第29話 ミッドナイトラン(6) ~主人公視点 Version~
腕時計を見た伊勢蔵之介が弾む口調でつぶやく。
「そろそろ発動する頃かな」
発動するのは高校生三人にかけた、もう一つの呪い。
魔法を発動させようとするか、全身に魔力を巡らせると、即座に腹を下して便意をもよおすものだ。
その効力が後三分程で有効になる。
有効期間は三日間。
「下痢の呪いですか」
「下痢の呪いです」
悪そうな笑みを浮かべる蔵之介と三好誠一郎に、西園寺清音がジト目を向ける。
「よりによって人前で、何て……」
「下痢で苦しむのは三日間だけだよ。すぐに元気なるんだから大丈夫」
問題は体調回復までの時間ではないのだが、それには敢えて触れない。
とぼけた口調の蔵之介に続いて、笑いを堪えていた三好が口を開く。
「足止めにもなります。何よりも、ちょうどいいお灸ですよ。これで少しでも反省するようなら、彼らのためにもなるんですが」
『まあ無理でしょうな』、と快活に笑う三好に、清音が脱力した口調で言う。
「突然原因不明の下痢に襲われたからって、反省したり行動を改めたりする人はいないと思いますよー」
「なるほど、一理ありますな」
三好は納得したようにうなずくと、蔵之介に視線を向ける。
「刑事さん、誰がやったか分かるように、手紙を置いて行ってはどうでしょう」
「やめておきましょう。反省して感謝されるとは思えません」
恨みを買うだけなのは容易に想像がついた。
そもそも、彼らの更生を意図しての“呪い”ではないのだから当然の話である。
「まあそうですな」
そう言って再び笑い声を上げる三好に蔵之介が言う。
「ルファ・メーリングが移動を始めました。そろそろ行きます」
半ばルファとの会話を諦めていた蔵之介だったが、彼女が執務室へと向かっていることを知ってほくそ笑む。
「では、期待しています」
「気を付けてくださいね」
二人の言葉を背に、ルファが向かうであろう執務室へと急いで向かった。
◇ ― 主人公の一人称 ―
――――――――フェーズ3 光と音の饗宴
こちらへと向かっている少女が感知できた。
彼女の美しい顔とたおやかな姿が目に浮かぶ。白を基調とした緩やかな神官服に身を包んだ清楚な外見の美少女。
自然と口元が綻んだ。
こんな気持ちで異性を待つのは初めてのことだ。
年甲斐もなく高揚しているのが分かる。
どうやら自分で考えている以上に、私は彼女との会話を楽しみにしているようだ。
「だが、会話を楽しむ時間はあまりないな」
脱出する時間が頭をよぎり、知らずに愚痴がこぼれた。
そのタイミングで、執務室の扉が開く。
続いて、待ち望んだ少女が入ってきた。暗がりの中、窓から差し込む月の光で美しい銀髪が揺れる。
ルファ・メーリング。
扉を閉めたところでルファの動きが止まった。
感づかれたか?
それならそれで彼女が執務室からでていく前に声をかけるだけだ。
だが杞憂に終わった。
静寂の中、部屋の中にゆっくりと明かりが満ちていく。
明かりの下、ルファの蒼白な顔が浮かび上がった。
彼女の視線は部屋の奥にある自身の執務机にくぎ付けになっている。
私は入口から見えにくい、部屋の片隅から声をかけた。
「やあ、ルファさん。慌てているようですね」
「イセッ!」
彼女の椅子に深々と座って余裕を見せる私を見て、ルファが驚きの声を上げた。
だが、すぐにいつもの落ち着いた表情を見せる。
「こ、これはイセ様。いったいなぜ、このような仕儀に至ったのでしょう?」
「この状況でその落ち着いた態度。とても十五、六歳の少女とは思えませんね。本当は、はらわたが煮えくり返っているんじゃないですか?」
「イセ様、理由をお聞かせください」
わざと煽ってみたが、顔色一つ変えない。
大したものだ。
「慌てて騒ぎださないのは、俺を刺激して手荒なことをされたくない、からかな?」
「私も戦うことは、できますよ。少なくとも、魔法一つ満足に使えないイセ様に、後れを取るようなことはありません」
「では、戦ってみますか?」
ルファの美しい顔が、悔しそうにゆがむ。
いいねえ、その顔が録りたかったんだ。
気分は映画監督かカメラマンと言ったところだろうか。
心が躍る。
さて、少し揺さぶりをかけるか。
「驚きましたよ、ルファさん。貴女のギフトは紋章魔法だそうですね?」
ルファの目が大きく見開かれ、息を呑む音が微かに聞こえた。
混乱し、怯えているのがまるわかりだ。
ルファ、君の中で疑問と恐怖が渦巻いているのが手に取るようにわかるよ。
だが、本番はこれからだ。
「下位互換の使いものにならないギフト。貴女はそう言いましたが、本当は別の使い道があるんじゃないですか?」
