第一部 邂逅
◆ 登 場 人 物 ◆
千早葉月 突然飛来した生命体に家族を奪われる、途中、暴漢に襲われているところをタケル
に救われる。
河井タケル 葉月と同様に、家族を未知の生物の襲撃によって失う。後に、国際連合軍日本部隊
所属の戦闘機パイロットとなり、各地を転戦する。
大山信正 北米レイクレイ基地の日本部隊責任者 階級は大佐
山田人吉 北米レイクレイ基地の日本部隊将校 階級は少佐
大久保 一 北米レイクレイ基地の日本部隊技術部門長 階級は大尉
市川貞正 北米レイクレイ基地の日本部隊将校 階級は中尉
月形半平 北米レイクレイ基地の日本部隊所属 河井の上司 階級は少尉 南極動乱の生存者
ミケイラ・ペトリ 北米レイクレイ基地所属 女性通信オペレーター 通称「かわいいペトリ」
フランク・レスター 北米レイクレイ基地所属 ベテラン戦闘機パイロットのリーダー
ジェシー・ゴールドバック 北米レイクレイ基地所属 フランク小隊パイロット
フェネル・フレデリカ 北米レイクレイ基地所属 フランク小隊パイロット
ジョン・プラント ミード北米基地所属 第二陸軍歩兵部隊長 通称『デスペラード隊』を率いる
サラム・サイモン 国際連合軍技術開発部技術官 新型機の整備担当として『デスペラード隊』に合流
黒田海翔 国際連合軍総司令部所属の若きエリート監視官
マカロフ・ウラシェンコ 国際連合軍極東軍事顧問 『夏の瞳』計画の推進者の一人
コム・ベネショフ 『夏の瞳』計画の推進者の一人、新型兵器『MAO』の開発に携わる
第一話 「葉月」
(一)
忌まわしき人間の記憶は忘却という離れられない友が白色に塗りつぶし、過去に犯した過ちは、大きければ大きいほど、根拠のない虚言の出来事へと置き換えられていく。
平日にもかかわらず日本国内の学校は全て臨時休校の措置がとられていたこの日、十二歳になったばかりの葉月は、中学生の兄と二人、居間のテレビモニターを食い入るように見ていた。
昨夜遅く、四国地方の高奈津市郊外に奇妙な球体が突如出現したことが速報で流された。それからずっと、全ての番組は臨時報道番組に切り替わり、興奮したアナウンサーの実況と緊迫した映像が繰り返し流されている。
葉月の両親は、放送の内容を気にしながら、衣類や食料品をガレージ内の車のトランクに忙しなく積み始めていた。
「お兄ちゃん、ここにもあの変なの落ちて来るのかな」
密集した建物が崩れていく光景が一瞬流れた後、すぐに映像が切り替わり、米国のイージス艦と自衛隊の艦艇が数隻映っている。
「すでにアメリカと日本のイージス艦は、高奈津市沖に展開しています。政府の発表によりますと、住民すべての避難が終わり次第、正体不明の物体に向けてトマホークミサイルによる攻撃が始まる模様です」
市街地を見下ろす山頂の中継から、瀬戸内海を挟んだ対岸からの映像に切り替わり、大きな橋の下をくぐる数隻のイージス艦の船影が映る。
「葉月、持つ物、準備できたのか。いつでも避難できるようにしておけ」
葉月の父が遠くから声をかける。
「うん」
「あっ!」
テレビの画面に強いノイズが走った。葉月が兄の声に驚き、画面に目をやると、黒々とした煙が高奈津市街一面を覆っていた。
「今、あの変なものが光ったぞ」
黒煙がやや薄くなると、情景はまるで一変していた。小山のような虫の固まりと、まわりに密集していたビルや住宅が全てなくなり、焼け焦げた荒れ野が広がっていた。
カメラからの映像は、しきりと乱れる。
「中継の音声が途切れたようです、映像だけ視聴者の皆様へお送りしています。今のはイージス艦からの砲撃ではありません。物体は、何か爆発物のようなものを使った模様です。何か生き物のようなものが活動しはじめたようです。それが市街地西の方へ徐々に移動し始めている様子がうかがえます。これは実際の映像です、高奈津市街地近郊に住む皆さんは、東か、南の方面へどうか落ち着いて避難してください」
延々と黒煙を吹き上げる街の様子にかぶって男性キャスターの声は何度も実際の映像であることを強調している。
「今お送りしているのは高奈津市からの映像です。それ以外の地域に住む皆さんは、居住する各地方自治体の避難指示や避難勧告があるまで、落ち着いて行動してください。繰り返します。居住地域の自治体の避難勧告があるまで、どうか落ち着いて行動してください。本日午前十一時より内閣総理大臣による日本政府からの公式発表があります」
葉月の家の周りも車の往来が激しくなってきている。しかし、葉月は、今目にしたばかりの映像のショックにその場へ力無く座り込んでしまった。
「お兄ちゃん、ここは大丈夫だよね。あの変なのここには来ないよね」
「ここは、関東だぜ。ここまで来る間にどうにかなるよ」
「そうだよね。絶対平気だよね」
「このまま、学校休みだったらすぐに夏休みだぜ」
葉月は、テレビを興奮して見続ける兄の座るソファーの背もたれに両手をかけ、ようやく立ち上がった。
「早く準備をしなさい、もう二人とも何やってんの」
母親の急かす声が二階から聞こえてきた。
突然、テレビやクーラーの電源が落ち、一瞬、葉月の周りの世界が静寂に包まれた。
「えっ?」
空全体に暴風が渦巻くような音を葉月は耳にした。
「何だ、あれは!」
隣人の大声に兄と葉月は、リビングから素足のまま庭に飛び出した。たった今までクーラーの効いていた涼しい部屋と異なるむっとした不快な熱気が葉月を瞬時に取り囲んでいく。
ぬけるような青い夏の空に二筋の白い飛行機雲が轟音をなして軌跡を大きく描いているのが見えた。その雲の先の物は葉月にもすぐわかった。いつもの見慣れた飛行機ではなく、破片を後方にまき散らしながら落下する赤色の大きな塊。
「父さん、大変だ!」
兄は、後ずさりしながら家に戻っていった。二階ではすでに両親がベランダに出て、空を凝視している。
「逃げる所なんてあるのかな……」
一時静まったニイニイ蝉の声がまた、だんだんとわき起こる中、裸足の葉月は足の裏の痛みも気付かず、その物体が落下していく方向をうつろな目で追っていた。
三十三時間後、葉月の住んでいる関東地方の街にも避難指示が発令された。ガソリンスタンドには在庫切れを知らずに車が長い列を作り、コンビニエンスストアやスーパーなど全ての店頭から商品が消えていった。リュックを背負った若者の乗るマウンテンバイクが渋滞している車の横をするするとすり抜けていく。この場所だけではなく、どの街も同じような光景であった。
風の流れが変わり、川の向こうで発生した火災の火の粉が、葉月たち家族の頭の上に雪のように降ってきた。煙が正面の家々の屋根を越えて走るように流れ、先に歩いている人々をあっという間に包み、次々と視界を奪っていった。
葉月は、目をつぶり、あごのところまで下ろしていたマスクを口にあて苦しさを我慢しながら小さく息をした。
横に並んで歩いていた三人の家族は避難が急だったのか、軽装のため、体全体が煤煙で黒ずみ、この煙によって大きく咳込みはじめた。いつもの葉月の家族だったら、すぐに優しい言葉をかけ、何かを貸していたかもしれない。しかし、そんな余裕はまるでなかった。
「葉月、何してんだ、行くぞ」
目深に帽子をかぶる父は葉月の手を痛いくらいに握り、引っ張った。そのため、葉月の足がからみ転びそうになった。
「この先の治水橋は壊れて通れないらしいぞ」
前を歩いていた男の声に周りからの絶望の悲鳴がこだまする。
葉月はまだ信じられない。たった一日過ぎただけで、まわりがこうも違う世界になるのかと。はぐれた家族を呼ぶ声、大声で泣き続ける若い女性、掴み合ってののしり合う男たち、クラクションの音、朱に染まった空だけがそのような人々を無言で見下ろしていた。
「お父さん、どうしよう」
「あの人たちと同じ川に沿って北に行こう。街の外に出れば何とかなるかもしれない」
動物は群れると、本能的に流れの動きに飲まれていくのであろう。葉月と兄は両親に手を引かれるまま黙って歩いた。ドライヤーの風を耳元にあてているような音が周囲の空気を揺らした。
(あの厭な飛行機雲なのかな)
葉月は空を見上げたが、炎で照らされ波打つような煙の渦しか見えない。
「お兄ちゃん、また、落ちてきたのかな」
「うん」
歯医者で聞くような悪寒が走るような金属音が赤々と燃える東の街の方から響いてきた。
突然、羽を持った大きな何かが人の波に轟音を立てて飛び込んできた。突風と煙の空気の固まりが葉月の身体を崩した。飛んできた大きな物体の勢いは衰えず、近くのビルまで二百メートルほど将棋倒しのように人々と建造物を飲み込んでいった。
軽々と宙を舞う乗用車、そして、細い枯れ枝のようなコンクリート製の電信柱は線をからませながら折れていく。さらに飛んできた破片は近くにいた人々をなぎ倒し、生身の人間の弱さをあっけなく露呈させた。さっきまでひしめき合っていた場所には、地面の大きな削れた跡と、糸の切れた操り人形の人形のような遺体が累々と横たわっていた。
小さな家一軒と同じくらいのその物体は、こすり合わせた金属音を発しながら、向きをゆっくりと飛んできた方向へと変えた。複数の脚のような物は、ガチャガチャと不快な音を立て自分にとって邪魔な物を軽々と踏みつけていく。醜い音を立てて踏みつぶされる破片。勢いよく吹き出した消火栓の水はその金属質のものをぎらぎらと塗らした。
恐怖の対象としては十分すぎるほどの威圧感であった。
「虫?」
葉月は、あのテレビで見た同じ物だと直感した。
凄まじいスピードで建物を壊しながら銀色の物は地をはいまわった。そして人や動く物を見ると何のためらいもなく、尖った脚の先端で軽く突くようにいとも軽く胴体を刺し貫く。まるでセキレイが地面に動く生き物を探すように、気ぜわしく動き回るのをやめなかった。車の陰に隠れたものたちを、覆い被さるようにまとめてつぶしていく。近くの建物の中に逃げ込めた者は建物さえ破壊されなければまだ幸運であった。横倒しになったブロック塀から抜け出そうとしている者は格好の餌食であり、叫び声を上げる間もなく命を奪われていった。
今までそばにいた葉月の両親や兄の姿が見えなくなった。人の波に押されたのか。葉月は逃げ惑う人々に押されながら執拗に首を振り、家族の姿を追い求めた。
「お父さん!」
ありったけの声を出してみたが、この音の渦の中にどれだけの効果があったといえよう。銀色の虫のような物がゆっくりと向きを変えたように見えた。少女にとって、パニックに陥った人の波は抗うことのできない激流であった。
(二)
未知の生物からの攻撃がやんで一週間になる。その被害は日本国のみならず全世界に及んでいた。
日本でも地方都市を含め、壊滅的な被害を受け、交通、電気、水道、ガスなどの機能が麻痺状態となり、復旧のめどは全くたたなかった。被害者の数も今もって把握しきれず、政府も非常事態宣言を発令したものの、何ら解決策を見いだすことができなかった。
各都市の避難所には、被害のない地域からの食料や医薬品が届き始めたが、いたるところでみにくい避難民どうしの争いや暴動、収監者の脱走などが起こり、事態をさらに深刻なものとしていた。
「次に襲われるところはどこだ」
「人が集まるところに来るらしい」
「次はここじゃないのか」
「自衛隊の連中は何やっているんだ」
このような噂を聞いた避難民の中には、都市部を避け、山地に逃げ込む者もあった。
避難民の多くは情報を欲していたが、今はラジオから、かすかに外国語の短波放送が入るのみで、小さなスピーカーからはノイズだけが流れていた。
今回の襲撃した相手に対し、既存の警察や既存の自衛隊はあまりにも無力であった。正体不明の生物の攻撃で、陸奥湾の大規模研究施設や主要な基地、駐屯地を一方的に破壊され、多くの被害を出していた。
それは生物たちがあたかも武器を危険なものだと知っていたかのような動きであった。国内の米軍基地からは、多くの自国の避難民と荷物を乗せた輸送機が母国との間を往復していた。
葉月が気付いたとき、兄や両親の姿はどこにも見当たらなかった。
家族と離れ、ガソリンと血の臭いが立ちこめている駅の地下街にたどり着いたのは昨日のことである。自宅へ戻ろうとしたが、橋が壊されていたり、幹線道路が通行止めになっていたため、大きくこの街まで迂回することを余儀なくされていた。
また、巨大生物によって大きく被害を受けた地域は、調査のため、立ち入りが厳しく制限されているという断片的な情報もあった。
地下街は階段から下り二十メートルもいかないところで崩れ行き止まりになっている。その奥は駅まで続く広いショッピングモールがあり、闇の中に閉じこめられている人間が大勢いるはずなのだが、声はもう聞こえない。この避難場所も名ばかりで、避難民の一人がもっていた懐中電灯の明かりはあまりにも拙い。それでもその明かりを求めるように生存者たちは、集まっていた。包帯で傷口を巻いている者、それさえもなく、血が赤黒くこびりついているままに、うつろな目をしている者、子供、老人を含め三十人くらいであろうか。皆、時々聞こえる地響きに驚きの声を上げる気力もなくなっていた。
葉月は冷たいタイルの壁に背をもたれさせ膝をかかえた姿勢で目だけ静かに動かしている。
商品が全て持ち去られたショーウィンドウケースのガラスは割られ、髪のないマネキン人形の首が転がったまま葉月をじっと見つめていた。
「何で携帯が通じないの!何でよ!誰か出てよ!」
さっきから携帯電話を何回もかけている女は叫んだ。そして、また、かけ直す行動を繰り返している。
「バッテリーがなくなるだけ無駄だ」
葉月の側に座っていた中年の男がぼそっと言った。
「どこの街もこんなありさまじゃ、助けになんか来るもんか」
葉月もそう思った。
時間だけが刻々と過ぎていった。
うとうとしはじめた時。隣にいた中年の男の左手が背中越しに葉月の肩をゆっくりと抱いた。そして、蛇のように首のところから葉月の服の中に右手を差し入れてきた。
「きゃっ!」
慌てて立ち上がろうとする葉月。しかし、男は葉月の破れかけたシャツをつかんでいる。
「静かにしろよな。なっ、おじさんの言うことを聞けよ。」
そう言っている目は、葉月が今まで見たことのない男の目であった。周りにくまを作った目をぐりぐりと見開き、葉月の全身を嘗め回すように見ていた。男の鼻息が荒くなるにつれ、男の腕の力が強くなってきた。まわりの大人達は気付いているはずなのに、誰もこちらの方を見ようとしない。
「いやだ!助けて!」
男が片方の手で口をふさぐ。鼻につく、気持ち悪い雄の臭い。
「殺すぞ!」
この信じられない状況は幼い葉月の心身を哀れにも硬直させてしまった。
「うぐぇ!」
気が遠くなりかけた葉月の耳に男のうめき声が聞こえ、身体にかかっていた男の力が急に抜けていった。舌をだらりと垂らし、眼球が半分飛び出した状態で、男は既に息絶えていた。唾液と血が葉月の汚れた服をいやらしく濡らした。
葉月は、男の身体を突き飛ばし、上半身をおずおずと上げると、ぐにゃりと折れ曲がった金属棒を持つ中学生くらいの少年ががちがちと歯を鳴らし震えながら立っていた。
「見たか、あのガキ……殺したぞ」
「見るな、俺たちも殺られるぞ」
息をこらし様子を伺っていた大人たちは、葉月と少年を力なく見ていた。
葉月はようやく立ち上がり、ここのすえた空気から一刻も早く逃れるため、地上へ向かう階段をゆっくりと上っていく。少年も黙って葉月の後を追うようにふらふらとした足取りで歩みを進めた。
(三)
「この先の明治橋は損傷が激しく、通行ができません。避難される皆様は、荒川河川敷公園にお集まり下さい」
警察車両が、通行止めのバリケードがある道の中央でアナウンスを続けている。その様子を横目で見ながら、避難所まで重い足取りで向かう葉月と少年。
あの日の夜から、食物を求めて避難所を転々としていた二人であった。そのそばを原付がクラクションを鳴らし、路上に散らばるがれきを避けながら通り過ぎていった。
政府が把握している日本での死者、行方不明者約十五万人、その被害のほとんどが人口密集地域に集中しているため、この数値がさらに上昇することは誰の目にも明らかであった。
火の手がまだ収まらない地域が至る所にあり、葉月の住んでいた街の方角も煙によって灰色に霞んでいた。制限区域は解除される見通しがまだ立っていない。
