プロローグ
神殿内を神官や衛兵たちが顔を蒼ざめさせ、慌ただしく走り回っていた。
彼らに向けてルファ・メーリングの凛とした声が響く。
「脱走したイセ、ミヨシ、サイオンジの行方はまだ知れないのですか?」
ルファが勇者として召喚した、六人のうちの三人。
伊勢蔵之介、三好誠一郎、西園寺清音の名を上げた。
側に控えた若い神官が即答する。
「練兵場を抜けて、なおも逃走しているようです」
「練兵場?」
そこは脱走した三人が、この神殿以外で唯一馴染みのある場所であった。
取り敢えず練兵場へ向かい、そこから先は手探りで逃亡する。
十分に考えられる逃走経路だ。
「はい、逃亡の痕跡を見つけたと、先ほど神聖騎士団より連絡が入りました」
その報告に幾分か安堵したルファが、指示をだす。
「お一人で構いません、勇者様をどなたか向かわせなさい。できればカズキ様が望ましいですね」
最も好戦的で、蔵之介に敵意すら抱いてた、一条一樹の名を上げる。
「既にお三方とも練兵場方面へ向かいました」
「三名ともですか?」
「は、はい。お止めしたのですが、お三方とも飛び出していかれまして――」
神官のセリフを途中で遮った。
「向かってしまったものは仕方がありません。神聖騎士団と衛兵には、勇者様方に協力して脱走者を捕えるよう改めて伝えなさい」
「その……」
「何ですか?」
「勇者様方は、脱走された三名の勇者様を、その、『仕留める』とおっしゃっておられました」
ルファはこの機会に、蔵之介たち三人を始末することを決定した。
同時に、稀有な才能を持った一条一樹たちに、人を殺す経験をさせる計画を組み立てる。
「やむを得ませんね。カズキ様、タチバナ様、オオタニ様、三名の勇者様方の判断に従うよう伝えなさい」
ルファが蔵之介たちと一緒に召喚した三人の勇者。
一条一樹、立花颯斗、大谷龍牙の三人の判断を優先するよう告げた。
「畏まりました」
「それと、逃亡した三名、イセ、ミヨシ、サイオンジは勇者とは認めません。今後、彼らを勇者と呼ぶのをやめるように周知しなさい」
神官にそう告げてルファが扉へと向かう。
「ルファ様、どちらへ」
「教皇様と連絡を取ります。しばらくは誰も近づけないよう、お願いします」
「畏まりました」
頭を垂れる神官を振り返ることなく、ルファは彼女の執務室へと向かった。
◇
ルファは自分の執務室へと足を踏み入れた途端、違和感を覚えた。
違和感の正体を掴みかねたまま、慎重に灯りの魔道具を操作する。
部屋が明るくなり、違和感の正体が明らかとなった。
扉の正面にある執務机と椅子。執務机だけがあり、そこにあるはずの椅子がない。
ルファが室内を見回そうとする矢先、部屋の片隅から声が上がる。
「やあ、ルファさん。慌てているようですね」
「イセッ!」
部屋の片隅、ルファの愛用している椅子に座った蔵之介を確認して思わず声を上げた。
すぐに平常心を取り戻して蔵之介に話しかける。
「こ、これはイセ様。いったいなぜ、このような仕儀に至ったのでしょう?」
「この状況でその落ち着いた態度。とても十五、六歳の少女とは思えませんね。本当は、はらわたが煮えくり返っているんじゃないですか?」
蔵之介の言葉を聞き流してルファが問う。
「イセ様、理由をお聞かせください」
「慌てて騒ぎださないのは、俺を刺激して手荒なことをされたくない、からかな?」
「私も戦うことは、できますよ。少なくとも、魔法一つ満足に使えないイセ様に、後れを取るようなことはありません」
「では、戦ってみますか?」
ルファの美しい顔が、悔しそうにゆがむ。
蔵之介が楽しげに語りかける。
「驚きましたよ、ルファさん。貴女のギフトは紋章魔法だそうですね?」
ルファの目が大きく見開かれ、息を呑む音が微かに聞こえた。
蔵之介は椅子から立ち上がり言葉を続ける。
「下位互換の使いものにならないギフト。貴女はそう言いましたが、本当は別の使い道があるんじゃないですか?」
「さあ、何のことでしょうか?」
ようやく声を絞りだした。