「さあ、何のことでしょうか?」
絞りだすような声。
警戒しているねえ。
彼女の頭は目まぐるしく回転し、心は激しくかき乱されていることだろう。
口元が綻びそうになるのを必死に抑え、核心の一つを突く。
「私たちを召喚した召喚陣、あれは紋章魔法の紋章でしょう?」
「あれはただの模様です。紋章に似ていますが、別に紋章魔法でも何でもありませんよ」
惚けちゃって、可愛いねえ。
でも、おじさんは甘くないよ。
「そうか、それは良かった。何しろ、さっき床を削ってきましたから」
「削った?」
意味が分からないといった様子で、不思議そうにこちらを見た。
「ええ、削りました。我々が召喚された部屋にあった、あの模様をね」
「なっ……」
最高の表情を浮かべたルファが、声にならない悲鳴を上げた。
「もしかして、大切なものだったのかな? 例えば、もう描くことができない、未解読の古代紋章魔法だとか?」
図書館で得た知識をもとに導き出した推理を告げる。
涙を浮かべて睨みつける美少女、いいねえ。
「図星のようですね」
「ここから逃げ切れるとでも?」
噛み締めた唇から一筋の血が流れた。
この状況で攻撃魔法を仕掛けてこないところを見ると、攻撃の紋章を用意していないのだろう。
加えて、勇者補正のかかった身体能力を警戒している。
「そのつもりですよ」
「無理です。絶対に逃がしません。必ずやカズキ様たちが、あなた方を仕留めます」
涙を浮かべ、必死に強がるルファが続けて言う。
「イセ様こそ、随分と余裕ですね。ミヨシ様とサイオンジ様は既に補足しております。彼らも気の毒ですね。イセ様の口車に乗ってしまったばかりに、命を落とす」
精一杯の強がり。
一矢報いたつもりなのだろう。
気の毒になってくるなあ。
……面白いから少し付き合うか。
私はわざと顔を蒼ざめさせ、驚いたように声を上げる。
「練兵場かっ!」
「ええ、そうです。カズキ様方は『仕留める』。そう、おっしゃって練兵場へ向かわれました。神聖騎士団の者たちでは、カズキ様方を止められません」
ルファの顔に酷薄な笑みが浮かんだ。
私をやり込めた気になっているな。
さて、それじゃあ叩き落すか。
「なんてね。ちょっと驚いた振りをしてみました」
私は驚きの表情を消し、眼前の彼女のように勝ち誇った笑みを浮かべた。
「は?」
「練兵場の痕跡、あれは囮です。こちらでわざと用意したものですよ」
「な、なにを……」
言葉を失い、表情を失ったルファが、突然声を荒げる。
「ふ、ふざけたことをっ! 私をからかって、そんなに面白いですかっ!」
少しは心が痛むけど、面白いよ。
「私がルファさんをからかうためだけに、危険を冒してまでこんなことをしていると思いますか?」
彼女をからかうことで自分の気分が晴れるが、それは措いておこう。
目的は彼女の悔しがる映像を記録すること。
実益はどこにもない。
もし彼女と再会することがあれば再利用ができるが……。まあ、ないだろう。
「何の話をしているんですか? お話がみえませんよ……」
「ルファさん、貴女には失脚してもらいます」
ルファのセリフが途切れる瞬間を見計らって諭すように言った。
「世迷言をっ!」
ルファが叫んだ瞬間、爆発音が轟く。空気が震え、建物が揺れる。
恐怖で床にしゃがみ込んだルファが、揺れる天井を仰ぎ見た。
「い、いったい、何が起きて……」
「貴女がさんざんバカにしていた紋章魔法ですよ。本当に使いものにならないかは、貴女が一番よく知っていますよね」
「紋章魔法が使えるのは、イセ様だけじゃないですか――」
そこまで言ってルファがはたと気付く。
「まさか、ミヨシ様? いえ、サイオンジ様?」
二人が覚醒したと勘違いしたルファが、顔を蒼ざめさせた。
「さあ、どうでしょう。長い余生です、色々と想像してみてください」
「ふざけないでくださいっ! 私は失脚などしません。必ずやあなた方を仕留めて見せます」
「我々を追いかけるよりも、もっと大切なことがあるんじゃないですか? たとえば、遺跡の攻略とか、ね」
「それもちゃんとこなして見せます」
「まあいいです。神殿を失った貴女が失脚しないか、興味深く見物させて頂きましょう」
「神殿を失う?」
「まだ言ってませんでしたね。時間がくるとあちらこちらが爆発して、神殿が崩れます」
部屋をでる際にもう一度ルファを振り返る。
床に座り込んだ彼女が、涙を浮かべ鬼の形相でこちらを睨んでいた。
最後だし、優しい言葉の一つもかけておくか。
「ルファさんも早く逃げた方がいいですよ。せっかくの長い余生、こんなところで幕を下ろしたくはないでしょう?」
そう告げて部屋を後にした。