河川敷には避難民のテントの屋根が所狭しと連なっている。つい先日まで想像もしていなかった景色を二人は土手の上に佇み呆然と見ていた。
「家は近いのかい」
「うん、もうすぐ。でも、みんな戻ってなかったらどうしよう」
「きっと戻ってるよ」
「タケル君はこれからどうするの」
タケルという名の少年は少し考えた後、言った。
「僕も、葉月ちゃんを送ったら、母さんを探してみる」
タケルは、葉月を心配させないために許される悲しい嘘をついた。
タケルの家族は、彼の目前で殺され、最愛の妹は自分の腕の中で苦しみながらその短い命を終えた。
「帰るのが怖い」
「大丈夫、父さんと兄さんは、きっといるから、今はまだ明るいから無理だけど、暗くなったら、向こうの壊れた建物を越えてすぐに行こう」
「タケル君、ごめんね」
「別にいいよ」
タケルは、こうは言ったものの自分の言葉に自信がなかった。立ち入り制限区域に人がいるとは考えにくく、もし、たどりついたとしても子供であれば、すぐに強制的に補導されてしまうはずだと思ったからである。しかし、近場の避難所や掲示板の尋ね人にも葉月の家族がいる気配は全く見あたらない。
もう一つの心配事は、あれ以来、各地の治安がさらにひどくなってきているという噂を耳にしたことであった。夜、子供二人だけで無人の制限区域に足を踏み入れることは大変危険な行為である。避難所の中でさえも葉月があのような目に遭ったことはまだ記憶に新しい。
(今はまだ、やめとこう)
その一言を言うことは簡単だ。しかし、家族の元に帰ることだけを命の支えとしている葉月に対して、死刑の宣告ともいえるほどの重い言葉でもあった。
「準備する物がある……一回、避難所に戻ろう」
「うん」
(僕は何でこの子といるんだ……)
タケルは自分でもわからない。ただ、どこかで人とのふれあいを求めているのかもしれないと思った。
「医薬品が不足しています。もし、お持ちの方がおりましたら、ほんの少しでも結構です。お分け下さい」
「岩手県職員の……さん、至急本部へ連絡して下さい」
「……君の保護者、もしくは関係の方がおりましたら西本部のテントまで」
アナウンスが止まない避難所は、河川敷のスポーツハウスを中心に簡易テントや、ブルーシートでようやく雨風をしのいでいるような状態であった。午前の配給は終了していて、食料があたらなかった避難民は、罵声をボランティアに来ている人々や職員に浴びせていた。尋ね人の掲示板の前では、多くの家族を捜す人が集まり、安否の情報や犠牲書の氏名が書かれた紙を真剣な表情で見ていた。
タケルは自分の指名手配書が貼られているのではないかと、内心不安に思っていたが、このような惨状の中では杞憂に過ぎなかった。
その一角に、迷子になった子供たちが五十人ほど固まっている所をタケルは目にした。迷子というより、傷付き、汚れた姿から察するに被災孤児のようであった。泣き疲れて眠っている子、じっと、壁を見つめている子。このような子供の集団が各避難所にどれだけいるのであろうか想像するとタケルの胸は痛くなった。
「自分もその中の一人なんだ」
認めたくない思いを振り払うように、タケルはすぐに目をそらした。
「君たち、誰か家族はいるのか?」
急に男の職員の一人に話しかけられた。
「あの……」
「あっ、みんな向こうにいます」
タケルは葉月の右腕を強く引っ張り、食料配給所前に固まる人の群れに紛れた。
「ねぇ、何で逃げるの」
「もし、ここで捕まったら、夜に家に行けないよ」
「ああ、そうか」
タケルはその場をごまかしたが、本当は自分が殺人の一件で捕まるのではないかと咄嗟に逃げ出してしまったのだ。すがるような目をしている葉月を見ると、自分のずるさに対して心が痛んだ。
突然空を切り裂く音が聞こえ、避難所から悲鳴が一斉にわき上がった。
「キャー」
「あの音だぁ!」
「また、落ちて来るぞ」
「タケル君!」
右往左往する人の中で、タケルと葉月は互いに離すまいと強く手を握りあっていた。テント外へ二人は勢いよく押し出された。
「もういや……」
「逃げろ、殺されるぞ」
それは全ての避難民にとって二度と見たくない銀色の甲虫のような生物が飛行する姿であった。
土手の陰に隠れて見えなくなって数秒後、地面が揺れ、衝撃音がこだました。
「またあの虫が来たんだ、早く逃げよう」
「葉月ちゃん!」
タケルは硬直して立ちつくす葉月を引っ張り、生物の飛行する方角と逆の方へ走った。ふと、タケルの脳裏に、避難所で泣き叫ぶ孤児たちの姿がよぎった。
避難所のテントからも、巣を壊された蟻のように人々がわめき、混乱をあらわにしている。停車しているトラックや乗用車に集まる者たちは、急発進する車に次々とはね飛ばされていった。
「このまま、葉月ちゃんの家に行こう」
タケルは、この混乱の中なら、制限区域に足を踏み入れても大丈夫と咄嗟に思い、半分崩れた建物で塞がれているバイパス沿いを葉月と走った。
途中、道路が横倒しになったビルや鉄塔などによって完全に寸断されていた。自分たちが走ってきた方向を見ると避難民が続々こちらの方に流れてきているのが見えた。
「右に回る、足下に気を付けて」
「うん」
飴のように折れ曲がった鉄骨の下をくぐり、壊れた幾多の物を踏み、大きく迂回しながらひたすら前へと進んだ。葉月も飛び出ていた金具で頬に傷を付けたが、気にしている余裕は微塵もなかった。
「あの建物を越えたらもうすぐだ」
「うん」
大きながれきの山を越えると見慣れたアーケード街が、タケルの目に入るはずであった。
はしゃいで喜ぶ妹を連れて歩いたあのアーケードが。
葉月が家族と住んでいたあの街が。
しかし、心のどこかで察知していた現実がそこに広がっていた。
くすぶり続けている煙と共に、地の果てまで続くかと思うような焼け野原は二人を静かに迎えた。
第二話 「狂犬」
(一)
二機の戦闘機を率いた『ダイナ』と呼ばれる大型偵察機は、一頭の白鯨が冷たく暗い空を泳ぐかのように、ゆっくりと隊列から離れていった。
左右の戦闘機が急上昇し始めると、大気が逃げ水のようにゆがんだ。
パイロットの河井にとって、この圧力に身体が慣れてきたとはいえ、この時の不快感はいつまでたってもぬぐうことはできない。高度計のマーカーの横を走り逃げる鼠のように数字と点灯するラインバーが上に延びていく。河井は左手の操縦桿を奥に倒し、機体を水平姿勢に移行させ、シートに沈み込む感覚を徐々に軽くしていった。そして、無骨な操縦桿を強く握りしめている指の力を一瞬だけ軽く抜き、薬指に位置するスイッチを確かめ桿の内部に押し込んだ。
瞬時にモニターとHUDに、次々とターゲットまでの距離、速度、到達時間、そして、敵に補足された時に発せられる「死神の吐息」と呼ばれる緊急警報など数多の情報が映り込んでいった。
両機パイロット二人の眼下には月の光に照らされた白色の雲海が広がっている。その雄大な光景は彼らに自分たちが戦闘空域を飛んでいるという緊張感を少しだけ忘れさせた。
コードネーム『狂犬』こと僚機の山形機は銀色の機体を月明かりに鈍く光らせながら、後方ノズルからオレンジ色の吹き流しのような陽炎を噴出させている。
河井はその光を目で追った。
この癖はなかなか治るものではない。燭火に蛾が自ら飛び込み焼け死ぬ気持ちを今の河井には十分理解することができた。本能でしか得ることのできない感覚は死への世界からいつも手招きをしている。
「狂犬、飼犬両機へ。これより二十秒後、敵索敵エリア内侵入。この作戦は、新型ボムの威力さえ証明できればいい。二人とも無駄な戦闘を避け、作戦終了後は速やかに戦域を離脱しろ」
八百マイル後方に待避を終えた白鯨『ダイナ』から指示が飛ぶ。
「フォース一、飼犬、了解」
「フォース二、狂犬、了解」
声が切れると同時、バイザーの右隅に作戦終了までの時間が緑色で自己主張するように浮かび上がり、百分の一秒の単位で減りはじめていった。
雲の中に機首を下げて飛び込ませると水滴がキャノピーを一瞬だけ濡らした。
菱形をした黄緑色のマーカーがHUDに砂粒を巻き散らしたように展開されていった。三つ……九つ、直線上にその数は異様な速度で増殖していく。マーカーが赤色へと次々に変化し、河井らの操縦する戦闘機が敵の攻撃範囲に突入したことを知らせた。右上のキャノピーの内側に照らし出された分割スクリーンには目標となる『白蟻の塔』、そう人間が呼んでいる不自然な形状をした建造物が映し出された。
『白蟻の塔』
ある旅人は熱帯の森の中でそれに出会い、小さな生命の力強さと人間の矮小さを感じさせた。しかし、人類に圧倒的な威圧感をもって迫るこの建造物は住居やビルといった人類がその手で造り上げたものが練り込まれている。多くの生命が平凡な日常を過ごしていた場所はもうない。
外壁からしだれ桜のように垂れ下がった数千もの長い突起物の一つ一つにヒカリゴケのようなにぶい光が静かに明滅を続けていた。
「三……二……一……」
「狂犬」山形の操縦する戦闘機FV五十二型のエンジンは、『白蟻の塔』の喉笛に噛み付くためにやや上擦ったうなり声を上げ始める。河井機と山形機それぞれの下部ポッドから誘導爆撃弾が射出され、塔の下部へと白い軌跡を残しながら消えていった。
落下物の奏でる笛の音のような音に反応し、全長七メートル程の甲虫を模す生物が大地の穴から顔を覗かせた。
「インパクト」
周辺の地面はまるでスポンジのようにフワリと浮き上がり、炎が塔の下部を包みこんでいった。大型生物の群れは蒸発するように炎の中に消え、装飾物と化したビル群は鑞がだらしなく垂れるように斜面を滑り落ちていった。
だが、肝心の『塔』は外壁を形成する岩塊が少し削れただけで、他は何事もなかったかのように堂々とそびえ立っているのを河井は確認した。
「ご自慢の新型ボムも無意味だな。焼け石に水とはよく言ったもんだ」
狂犬の半分嘲笑した声が飛び込む。
「技術部が本当に知りたいのはこれからの奴らの動きと機体エンジンのパフォーマンス値だ」
「ああ、鬼ごっこ開始だな」
塔に潜んだ虫の新たな動きが視認された。山形は軽く舌打ちをし、右手でバイザーを確認すると、両手で操縦桿を握り直した。
『羽虫』と呼ばれる醜い未知の生物、もしくは奴らの一部。
透き通った結晶模様のするどい四枚の羽は常に逆立ち小刻みに震え、金属質の殻に覆われた銀色の巨大な胴体を装飾している。側面に開いた無数の窪みから幾色もの光を任意に点滅させる様子は、虫同士が互いに会話をするかのように呼応しながら同期させ、頭部には巻き貝のような螺旋の円錐をもち、音と匂いで自らの獲物を捉えていた。
「狂犬、羽虫第一波、来るぞ」
「了解、月形小隊長の言った通りミサイル無しのこんな装備じゃぁ無理だな、ブースト点火、急速離脱するぞ、奴らの見送り付きだ」
既に正面モニターには敵の位置を表す数十のマーカーが赤い円で描き出された。両機とも羽虫の群れに翼に装備したバルカン砲を威嚇する程度に撃ち込んだ。
「HBは、まだ残っている、狂犬、仕掛けるか」
「無駄、無駄、こんな豆鉄砲に何ができる。飼犬、抜けるぞ、俺のケツ見つめ過ぎて、タンク切り離すの忘れんなよ」
「笑わせる」
羽虫の群れを振り切る合図のように戦闘機の排気音が唸る。慣性制御装置が働いているとはいえ、強烈な圧力はシートに身体を深く沈みこませた。軽い衝撃と共に機体下部の長距離航続用タンクとポッドが外された。
軽くなった機体はさらに上昇を続け、左右の翼からは二本の細く白い雲が尾のように後方に引かれていく。羽虫は、黄色い液体を霧のように吐き出すが、彼らの機に届くよしもなかった。
一方、機体から切り離されたタンク類は鋭角に地面に落ちき、残った燃料が辺りを火に包んだ。この種類の羽虫は成層圏まで上昇できない。二人はバイザーを上げ、青と緑の大地の上にぽっかりと黄土色に変色した塔周辺の地域を目視した。
「ここは本当に地球なのか……」
狂犬「山形」は、小さく呻くように言った。
「帰投命令が出ている」
河井は山形の言葉に返事をせず、バイザーを戻すと各機器の数値の確認を始めた。
二機のパイロットは、互いに相手の燃料を気にしつつ北米基地の一つレイクレイに進路をとった。
新型爆撃弾による作戦は誰が言うまでもなく失敗に終わった。
(二)
アサバスカ川は広く、遙か昔からいつも清流の奏でる瀬音で人々の心を癒してきた。ロッキーの山並みは、初夏の季節に入っても残雪を冠し、いつの時代も変わらない雄大な景色をつくりあげていた。
北米都市『ジャスパー』にほど近い、人口一万人に満たない小さな街『レイクレイ』の家並みは霧の中に霞んでいた。
街の名前の由来となった『リトルレイ湖』の湖畔に立ち並ぶ太い幹の針葉樹の葉は航空機が離着陸する度に大きくその枝を揺らした。
この閑静な街に連合軍の統合基地が置かれたのは三年前のことであった。
それまでカナダ国軍の一部の部隊が訓練に使用していた一本だけの短い滑走路は、今はその長さを延長し四本にまで増えていた。巨大生物の被害を受けなかったことが、かえってこの街を含めた地域の様相を一変させることとなった。
『北米レイクレイ統合基地』
巨大な地下エリアをもつこの施設は今もその範囲を広げている。
「まるで俺たちの方が蟻だな」
ここに配置された兵士らは皆、口々に己の居場所となる基地を自嘲していた。
日本国より派遣された空軍パイロット、山形と河井の二人は、狭く暗い地下通路を肩を並べ歩いている。会う人に華奢な印象を与える河井とは違い、短く刈り込んだ髪型の山形は好漢であった。この時も袖を肘までめくりあげ筋肉質の腕を露わにしている。
「河井、聞いたか、豪州の作戦に参加した十三機全滅だってよ、十三機全てだぜ」
「ああ、報告は読んだ、新しいタイプが湧いたらしいな。新兵器開発部門の風当たりは益々強くなる」
「そもそも異国の地で十三はまずいだろう、この数字は縁起が悪すぎる。なぜ、それに気が付かなかったんだ、上の連中は」
「俺は縁起や数には興味がない」
「お前、いつも冗談の通じのない奴だな。俺たちは、言われたとおり任務を果たした、しかし、相手の強さをなめてかかっているんだな。いつの時代もそう。傲慢に反省もせず、旧型機を新型機と偽って自分たちの力を過信するものが辛酸をなめる、歴史は繰り返すということだ」
「作戦に失敗したお前も俺も旧型機だな」
「河井、お前の腕、戦闘時のセンスは一流だ。しかし、お前の悲観主義と笑えない冗談には悪いがついていけない」
それから目的の部屋に着くまで『狂犬』山形は、おとなしい『飼犬』河井を相手に冗談交じりの言葉で吠えまくった。
C五十一室の大きな鋼鉄製の二枚扉の前にたどり着くと、山形は傍らの開閉装置のロックをカードキーとパスワードで解除した。見かけとは違い、一枚目の扉は速いスピードで開いた。
山形は大きく深呼吸をした。
「山形、河井、両二名入ります」
そう言って表情をやや固くさせたまま、扉の右横に付いている小さなモニターカメラにぐっと自分の顔を近付けた。
「入れ」
短いブザー音に続き、最後の扉が開くと、そこは十五メートル四方の部屋が広がり、正面中央の大型パネルモニターの前に、今回の作戦責任者の大山大佐が無言のまま腕を組み座っていた。その傍らには山田少佐、市川中尉、大久保技術部門長、今まで叱咤を受けていたであろう畏まった上司の月形少尉を除く面々が、苦虫走った顔で立っていた。
「そこに座れ」
頭髪がなく、猛禽類のような目をした山田少佐は二人に低い声で着席を促した。
「今回の作戦の報告について、いくつかの質問をしたい。山形軍曹説明しろ。河井軍曹も、意見があれば随時説明を加えるように」
「はい」
こういった場面の苦手な山形の声は少し上ずっていた。
「では、第一の質問だ。新型爆弾のポイントのずれは、衛星からの小型誘導装置により、目標二十五センチの範囲内に全弾命中している。間違いないな」
「はい、間違いありません。目視でもその後のデータでも確認しました」
山形は即答した。
「君たちも知っているようにウグルス自治区に以前建造された『塔』は旧型誘導弾でも簡単に破壊することができた。しかしだ、今回はさらに、スピード、破壊力どれもウグルス爆撃時よりも強力な兵器での破壊効果がほとんど認められない。その原因とは具体的に何と考えるか」
「山形、答えろ」
