第27話 ミッドナイトラン(4)
召喚の間へと続く通路を、微かな風音と衣擦れの音を伴って空気が揺れる。
それは不可視の紋章魔法を融合したシーツを被り、消音の紋章魔法を融合した靴を履いて移動する伊勢蔵之介たちだった。
「凄いですね、このシーツと靴。ここまで誰にも気づかれませんでしたよ」
虚空から西園寺清音の声が響いた。
続いて何もない空間から蔵之介のささやく声が聞こえる。
「姿と足音を消しているとはいっても、完全に音が消えている訳じゃないから、油断はしないようにね」
「衛兵です」
三好誠一郎が発した警告を合図に、姿を消した三人が壁際に寄って息を潜めた。
すると召喚の間から兵舎へと続く通路を二人の衛兵が雑談をしながら歩いてきた。
たった今、召喚の間の警備を交代して兵舎へと戻る二人だ。
「外が騒がしいようだが、何かあったのか?」
不可視のシーツに身を隠して息を潜める三人の前を二人が通過する。
「こんどは年配の勇者様たちが、無断で神殿を抜けだしたらしいぞ」
「子どもの次は大人かよ。今度の勇者様は随分と手がかかるようだな」
衛兵が落胆の表情を浮かべ、もう一方の衛兵が声を潜める。
「聞いた話だが、幼い女の子を連れだしたんだと」
「まさか!」
「バ、バカ。声が大きい」
同僚をとがめるように睨みつけ、辺りをキョロキョロと見回した。
誰もいないことを確認すると安堵の表情を浮かべ、無責任な噂話をまことしやかに同僚に吹き込む。
「もちろん、確かな話じゃない。確かな話じゃないが、勇者様の周辺警護をしている連中が、そんな噂をしているのを耳にした」
「夜伽代わりのメイドだけじゃ飽き足らず、見習い神官を連れだしたっていうのか?」
神殿内には見習い神官として多数の未成年者が生活していた。
あらぬ疑念を抱いた衛兵が、あからさまに嫌悪の表情を浮かべる。
「噂だよ、噂」
「まったく。最初に召喚した勇者様はお三方とも高潔でいらしたが、今度の勇者様はわがままなガキと好色なジジイかよ」
「勇者様と言っても、人それぞれなのかもしれないな」
二人の衛兵が勇者の悪口を言いながら遠ざかる。
「随分な言われようですな」
角を曲がって姿が見えなくなると、声の聞こえた辺りから、三好が突然姿を現した。
続いて清音と蔵之介が姿を現す。
「連れだされた幼い女の子って、……もしかして、あたしですか?」
清音の沈んだ声が重く響いた。
「いろいろと誤解があるみたいだねー」
幼く見える容姿を清音が気にしているのを知っていた蔵之介はさらりと流し、何も知らない三好が落ち込む清音をなだめる。
「尾ひれ背びれが付いて、大袈裟になっただけでしょう。なにしろ元の世界でも、外国人からみると日本人は幼く見えるそうですから。きっと、この世界でも幼く見えたんでしょうな」
清音が年齢よりも幼く見えるのは確かだが、“幼い少女”と勘違いされるほどの容姿ではない。
だが、思考がそこへは至っていなかった。
「三好のおじいちゃんから見ても、あたしって、幼く見えますか?」
虚ろな笑顔で、ゆらりと三好に近づく清音。
清音が近づいただけ、三好が後退る。
「こ、この年齢になると、若い娘さんは皆さん同じくらいの年齢に見えてしまうので、私の意見は参考にならないと思います」
「うう、やっぱり幼く見えるんですね……」
うなだれる清音と地雷を踏んだことを悟った三好に蔵之介がうながす。
「さあ、時間がないので先を急ごうか」
◇
神殿内を神官や衛兵たちが顔を蒼ざめさせ、慌ただしく走り回っていた。
彼らに向けてルファ・メーリングの凛とした声が響く。
「脱走したイセ、ミヨシ、サイオンジの行方はまだ知れないのですか?」
ルファが勇者として召喚した、六人のうちの三人。
伊勢蔵之介、三好誠一郎、西園寺清音の名を上げた。
側に控えた若い神官が即答する。
「練兵場を抜けて、なおも逃走しているようです」
「練兵場?」
そこは脱走した三人が、この神殿以外で唯一馴染みのある場所であった。
取り敢えず練兵場へ向かい、そこから先は手探りで逃亡する。
十分に考えられる逃走経路だ。
「はい、逃亡の痕跡を見つけたと、先ほど神聖騎士団より連絡が入りました」
その報告に幾分か安堵したルファが、指示をだす。
「お一人で構いません、勇者様をどなたか向かわせなさい。できればカズキ様が望ましいですね」
最も好戦的で、蔵之介に敵意すら抱いていた、一条一樹の名を上げる。
「既にお三方とも練兵場方面へ向かいました」
「三名ともですか?」