「私たちを召喚した召喚陣、あれは紋章魔法の紋章でしょう?」
「あれは只の模様です。紋章に似ていますが、別に紋章魔法でも何でもありませんよ」
ルファの言葉に蔵之介がほほ笑む。
「そうか、それは良かった。何しろ、さっき床を削ってきましたから」
「削った?」
意味が分からないといった様子で、不思議そうな顔をするルファに蔵之介が言う。
「ええ、削りました。我々が召喚された神殿にあった、あの模様をね」
「なっ……」
口元を綻ばせる蔵之介を前に、ルファが声にならない悲鳴を上げた。
「もしかして、大切なものだったのかな? 例えば、もう描くことができない、未解読の古代紋章魔法だとか?」
涙を浮かべて睨みつけるルファに、蔵之介が言う。
「図星のようですね」
「ここから逃げ切れるとでも?」
噛み締めた唇から一筋の血が流れた。
「そのつもりですよ」
「無理です。絶対に逃がしません。カズキ様たちが、あなた方を仕留めます」
神聖騎士団が発見したという痕跡は三好と清音のものだとルファは確信していた。
それを蔵之介に告げる。
「イセ様こそ、随分と余裕ですね。ミヨシ様とサイオンジ様は既に捕捉しております。彼らも気の毒ですね。イセ様の口車に乗ってしまったばかりに、命を落とす」
精一杯の強がり。
余裕があるように演技するルファ。顔を蒼ざめさせた蔵之介が、驚いたように声を上げた。
「練兵場かっ!」
「ええ、そうです。カズキ様方は『仕留める』。そう、おっしゃって練兵場へ向かわれました。神聖騎士団の者たちでは、カズキ様方を止められません」
ルファの言葉は、三好と清音に間もなく訪れる死を意味していた。
蔵之介の顔に広がった驚きが消え、笑みが浮かび上がる。
「なんてね。ちょっと驚いた振りをしてみました」
「は?」
「練兵場の痕跡、あれは囮です。こちらでわざと用意したものですよ」
「な、なにを……」
言葉を失い、表情を失ったルファが、突然声を荒げる。
「ふ、ふざけたことをっ! 私をからかって、そんなに面白いですかっ!」
涙を流して癇癪を起こすその姿は、年相応のものだった。
「私がルファさんをからかうためだけに、危険を冒してまでこんなことをしていると思いますか?」
「何の話をしているんですか? お話がみえませんよ……」
「ルファさん、貴女には失脚してもらいます」
ルファのセリフが途切れる瞬間を見計らって、蔵之介が諭すように言った。
「世迷言をっ!」
ルファが叫んだ瞬間、爆発音が轟く。空気が震え、建物が揺れる。
恐怖で床にしゃがみ込んだルファが、揺れる天井を仰ぎ見た。
「い、いったい、何が起きて……」
「貴女がさんざんバカにしていた紋章魔法ですよ。本当に使いものにならないかは、貴女が一番よく知っていますよね」
「紋章魔法が使えるのは、イセ様だけじゃないですか――」
そこまで言ってルファがはたと気付く。
「まさか、ミヨシ様? いえ、サイオンジ様?」
二人が覚醒したと勘違いしたルファが、顔を蒼ざめさせた。
「さあ、どうでしょう。長い余生です、色々と想像してみてください」
「ふざけないでくださいっ! 私は失脚などしません。必ずやあなた方に復讐をして見せます」
「我々を追いかけるよりも、もっと大切なことがあるんじゃないですか? たとえば、遺跡の攻略とか、ね」
「それもちゃんと熟してみせます」
「まあいいです。神殿を失った貴女が失脚しないか、興味深く見物させていただきましょう」
「神殿を失う?」
「まだ言ってませんでしたね。時間がくるとあちらこちらが爆発して、神殿が崩れます」
そう言うと蔵之介は扉に向かって歩きだす。
部屋をでる際にもう一度ルファを振り返った。
「ルファさんも早く逃げた方がいいですよ。せっかくの長い余生、こんなところで幕を下ろしたくはないでしょう?」
ルファは、部屋からでていく蔵之介を涙で霞む目で睨んでいた。
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