この二人の尋問が始まる前に同じ質問を何度されたことだろう、市川中尉が少し疲れた顔で聞いた。大山大佐をはじめ軍の上層部は、今回の作戦に並々ならぬ自信をもっていたゆえに、市川の説明に納得ができなかった。そのため、こうして彼ら実働を担ったパイロットを呼んでいた。市川中尉は、技術者や上司に説明しなくてはならない二人を少し気の毒に思ったが、言葉や態度にすることはできない。
「はい、塔の印象は今回の記録にも残したように、外壁部を形成する物質にルシフェリンによく似た蛍が発するような光を帯びていました。以前のように建物と土塊だけではありません」
「送られてきた画像でも照合できた。つまり形成する物質の違いと考えていいな」
「はい、おっしゃるように肉眼及び機体に搭載した偏光機器両方にもはっきりと相違点を見ることができます」
「次の質問だ、敵の新型と思われる人型生物について既に耳にしているな」
「断片的な情報だけは」
「今回の作戦エリアで君たちパイロットから確認することはできたか」
「いえ、少なくともレーダー及び目視の範囲内ではそのようなタイプを確認できませんでした。しかし、それ以上のことは現時点で解析中と聞いています」
「技術部の解析では、第一波の中に新型と思われるものが確認されたそうだ」
大山大佐は、あご一面に生えた髭をゆっくりと右手でなぜ、二人の反応を一つ一つ確かめるように見ていたが、新型の敵に話が及ぶと山田少佐の質問を押さえ自ら続けて聞いた。
「豪州攻撃部隊全滅の原因は君たち何だと思うかね」
(糞野郎、俺たちが聞きたいくらいだぜ)
毒突く言葉が山形の口から、あと、ほんの少しで漏れそうになる。
山形の胸中は既に結論の出ているくだらない質問の連続に、腹の中が煮えくりかえるような気持ちで溢れていた。
「管制の飛行データでは、ターゲットまでの気象条件、進入高度、速度共に、私たちの北米作戦と大差ありません。要因として考えられることは、機体装備の違いによるエリア離脱までの時間と敵の未知数の攻撃能力です。私、山形と河井のFV五十二型戦闘機にはバルカン砲を除き、今回の爆撃弾のみ搭載しました。豪州の部隊は、地対空及び空対空ミサイルポッドを装備しています。そのため、爆撃後に攻撃を継続したことは十分に予測できます。我々もその装備であれば同じように判断します」
「君ら二人はなぜ、標準搭載のミサイルポッドを装備しなかったのかね」
山田少佐が質問した。
「それについては、私が説明します」
月形少尉が作戦終了してまだ間もない二人をかばうように返答した。
「今回はあくまで新型爆撃弾のテストを兼ねた攻撃です。先ほどご説明したように、パイロットの生存率を少しでも上げるため目的以外の行動を慎むよう私自らが命令いたしました、帰還あっての作戦です」
「そのことに間違いないか」
「はい、間違いありません」
山形は答えながら、証言を執拗に確かめていく山田少佐に対し嫌悪感を抱いた。
「装備違反で決定された作戦を遂行することは、本来軍規に抵触するが、それが幸いとなったわけか、悪運の強い連中だ。しかし、違反を見過ごすことをできないことは君たちもわかっているはずだ、特に月形少尉、指揮官としての君にはたいへん失望した、所詮、パイロット上がりという同情心に左右される精神には呆れたよ」
「山田少佐」
山田少佐のくどくどと続く言葉を大山大佐は遮った。
「敵の攻撃能力について質問を続けたい、これを見たまえ。大久保、例のモノを」
大型パネルに豪州部隊の飛行ルートと敵の動きがCGで瞬時に再現された。時間が経過する毎に山形、河井の二人の顔に緊張が走る。全機が敵に落とされた時点で映像が止まった。
「今、この映像に映し出された敵の動きについて、パイロットの君たちはどう考えるか実直な意見を聞かせてくれ」
「とても言いにくいことですが、敵新型の数が総勢力十パーセントの範囲で、我が軍の戦闘機が勝利することは、まずありえません」
山形の意見に河井もおおむね同意であった。空中で急激に停止、反転し、攻撃を継続できる機体を人類は持っていない。
「先ほど報告をした月形少尉と同じ意見だな」
それから延々と敵新型についての質問が続いた。
山形と河井が答えるたび、大久保技術部門長がやりとりを記録していく。さらに内容は現FV五十二型戦闘機との性能差異や高速度の耐圧感覚のような細かい点にまで質問が及んだ。
「河井、起きてるか」
「ああ」
「俺たち、いつ帰れるのかな」
「さぁ」
耳元で囁く山形の声には既に張りが無くなっていた。
その後、敵の新型は、その身体の形状から『パック』というコードネームで呼称された。文豪シェークスピアの作品『真夏の夜の夢』に出てくる羽根を持ついたずら好きの小妖精の名前である。
(三)
「タケルここだよぅ」
親友のタカシがアーケード街を背に、こちらに向かってくる。茶色に染めた髪は、夏休みに入ってからのことだ。生意気に格好をつけているけれど、根が弱虫なのは小さい頃からよく知っている。少し大人びて見えても、そこにある笑顔はクワガタを捕りに自転車で長い距離を走っていた頃と少しも変わりはない。
帰りに食べたソーダ味のアイスは歯にしみた。隣のクラスのミクが気になるといつも言っていた。あいつが三年生の先輩とつきあっていたのを知っていたけれど、僕は知らないふりをしてやった。今思えば彼も気付いていたのだろうか。
コードを三つおぼえたらギターがそれらしく弾けること、カワサキのバイクのクラッチペダルのこと、あるサイトのアドレス。いつも彼が真っ先に情報を教えてくれた。物事にうとい僕は、いつもからかわれていたけれど、彼はとっても良い奴だった。僕も大きく呼ぶ彼の方に足を進めていった。
急に崩壊した建物のがれきの山が前にそびえ立ち、行く手を塞いだ。
いつのまにか、彼とは違う不安げな表情の少女が僕の手をしっかりと握っている。
「あの建物を越えたらもうすぐだ。そうしたらタカシに会える」
「うん」
がれきを越える二人。
穴だらけのアスファルトの道路の中央にできた血だまりの中にタカシの茶色い髪の毛が浮いていた。
「痛いよ、タケル、俺、死んじゃったのかなぁ」
生温かなタカシの血が自分の履いているスニーカーにゆっくりと染みこんでいく。手を握っていた少女が自分の耳元でため息混じりに呟いた。
「タケル君はこれからどうするの」
嫌な夢はいつもここで終わる。
河井は、ベッドから汗にまみれた上半身を起こし、大きく息をついた。大きな警告音の中、机上の通信端末の液晶画面は『緊急』、『出撃準備』という二つの文字を交互に点滅させていた。
レイクレイ基地の兵士たちの動きが途端に慌ただしくなった。
パイロットルームの壁には帰ってこない主を待つロッカーが整然と並んでいる。河井が入室したときには既に山形は対圧スーツに着替え終えていた。
「いょう!今日は、一緒に飛ぶらしいじゃないか。この前のフライトでヘマやらかしたんだって。ホーム出身だからって若造に無理させるからよ。でも気にするんじゃねえぞ、お前のところの月形小隊長はどうしたんだ。お気に入りのドッグフードでも買いに行ったか?」
この声は、フランク小隊のジェシー曹長である。アメリカ空軍上がりの艶のある黒い肌の色をした彼は、大声で笑い、白い歯を覗かせた。
続けて小隊長のフランク少尉、フェネル曹長らが寝癖の髪をそのままに部屋に飛び込んできた。河井が所属する小隊長の月形は、前回の爆撃の一件からまだ隊に復帰できていない。
「ちっ、うるさい連中が来たな。河井よ、俺は先に行くぜ」
「ああ、お前にはしては珍しく早いな」
「この頃、良い夢を見ることができねぇんだよ、お前もそうじゃないのか、さっきうなされていたぞ」
山形は河井の肩を握った拳で軽く叩き、足早に格納庫へと向かった。
「フェネル、今日の出撃場所、聞いてるか?」
「わからねえ、そこの坊やに聞けよ」
「タケル!聞いているか。」
ジェシーは唾が顔に飛ぶほど河井に近寄り早口でまくし立てた。
「まだ、聞いていません」
「ジェシー、お前の知りたいことはオペのかわいいペトリちゃんが、すぐに手取り足取り優しく教えてくれる」
小隊長のフランクが口をはさむ。
「俺はあの巻き毛のおばさんの声がどうも苦手で。あれ、俺のグラブ!ああっ、ここに落ちてやがった。縁起でもねぇ」
「うるさいぞ、ジェシー。出撃前に気が散る」
「黙れ、フェネル。俺はお前みたいな不感症じゃいられないのよ、わかる?俺のアドレナリンが地の底からわき上がってきてるんだ。ウォッホーってな」
「腐れジェシー、自分の尻でも舐めてろ」
ベテランパイロットである彼らのにぎやかな会話を余所に、河井はヘルメットをかぶり、首のアタッチメントのスイッチを入れた。軽い接続音の後にヘルメットがスーツに固定される。バイザーを下ろし、ゆっくり深く呼吸をすると「正常」と緑色の文字でHUDに表示された。
河井は再びバイザーを開け、機体の待つ地上格納庫へと向かった。
まだ星の瞬く早朝。
蒲鉾形の巨大な格納庫から牽引車に引かれたFV五十二型戦闘機がジェットエンジンのアイドリング音と共にゆっくりと姿を表した。
米国と共同開発した時山重工社製の戦闘機の性能はFシリーズの中でも最高傑作と言われていたが、あくまでその攻撃対象は地球上の戦闘機を想定している。対異生物戦闘用に作られていないことは多くのパイロットの死が証明していた。
短いアラームがコクピットのパイロットに向けて一斉通信の入ったことを知らせた。
「山形、河井機は、この出撃において新型ボムを再度試用のこと。フランク小隊は両機の護衛をしつつ目標への攻撃を行ってください。作戦発動時刻は零六マルマル」
オペレーターのかわいいペトリは、感情のない声で淡々と説明を続ける。
「敵の出現位置アラスカ地区HD七六九一、大気圏突入球体型の『ボルボックス』、昆虫型のハムシの他に人型のパックも空中で放出されたのが確認されています」
「例の噂に聞く新型だな。数は?」
フランク小隊長の声が聞こえる。
「ボルボックス一、ハムシ四十、パック二、ボルボックスにはまだ、ハムシ、パックが多数搭載されている模様」
「戦力の五パーセントが新型かぁ、そりゃ、初めてにしちゃ出すぎじゃねぇか」
ジェシーの驚く声が通信に割り込む。
「現在までの被害状況は」
「石油精製所、火力発電所は運転を停止、近くの『ノースポトラッチシティ』は、ほぼ壊滅。住人一万七千人は絶望的です」
ペトリは声色一つ変えず告げた。彼女も人の死に慣れたうちの一人なのだろうと河井は思った。
「出撃部隊は、極東基地から空軍三小隊、この基地からは月形小隊の二機、それにフランク小隊の三機、その他に到着は遅れるけれどミード北米基地よりプラント陸軍歩兵部隊が投入されるわ」
「プラントって言ったら『デスペラード隊』じゃないか!後の掃き掃除にしちゃ大げさ過ぎやしないか。戦力は多いのに越したことはないが……」
フランクは投入される部隊の数を聞いて目を丸くした。
「みんな妖精のデータを集めたいんだろう、わかるよぉ、その気持ち。俺もそいつらが男か女か早く知りたくてね」
「ジェシー曹長、まだ話の途中です。フランク小隊の火器は既に換装済みです」
「見りゃわかるよ。」
「航続タンクの変わりにバンカーバスター(地中貫通爆弾)二十一を装備、ミサイルポッドをM六四対応型に変えています」
「わかった、つまり俺たちはミサイルを撃ち尽くしたら帰れるわけだ」
「お前は帰れるつもりでいるのか。」
皮肉屋のフェネルの一言にジェシーの私語がやっと止まった。
(四)
アラスカ地区HD七六九一地点、針葉樹林帯の中に『ボルボックス』と呼ばれる銀色の大きな物体が落下し四時間余り経過しようとしている。
破壊し尽くされた街に『ハムシ』と呼ばれる虫型の生物が大きな羽音をたてながらうろうろと飛び周り、生存している者を見つけ出すと、顎の牙でその身体を千切り飛ばし、血の滴る肉をむさぼり喰っていた。
フランク小隊と河井たちの眼下には壊滅状態となった居住区と多くの施設がある。
「まだ住人が多数生存している模様、犬ども二機は、新型ボムの使用を一時凍結。俺たちハイエナのミサイル攻撃を優先する」
フランクの落ち着いた声が各機に届く。
「狂犬了解」
「飼犬了解」
「ハイエナベータ、ガンマ、バンカーバスターを全弾ぶちこめ」
「了解」
フランク隊長の合図にFV五十二型戦闘機は高度を一気に下げ攻撃を開始した。
地中貫通弾として使用されるバンカーバスターは次々と目標の球体型ボルボックスに着弾した。外郭が突き破られた半生命体は深緑色の内臓を辺りに振りまいた。ぽかりと開いた穴の内側から肉が徐々に盛り上がっていくのを、フランクは見落とさなかった。
「見えたぞ、妖精のお出ましだ」
フランクの声に全員の目は『ボルボックス』を注視した。
殻を自分の嘴でこじ開ける鳥の雛のように、細長い指が爆撃でできた裂け目をさらにゆっくりと広げていく。ケロイド状の皮膚で覆われた右腕、左腕、そして、目と鼻のないぶよぶよとした頭と思われる球体がゆっくりと血煙の中に持ち上げられた。
「ペトリ、司令部でも確認できるな」
「さすがフランク小隊ね、これだけの映像は世界初よ」
「今年の『ピューリッツァ賞』はいただきだぜ」
ジェシーは嬌声を上げた。
奇妙な妖精は首を細かく左右に振り、周囲を見回していたが、フランクらの機体を発見すると、首の動きを止め、女性の悲鳴のような長い叫び声をあげた。
「おい、誰か何か言ってくれよぉ」
「ハイエナベータ、ガンマ、それぞれボルボックスを中心に攻撃を継続。狂犬と飼犬は高高度にて待機、飛翔したハムシの群れには注意しろ。先に放出されたパックも地上のどこかに潜んでいるようだ、レーダーからは絶対に目を離すな」
『ハイエナアルファ』ことフランク少尉の声が尚も冷静に指示を与え続ける。
「ベータ、フォックスツー!」
フェネル、ジェシー両機は異様な生命体が吹き出だす周辺を照準の中心に据えミサイルを連続射出した。
「狂犬、正面二時の方向よりパック接近」
「捉えた、先にうろうろしてやがった奴だな。飼犬、後方のハムシ共を排除してくれ、振り切れそうにない」
「了解」
重量のある新型ボムを搭載しているため、山形は自分の機体の旋回能力に不安があった。
「畜生っ、この機体は爆撃機じゃねぇんだっつうの」
「うわぁ、大きいなぁ」
空港のラウンジから見えるジェット機はとても大きかった。
よく磨かれたガラスに両手をあて、ちょうど正面に駐機しているこれから自分の乗る旅客機を見つめ続ける少年が一人。
後ろから荷物を手にした男は近付くと、その少年の肩に優しく手をかけた。
「二十八番ゲートだぞ、守、ほら、自分の鞄を持ちなさい、父さん先に行くぞ」
「あっ、待ってよ」
行き交う人々の波に消えていく二人。
「本機はまもなく羽田空港を離陸します」
客室乗務員の女性がアナウンスマイクをホルダーにかけ、自分のシートベルトを手慣れた様子で締めた。ちょうど向かい合う位置で、その仕草を不思議そうに見ている守少年に気付いた。
彼女がにこりと微笑みかけると、守少年は知らない素振りをして下を向いた。
子供の頃の山形守は、毎年父の故郷である札幌に行くことを心待ちにしていた。というより飛行機に乗ることが最大の楽しみであった。
離陸する直前の加速感、普段では絶対に味わうことのできない感覚が少年の心を魅了した。
「お前は、飛行機が本当に好きなんだな」
「父さん、あのね」
「何だい?」
「僕いつか、飛行機になりたい」
「あはは、それは、パイロットになりたいの間違いじゃないのか」
守少年の言葉に父は目を細めて笑った。
ハイGをかけ、方向を急旋回させた山形のFV五十二型戦闘機に猛追する妖精を河井は目視した。
「山形、真下だ!」
河井が叫んだ。
「畜生、間に合うか!」
山形機のコクピット内にアラートが鳴り響く。
「何!」
妖精は手にした銀色の長い杖のような物の先端を山形機に向け空中で構えた。
「まさか、こいつ……武器を……」
杖の先から閃光がほとばしった。光弾が山形の戦闘機に接触した瞬間、河井はスローモーションのように展開するその光景を見ていることしかできなかった。
「山形ぁぁ!」
搭載していた山形機の爆弾が誘爆し空全体が白く発光した。
凄まじい衝撃波が河井やフランク小隊の機体を木枯らしが枯れ葉を弄ぶように吹き飛ばしていく。
「何だ、何が起きた!」
フランクやジェシー、フェネルは突然の出来事に自分の機体を立て直すことに精一杯であった。
「狂犬機……ロスト」
「何?聞こえない、何だ、どうしたんだ!」
