第22話 ミルドレッド・キース
キース男爵との取り敢えずの会談を終えた蔵之介たち三人は、ダルトン卿との待ち合わせ場所へと向かっていた。
「ミルドレッドさんが可哀想です。なんとか力になってあげられませんか?」
涙ぐんだ清音が蔵之介を見詰める。
会談の最後でキース男爵の口からミルドレッド嬢のことが語られた。
ミルドレッド嬢は正妻であるシャーロット夫人の娘さんで、本来なら嫡出の長女としてキース男爵家の後継者となるはずだった。
母親の実家もシアーズ男爵家と出自は申し分ない。
しかし、急速に力を失っていったシャーロット夫人の実家とは裏腹に、商家であるカリスタ第二夫人の実家は商売に成功し急速に力を付けていった。
シャーロット夫人の実家であるシアーズ男爵家に多額の融資をするほどに、である。
ここでシャーロット夫人とカリスタ第二夫人の力関係が逆転する。
力関係が逆転したのは三年前。
当時、庶子とはいえジョシュアはただ一人の男子で二十歳を超え、既にキース男爵の下で領地の経営を手伝っていた。翻って、ミルドレッドは成人したばかりの十五歳であった。
正室であるシャーロット夫人と嫡女であるミルドレッドを追い落とし、ジョシュアを後継者に据えるも容易かっただろう。
当初はシャーロット夫人の実家から離縁を願い出たそうだ。
当然、キース男爵はこれを一蹴したが、直ぐにシャーロットを第二夫人に降格して欲しいとの願いでが成された。
当時は鉄鉱石も見付かっておらず、シアーズ男爵家を支援する余裕がなかったこともあり、キース男爵は妥協案としてミルドレッドを後継者から外し、ジョシュアを後継者とすることで話を落ち着けたのである。
後継者の地位を奪われ本館から追い出されて離れで暮らしているミルドレッド嬢が、最大の被害者であることは間違いなかった。
清音のなかでもミルドレッド嬢が悲劇の令嬢となっていた。
「いまは鉄鉱石が見付かってお金もあるんですから、ミルドレッドさんをまた後継者に戻せばいいのに……」
と清音が独り言ちる。
「一度後継者と決めてお披露目のパーティーもしているそうじゃないですか。当主とはいえ、そう簡単に前言を撤回できないのでしょう」
三好はそう口にした後、「いえ、貴族の当主だからこそ簡単に前言を撤回するわけにはいかないのかも知れませんね」と言い直した。
蔵之介はもっとドライである。
「お家騒動には口をだしたくないな」
「えー、助けてあげないんですか? 可哀想じゃないですか。助けてあげましょうよ」
蔵之介の言葉を非難するように清音がまくし立てる。
「可哀想だとは思うよ。でも、他人の家のことに、特に貴族の家の事情に口出しするのはどうかと思うな」
「他人の家のことって……」
「娘さん、それ以上刑事さんを困らせるのはやめましょう」
なおも不満げな清音を三好がたしなめた。
「でも、今夜の相談もそのことですよ、きっと」
「かも知れませんな」
「もうすぐ判明するよ」
蔵之介の視線の先を三好と清音も直ぐに追う。
すると、そこには小走りに駆け寄るダルトン卿の姿があった。
◇
通された部屋にいたのは儚げな少女が一人だけだった。
「ミルドレッド・キース様です」
ダルトンの紹介された少女が優雅にお辞儀をして改めて自己紹介をする。
「初めまして、キース男爵家長女、ミルドレッド・キースです。この度は突然の会談の申し入れをお聞き届けくださり感謝申し上げます」
「恐縮です。私はクラノスケ・イセ。各国を旅しながら魔術の研究をしている学者です」
続いて、三好と清音が蔵之介の助手であると自己紹介をした。
蔵之介たちが勧められた椅子に腰を下ろすと、隣室に控えていたメイドが現れ、彼らの前にお茶とクッキーを並べる。
蔵之介たち三人の正面にミルドレッド嬢が座り、その背後にダルトン卿が直立して控えた。
あくまでも会談の主はミルドレッド嬢であることを崩さない。
「シャーロット夫人は同席されないのですか?」
成人したとはいえ、ミルドレッド嬢はまだ十八歳である。母親が同席しても不思議はない年齢だと思い聞いてみた。
「母は別室で休んでおります」
「本日のご相談はミルドレッド様がご自身でお考えになり決断されたことです」
母親は無関係なのだと、すかさずダルトンが補足した。
「それは失礼いたしました。それで、本日はどのようなご相談でしょう?」
「せっかくのお茶が冷めてしまいますわ」
ミルドレッド嬢は軽やかに笑い、「南国から取り寄せたとても珍しい紅茶ですのよ」と彼ら三人に紅茶を勧めた。
母親の実家の犠牲になった哀れな少女という印象は吹き飛んだ。
自分の置かれている立場が分かっているのかいないのか……。眼前の少女は、どこか浮き世離れした、辛辣に言えば世間知らずの貴族のお嬢様にしか見えなかった。
涙に暮れる悲劇の令嬢。
そんな想像していた清音はポカンとした顔で少女のことを見ている。
幸せそうに紅茶を飲むミルドレッド嬢にダルトンが耳打ちした。
すると彼女は照れ笑いを浮かべて言う。
「ごめんなさい、紅茶が美味しくてつい夢中になってしまいました。ダルトン様にもよく注意をされるんですよ」
「いいえ、私も紅茶を楽しんでいたところです」
とても美味しい紅茶だと蔵之介が褒めるとミルドレッドの顔がパアッと明るくなった。
「紅茶、お分かりになるんですね」
そこまで口にして、しまった、と言う表情を浮かべて赤面する。
「ごめんなさい。私ったら失礼なことを」
「気にしていませんよ。無粋な学者だと家族や友人からもよく言われています」
もう少し食事に気を配るよう、琴乃によく注意されていたことを思いだしながら微笑む。
「私たち似たもの同士ですね」
ミルドレッドはそう言うと、不意に思いだしたように手元にあった呼び鈴を鳴らした。
隣室からメイドが現れると、
「マール領から取り寄せた紅茶をお出しして。それに合うクッキーもお願いね」
同国のマール領で採れた紅茶で、彼女の最近のお気に入りであり、紅茶の味が分かる蔵之介に是非とも味わって欲しいのだと言った。
「お気遣い感謝いたします」
蔵之介はにこやかにお礼を述べつつ、視線でダルトンに訴えた。
話を早く始めて欲しいと。