第30話 ミッドナイトラン(7)
崩れ始めた壁や天井から見える夜空を閃光が照らす。轟音に呼応するように建物が大きく揺れ、粉塵が舞う。
「マッピング機能が欲しいな」
不可視のシーツを被って気配を消しながら移動する余裕はない。
紋章魔法を仕掛けていない場所の記憶をたどりながら、崩れ始めた神殿内を駆け抜ける。
「ゆ、勇者様!」
閃光と轟音の紋章魔法で無力化されるのをまぬがれた数人の騎士が、伊勢蔵之介の姿を見て声を上げた。
「捜索中の勇者様?」
「と、逃亡者だ、捕まえろ!」
神殿が崩壊している最中にもかかわらず、仕事熱心な騎士が反応する。
「悪いが捕まる訳にはいかないし、ここで時間を取られる訳にもいかないんだ。大人しく道を開けてくれるなら見逃すけど、抵抗するようなら容赦しない」
蔵之介は遭遇した騎士たちに向けて警告した。
しかし、蔵之介が魔力感知すらできないと思っている者たちには、何の効果ももたらさなかった。
逆に嘲笑を買う。
「大人しく我らに捕まってください」
「勇者様方には捕縛命令がでています」
たとえギフトが発動していなくとも、勇者である蔵之介たちの身体能力は一般の騎士や兵士よりも遥かに高い。
そのことを知る騎士だけが、警戒するように後退った。
「いま後退した二人は見逃す」
刹那、蔵之介の攻撃魔法があらぬ方向から炸裂する。
突如天井付近に出現した紋章。
その紋章から放たれた青白い雷撃が、詰め寄ろうとした騎士たちを襲う。
爆発の轟音と騎士たちの悲鳴が重った。
後退した二人の騎士が驚きの声を上げる。
「雷魔法?」
「な、なぜ、上から!」
本来、攻撃魔法は術者を起点にして発動する。紋章魔法にしても紋章紙から放たれる。
それが術者から離れた明後日の方角から放れたれたのだ。
驚きと混乱を与えるには十分だった。
「な、何をしたのです……か?」
「ありえない……」
理解の外にある魔法を目の当たりにした二人の騎士に混乱が生じる。
「無傷の者は負傷した者を連れて神殿から脱出しろ! グズグズしていると崩壊に巻き込まれるぞ!」
混乱する彼らの横をすり抜けながら、蔵之介が大声で叫んだ。
その後も何人もの騎士や衛兵、神官たちと遭遇した。
しかし、蔵之介の対処と遭遇した者たちの反応に大差はなかった。
常識外れの攻撃魔法に混乱する者と攻撃魔法による被害者を作りだしながら、蔵之介は神殿内を疾駆する。
◇
蔵之介が神殿を抜けると、崩れた防壁が仄かな灯りに照らしだされていた。
脱出口として爆破した場所だ。
「伊勢さん! こっちです、こっち!」
敵に見つかることなど考慮していないのだろう。
灯りの魔道具を手に、ピョンピョンと飛び跳ねる西園寺清音の姿に思わず笑みがこぼれる。
傍らには明かりの魔道具を手にした三好誠一郎が立っていた。
「お帰りなさい、刑事さん」
「二人とも、ありがとう」
三好と清音に怪我がないことを確認した蔵之介が二人をうながす。
「さあ、脱出しましょうか」
暗視サングラスをかけた三人が崩れた防壁を越えた。
――――神殿を脱出してから五時間ほど。
「追手はないようですな」
三好が白みだした空の下、抜けてきた森を振り返った。
神殿を脱出して森を抜けるまでの間、松明や魔道具による灯りは確認できていない。
「追手を差し向けるどころの状況ではなかった。そう思いたいですね」
「刑事さんの思惑通り、というわけですな」
「ええ、ルファとの会話も予定通りできました」
蔵之介がハンディカメラを手にして得意げな笑みを浮かべた。
「ほう、呪のことを知った彼女の顔はバッチリ録れましたか?」
「結局、呪いのことは知らせませんでした。知ったときの顔も楽しそうでしたが、呪いと知らずに悩まされるのを想像するのも面白いかな、と」
「淫夢でしたな?」
口元を綻ばせる三好に、蔵之介も怪しげな笑みで答える。
「淫夢です」
「ルファさんも若いですし、案外ご褒美になるのではありませんか?」
「それは考えませんでしたね」
蔵之介は、はたと思いついたように清音に声をかける。