「は、はい。お止めしたのですが、お三方とも飛び出して行かれまして――」
神官のセリフを途中で遮った。
「向かってしまったものは仕方がありません。神聖騎士団と衛兵には、勇者様方に協力して脱走者を捕えるよう改めて伝えなさい」
「その……」
「何ですか?」
「勇者様方は、脱走された三名の勇者様を、その、『仕留める』とおっしゃっておられました」
ルファはこの機会に、蔵之介たち三人を始末することを決定した。
同時に、稀有な才能を持った一条一樹たちに、人を殺す経験をさせる計画を組み立てる。
「やむを得ませんね。カズキ様、タチバナ様、オオタニ様、三名の勇者様方の判断に従うよう伝えなさい」
ルファが蔵之介たちと一緒に召喚した三人の勇者。
一条一樹、立花颯斗、大谷龍牙の三人の判断を優先するよう告げた。
「畏まりました」
「それと、逃亡した三名、イセ、ミヨシ、サイオンジは勇者とは認めません。今後、彼らを勇者と呼ぶのをやめるように周知しなさい」
神官にそう告げてルファが扉へと向かう。
「ルファ様、どちらへ」
「教皇様と連絡を取ります。しばらくは誰も近づけないよう、お願いします」
「畏まりました」
頭を垂れる神官を振り返ることなく、ルファは彼女の執務室へと向かった。
◇
練兵場の南側に広がる森で突然火の手が上がった。
「火だ! もの凄い勢いで燃え広がっているぞ!」
「消せ! 火を消すんだ!」
「水魔法を使えるものはいないのか!」
火の手が上がったのは一か所ではなかった。あちこちから火の手が上がり、勢いよく燃え広がっていく。
蔵之介たちが仕掛けた発火の罠。
次々と作動し、尋常でない勢いで燃え広がる炎に、衛兵ばかりでなく神聖騎士団の騎士たちまでうろたえだした。
「何が起きたんだ……」
「魔法なの……、か?」
「ダメです! 水魔法でも消えません! 逆に燃え広がっています!」
騎士や衛兵たちの叫び声が、混乱に拍車をかけた。捜索の対象が勇者であることが彼らの恐怖心を煽る。
「勇者様の魔法だ!」
「ギフトが発動したんだ!」
騎士と衛兵たちが混乱するさまを、ほくそ笑んで見ていた者が三人。
そのうちの一人、一樹が発した一際大きな声が森に轟く。
「落ち着け! これは目くらましだ! 魔法でも何でもない! 俺たちの世界では当たり前にある仕掛けだ!」
続いて颯斗と龍牙の声が重なる。
「敵の罠だ! 簡単に引っかかるな!」
「こんな、子どもだましの罠に引っかかるな!」
混乱する騎士たちの思考を切り裂くようにして轟く勇者の怒声。
三人の言葉に幾分か冷静さを取り戻すと、騎士の一人が一樹に問いかける。
「罠……、です、か?」
「ああそうだ、罠だ。練兵場の北側から見つかった逃亡の跡も恐らく罠だ。騎士団も衛兵隊も揃って騙された、ってことさ」
「逃亡の痕跡も……」
「騙された? 我々が?」
絶句する騎士たちに颯斗がと龍牙が、実に楽しそうに声を弾ませて追い打ちをかける。
「北側の街道沿いに広がる松明の灯りをあざ笑いながら、この森を抜けて行ったはずだ」
「自分たちが逃亡した後で火の手が上がるようにすることで、追っ手を混乱させて時間稼ぎをするつもりだ」
「では、イセ様たちは?」
茫然としたようすで聞き返す騎士に『そんなことも分からないのか?』とあきれた口調で聞き返し、
「この燃え上がる炎の先にいる」
そう言って、炎の向こう側を示した。
「おお! さすが勇者様だ」
捜索隊のメンバーたちから一斉に感嘆の声が上がり、あちらこちらから一樹たちをほめたたえる言葉が上がる。
混乱を収めた勇者たちの自信に満ちた言葉を疑う者はいなかった。
「伝令! 伝令! ルファ・メーリング様から伝令!」
混乱が収まりかけたところに早馬が駆け込んできた。
「どうした?」
騎士の問いかけに伝令が即答する。
「逃亡した勇者様の捜索隊は、今後は『イチジョウ様の指揮下に入るように』、とのことです」
一瞬言葉を失った騎士たちとは対照的に、一樹が即座に反応する。
「いいタイミングだ!」
続いて颯斗と龍牙が騎士団に向けて言い放つ。
「ここから先は俺たちの指示に従ってもらうぜ」
「罠を見抜けずにまんまと逃がす失態をおかしたんだ。文句は言うなよ」
顔を見合わせる騎士団に向けて一樹が号令を下す。
「魔力に自信のある者は俺たちに付いてこい! 逃亡した三人を追う! 数は十人もいれば十分だ。残りは消火活動を行え」
炎に包まれる蔵之介を思い浮かべ、一樹は己の心が高揚していくのを感じていた。