エピローグ
ベルリーザ王国第二の都市、アンテア。
王都から馬車で五日の距離に位置するこの商業都市は、近隣諸国と比べても最大級の港を有していた。
そのアンテアの中心部に王城を遥かにしのぐ巨大な建造物がある。
神聖教会の総本山。
堅牢さと美しさを兼ね備えた白亜の教会。一際目を惹くそれは、聖教教会の力の強大さを示していた。
神聖教会はアンテアの港がもたらす莫大な利益を背景に力を付け、気が付けば王家を凌駕するほどの権力を握っていた。
その神聖教会でも最長の在任期間を尚も継続するのが、現教皇のアイロス・ハイゼンベルクである。
そして歴代最大の権力を持つとささやかれる人物でもあった。
総本山にある一室。
人払いをすませた執務室にある長椅子に、老人と少女が向き合って座っていた。
部屋の主であるアイロス・ハイゼンベルクが、ルファ・メーリングを気遣うように声をかける。
「連日の査問委員会で疲れたのではないか?」
「お気遣いありがとうございます。ですが、もとをただせば私の失策です」
伊勢蔵之介と三好誠一郎、西園寺清音の逃亡を許したのが十日前。
神聖教会の総本山では、二日間に渡って査問委員会が開かれていた。
議題は勇者召喚を行ったレーベ神殿の崩壊とそれに伴う召喚陣の喪失。
さらに、召喚した勇者の逃亡についてである。
レーベ神殿の首脳陣の一人であるルファ・メーリングも、査問委員会に出席するため、神聖教会の総本山に喚びだされていた。
「気に病むな。これは教会全体の責任だ」
「ですが――」
「勇者召喚を軽く考えていたつもりはなかったが、最初の召喚が上手く行きすぎて油断があったのは確かだ」
最初に召喚した三人の勇者。明智大河と明智紗更、藤堂香音の話題にルファがピクリと反応した。
それを見て教皇が言う。
「騎士団や衛兵たちからの評判もいい。実戦訓練でも、こちらの予想を上回る成果を見せているそうだ」
「そうですか。タイガ様たちは周囲に認められているのですね……」
ルファが安堵の表情を浮かべるのを見て、教皇が三人の勇者を褒める。
「頭も回る上、為人も申し分ない。このまま勇者としての力を示せば、相応の地位を与えるつもりだ」
「私も少しはお役に立てたようですね」
「ようやく笑顔を見せてくれたな」
教皇が好々爺とした笑みを曾孫であるルファに向けた。
「ひいお祖父様、申し訳ございません」
「お前が謝るようなことではない。それよりもルファ、少しやつれたのではないか?」
ルファの顔を覗き込む。
「ありがとうございます。少し、その……心労のせいか、夜……寝付けません」
ルファが言葉を選び、濁した。
しかし、教皇の向ける心配そうな眼差しに気付くと慌てて付け加える。
「ですが、体調は至って良好です。ご心配にはおよびません」
「そうか……」
教皇とルファの間にしばしの沈黙が流れた。
思い切ったようにルファが聞く。
「それで、私の処遇はどのようになりますでしょうか」
査問委員会で処分が決定したのは神官長のみで、ルファを含めた他の者たちの処分は保留となっていた。
神官長に厳しい処分が下されたこともあり、ルファが不安げに聞く。
「そうだな……」
一旦言葉を切ると好々爺とした表情が消えた。
「新たに神殿を与えるのは難しい」
予想できた当然の結果。
問題はその先である。
「お前にはしばらくの間、私の仕事を手伝ってもらうことになる。待遇は教皇付きの神官だ」
「あ、ありがとうございます」
対抗勢力から彼女の身を守るため側においた。
そう受け取ったルファが、曾祖父の温情に涙を流す。
新たな神殿が与えられるなどと、虫の良いことは考えていなかった。
それどころか最悪は地方の神殿に、一神官として送られることも覚悟していた。
事実、表向きの責任者である神官長は、地方の寂れた神殿に一神官として赴任することが決まっている。
「身の回りのお世話、しっかりとさせて頂きます」
「勘違いをしてはいけないよ、ルファ。仕事は私の補佐だ。正式な通達は明日になるが、教皇付きの第三補佐官を務めてもらう」
