警戒するってのも、ピンとこないよなぁって、お前、俺の話聞いてんの?」
ウィルからの通信をカスガは上の空に聞きながら、風防越しにトレーラー上に横たわったMAO二型『サイベリアン』を見ていた。
「あ、もう戻ってきていたんだ。中尉の機体ってうちの小隊の三型よりもパワーがありそうだね」
「かぁっ、やっぱり聞いていないな、こいつ」
「あっ、何か言った」
「知らねぇ、謝るまでお前とはしゃべらねぇ」
「ごめん、ウィル」
「お前、ちょっとおかしいぞ」
破損し修繕中のもう一機の二型に乗る『葉月』という少女のことが、カスガはずっと気になっていた。レイクレイ基地の木陰での出会い、そして戦場での突然の出会い、それは訓練しか知らなかった少年の心に強い印象を与えた。
彼女は今、豪州司令部がある軍の病院に入院していると聞いている。一瞬会いたいと考えた自分の思いをカスガは一人首を振って打ち消した。
(四)
患者衣を身に纏った葉月の目前にはツユクサのような蒼く小さな花が咲き乱れている草原がどこまでも続いている。空にぽかりと浮かぶ白い綿雲が柔らかい日差しを遮り、影を落としながらゆっくりと草の上を撫でていった。
(ここはどこなんだろう)
裸足のままの葉月は羊毛のような不思議な感触の草を踏みしめながら自分が今歩いているところについて考えていた。
「君も連れてこられてきたの」
涼やかな少年の声に葉月はふり返った。
絵本の世界からそのまま飛び出してきたようなつぶらな青い瞳と金色の髪を持つ少年が花の中から上半身を起こしていた。
「教えて、ここはどこなの」
「僕にもわからない、気が付いたらこの世界にいつもいるんだ」
少年は身に付いた草を払いながらゆっくりと立ち上がった。背格好から十歳にも満たないと葉月は思った。
「その服は……」
葉月は少年の着ている服に見覚えがあった。灰色の生地に藍色のライン、それは施設で葉月自身や死んでいった友人が毎日のように着せられていたMAO用の実験搭乗服であった。
「あなた、もしかしてオルファンの実験兵?」
「うん、僕はアキ・ユ……」
強烈な白い光が謎の少年の胸を中心に広がっていった。
病院のベッドの上でうっすらと葉月は目を開けた。
小さいくぼみがいくつもある明るい天井と黄色い液体の入った点滴液の入った袋から、管の中に雫がぽたりぽたりと落ちているのが目に入った。いつの間にまた眠ってしまったのか、葉月は自分のいる所を病院の一室であることを思い出した。
「まるで眠り姫ね、寝ていても王子様は迎えに来ないわよ」
昼下がりの陽光が差し込む病室に、どこかで聞いたことのある声が響いた。
スーツを着た一人の女性が今まで使用していた携帯端末を自分のバッグにしまった。
「シャロナ……いつからここに……」
葉月はグラ・シャロナにつぶやくように言った。
「着いたのは昨晩、ここに来たのは二時間くらい前かな、上から命令されてねというか、簡単な話、左遷よ」
「前線に……一人で?」
「だから来たくて来たんじゃないって、それよりどうなの調子は」
「まだ何かだるい……」
「馬鹿な質問の仕方だったわ、あなたじゃなくて『サイベリアン』の調子よ」
葉月はグラの顔から目をそらし天井を見つめた。
「すごくいい……」
「それならいいわ、てっきり飼うことを拒否したのかなと思ってね」
「拒否?」
葉月がまたグラの顔を見つめた。
「そう、拒否……拒否できない中での拒否」
意味深な悲しい笑いを浮かべてグラは立ち上がると、レースのカーテンに少しだけ隙間をつくり、外の景色を眺めた。十二階の病室の窓から見る景色は眼下から地平線まで、高層建築物はないものの整然とした地方都市の街並みが広がっていた。
「この街はまだ攻撃を受けていないのね、きれいとはいえないけれどまぁまぁな街だわ、これから買い物でもしようかしら、何か欲しいモノある?」
「何も……」
「そう言えば、あなた、あの子たちにはもう会ったの?」
カーテンを閉めながらグラは葉月の方に振り返った。
「あの子たちって」
「ミンやジョゼ、それにカスガやウィル……そして河井軍曹」
何かを思い出したように葉月の頬が少しだけ赤く色付くのを見ると、グラの目も優しくなった。
「まだ……モニターの中だけ、でも……何か……」
「あなたが『サイベリアン』に乗って生きている限り、ずっと彼の側にいることができる、彼が死んだ場合は別だけど、選ばれたあなたは大切な人を守るためにこれからも戦うの」
「私が守るために戦う……」
「そのためにあなたはあの地獄のような環境で生きてきたんでしょ、生まれる前の猫と一緒に、あなたは私と同じで自分の幸福を望んではいけないはず……二人でそう習ってきたじゃない」
「そうだった……ね」
二人とも押し黙ったまま時間が過ぎていく。
グラの持つ茶色い革製のハンドバッグから携帯端末の呼び出し音が流れてきた。
呼び出し音には不似合いなモーツァルトの『アヴェ・ヴェルム・コルプス』のメロディーが人造的なハープの音で奏でられている。グラはバッグから取りだし葉月に軽く断ったあと通話をはじめた。
「はい、まだ病室ですが、わかりました、これから向かいます、プラント中尉は基地ね。えっ、防護服を着たままヘリになんて乗りたくないわ、もっと他のルートはないの?しょうがないわね、MAOのシステムの調整は、えっ、あの子たちが来てるの?それなら二人をすぐにこの病室に来るよう伝えておいてくれる?お互い顔は見ておいた方がいいでしょ、頼んだわ」
右手の親指で通話を解除しながら葉月の顔を再度覗き込んでグラは言った。
「催促の電話よ、待つことのできない男は最低、でも、あなたもこの様子なら大丈夫みたいね、安心したわ、それじゃぁ、前線基地でまた会いましょう」
ハイヒールの音をこつこつと立てながらグラが病室から出るのを葉月は横目で追っていた。
ドアが閉まると、また静かな音のしない音が葉月一人の病室に広がった。
葉月は点滴管の付いた左腕に気を付け、静かに上半身を起こそうと試みた。しかし、まだ右腕の力が思うように入らなかった。
(自分の右腕じゃないようなこの感覚、前にもあった気がする……)
さっきグラの開けたカーテンの隙間から、わずかに青い空が顔を見せた。
(タケル君を守るのは私……)
病室にいる葉月は廊下から聞こえてくる耳慣れない声に耳を澄ませた。
「あったよジョゼ!ねぇ、ここの病室みたい」
「しっ、そんな大きな声をたてちゃだめでしょ」
「あっ、そうだね。しぃーっ」
ジョゼにそう言われてミンも同じように口の前で右手の人差し指を立てた。
「トン、トン、いますかぁ」
「あんた、自分でノックの音言うような年じゃないでしょ」
ドアが開いた病室の入口には、一人は赤毛のショートカット、もう一人は自分と同じ黒い髪をポニーテールのように後ろで縛っている二人の少女が立っていた。
「あっ、起きてたみたい、よかったぁ」
黒髪の眼鏡をかけた少女は親しげに葉月の横臥するベッドに近付いてきた。後ろの赤毛の少女は遠慮しがちに後ろから病室の中を確かめるようにゆっくりと近付く。その様子だけで葉月は二人の性格の違いを少し感じることができた。
「葉月ちゃん、葉月ちゃんって言うんでしょ、私、ミン・シャラットって言います、私たちと同じ猫に乗ってる子がいるって聞いてすごくうれしかったの」
「ミン、あんた静かに、ごめんなさい、私たち、グラ・シャロナさんから呼ばれてここに来たんだけど、迷惑じゃなかった?」
容体を心配そうに問うジョゼに葉月は微笑んで首を振った。
「ううん、久しぶりに女の子と話をしたから驚いただけです」
「私はジョゼッタ・マリー、私たちは二人とも河井小隊に所属しています」
「以前からそのお名前は聞いていました、私は千早葉月と言います、こんな姿をお見せしてしまい申し訳ありません」
葉月は起き上がろうとベッドの手すりを掴んだ。あれからたいして時間がたっているわけではないが、さっきとは異なり急に腕に力が入った。
(精神的なものなのかな……)
「起き上がっても大丈夫なの?」
ジョゼとミンが心配そうに、上半身を起こし大きく息をつく葉月を見つめた。
「もう大丈夫、みなさんとは多分レイクレイ基地で少しだけ一緒だったはず、でも、顔は合わせることはありませんでしたね」
「葉月ちゃん、すごく、かわいい声、鈴を鳴らす声というのはまさにこのことね」
「ミン、あんた感心するところが違う、あのアラスカ戦線の新型機にあなたが乗っていたの」
「はい、私もみなさんの日本での降下阻止のご活躍を聞いていました」
「えへへ……そんな、私のしたことなんかぁ……」
ミンが照れくさそうに頭をかくのを、ジョゼはあきれ顔で見ていた。この無機質な病室で少女三人が打ち解けるのにそう時間はかからなかった。
(五)
ウィルとカスガに降機命令が下りたのは着陸してから一時間後のことであった。
狭いコクピットシートから解放された二人は、さっそくプラントの機体の傍らに回り込み目を食い入るようにして細部を観察した。
「やっぱすぐ近くで見るのは違うよな、この迫力すげぇよな、んでさ、さっきコクピットから見えなかったんだけどこの砲塔は何なんだ、俺たちのにこんなの付いていないぜ」
ウィルはぺたぺたと触りながら、わざと機体に自分の指紋を押しつけて喜んでいる。その前にはMAO二型『サイベリアン』に未装着のアームストロングキャノンが機体横に添えられていた。
「ウィル、あんまり触ると怒られるぞ」
「気にしないってことよ、減る訳じゃないし、ほら、ぺた、ぺたっと」
「二型付属の中距離射程の武器みたいだね、もう何回か使われているみたいだよ、ほら、この部分の塗装が焦げている」
カスガは鈍く光る砲塔に指で触れようとした。
「馬鹿野郎!勝手に触るんじゃねぇ、ガキ共、あん?新人か、新人の例の騎兵小隊かぁ?」
オッターのどなり声は、ロシナンテ輸送戦闘機を取り巻く整備車両のエンジン音より一際高かった。
「すいません!」
トレーラーの二台の上でウィルとカスガは直立不動の姿勢になった。
「そんな神聖な所に乗っかっているんじゃねぇ、この機体が載ってる時は、祭壇だ、祭壇!早く降りろ糞ガキ共めが!」
「はい!」
オッターの説教は実に長かった。
自分の生い立ちや整備に対する熱い思い、そして、今どのように軍の状況が動いているか、良い女の見分け方、ほとんどの話はまるで関係のないものであったが、ようやく解放された二人は疲れきって肩を落としていた。
「おやじさんの洗礼はどうだった」
よろよろと歩く彼ら二人の肩を背中から力強く抱く男がいた。大きな筋肉質な身体をタンクトップからはみださせているカシム曹長であった。
「俺たちの洗礼も楽しみにしていろよ、助けてもらったお礼もしなけりゃならん、夜にケツ洗っておけよ、今晩にゃ部隊の連中もここに集まってくるはずだ」
そう言って髭の生えた自分の顎をカスガの頬に優しくなすりつけ臀部をさわさわと撫でた。小鳥のように震えるカスガを見て、ウィルは大きく口を開けたまま何も言えなくなっていた。
「ある意味すげぇぜ……デスペラード隊……」
(あの子たち、うまくやっているかしら)
放射能防護服に身を包んだグラ・シャロナ嬢は二人乗りヘリコプターの座席から小さくなっていくオルベリーの街を見た。
「ねぇ、パイロットさん、早くこの服脱ぎたいから急いでよ」
「俺はここで脱いでもらっても構わないけど」
旧型宇宙服のような放射能防護服はみるからに動きにくそうである。ヘルメット越しに見えるパイロットの顔が笑った。
「だってよそ見したら困るのはあたなじゃない、それとも、私を満足させてくれるだけのスキルとショットガンを持ってるの?」
「俺はデリンジャーなんでやめとくわ」
「あら、残念だわ、でも正直なところが素敵よ」
「ちっ、しょうがねぇ、あんたの為に急いでやるか」
パイロットはグラとのたわいのない会話を楽しみながら、エンジンの出力を上げるレバーをいっぱいに引いた。ローター音が空に高鳴る中、オルベリーの街が靄に霞んでグラの視界から消えていった。
(六)
午後になって、作戦室に包囲軍を構成する各部隊長が集められた。
そこにはプラントや河井、痛々しい包帯姿のチェ曹長、カシム曹長も同席していた。プラントは正面モニターに映る司令部付きの大佐の訓辞を腕を組んだままつまらなそうに聞いている。
中継元の会場には髪を短く刈り込んだ海兵隊上がりの兵が身動きできないほど詰め込まれていた。しかし、この前線基地にはもうそれだけの兵は残ってはいない。
「お前たちは死を恐れない、いかれた気高き糞共だ」
「サーイェッサー!」
「ここは、戦場か、それともナニのたたない亡霊のいる教会か、声が聞こえないぞ」
「サーイェッサー!」
さながらハーレムの教会出身の神父のように年の若い大佐は会場にいる兵の興奮度を高めていった。
「くだらねぇ」
その様子をライブで見ているプラントは一言つぶやくと、自分の鼻毛を無造作に抜いた。
「おっ」
抜けた鼻毛の中に白髪がまじったのを見て深くため息をついた。
「どうしました」
横にいたチェ曹長が心配そうにプラントの手元を見つめた。
「何でもねぇ、やっと本題が始まりそうだ」
「この会場及びこの中継を見ている糞共に本日、我が連合軍司令部より下りた新たな指示を伝える、『風の城』は崩壊したがその周辺にはまだ多数の虫が砂の中に潜んでいることは知っての通りだ、賽は投げられてみたものの、天使が築いた放射能の壁を越えることはルビコン河を渡るよりも難しい」
「だろうな、壁築いたのもこいつら自身だしな」
カシム曹長は噛んでいたガムを地面に吐き捨て、もう一枚の新しいガムをポケットから取り出し口の中に入れた。
「この既存の航空機や戦闘車両が使用できないプルトニウムで創られた死の海にふさわしい兵器『高機動騎兵』お前たちも知っているだろう、この中継を見ている糞共の中にそれを上手く扱えないまま悔しい思いをしている馬鹿者もいるだろう……しかしそれは自業自得というものだ、勝手な自己判断で軍を混乱させた糞虫、見ているだろう、ならず者といきがっているお前たちのことだ」
「野郎!」
チェがパイプ椅子を蹴り倒しながら立ち上がり、自由のきく左腕の拳をモニターに振り上げた。
「チェ、やめておけ、何事も結果だ、頭でっかちな連中のくだらねぇ挑発にのるんじゃねぇ、最後まで聞いてやろうじゃないか」
プラントはチェや周囲の兵らを静かに制した。
「しかしだ、喜ばしいことについ先程次の掃討作戦において、戦場にふさわしい高機動騎兵部隊がさらに配属されることが決まった、新しい彼らの存在こそお前たち糞共を勝利に導く女神となるであろう」
大佐の声に聴衆の興奮のボルテージは高まっていく。
カシム曹長は河井の方に顔を向けて聞いた。
「お前らのことか?」
「いえ、私たちはもう配属済みです」
大佐の後ろに巨大スクリーンには、輸送機に積み込まれる白く塗装されたMAO三型『リンクス』が写しだされた。カシム曹長は河井に質問を続けた。
「色違いが六機もありやがる、お前知っていたか?」
「いえ、初めて見る機体塗装です」
その映像がかわり、六人のパイロットの上半身写真と名前が映し出されていった。
「中尉!河井小隊どころじゃねぇ、みんな小さな子供ですぜ」
順番に映し出されていく小さな子供の顔に、会場にいた兵士らの異様な興奮が急に静まりため息がもれはじめた。
「いよいよ、前線が小学校になるようじゃ俺たちゃ、お払い箱だな、なぁ、これを見てどう思う、河井軍曹」
口からこぼれた言葉と反し、振り返って河井を見るプラントの目は光っていた。
その日の命令によりプラントの部隊は、『風の城』掃討戦の後詰めに回された。
唯一、整備を終えたばかりのプラントが搭乗していた二型『サイベリアン』一機が支援という形で参加することとなったが、河井小隊の三型『リンクス』と輸送戦闘機『ロシナンテ』の出撃は事実上凍結された。全てにおいて切り捨てられたデスペラード隊の面々の心の中に嫉妬に似たわだかまりが残った。
パイロットの人選については中央司令部からの直接命令で、カスガ・ソメユキが突然指名されることとなった。
先程の部隊に合流することが通知された。
「なぜ、僕が……」
驚いた顔つきをするカスガとウィルの前で、河井は下りたばかりの命令を二人に伝えた。カスガをシステム開発におけるデータ収集要員として、MAOの別働隊へ一次転属することを伝える急な内容であった。
「詳しいことはわからないが、今までの搭乗記録からと推測される、これからのカスガへの命令は全て指令本部から直に下りることとなる、明晩二十時に他の機動騎兵部隊がこの基地に集まる、カスガ、お前はその時間、プラント中尉の機体で待機しておくように」
「僕はここには戻れないのですか」
「一時的な転属ということだ、一月ほどの収集期間が終わり次第、また復隊すると命令書には書いてある」
河井の言葉を聞き、カスガはホッとした。
「リンクスとロシナンテは出撃しないのですか、せっかくいるのに?」
ウィルは、自分たちが起用されない理由に素朴な疑問を抱いたが、河井はたたみ込むように指示を続けた。
「伝えた通りだ、これからカスガはサイベリアンのコクピットでシミュレーションモードでの訓練を、ウィルはロシナンテで同期コントロールテストを行え、以上だ」
「了解」
二人の少年の真剣な眼差しを河井はあえて書類を見るふりをして避けた。
(司令部は何を考えているのか)
パイロットルームからカスガとウィルが立ち去った後、一人で机の前に立つ河井の心の中は壊れた時計の振り子のように揺れていた。