「西園寺さん、若い女性にとって淫夢ってご褒美ですか?」
「な、何を、急に言いだすんですか!」
「ご褒美かどうか知りたかっただけですよ」
「わーわー! 聞こえません、聞こえていません。私は何も聞いていませんよー」
清音の反応を見て蔵之介と三好が顔を見合わせた。
二人はからかうような表情を浮かべると、さらにルファにかけた呪いの話を続ける。
「高校生三人にかけた呪いと違って、ルファにかけた淫夢の呪いは毎晩ですからね」
「大人しくしていても逃げられない訳ですな」
楽しそうにそう応じた三好が声を潜めて聞く。
「やはり三日間ですか?」
清音がピクリと反応するのを横目で見て、二人が薄笑いを浮かべた。
「いえ、一ヶ月間です」
「一ヶ月間、毎晩淫夢に悶々とする美少女ですか。……いいですなあ」
「一ヶ月間も! 酷い!」
反応した清音を蔵之介と三好が楽しそうにからかう。
「あれ、聞き耳を立てていたのかな?」
「若い娘さんが盗み聞きは良くありませんなあ。まあ、興味があるのは分かりますが」
「きょ、興味何てありません! たまたまです、たまたま聞こえちゃったんです」
清音が耳まで真っ赤にして反論する。
「娘さんも一緒にどうですか?」
「そうそう、遠慮しないで話にまざりなよ」
「もう、嫌ーっ。レディーの前でそんな話をしないでくださいよー」
耳をふさいで頭を振る。
「レディーにかけた呪いの話なんだけどね」
「しかし、一ヶ月間も淫夢に苛まれる訳ですか……」
何かを想像するように押し黙るが、三好はすぐに笑顔を浮かべて言う。
「悶々としている姿を見られないのが、返す返すも残念ですな」
「悶々としている寝姿もそうですが、私はどちらかと言うと、夢の中身の方が見たいですね」
「見られるのですか!」
「残念ながら」
「そうでしたか」
揃って肩を落とす二人に清音が声をかける。
「お願いですから、そういう話はあたしのいないところでしてくださいよー」
ベソをかいて訴える清音をよそに三好が蔵之介に提案する。
「この際ですから、他人の夢が見られる紋章魔法を開発してはどうですか?」
「なるほど! 研究する価値はありますね」
盛り上がる二人に清音が叫ぶ。
「それよりも、これからどうするんですか!」
即座に真顔になった三好が蔵之介に聞く。
「計画では国交のない隣国に逃げ込むことになっていますが、その後は何か計画がありますか?」
「正直なところ、そこから先の具体的な計画はありません」
何か計画するにしてもこの世界のことを知らなすぎた。
身の安全さえ確保できていれば、まだ神殿にいてこの世界のことやギフトを習得するのに、時間を費やしたかったところだ。
「隣国に逃げ込んだら、そこでしばらくの間、情報収集します」
「その辺りが妥当な計画でしょうな」
二人のやり取りを清音があっけにとられて見つめる。
「この世界で生きていけそうな目処が立ったところで、世界各地を周りながら琴乃さんの待つ世界に帰る方法を探すつもりです」
「あたし、ギフトを使いこなせるよう、頑張ります!」
自分が足手まといになっている自覚から、清音が勢い込んで言った。
「この世界で生きていくのにギフトは必須のようだ。当面は情報収集だけでなく、ギフトの発現と使いこなすための訓練もするようだね」
蔵之介の言葉に『はい!』と勢いよく返事をすると、清音は三好を振り返る。
三好が『元の世界に帰るよりもこの異世界でのんびり暮らしたい』、そう言っていたのを思いだして清音が寂しそうに聞く。
「三好のおじいちゃんも一緒にくるんです、よね?」
「そうですなあ……。当面は刑事さんや娘さんと一緒に世界を周らせてください」
「当面ってことは……」
清音が不安げに聞き返した。
「安住の地をみつけたら、そこでお別れです」
「寂しくなりますね」
しんみりする二人に蔵之介が声をかける。
「まだ遠い先の話だ! 先ずはこの世界で生き延びる術を身に着けないとな。そのためにも、国境を目指そうか!」
三好と清音がにこやかに微笑み返す。
異世界の空の下、三人の勇者はそれぞれの目的に向かって歩きだした。




