第17話 紋章魔法の可能性
西園寺清音が、一条一樹の火球で大怪我を負ってから二日が経過していた。
あの日以来、一条一樹たち第二グループと伊勢蔵之介たち第三グループとは、完全に別行動を取るようになっていた。
訓練は第二グループが訓練場での実技訓練。
第三グループは神殿内の一室で魔力感知の訓練を続けている。
もっとも蔵之介だけは、我がままを言って書庫に入り浸っている状態が続いていた。
「紋章魔法の魔導書って、他の魔法の魔導書に比べて少ないですよね?」
紋章魔法の魔導書を手にした蔵之介が聞いた。
ハンス・ゲーリングが気の毒そうな眼差しを向ける。
「この国では紋章魔法の価値が低いんですよ」
「この国では? ということは他の国では、紋章魔法の価値が高いんですか?」
「他国でも紋章魔法の価値は低いです。ただ、この国ではさらに低いというか……」
「なぜ低いでしょうね。基本四属性と上位四魔法を使えるなんて、もの凄いことに思えませんか? それこそ一人で八つのギフトを使いこなすようなものですよ」
「確かに凄いことですね。使えれば、ですけど」
「使えれば、というのはどういう意味でしょうか?」
蔵之介が紋章魔法の魔導書をめくりながら聞く。
「言葉通りですよ。解読されて、実際に使用できるのは極一部の紋章だけです」
ハンスが紋章魔法の書棚を見上げた。
「イセ様はまだお分かりにならないでしょうが、ここにある紋章魔法の魔導書も半分以上は使いものになりません」
魔力感知すらまだできていないのだから。
ハンスが言外に言う。
「半分以上ですか?」
「初級と呼ばれるものでさえ、半分ほどしか解読されていません」
では、初めて見た紋章を、理解している自分は何なのか。
ハンスの言葉に、蔵之介の心臓が高鳴る。
「他国では?」
「最も解読の進んでいる国でも、中級と呼ばれる紋章の解読に取り掛かったところです」
「解読を進めれば価値が上がる可能性もあるんですね」
「それはそうですが……紋章魔法は使い手も少なく、解読も困難ですから……難しいでしょうね」
こうして書庫に籠って、紋章魔法の魔導書を見るのが、如何に無駄なことであるかを告げる。
「紋章魔法に未来はありません。イセ様も紋章魔法に見切りを付けて、収納魔法の訓練をされた方がよろしいと思います」
「紋章魔法のギフト所有者なら、何れはすべての紋章を読めるようになる。そう思っていました」
蔵之介が能天気にそう言うと、ハンスが苦笑いを浮かべた。
「そんな簡単なものではありません。魔法そのものが、古代の知識の解読です。その中でも、紋章魔法の難解さは群を抜いています」
ではなぜ、自分は初めて見た紋章を理解できるのだろうか?
勇者だからか?
異世界から召喚された者だからか?
蔵之介はこの世界において、自分たち勇者と呼ばれる者たちが、特別な力を持っていることを改めて認識した。
それは自分や高校生三人組だけでない。
三好誠一郎と清音も恐らくは特別な力を持っているのだろう。
三好と清音の力の発現を待つ時間があるのか?
蔵之介は内心の焦りを抑えて、静かに思案を巡らせていた。
◇
夕食を終えて自室に戻った蔵之介は、ベッドに寝転がってため息を吐く。
「さて、三好さんや西園寺さんに、どう切りだすかなあ」
蔵之介は脱出計画を、二人にどう切りだすかで悩んでいた。
書庫に保管されていた紋章魔法の魔導書を、すべて映像として取り込みはした。
だが実際にどこまで使えるかの、確認はできていない。
脱出するにあたっての最大の問題は、一条一樹たちとの戦闘。
わずか二日間とはいっても実技訓練を積んだ三人。映像として取り込んだだけの、蔵之介とでは大きな開きがあった。
さらに三好と清音は戦力として数えられない。
むしろ、守るべき存在だ。
「いまのままでは、私が紋章魔法を自在に使えると証明しても、二人とも脱出には反対しそうだよなあ」
蔵之介自身も一条一樹たちと戦いになったとして、『勝てるか?』と問われれば『勝てない』と答えるしかない。
「不意打で何とか勝てたとしても……二人が限界だろうなあ」
反撃されて終わる未来を予想した。
蔵之介の顔に暗い笑みが浮かぶ。
「昨日までだったらね」
鍵の掛かった書棚にあった紋章魔法の魔導書……、まさか呪いの紋章が描かれていたとはねぇ。
蔵之介が心の中でほくそ笑む。
呪いの紋章魔法の魔導書から写し取った写真を一つ一つ、ギフトパネルに配置する。
内容を確認しながら、アイコンをフォルダーに移す。
魔法を使うたびに、下痢を伴った便意をもよおす呪い。
「こっちが尿意をもよおす呪いで、これは全身に激痛が走る呪いか」
他のアイコンを確認する。
毎晩、悪夢を見せる呪い。毎晩、魅力的な異性の夢を見せる呪い。
「悪夢はともかく、魅力的な異性って呪いなのか?」
一歩歩くごとに、髪の毛が一本抜ける呪い。
「恐ろしい呪いだな……」
身体を流れる魔法の流れを狂わせる呪い。絶えず空腹を感じる呪い
「呪い殺すというよりも、嫌がらせだな」
五感を毎日ランダムに入れ替える呪い。
「臭いが見えて味が聞こえるのか? ちょっと想像するのが難しいが、呪われた方は堪ったものじゃないだろうな」
苦笑しながら操作を進めると、一つのアイコンで操作の手が止まった。
ギフトを封じる呪い。
「有用そうだけど、複数のギフトを封じることができなければ、即座に反撃されておしまいだな」
そんなことを考えながら、呪いの紋章魔法の利用方法を心の中で復唱する。
呪いの紋章魔法。
紋章魔法を直接相手の身体に刻み込む。
刻み込まれた呪いの紋章を解呪する方法は二つ。
刻み込まれた箇所を光魔法で治療するか、紋章魔法の解呪で解除するかだ。
解呪の紋章魔法は解読されていないだろうけど、光魔法は発達しているから簡単に解呪されそうだよなあ。
心の中でそうつぶやいて天井を仰いだ。
「待てよ、複数の紋章魔法を組み合わせれば……」
肉眼ではおよそ発見できないような小さな紋章を刻む。
不可視の紋章を刻む。
外からは分からないように体内に刻み込む。
あの三人相手に気付かれないように紋章を刻む。
至難かも知れないが、真っ向勝負をしかけて脱出するよりも、生き延びる可能性は高い。
呪いの紋章を刻まれたことが、すぐに分からない方が望ましい。
可能なら丸一日気付かない。
或いは、すぐに気付かれても大丈夫なように三人同時に紋章魔法を刻むことができるか、だ。
「試してみる価値はある。さて、今夜から実験をするか」
さまざまな可能性が、目まぐるしく浮かんでは消える。
蔵之介のなかで三人の勇者を退ける手段が形になりつつあった。