「まぁた、カスガお前だよ、」
「そんな言い方しないでくれ、自分で決めた訳じゃないよ」
建物から出たウィルとカスガの前に歩兵服を着た男三人が邪魔をするように立ちふさがった。
「お前らが高機動騎兵に乗っているのか」
「はい」
男たちの問いにカスガは何の疑問も抱かずに返事をした。
「ほんとただのガキじゃねえか、お前たちがどれだけやれるか、ここで俺たちが指導してやる、顔貸しな」
一歩前に踏み出た男の目は暗く血走っており、その尋常ではない雰囲気に少年兵二人は圧倒された。ウィルはカスガに小声で耳打ちをした。
「ちょっと、やばいぞ」
「ここで逃げるのもまずいよ」
「えっ、指導?へへへ、すいません、これから訓練にいかなければならないのでって……」
ウィルはごまかし笑いをしながら少し後ずさったが、カスガはその男たちの顔を黙って見つめたままであった。リーダー格のその男はいきなりカスガの胸ぐらを掴み、空中に高々と持ち上げた。
「脱出訓練だ、ここから逃げてみな」
「やめてください……」
宙づりにされたカスガは男の太い腕と拳に両手を当て、少しでも力をゆるめさせるように押し返した。
「何するんだよ」
他の男たちは止めに入ろうとするウィルを後ろから羽交い締めにし、正面にさらされた彼の腹部に蹴りを入れた。
「うえっ!」
「なんだ、もう終わりか、機械に助けられている奴らなんて、こんなものなのか?えっ!答えろよ」
地面に後ろから押し倒されたウィルの腹部に、また膝蹴りが入る。並べられるようにすぐ横のアスファルトの上にカスガの身体が叩き付けられた。男の軍靴の裏がカスガの顔をぐいぐいと踏みにじっていく。
「痛いか、痛いだろう、俺たちはいつもこうやって地べたに這いつくばっているのさ、シートにぬくぬくと収まっているお前らにはその苦しみはわからねぇだろ」
そう言いながら男達は倒れ伏したウィルらへの蹴りを続けた。
「お前らそこまでにしておけ、いつから俺たちの隊はガキいじめする下衆の集まりになったんだ」
片腕を三角巾でつり、頭に包帯を巻いた男が格納庫の方から近付いてきた。
「チェ曹長……しかし……」
「聞こえねぇか、いつからだって言っているんだ糞野郎」
チェは、肩にはおっていた上着を地面に投げ捨てた。
「あ、あの……すいません……僕たちこの訓練を受けて……痛っ」
「そっ、そうです……訓練中だったので……やめてく……ださい」
傷つき顔を腫らしたウィルとカスガは互いに支え合うようにしてよろよろと半身を起こした。少年たちの言葉に、今まで乱暴をはたらいていた男たちは我を取り戻したように顔つきを変貌させた。
「そうだよな……カスガ、俺たちが……悪いんだ……よな」
「う……うん……まだ……努力が……」
息を一息つき、チェは自分の上着を拾い上げ二人の少年を見た。
「お前たち立て、訓練であったことを認める、すぐに持ち場に戻れるか」
「持ち場に……戻ります……これからも指導……お願いします……」
二人はチェ曹長に敬礼をし、その場から打撲で痛む腹や頬をおさえながらゆっくりと離れていった。チェは残った男達に視線を戻した。
「レジェップ伍長、ガキ共は資格ありだ、違うか」
リーダー格の男はチェの前でしおらしく首を垂れた。
「恥ずかしいことでしたが、そのようです」
「分かればいい」
貧相な格納庫の前で『サイベリアン』がトレーラーからゆっくりと降ろされていく。作戦命令が発せられたが、基地内の動きは、まだにぶかった。
河井は足をはやめプラントがまだいるであろう作戦室に向かっていた。途中、廊下で兵士達と何人もすれ違ったが、誰も彼の動きに気を止める者はいなかった。
部屋の前で足を止め、河井は作戦室の扉を静かにノックした。
「河井です、プラント中尉にまたお話があって来ました」
「入れ」
扉を開けると、部屋の奥の椅子にプラントが座っているのが見えた。
河井は敬礼をし、閉まる扉の前に立った。
「こっちへ来い、お前がまた来ると思った、これで賭が成立したな、俺の勝ちだ」
窓の近くに人の気配を感じ、河井が視線をずらすと見覚えのある女性が窓辺に寄りかかりこちらを見ていた。
「さすが中尉ね、私の方がつきあいは長いと思ったんだけど」
「グラ……シャロナ……どうして」
河井は予想もしていなかった再会に驚き目を見張った。
「もっと気の利いた言葉はないのかしら、葉月と同じ反応で面白くないわ、しばらくあなた方を観察するように司令部から言われてね」
グラの馴れ馴れしい態度をいぶかしむように河井は彼女の顔を見つめた。
「やだ、そんな目をしないでくれる、せっかく良い情報も教えてあげようと思ったのに」
「軍曹、お前はレディーの扱いに慣れていない童貞野郎だな、まず、そこに座れ」
プラントの顔に二人のやりとりを楽しんでいるような表情が浮かんでいた。河井は自分がこれから伝えようと思っていたことについて、グラの前では話すべきではないと判断した。
「中尉、申し訳ありません、この場ではお伝えすることができません」
「それは、私がここにいるからってこと?」
グラは河井の座る椅子に近づき、彼の肩に自分の手を優しく乗せた。河井は自分の膝の上で握りしめた拳に力を入れた。彼女は微笑を浮かべながら吐息がかかるほど河井の耳に顔を近付け相手をベッドに誘うような甘い声でつぶやいた。
「私がこれから中尉に説明する手間がはぶけるわ、言いなさい、『スレイブス』のことを、それと……あなたにオリバー教官の遺言を伝えに来たわ」
(遺言?)
作戦室の窓に砂混じりの風が吹き付けた。
(七)
「汚い基地だな」
ヴィラ・フェルナンデスは顔をしかめ、噛んでいたガムをタラップの最上段から、地面に向かって吐き捨てた。
風除けのついた大型輸送機の後部扉から、ヴィラをはじめとした六人の子供たちが降り立つと、作業に当たっていた整備兵は思わず手を止め驚きの表情で彼らを見つめた。
パイロットスーツに身を包んだ子供たち。それがあまりにも戦場には似つかわしくない存在であったからであった。
「あの、臭そうなオヤジ、僕たちを見てる、気持ち悪いよな」
栗色の髪をしたあどけない顔の少年はタラップを下りながら、前を行くヴィラ少年の耳元にぼそぼそと話しかけた。
「奴らはできそこないの動物だろ、気にするな」
軍用ライトに照らし出された滑走路へ、また一機MAOを積んだ大型輸送機が機首を少し上げた姿勢で着陸していく。着地した瞬間の衝撃が工事もままならない状態の地面を大きく震わせた。
「すぐ、出撃なんでしょ、何でこんな変なとこにいるのよ、ちょっとぉ、早く下りなよ、豚」
最後に機外に出た少女は、もたもたと下りる猫背気味の少年の背中を蹴った。蹴られた少年はタラップから足を踏み外し、地面までそのままごろごろと転がっていった。
「のろま豚が転がったぞ!」
先に下りていた子供たちは、鼻から血を垂らしたまま無表情に起き上がる少年をはやし立てた。すぐに同乗してきた若い士官が制止の声を張り上げて子供たちの輪の中に入ったものの子供たちの声は彼が必死になって止めれば止めるほど、より大きくなっていった。
「あの年でもう腐ってやがる、俺の行っていたスラムの学校の方がまだましだったぜ」
地面に半分沈んだ降着装置の横でこの様子を見ていた整備兵の一人、ウォルフガングは、耳当てをはずしながら同じように不愉快そうに見つめる同僚に聞こえるように言った。
「糞が糞のまま育っているんだろ」
吐き捨てられたガムを見ながら同僚も憎々しげにつぶやいた。
「各員順次『リンクス』に搭乗し、臨時司令部より下りる次の命令を待て」
興奮が冷めやらぬまま子供たちは、それぞれ下ろされたばかりの白く全身を塗装された自分の機体に向かっていった。
既にカスガは彼らとは少し離れた格納庫の前に駐機している二型『サイベリアン』のコクピットシートに座り、ヘッドアップディスプレイに表示される数値や情報を確認していた。
いつも被っている三型『リンクス』用のヘルメットとは違って、こめかみや頭部などに直接貼り付いているような感触が少し気になった。また、その不快な感想をいつものようにウィルやジョゼたちに話しかけることもできなかった。
「『サイベリアン』B滑走路南に移動、準備を終えた『リンクス』と合流、その後、武器・弾薬を装着後すぐに出撃する」
正面モニターに映し出された士官帽を深々とかぶった青年将校が、抑揚をおさえた声でカスガに命令した。
「了解、二型『サイベリアン』移動を開始します」
(出力値に気を付けないと……)
左スロットルを前にじりじりと少し押し出しながら、カスガは慣れない機体の制御に細心の注意をはらった。『サイベリアン』の背部排気口から吹き出される風がさらに強くなり、見送るプラントとオッターの髪と襟を強くはためかせた。
「手ぇわずらわせたな、親父さん」
「そんなの訳ねぇ、俺は何にも知らねぇし、何も聞いちゃいねぇ、こっちは戦闘時に出る雑音にキャンセラーかませただけってことだろう、ただの応急処置だ、モニターだけはしておくが完璧じゃねぇ、奴らどんな方法でシステムにリンクさせてくるかわからねぇからな」
「どおりで初期整備の時間も長くかかっていた訳だ」
「しかし、この前ん時の中央司令部の糞共の面見たかったぜ、いくらファック信号流しても飼犬のガキ共たちはウンともスンとも反応しねぇんだからな」
サラムはおかしそうに笑いながら、ポケットから折れ曲がった煙草を二本取りだし、プラントにすすめた。
「あと、俺もなんだがな」
プラントは受け取った煙草を口にくわえ、胸ポケットから取りだしたオイルライターで火を付けた。
「無理矢理駄々こねて乗ってるお前さんは、頭が筋肉だからな、脳みそ初期化されているガキ共とは別だよ、まぁ、これで奴らが機体を凍結している理由がわかったってことだな、今頃、犯人捜しでやっきになっているんだろうよ、ところで手持ちぶさたのうちのガキ共はどうするんだ」
「しばらく歩兵でもやらせるさ」
「まぁた勝手なことしやがって、上の糞共がまた蠅のように騒ぐんじゃねぇか」
「機体を勝手にフリーズさせてるのは、むこうの都合だろ」
「ちげぇねぇ、じゃあ、休憩室でモニターさせてもらうぜ」
「頼む」
移動照明車の光の中で全ての機体が機動の音程を徐々に上げていった。驚いて逃げ出す鼠のようにトラックや作業車がその音をきっかけに次々と離れていきはじめた。
「まるで醜いアヒルの仔だな」
出撃を見送る兵士たちの目には、ライトの光に白く輝く六機の三型『リンクス』の中に一機だけ佇む黒い二型『サイベリアン』が一際異質な物に見えていた。
コクピットにいる幼い子供たちが皆、一言も話さず静かに目を閉じているのを見て、カスガは何となく落ち着かない自分の気持ちを恥じた。
「MAO、全機出撃せよ」
前線基地につくられた臨時司令室からの出撃命令が出ると白い三型の彼らは一糸乱れない動きで、岩砂漠の大地に砂塵を巻き上げていった。
生命に異常を生じさせる被爆境界線を越えたことを告げる警告音がコクピット内に鳴っても皆無言で機体をさらに爆心地へと進めていく。戦闘車両の残骸のそばでは、回収が不可能であった兵士たちの重なり合った屍がビール瓶のような焦げ茶色に変色したまま大きく腹を膨らませていた。
外部の放射線検知値は地球上の生命の息吹が止まっていることを赤い色のアラビア数字で示していた。この地で動いている物はMAOを除き、敵生命体しか考えることはできない。
作戦開始地点にあとわずかと迫った地点で、今まで静かだった子供たちの態度に急に変化があらわれた。
一番年下の巻き毛の女の子が声を張り上げて歌い出すと、それに応えるように他の子供たちも一斉に大きな声を上げて季節外れの歌を歌い出した。
Deck the halls with bought of holly.(大きなお部屋にヒイラギかざろう)
Fa la la la la la la la la la
This the season to by jolly(陽気で楽しいこの季節に)
Fa la la la la la la la la la
「お腹にハリガネムシを飾ろう」
「楽しいこの時間に」
「妖精の羽をむしっちゃおう」
「楽しいこの季節に」
「喜ぶ友達の首をむしろう」
「楽しいこの時間に」
「喜ぶ弟の眼球を舐めよう」
「違うだろ、妹の眼球を舐めようだろ」
(この子たち……何言って……どうしたんだ)
異様な行動を起こしている子供たちをカスガは大変不気味な存在と感じた。オルファンホームを出てからこの五、六年の間の教育プログラムに一体何の変化があったのか、今のカスガに振り返る余裕はない。
「のろまな黒猫は殺してしまえ」
一番先頭を疾走するヴィラの『リンクス』は振り向きざまに、カスガの『サイベリアン』に向けて発砲した。
「うわっ!」
高速で移動するカスガの機体足元のすぐ横を、銃弾が走った。
「ヴィラ君、はぁずぅれ!のろまの勝ちぃ!」
他の子供たちはカスガの慌てた様子を見て手を叩いて喜んだ。
「僕を笑った奴の声、聞いちゃった……」
ヴィラと呼ばれた男児の操縦する三型が他のMAOに向けてライフルをめったやたらに発砲した。数発の弾丸が一番側にいた機体に命中し、上腕部の装甲板を吹き飛ばした。
「今、私を撃ったのヴィラ君?私の猫ちゃんはまだミルク飲んでいないのにぃ!」
褐色の肌をした少女のMAOは背中の翼を跳ね上げ、ヴィラの機体に突入した。ヴィラはその攻撃を予測していたかのように避け、ライフルの照準を少女の機体にあわせた。
「ジャニスのパパがジャニスにいっぱいしたように、汚いあそこに弾を突っ込んでやる」
「やめろ!何やってんだよ、こんな時に仲間割れなんて!」
カスガがかすれかけた声で叫んだ時、大きな金管ファンファーレが彼らのコクピットに高らかと鳴り響いた。その曲が流れるとあわや同士討ちをしようとした二機の動きがぴたりと止まった。
呼び出し音が鳴ると戦闘車両前にいたプラントは自分の部隊の指示を一時中断し、格納庫の外壁にかけてあるヘッドフォンマイクのスイッチを入れた。
「やっぱり来やがったぜ、見たこともねえデジタル波形だ、パイロットの脳波が乱れちまっている」
「信号遮断は」
「だめだ、OS自体にわからねぇプロテクトがかかっちまったようで、全部うちのガキの頭の中に垂れ流しだ」
「今度は俺たちがダミーにひっかかったってことか」
「見事にな」
「そっちに河井軍曹を行かせる、そのままモニターしていてくれ」
「ああ、乗ってるガキが死んじまったらまた知らせるよ」
「わかった」
カシムとの通信を切ったプラントは、ロシナンテ輸送戦闘機に搭乗待機している河井に今、起こっている事態を事前に決めておいた暗語で伝えた。
(この子たち……あっ……うっ)
音楽を聴くうちにカスガの視界がぼんやりと二重に分かれていった。コクピット全体が蒼白い光に包まれていく。自分とは違う誰かが頭の中に入ろうと慌ただしい足音をたてた。
(気持ち悪い……な……僕は……僕は……)
カスガの意志とは関係なく、もう一人の頭に巣くう自分が二型『サイベリアン』スナイドルライフルの安全装置を素早くはずした。
(僕は殺すよ……)
小さくエリアを区切った中で、自らの機体を囮にして、集まってくる残った虫の殲滅。
狩りのルールに従って暗闇の中を駆け抜ける猫の毛色は全て灰色であった。
「『玉梓』システムを越えたな」
「あのような過去の遺物と同等と考えるだけ愚かだよ、彼ら自身がシステムと一体化し、機動兵器の『スレイブス(奴隷)』となる、良いネーミングだ」
臨時指令室にいた青年士官は予定通りの作戦遂行に満足の笑みを浮かべていた。各機の『スレイブス』システムが作動を始めるとモニターしていた技師らは作業の手を止め、士官に祝福の拍手を贈った。
コクピット内の様子を流す映像の中の子供たちは、カスガをはじめ、皆、悦楽の表情をたたえ、ある者は歌い、ある者は意味不明の言葉を繰り返し叫び続ける。
羽虫やゲジ型の巨大な虫たちは、砂の中から姿を見せた途端、先を争うように攻撃を続けるシステムに支配された猫の恰好な標的となっていた。この調子でいけばエリア内の残党狩りは問題なく二週間もかからず任務終了することは明らかであり、被爆域におけるMAOのめざましい成果に司令部の不安は一気にやわらいだ
士官の傍らの机に座るグラ・シャロナは、端末に時間毎のデータを打ち込む作業を続けていた。
「やはり、シュミットの言っていた通り彼らは戦いの芸術品だ、お前ら技術部は現代のミケランジェロの集団だな」
「ご覧のように少し壊れやすいのが難ですけどね」
士官に嬉しそうに話しかけられても、グラは顔を上げず自分の作業だけを続けた。
第二話 「エンゼルヘア」
(一)
連合軍本部はオルベリー基地協力のもと、対異生物遺伝学研究所がおかれ、前線から回収されたばかりの大型の冷凍保存カプセルにつめられた虫や妖精の死骸を使った実験が昼夜問わず行われていた。
そこに常駐している世界から集められた職員は生体を分子レベルから調査し、一日も早く敵生物の生態をとらえることに集中した。また、兵器技術部門は妖精の操る魔法の杖と呼ばれるプラズマ砲を自分たち人類の兵器に何とか流用できないかと考え、整備場を兼ねる実験場での解析が続けられていた。
連合軍の主立った兵器は豪州大陸中央部に位置する『風の城』の掃討作戦に回され、修羅場と化している前線基地とは正反対に兵士や職員の動きはごく小さいものばかりであった。
(みんな起きる時間よ……)