「狂犬が……墜ちました……」
死神は、河井の唯一の友をいとも簡単に冥府へといざなっていった。
レイクレイ基地にその凶報はすぐに伝わった。
あっけなく敵の新型生物によって山形機が墜とされたことを、上層部から部下に至るまで誰一人耳を疑わずにはいられなかった。
「山形が……それは本当なのか」
小隊長の月形は、格納庫にいる整備兵の一人に何度も聞き返した。事実だと受け止めると自分が共に出撃できなかったことを心から悔やんだ。
「山形……すまない……」
月形はそう言うと、壁に背をもたれさせ、ゆっくりと目を閉じた。
「何が最新鋭機だ、俺たちは、奴らに手も足も出ないということなのか」
若い整備兵の一人は握りしめていた書類を床に叩き付け、汚れた作業靴で踏みつけた。
時を同じく、『ノースポトラッチシティ』より南方百マイル離れた上空にC四十大型輸送機六機がさしかかろうとしていた。
「あちらさん、もう、えらい派手にやっているみたいだぜ」
「そんなことより、早く出せ、空挺装甲車の狭さ、お前知ってるのか」
「糞プラント、お前さんの愛車より百倍はましだろ」
『デスペラード』陸軍歩兵部隊のプラント中尉は、これからの降下に備えて座席に身体を固定していた。向かい合った八人の歩兵がプラントと機長のやりとりを聞いてにやにやと笑っている。
「プラント中尉、戻ったら糞パイロットたち、しめてやりましょう」
「やめとけマイク、奴に聞こえたらどんな落とされ方するかわからんぞ」
「聞こえたぞ、マイク、お前だけ特別に高度二万フィートから落としてやる」
「ワーオ!」
装甲車内に下卑た笑いが満ちる。
「よし、予定降下地点に到着した、落とすぞ」
「手土産は妖精のナニだ、期待していてくれ」
「チーズ臭いのはごめんだ、デスペラード隊に幸運を」
機長の声を合図に、後部ハッチがゆっくりと開き、空挺装甲車と戦車が後ろ向きのまま滑るように落下していく。その間、中の歩兵は巨人の手で天井に放り投げられたような状態を我慢しなければならない状態が続く。
(五)
その日の戦闘で、連合国軍はボルボックスを破壊、飛行昆虫型の敵を何とか撃退することができたものの妖精『パック』数匹を取り逃がしてしまう失態を演じた。
後から合流した極東基地のFV五十二型戦闘機小隊とプラント率いる歩兵部隊の援軍により死地を脱しただけという、見るも無惨な戦果であった。
そして、軍は妖精の戦闘能力の高さにあらためて危機感を抱いたこともまた事実であった。
フランク小隊と河井の機体は満身創痍の状態で基地へと帰還した。その機体の状況を見、誰もがこの結果について責める者はいなかった。
各国からの被害状況の問い合わせに山田少佐はまんじりともせず、作戦司令室で次の日の朝を迎えていた。
「少佐、日本総司令部よりコールです、チャンネル四六認証済みです」
山田少佐はごくりと唾を飲み込み、回線を接続した。
「大変なことをしてくれたな」
その声の主は、幹部制服に身を包んだ連合軍総司令部所属の黒田監視官であった。一見三十代にも見える若さもさることながら、容姿や振る舞いどれをとっても山田少佐にとっては鼻持ちならないエリートの一人と言えるだろう。彼は鼻にかかった眼鏡を左手中指で持ち上げ、細い切れ長の目をさらに細めて言った。
「新型ボムの爆撃、FV五十二型新型戦闘機をパイロットごと失う失態、我が日本国の面目は丸潰れだ」
「申し訳ありません」
「あまりにも作戦内容が稚拙ではなかったのか、味方の数、敵の数、搭載武器、これが本当に適切だった対応だったのか」
「申し訳ありません」
「今回の新型ボムに、日本いや世界はどれだけの開発費を使っているか、少佐は知っているのだろう」
「申し訳ありません」
「それをこうもあっさりと、たった二回の出撃でこの失態とは、日本国民にどう説明をしていいのか、我々の苦労を君たちはわかっているのか、あの時、少佐と大山大佐は何と言ったか。大丈夫だと言っていたのだぞ、その言葉にもっと責任をもつことが上に立つ者たちの役目ではないのか」
(お前みたいな戦場に顔も出さない卑怯者に何がわかる)
山田が無意識のうちに貧乏揺すりを始めたため、机上のペンが床に転がっていく。
「はい、全て我々の認識の甘さからこのような結果が生じたものと思います」
敗戦に至る要因の一つはどの時代でも共通している。総司令部の門閥癒着した無能集団の愚策の積み重ねである。
山田少佐はこのような全てを知っているかのような口ぶりの若輩ばらへ、唾を吐きかけたくなる衝動に何度も突き動かされたが、その度に歯が削れそうになるまで食いしばることでようやく我慢できた。
(月並みですが、いやな出来事ほど繰り返されるものだと思います)
山田は亡くなった部下が昔そのようなことを言っていたなとふと思った。
大山大佐が司令室へと戻ってくると、山田は先程の一件についての報告を行った。
「うわっはっはっ」
苦虫ばしった山田の前で、大山は、ひげを蓄えた大きな口をさらにこれでもかという程開けて笑った。
「彼らもまたその上の者から言われて同じ気分なのだろう。少佐、そんなに不機嫌な顔をしなくてもいい。ところで例の計画についての報告はきていたかね」
「はっ、マカロフ極東軍事顧問の『夏の瞳』計画については、予算のめどが立たず未だ進展なしということです」
「この期に及んで、人類が死滅してしまったら、金など必要なくなるのにな、彼らは墓場にまで金を持っていくつもりなのか」
大山の目に怒りの色が表れたことに山田は気付いた。
「ある一方では、継続しているとも言いますが、情報は錯綜しています、報告続けます、パイロットの補充と異動の辞令が下りました」
「月形少尉は、本国第三部隊に転属、事実上の更迭です。また、それに伴ってFV五十二型戦闘機一機とS三十大型偵察機一機が本国に回されます」
「当然だろう。彼には申し訳ないが小隊長がこのままだと兵たちから責任逃れと言われるからな。だが、彼には向こうで遂行中の計画に携わらせる予定だと聞いている。それで、次の補充者は?」
少佐は手持ちの小型メモリー媒体をリモコンに挿入し、指令官室右の大型パネルに向けスイッチを入れた。四人の少年、少女の顔が四分割で映し出される。上段二人はアジア系、下段二人はアフリカ系とヨーロッパ系である。
「若すぎるな、このような子供が扱えるものか」
大山は一瞥し、山田に向き直った。
「オルファンホーム訓練施設からあがったばかりの兵です」
『オルファン』という単語に大山は少し反応を示した。
「使える歴戦の者を更迭し、実験を兼ねて子供たちを回すという訳か」
「戦死した山形軍曹については二階級特進、河井軍曹については、階級をそのまま新規パイロット専属の小隊長になります。言わば、今回の失敗の尻ぬぐいと面倒な子守役の為でしょう」
「この状況で河井が残っただけでもよしとしなくてはな、確か……彼もオルファン施設の出だな、河井軍曹については、後で聞きたいことがある。九時にこの部屋へ来るよう伝えてくれ」
「はい」
山田は大山大佐の真意を聞いてみたかったが、それ以上の深入りは避けた。
河井が司令官室に入ると、大山大佐が一人、奥中央にある自分の席に座っていた。彼は報告書類を見ていた手を休め自分の机の前に河井を立たせた。
「そばに来たまえ、よく生き残ったな」
河井は予想していた第一声とあまりに違っていたので一瞬拍子抜けをした。世界に誇る戦闘機を撃墜されながら、たいした成果もあげていないことについて嫌みの一つでも言われるのかと覚悟していたからである。
「いえ、不甲斐ない戦果でした」
世辞はいいというように首を振り、大山は話を始めた。
「軍曹は『夏の瞳』計画という言葉を耳にしたことがあるかね」
以前に山形が何かそれに近い単語を言っていた気もしたが、具体的なことについては何も知らない。
「いえ」
河井は短く返答した。
「それなら結構。いずれ君にも協力してもらうつもりだ。さて、本題に移ろう。今度、君のもとに配属になる新任パイロットの四人はオルファンホーム訓練施設あがりの者だ。君もそこ出身だと聞いている。君の同期にも多いのだろう?」
「あの頃のメンバー、いや元孤児は、噂の範囲ですが本国に数人残っているだけで後は戦死したと聞いています、乳児からの純粋なホーム出身の者たちは別施設で育成されていると聞いています」
「わかっている、だから今回の四人はなるべく生存させてやりたいと思っているのだ」
この言葉を聞き、大山大佐の真意は何なのかと河井は思った。
戦乱の中、孤児が生き残るためには兵士として活躍の場を見出すしかない。そう教わってきたし、諦めてもきた。
「これからの計画では彼ら子供らの力が必要なのだよ。代わりがだいぶいなくなってきたのでな。兵士を育て次世代の研究材料として活用するこれが急務なのだ、『南極の動乱』を知っているか、あの戦いではホーム出身の者たちが、通常戦闘システムに深く関与してきた経緯もある、出身者は人の姿をした優秀な軍事兵器と言っても過言ではない」
大山のこの一言で河井は納得できた。軍幹部がオルファン孤児施設出身の兵士に対し、優しさやいたわりを見せることはなく、自分たちは只の消耗品であるということであった。一瞬ありもしない何かに期待した自分が恥ずかしいと河井は思った。
狂犬こと山形が河井の心の中でにやりと笑った。
(笑うなよ、それともお前は死んでやっと幸福になれたのか)
第三話 「夏瞳」
(一)
ここに昔からの笑い話がある。
偉大なる大統領に子供が質問をした。
「どうしたら世界中のみんなが仲良くなれるの。」
偉大な大統領はすぐに答えた。
「宇宙人が攻めてきたらいい。」
人類が連合軍を創設して六年。ここに至るまで、関係する者たちにとって大変な苦悩があった。
ブリュッセルの国連本部では、どこの国が主導権を取るかで長い時間を費やした。そして、どこの国も企業も自己が保有する兵器の性能情報を隠し続け、またこの機に乗じた宗教や民族間のテロ行為もやむことはなかった。
しかし、未知の生物に対し、既存の兵器では太刀打ちできるわけもなく、ほんの僅かな時間で小国から崩壊していった。人類は滅亡寸前になりようやく人間同士で争うことの愚かさに気付きはじめ、表面上、国連を中心とした連合軍が創設された。
世界各地の連合軍に対して指示をする立場であったブリュッセル本部は、三年前の攻撃によってその地域一帯が焦土と化したため、米国のボストンにその大半の機能を移している。
「私は、『高機動騎兵部隊』創設を予定よりも早急に整えることをここに提案する」
マカロフ極東軍事顧問は必死であった。どのようにしてでも『夏の瞳』計画を実現させなければならない。力を込めた発言はそのためである。
今までのような、各国の散発的な戦闘は華やかに見え、一時的な効果はあるにせよ、長期的な戦闘においては非常に不利であることは明白であった。敵は現段階ではまだ微増だが、数、形状、敵要塞の構成している材質に変化があらわれ、さらに個々の動きについては、あきらかに初期の戦闘内容より組織的に変質し、狡猾となっている。
「今の会議の流れは核兵器使用に傾いているようだが、核をそのように大量に使用した後の人類の復興について、ここにお揃いの方々は考えておられるのか。敵の破壊行動は確かに凄まじい。トーキョー、ヘルシンキ、ニューヨーク、リマ、いくつもの都市は地図上から消滅した。しかし、なおもって未だに敵の目的さえほとんど解明されていない」
「だからこそ、迅速に限定的に核を使用することが望ましいではないか!」
キリ東アフリカ国連大使は叫んだ。マカロフが懸念することは理解できても事態は尋常ではない。このような会議を開いている時でも自国の同胞たちがまさに犠牲となっていた。さらに近隣諸国の民族紛争の余波がまだ続いている地域だからこそ、キリ大使も必死にならざるを得ない。
「今ご発言されたキリ大使をはじめ、ほとんどの方もそう考えていることはわかる。しかし、核を使用することで、戦争が終わった後までもまた、多くの人々が苦しむことは明らかである」
「その前に人類は絶滅してしまうぞ」
「全ての動植物が絶滅する確率は、核を使用した時の方が高いと私は考える」
このマカロフの発言に対し、ざわめきが起こり、さらに議場は騒然とした。
彼マカロフはロシアの都市キエフの出身である。
百年近くたっていても、事故のあった原子力発電所の場所に通じる道はゲートで封鎖され誰も近づくことを許されていない。
「どうしてそこに行ってはいけないの」
幼少時のマカロフは、その地方で生まれ育った曾祖母から聞いた話をとても不思議に思っていた。
豊かな森、小麦畑、草をはむ乳牛、大きな野菜、信じられないことに小さい遊園地までもがあったできたばかりの新しい街。
曾祖母はつい先日まで自分がその地にいたかのように手振りを交えて話をした。
しかし、家族の写真は一枚も残っていない。
祖母はマカロフにこう答えた。
「行ってはだめと言われているから」
「なぜ、だめって言われるの」
祖母はマカロフが怖がらないように優しく静かに笑っているだけであった。
それから彼はゲートの向こうに何かとてつもない恐ろしい魔物が住んでいると想像していた。
ハイスクールの授業で、当時の事故の要因を公開されているものだけ少し知ることができた。
無性生殖だった水生ミミズが有性生殖へと変わったこと、胸に赤い羽毛をもつツバメが突然増え、急に絶滅したこと、人は数千年先も暮らすことができないこと。
「宗教、国境、人種を越えた理想とする組織の連合軍が形となってから六年。しかし、その軍隊が命令系統の不備、兵器の効果的活用など思うように戦果が上がっていない。それどころか、歴史上ありえないペースで多くの人々が犠牲になっている、人類は数十年前『南極の動乱』を経験した、一部のエリート集団と言われた学生らが起こしたバイオテロは記憶に新しいことだと思う、そこで我々、人類が得たモノは何か、それは恒久の平和ではなく、殺戮兵器の大量生産、そして兵器開発競争という愚行だ、あれから紛争という名目でどれだけ多くの命が散った事実をご存じか」
マカロフの言葉は続く。
「そして、その命が今も細いろうそくの火のように消えている。豪州戦線では最新鋭の戦闘機が十三機も落とされてしまった。北米アラスカ戦線では、言わずもがなだ」
「ここまで敵に追いつめられたのは極東軍事顧問の君にも責任があるだろ!」
「このような奴が軍事顧問にいるのは間違っている、強く解任を求める!」
小汚い野次が議場を荒らしていく。
「マカロフ君、この戦争を仕掛けてきたのは、奴らの方だ、前時代の孫子の兵法にあるように初戦に勝つことは後に戦局を左右する重要な要素となるという、我々は初戦の段階でもう押されているのだぞ!」
「いいや、それとも仕掛けてきた相手が負けることの方が多い、昔からその手を使った冬の戦略は得意だとマカロフ君はうそぶくのかね」
会場に嘲笑が沸き起こる中、突然パネルにフランク小隊が撮影した妖精パックが映し出された。
会場の野次が一瞬にして静まった。
マカロフは、野次に耳を傾けず話を続けた。
「さらに彼らは進化している、この敵人型の生物がいい例だ。飛行速度、旋回能力、攻撃パターンの多様さ、そして、予想していなかった武器の使用、まるで、我々の姿を模倣したかのような存在である。それに比べ我々は前世紀の核戦略論議だ。ここで、私は軍事顧問の立場をかけて次の意見を述べたい。もし、議場の皆がこの意見に賛同してもらえない場合、私は即刻この地位を退く覚悟でいる。そして今、戦場にいる兵士のところへ一秒でもはやく合流し銃を手に取り戦うつもりだ」
「無能な老いぼれ軍事顧問は最前線に行け」
進行役のブラジル国、セルジオ事務総長は、再び野次に沸き立つ会場を何とか静めようと懸命であった。
「静粛に、静粛に願いたい、ミスターマカロフ、君の考えを話してくれたまえ」
「我々の兵器も進化しなければならない。ここに私は、『高機動騎兵部隊』創設を進言する。それも早急に配備することが前提である。新型兵器の集中活用、そして、各国生え抜きの人材による遊撃部隊を組織することである。まず、これをご覧いただきたい」
画面いっぱいに金属の光沢が広がり段々と全体像が映し出されていく。
議場の皆が、アリゾナ州の基地で撮影された今までの常識を覆した一台の兵器と気付くのにそう時間はかからなかった。
