第8話 遠距離通話も二度目なら
伊勢蔵之介はベッドに寝転ぶと、ギフトパネルにあるアドレス帳のアイコンに意識を集中した。
幾つも現れる連絡先から慎重に相馬琴乃を選んで意識を集中する。
「琴乃さん以外の連絡先、消した方が安全かなあ」
蔵之介が独り言をつぶやいたタイミングで琴乃の声が頭の中に響く。
「琴乃です」
声の様子から蔵之介からの電話を待っていたのがうかがえる。
「琴乃さん、遅くなって申し訳ない。いま、電話は大丈夫? 時間は取れる?」
「大丈夫です。戸締りもしましたし、お風呂にも入ってパジャマに着替えています。エアコンも入れてあるので、寝落ちしても大丈夫です」
「そ、そう。準備万端みたいで安心したよ」
勢い込む琴乃の口調とどこか蔵之介の予想とかけ離れたセリフに、内心で苦笑しながら答えた。
「私は何をすればいいですか?」
「いまからメッセージツールに動画を添付するから、それが見られるか確認してみて」
「動画ですね」
蔵之介はメッセージツールのLIONを操作して晩餐会の様子を映したファイルを送信した。
「送ったけど、届いたかな?」
「届きました。ちょっと待ってください。いま開きます――――」
琴乃が無意識に発した独り言と操作音が、蔵之介の頭のなかに静かに流れる。
「えーと……ん、これ。…と、あ、違う」
操作に戸惑う様子が伝わってくる。
何かに没頭すると、独り言をつぶやきながら夢中になっていたなあ。
幼い頃と変わらない癖。
蔵之介は琴乃のつぶやきを聞きながら幼い頃の彼女を思い出していた。
初めてそれを耳にしたのは、幼児向けのパズルに夢中になっているときだ。
彼が家を訪ねてきたのにも気付かずに、世界地図のパズルとにらめっこをしていた幼い琴乃が蘇る。
「静香もそうだったな」
琴乃の母である相馬静香も同じ癖があったことを不意に思い出した。
「え? 何か言いました?」
「いや、何でもない。こっちのことだ」
「蔵之介さん、映像が見えました……」
「どうした?」
「蔵之介さんと、清音が映っています。後は知らない人です。服装も見たことがありません、それに……」
「見えたんだね、映像! よし!」
琴乃の報告に蔵之介はベッドから身を起こして拳を握りしめた。
「蔵之介さんも清音も聞いたこともない言葉を話しています。他の人たちもです」
琴乃の声が震えたと思った瞬間、蔵之介の頭のなかに叫び声が響いた。
「いったい、どこにいるんですか!」
「琴乃さん、落ち着いて。異世界にきているんだ。私たちは無理やり異世界に連れてこられたんだ」
「異世界って……私の知らないところで、私の知らない言葉を話して……」
琴乃の涙ぐむ声が聞こえた。
「琴乃さん、落ち着いて」
「だって、帰るって約束したのに帰ってこなくて。連絡が入ったら異世界にいるとか訳の分からないことばかり言うんですもの」
蔵之介は琴乃と連絡が取れたことを喜んでいたが、たった一人で待っている、その間の彼女の不安と寂しさを思い知る。
咄嗟に言葉が見つからなかった。
「ごめん」
不器用に一言だけ口にした。
「別に怒っていません。蔵之介さんが謝る必要なんてありません!」
「だったら怒らないでよ」
「怒ってないって、言ったじゃないですか!」
「琴乃さん?」
「本当に、本当に蔵之介さんは……」
「琴乃さん、私はね、いま希望で心が高鳴っているんだ。見知らぬ異世界に連れてこられて、もう二度と琴乃さんと会えないと思っていた。でも、こうして琴乃さんと会話ができた。もう、涙がでそうだよ」
「涙がでそうなのは私です」
琴乃の拗ねた声が聞こえた。
「私は必ず帰るから。琴乃さんの待っている、元の世界に必ず帰るから」
「帰るって……」
『どうやって、帰るんですか?』、琴乃は不安と恐怖からその言葉を呑み込んだ。
ただ、すがるように言葉を絞りだす。
「お願い、私を一人にしないでください」
「一人になんかしない、必ず帰る。琴乃さんを天涯孤独になんて、絶対にしない。約束する」
「約束ですよ、破ったら酷いですよ」
嗚咽こそしていないが、泣いているのが伝わってくる。
「それは怖いな。何としてでも帰らないと」
冗談めかした蔵之介のセリフが琴乃の耳に届き、彼女の涙腺をさらに刺激した。
言葉を紡げずにいる彼女に蔵之介が言う。
「帰る方法をこれから探す。琴乃さんにも協力してもらってね」
「私に何ができるんですか? 何もできませんよ。私、何もできない――」
泣きじゃくる彼女の言葉を遮る。
「こうして私と連絡を取ってくれている。それだけでも十分に感謝しているんだ。それに、こうして会話していることが、もの凄いことだって気づいている?」
「え?」
「異世界と元の世界、二つの世界で通話できるなんて前代未聞じゃないか。恐らく、私と琴乃さんが初めてだよ」
「そう、ですね。確かに凄いことかも、知れませんね」
「じゃあ、その前代未聞の領域にどんどん踏み込んで行こうか」