基地の保管庫は大型輸送機の格納庫を転用した物でサッカー場が一面入る程の広さをもっていた。そこに比較的損傷の少ない妖精の死骸とミリペデ型のムカデのような巨大生物の入ったカプセルが全部で十個奥の壁から順に並べられている。
(猫ってコウモリを食べるんでしょ、みんなは食べられないようにしなくちゃね……おはよう)
人気の無い保管庫に葉月が戦闘中に聞いた少女の声の波が広がっていた。
オルベリー基地で整備中の三型『リンクス』を受け取るようプラントに命じられていたジョゼとミンは、朝早くから一方的に送られてくる通信の内容に気を揉んでいた。しかし、その内容の中に彼女らの知りたい前線の様子を告げる情報はひとつもなく、全て、敵の掃討が計画的に進んでいるというものばかりであった。
「ねぇ、どうして私たちに出撃の命令がでなかったんだろう、こんなことしてていいのかな」
基地にほど近いホテルの一室で、ミンは自分の携帯端末をいじりながらベッドで横になっていた。
「だって、整備場からも本隊からも一切命令が下りていないのよ、勝手なことはできないわ」
掃討作戦が出ているにもかかわらず、三階の窓から見える基地内は、いたって静かであった。
「ウィルやカスガからのメールも全然返ってこない、せっかくおみやげ買ってあげようと思ったの。」
「情報統制がひかれているのよ、それより、あんたまだ着替えていないの」
「何日もここにいたら寝坊癖がついちゃって」
寝癖で跳ねている黒髪を掻くミンの様子を見て、ジョゼはあきれた。
「早く着替えなさい!それと寝癖も!」
「はぁい!」
ベッドの横に置いてあったジョゼの軍支給用の携帯端末が急に鳴ったので、立ち上がりかけたミンはそれを彼女に手渡した。
「ペイスさんからだわ」
デスペラード隊のペイス通信兵は、必ず彼女を一言からかってから通信をはじめるのが最近の私的な習わしであったが、この日はいつもよりやや緊張気味の声でいきなり本題を伝え始めた。
「ジョゼ、連絡が遅れてすまない、先に連絡を入れておきたかったのだが、そういう訳にもいかなくなった、プラント中尉からの命令だけ伝える、葉月を連れて、すぐに部隊に合流しろとのことだ、ヘリを迎えにまわす、退院の手続きと病院のヘリポート使用については既に連絡済みだ」
「整備中の猫(MAO)はどうするのですか」
「入院させておけとのことだ、ミンにも伝えておいてくれ」
「わかりました、作戦遂行上で何かあったのですか」
「今はまだ言えない、それじゃすぐに頼む」
納得のいかない表情のままジョゼは携帯端末の電源を切った。
「ねぇ、どうしたの怖い顔して」
「すぐに葉月を病院に迎えに行ってから、基地に戻れって」
「えっ、『リンクス』は?」
「まだ、動物病院に入れておけってさ、いくよ」
「あっ、シャワーだけ浴びたいんだけど、ちょっと遅れても大丈夫だよね」
「あんた、長いから今はだめ」
「ジョゼのいじわる」
「何とでも言ってちょうだい、私、病院に先行って準備しているから」
そう答えながら、ジョゼは、まとめていた自分の荷物を持ち、もう部屋の扉を開けていた。
ペイス通信兵の連絡を先に受けていた葉月は、着替えを終えると、手荷物を抱え病室を出た。この地域では一番大きい軍の病院とはいっても、それぞれの階に常駐する看護師の数は少ない。誰からも退院の言葉をかけてもらうわけでもなく、葉月は一人で最上階に向かうエレベーターに乗った。
(もう作戦が遂行されているのに、ミンもジョゼも……私もここにいる、タケル君の『リンクス』や私の『サイベリアン』も整備を終えていない……一体誰が戦っているんだろう)
既にMAOが小隊規模で出撃しているというペイスの言葉は葉月の心を騒がせた。最上階に着き、エレベーターの扉が開くと、そこは強化ガラスで囲まれた小さなホールになっている。患者の心を一時慰めるためか鮮やかな花をつけた観葉植物が植えられた鉢やプランターが出口まで両端に隙間無く並べられていた。
(花を見るなんてひさしぶりだな)
かすかな緑の匂いにほんの少しだけ浸りながら、ヘリポートの見える出口の扉を両手で開けた。乾燥した風がさっと吹き抜け観葉植物の葉を揺らしていく。
葉月の耳には風が建物をきる音と街の雑踏のざわめきがかわるがわる飛び込んでくるように聞こえた。
久々に触れる生の音は葉月にとってとても楽しく興味をそそられるものであった。昔の子供の頃の自分にはただの雑音だったのだが、今はこの生活の音にまだ生きている事実を感じることができた。
澄まして聞いていると、その中に警報を意味するサイレンの音が混じっていることに気付いた。
「何だろう」
西の方角にあるオルベリー基地から一条の黒い煙が立ち上っているのが見えた。
葉月は防護用の柵ぎりぎりまで近寄って目をこらしたが、スモッグに霞んであまりよくは見えなかった。しかし、時折、太陽にきらきらと反射する光が目に入った。
「間違いない、基地で何かあったんだ」
突然、街中のサイレンが鳴動しはじめ、何か危険なことが起きつつあることを住民に知らせた。
「連合軍豪州司令部より午前八時二十分に異生物侵略による第一級避難指示が発令されました、ワトルストリートより西地区は警戒地域に設定されました、市民の皆さんは落ち着いて近くのシェルターに避難して下さい、繰り返します……」
「まさか?」
葉月は自分の携帯端末をバッグから取りだして見たが、掃討作戦中のフィルターがかけられているせいか、作戦に従事していない兵たちへの最新の軍事情報は全て遮断されていた。
突然、地面から突き上げるような衝撃がホテルから出たばかりのジョゼを襲った。反射的に地面に転倒しないようジョゼは近くの壁に自分の背中を押しつけた。ストリートを隔て立ち並ぶ整備場の格納庫の向こうに大きな爆発音と共に黒いキノコ雲が見る間に立ち上っていった。
金属板が引き裂かれるような甲高い声と共に地面が大きく揺れ始めた。
「この声……」
蜘蛛の巣の編み目のように地面が割れはじめた。そこから黒い砂が、割れた水道管から吹き出す水のように高く空へと上がった。
煉瓦で作られた建物が大きく左右に揺れ、ガラスの割れる音と共に崩れ落ちてゆく。通りの屋台からも品物が大量にこぼれおち、店主は拾おうにもその場に立っていることができない。テントの支柱が次々とひしゃげ、子供や女性の叫ぶ声は止まず恐怖の心に色を添えた。
我先にと逃げる人の波がジョゼの目の前を通り過ぎていく。一台の車の運転席には、それを奪ってこの場から逃げようと多くの男達が重なりもつれあっていた。
地面の揺れがやみ、一瞬全ての音が消えた。
人々は逃げる足を止めて、恐る恐る音のするオルベリー基地の方向に顔を向ける。
黒煙の向こうに大きな黒い影があらわれ、つんと鼻につく異臭を空気に混ぜ漂わせていく。男の悲鳴が遠くに短く聞こえた後、辺りに通り雨のような大きな雨つぶがぽつぽつと人々の顔を濡らしていった。
その短い静寂も女性の悲鳴と軍用ライフルの発砲音で破られる。
それをじっと見つめる人々の頬や服は、空から降ってくる犠牲者の赤い血でゆっくりと染められていった。
「何でこいつがこんなところにいるの……」
青空を隠す勢いで巻き上がる黒煙の中、ミリペデ型侵略生物が、格納庫の屋根の向こうに長い胴体を高くそそり立たせ獅子のように頭を振っていた。
辺りに閃光が走り、目の前の大きな格納庫が混み合う車ごとさらうように吹き飛ばされていった。風圧で割れたホテルの窓ガラスの破片がジョゼの目の前の街路樹の根に突き刺さった。
「プラズマ砲、まさかパックまで……ミン……ミンは!」
顔面を血だらけにした従業員や宿泊客らは何があったかもわからず、不安の表情のままホテルの玄関から走り出てきていた。
まだ耳鳴りのするジョゼはそれでも人の波に逆らいながらエントランスホールの中に飛び込んだ。地響きと衝撃音が再び起こり、デコレーションシャンデリアが天井から大きな音を立てて床に落ちた。
「ジョゼ!」
ミンの叫び声がホールに響いた。寝間着姿の老婦人の手を引きながら階段からゆっくり下りてきたところ、シャンデリアの下敷きになりそうになったジョゼを見て、ミンは思わずその場に立ちすくんでいたのだ。
「あんた、大丈夫だったの」
「ジョゼが先行くから悪いんだよ、でも、びっくりしたぁ。あ、おばあちゃん、あの人じゃない」
「キャサリン!」
ミンの連れてきた老婦人に蒼白な顔をした夫と見られる老紳士が名前を呼びながら駆け寄ってきた。
「ジョージ!」
互いの顔を見たことで緊張の切れた二人は抱き合いながら、その場でおいおいと泣き崩れた。
「おばあちゃん、ここは危ないからすぐに避難しなくちゃね、こっちだよ」
二人はそう言うミンに何回も頭を下げ、共に手をたずさえるようにして彼女の後についていった。落下物に注意しながら建物の裏口から出た四人の目に避難シェルターの場所を示す黄色い標識が見えた。
「ミン、私は葉月を迎えに行ってくる」
「うん、私もおばあちゃんたちを避難させたらすぐに行くね」
「待ち合わせ場所は病院のヘリポート、駄目だったら……入院中の猫の所で、でも……もう破壊されているかもしれない……」
「大丈夫、『リンクス』はいい仔だから必ず待っていてくれるよ、ジョゼ、気を付けてね」
「ミン」
「何」
「あんた強くなったね」
「へへへ、そうかなぁ、ジョゼにそう言われると照れちゃうなぁ、ほめられた時のウィルの気分が何となくわかるなぁ」
戦闘車両の太い砲撃音が立て続けに鳴り響くのを合図に二人は別の方向にそれぞれ分かれていった。
ジョゼは息をあえがせながらメインストリートを経て病院に向かう道にようやくたどり着いた。基地の方角から爆発音が続けて聞こえ、バラバラと空から破片まじりの塵が絶え間なく落ちてきていた。
「危ない!」
自分の前を逃げる母子の腕をジョゼは思い切り掴んだ。
ひょうと空気を切る音がし、数本の鉄骨がアスファルトの路上や側道に停車していた車のボンネットを貫いた。数秒もせず漏れたガソリンに引火した車は赤い炎に包まれ、道路に炎のカーテンがひかれた。
「この道はもう使えないか」
プラズマ球が塀を隔てた遠くに見える建物を粉砕させ熱せられた空気のかたまりがジョゼや周りの避難民の身体を地面になぎ倒していった。
「戦闘車両は全滅か……戦闘機は?」
前線におくりこまれなかった戦車は少数である。砲撃音が途絶え、時折聞こえる金属音の虫の鳴き声が空を震わせた。
「いやだ、もう逃げられない」
若い母親はそう言ってジョゼの目の前で幼児を抱きすくめたまま、道の真ん中で座り込んでしまっている。
「立って、ほらあそこに地下に下りる階段がある」
さらにプラズマ球の発する光と音が段々と強くなってくる。ジョゼは引きずるようにして、親子を地下に下りる階段の前まで連れて行った。
地階にあるパブと思われる店の扉を開けると逃げてきた人たちが共にじっと息を潜めていた。何でお前達はここに来たのだというような強く冷たい視線がジョゼや親子に向けられた。
狭い部屋には明かり代わりの懐中電灯が一本、破壊されている地上とは逆に弱々しい光を発していた。
「出て行け!怪物は人間の匂いにひかれてくるんだ」
「馬鹿言わないでよ、こんな状態で出て行ったらこの子達死んじゃうでしょ、もう遅いわよ、大のおとなが自分さえ助かればなんて、あんたたちはそれでもいいの」
ジョゼの反論に男たちは何も答えを返すことができなかった。
「軍の連中は何やっているんだ、このままだと俺たちはどうしたらいいんだ、死んじまうぞ」
中年の男の「死ぬ」という言葉を聞き、先に避難していた小さな女の子と男の子はしくしくと泣き始めた。ジョゼは、さっきから文句をぶつぶつと言っている男の声を制した。
「あんた、大の男だったら少し黙りなさいよ、子供が泣くじゃない」
「うるせぇ」
「泣きたいのはあなただけじゃない、その前にちょっと手を貸して」
「何をするんだ」
「いいから、あんたその身体だったら力はあるんでしょ」
そうして、テーブルをカウンターとシンクの上にかぶせるようにいくつか隙間をつめるように置いた。
「子供たちをこの下へ」
分厚い板でできたテーブルは、頭上から少々の物が落ちてきても平気なことは一目瞭然であった。
「お母さん、あなたもよ」
入ることを遠慮していた母親を押し込めるようにして無理矢理、中へと入れた。
「あなたが死んだら、この子たち悲しむでしょ」
若い母親は、何度もジョゼに頭を下げた。
「そこの男の子、水は出る?」
ジョゼはすぐに中の少年の一人を指さし指示した。少年は言われたとおりに手を思い切り伸ばしテーブル板のかげになっているコックをひねるとぽたぽたと蛇口から水が垂れてきた。
「いい?その水はできるだけ、シンクの中やコップにためとくのよ」
きびきびとした彼女の動きに、まわりの者達はただ者ではないと感じたのだろう。男の一人がジョゼに声をかけた。
「お前、一体何者なんだ」
「買い物に来た生意気な女、さぁ、今度はあんたとあんた二人こっちに来て」
ジョゼは避難してきた人の身体を押しのけるように入口の扉の前まで移動した。
「どこに行く?」
「ここは今のところ安全だけど、私にはまだ用事があって」
「危険じゃないか!」
「なら、あんたたちが代わりに行ってくれる?」
男たちは大きくかぶりを振った。その時にはジョゼは扉に耳をあて、外の様子を探っていた。
「地響きが遠くなっていく……パックが離れていっているわ、ねぇ、私がでたら、すぐに扉を閉めて、そしてまた、テレビや椅子でバリケードを作っておいて、マスターちょっとだけ世話になったわ、子供たちをよろしくね」
奥にいた初老の男に声をかけた。マスターと呼ばれたその男は黙って腕を上げ返事をした。ジョゼは男たちにテレビなどを移動させると自分が這い出るくらいの扉の隙間を開け這い出るように表に出た。
(拳銃だけでも持ってくれば良かった)
敵に自分の気配を察知されまいと慎重に石の階段を上がっていくジョゼの目に空が雲母を振りまいたようにキラキラと輝いているのが映った。
「何?」
舞い落ちてくるものを手のひらにとり、ジョゼは注意深く観察した。
「糸……」
人類が誰一人見たことのない静かな異変がこの街を徐々に覆っていった。
(二)
「まだ死に損ないがいたのか!」
「東に向けて残存している虫が移動を開始しました、すでにハムシ型は被爆警戒エリアを突破しています」
「カスガの機動騎兵部隊は?」
「予定エリアの掃討は完了したようですが、情報がシャットされているため、その後の動きについてはこちらではわかりません、まもなく中央司令部より一斉命令がおります、情報スクリーン前に集合とのこと」
ペイス通信兵は断片的に入ってきた情報だけを『風の城』掃討作戦に向けて待機中のプラントに伝えた。彼はすぐに、基地に残っている兵と共に格納庫エリアの情報スクリーンへと走った。画面の中では情報担当曹がCGの現場地図と共に状況の説明がはじまろうとしていた。
「オルベリー基地及び周辺の市街地にバグが出現、タイプはミリペデ(ゲジ)数は三、及び妖精型数は二、ステッキ付きであることを確認している。既に兵士及び市民に多数の死傷者が出ている模様、また、現場には正体不明の電波障害が発生している、詳細については不明、各部隊は次の画面の指示に従え」
基地に駐屯している砲兵、歩兵部隊の出撃時間が秒単位で示されていく。
デスペラード隊は、大型輸送機にて現地まで空輸されるが、基地滑走路が使用不能のため、現地と近い場所の民間空港の滑走路を使用との命令が付随されていた。
「あそこには葉月たちがいる、なぜ、あんなところに虫がいやがるんだ」
プラントは携帯無線装置を使ってロシナンテ機内で待機している河井に連絡を入れた。
「軍曹、現在までの情報は確認できているな」
「はい」
「本隊からの出撃許可が下り次第、お前たちはオルベリーに先に飛んでもらう、なぜ、そんな所にいたのかわからねぇが、生き残った虫たちが、また晩餐会をはじめようとしてやがる、残存追撃は他の基地の戦闘機に任せ、お前たちは葉月とガキ共の救出を最優先してほしい、それと……詳細な状況がほとんど見えない、わかったことはすぐに知らせてくれ」
プラントの通信の最中に、二機のロシナンテに離陸の許可が下った。
「了解、河井、ウィル、ロシナンテ出撃します」
「頼んだぞ」
河井の心の中に心細そうに自分を待つ葉月の表情が浮かんだ。
(三)
手当たり次第に虫の身体から伸びる長い触手が物をつかみ引きちぎっていった。
トラックは折り紙細工でできているかのように、ふわりと宙を舞い、隠れている場所から様子を見ようとした男はその瞬間、顔半分をもぎとられていた。
ミンもジョゼと同じように降りしきる破片の雨の中を駈け、ほとんど奇跡的に生き残っている七人の小学生くらいの子供たちが固まる建物の陰に飛び込んだ。
「どうして、こんな危ない所にいるの」
「スクールバスから逃げてきて……どこへ行ったらいいか」
その中でも一番年長の少女は優しく問いかけるミンの顔を見てしくしくと泣き始めた。
「ううん、あなたがしたことは偉いことだよ、ねぇ、もっと奥に入れる」
ミンは少女をなだめ、建物の壁と壁の隙間に深く身を潜めさせた。奥の鉄でできた非常扉は鍵がかかっていて入ることはできなかった。
「端末はつながらないか」
携帯端末の画面はミンが何度押しても、ノイズ音がするだけでエラー表示が点滅したままであった。
「バッテリーもシステムエラーもない……とうことは何かで通信が遮断されている」
「お姉ちゃん、僕たち助かるの?」
「ママに会いたい!」