砂塵を巻き上げ、巨大な鋼色をした機体は高速で移動を開始する。障害物をよけながら数十メートル横滑りをし続け、急激な反転を見せるとターゲットとなるトラックを次々と右腕にもっているショットガンのような銃器で破壊していく。そして後方のバーニアが一閃する度、小さな翼を背負った重厚な機体が軽々と宙に数秒浮かび、ターゲットである高速ヘリを撃墜していく。
場面が変わり、雪を抱いた山々に囲まれたカムチャッカ州ビリュチンスク空港が映る。
駐機場の中心に全高十メートルほどの細身の機体が立っている。先の兵器に酷似した人間で言う顔を持ち、背中のブースターパックから伸びる翼はまるで天使の羽根のように左右に広がっていた。機体の周囲にいた作業員が待避所に移動を終えた時、その細身の機体は翼を発光させると、もうもうとした煙を残し、瞬時にカメラの視界から消えた。
あれだけ、騒がしかった国連の議場は、己の息の音が聞こえるほどの静寂に包まれた。
「次世代高機動兵器『マイト・アニメィテッド・オブジェクト』MAO。その性能の一端をご覧いただいた。しかし、まだ、これらは試作機の段階である。そのことは、承知願いたい」
「なぜ、このような兵器を早く発表しなかったのかね」
「詳しい説明については、この試作兵器の開発責任者、チェコのコム・ラージュ博士をお呼びしている。このことに異議はないでしょうな」
異議がでるはずはない。
議場に貧相なカイゼル髭を生やした癖毛の老人が出てきた。
演台の前に立つと顔を鼠のようにめまぐるしく動かし、議場の様子を伺った。そして一通り確認がすむとこう言った。
「随分と客人を待たせることが得意な方々ですな。先ほどから聞いていると野次、野次、野次。これが世界の代表者の集まりだと思うと同じ人間として大変恥ずかしくなる。はじめに言っておくが、政治家、軍人の皆さん、民はあなたたちが偉いと思っているわけではないのだ、あなたたちの地位に対して頭を下げているのだということをいつも念頭に入れ発言、活動をしてほしい」
まわりの首脳や大使は苦笑する何人かをのぞき憮然とした顔つきに変わった。
「今時、ぬけぬけと会場に入ってきている者もいる。そんな代表だから人々は未知の生命体にいいように殺されているのだ、あぁやっと席についたな」
コム博士は大きく咳払いをしてからおもむろに話し始めた。
「我々はこの計画を『夏の瞳』計画と名付けている。なぜ、この兵器の存在を隠していたか質問されていた方がいましたな。簡単なことだ。この人型兵器のコンセプトは前世紀から存在している。『ロボット』、そう我が国の聡明な作家が名付けた物だ。先の『南極の動乱』においては既に、私の年下でもありながら恩師でもあるカーネル小栗という偉人により開発された『シロガネ』と呼ばれる小型の二足歩行兵器もあった。だが、その情報は動乱の終息後、米国の情報機関が独占し、欧州に住む我々が後の開発に携わることが一切出来なくなった。それ故、各国のもつ特殊軍事技術を交流することなど考えられない状況が続いたのだ。現に、その独占した情報さえも、カーネル小栗の戦死後、彼だけの知る特別なプロテクトにより、『玉梓』戦闘補助システムの中心部も含め、効果的活用とはほど遠い状況にあった。使用できたのは、WMTを代表する『ヤークト・レーヴェ』のような戦車に毛の生えたようなガラクタばかりだ、形成する為の金属、動力炉、電子頭脳、全てにおいて軍事機密が高い障害になっていたことが事実なのだ、天才カーネル小栗は、その災いのもとが、後世に残ることを危惧したのであろうことは十分に推測できる」
コム博士の声が早口になっていく。
「だが、ようやく、未知の脅威によって人類の存亡がかかることにより、無駄に分散していた人類の叡智を凝縮することができたのだ、ああ、何とすばらしいことだ」
自分の話に陶酔しはじめたのか、コム博士は、話しながら辺りをうろうろとしはじめた。
「『夏の瞳』計画の中心を担う、『マイト・アニメィテッド・オブジェクト』、通称『MAO』、基本は、古代西洋でいう騎兵が元になっている。敵戦力に対し力押しの攻撃を主体とした重騎兵、偵察を目的とする軽騎兵、そしてその二つの騎兵の特徴を合わせた竜騎兵。異なる特徴を丸々新型兵器にあてはめたといえばご理解いただけるではないかね。これら三つのタイプの兵器を導入した特殊部隊を集中的に投入し、敵の本拠地を一つずつ確実に殲滅していくことを想定している」
画面にワイヤーフレームでそれぞれの機体が表示され、詳細なテクスチャーが貼られていく。
「まず、的確な情報収集と一撃離脱を目的とした機動重視の『一型テト』から説明しよう。背中に大型の主翼とエンジンを備えており、飛行の際は形態を変化させることで、高速度の移動が可能になる。しかし、可変機能に難があり、恥ずかしいことだが、先にご覧いただいた後に大破した為、この型の開発は止まっておる。自分の棺桶に金を詰めたい馬鹿の為に費用もままならない状態ではこの程度ということだ」
「次に、大型動力炉によるパワーと強装甲を備え、塔の内部突入を目的とした『二型サイベリアン』。弾薬搭載量の多い重火器をWアタッチメントシステム採用により短時間で換装可能としているのが特徴である。また、高温に圧縮したエネルギー弾を撃ち出すことのできるショートレンジキャノン、通称『アームストロングキャノン』を背中に装備していることで、万が一手持ちの弾薬が無くなっても短時間なら射撃が可能となっている。まぁ、打ち上げ花火のおまけみたいな物だがね」
「最後に最も汎用性に富み、中、長距離からの急速接近連続攻撃に特化した『三型リンクス』。一型のように単体としての飛行は無理だが、戦闘輸送機の形状とエンジンを改良したF改輸送機にコンバイン、いわば騎手として載せることで、様々な作戦行動が可能になる。また、二型のようにWアタッチメントシステムを採用しているため、敵、味方の状況、地形、気象など条件に応じ換装を行いやすくしている。このコンセプトは『南極の動乱』で使用された日本国製、いや今は米国製の兵器『シロガネ』の性質を引き継いでいる。次に、こいつが『リンクス』の馬となる、通称『ロシナンテ』」
尾翼位置が後退し、主翼後方部分が広がった戦闘輸送機『ロシナンテ』の全容が映された。
主翼の下にはエンジンが四機装備され、フォルムはフロント部分を除き従来の戦闘輸送機とは大きく異なっている。
「全長いや身長と言った方が分かりやすいな。端数は省略するが、一型が十五メートル、二型、三型が十三メートル。重量は、装備の関係があるので、幅があるのだが、空虚重量として一型が二十五トン、二型が四十三トン、三型が三十六トン。支えるための骨格・外郭は、シフ博士のハンガリーチームが開発したリドプレイオ合金を使用させてもらっている。驚くべき軽量かつ強い硬度をもつ合金が創られたからこそ、この兵器が存在できたと言っても過言ではない」
一型、二型、三型が様々な角度から映し出されていく。
「動力源の説明に移らせてもらう。炉心概念としては前世紀の窒化物燃料炉心をもとに考え出されたものだ。水素と重金属を動力炉で反応、再生させることで、理論上では無限にも近い活動時間となる。しかし、そこで増殖するプルトニウムをいかに封じ込めるかがこの開発の大きな課題でもあった。そのため、冷却系の設計は外部とのヒートバランスを考慮し、構成は予備も含めて主冷八系統となっている。炉はリドプレイオ合金の百八十ミリ、外殻に炭素特殊コーティングを幾重にも施しており、放射能漏れの恐れを極力まで減らした。」
「それでは、破壊された時に放射能汚染が広がるではないか」
議場から声があがる。
「あなたたちが、つい先程まで騒いでいた核爆発を伴う放射能の垂れ流しに比べたらましだろう。その点については、フランス・ロシア・アメリカ・日本共同チームの放射能隔壁システムを採用させてもらった。この兵器に特化させることで、航空機のブラックボックスのように、これ自体が自壊もしくは破壊されることを防いでいる。安心は約束できないがな、要はこの兵器を使用するかしないかだ」
議場はまたも沈黙した。
「最大出力八百MWT、と言ってもわかる者は少ないだろう。パイロットは基本的に一名、操縦にはそれに耐えうるだけの技量が必要だが、それはオルファン機関がどうにかすると聞いている。コクピットは、強力な特殊フルード粘性抵抗ショックアブソーバーを全方向に設置、その他に耐圧装置として……」
三時間にも及ぶ彼の話が全て終わった時、議場は大きな拍手と歓声に沸いた。中には、人類の未来に一筋の希望を見出し涙している者もおり、誰の心の中にも異論は生じなかった。
『夏の瞳』計画は、この会議をもって全ての作戦より優先的に予算と人員がまわされ、早期開発の運びとなった。
人類にとって自らの瞳で直接見ることのできない真夏の太陽。
マカロフは、安堵すると共に関係各部署にかねて決めておいた次のような短い指令を命じた。
「小猫は拾われた」
第四話「訓練所」
(一)
「お前の操縦は糞だ、糞。まわりの馬鹿共は蠅以下だ。だからホーム出身の奴は使えないと言うんだ、お前は虫の餌にもなりはしない」
強化コンクリートで覆われたシミュレータールームに、オリバー教官の罵声が反響し、周囲の者たちの鼓膜を刺激した。
ここ最近、彼の怒号から『南太平洋オルファン国際訓練所』の一日が始まる。
広いドーム型の室内中央に、球体シミュレーターが放射線上に八台並んでおり、そのうち使用されている四台が激しく全方位に回転を続けていた。
「ジョゼ、教官が何か言っているよ」
ソメユキ・カスガは、右モニターに映る訓練生のジョゼに心配そうに問いかけた。
「どうせ、あなたのことでしょ」
ジョゼッタ・マリーは呆れた顔をしながらも、マーカーで示された激しく動くターゲットをあっさりと撃墜し、スコアを上げていた。
「黙れ、二号機のジャップ!貴様の命中率は三十パーセント以下、荷物を持ってすぐにホームのゴミ箱へ帰れ」
オリバーはモニターを力一杯右手のこぶしで叩いた。
「教官、ノイズが入ります!」
慌てて教官助手のシュミット少尉が制止する。
「大事な戦闘機が落とされるよりはましだ」
シュミットは細い金色の髪を掻きあげ、大きくため息をついた。
彼には教官が朝から特に不機嫌な理由がよくわかっていた。今朝のブリーフィングで聞いた最新の情報がその原因である。北米基地の部隊が遂行していた新型爆撃弾による空爆の効果が思ったほどなかったこと、FV五十二型戦闘機が豪州戦線に引き続き落とされたこと、さらに異生物の範囲が広がってきていること、どの一つをとっても明るい話ではない。
「ジャップ!援護に向かえ」
「二号機、援護に入ります」
しかし、カスガのシミュレーション上の機体に、ターゲットからの攻撃が直撃し自機の推進力が急激に低下した。
「うわぁ!」
「かっこつけるんじゃねぇ!おい、シュミット!ターゲット百機追加」
「はい、百機追加します。でも十秒もちますかね」
シュミットは、面倒くさそうにキーボードで増殖を意味するコードを打ち込んだ。
「ホーム出身の候補生といっても所詮まだ子供です、このようなことをしていては時代遅れというものです、すぐに例のシステムを稼働すれば」
「馬鹿野郎のシュミット、イカレタ機械なんか信用するんじゃねぇ」
ものの数秒としないうち、正面に並ぶモニター全てに、『全機撃墜戦闘続行不可』の赤い色をした文字が表れる。
ブリーフィングルームの椅子には訓練を終えたばかりの四人のパイロット候補生が息も絶え絶えに座っている。
座っているというより、ようやく寄りかかっているといった方がいいだろう。長時間のシミュレーター訓練は若さあふれる身体をもってしても耐え難いことであった。
「俺、吐きそう」
「ウィル、我慢しろよ。ここで吐いたら、まだ訓練が続くぞ」
「ウィルもカスガも正面から突っ込みすぎるのよ、あんなふざけた攻撃の仕方じゃ、いつもやられるに決まってるわ、馬鹿じゃないの?」
ジョゼは、ショートスタイルにした栗色の髪の乱れを直しながら二人を見た。
「ジョゼ、君は天才、俺たちゃ……なぁ、カスガ」
「一緒にしないでくれ」
「ごめんなさい、私のせいで」
ミンが長い黒髪がかかる肩を震わせ、うつむきながらべそをかいていた。
「ミンのせいじゃないよ」
カスガはあわててなぐさめる言葉をかけた。
「ミン、泣くぐらいだったら、すぐに降りた方がいい。でもね、情けない男二人よりはあなたの方がましよ」
きつい言葉を口にしていても、彼女の顔には柔らかな笑みが浮かぶ。
「かわいい顔していつも厳しいね、ジョゼは」
ウィルは肩をすくめて言った。
ルーム入口のドアが静かにスライドし、シュミット少尉が入ってきた。ゲルマン民族特有の金色の髪と端正な顔立ちをした彼は長身の身体を少し前に折り曲げ、彼ら候補生とはちょうど向かい合う位置にある椅子に座った。
四人が、すぐに姿勢を正したのを見ると、映像端末を操作し、それぞれのターゲットと各機の位置を空間に投影し、立体的に今日の訓練の動きを再現した。
「君たちの今日のデータを解析した。見たら分かる通り、唯一、帰還できそうなのはジョゼ一人、が、脱出地点から基地まで二百キロは砂漠の中の徒歩、餓死、途中で奴らの餌になる方が苦しみは少ない」
はじめは再現された動きを食い入るように見つめる四人であったが、自分たちの機体の稚拙な動きに、ウィルはため息を大きくつき、カスガは恥ずかしそうに顔を手で覆った。一方のジョゼは淡々と目でその動きを追いながら、口の中で何かを小さくつぶやき、ミンはただ泣いていた。
「言わないでもわかるな、予定を変更し、一時間後に訓練を再開する。その前に一つ知らせておきたいことがある」
シュミットの口調が重くなった。
「今朝、指令部に戦況の続報が入った」
皆、一瞬動きを止め、緊張した面持ちでシュミットの顔を見つめた。
「先日の空爆作戦が失敗だったことは知っているな。続報というのは、この作戦に参加した『レイクレイ基地』所属の新型戦闘機が墜とされた。パイロットはオルファンホームジャパンの一期生『マモル・ヤマガタ』各地の空爆作戦にも参加していた男だ。さらに、プラント中尉率いる屈強な歩兵部隊もその半数が死傷。新型の敵に対して戦闘機は、ほとんど役に立たなかったらしい。そして以前から噂になっていた敵の新型がこれだ」
シュミットは手にしていた携帯端末のスイッチを押すと画像が切り替わり、人型をした奇怪な生き物の姿が投影された。
「人間?」
ウィルは、ぽかんと口をあけたままであった。
「見ての通り、頭、胴体、手足には指、全て我々人類と近似した型。全長は十三メートル、表面上、大きく異なる点は背中に『ハムシ』型よりも大きい四枚羽根をもっていることだ。」
「どのような動きをするのですか。」
ジョゼは右指の爪を噛むのを止めて質問をした。
「映像記録として残っているのは、空中を飛行するのはもちろんのこと、地上も二本足で高速に歩行移動する。そして、姿をくらますのもな。偵察車両、空挺戦車、全てこのタイプにやられていることがわかった。武器を使うという報告もあるがこれについては未確認だ」
「少尉、質問を続けます。なぜ、このようなタイプが今まで、それも侵攻以来確認されなかったのですか。生物兵器としてはあまりにも人間に似すぎているので」
「ジョゼ、これはあくまで私本人の意見としてだが、敵は人類を模倣したのではないかと考えられる。この、地球上で昆虫類の数は多いが、事実上の支配者は人間だ。頭の中身の方は分からんがね。その星で一番君臨している生物を模倣することで、より、侵攻しやすいという可能性は否めない。短時間の間で進化いや変異したとも考えられる、『南極の動乱』では遺伝子操作による生物兵器もあったそうだ」
「宇宙から来たのではないのですか」
「落下の様子は、多くの衛星からの情報によるものなので、間違いはない、『ボルボックス』は、耐熱、耐衝撃用のカプセルと総司令部は判断している」
「私たちの武器は敵に有効なのですか」
ミンは、大きな目を一層丸くし、一言も聞き漏らすまいという表情である。
「効いていることは記録からも確かだ、撃墜した報告もある、例えばこの映像を撮影したフランク小隊。パイロット履歴を見ると君らと違って、いわば一流の腕を持つ者たちばかり。格段にレベルが違っているのであまり参考にはならないがな」