「……っ。か、畏まりました」
一瞬、息を呑む。
ルファ自身、教皇の補佐をさせてもらえるなど、まだ二、三年先のことだと考えていた。
ルファは知らないことだが、周囲の反対を押し切っての人事だ。
教皇がルファに寄せる、期待の大きさと溺愛振りがうかがえた。
「決して楽な仕事ではない。頑張りなさい」
「は、はい。で、ですが……。皆が、国王派の貴族たちが納得するでしょうか?」
対抗勢力である国王と国王派の貴族の顔が浮かぶ。
「口出しなどさせんよ」
教皇はそう言ってほほ笑み、
「神殿を失ったといっても、数多くあるうちの一つでしかない。召喚陣にしても、まだ三ヶ所にある。神聖教会としてのダメージはわずかだ」
淡々と続けた後で、ルファの頬に優しく触れる。
「二度の勇者召喚を成功させた者は、世界中を捜してもお前しかいないのだ」
だが、二度目の勇者召喚が凶事を招いたのも事実だった。
さらには、それが国王派に付け込まれる隙を与えてしまったのも確かなことなのだが、それには触れない。
「二度目に召喚した三人の勇者は為人に問題がある」
一条一樹、立花颯斗、大谷龍牙について話す。
「あの三人は国王派の貴族たちにあずける」
「そんな! せっかく召喚した勇者です。むざむざ国王派にあずける必要は……」
そこまで口にしてハタと気付く。
「もしかして、国王派を黙らせるための譲歩……でしょうか」
「それもある。だが、本当の目的は別だ」
「本当の目的?」
訝しむルファに教皇がほほ笑む。
だが口にしたのは別の蔵之介たちのこと。
「逃亡した三人の勇者だが」
教皇がそう口にした途端、ルファの脳裏に邪悪な笑みを湛えた蔵之介の顔が鮮烈に蘇る。
神官服を握りしめる拳に、噛みしめた唇から血が流れ落ちる。
「追手を差し向けるつもりはない」
「納得できません! 神聖教会を愚弄したのです。然るべき制裁を与えるべきではありませんか!」
ルファの知るこれまでの教会の対応であれば、逃亡した蔵之介たちには暗殺者が放たれて当然であった。
他国の手に渡る恐れを考えればなおさらである。
「逃亡した三人。特に紋章使いの男は危険だ。神殿破壊と逃亡の手際を見る限り、お前以上に紋章魔法を使いこなしている可能性がある」
「それであれば、なおさら――」
ルファの言葉を制して言う。
「さらに、頭も切れる。そんな男を捜しだして仕留められる追手となれば、相応の人材が必要となる」
「その力が他国に渡ることを考えれば、多少の犠牲を払っても始末すべきかと思います」
「我々が御しきれない男を、他国が手なずけられるかのう」
そう言ってフォッフォッフォッと笑った。
何も言えずに見つめるルファに『それにな』と続ける。
「我々は動かないが、国王派が追手を差し向けるようだ。もっとも、逃亡した勇者を捕らえて自分たちの駒にしようという腹積もりのようだがな」
そしてなんとも楽しげに笑う。
「国王派は失敗すると?」
「精々、貴重な手ごまを消費して、我々以上の失態を重ねてもらおうじゃないか」
「しかし、カズキ様たちを追手に差し向ける可能があります」
勇者同士のぶつかり合いとなれば、総合的な能力の高い一樹たちに有利であると仄めかす。
「派閥こそ違え、同じように国を支える者たちだ。貴重な勇者を遺跡の探索や戦争以外に使うほど、思慮が足りないとは思いたくないものだな」
「何れはカズキ様たちを差し向ける可能性がある。そうお思いなのですね」
「さあて、どうであろうな」
そう言って惚けるが、すぐに真顔で話しだす。
「我々が欲しいのは遺跡に眠るアーティファクトだ。他国に先んじてより多くのアーティファクトを手に入れる。そのために勇者召喚を行った。それをせずに勇者を暗殺や捕縛に差し向けるなど……喜ぶのは敵対国だけだ」
アーティファクトを手に入れることで他国よりも優位に立つ。
さらには国王派とのパワーバランスを拡大する。
それこそが神聖教会側の目的であった。
「おっしゃる通りです。己の未熟さを思い知りました」
ルファが静かに首を垂れた。