子供らの問いに、ミンは安心させるように一人一人の顔を見て落ち着いて言った。
「絶対に大丈夫、私の知っている人たちが助けに来てくれるからね」
そのことについてミンは何の保証も無いと思っていたが、心の何かがそう言わせていた。
「きゃあ!」
子供の悲鳴がすぐそばで起きた。一人の幼い子供の足に見たこともない黒い毛玉のような生物の触手の先がからみつこうとしていた。
ミンは腰のポケットに入れていた小型拳銃を使い、素早く触手めがけて発砲した。
その子犬ほどの大きさをした生物は全ての弾を身体にめり込ませると、緑色の液体を吹き出し、ぴくりとも動かなくなった。
「こんな生き物は見たことがない……」
足下に広がる緑色のぬらぬらとした液体の上に金色の糸が一本、二本と音もなく静かに落ちてきた。
「糸?」
ミンが顔を上げると、糸が淡雪のように徐々に数を増しながら空から降ってくる。
「お姉ちゃん、何なの?この糸」
「エンゼルヘア……昔の絵本で読んだことがある……」
ミンは落ちてきた中のうちの一本を手で受け止めた。
金色のような髪の毛が空から降り、時間が立つと跡形もなく消えてしまうという、古くから欧州に伝わる『エンゼルヘア』の伝説。
そばにいた子供たちも今までの恐怖を忘れ、金色に輝く糸の雪にじっと見入った。
「お姉ちゃん、音がしなくなったよ」
そう少年に言われ、はっと我に返るミン。
(本当だ)
気味の悪い触手が地面の上を這いずり回る音が、消えていることに気付いた。しかし、耳をすますと風船から空気が漏れているような音が遠くから聞こえてくる。
ミンは建物の陰から用心深く顔をのぞかせ辺りの様子を伺った。あれほど動き回っていた触手は時折表面を波立たせるもの、その動きを止めていた。触手につぶされていたり、引き裂かれた人間の一部がアスファルトを無残に装飾している。原型をとどめていない車や建物などいたる所から煙がくすぶっていた。
(やっぱり天使の髪の毛なんて、いいものじゃなかったな……)
一匹だと思っていたゲジタイプの虫が見える範囲で二匹、地上からそびえ立つ大木の幹のように身体を空に向かってまっすぐ伸ばし、その頭部にある口からミンや子供たちが手に取っていた金色の糸を大量に吹き出していた。
病院の屋上にいた葉月は、自分の方に向かって羽音をたてて飛ぶ大きな影を見た。
「パック!」
プラズマ球を発する武器を構えながら、その生き物は周辺で一番高い病院を目指してきたのであろうか。明らかに自分のいる場所に向かってきていた。
葉月は自分の立っている場所が危険であると予測し、すぐにエレベーターホールにある非常階段を目指した。葉月が階段最初の踊り場にたどり着いたとき、衝撃が走り、建物が大きく揺れた。
妖精は自分の居場所に満足を得たかのように朗々と叫び声を上げた。
「来たか」
止まり木に羽を休める鳥のように、パックと呼ばれる妖精は羽を閉じ、周囲を高く見下ろせる場所から動くものに対して、手当たり次第にプラズマ球を放った。
妖精は無邪気に殺戮の宴を楽しんでいるようであった。
(四)
「オルベリーシティ、北東よりゲジタイプ侵攻してきます、数は十二」
「この日まで奴らは息をひそめていたとでもいうのか」
「現地部隊が生物の遺骸を運び込んだという情報もある」
「そんな命令、俺は聞いていないぞ」
予想していなかった事態に、軍の情報網は混乱を極めていた。
全てが手薄になっている場所に集中する攻撃、明らかに彼らの知能は人類よりも上回っていることは確かであった。
基地を離陸したロシナンテが音速を超えたとき、自小隊員の状況を示す数値が黄色い準警告色になったことに河井は気付いた。
「ウィル、お前の身体データをモニターさせてもらっている、いらない緊張は死を呼び込む、落ち着くんだ」
「はい……あの隊長、俺、ここに来てから何やって良いかわからなくなっていて、カスガも、ミンやジョゼもいなくて、敵がこんなに色々な所で出てくるし……あ、すいません、交戦前なのに馬鹿なことを言ってしまいました」
後続のロシナンテを操縦するウィルは、突然の河井の呼びかけの言葉に思わず本音を漏らしてしまったことを後悔した。
「俺たち、兵士は死ぬまで一人だ、ただ命令に従えばいい、それに戦争はゲームではない、敵は現れる順番を待ちはしない」
「わかります……けど……俺よりもみんなことが心配で」
「心配なら自分の心とも戦え、ただ、その気持ちだけは忘れない方が良い……」
河井とウィルの二機のロシナンテは乾いた空気を切り裂きながら目的地へと急いだ。
各前線基地には多くの戦闘機や戦闘車両が駐屯していたが、応援に割けるだけの余裕はない。現にまだ前線では掃討作戦が続いており、敵の動向が全く読めない状況であることが、増援に対する弊害をよけいに生んでいた。
「あのオルベリー基地だぞ、豪州中央司令部があるのだぞ、それが何でたった数匹の虫にやられるんだ」
「まだわかりません。内部から破壊されたことも考えられるとのことです」
「どうして内部にいるんだ!」
臨時指令室の騒ぎをよそにグラ嬢は、短いタイトスカートを気にすることなく足を組み、一人コーヒーを味わっていた。
短い着信音の後に彼女の使用しているモニターにプラント中尉の顔が映った。
「余裕だな」
「だって、私がどうにかできる問題じゃないし、今は周りの邪魔をしないことが一番の得策だと思っているわ、あなたももうすぐ出撃するみたいね、お疲れ様」
「心のこもらない労いだな、ふふっ、面白い糞野郎だ、女にしておくのは本当にもったいねぇ」
「ごめんなさい、汚い言葉は嫌いなの、例のことでしょ、そろそろ来ると思ったわ」
「頼む」
「十分、データはとれたようだし、私も大事な実験材料をまだ壊したくないし、中尉、ご心配なく、依頼の件はプロテクト済みのメールで送っておくから、あと、街に出たらついでに化粧水の買い忘れがあったの、時間があったらお願いするわ、品名は添付しておくわね、それくらいのことはしてくれてもいいでしょ」
「データの結果次第だな」
「多分、満足できるものよ、お買い物よろしくね」
グラの返答に苦笑いするプラント中尉の顔がモニターから消えた。
彼女はコーヒーカップを机上に置くと、すぐにキーボードをたたき、カスガをはじめとした子供たちの名前の下に記された数値を今までよりも低く修正した。
「『スレイブス』の実戦実験をまもなく終了させ、それぞれの機体を被爆警戒エリアから待避させてください」
グラのいきなりの申し出に現場の実質的な責任者である青年士官は驚いた。
「まだ、全部の敵を排除できたわけじゃない、もう少し時間を延長させられないか」
「残念ですが、これ以上の時間延長は搭乗者の脳に回復不能の傷害を与えるおそれがあります、ただでさえ、予定よりも五分オーバーしていますし、また、エリアの面積から作戦行動は第三次までの予定ではなかったでしょうか、ここは計画通りに行ってもらわないと困りますね」
「それをどうにかするのが貴様の役割だろう」
「ええ、だから延長したのです、それとも、ただでさえ少ない高機動騎兵のパイロットを殺してしまってもよろしいのですか、私は現地責任者のあなたの命令に一応従いますけれど……義務なので上の方には報告させていただきます」
「ええぃ、第一次掃討作戦終了、各員はMAOとパイロットの回収を、放射性物質の洗浄班を向かわせろ」
涼しい顔をしているグラをいまいましそうに睨みながら、青年士官は周りの兵に命令を飛ばした。
そのような態度に意を介すことなく自分の席に戻ったグラは、飲みかけのコーヒーの入った紙コップを手にとった。しかし、ふちに付いたロゼ色の口紅の跡に気付くと、不快そうな顔をして口を付けるのを止めた。
放射能物質の洗浄が終了したMAOがオートコントロール特有の機械的な整列を保ったまま前線基地の滑走路に到着した。救護班と整備班が先を争うように、機体に近付き、決められた手順でそれぞれの作業にあたった。
一番最後に到着した『サイベリアン』には、オッターことサラム技術官のチームが担当することになっていた。
「サイベリアン、コクピットカバーをオープンさせます」
高所作業車のバスケットで待機していたウォルフガング整備兵は、機体停止の合図が出るとすぐに作業車の運転席にいる兵にマイクで声をかけた。
「コクピットカバー、オープン」
頸椎部を覆う装甲版が後ろにスライドし、溜めていた蒸気の抜けるような音をあげながら内側のハッチが上に持ち上がった。
ウォルフガングがはじめに見たのは、カスガがシートに座ったまま、黙ってうな垂れている姿であった。
「大丈夫か」
声をかけてみたが、反応がないので、ウォルフガングはコクピットに身体を滑り込ませ、彼を支えているシートベルトを外し、ヘルメットの頬の部分を軽く叩いた。
「聞こえているのか」
「サイベリアンのパイロットの回収急げ」
ヘッドフォンに臨時司令部の通信兵の声が割って入った。
「了解、収容中だ」
急かされるウォルフガングは、ヘルメットの左耳部の下にある、バイザーの開閉装置を作動させると目を見開いたまま、陸につり上げられた魚のように口をゆっくりと開閉続けるカスガの顔があった。まばたきのしない目から涙が流れ落ちたのであろう、乾いた白い筋が頬まで描かれていた。
ウォルフガングは苦しむカスガの顔を直視しないようにしながら、身体を引き上げバスケットに落下防止のベルトで固定させた。
「パイロット、コクピットより収容完了、救護班にまわします」
ウォルフはカスガの乗ったバスケットだけ先に降ろし、すぐに機体調整の作業に移った。シートの足下からするかすかな臭いに彼は気付いた。
ウォルフはカスガの乗ったバスケットだけ先に降ろし、すぐに機体調整の作業に移った。シートの足下からするかすかな臭いに彼は気付いた。
「小便か……奴ら、ガキ共に何しやがったんだ……」
寝台に乗せられたカスガは声にならない呟きをずっと繰り返している。
(お母さん……苦しいよ……お母さん……帰りたい……もう……おうちに帰りたいよ……)
救護にあたっている兵は、そんなことを気にもせず、司令部に命じられるまま、鎮静剤の入った点滴を打ち、彼の身体に観察用の医療器具を取り付けていった。
「カスガ・ソメユキ回収終了、一時的なショック状態ですが、次の出撃までには行けます、投入薬をさらに三パーセント追加します」
吊された点滴液が入った容器に救護兵が注射器でオレンジ色の液体をさらに注入した。
「おい見ろよ、痙攣ダンスがはじまるぜ、ガキのこの動きはいつ見ても面白いよな」
カスガの身体がぶるっと大きく震え、右手に痙攣を起こしはじめたのを見て、救護兵は冷たくえげつない笑いを浮かべた。
第一次掃討戦で一番スコアを上げたのはカスガが搭乗していた『サイベリアン』であった。そのことは、臨時司令部の士官にも予想外の嬉しい出来事であった。
「純粋培養の奴らよりも上をいくのがこの基地にいたとは……戦場に立つ経験も大切だということだな」
「その通りですね、ホームの教育プログラムは素晴らしすぎる」
「教育じゃぁない、改造だ」
「そうですね」
モニターの前に集まっていた者たちはこう言って、嬉々と軍の行っているプロジェクトに根拠のない自信をのぞかせた。
喜び顔の士官はキーボードを打つグラに命令をした。
「次の出撃は四時間後だ、グラ、行けるな」
「どうしてもパイロットを殺してしまいたいみたいですね、この状態でしたら四日後の間違いじゃないでしょうか、四時間後に乗せたらあの子たち一時間もしないで廃人になりますよ、何度も言いますが私は構いませんけれど、それでもいいのなら……」
グラはそう言って端末の蓋を閉じ、血気にはやる士官に冷ややかな視線をおくりながら一礼した。
臨時司令室の外からはプラントの戦闘車両部隊を搭載した輸送機がオルベリーシティに向けて離陸する音が小さく聞こえていた。
グラはカスガの運び込まれた治療室に入ると、何かを思い出したように小さく身体を震わせた。苦い胃液が口中に戻ってきたように感じたので、すぐにハンカチを口にあて、唾を飲み込んだ。
(思い出したくない……このアルコールの匂い)
医療器具の置かれた台の間を抜け、医療兵に囲まれ苦しい息をしているカスガの目の前に立った。カスガはうっすらと目を開けていた。
「起きていた?こう見舞いが続くこともないわね」
「グラさん……」
グラは顔を伏しぎみにして、カスガの疲労した顔を直視するのを避けた。
「あなたと『猫』のシステムとの相性は最高だったわ、今は苦しくても身体が慣れていくから、段々と楽になっていくはず」
「僕は戦っていたのですか……前にも……訓練の時……こんな……」
「記憶の混乱はないわね、それだけでも上出来よ、カスガ特務兵、機体の準備ができたらまた出撃してもらうから、そのつもりでいてね……」
彼女は治療室の子供たちの寝かされたベッドの間を忙しそうに何度も往復するスタッフを眺めながら言った。
「ウィルやみんなは……」
「みんな、あなたの活躍を喜んでいるわ」
「そうか……喜んでくれている……僕だって……できることがあるんだ」
酸素吸入器で顔を半分覆われたカスガがグラを見て力無く笑った。グラは気まずそうな顔をしないよう意識するもう一人の自分を見たような気がした。
(五)
市街地に突入したミリペデ型の虫は、大通り沿いに車列や避難民を下敷きにしながら基地を目指していた。本来であれば進撃を止めるための戦闘車両隊や多くの兵士は出撃することもできず、ほとんどの者がプラズマ球に焼かれていた。
オルベリー基地内ではかろうじて生存している人々の方がかえって末路は哀れであった。バスケットボール大の一見、細長い節足をもった黒い毬藻のような生き物が、回収された虫の死骸の腹を割り続々とあふれ出すと、閉鎖・機密性の高い作りが災いし、犠牲者をさらに増やしていた。
基地と外部とをつなぐ通信手段は、金色の糸が吐き出されてから計器類に強い乱れが生じ、全て使用不能となっている。
「この脱出ルートが使えるぞ」
「こっちだ、こっちの避難路を使え」
緊急の扉開閉装置を覆うプラスチックケースを割り、逃げてくる他の職員を誘導しようとした男は、虫のあまりの移動の速さを見てたまらず恐怖の声を上げた。
「虫だ、後ろに虫が来ている!」
「どこから、どこからこいつらは来てるんだ!」
黒い虫は床を走り、背を向ける人間に張り付くと、棘皮動物のような細かい歯を持つ口で頭骨ごと音を立てながら砕いていく。ライフルを発砲しながら兵士や職員達は、トロイの木馬の罠にはまったことさえ気付くことなく命を落としていった。
病院の屋上に立つ我が物顔で振る舞う妖精は、自分の持っていたステッキをコンクリートの床に深々と突き刺した。
唾液が絶え間なく垂れる口の端が笑みを浮かべたように上に引っ張られた瞬間、建物の中心を地面までプラズマ球が突き抜けていく。窓という窓のガラスが内側から全て吹き飛ばされ、六階から上の階は太い鉄骨さえも飴のように折れ曲がり、内壁も粉々に砕け散った。この場所でも避難の遅れている病院の患者や職員の命が理由無く一瞬のうちに奪われていた。
四階のやや広くなっていた踊り場まで下りてきていた葉月は、巻き起こった爆風で小さな身体を床に叩き付けられたが、壁に斜めに倒れかかった清涼飲料水の自動販売機の陰になったことが幸いした。
「熱い……」
物の焦げた匂いが強くなっていく。葉月は自分の両の手の指を目の前に広げ、数が十本残っていることを小指から確認した。耳鳴りがおさまるにつれて、身体の痛むところがはっきりとしてきたが、大きな傷にはなっていなく、ほっと胸をなで下ろした。
そして、壁の隙間から抜けだすと、階段の抜け落ちたところを避け、残った手すりにつかまりながら慎重に足を進めた。
「あっ」
一歩足を踏み出した床の一部が階下に崩れ落ちていった。
「この先は危険か……まだ、生き残った人がいるかもしれないのに」
葉月の立つ位置から病室に続く廊下は縦に寸断され、耳を澄ましてみたが、助けを求める声一つ聞こえてはこなかった。
「?」
はじめは街が破壊されていく屋外からの音に埋まっていたが、どこかで耳にした音が小さく聞こえてきた。
「これはロシナンテの音……」
印象派の絵のようにぼやけたエンジン音の輪郭が一秒ごとにはっきりとしてきた。侵入者に対して警戒の奇声を上げる妖精パックの黒い影がガラスの無い窓の外を横切っていく。
「ロシナンテアルファ河井、オルベリー市街の敵を補足」
「ベータ、ウィリアム、補足」
ロシナンテの至近距離レーダーに接近する妖精を示す光が点灯したのを確認し、河井は左足で方向翼をコントロールするペダルを踏み込みながら、機体を一気に下降させていった。
「ウィル、俺が奴を墜とす、基地内に位置するミリペデ型を頼む、後の虫が来るまでに葉月たちを収容する」
「了解」
「計器に原因不明のぶれが生じている、ミサイルを使用するな」
「了解って……あ、本当だ、でもミサイル使わないと……うわ!」
プラズマ球が妖精のステッキから撃ち出された。ヘッドアップディスプレイに映る数値が不安定に変わっていく。
「地上にまだ避難民も多くいる、いくぞ」
河井の声はいつもと変わらない。
「了解、指示目標を撃破します」
長い胴体を持つ虫は、ロシナンテの来襲をまるで気にすることもなく、金色の糸をただただ吹きだし続けている。虫の周りは短時間で忘れ去られた森の奥の廃墟のように金色の蜘蛛の巣の城と化していた。
河井がハイパーバルカンの狙いを妖精の頭部に合わせたが、察知したように横に避けていく。ロシナンテ輸送戦闘機は、空中における接近戦に特化したつくりではない。見る間に妖精の大きな身体が風防ガラスの上を高速ですれ違っていった。