即座にパイロットのフランク少尉、フェネル曹長、ジェシー曹長、最後に河井軍曹の写真とプロフィールが映る。
「余談になるが、この河井軍曹は、カスガや戦死した山形少尉と同じ『オルファンホームジャパン』の出身だ、見覚えは?」
「いえ、ありません」
カスガには見覚えのない顔であり、河井軍曹や山形少尉は自分が入所した時には既に訓練所に送られていたのではないかと思った。
「現時点で確認できていることについてはこれで全てだ。それ以外の攻撃力、硬度その他については、まだ調査中のものばかりであるため分かり次第知らせる。明日のシミュレーションには、この人型兵器のデータを分かる範囲で追記しておく」
「あの……軍の最新鋭機があまり役に立たないってことは」
青ざめた顔のウィルは怖々と質問をした。
「その続きを聞きたいか、ウィル……」
新たな敵の出現は、四人の少年と少女の繊細な感情を無造作に逆撫でした。
(二)
時計の針は既に零時を回っている。
大きな口を開けて気持ちよさそうに寝ているウィルの隣のベッドでカスガは何度も寝返りをうっていた。
(新型機が役に立たない敵、俺たちの訓練は何なのだろう)
夕方にシュミットの見せた映像が何度も頭の中で繰り返された。だからといって枕元にある実戦教本を読む気もおきず、何となく手にとっては置く。身体を起こしカーテンの端を少しだけ開けると、自分たちとは別の班の小さな子供たちが初めての夜間飛行の訓練に向かおうとしているところであった。
(あの子たちも乗せられるんだな)
ふと階下を見下ろすと自分のちょうど真下の部屋の明かりが煌々と付いていることに気付いた。
(ブリーフィングルームに誰かいるんだろうか)
カスガは私服のまま、廊下に出、階段を静かに下りた。部屋の扉に付いた円形のガラス窓をそっと横から覗くと、ミン・シャラットがパイロットスーツを着たままの姿で一人、人型生物の映像を深刻そうな眼でじっと見つめていた。カスガは扉の右横に位置した開閉パネルに軽く触れ、部屋に入っていった。
「ミン、どうしたんだい」
「きゃっ!」
背後からの突然の声にミンは、椅子から飛び上がるようにして驚いた。
「カスガかぁ、やだ、もう驚かせないでよ」
「こっちが驚いたよ、こんな遅くまで何してるんだい」
「それはカスガも同じじゃないの」
「もしかして、ミンも眠れなかったのか」
「うん、いつか私たちが戦うのはこの新しい敵だよね」
「多分、間違いないと思う」
「私、このままだったら死んじゃうのかなって考えると怖くなって……でも、死んだらお父さんやお母さんに会えるのかなって……そうずっと考えていたらこの時間になったの」
「死んだらなんて、考えちゃだめだよ、オルファンホームのみんなの中から選ばれてここにいるんだから」
「私たちの後にはまだ、いっぱい子供たちがいるわ。さっきも昨日来た子供たちが嬉しそうに訓練機に乗ろうとしているのを見て……もちろん私よりもずっとうまく戦える子だっている」
「ミン、うまく言えないけど、そう考えちゃだめなような気がする。僕だって、本当だったら死んでいた。食べる物だってなかったし、良いか悪いかは別にしても、僕はオルファンホームがあったから、生きていられたんだ。もし、僕たちが負けて死んじゃったら、また僕たちのような子供たちが増えるだけだよ」
「それは、わかっている、それは、わかっているんだけど」
映像の中の『パック』は眼のない顔で二人を見つめたまま静止していた。
それから二か月。
訓練機コクピット内のミンは、操縦桿を前に押し込みながらミサイルのトリガーを引いた。間髪を入れずターゲットに命中、四散する金属破片。続けてジョゼの連続攻撃、地上に設置されたハムシ擬似型のターゲットにミサイルを撃ち込む。画面下のスコア値はその度にどんどんと上がっていった。カスガやウィルは、敵に追尾させながら機体をハイG反転させ着実に破壊していく方法を駆使している。
風船のような形をした浮遊ターゲットは攻撃こそしないものの、地上からのコントロールにより、波状、挟撃と虫たちのありとあらゆる動きをできるかぎり正確に再現させている。
「連中の戦闘ポイントはどれだけ上昇している?」
「一月前の三倍です、良い感じです、さすがシステムの申し子です」
「その言葉は使うな」
オリバー教官はシュミットの横に立ち、上空に飛ぶ訓練機を仰ぎ見た。
音声回線からは、陽気なウィルの声
「少尉!これでおしまいですか」
ここ数日、オリバー教官は大声を上げることが少なくなった。
「ミン、カスガ、ウィル、ジョゼ、四人とも連日の訓練の賜か、めざましい成果をあげています。オルファンホーム出身のメンバーとはいえ、ここまで短期間のうちに能力をひきだすとは、教官はさすが新兵訓練の神様ですね」
その報告にオペレーター役のグラ嬢も口添えする。
「機体各種操作、ターゲットへの反応値、破壊数、圧力への耐久度、どれもいい結果です。この値だったらいつでも前線に配属できます。それにしても、オルファンホームの教育プログラムというのはおそろしいものですね」
意味深げにグラ嬢は笑った。
「幼児期、少年期からの戦闘能力育成プログラム、私もはじめに聞いた時、人間から悪魔を生み出すことかと思いました。でも、これを見ると我々を救う天使を生み出したのかもしれません」
二人の言葉にオリバーは、何も言わない。
「教官、そろそろ『レイクレイ』より連絡が来る頃です」
シュミットは、白々しそうに話を切り替えた。
「レイクレイか、前に河井なんていう糞がいたな」
オリバーがようやく口を開いた。
「河井?例のここ出身のパイロットですか、珍しいですね、教官が過去の連中のことを言うなんて」
「あの子犬どもの操縦ぶりを見ていたらな、似ているんだ、糞ったれぶりがな」
「私たち何人この施設から出て行くのを見たのかしら」
グラ嬢の一言はシュミット、オリバー二人の間にしばしの沈黙の時間をつくった。その雰囲気を断ち切るかのようにシュミットは四人の訓練生に回線をつなぐようグラ嬢に求めた。
「オベロン面したウィル、さらにターゲットを三十機追加、それも、妖精パックパターンをプレゼントしてやろう」
「了解、BGMをリクエストしていいですか!メンデルスゾーンの真夏の……うぉわ!」
彼らの訓練の様子を見ている者は他にもいた。
初年度の飛行訓練プログラムを受けている十歳前後の子供たちである。
「うわぁ、早く乗りたいな」
子供たちは訓練機が上空を通過する度、大きな歓声を上げた。
「僕が一番先に乗るんだ。気持ちいいだろうなぁ」
一人の青い眼の少年が訓練機ごと空全体を包み込むように両手を広げて言った。
「ユキザネくんには無理だよ、僕が先に乗るからね」
「僕が先だい」
「私よ」
年端のいかない子供たちは自らの棺桶となるかもしれない機体に、幼くはかない夢を追い求めていた。
この日の午後、パイロット候補生四人に、北米『レイクレイ』基地への配属通知が届いた。
第五話 「ならず者」
(一)
唯一、彼が士官になってから持ち込んだ私物、二十世紀製の小型ステレオから、アート・ペッパーの少しかすれたサックスの音が奏でられる。
レコード盤で聴きたいところであったが、彼はそこまで望めないことを知っている。ネバダ州グルームレイク・ミード陸軍基地の兵舎で極上の音楽が聴けるだけでも、業火の中でハーゲンダッツを味わうよりさらに贅沢なことなのである。
歩兵連隊長のジョン・プラント中尉は『風の城』作戦の概要が記されたファイルを、自室のソファーに座り肘掛けに左肘をつきながら眺めていた。
豪州ウルル地区に出現した巨大な『白蟻の塔』風の城に向けて一斉爆撃のあと、C八六大型輸送機による戦車、装甲車、重装備歩兵の降下、装甲攻撃ヘリによる地上攻撃、妖精群に対してはF五十二型戦闘機部隊の迎撃、殲滅戦としては見るからに完璧な作戦であった。
「景気よすぎる話だ、短期間でこんなに数が整う訳がない」
机上の空論に振り回されて部下を無駄死にさせたくない。戦場にいる上官なら一部の狂人を除いて誰だってそう思うだろう、彼もまた同じ考えであった。
組織の上層部の思惑と現場の混乱はそれこそ前時代から、どこの国でもどこの組織でも繰り返されるものだ。ハムシと妖精の知能、攻撃力を見くびってはならないことは、今までの戦闘で十分語り尽くしている。
数十年前、彼が新兵として南極で見た悲惨な光景は、忘れられる記憶ではなかった。凍った兵士の死に顔はどれも直視できるものでなく、恐怖にゆがんでいた。
(あの場所で見た兵器も生物だった……)
アートの曲が甘くゆるやかな『イマジネーション』に変わった。
彼が新たな頁をめくると降下する兵器群の中に見慣れない兵器コードが書かれているのを見付けた。二小隊投入予定となっている。
「MAO?何だこいつは……」
巣穴への最終突撃体形は、戦車隊だけではなく、この奇妙なコードネームをもった小隊を中心に構築されている。プラントは、他の頁にも目を通してみたが、どこにもその詳細については一言も触れられていない。
「連中、出し惜しみしてやがるな」
一人愚痴をいってもはじまらないことに気付いたプラントは、頭の中で命令書の内容に忠実な動きをシミュレートしていった。しかし、どうしても突出した動きで侵攻する自軍兵器のイメージを掴むことができなかった。
思案の時を妨げモニター通信のコールが入った。プラントはステレオのボリュームつまみを回して下げ、回線を開くと見慣れた男の顔が画面一杯に映った。
「よう、糞プラント、また、しみったれた曲を聴いて一人遊びしてんのか、てっきりベガスで部下の弔いがてら飲んだくれているんじゃねぇかと思ったぜ」
連合軍技術開発部のサラム技術官からの通信であった。
初老にさしかかろうとしている彼は旧イスラエル出身で、プラントとの付き合いは古く、戦場の猛者たちからもその髭の形から『オッター(川獺)』の愛称で親しまれている。
「オッターの親父さんに、この曲の良さを説明しても無駄だな。まして奴らの弔いの度に飲んでいたら、金がいくらあっても足りやしねぇよ」
「へっ、かっこつけやがって、ところでよう、そんな俺たち技術開発部が寂しいお前さんに良い彼女を紹介してやろうと思ってな」
「親父さんの娘ならごめんだぜ」
「お前に子供五人ももった娘の面倒をみれんのか、そんなかいしょもねぇくせに生意気言うんじねぇ、自慢の俺の娘より、すげぇ奴だ、今しがた、うちの整備場に届きやがった、お前さんが一物弄っている時にこっちは徹夜で整備マニュアルとにらめっこよ」
「新型の兵器か?」
「勝手に妄想してやがれ、明後日付でお前らの隊に二機だけ優先的に配備が決まったそうだ。その前に隊全員に朝一で見せてやる、その時間だけはケツの穴洗って空けておけ」
「隊全員でか、俺たちが無理して犠牲を出しまくった特別手当のつもりか」
「ああ、良い女はみんなで見て楽しまないとな、ブルートを行かせる。そいつのリムジンに乗っかって来い、それとゴムとティッシュは用意してないからな、病気をもらっちまう奴がいるかもしれねぇ」
「オッターインダストリアルのサービスは全て有料ってやつか」
「あっはっはっは、あたり前じゃねぇか、それじゃぁな」
オッターとの通信が終わった。
「親父のあの声……よっぽどすげぇものらしい」
プラントは、興奮したオッターの顔を頭の中で振り返りながらステレオのボリュームをゆっくりと上げていった。
(二)
早朝、送迎用の通称『キャデラック』が兵舎の前に着いた。
運転手のブルートは、プラント隊の面々を座席の無い鉄板を敷いただけの広い荷台に押し込むように乗せた。
兵器輸送用トラックなので尚更、岩砂漠での乗り心地は最悪である。
「ブルート、何なんだ、その噂の女っていうのは、こんな糞早い朝っぱらから見る価値はあるんだろうな」
「俺をブルートと呼ぶな。偉大なるカシム様と言え、お前らみたいな童貞野郎にゃ、もったいないねぇよ、親父の話だと、俺たち『ならず者』部隊の話を聞いて彼女たちの方が気に入ってくれたらしいぞ」
「ウーイ!」
兵たちは嬉しそうに吠えた。
「俺だったらお前らみたいな掃き溜めの糞はごめんだけどよ」
「その、残りかすがお前だ、糞ブルート」
ブルートと呼ばれている巨漢の運転手カシム・ゴンザレス曹長は、突然力一杯にブレーキペダルを踏んだ。その為、冗談を飛ばしていた兵達は皆、前方の運転台まで荷台の上を転がるはめとなった。
「カシム様の朝の準備運動は手荒いな」
助手席のプラントは、後ろの荷台を振り返りながら、大声で笑った。
「中尉、これでも足りないくらいです、もう一発かましますかい」
「やめてくれ、二日酔いの俺の頭に響く」
輸送トラックが目的地の半地下型兵器庫の前で止まった。
「乗り心地は最低だったな」
「ブルート、てめぇの素晴らしい運転だからだろうよ」
「明日から大統領付きの運転手になれるぜ、ペット専用のな」
ブルートが荷台にいるチェ曹長らに中指を立てる。
「降りやがれ、お前のくせぇその身体、ぶちのめしてやる」
他の隊員もチェとブルートのやりとりを楽しそうにあおっていく。
「俺の香りはジャスミンだぜ、何ならてめぇにケツごとかがせてやろうか」
「やめやめ、チェ、お前の負けだ、奴のケツの匂いに勝てるヤツはオッターの親父さんくらいなもんだ」
そう言いながらプラントは助手席から滑り降り、ゲートの前に立つオッターとウォルフガング整備士の所まで近付いて行った。
「おはよう親父さん、自らの出迎え付きなんて珍しいな」
「よう、プラント、彼女に会うってのに、その面は何だ、目脂が付いているぞ」
「それは悪かった、こういうじらされる経験が少ないもんでな、で、その彼女はどこなんだ」
「だから若いのはいけねぇ、物事にはなぁ順番ってもんがあるだろうよ」
「親父さん、元気だなぁ」
「おめぇさんこそ、どうした、この前のアラスカでそんなに肝冷やしたのか、数少ねぇ南極の生き残りヌーブにしちゃ、珍しいもんだ」
「肝は冷やさねぇが、生で大量に見てきたぜ、今年の親父へのクリスマスプレゼントは奴らのキュートな写真集だ」
「いらねぇよ、おめぇさんの毛の生えた肝だったら見てみたいもんだがな、おっ、準備ができたようだな、さぁ、彼女に会ってもらおうか、ウォルフガング、ゲートを開けろぃ!」
「イェッサー!」
ウォルフガングがゲート右にある装置にコードを打ち込むと、格納庫の扉がきしんだ音を立てながら左右に開いていった。
プラント中尉らは格納庫内の噂の彼女の大きさと異様な姿に目を疑った。
「こりゃぁ」
そこには、二機のMAO二型試作機が大型トレーラーの荷台に片膝をついた姿勢で兵達を見下ろしていた。バイザーの付いたヘルメットを装着した巨人兵、背中に装備された太く短い砲塔が無骨な機体の印象をさらに引き立たせている。
「ロボット……親父よ、やけにでかい彼女だな、似たようなこれよりも小せぇ奴なら南極でも見たが」
「おっと、まだ指付けんじゃねえぞ」
ならず者部隊の者たち全てが、その巨大な姿に圧倒されていた。
「見ての通り全部で二機、ただし、このうちの一機はリザーブだ、どうだい、気に入ってくれたか」
「あぁ、こんなセクシーな女、生まれてから一度も見たことがねぇ」
「うぉー。」
兵から歓声がわきあがった。
「誰が乗るんだ?」
「俺に決まっているだろ」
「オッターの親父!俺を乗せろ」
「喜ぶのはまだ早いぜ、汚い手で触るなよ糞たれども、お前らに本当の女神を紹介してやる、おい、挨拶しろい」
「はい」
黒く塗装された二型の頸椎部下のコクピットハッチが静かに開き、プラント達の前に小さな天使が降り立った。
第六話 「出会い」
(一)
失望の色とは何色だろうか。
河井は、目の前に揃って立つ新人パイロットの顔を見て絶句した。
ウィル、ミン、カスガ、ジョゼとも表情にまだ幼さの残る少年と少女であったからだ。特に、東洋人の二人はまるで中学生ではないのかとさえ河井は思った。
手元のファイルに記された搭乗経験は、ほとんどがシミュレーターによるもので、訓練機での操縦経験はほんの五十時間にすぎない。訓練に使用していた兵器もダミーのミサイルである。空中を自在に移動する妖精に対しては、無意味なレッスンと言っても過言ではない。
(むざむざ殺されにいくようなものじゃないか)
四人の真剣な眼差しが余計に河井の心を複雑にさせた。そして、経験未熟な少年兵を逐次投入するえげつない行為に、この対侵略戦争の敗北が確約されたも同然だと思った。