「は、はい」
琴乃の返事に明るさが戻った。
蔵之介は敢えて次の実験を提示せずに琴乃に問いかける。
「さて、それじゃあ次はどんな実験をしよう」
「ビデオ通話なんてどうでしょう? リアルタイムでビデオ通話ができたら素敵じゃありませんか?」
「いい考えだ、早速やってみよう」
ギフトパネルから素早くビデオ通話を選択する。
琴乃が操作する音に続いて、彼女が問いかけてきた。
「どうですか? 蔵之介さ?」
「琴乃さん……」
ギフトパネルに広がる美しい少女の映像。
長い黒髪を緩く三つ編みにしてまとめていた。どこか照れ臭そうにしている。
「映った。琴乃さんが映っている……」
「本当ですか? こっちには何も映っていません。真っ暗です」
「やっぱり無理だったか。もしかして私が見ている映像がライブで送れるかもしれないと期待したんだけどね」
「私の映像は映っているんですよね」
「ああ映っているよ。可愛らしい、いつもの琴乃さんだ。ウサギのガラのパジャマを着ている」
顔にくっきりと残った涙の痕には触れない。
「からかわないでください」
琴乃が困ったように頬を染める。
「からかっていないよ。こうして琴乃さんの顔を見たらよけいに帰りたくなってきたよ。絶対に帰る」
「はい。私にできることは何でもします。といっても、情報を渡すくらいでしょうか?」
ギフトパネルの画面に映っている琴乃が小首を傾げた。
いつものと変わらぬ琴乃の様子に自然と蔵之介の口元に笑みが浮かぶ。
「ネットの情報は取得できるから不要かなあ?」
「あんまり役に立ちませんね」
「そんなことないよ、こうして話ができるだけで、琴乃さんの顔を見られるだけで頑張れる」
「だから、そう言うことは言わないでください。心の中にしまっておくものです」
「あれ?」
「どうしました?」
「いーだっ! ってやらないの?」
「しません!」
怒ったように頬を膨らませて、そっぽを向く琴乃の顔がパネルいっぱいに大写しになった。
「琴乃さん、謝るよ」
「本当に緊張感がないんですからっ」
頬を膨らませながらも、椅子に座りなおす琴乃の姿に苦笑する。
「いまから幾つかの実験をするから協力をしてくれるかな」
「はい、何でも言ってください」
「ちょっとパソコンから離れて」
「分かりました」
立ち上がって後退るようにパソコンから離れる琴乃の画像が映し出される。
「二メートルくらいはなれましたよー」
両手を口のところに持って行きパソコンに話しかける琴乃。
「そのままそこで待機」
蔵之介は手帳のページをちぎってペンを走らせる。
そのメモ書きをストレージへと格納した。
たったいま格納したメモ書きが、ギフトパネルの片隅にアイコン化される。
それに意識を集中した。
幾つかのメニューが現れた。
取り出し
移動
転送
削除
「これだ!」
決して大きな声ではなかったが、蔵之介の発した力強い声に琴乃が反応する。
「蔵之介さん? どうしました? 何かあったんですか?」
「何でもない、そのままそこにいて」
メニューの中に現れた『転送』に意識を集中すると、
【オリオン大星雲】と書かれた項目が表示された。
それは蔵之介の記憶にある琴乃のパソコンに付けられた名称。
これじゃない。画面の先、一メートルをイメージするんだ。
蔵之介が自分に言い聞かせるようにして、さらに意識を集中した。
「蔵之介さん!」
突然琴乃の緊張した声が響いた。
「どうした! 何があった!」
「あ、あ、あの。消えました」
「消えた? 何が消えたって?」
「バレーボールくらいの大きさの黒い円が現れて、消えました」
「ちょっと待って! 黒い円? ブラックホールのような空間かい?」
「ブラックホールなんて見たことありません」
もっともな意見だ。
「もう一度やるから、今度は慌てないで」
再び蔵之介が意識を集中する
「現れました! 黒い円です」
黒い塊を警戒するように距離を取ったまま、琴乃は黒い円を回り込むようにゆっくりと移動する。
「厚みがありません。黒い円は平面です。横からでは目に見えません」
蔵之介は琴乃のパソコン【オリオン大星雲】のスクリーンの先、一メートルのところにメモ書きを置いてくることをイメージした。
「何か中から出てきました。紙のようです。手帳のページを切り取ったような……」
「それは私の手帳のページを切り取ったものだ。それ、掴めるかい?」
「え?」
「怖がらないで、掴んでみて。ただし、黒い空間のなかに手を入れないように気を付けて」
琴音が恐る恐る手を伸ばす。
いつの間にか額に汗が浮かんでいた。
「掴みました」
琴乃がそう言ったのとストレージからメモ書きが消失したのが同時だった。
蔵之介は逸る気持ちを抑えて告げる。
「それ、読んでみて」
そのメモには
『最愛の姪へ
琴乃さんの笑顔が見られて元気が出しました。
寂しがり屋の伯父より』
そう書かれていた。