ハイGをかけ、河井は急激に機体を垂直落下すれすれに反転させていく。妖精が体勢を変えようとした時、河井の機体からバルカンの弾が縦に流れるように空中に放出された。
「何で奴ら動かないんだ」
河井が上空へ妖精をおびき寄せている間にウィルは、動かないミリペデ型の頭部をバルカン砲で正確に破壊した。虫は胴体を棒立ちにさせたまま、緑色の体液とどろりとした黄色い液体の塊を損傷した部位から溢れさせた。
黄色い液体は空気に触れると、大きくいびつな球形に膨張し、終いにはかんしゃく玉のような音をたてて割れ、周囲に金色の糸の吹雪を巻き起こした。
「凱旋パレードの紙吹雪かっていうの、しかし、虫も悪趣味だなぁ」
糸が大気中を飛び交うにつれて、ロシナンテ輸送戦闘機の大部分の計器にエラー表示を知らせる光が点滅をはじめた。
「やべぇ!何だ、何だ?操縦システムがこれじゃまずいでしょ、俺、どっか変なとこ触っちまったかな。
まだ、コクピットから見えるミリペデ型は二匹いる。ウィルは震動が強く起こりはじめた機体を立て直すため、操縦桿を握る手にできるだけ神経を集中させた。
金色の糸が降る地点からある一定の距離が開くと計器はまた、何事もなく正常値を示した。
「あの糸が原因……しまった、隊長は」
まぶしい太陽光のために、河井の状況は確認できないが、空中戦はまだ続いているようであった。隣の遠距離のレーダーに街の北東方面より集団で迫ってくるミリペデ型の姿がしっかりととらえられていた。
「虫の友達はたくさん、こっちは俺と隊長だけ、ミサイルは使用禁止、縛りの多い戦いか……最近そんなのばっかりだな」
ウィルは機器障害をできるだけ回避するために高速で通過しながら一撃で頭部を撃ち抜こうと考え、機体を大きく横ターンさせた。そして、かすかに遠くに肉眼で見えるミリペデ型に照準を合わせた。
「とも言ってられないか……まるで、街に生えた椰子の木だぜ、弾全部命中させて切り倒してやる」
後部可変ノズルが固定され、ウィルのロシナンテはエンジンの嘶きの音を従えながら、再び速度を上げていった。
(勢いだ、勢い、頑張れ俺……ど真ん中ストライクだ)
引き金にかけていたウィルの右人差し指が手前に動くと、両翼に付いている銃口から生木を裂くような音がたち、鋼鉄製の細かい砲弾がはじき出されていった。
抵抗の素振りも見せないミリペデ型の甲殻は熟しすぎた果物のようにあっけなくはじけ飛び、胴体についた長い節足だけが、がしゃがしゃと互いにぶつかりからみあっていった。
「やったぜ、天才ウィル、河井小隊の若きエース、また、やっちゃいました、カスガに自慢できますって、誰も見ちゃいないか……」
自分の結果に喜ぶウィルは風防ガラスを通して、たった今、撃破した虫の身体が蒼い光に包まれていくことに気付いた。
「あれ?何の光だ……」
(この偽物の鳥は醜いわ……これから楽しいことの準備しているのに……ああいううるさい鳴き声は大嫌い、うまく歌えもしないくせに……)
聞いたことのない少女の声が興奮の冷めやらないウィルに水をさすように耳元で響いた。
「へ?誰が話した?ミン?通信が使えるようになったかな」
首を動かせる範囲内の姿は確認できず、機器障害の影響が続き通信関係に外部からの反応はない。そうこうしているうちに光はもう消えていた。ウィルは首をかしげながらも、あと残る一体を倒そうと、神経をそちらに向けた。
(六)
「あっ、お姉ちゃん、蝶々だ、光の蝶々がいるよ」
建物の陰を伝うように進むミンが声に振り向くと、一番後についてきた男の子が百メートル程先に立つ頭部の失った虫を高く指さしていた。虫の胴体の背の部分から、蒼い光に包まれた蝶のような生物が今まさに飛び立とうとしている様子が、そこにいる者たち全員の目に映った。
「きれいだね」
「あっ、みんな目と耳をふさいで!」
音速に近い速度で接近するロシナンテに気付いたミンは、異様な光景に見入ったままの子供たちにすぐに大きな声で指示をした。ウィルの操縦するロシナンテが前方の低空を通過する音は耳を塞いでいても全身をあらゆる方向から揺さぶるようなショックを皆に与えた。ミンのすぐ隣にいた少女はまだ膝頭が震えていた。
「もう!あの乱暴な操縦は絶対ウィルだ、会ったらお姉ちゃん怒っておくよ」
皆が目を開けた時には、もう光を帯びた蝶の姿は消え、そのかわり、また大きな金色の玉が虫の頭上で大きく膨張していった。
「早く、こっちだよ」
(大丈夫だよね、葉月ちゃんもジョゼも生きてるよね、必ず私も行くからね、ロシナンテも来てくれたし……)
ミンは待ち合わせ場所の病院と基地から離れていくことに少し悩みながらも、一刻も早く自分を慕う子供たちをこの危険な場所から避難させようと懸命であった。
崩壊した病院の向こうに片羽を失った妖精が落下していくのが見えたため、ミンは逃げる道をさらに東にとった。途中、戦闘機の音を聞きつけ近くの建物から避難シェルターに入ることができず、息を潜め隠れていた住人がぞろぞろと現れミンの周りに集まってきた。
「まだ、こんなに人がいたんだ」
ミンはロシナンテの轟音に背中を後押しされるように、それらの人々とひたすら郊外を目指した。
「目標捕捉」
河井は自機の高度を上昇させ、空中で垂直落下の体勢にもっていった。だが、瀕死の妖精にバルカン砲の照準を合わせたその時、河井の目の前を桜色の光が通り過ぎていった。
小さな姿だったものが、河井の前面モニターからはみ出すほど、急激に拡大していく。
「子供?」
裸身に蝶の羽を持つ少女が河井に優しい視線を向けたまま、彼の機体を胸に抱くよう、空いっぱいに手を広げた。その姿は醜いパックとは違うフェアリーの姿そのものであった。
(私を抱いてくれるのは、あなた……ううん違う……でも、このそばにいるはず……でも、もう感じられない……どこにいるの)
「お前は誰だ?」
河井の心に一瞬の気のゆるみが生じたが、すぐに両の手で左右のスロットルを引き、地上との激突を避けようと機首を上げた。機体に大きな衝撃が襲い、ロシナンテの左後部エンジンが火を噴いた。地上からパックによって放たれたプラズマ球が機体に命中したためであった。
「しまった」
機体の緊急警告音が鳴り、ロシナンテのシステムは自動的に近隣の不時着できそうな場所をノイズ混じりに指し示していた。ウィルへの通信も途絶えたままである。
「不時着までもたない、この信号に気付いてくれ、ウィル」
「隊長!」
目の前に墜ちていく河井の機体を見て、ウィルは驚きのあまり身体が震えるのを意識した。
半壊し黒い煙を吐き出す河井のロシナンテの翼にこの場から一時撤退を告げる発光信号が点滅したことで何とか無事であることがわかったが、スロットルを握る手が氷のように固まったままであった。
河井の機体は金色の糸がからまった基地の滑走路上を火花を噴き上げながら滑っていった。まだ、パイロットの脱出は確認できない。
(俺たちは命令に従えばいい)
「隊長、俺はそれでも、俺はそれでも命令に従わなくちゃいけないんですか」
計器異常を示すエラー音が、一気にウィルのいるコクピット内に響いた。
どうにもできないまま、そう叫んだウィルは二、三度上空を旋回した後、進路をプラント達が降り立つ予定の二百キロ離れた隣州の民間空港へと向けた。
河井の搭乗していた機体が徐々に炎に包まれていく。
幻灯に映し出されたような少女の半透明の姿はもう跡形もなく消えていた。
(七)
(もう一機は撤退か……ロシナンテのパイロット、無事だといいけど、ウィル、カスガ、隊長、誰なんだろう?)
数歩進むごとに、ジョゼは立ち止まり少しの変化でも逃すまいと神経を張り巡らせた。依然と金色の糸が静かに降り注ぎ、空を埋め尽くしていく。ただ光の透過性が高い物質のためか、街をほんのわずか薄暗く照らした。
「あっ」
十字路の積み重なったがれきの下に女性の白い足が伸びていた。ジョゼは心配になり走り寄った。
「無駄か……」
上半身が建物の外壁の破片で潰されていた。
なぎ倒された街路樹と車、そして無造作に路上にばらまかれるように横たわる死体。はたして何人の生存者がいるのであろうか、崩されていない建物の中には自分たちのように息を潜めている者たちが多くいるはず。そうは考えてみても、ジョゼが一人でそれを確かめるのには時間がなさ過ぎた。
携帯端末機はつながる素振りも見せず、無音の状態が十秒ほど続き、後に接続不可を知らせるビープ音が鳴るだけであった。
突然、バラバラと建物の崩れる音と振動が近付いてきた。危険を察知したジョゼはすぐに、がれきの後ろに飛び込むようにして隠れた。
「さっき、墜とされたパック……ここまで逃げてきたのね」
妖精が二階建ての事務所が入った建物の陰からぬっとその大きな姿を現した。そして、ジョゼが身を潜めているがれきの横を腐臭の漂う息と皮膚のめくり上がった器官から多量のよだれを吐き出し、武器であるステッキを老人のようにつきながらゆっくりと進んでいった。
歩くごとに家々のガラスがビリビリと響き、倒された消火栓からは茶色がかった吹き出す水が妖精のただれた肌を冷やした。
「私が震えている……」
ジョゼは歯の根が合わずがちがちと音をたてている自分に気付いた。ブロックの端にくい込んでいた指の先までもが細かく震えていた。
「情けない……ウィルがこんな私を見たら絶対に笑うな」
ぐっと息を止め、気配を殺しながら、ジョゼはゆっくりと妖精の動きにあわせ、がれきを回り込むようにして自分の身体を隠した。
妖精は人間の遺体をつまみ上げては、臭いを嗅ぐ仕草を見せ、口のような器官の中に放り込んでいった。牛が反芻しているようにグチャグチャと肉を喰らう音がずっと続いている。
妖精の背に生えている羽はもぎ千切れ、辛うじて付け根の部分が残っているだけであった。特徴的な銀色の肌も輝きを無くし大部分が焼け焦げていた。
「あれだけ、やられているのに」
妖精が何かに気付いたのかアカギレのような小さな口で咆哮すると、その歩をもと来た病院の建物へと進めた。
「何を見たの?」
ジョゼが気を付けながら顔を覗かせると、逃げる葉月の頭すれすれに妖精の手が大きな音をたてて空を切っていた。
「葉月!」
葉月の見え隠れしながら逃げる姿に、妖精は狩猟本能が刺激されたらしく、首を低く前につきだすような恰好で建物に体当たりを加えていく。道路側にせり出して付いていた看板が振り乱す首にぶつかり音を立てて吹き飛んでいった。ジョゼは、自分がおとりになろうと考えてはみたものの、足が思うように動かなくなっていた。
(情けない、私の心がこんなに臆病だったなんて)
ジョゼは、はじめて生身で敵と対峙して戦う恐怖を知った。MAOやロシナンテのコクピットに着座している時とはまるで違う感覚に全身の鳥肌がそそけだった。
瓦礫の壁を掴む手のひらにじんわりと汗が滲んでいく。妖精が必死になって葉月を喰らおうと追跡しているのを見て、ジョゼの目に悔し涙があふれた。
(私なんて、全然強くないじゃないの)
樹木の葉が風にざわざわとなぶるような音が街を包んでいく。その音は悔しがっている時ではないことをジョゼに対し遠回しに気付かせた。降り注いでいた金色の糸がその場で急に細くなり、それぞれの一本の長さを見る間に伸ばしていった。
「何なの……」
幼児の髪の毛よりも細くなった糸は何かに引っ張られるように基地の方向へするすると動いていった。
妖精は自分が傷付いているのも忘れ、建物の中に逃げ込んだ葉月を捕まえようと、興奮した様子で窓から右腕を差し込んだ。
はじけて割れたガラスが路上に散った。
(墜ちたロシナンテを操縦していたのはタケル君だ……あんな機体の扱いは、他の子たちにはできない……)
葉月は妖精に狙われている恐怖よりも、墜落したロシナンテの様子がずっと気になっていた。上っていた黒煙の様子からもおそらく機体はまだ炎上を続けているに違いない。
(こんなことしていられないんだ)
部屋の端から並べられていた事務用ロッカーや棚が妖精のただれた指で紙のように握りつぶされた。奥に抜ける通路は、崩れ落ちた壁でうずまり、這い出る隙間さえなかった。投げつけたオフィス椅子の座面に鋭い爪先が刺さった。
「葉月!」
ジョゼの声が、破壊音の合間を縫うように響いた。
半ば走るようにジョゼが道の真ん中を進んでくる。建物の内部をさぐっていた妖精は新たな獲物の存在に気付き、建物から自分の腕を引き抜くと、地面を嬉しそうに一度大きく叩いた。駐車していたワゴン車が振動で街路灯に後部からぶつかり、漏れ出したガソリンに火が付いた。
「あんたが狙うのはこっちでしょ」
黒い煙の壁を突き破って妖精の身体が飛び出してきた。
炎の熱さを肌で感じながら、ジョゼは転がるようにして、横の小さな店に飛び込んだ。ショーウィンドウのガラスが粉々に砕け、飾られていた洋服が舞い上がった。
ジョゼは素早く裏口の扉に手を踊り出るように表へ出た。
「ジョゼ!」
通りを横切りかけた時、葉月が走ってきてジョゼの手を握った。
「大丈夫だった?」
ようやく葉月と出会ったジョゼの声は乾きによって別人のようにかすれていた。
「大丈夫、こっち、こっちに来て」
葉月は、妖精の鋭い爪が行き交うタイミングを見計らいながら、放心しかけたジョゼの腕を引くようにして窓際までたどりついた。
「早く、あの路地なら狭いからあいつは入れない、でも、プラズマ球に撃たれたらおしまいだけど」
葉月に促されるまま、ジョゼは妖精のいる場所の反対の窓から戸外に出、小さな通りを挟んだ路地へと走った。
二人の頭上に大きな影が現れた。どこにそんな力が残っていたのか、空中に飛び上がった妖精がアーケードを鉄骨ごと踏みつぶした。
ジョゼは今にも襲いかかってきそうな妖精が気になり、何度も振り返ったが、葉月は前だけを見据えジョゼの左腕を握ったまま走り続けた。
(八)
「パック捕捉」
救援の別部隊の地上攻撃機三機がようやくオルベリー市街に突入してきた。
「報告の通……だ、計器に異常……だ……て……」
傷ついた妖精を目の前に功をあせろうとしたパイロットは狙いの定まらぬまま空対地ミサイルの発射トリガーを引いた。
「ジョゼ、伏せて!」
一瞬、足を止めて見上げていた葉月は、道路に滑り込むように伏せた。
ミサイルは複雑な蛇行の線を描きながら、妖精には命中せず近くの建物の上階部分を根こそぎ吹き飛ばした。妖精は空中を過ぎる自分の楽しみを遮った攻撃機に向かって咆哮した。
「何で私たちにプラズマ兵器を使わないんだろう」
「あいつは楽しんでいるのよ、そういう本能の塊のような生物だから、ジョゼ、まだ走れる?」
葉月の問いかけにジョゼは頷いた。
「ええ、でも、どこに行くつもり」
「オルベリー基地、あそこには私の猫が眠っている」
自分が目指そうとしていた場所を告げる葉月の言葉にジョゼは驚いた。
「考えることは似てしまうのね」
葉月の返答を聞く暇もなく、近くのあらゆる物がミサイルによって次々と破壊、炎上していく。市街の上空には糸できた大きな半円形の屋根が徐々に膨らんでいた。
「先行していたロシナンテの報告通り、基地上空通過後、通信障害発生確認、機体各部のリモートに大きな異常が生じている、極近距離だと干渉がより強い、一部かそれとも特定の周波数帯だけか、まだ未確認ではあるが電子装置は使用不能……ん、何か幕のようなものを視認……」
「こんなところにスタジアムなんてあったか?」
パイロット達は、街の上空に金色のベールがうっすらと半球状に覆いつつある事態を目にした。
「敵の出方がわからない、判断を仰ぎたい」
パイロットはそう言いながら機首カメラの映像を司令部に送り続けた。
「陸上歩兵部隊が到着するまで手を出すな、北部方面より侵入する別のミリペデの群れを他小隊と叩け」
「デルタ、了解」
「イプシロン……うわぁっ!」
通信の途中で一機の攻撃機が空中で爆発した。妖精は獲物にプラズマ球を命中させた喜びを狂ったようにその場でぐるぐると回って表現した。
攻撃機は街外れに墜落し大きな火柱を上げた。
(九)
プラントはオークギャップ民間空港の滑走路へ着陸した輸送機の中でその映像を見ていた。
「もう一度見ますか」
「いや、それよりも司令部から光学分析データの取り寄せを急げ、あの金色の糸はやっかいな物らしい」
輪郭のぼやけた半球型のドーム画像が写ったまま映像が止まった。
「これを見てどう思う、お前らの率直な意見を聞きたい」
プラントはコクピットからしかめつらした表情のまま兵員室に映像を回した。
「ふわふわのダブルベッドで彼女とおねんねってとこですね」
何でも人より先に行かないと気が済まない性格のブルートがはじめに声を上げた。つられて、階級に関係なく兵士らは自由に意見を述べていった。
「新しい風の城の基礎工事ですかい?」
「降参する旗の準備でもしているんじゃねぇのか」
「お前の髪の毛くらい薄いな」
「何言ってる、お前の生え始めのナニの毛じゃねぇのか」
「どっちもツルツルかよ」
「後ろからてめぇの頭吹き飛ばしてやる」
「何だと、やってみろツルツルぅ!」
騒がしい中、ドノバ兵長は数秒間黙っていたが、冷静に答えた。
「敵の新たな防御もしくは増殖形態、巨大な繭のようなものと思われます」
「私も同意です」
チェ曹長も頷いた。
「兵長も俺と同じ見解か、人間、追い詰められると違う考えが出てこないとは聞いてはいたが、まさに今がそれだな」
(河井軍曹、お前だったらどのように考える?)