ありきたりな自己紹介の間、終始河井は黙していたが、最後にただ一言告げた。
「不幸なことだ」
ありきたりな美辞麗句、もしくはオリバー教官のようなスラング混じりの叱咤の言葉だと思っていた四人は、自分たちのいる世界が今までと全く異なっていることをこの一言によって知らされたような気がした。
(二)
カスガはF五十二型戦闘機と空にいる。
エドモントンシティの空はどこまでも青かった。川は陽の光に照らされ銀色の帯となり、ロッキー山脈の山並みは永遠に地の果てまで続いているかのようにさえ見えた。街の中心部だけ黒く大きな焼け跡を残していたが、そこだけ視線をそらせば、すばらしくきれいな都市だと思った。
戦闘訓練での隊長の河井は圧倒的な強さを四人に見せた。相手の機体を一瞬見失った瞬間に撃墜アラートがHUD一面に表示される。
以前、河井と同じ部隊だったヤマガタ隊員はそれ以上の技量の持ち主だったらしい。カスガは同じ航空部隊の上司、ジェシー軍曹から聞いた話を思い出していた。旋回する度に細い筋上の飛行機雲を翼の先端から引く目の前の隊長機は、誰が言うまでもなく彼らにとって圧倒的な存在となっていた。
興奮と至福の時間はあっという間に終わった。
「子犬ども全機に告ぐ、パック出現を確認したとの入電あり、アラスカ戦線の生き残りのようだ、場所は、これからレーダーに示す」
河井は目標の位置を少年達に知らせた。数は確認されているだけで二体。
いつもおしゃべりなウィルも初めての実戦への緊張感に口をつぐんだ。
「ジョゼ、お前は基地へ戻れ」
「どうしてですか。大丈夫です」
「説明は後だ、戻らなければ連合軍法施行規則第三十一条四項により、処分する」
「……わかりました。ジョゼ機、これより基地へ帰還します。」
三十一条の四項、上官への命令に背く者は独房行き最悪であの世行きである。幼少の頃からホームでたたき込まれた条文であった。
その時、ジョゼを帰投させた理由は隊長の河井以外わからなかった。だが後になって機体警告プログラムの誤作動により、第四エンジンの出力低下がパイロットに知らされない状態だったとカスガらは耳にした。そのままのコンディションで、あの場所へ散歩していたら間違いなく子犬のジョゼは死んでいた。
河井とカスガ、ミンとウィルの四機は灰色の積乱雲の中に高速度で突入していた。
訓練を兼ねた哨戒であった為、搭載武器はポッドに積んだ四発のミサイルとバルカン砲のみ、さらにフランク小隊の出撃が機体整備の関係で遅れているとの連絡も重なり、あきらかに状況が不利になる戦闘が予想された。
敵は空中にいる。
「全機、目標に対し攻撃開始」
「了解!」
カスガは、目の前がエドモントンの景色より輝いてきたように感じた。
「着弾!」
河井の声と同時の爆風が少年たちの搭乗する機体をわずかに震わせた。
「全機、もっと高度を上げろ、奴らの動きを見ろ」
前方から飛んできた光球がミンの機体の横を、音をたててかすめていった。
「隊長、奴ら武器を使っています」
スピーカーが割れんばかりにウィルの驚愕した声が響く。モニターには白光球のようなものを金属棒の先から次々と撃ち出している妖精パックの姿が映っていた。
「魔法の杖……」
ミン・シャラットは、敵の上空を一度高速で行き過ぎ、機体を大きく左に旋回させながらHUDの表示を確認した。赤い光点の数は全部で二つ。
F五十二型戦闘機のエンジンは夜の女王のアリアを甲高い悲鳴で歌い続ける。
タイミングを見計らってミンがトリガーを引くと、ミサイルがボーガンの矢のように妖精に向かって真っ直ぐ突き進んでいった。最初に河井の攻撃を受けていた一匹はろくに避けることもできず、空中に醜い身体を散らした。
「やった!」
一方ウィルの放ったミサイルは、誘導する間もなく、空に煙の弧を描きながら妖精の横で大きくもつれ、レーダーから消えていった。
「畜生!なんであたらないんだ!」
ウィルは大きく首を振って、自分の不甲斐なさを嘆いた。ウィルとカスガのミサイルは、ことごとく目標からはずれていった。
河井は、攻撃をかわす合間、HUDに小隊一人一人のアドレナリン値など肉体に関する情報を表示させた。予想通りカスガとウィルの数値は正常範囲をゆうに超え、極度の興奮状態に陥っている。
「ウィル、カスガ聞こえるか」
「は、は、はい、隊長!」
「ヒャァー」
「薬を使え」
鎮静剤は装着したヘルメットの右耳後部にセットされており、手元のスイッチ一つで、自動的にパイロットに無痛注射される仕組みになっている。カスガとウィルはすぐに刺した。
一瞬、ふわりとした感覚が頭からつま先まで通過していき、数秒もたたないうちに、二人はゆっくり息を吸い込むことができるようになった。
「情けないな……僕は……」
カスガは自分のだらしなさに舌打ちをしたが、ウィルは薬の一時的な効き目に狂喜した。
「子犬たちは小屋にひっこんでな」
通信にフランク小隊のジェシーの声が飛び込んだ。ようやくレイクレイ基地から支援三機が河井の部隊と合流した。
「お嬢さん、やるじゃないか」
「フランク隊長、うちの小隊にスカウトしましょうよ」
「よし、ここでうちのジェシーと緊急トレードだ、飼犬いいな」
「少尉がそう言うのなら」
「おい、冗談じゃねぇぞ」
それからわずか数分で今回の戦闘は終わった。
彼らフランク小隊に助けられたことは、飼われた子犬たちにとって、とても幸運なことであった。
(三)
マカロフ極東軍事顧問の提唱した『夏の瞳』計画は、軍のその他の計画をさしおいて、優先的に予算がまわされている。そのため、コム博士を中心とした研究者グループのラボをはじめ、今まで滞っていた兵器の開発ラインなど一様に活気に沸いた。
生産ラインの責任者たちもデータによって形成される実物の試作を見て、今まで想像もしていなかったほどの衝撃を受けた。自分たちが神となって土塊から人間を生み出しているかのような錯覚にさえ陥った。
次第に情報の詳細が各部署にも公にされ、兵士の間にもその噂は広まった。特に彼らの間では、ある一つのことに話題が集中した。
「誰がその新兵器を扱うか」
ということである。
河井小隊がいるレイクレイ基地でも違わずその話題でもちきりであった。
「おうい、なぁに落ち込んでるんだよ」
訓練後、通路のソファーでうなだれているソメユキ・カスガを見て、ウィルは横に座った。
「たった、一度の実戦で何がわかるというんだ、俺だって、前回の出撃ではちびりそうになったんだぜ無理もない……って俺の声、聞こえてる?」
カスガは小さくうなずいた。
「日本人の負けたあとの卑屈さは昔から治らないって、ジェシー軍曹が言ってたぜ、あ、怒ってない?俺が言ったんじゃねぇぞ、軍曹が言ったんだ、大丈夫?それより聞いたか、『夏の瞳』計画、なんかえらいすごいものらしいぜ、俺たちの乗ってるF型戦闘機シリーズが引退するんじゃないかって言われて
いるくらいだ、でも、一切シークレットだってよ、気にならないか……って、ま、元気出せよ、飯食わないの、あっ、そう……俺、外で休憩させてもらうぜ」
カスガの小さくうなずく反応を見て、軽くためいきをつきながらウィルは立ち上がりその場を足早に去った。
駐機場での整備兵たちは、戦闘機のメンテナンスに余念がなかった。ジョゼは、その中に混じり、整備兵らと端末に次々と映される数値の修正を行っていた。
「今度は本当に大丈夫なの?」
「間違いなく、第四エンジンも新品に換装済み、今度はトップで行けるぜ」
若い整備兵が嬉しそうに答えた。
「あなたのその笑顔が信用ならないのよね」
いたずらっぽく微笑み返すジョゼ。
「ジョ、ジョゼ、できたら今度映画にでも見に行かないか」
「悪いけど、私のメンテナンスは十分間に合ってるわ、それに、この戦時にどこで映画やってるの?」
「ジョゼ、こいつの映画館はくさい自分の部屋だ。それもエロ映画ばかりだぜ、俺も見せてもらった」
ジョゼのところに、両手をポケットにつっこんだウィルがゆっくりと歩いてきた。彼女はその姿を見て、談笑を止めウィルの方へ自分から歩み寄った。
「カスガの様子はどうなの」
「だめだめ、奴といい、隊長といい、日本人ってのは、どうしてみんなああ暗い奴ばかりなのか?」
「ほっときなさいよ、もしあのままの状態だったら死ぬのは彼なんだし、死んでもすぐに代わりの子が来るし、今戦争してんのよ、私はあんなことで落ち込む弱虫に付き合ってなんかいられない」
「そうだよな、俺だって人のことをかまってる余裕はないもんな」
「私たちは兵器の部品よ。余計な考えは持ってはだめってホームでそう習ってきたでしょ」
ジョゼの言葉にウィルは、何も言わず足元に転がった細く小さなボルトを思い切り蹴った。
「こうやって蹴られてどっか行っちまうのがお似合いってことだね」
ウィルがその場を離れようとした時、基地の全警報灯が赤く点滅し、基地内の緊急放送が敵の襲来を告げた。
ジョゼとウィルがブリーフィングルームに飛び込んだ時には、もう河井をはじめ他のパイロットは着座していた。二人が来ると見るやフランクは立ち上がり、中央に映る立体投影図をもとに説明を始めた。
「山田少佐からの命令を伝える。航空宇宙防衛司令部からの情報によるとターゲットは現在降下中、確認されているのは耐衝撃用輸送型『ボルボックス』一、降下予想地点はセントジョージア市街地郊外西七十キロ。レイクレイ所属のF五十二型戦闘機、全機は十六時をもって出撃、速やかに撃滅せよとのことだ」
「ボルボックス?ということは……」
「腐るほど虫が詰まった風船だ」
ウィルの思わず出た言葉にフランクはさらりと返答した。そして、限られた時間の中、全パイロットに武装換装の指示と攻撃フォーメーションについて手短に説明した。
ジェットエンジン音が高鳴る中、誘導灯に沿ってフランク機から順に滑走路へ移動を開始した。
戦闘機のコクピットにカスガが座るとやんわりと包み込むようにキャノピーが下りた。外部の音が遮断され、少しの静寂の時間ができた。
(僕は……みんなにだらしないとは思われたくない)
カスガはぐっと右手で出力調整レバーを握りしめた。
河井の機内モニターには、フランクの顔が映った。
「飼犬、管制から追加情報だ、ハムシとパックが数匹空中で放出されたらしい、俺たちは空中の奴らからたたく、この数なら心配することはない、俺たちだけでいけそうだ。先にお前と子犬は降下したデカ物を頼む」
「了解」
「かわいい子犬ちゃんたち、妖精に食い殺されんなよ。オス二匹は死んでもいいぞぉ」
ジェシーがフランク隊長に続いて口をはさむ。
「ついでにお前もだな、ジェシー」
「フェネルか、俺の大切な新兵指導の邪魔をするな」
「無駄口は終わりだ、指示が飛ぶ」
「フランク小隊、A滑走路進入終了、順次発進せよ。河井小隊、C滑走路へ移動」
管制塔からの離陸指示が入る。
ランディング中の橙色に輝く夕日に照らされた戦闘機は、金色の衣をまとう美しい風の神セフィロスのようであった。
(四)
V字編隊を組んだまま、戦闘機はセントジョージアへ飛行している。まもなく索敵エリアへ突入しようとする間際、フランクから河井にプライベートコールが入った。
「飼犬、モニターを切ったまま聞け」
「了解」
「この戦いに、『夏の瞳』の新型が実験的に投入される」
「噂の機体……ですか」
「俺たちは投入されるまでの囮だそうだ。決して子犬どもに深追いさせるな、できれば俺もそいつについての情報が少しでもほしい、帰投したら教えてくれ、あくまでも個人的な頼みだ」
「了解しました」
「よし、時間だ、糞ったれ子犬どもに幸運を」
「少尉も」
短い警告音と共に遠距離レーダーに、大きな一つの点と無数の小さな点が赤く映った。二小隊はそれぞれの方向を目指しながら左右に分かれていった。
闇が街を染める頃、『ボルボックス』と呼ばれる銀色をした半球体の物体が、電線をショートさせながら、ゆっくりと前進している。物体がゆらゆらと動くたびに地面に深く沈んでいく。道路に停車したままのトレーラーやタンクローリーは薄い紙でできた箱のようにその下でひしゃげ、黒煙と爆発音が街中に広がった。
渋滞に巻き込まれ逃げ遅れた人々が悲鳴をあげ、あわてて車から飛び出していく。その固まりの中に、勢いをつけて飛び込む妖精と羽を持った虫たち、それは小魚の群れを貪る海鳥のようでもあった。
向かってくる虫にショットガンで抵抗する男達もいたが、虫は弾が命中しても身じろぎ一つせず、撃った相手を容赦なく喰い殺していった。
「全機、フォーメーションY、ジョゼ、ミンは前方のボルボックスへ、北の幹線沿いに避難民がまだ残っている、南側後方からのクラスター弾は極力使用するな。カスガ、速度が落ちている、一気に高度を上げろ」
「了解!」
ジョゼとミンの機体は、地上の看板や建築物を衝撃波で吹き飛ばしながら高音速で突き進んでいった。
HUDには、円が次々と現れ、敵が間際に迫っていることを告げる。
前回の戦闘でミンは奇跡的な成果をあげ、そのことがいつも弱気な彼女に強い自信を与える結果となった。身体全体にかかる圧力と戦闘昂揚の快感にミンはしばしの時間、酔いしれた。
「いける」
ロックオンのマークが、開花したように画面上に広がった時、ジョゼとミンはほぼ同時にトリガーを引いた。
「墜ちな!」
ジョゼが叫んだ。
ポッドから一斉に発射されたミサイルは、白い尾をたなびかせ、敵に向かっていく。着弾を示す「HIT」の文字がモニター上を乱舞した。
数秒前まで夕闇に包まれていた街が、真昼のように明るくなり、銀色のボルボックスは炎の波間に浮かぶオブジェと変貌した。
停止したボルボックスの中から、しみだすように羽根を生やした銀色の妖精が生み落とされていく。手、頭、上半身、中には頭から地面にずり落ちる個体もいる。止めどなく内部から溢れ出る粘液は周囲の炎の勢いを弱めていった。河井は機を逃さず次の指示を出していく。
「ウィル、カスガ、続けてボルボックス本体へ爆撃、その他は各機散開し周囲の虫を掃討する、敵との距離、高度は保て」
ハムシとパックが羽音をたて、一斉に空に舞い上がった。急反転をしておそいかかるハムシの群れを河井は避けながら空対空ミサイルとバルカン砲を撃ち込んでいった。
ウィルとカスガ機は、決められていたとおり高高度からの急降下爆撃を行った。ミサイルは、地上目標上で炸裂し、生まれ落ちたばかりのパックは高熱により、焼け焦げていった。
「思ったよりあたるじゃないか、余裕だぜ」
攻撃に成功したウィルが喜びの声を上げた。
再度、二機が爆撃の体勢を整えようとした時、地上から新たな物体の存在を知らせる警告音が鳴った。ボルボックスのすぐ横で大量の土砂が間欠泉の熱湯のように上空に吹き上げられた。
「隊長、地中から何かでてきます!」
河井のモニターには大きな牙を備えたあごを持ち、金属質の外皮をまとった全長八十メートルはあろうかというゲジに似た生き物が突如現れた。
虫の頭部にあたる部分はより黒く、巨大なケラのような二本の前足と腹部からの細く長い無数の足。それらがざわざわと動き、しきりに土砂を吹き上げさせていた。
戦闘機の攻撃で傷ついた虫たちは、その巨大な虫に取り付くと染みだしている液を身体にまとわりつかせた。
「はじめて遭遇するタイプだ。全機さらに高度を上げ、高高度からの攻撃に変更」
「了解」
経験とはこんなに重要なことであったのかとカスガは改めて思った。前回の戦闘では何もできなかった自分が、今は前より目を開けていられる時間が長くなった。そして、冷静になればなるほど、自分の顔が無表情になっていることに気が付いた。
(隊長の顔だ……)
「僕はできる……できるんだ、子犬だって、小さい牙をもっていることを教えてやる」
カスガは、ありったけのミサイルを新種の標的に放った。
「あー、あー、こちら、北米高機動騎兵部隊長ジョン・プラント、飛ぶ犬ども、その辺のハムシとパックは片付けてくれたか」
全機に通信が入り、レーダーに味方の大型輸送機の機影が映る。
「いえ、動きだけは何とか止めています」
「ありがとよ、それで十分だ。後は基地へ戻るこの輸送機だけを護衛してくれるだけでいい」
「了解、ジョゼ、ウィル、ミンは輸送機の護衛任務につけ、カスガは本機と上空で待機」
「了解」
ジョゼ達はその命令に少し疑問を抱きながらも、ポッドにミサイルを残したまま戦線を離脱していった。
(五)
輸送機の格納庫の中では二つの大きな金属の塊が固定されていた。