河井機の墜落は耳にしていたが、プラントは必ず脱出していると確信していた。
「ペイス」
「はい」
プラントは輸送機コクピットにいるペイス通信兵を呼んだ。
「次の命令を司令部にも伝えておいてくれ、現地で通信機器が頼りにならないのは聞いての通りだ、組成物質がわかるまで各部隊を目標の十キロ圏内に入らないように注意させろ、それまで、できるだけ詳細な情報をお前のところに集約させる、突撃のタイミングは後から指示する、この三つだ、いいな」
ペイスは命令を聞き、プラントもまだ迷っていることに気付いた。
「了解です、中尉、たった今、ロシナンテベータが合流しました、パイロットの小僧への指示はどのようにしますか」
「奴はレジェップの歩兵部隊に突っ込ませる、すぐに機体から降ろせ」
「了解」
プラントの口から出た言葉を聞いてレジェップ伍長は目を丸くした。
「歩かせるんですかい?」
驚く伍長にプラントは短く言葉をかけた。
「奴は面白い小僧だ」
「あの黒い方のガキですか、わかってます、気合い入れて育てますぜ」
「ガキのケツの穴は広げるなよ」
「初めての相手がレジェップだと物足りねぇんじゃないか」
「馬鹿野郎、小指しかねえ一物だぞ、糞より細いぜ」
緊張感とは無縁の『ならず者』部隊の会話であるが、目だけは誰も笑ってはいなかった。見ている方向はただ一点、モニターに止まって映る金色のドームであった。
第三話 「歩兵の本領」
(一)
街の中は深閑としている。
妖精は見失った葉月たちの追跡をあきらめ、棒立ちのままこと切れたミリペデ型の虫の体液を身体にまとわらせ悦にひたっているようであった。
がれきに沿って静かにジョゼと葉月は進んでいたが、街と基地を挟む大きなストリートを前に二人は足を止めざるをえなかった。
この位置からではどうやっても道路を渡る前に妖精に気付かれる可能性が高く、フェンスにたどり着いたとしても侵入防止用のトラップがまだ動いている可能性もある。
「せっかくもう目の前なのに……」
そう言ってジョゼは壁にできた隙間から目を離し葉月に向き直った。葉月はアパートの二階の窓から西側にある基地の様子をずっと観察し続けている。
滑走路上のロシナンテ輸送戦闘機はまだ機体から煙をくすぶらせていたが、コクピットカバーは大きく開いていた。このことはパイロットが無事に脱出できたことを表している。
葉月の心の痛みは少し和らいだ。
(タケル君、脱出できたみたいだ)
「葉月、そっちで他に何か見える?」
「ねぇ、ジョゼ、さっきからおかしいと思わない?」
「何?」
「基地の動きがあまりにもない、兵士の遺体もほとんど見えない。兵士だけでなく職員さえもいない、そして、あの巣のような……」
ジョゼは葉月の横から顔をそっと半分だけ出して見た。
葉月の言うように破壊された建物は多いが、軍事基地全体が不自然な沈黙を続けている。また、基地周辺だけが金色の糸がより濃くなり、細長いジグモの巣のような体をなしつつあった。
「ジョゼ、猫の置いてある格納庫はどれかわかる?」
「あれよ、向こうから四番目の屋根が平らになっている所に猫が三機入院中……でもここからじゃ遠すぎる」
葉月にそう問われ、指さした半地下式の格納庫はまだ外壁の様子から損害が少ないことは明白であるものの、今いる場所からは妖精の目の前を横切っていかなければならない。
(地下通路があっても地図は無いし、リスクが高すぎる……それにこの糸の量……でも、行かなきゃ……)
葉月は壊されたゲートからどのように進めば良いか、じっと考え続けた。
糸に足をとられながらも河井は、ようやく一番端に位置する格納庫の壁に取り付いた。ゆっくり息をととのえると、機内から持ち出した護身用の拳銃を腰のホルダーから外した。
(人の気配が感じられない、なぜだ……)
攻撃機の墜落した重い震動が靴の底を通して伝わってきた。
(旧式の電子機器では……しかも相手はパックだ)
作業員用の格納庫へ通じる扉の上のランプは、施錠を示す赤い色が点灯していた。河井は壁の端末を操作したが、モニターの数字が零を示したまま作動する様子がなかった。
次第に大きくなる地響きは、妖精が市街地から基地に近付いてきたことを河井に知らせた。格納庫の壁伝いに走り抜けた河井は、そのまま崩れて横転したコンテナの一つに飛び込んだ。
「!」
河井のすぐ横で、整備服姿の兵士が壁に向かって跪いたまま事切れていた。肉の間から垣間見える白い骨が差し込む太陽の光にちらちらと映し出されている。普段から人の亡骸を見慣れている河井であったが、兵士の破れた腹部に目が引かれた。はらわたがそのまま抜け落ちたようにそこに大きな空洞がつくられていた。
(見たことのない傷だ……)
手元に照明装置がなかったため、よくはわからなかったが、遺体の状態があまりにも不自然なため河井は直接の死因をいぶかしんだ。
「ちっ」
足元で何か動く気配がしたため、河井は両手で構えた拳銃の銃口を地面に向けた。一匹の大きなドブネズミが一目散に外へ逃げていった。
その向こうには、虫の死骸に食らい付く妖精の姿が金色の細い糸を透かして目に入った。
墜とされずにすんだ二機の攻撃機の音は遠くに消えていく。
(そうだ、命を無駄に落とすことはない)
河井はコンテナから出ると、壁が破壊された隣の格納庫までの五十メートル程の間を一気に走った。幸いにも妖精は気付かずに、滲み出る緑色の液体を身体に擦り込んでいる。
建物の基礎部分から飛び出た鉄骨を乗り越え、屋根と一方の壁しか残っていない倉庫の中を河井は緊張しながら進んでいった。時折、外からは妖精の愉悦の短く途切れるような高い声が聞こえてきた。
崩れた壁の下からは犠牲者の流れ出た血が砂とまじりあって黒く変色している。この建物の中まで吹き飛ばされてきた輸送トラックは、扉が全て落ち、焦げた運転席のシートのビニールが車両のフレームに溶けて貼り付いていた。地下通路に通じるエレベーターホールの痕跡さえもがれきの中に埋もれていた。
(みんなシェルターにうまく逃げ込めたのか)
残っていた弾薬に引火したのか、車体の下部を見せたまま転がっていた戦闘車両が大きな音を響かせ宙に飛ぶのが、遠くに見えた。妖精の反応を確かめたが、まだミリペデ型の死骸の側でまどろんでいるようであった。
「猫の格納庫につくまで、じっとしてくれていればいいが」
河井は積み重なったがれきの間を器用に渡っていった。金色の糸は光の反射によってそこにようやく張ってあることに気付くほど細くなっている。端までたどり着くと、倉庫と次の格納庫の間に光のトンネルが造られていた。弱い風に逆らうように糸がトンネルを中心に不思議な集まり方をしている。
(引きつけるような物でもあるのか)
わずかに残された壁の前に、歩兵用の装備に身を包んだ男が横たわっていた。気付いた河井は半身をかがめながらその男に近付いていった。それまでアスファルトだった場所が真綿を踏みしめるような弾力のある感触に変わった。
(糸の硬度が上がっている)
「大丈夫か」
声をかけても反応がまるでないので、うつむいた顔を下から覗き込むようにして見た。
自分と年の違わない褐色の肌をもつアジア人の青年であった。河井は肩をもって軽く揺すると青年は力なくその場に倒れ、彼の肩にかけてあったアサルトライフルが地面に軽い音をたてて落ちた。
(同じだ……)
さっきの男のように防弾ベストが被っていない下半身の着衣が破れ、人の拳がそのまま入りそうな穴が開いていた。河井は背中側を見て、それがただの弾痕ではないことに気付いた。
「悪いが使わせてもらう……」
遺体に軽く敬礼をした河井は、兵士の身に付けていた弾倉や手榴弾を自分のベルトに取り付け、アサルトライフルの各部に異常がないかを注意深く確認をした。
壁の向こう側に小動物がせわしなく動く音が耳に入った。河井はライフルの安全装置をはずし、神経を尖らせた。そして、息をできるだけ殺し、にじり寄ると破片で片面を覆われた倉庫の壁裏へ視線を向けた。
そこは金色の糸でできたばかりのトンネルの最深部といっても良い、先が少し狭くなっている場所であった。爆風で壁に押しつぶされて死んだ兵士や基地職員の遺体がかき集められたように折り重なっている。次第に一番上で腹這いのまま息絶えている職員の腹部の上着が盛り上がり始めた。
(やつだったか、人間の死体を集めているということは食料にでもするつもりか……」
食い破って出た血しぶきを壁に飛ばしながら、遺体の腹上に、はじめて目にする生き物が姿を見せた。
球体の身体に長い節足が八本伸び、ごわごわとして固そうな黒い短毛が全体を包んでいる。球体の上には蜻蛉のような半球状の複眼が二つ突き出すように乗っていた。その生き物は食用蛙に似た低い鳴き声を上げながら、夢中になって遺体の喉笛に大きな顎で食らいついていた。
(妖精からの距離がまだ近すぎる、他にもパックやミリペデはまだいるはずだ)
河井はライフルの使用を思い止め、その場から静かに離れようとした時、触れてもいないのに顔の高さにある部分の金属破片が音をたてて地に落ちた。
すぐ横にもう一匹の生き物の顎が古びた金鋏のように、カチカチとけたたましく鳴った。
「くっ」
飛びかかって来たその生き物を河井はライフルの銃身で叩き落としたが、ゴムまりのように跳ね、再び地面から河井に飛びかかろうとする素振りを見せた。その後ろでは、兵士の遺体の山から、どこにこれだけの数が潜んでいたかと思うほど、ぞろぞろと虫が這い出てきた。
(まずい)
河井は走りながら、その黒い生き物に向かってライフルの引き金を引いた。響き渡った銃声は、陶酔状態に落ちていた妖精を目覚めさせるのに十分であった。
「タケル君?」
基地を見ていた葉月は、驚きの声を上げ部屋から飛び出そうと外へ出る扉の位置まで駆け寄った。窓際にあった陶器製の花瓶が床に落ちて割れ、活けてまもない花が葉月の靴にあたった。
「葉月、どうしたの」
「タケル……ううん、河井軍曹を基地内に確認、すぐに救助に向かいます」
「隊長が、どこ?」
ジョゼは確かめるべく窓に走り外の景色に目をこらした。
妖精は緑の液体にまみれた身体を震わししぶきをあたりにまき散らすと、何かを追いかけるように動き出していた。それにかぶるようにして時折、ライフルの銃声が単発的に聞こえて来た。
「助けに行くって、どうやって」
「どうしても行かなきゃ」
葉月はそう言って、銀色のノブをひねり扉を勢いよく開け、一人階段を駆け下りていった。
「待って!」
ジョゼもつられるように表へ飛び出したが、この無謀にも思える葉月のふるまいに彼女が河井に対するなにがしかの自分が知らない強い思いをもっているのではないかと感じた。
河井は走りながら手榴弾の金属製のキャップをはずし、安全装置の解除スイッチを起動させると転がすように地面に落とした。数秒後に手榴弾は河井を追跡する黒い生き物を吹き飛ばしたが、地面が金色の糸におおわれているため土煙はほとんど立たなかった。
その後ろから大きな歩みで向かってくる妖精は、獲物が爆発物を持っていることを知ったのか、プラズマ球の発する杖を右腕を差しのばして構えた。杖の先が白く発光をはじめた。
(まずい)
河井は攻撃を避けようとできる限り建物の陰になるように横へ走り、砲撃でできた穴に身体を飛び込ませた。辺りの建物が轟音と共に吹き飛んでいく、穴の底で皮膚の出ている場所を極力少なくするため、身体を丸めた河井は自分の髪の毛が焼ける匂いを嗅いだ。プラズマ球は金色のトンネルの一部と球体の黒い生物の身体を一瞬で溶解させた。
「指……耳はまだある」
河井は自分の体に欠損部位がないかを確認し終え、穴から這い上がろうと右手を地表にかけた。
妖精の地面を踏みしめて近付く震動が断続的に手を伝わってきたため、河井は這い上がるのを止め、寝転がった姿勢のまま自分の身体を妖精の来る方向の穴の壁面に背をぴたりと密着させた。そして、頭の中でゆっくりとカウントを数えた。
(十五、十四、十三……)
十秒を切ると同時に残っていた二つの手榴弾の安全装置を手際よくはずした。
「六、五……」
四秒前と同時に河井は身体をぐっと起こした。
手を伸ばせば届きそうな位置に近付いていた妖精の足元に二つの手榴弾を同時に投げた。
河井が目の前の足元の穴に隠れたのを見付けた妖精は嬉しそうに奇声を上げた。
炸裂音が響き、無防備な妖精の両脚が肉片と化した。自分の脚が瞬時に無くなった妖精は緑の体液を吹き出しながら狂ったように転げ回り周囲の建物を破壊した。
河井も破片によってパイロットスーツが破れ、至る所から血がにじみでていた。河井自身も少し放心していたのか左腕に細い金属棒が刺さっていたことに目で見てはじめて気付いた。痛みを我慢しながらその棒を引き抜き、河井はライフルを構え、脚の無いまま暴れる妖精に近付いていった。
河井は無言で、頭部めがけて近距離からアサルトライフルを弾切れになるまで撃ち込んだ。はじめは小さな傷だったところが次第に広がり、緑色の血しぶきがあがると、妖精は身体を痙攣させ動きを止めた。
河井の腕から流れ出た血が金色の糸をつたって地面に染みた。
「タケル君!」
自分の名前を呼ぶ少女の声が遠くから聞こえてきた。河井が力なく振り向くと、葉月が涙を流しながら自分の方へ走ってきた。
「葉月……」
葉月は、ぼろ雑巾のように変わり果てた河井にすがりつき、大声を上げて泣いた。河井の痛む身体にも少女の身体の温かさとほのかな甘い香りが伝わった。
「すまない……」
河井の口からためいきのような力無い声が漏れた。
「何で、あやまるの、何であやまるのよ、やっと……やっとこうして会うことができたのに……私、元気だよ、タケル君の言ったとおりずっと生きてきたんだよ……」
河井は葉月の頭を軽く起こし、優しく微笑んだ。その微笑みが二人の間を裂いていた大河のような時間を埋めていった。
「ずっと、ずっと……会いたかった……」
葉月は河井の傷ついた顔を涙の光る目で見据えたまま動かない。
「隊長!」
ジョゼは河井の負傷した姿を見て、悲鳴を上げた。
「大丈夫だ……」
河井は葉月の身体を自分からそっと離し、自分の血にまみれたライフルをジョゼに渡した。
「腕を負傷した、お前にあずける、残りの弾倉はわずかだが」
「パックをこれだけで、倒したのですか……」
ジョゼは手負いだったとはいえ妖精の死骸を前に、信じられないという顔つきで河井の顔を見た。
「偶然だ……猫の所まで行きたいと思ったが、基地周辺に未確認の生物が多数潜んでいる可能性が強い。姿を隠している他の虫や妖精の出方も気になる」
そう言って河井はベルトに付けていた弾倉をジョゼに手渡した。ジョゼは河井の言うとおりだと思い、見えざる敵に対してこの危機的な状況でどうすべきか思案した。
「ジョゼ、俺たちにできることは考えるだけでは進んでいかない」
「葉月、隊長を支えてあげて……格納庫まで急ぎましょう」
「はい」
三人はジョゼを先頭に、人気のない基地の廃墟の中を進んでいった。ジョゼは金色の隙間から黒い生き物の頭が動いたような気がし、探るような目で何度も周囲を見回した。がれきの山からは絶えず物音がし、小走りに何かが移動する音もする。
(見ている……奴らは私たちのことを……落ち着くの……落ち着くの)
ジョゼは同じ言葉を小さく何度も繰り返しつぶやいた。
「ジョゼ!」
葉月の悲鳴に似た声が耳に飛び込んだ。黒い生き物の群れが倉庫の横の壁一面に貼り付き、獲物の匂いを捕捉するように触覚をさかんに動かしているのが見えた。
(二)
輸送機から戦車や榴弾砲、装甲輸送車が降ろされると、車列を組み次々と国道をオルベリー市街地へ向けて進んでいく。
「ええっ!歩兵ですか?」
ウィルはペイス通信兵からその命令を聞き驚愕した。
「残りのロシナンテ再出撃は現時点で許可されていない、お前は、あの二番目の装甲車だ」
向こうで屈強な男が装甲輸送車の後部のドアからロシナンテコクピット内のウィルを手招きして待っている。もう、すでにこの動きは決まっていたらしい。
「兵装はその中にあるのを使え、勝手な行動は許さん、中の連中の命令には絶対従え、わかったか、わかったら降機してすぐに走れ」
「サー、イェッサー!」
ウィルは飛び降りるようにして機体を降り装甲輸送車へ駆けた。
(あの街に戻れるなら、何だってやってやる)
装甲車の中に入ると投げつけられるように歩兵用の装備がウィルに与えられた。
「歩兵ライフル銃なんて使うの訓練の時以来だ、こんなだったらもっと練習しときゃよかった」
着替え終えたウィルは自分の銃を抱え込んだままつぶやいた。そのつぶやきを真向かいの席でレジェップ伍長はにやにや笑って聞いていた。
「空のエリートの坊やも地べたを這いずり回ることは苦手か」
彼の軽い嫌みも、ライフルの基本操作に悩むウィルには聞こえてはいなかった。
「すいません……このマガジンの外し方教えてもらえますか?付け方はおぼえていたのですが、すっかり忘れてしまって」
「お前、そんなんで戦えるのか?」
「虫の餌にならない程度には……自信ありません」
レジェップはあきれながらも、自分のライフルから弾倉を手際よく外して見せた。
「すげぇ、さすが、元ならず者部隊だ!」
そう言われたレジェップも悪い気はしない。ウィルは心から感心して同じように自分のマガジンを外そうとしたが、なかなかうまくいかない。
すかさずウィルの横に座っていた黒人の男が手を貸す。