「さぁ、レディーファーストだ」
「ありがとうございます、プラント中尉」
「中尉、早く片付けてきてくださいよ、先に基地で一杯やっています」
「俺たちの分は残しておけよ」
「イェッサー」
「よし、『MAO』テイクオフ」
輸送機の後部ハッチがゆっくりと開き、二機の黒色の人型兵器が床を滑るように落ちていく。
自由落下の二秒後、背中に装備されたバーニアがきらめいた。
落下速度が急激にゆるむと、両機はタイミングを合わせたかのように、巨大なライフルを構え照準を目標のボルボックスに向けた。
地上に降り立った瞬間、轟音と共に二丁のライフルが強烈な光を発する。ライフルの反動は強く、巨大なMAOの脚をかかとから後ろの部分を大地にめり込ませていった。
放たれた弾丸はボルボックスの銀色の上半分をきれいに吹き飛ばした。
「ボルボックスの破壊を確認、残ったハムシの掃討を開始します」
目標の破壊を告げた僚機パイロットの声に、プラントは先を越されまいと焦った。
「やけに早いじゃないか、無茶してんじゃねぇのか」
「いえ……プラント中尉は新種の敵をお願いします」
「お、おう」
土煙を後ろにたなびかせ、氷上を舞うスケーターのように地上を滑る機体。プラントのMAOは多足タイプの敵を正面にとらえられる場所で停止した。
「アームストロングキャノンを試してみるか」
プラントはそれまで使用していたライフルを地面に突き立て、人間でいう肩胛骨に付いている砲塔を右肩上に自動移動させた。
軽い振動と、にぶい金属音がアタッチメントに砲塔が固定されたことを知らせた。
プラントのHUDに、ターゲットマーカーが点滅する。多足型の敵は、何匹ものパックをまとわりつかせ、地上に全体像を現しはじめた。
「よぅし、正面に捕捉。お互い新型同士仲良くやろうぜ」
プラントがトリガーを引くと、砲身が虹色に光り強い衝撃が広がる。多足生物は頭部全体が吹き飛ばされ、緑色の液体を破壊された建物の壁に散らしていった。
「こいつぁ最高だ!」
プラントは久々に脳髄に直接刺激する快感を味わった。
もう一体のMAOは、両脚に付いたポッドからハムシの群れにホーミングミサイルを射出した。ミサイルの強力な追尾システムは執拗にハムシを追い、破壊していく。生き残ったパックはステッキから次々とMAOに向けてプラズマ弾を放っていた。そのうちの数発がプラントのMAOを直撃した。
「中尉!」
「すまねぇ、油断したらいけねぇよな」
プラントは左アームの制御装置にアラートが点灯していることに気付いた。
「試作品のことだけに思ったより柔だな、さっ、早く頼むぜ」
「命令、遂行します」
プラントの搭乗しているMAOをカバーしつつ、もう一機のMAOがライフルを構えた。
「河井隊長……援護しないでいいんですか」
「二機から援護要請信号も出ていない、この分ならその必要もないだろう」
はるか上空でその様子を興奮して見ていたカスガに、そっけなく返事をする河井であった。
MAOは装備したライフルで、パックの頭部を一匹ずつ見事な正確さで撃ち抜いていく。
「敵、殲滅を確認、索敵行動に移行します」
「隊長、あの機体は……」
カスガは、あまりの驚きのために言葉の続きが出なかった。
「新しい獣だ」
それ以上のことを河井は何も言わない。
(六)
昨夜の作戦行動は人類側の圧勝に終わった。
新兵器投入後の数分での戦果は万人の予想以上の出来であり、この作戦の責任者マカロフをはじめ、皆、結果に大いに満足した。軍はすぐ新種の遺骸状況や敵の使用武器を回収し、各基地から総動員して分析作業に当たらせている。
レイクレイ基地にMAOの回収作業を終えた大型輸送機が着陸した。
ランディングを終え機体から下ろされた二機のMAOは、既に用意されていた専用大型キャリアーに載せられ第六格納庫へと運ばれていった。噂の新型兵器が搬入されたという情報はすぐに基地内の人間の知るところとなったが、一部の技術者を除き、全容に触れることは許されていなかった。
「でけぇ、機体だな。お前の彼女のケツくらいあるんじゃないのか」
ラウンジから、輸送機の大きさに圧倒されたジェシーは、ウィルの横腹を指で小突きながら言った。
「ジェシー軍曹、彼女はまだいません、あのくらい尻の大きい彼女を募集中です」
陽気なジェシーは、さらに陽気なこのウィルととてもウマがあっていた。二人とも戦場だからこそ、この陽気さが必要であることは互いに本能でわかっていたし、辛気くさい相手の顔、(ジェシーだったら河井やフェネル、ウィルはカスガ)を少しゆがめさせることにささやかな共通の楽しさを見付けていた。
「ジェシー軍曹、私たちもあれに乗ることができるのでしょうか」
「あの輸送機か、それとも、あのでっかい人形か、そうなりゃ生身の女に乗るより難しいぞ」
「どちらでも贅沢は言いません」
「その通りだ。今のお前にとっては両方とも贅沢品だ、この俺様にもな」
「ところで、軍曹。訓練の時間では」
「天才の俺には、訓練なんて必要ない、といつかは言ってみたいもんだな、お前んところ今日の午前中オフだろ、うらやましいぜ」
「機体整備が、まだ長引いているようなので」
「本当は新兵に休息なんてやる必要はないんだけれどな、赤毛のジョゼちゃんによろしく伝えてくれよ、十五歳の差なんて関係ないとね」
「うちの尻の大きな子犬の方ですね」
「そう、あと二、三年してみろ、あの子犬は化けるぜ」
「雌のパックにですか」
二人のくだらない冗談は訓練の時間ギリギリまで続いていた。
灰色の翼をもった小鳥が木の枝に止まり、戦場にそぐわない愛の歌を懸命にさえずる。
カスガは格納庫裏の菩提樹の木陰で寝ころびながら戦闘機のマニュアルをめくっていた。
(少しでもみんなより上手く操縦したい)
しかし、二、三頁開いただけで、軽い睡魔が記憶の邪魔をする。
青空と初夏の日差しは、カスガに今が戦時中であるということを一時忘れさせた。
「こんにちは」
「?」
カスガが聞き慣れない声に起きあがると、ミン・シャラットに少しだけ似た一人の東洋人の少女が小さな木立の中に立っていた。
「ここは基地内だよ、入っては駄目なところなの聞いていなかったかい」
「ごめんなさい。道に迷ってしまって、この基地に所属している『タケル・カワイ』さんに用事があって来たのですけど、どちらに行けばいいのでしょうか」
「民間人が勝手に歩くことは規則で許されていないんだ、君、どっから入ったの?ライセンスは持っているの」
少女は何かに気付いたような顔をした後、とりつくろった笑い顔で言った。
「ライセンスなら、ここにあります」
ポケットから取り出したパスを開きカスガに見せると、すぐに少女は折りたたんで元の場所におさめた。
「打ち合わせに来たのですが、初めての場所なので迷ってしまいました、次から気を付けるので、そこまでどうか案内してもらえないでしょうか」
「しょうがないなぁ、センター一階の受付から行かないと、でもよく、正門通れたね、一緒に来た人たちはどうしたの」
「荷物と一緒に来たので、まだ手を離せないのです、こっちの方でしょうか?」
やけに親しげに話す少女は、もう先を歩いていた。
「その持っている本は何ですか?」
「あ、これ?仕事の本五十二って戦闘機のことですね」
「よく知ってるね」
「乗ってるのですか?」
「あ、いや……それより君、河井隊長に何の用なの」
「隊長?あの人が?ふふっ、そうなのですか、隊長さんか」
カスガは、あわてて口をつぐむと、少女はにこりと笑った。
「あの人って、君、河井さんの親戚か何か?」
「そうです、早く会いたくて」
「君、歳いくつ」
「二十一歳になります」
「嘘はつかないでもいいよ、どうみてもいいところ中学生だろ」
「ふふふ、河井さんは何の隊長ですか、もしかしたらパイロットですか?」
「そんなこと言えるわけ……規則だしね」
「そうですよね、規則ですよね」
滑走路に目をやると、鯨のエンブレムを翼に付けたフェネル機が哨戒任務を終え、着陸態勢に入っているのが見えた。
フェンス沿いの道を二人は歩いている。ジョゼやミンとも違う雰囲気にカスガはすっかりと飲まれていた。
「そこが管理センター棟だよ」
カスガは、何棟かあるうちの三階建ての白壁の建物を指さした。
「この基地は格納庫が大きくていっぱいあるのに、管理棟は小さいのですね」
「行ってみたら分かるさ」
二人が管理棟の入口に来ると、ライフルを携えたいかつい顔の守衛に止められた。
「カスガ、一応規則なので、ライセンスを提示してもらえるか」
カスガは、自分のライセンスを守衛に差し出した。彼は手にとってそれを見、すぐに連れの少女に眼をやった。
「お嬢さん、ライセンスをお持ちですか」
たくましい身体つきの守衛が、小鳥のような少女の前に立った。
「これでいいでしょうか」
少女は自分のポケットから青い縁色をしたパスケースを取り出し守衛に渡した。守衛はそのライセンスを見るや態度を一変させ、敬礼し、鄭重に返却した。
「これは失礼しました、お通り下さい」
「ご苦労さまです」
ちょんと頭を下げ、守衛の前を通り過ぎる彼女を見て、カスガは狐につままれたような気持ちになり、すぐに小声で守衛に尋ねた。
「あの娘、誰なんですか?」
「規則なので、答えることはできない」
「あぁ、規則か……」
カスガは、自分もさっきまで同じ言葉を使っていたのを思い出した。
エレベータホールに行く途中、指紋・網膜照合装置とそれに連動するゲートが鎮座している。少女はその前でカスガの方にふり返った。
「カスガさん、ありがとうございました、ここまででけっこうです」
「何で僕の名前を知ってるの?」
「だって、守衛の大きい人、カスガって言ってたのを耳にしたから」
そう言って、少女はパスケースから取り出したライセンスカードをゲートのスリットに挿入して掌を照合パネルに乗せた。
「オールクリア、受付ニツナギマス」
ゲートの全ガードがすぐに解除された。
「ご用件は?」
モニター越しに受付の男性兵士が聞いた。
「日本国所属のタケル・カワイとの面会です」
「第五エレベータへどうぞ、その後は、ご案内致しますので、アナウンスの指示に従って下さい」
少女はにこやかな顔でカスガに手を振り、金属扉の中へ消えていった。
少女のしたことと同じように、カスガは自分のカードを装置に挿入し、掌を照合させた。
「クリア、次ニ網膜照合ヲシテクダサイ」
機械的なアナウンスが、いつものように別の照合装置を使うよう指示する。
カスガは、さっきの少女が掌だけで全解除となったことをまだ信じられない状態でいた。
「網膜照合ヲシテクダサイ」
「あ、いや、やめます、忘れ物しました」
「ワカリマシタ、アナタノ照合要求ヲキャンセルシマス」
照合装置のスイッチが切れ、ライセンスカードが挿入口から戻された。
「あの子……いったい誰なんだ」
地下エリアに降下するエレベータに乗った少女の腕時計が、アラームと淡い水色の発光で着信を知らせた。すぐに指先で小さなパネルに触れると無骨なプラント中尉の顔がホログラムで空中に投射された。
「はい」
「オフの予定変更だ、どこにいる」
「今、管理センターの地下へ下りているところです」
「コードC発令が出た。すぐに格納庫まで戻ってくれ。『風の城』がやばいらしい」
「修理の状況はどうですか?」
「一号機は整備がほぼ完了済み、俺の二号機はもう少し時間がかかりそうだな、この基地じゃ部品が調達できそうにない」
「あわててもしょうがないですね、プラント中尉、気にしないでください。私なんて今までもっと壊しています」
その言葉にプラントは、大きな声をあげて笑った。
「この年になって、年下になぐさめられるのも何だな、入口まで隊の者を迎えにやる、今度のオーストラリア旅行は長いぞ」
「わかりました、すぐに戻ります」
エレベータが目的の階に着き扉が開いた。しかし、少女は降りることなく、寂しそうな表情で地上へと戻るボタンを押した
(七)
緊急招集された河井とフランクの二人は、幹部に囲まれたものものしい雰囲気の中に立たされていた。地下司令室は人いきれで蒸していた。大山大佐は書類を持ち、ゆっくりと立ち上がると、目の前のフランクと河井に向かって静かに言った。
「フランク小隊は東アジア機動兵器開発部、河井小隊は高機動騎兵部隊に現時点をもって転属を命ずる」
突然の辞令に河井とフランクは息を飲んだ。短期間で再び部隊が再編成されることは、連合軍の中でもあまり例がなかったからである。
続いて山田少佐が早口で補足説明を始めた。
「旧フランク小隊はMAOの新型開発部専属パイロットとしてシンガポールのパヤレバル基地へ、旧河井小隊はMAOの受領及びそのパイロットとして日本のチトセ基地へこの会議終了後、すぐにC輸送機で発ってもらう」
山田少佐は司令書を手になおも続けて読む。
「君たちの乗っていた戦闘機はパイロット補充の見通しが立ったため、この基地に駐留させる。質問は受け付けない、詳しくは現地実機で確認、総司令部の方からもこの件に関しては特一級命令とのことだ、試運転が出撃となることも情勢から十分考えられることを付け加えておく」
河井は不思議でならなかった。なぜ、このような重大なことに自分達が選択されたのか。その理由を見付けることができなかった。
「河井軍曹、何か言いたそうだな」
「あ、いえ」
「許可する、言いたまえ」
むっとした顔の山田少佐をよそに、大山大佐は河井の発言を許可した。
「優秀なパイロットは世界にまだいます、少なくともこの北米にも、なぜ、そのような新型兵器で編成する部隊に私の隊が選ばれたのですか」
「簡単なことだ、フランク小隊は飛行経験も長く、全ての者が認めるエースパイロットの集まりだ、新型機のテストパイロットの人数が極端に減っている今、誰も文句のつけようがないだろう。だが、開発による犠牲者はこれ以上増やせん」
横で聞いていたフランクはその言葉に戦慄を覚えた。
「そして君たちだ、こちらはフランク小隊とは全く理由を異にしている、君たちの部隊はオルファンホームの出身者で全員構成されている、特に後から配属になった四人は、それこそ幼児の頃から育成している個体であるのだ、君たちは君たちであって、君たちではないのだ。オルファンの施設にはたくさんの予算と実験の歳月がかかっているのだよ、機動騎兵隊は最終的にその子らに全機搭乗させることが上層部での決定事項である、君たちはその中のごく一部の試作品扱いと考えてくれたまえ」
(孤児の行き着くところ)
河井は自分の心の動揺を顔に出すまいと必死に耐えた。
「今後はアジア、アフリカ、EU支部それぞれのオルファン施設出身者の高機動騎兵部隊が編成されていく予定だ、その為にも今は先行した実験の結果を積み重ねていかなければならない」
「被験者が私たち……」
「そう、失敗の許されない被験者だ、我々が説明できるのはここまでだ、先程コードCが発令された。豪州の『風の城』の動きが活発化している、先にプラント中尉らを向かわせることが、幕僚本部より下知された、君たちは兵器受領後すみやかに彼らと合流するようにとのこと、以上だ」
より純粋培養に近い実験体を、生まれてまもない兵器に乗せ戦場へ投入していく。
人類のためとはいえ、河井は釈然としなかった。そして、自分のこの世界での存在価値に対し疑問がまた少し膨らんでいった。
その日の夕方、少女は輸送機に搭載されたMAOのコクピットから、外部モニターを通して河井、フランク小隊それぞれの乗る航空機が各基地へと飛び立っていく様子を見ていた。
「予備弾薬搬入は終了している、いつまでコクピットにいるんだ」
「あ、はい、プラント中尉、私は、調整があるのでこのままコクピットで待機しています」
「無理はするな。そういえば前に言っていた知り合いには会えたのか」
「すれ違いになってしまいました」
「また、いつか会える、うちの雄犬どもが柄にもなくお前のことを心配してやがる」
「ありがとうございます、大丈夫です……あの……私、元気ですから」
少女がプラントを見て微笑む。
「その笑顔にうちの馬鹿な連中は救われている、葉月、お前のな」
プラントは右手の親指を立てて、にやりと笑いサブモニターから消えた。
「私もみなさんがいるから……」
葉月と呼ばれる少女を載せた輸送機は、この地より遠く離れた砂漠にそびえる『風の城』に向けてランディングをはじめた。
第一部「邂逅」 おわり
第二部「風の城」へつづく