「ありがとうございます、あの……兵長のお名前をお聞きしていいですか」
「ドロバだ」
「ペイスの兄貴からもっとスピードを上げろとさ、お前達つかまっていろよ」
「兄貴?お前の大事なナニの兄貴か?」
運転席にいる兵士の言葉通り、彼らの乗った装甲車の揺れが大きくなっていった。
(三)
(ここまで来れば……)
後方の街の中心街を覆う金色の壁はだんだんと厚くなり、それに伴い中の景色がうっすらと蜃気楼のように見えている。街外れに近付くにつれ避難してきた人々の数がさらに増えてきたのを見て、幸運な人たちだとミンは思った。しかし、それはほんのつかの間の安堵感であった。
低い建物の街並みが続く道の先に煙を上げている何台もの車が見えた。道の向こうから走ってくる人々の様子も尋常ではない。
「壁だ、この先に壁ができている」
「まさか」
ミンがよく目をこらすと、高さが十メートル程のもつれた金の糸でできた壁が、ある通りを境に長城のように連なっている。
「ここでちょっと待っててね」
不安げな顔の子供たちを待たせ、近くの建物の非常階段をミンは三階まで駆け上っていった。長城の先にミリペデ型の虫が金色の糸を大量に吹きだしていた。
「ここにもいたんだ……」
壁自体の厚さはそんなにないように思えたが、それにぶつけ突破しようとしていたのか、つぶれた車が何十台も重なっているのを見て、高い強度を持っている物質だと推測した。
皆泣きながら金色の糸の壁にとりすがってそれを必死に破ろうとしていた。父親と思われる男が金属の棒で、子供にからんでいる糸を何とかしてはずそうとしていた。絡まったままの子供の顔にはもう血の気がない。
片一方では、束ねた木材に火を付け、溶かそうと試みている者たちもいた。が、この程度の火ではどうにもなるはずはない。この状況下でバーナーを持ち歩いているのは奇跡にも近い。また、下水道のマンホールや穴を掘る重機のようなものも近くにはない。
ミンは再び通信機を取り出してみたが無反応のままである。
内側に大きく反り返るような形状の壁は住民のたてたアルミ製のはしごを滑らせ、そのたびに怒号とすすり泣きの声がその周囲で満ちていった
「私たちは巣の中の餌……」
つぶやいてみたことで何が変わるわけでもなかった。
(四)
別方面から進んでくるミリペデ型の群れに戦闘機のミサイルが命中していく。脚部を飛ばされた虫は、少しも気にも止めず、樹木や建造物を破壊しながら、市街地へと進んでいく。
「一番先頭の虫にミサイルを集中させろ」
「了解」
オルベリー市街地救援に三小隊計九機がそれぞれ編隊を組み攻撃を続けた。放たれたミサイルは先頭を進む虫に直撃し、長い胴体が粉砕されていく。
「やった、糞虫一匹処理だ」
「レーダーに急速接近する物体あり……まずい」
最初に気付いたパイロットが、声を上ずらせたとき、一気に三機の戦闘機が空中に閃光と共に散った。
「パックだ、攻撃対象変更!全機、奴に集中しろ」
「俺たちもついているな、ここでこいつに出会えるなんて!」
「一度墜としてみたかったのよ、こいつをな!」
地上からプラズマ兵器を持った生き残りの妖精が、翼をはためかせ上昇してくる。
戦闘機のパイロットはスロットルを最大限に開いた。
中央指令本部では集まってきた報告により、おぼろげながらドームについての情報が明らかになってきた。六千人以上といわれる今も閉じこめられた市民を救出するため、すぐに大型重機を手配しているがまだ現地には到着していない。
ドームの外では、近隣の街から安否を心配する人々やマスコミなどが続々と集まってきた。
ドームを形作る繊維の質も光学式分析により徐々に判明した。外観はカイコの吐き出す絹ととても似ているが、強度は高密度結晶によりワイヤーよりも固く、人の力で切ることは不可能である。
また、糸に微弱で不安定な磁気が帯電しており、何らかの理由により囲まれている内部からは電波を使用した通信が遮断されてしまうこともわかった。
これらの情報はすぐに救出にあたる各陸上部隊に伝えられた。
先発していた偵察軍用車両『ミーアキャット』の助手席に乗るプラントもペイス通信兵からその報告を受けていた。
「そうか、わかった、こっちも見えてきた、計器にまだ異常は認められない、約十五分後には壁まで到達できそうだ、豪州で万里の長城を拝めることができてありがてぇ、これだけの物だ、俺たちが押さえている以上の数のミリペデがいるのは間違いない、それと、一般人への国道立ち入り規制を警察に早く引かせるように伝えろ、このままだと部隊の進軍に影響がでる」
「万里の長城ですか、ツアーの旗は見えますか」
「どうやら団体と軍隊は入場禁止のようだな、チェやブルートに教えてやれ、壊しがいのあるご機嫌な物が待ってるってな」
「あいつらだったら、それを聞いて大喜びです、それと、糞報告です、ミリペデ追撃部隊の戦闘機小隊及び攻撃機小隊ですが、全て撃墜された模様です」
「貴重な連中がまた逝っちまったか」
「プラズマ兵器を装備していたとの報告があります」
「掃討戦にまわっている機動騎兵部隊は」
「第二次掃討戦に向け整備中とのこと、こっちにまわるのは不可能ですね」
「火消しの数が少なすぎるな」
「これが賭だったら虫の勝ち予想が多くて成立しませんね、それでも私はこっちに賭けますけど」
「俺もお前もギャンブルで稼ぐのには不向きなようだな、河井軍曹からの連絡は?」
「ありません」
「そうか……」
プラントは、部隊の配置をもう一度各部隊に伝えるよう指示し、通信を終えた。彼は金色の闘技場の中で白兵戦になることを確信した。
プラント中尉率いる戦闘車両部隊は、国道を北へと進み、小さな市街を過ぎ、境となる枯河にかかる橋を渡った。空には灰色の雲が薄い膜をかけていた。
前方に光る壁が大蛇のように横たわっているのが見えてきた。壁は長く、兵士らはその向こうにある建物がぼんやりと影をつくっているのを目にした。
道が上り坂を終え、ゆるやかな下り道となる手前でプラントは、車両から降り、双眼鏡で様子を伺っていた。
「虫……いや人間が見えます」
偵察車両の兵が言うように、煙が樹木のように至るところで立ち上る中、たしかに壁の下部に黒いいくつもの塊が見えていた。また、壁の手前には多くの民間人の車両が止まり道を防いでいるのも確認できた。
「奴らは虫が近くにいるのを知っているのか」
軽い異常が起こり始めた計器を調整していた一人の兵士が、毒づくように言った。
「無理もないさ、俺の彼女があそこの中にいたら俺も奴らの同類だ、おもちゃの銃を持ってでものりこんでいくぜ、そういうお前もだろ?」
「確かに……」
後方にチェ曹長の戦車を先頭に車両群が砂塵をたて、この場所に進んでくる。プラントは道の脇の少し広まった荒れ地に発光信号装置を設置するように兵士に命じた。
「了解、設置作業に入ります」
車両から降りてきた兵士らはすぐに準備に取りかかった。光信号による通信は電子通信機器の異常が生じるこの状況において原始的だが一番確実な方法であった。
「ゲジ野郎と、パックは?」
「ミリペデ型が一匹、十五キロ先に視認できています、パックはこの位置からでは確認不能です」
「壁のすぐ後ろで待ち構えているかもしれない……か」
「今はそれも否定できませんね……装甲車両隊まもなく合流します」
「このまま、壁を破壊、歩兵を中心にドーム内部に侵入する。第六歩兵小隊は避難民の脱出路を確保、自走砲隊は壁二キロ手前より横列に展開し視認による砲撃を準備、戦車隊は壁際に展開、防御線上の維持と歩兵部隊の援護をするよう伝えろ」
「了解」
「時のある間に花を摘め」と言ったのはイギリスの詩人ロバート・ヘリックである。
プラントは時の無いところからはじまる自分にどのような花を摘むことができるのかを何気に考えた。
今にも暴動を起こしそうな民間人を制止することは、ある意味、虫と対峙した時よりも骨の折れる作業であった。退避勧告を告げられた民間人は口々に怨みの言葉をプラントの部隊の兵士に浴びせかけたが、歩兵部隊が壁の破壊作業に入ったのを見てようやく落ち着きを取り戻した。
「中尉、周辺の民間人の誘導終わりました」
「やれ」
爆破範囲の避難終了の兵士の報告を受け、プラントはすぐさま仕掛けた爆弾の点火を命じた。
「点火!」
爆風が吹き荒れそれがやがておさまると固唾を飲んでいた兵士は歓喜の声を上げた。その地点の壁は無く、地面には大きくえぐれた穴が開いていた。
「歩兵部隊突入」
押し寄せる避難民をやむなく銃で威嚇しながら避難路に誘導する横で、歩兵を乗せた装甲車両が敷設された硬鉄板の上を次々と通り過ぎていく。
全ての装甲車がドーム内に進撃した時、すでにプラントの車両は遙か先を再び単独で進んでいた。しかし、ある地点を過ぎると車のエンジンの調子が不安定になりはじめ、ついにはほんのわずかな時間でその活動を停止させた。
「中尉、これ以上は無理です」
そう言って運転席と後部座席に乗っていた三人の兵士は降車し、無反動砲と小型砲弾をトランクから取り出す作業を始めた。
「中尉、お持ちください」
辺りの様相と手元の地図を見比べ黙っているプラントに、兵士は無反動砲と予備の砲弾を手渡そうとした。
「ライフルだけでいい、後はお前たちが自由に使え」
プラントはアサルトライフルだけを受け取り、残った砲弾を兵士がそれぞれ分けて携帯するように言った。限られた弾薬の量はそれだけで兵士の心に不安を生じさせる、余計な不安感を兵士にもたせないという彼なりの配慮でもあった。
「あの建物の屋上に装置設置、お前らは虫の位置を後方のブルートに伝え砲弾を直接ぶちこませろ」
「了解、死ぬまであそこから離れませんよ」
「お前らが死んだら俺や砲兵が困る、生きろ、これも命令だ」
二人の兵士は敬礼し、装置を背負うと、無反動砲を手に命令された場所に走っていった。
遠くで水鳥が鳴くような醜い声が聞こえてきた。耳を澄ましていたプラントは虫がこちらに近付いてきていることを知った。
間もなくミリペデ型の敵が逃げ惑う避難民の列の後ろに、その長い姿を現した。
砲兵はそれぞれの車両内の持ち場で誇り高く自分の勇気を奮い立たせた。
「来たぞ、座標修正」
「修正完了!」
「ぶち込め!」
カシム曹長は遠くの建物から送られてきた発光信号に座標を修正させ、砲撃を開始させた。横列に展開していた自走砲口が一斉に光った。弾頭は弧を描き、正確に虫の進路上に落下していった。
「幸先がいいぜ、糞野郎!」
直撃を食らった巨大な虫は半身を吹き飛ばされながらも、ちぎれたミミズのように細かくばたばたと動き、避難民への攻撃を止める気配はまるでなかった。そのため、周囲の小さなビルや民家はその度に音をたてて不運な生存者を飲み込み、崩れていった。
ウィルの乗った装甲車内のスピーカーから「運命」の第四楽章と運転手のがなり声がノイズに混じって流れた。
「サムライくずれ共、茶会の時間だ」
「おおっ!」
歩兵たちは一斉に立ち上がりライフルを構えると、車外へ勢いよく飛び出た。ウィルも彼らの後に続く。装甲車の外部スピーカーからは尚も音楽と放送が続いていた。
「各建造物に突入、生存者がいたらすぐに誘導、落下物や残骸には注意しろ、まだ虫の攻撃があるはずだ」
レジェップ伍長は装甲車内にいた隊員を集め、それぞれの建物への侵入を割り振った。支援する砲撃はまだ続き、避難民を脅かした最初のミリペデ型の虫は身体のほとんどが四散した。
「ドロバとガキは、道路の右側からだ」
「イェッサー!」
ウィルはドロバの後に続いて走った。建物に取り付くと玄関の扉を叩き、中の反応を伺った。
「俺はてっきりこのライフルだけで、ゲジやパックを攻撃するのかと思っていた」
ウィルが言った。
「その通りだ、これだけでいざとなったら戦う」
ドノバは窓が金の糸に覆われ暗くなった部屋にライトを向けながら、あっさりとウィルの言葉を否定した。
「えっ?」
「それが歩兵の本領だ、それに……」
「それに?」
「敵はでかい虫だけとは限らない」
突然、クローゼットの中から球体の頭に毛の生えた多足をもつ生物がウィルに向かって襲いかかった。ドノバは、落ち着いてその生き物めがけライフルを撃った。虫は沸騰した水の泡のように何度も跳ね、ぱっくりと頭が割れた状態のまま息絶えた。
「何だよ、この虫は……見たことねぇぞ」
ウィルは、ピクピクと動いているその生き物を見て愕然とした。
それから扉を開け建物の中を確認する度、遺体とそれを取り囲む虫との戦闘の連続であった。リビングを抜け、ウィル、ドノバの二人は狭い階段を慎重に上り二階の部屋の扉を開けた。
小さな白いベッドの横の本棚には幸せそうに笑う子供や家族の写真がネズミのぬいぐるみと一緒に並んでいる。さっき階下で折り重なって死んでいた幼い子供の部屋だったのであろう。ドノバは、窓を開け、表の庭先で待機している他の隊員に「生存者無し」の合図を手信号で送った。
「どうだ?」
ドノバはウィルの肩を軽く小突いて聞いた。
「気持ち悪くなってきました」
「俺たち歩兵にとっては見飽きたモノだ、次に行く」
ドノバは口元を少しゆるめながら階下へ降りていった。
(戦いは、きれいで恰好良いものなんかじゃない……猫に乗っているだけでは見えなかったもの……)
ウィルは一枚の写真立てを手に取り見つめた後、同じ場所にそっと戻し、ドノバの後を追い次の探索場所へと向かった。
歩兵らの働きによって、幸運にも助かったわずかな避難民は、装甲車によって走行可能な地点から壁ぎわまで運ばれていく。また、『ならず者部隊』が突入した辺りを中心に、金属性のパイプトンネルが何本も据え付けられ、厚い壁や砲弾でできた穴に邪魔されることなく避難民や兵の移動を楽なものにしていた。
その中にミン・シャラットの姿もあった。
「もう、ここでお別れね」
ミンはその場にひざまずき、一番小さい子供の頭をなでながら優しく子供たちに言った。
「やだよ、お姉ちゃんと別れたくない」
「わがままはだめなの、こうして生き残ることができたのも神様が見ていてくれたから、だからわがままを言ってはだめなの」
「やだ、やだ!お姉ちゃんと行くんだ」
「そこの女と子供!お前らはこっちだ、早く来い」
救護兵が大声を上げて、追い立てるように外のトラックへ誘導しようとしていた。
「あれ、お前どっかで見たことあるな」
「はい、ミン・シャラット特務兵、ただ今戻りました」
ミンはその場に立つと兵士に敬礼をし、女の子の柔らかな頬に自分の頬をつけて静かに言い聞かせるように言った。
「お姉ちゃんね、みんなを助けるために頑張るよ、だからね言うことを聞いて、良い子だから」
子供たちはその力強い目にうなずくことしかできなかった。
「お姉ちゃん、ありがとう、僕も頑張る……頑張るよ」
今までおびえていた少年が、ミンに震える声で小さく言った。戦車の砲撃の音が少年の言葉の最後をかき消したが、その表情を見てミンは微笑んだ。
ミンは子供たちを救護兵に預けた後、すぐに装甲車に乗り込んだ。
運転席に座っている若い兵が後ろを見て、ミンがいることに驚いた。
「あれ、どこ行くんだ、この狭苦しいキャデラックの中にお嬢ちゃんの居場所はないぜ」
「あのぅ、この車はまた街に行きますよね」
「おう、寄り道無しの全席自由席だ、ははぁん、猫は入院中みたいだもんな、それより、どうだい今度一回食事にでも行かないか」
「街のレストランが開いていたらお願いします、みんな一緒でいいですか?」
「みんな女の子かい?」
「ジョゼと葉月ちゃんとカスガとウィルも」
「おっと、安月給なんでそれは勘弁させてもらうわ、何だお前、その服装は。武器持ってるのか?そこの棚に歩兵服とライフルの予備があるだろう、持っていっていいぞ、マガジンの予備もあるだろ」
ミンは立ち上がって、頭上にあるボックスの扉を開けた。ライフルとマガジンが固定されていた。防弾ジャケットは隣の棚に無造作に押し込められていた。
「ありました、ここで着替えさせてもらっていいでしょうか」
「どうぞ、貴婦人の着替えを覗くような趣味はないんでね、ただ、ホテルに入った時は別だぜ」
ミンに彼の冗談は聞こえていない。弾倉を持てるだけベルトのアタッチメントに取り付け終えると自分の髪を巻き上げ、歩兵用のヘルメットを頭に装着した。
「へぇ、こう見るとけっこうかわいいじゃないか」
「ありがとうございます」
「俺はオウラ、オウラ・ノルディンだ、顔ぐらいおぼえておいてくれよな」
顔をよく見ると少し鼻が大きく、頬の赤らんだ優しそうな目をした若者であった。
「私はミン・シャラットです、あの、ついでと言っては何ですがオウラさんにひとつ聞いてもいいですか?」
「何でも聞いてくれ、国のことか、家族のことか、それとも愛の告白か?」
オウラは嬉しそうに何度も頷きながらもう座席から半分身を乗り出している。
「このライフルの弾の交換の仕方忘れてしまったので教えてもらえますか?前に習ったことあったんですけど……」
「お前なぁ、勉強苦手だろ」
「はい、軍事教練は特に……」
「それなら何で、あのでっかい新兵器に乗ってるんだよ、あり得ない、絶対にあり得ない」
「どうしてでしょう?」
一時賑やかな装甲車は、再び街へ向けて動き出した。
(五)
「上空カラノ偵察衛星ヨリ報告、ミリペデ群、侵攻停止、パック確認デキズ」
百式双輪式通信車『シキツウ』は金色の壁から少し距離をおいた外側に停車している。糸の絡み具合が多いほど特に通信障害がひどくなることをペイス通信兵は現地に入ってはじめて知った。
(古代人のようにのろしを上げた方が早いんじゃないか)
日頃からあまりに気にもかけていなかった通信作業がここまで困難なことであったのかと彼は心から痛感した。
「了解。引キ続キ司令部トノ連絡ヲ継続、歩兵部隊マモナク中心市街地ニ侵攻開始」
北に数キロ先ほど離れた場所に位置する建造物の上から、光信号によってプラント中尉は返答した。二つの屋上施設を経由するので、その作業はすみやかにとはいかない。
「捕捉だ、中央ステーション横、ショッピングモール、こっちにゆっくりだが移動している」
双眼鏡を覗いていたプラントは、同じように監視をしている隣の兵士に告げた。
兵士の視界にも地にうずくまる姿勢で動く妖精の姿が確認できた。彼はすぐに通信設備のそばにいる兵士に、妖精の位置、進行方向を口早に叫んで伝えた。
「通信送ります、あっ、中尉どこに?」
「お前たちはこのまま中継を続けろ、自走砲隊に可動可能ぎりぎりの地点までの前進を要請、俺が信号弾をぶち上げる、上がった位置から百メートル北周辺にばらまくよう伝えろ」
「了解しました、歩兵の増援を頼みますか」
「必要ない、無駄な死人が増えるだけだ」
「畜生、何で弾道ミサイル使用を司令部は許可しないんでしょうか」
「コントロールできない状況で猫にぶち当たってみろ、ここも放射能浴の避暑地になる……」
プラントは、そう言って非常階段を駆け下りていった。
ドノバの歩兵部隊は既に自走砲や戦車からの砲撃が届かない深い位置まで到達していた。民間人の生存者の姿はなく、砲撃によって破壊された建物と犠牲者の亡骸だけが彼らを寂しく迎えた。ただライフルと手榴弾の音だけは華やかに途切れることなく続いていた。
ウィルが身を寄せているレジェップ歩兵部隊も散開せず、商店街の通りを警戒しながら横列の隊形のまま進んでいた。
「グレネード!」
前方に見えた遺体をむさぼる黒い生き物のかたまりに、ドノバは声を上げて手榴弾を投げた。爆風に飛ばされた小石がぶつからないようウィルは顔を下げて肩をすくめさせた。目を開けた時には、遺体も虫もなく、白い煙をくゆらせた浅い穴が路面にできていた。
「やった」
ウィルは右の拳を握って、喜びをあらわしたが、仕留めた当のドノバは全く違う方向の空を見つめた状態で緊張の声を発した。
「風が動いている」
「へっ?」
ドノバをはじめとして、他の歩兵も足を止め、辺りの様子を確かめている。うっかりと先に彼らより二、三歩前に出ていたウィルは慌てて後ろに下がった。
「散開、黒い毛玉にも注意しろ、各員『ハンドランチャー』準備、奴を南に追い立てていく」
兵士たちは、近くの建物の陰に走り息を潜めた。首を絞められる鳥の断末魔のような鳴き声が辺りにこだました。ドノバもライフルを置き、背負っていた旧式のランチャーを構えた。
「小僧、毛玉が湧いたら撃て」
「はい」
慣れていない発砲が続いたため、ライフルの銃床を押しつけていたウィルの肩に鈍痛が続く。それでも妖精が姿を現すであろう、建物の合間を物陰からじっと見つめた。
街路樹のまだ青い葉が一枚、目の前にひらひらと落ちていった。
アスファルトに金属製の物を引きずるような音が建物の屋根を越えて聞こえてくる。すると急に大きなつむじ風が起き、砂埃の中に千切れた新聞紙や壊れたオフィスから白い西洋紙が空高く舞い上がっていった。
ウィルは辺りが突然暗くなったように感じた。気のせいかと思い直した時、ウィルの視線の先にある太陽が空を飛ぶ妖精の身体で隠されていた。
「ばれていた!」
突然のことにあっけにとられたウィルは、ライフルを構えることも忘れ、大空に羽根を広げて飛翔する妖精に見入ってしまった。
「目標上方、ぶちこめ!」
これほどまでに人間が大きな声をだせるのかと思うくらいレジェップの声は力強かった。ランチャーから撃ち出された弾が天空に上る龍のように次々と白い軌跡を描き妖精の銀色の胴体に向かって走った。
異変に気付いた妖精は、空中で身体を反転させ、弾を避けようとしたが、そのうちの数発が翼に直撃した。羽根がくす玉の中身のようにくすんだ空に散った。
悲鳴を上げた妖精は力なく落下し、二百メートルほど先の地上の建物を瞬時に潰した。その場所からは小さく白いキノコ雲が砲弾の軌跡を追うように空に真っ直ぐ伸びていった。
「やった……」
「馬鹿、これからだ、奴をもっと南に向かわせろ」
喜ぶウィルはドノバに引き倒されるようにして、地面に無理矢理伏せさせられた。
地を引き裂くような地響きと灼熱を帯びた暴風が彼らを襲った。ウィルは息を本能的に止めたが、それでも鼻孔が焼け付いてしまったように感じた。
顔を少しずつ上げると数十メートル先の建物の向こう側に火柱が連なっているのが見えた。そこにいる者たちは皆、妖精がプラズマ砲を放ったことを知った。
「糞野郎が、邪魔な毛玉を焼き払ってくれたぜ」
煤で汚れた顔の一人の歩兵が目を血走らせながら笑った。
「ケツに喰らわせろ!」
歩兵はそれぞれ何事か叫びながら、一斉に次々と妖精のいる場所にランチャーが連続に撃ち込んでいった。濛々とした煙の波が一度巨大に膨れた後、堰を切ったように建物を飲み込みながら歩兵達の視界を遮っていく。
「走れ」
足元の状態もわからないまま、ドノバに追い立てられるようにウィルは元来た道の方角に向けて走った。消火栓から吹き出た水が頭上から彼らの熱せられた服を濡らしていく。
「毛玉だ、撃て!」
ウィルは、身体を緊張で震わせながらぞろぞろと建物の内部から湧き出る毛玉に向かってライフルを発砲した。鼠の短く途切れたような鳴き声を上げ、生き物は絶命していく。一方、背中をあわせた状態でドノバはさらに煙の渦の中心にランチャーを撃ち続けた。
再び黒い煙が全体的に白く輝くと、まばゆい白球がさっきまで自分達がいた建物に急速でぶつかり、そこにあった物全てを根こそぎ吹き飛ばした。
ウィルとドノバの二人は爆風によって空中を飛ばされ、近くのブロック塀に全身を打ち付けた。
「平気か」
はじめ、ウィルは自分の顔をあわてて覗き込むドノバの口がぱくぱくと開閉しているように見えた。数秒後に周りの音が段々と広がるように聞こえはじめてきた。
「大丈夫です」
ドノバがほっとした顔を見せた瞬間、頭部に黒い球体の生き物が金属的な奇声を上げて取り付いた。
「うぉぉっ」
ドノバは必死になって剥がそうとしたが、絡みついた節足は深く彼の服の上から急所を刺していく。服に血がにじみ、黒い染みをつくっていく。
「今、助けます!」
地面から起き上がり、自分の方へ近付こうとするウィルをドノバは止めた。
「来るな小僧!糞パックは生きている、俺のランチャーを使え!」
「ドノバさん!」
「歩兵は歩むのを止めたら死だ、お前も知っておけ!」
そう言ってドノバはベルトに装備した手榴弾の安全装置をはずした。倒れたドノバの周りに黒い生き物が何匹も取り付いていった。
爆発音が響き、ウィルの身体とその周囲に赤い血と緑の液体が混ざりながら雨のように飛び散った。たった今まで、自分を助けてくれた男のあっけない死を受け入れるのに、まだウィルは幼すぎた。足ががくがくと揺れ、一歩進もうとするのにも困難な状態になった。
「俺……俺……何してんだ?ドノバが言ったじゃないか……歩けって……でも、進まねぇ……足が動かねぇ……」
生き残っている歩兵からはまだ、ランチャーが妖精に向かって放たれ続けている。
歩兵たちは自分の位置を妖精からわざと見えるように固まり、時には散開しながら、じりじりと自走砲の射程位置まで引きつける道化師役を演じていた。
道路の中央で立ちすくんでいたウィルを後ろから思い切り張り倒した男がいた。レジェップ伍長は倒れ込むウィルの真上からあらん限りに唾液混じりの罵声を浴びせかけた。
「てめぇ、こんなところで寝るんじゃねぇ、死ぬならここで糞のまま死ね!お前が糞の中の糞ならすぐに立て!走れ!」
背後の二名の歩兵が、殴られたまま放心して倒れているウィルの両腕を片側ずつ抱え、無理矢理に立たせた。灼熱の光球は彼らの進行方向前方にあるモルタルや煉瓦造りの建物群を巻き込みながら、吹き飛んでいく。その後を追い熱風が渦巻き状に吹き、そこにいた兵士達全員の足元をすくった。
「弾残すんじゃねぇ!ねぇ奴は自分のタマ使え糞野郎!」
すぐ頭上で風を切って飛ぶ砲弾の音が、彼らの鼓膜をきりきりと苛んだ。
「殺せ!殺せ!」
口々に叫ぶ兵士らは起き上がりかけた不安定な姿勢のまま、残った砲弾を咆哮する妖精に向け放っていく。撃った衝撃の反動で転がる者達も多くいたが、痛みや恐れという感覚は彼らの中から既に消えていた。
(撃たなきゃ……俺も撃たなきゃ……)
戦う気持ちは溢れるほどありながらも、自由に動くことのできない自分の情けなさにウィルは涙が止まらなくなってきた。
「小僧!狂え、狂え!最高だ!脳味噌とばせ!殺せ!」
歩兵は大声を上げながら、幸福感を湛えた満面の笑みをつくった。
(狂う……奴を殺せばいいんだ……殺せば……でもどうやったら狂うことが……狂うことができるんだよ……)
ウィルの脳裏には犠牲者の無残な遺体の山が湿気た花火のように弱々しくちらついた。ドノバの濁った血の匂いと魂が自分のすぐ傍らにまだ漂っているように感じた。
「ようし!信号弾が上がったぁぁ、二次会の開始だぁぁ!」
レジェップの言葉通り、自分たちのいるすぐ目の前の男によって信号弾が高々と打ち上げられた。
信号銃を空に向けて構え立つプラント中尉の勇壮な姿がそこにあった。
(六)
「外の音が遠くなったな……」
外からの太陽の光が小さな隙間から針のような細さで河井の負傷した顔を照らした。閉じられた倉庫の小さな一室の扉の前で葉月とジョゼも外の音に耳を傾けていた。
彼らは黒い球体の生き物から逃げ、この狭い場所で動くことができないでいる。
「虫の動く音が止まっているね」
葉月の言葉通り、ざわざわとした生物の動きは止んでいた。そのかわり遠くから爆発音が休み無く続いている。
「私、外に出て確かめてみる」
葉月はそう言って、扉の鍵を外そうと手を伸ばしたが、それを河井は押し止めた。河井は葉月を下がらせ、手の痛みを我慢しながらゆっくりと鉄製のロックを解除していく。
「隊長は怪我をしています、私が」
ジョゼもライフルを持ったまま、扉に近付いたが、河井はいつものように静かに二人に言い聞かせるように言った。
「もし、虫がまだいるようだったら犠牲は少ない方が良い、すぐに扉を閉めてここで救助を待て、大丈夫だったら俺を置いて格納庫に走り、すぐに『猫』のコクピットに飛び込め、猫がまだ動くようだったら生き残っているパックやゲジを排除しろ、部隊との通信は無理だが、システム周りには強力な防磁装置が施されているはずだ」
「隊長!」
「戦場ではひとときの感情だけで動くな……俺はそう言われてきた、わかるな、ジョゼ、葉月」
「わからないよ!それだったら、私は何で今まで生きてきたのよ!」
葉月が河井の言葉に大きく首を振った。河井は葉月の肩に手をかけて優しく言葉を続けた。
「何で生きてきたじゃない、お前は自分自身の力で生きているんだ、そのことが俺はとても嬉しい、ジョゼ、葉月を任せた」
ジョゼは河井に泣きながらすがろうとする葉月を後ろから羽交い締めに抱くようにして止めている。
河井は静かに頷くジョゼを背に扉を少しだけ開け、外に一人歩み出た。室内に流れ込んだ空気は油と硝煙の匂いが前よりも濃くなっていた。
(七)
「きゃっ!」
ミンは全身が焼けただれた負傷兵を見て思わず声を立てた。かろうじて目の周りだけが普通の肌の色をしている他は赤黒く変色し、リンパ液が滲み、したたり落ちている。
「早く運べ、死んじまうだろうが!」
怒鳴った兵士は用意した担架の横に来ると、静かにその負傷兵を背中から下ろした。負傷した兵は声を発することもできず、担架の上で焦げた手は痙攣をはじめていた。
「はい」
ミンはライフルを肩から下ろして、負傷した兵士の側に走り寄った。
「ミン、すぐに応急処置だ、ドレイン(廃液用チューブ)を準備しておいてくれ」
装甲車から降車したオウラは、手際よく生理食塩水を苦痛の声を上げる負傷兵の肌に大量にかけ、ぱくりと開いた傷口にガーゼを押し込んだ。
「ドレイン、ドレインって……」
「手前の棚の黄色い箱の中だ、向こうの子供二人はもう……オピオイドを打ってやってくれ」
「オピ……」
「モルヒネだ!」
ミンが慣れない手つきで持つ注射器を使って幼児に薬を打つと、苦しんでいた小さな口からうめき声が切れ、苦しそうな息がゆるやかにおさまりはじめた。
自分が想像していたよりも遥かに悲惨な現実がそこにあった。何の疑問もなく戦闘機やMAOに乗り、戦っていたすぐ下の世界では何の罪もない人間が土や泥にまみれて命を落としていく。ここで息を引き取る間際の子供の消えかけた生命に対して神はあまりにも無慈悲であった。
「お姉ちゃん……痛くなくなってきたよ……すごいね……お姉ちゃん、聖母様みたいだ」
包帯に全身を巻かれた男児はそう言って、静かに目を閉じていった。
「いやぁ!」
ミンの全身に鳥肌が泡立ち、思わずその不快感に悲鳴を上げた。
「手を止めるな!まだ、待っている連中もいるんだ!」
立ち上がったミンの耳にランチャーのやや太い発射音が聞こえてくる。断続的な震動が装甲車の後部扉へ立てかけたままの使っていないミンのライフルを地面に倒した。
ふり返った空の上に紅色の煙を引く信号弾が昇っていった。
死を覚悟して扉の外に出た河井であったが、どんよりとした空気をそのまま映し出したかのような空が広がっているだけで、あれほどいた生物の気配はなくなっていた。
侵入してきた「ならず者」部隊の兵士らを喰らいに移動したことなど、ここにいる河井は知る由もない。
「ジョゼ、葉月、大丈夫だ!」
その言葉を合図に、扉を開けた二人は注意深く顔を覗かせ、辺りの様子を注意深く眺めた。
「走れ!」
「タケル君!」
「行くよ、葉月!そんなに心配ならあんたが猫ですぐに隊長を迎えに来ればいいでしょ!」
残る河井にすがろうとした葉月はそのジョゼの言葉で自分の行動を思い直した。河井はもう二人を見ず、後方から襲ってくるかもしれない敵を武器としてはまるで使い物にならない細い鉄材を手に警戒を続けていた。葉月とはじめて出会ったあの時のように。
葉月とジョゼが格納庫へと走った気配を背中で感じながら、河井はグラ・シャロナから遺言と伝え聞いたオリバー教官の言葉を思い出していた。
『猫と少年たちに未来を』
砲撃開始を告げる紅い煙の龍が遠い空に見えた。
作業員の姿が消えた格納庫でMAOは、整備台に固定されたまま主の訪れを静かに待っていた。ジョゼと葉月は、それぞれ自分の機体の搭乗ハッチの手前で回路に通電していることを意味する蒼いLED光を見た。
「待っていてくれたのね……」
葉月は外部のスイッチを操作すると、ハッチがするすると開きコクピットへ、彼女を誘った。シートに座り、メインスイッチを入れると、エンジンが徐々に臨界点に向け、起動音を上昇させていった。
コクピットに起動を示す光が色とりどりに一斉に流れていく。全ての外部との通信装置はエラー表示が点滅していたが、葉月は気にすることなく、多くのスイッチを瞬く間に操作し、モードをオートからマニュアルに切り替え、自分の手になじんだ左右のスロットルを握った。
「行くよ、サイベリアン!」
葉月のMAO『サイベリアン』は起動に戸惑うジョゼのMAO『リンクス』を尻目に、整備台の金属の固定具を薄紙のように剥がし立ち上がると、重厚な格納庫の扉をその頑丈な脚で蹴破った。
「こんな短時間で起動できるなんて!あの子は何……」
ジョゼの『リンクス』はようやく各補助システムとエンジンが同期を始めていた。
「タケル君、今、助けに行くから!」
背部のノズルが白銀に灯る。太陽の光を全身に浴びた葉月の猫は、頭部に装着した黒鋭角の金属板をきらめかせ、一直線に河井のいる場所へ駆けていった。
(八)
仮病室前の廊下から前線基地に似つかわしくないピンヒールが床を打つ高い音が響く。
(今日は何回この部屋に来たかしら、中尉に頼まれたとはいえね……馬鹿みたい)
夕方になり、機動騎兵兵器の回収がプラント中尉率いる歩兵部隊の手によって無事に完遂したことがグラ・シャロナのいるこの前線基地にも伝えられた。また、オルベリー基地と市街地を巡航ミサイル攻撃によって全て焼き払う作戦が発動されたことも同時に入ってきていた。
(燃やせばすぐに解決するって問題じゃないのに……)
三時間後に第二次『風の城掃討作戦』への出撃命令が下りることが、つい先程の作戦会議で決定された。事実上、先の作戦終了後十時間休息を入れただけの再出撃である。
その為、ベッド上のカスガは薬によって、出撃寸前まで強制的に眠らされていた。
「向こうの戦いは終わったわ……とりあえず孤児も増えたし、軍も今はご機嫌みたい、さぁ、今度はまたあなたの番、もっと休ませてあげたかったけど……それと……おめでとうカスガ……あなたの転属が正式に決まったわ、新型機動兵器の選抜実験パイロット……それまで死んじゃ駄目よ、計算では、あなたの命の値段は、五十万人分の民間人の生命を救ってやっと元がとれるんだから……」
そう囁いてグラは死んだように眠るカスガの枕元に転属を指示する辞令書を一枚静かに置いた。
彼女の心の暗闇の中で地獄の妖精が、か細く鳴き声を上げた。
第三部「空音」 おわり




