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白銀の御髪と青の瞳

 海の色を写し取ったかのように青い瞳をした白魚が、こちらを見ている。

「貴様がその口の利き方からして変わらんだけだろう」

 目前の相手からの批判の言葉など、飼い主はさして気にもしていないらしい。

 この人間はいつもそうだった。俺たちがいくら罵ろうとも、ただ薄く笑っている。「それがどうした?」とでも言わんばかりの雰囲気で。

 飼い主にとって所詮、俺たちは家畜であり、自分と同じ目線でなど相手にはしていない。その『畜生』が何を喚こうと、鳴き声程度の捉え方でしかないのだろう。

 今回もやはり笑みを()いていて、俺は薄気味の悪さに顔をしかめた。

 俺の心情を知るはずもない飼い主は、そのまま何事もなく会話を続行する。

「まあ、変わるはずもないな。不老不死の人魚よ」

 『一号』と呼ばれ奴隷にされていてもなお、ある種の清さを纏っているように見えるその人。土間から上体を起こしつつも、俺は再び見とれた。

 そう。一対の目でじっと見つめてくる彼――あるいは彼女――は、人魚だった。

 特別に室内に設えられたらしい生簀の中に、だらりとその半身を投げ出している。もちろん水の中に存在するのは人の脚ではない。足に当たる部分はまさしく魚のようで、白銀に輝く鱗に包まれていた。尾鰭が水の揺らぎに合わせて微かに揺れている。

 一方、上半身は男性とも女性とも思える中性的な美しい人の姿であり、腕を生簀の(ふち)についていた。

 腰の辺りまで伸びた、鱗と同じように白銀色をした長い髪。抜けるように白い肌。全体的な色の薄さのためか、月明かりを浴びていたその佇まいは少し眩しい。

 この世のものとも思えない造詣を、俺があまりに熱心に見ていたためだろうか。人魚はふとこちらに顔を向け、労わるように優しい眼差しを寄越した。

「……では、約束なさい。せめて時が来るまで、此処には一切足を踏み入れないと」

 それに呆けたようになった俺を気にする様子はなく、一号は飼い主にはっきりと言い放った。

 時が来るまで。意味するところがよく分からず、飼い主へと目線を移す。

 彼は肩を竦めていた。

「明日の用事が済めば、七日は放っておいてやる。それまでにどうにか見られる状態にしておけ」

「命令される筋合いはない」

「ほざけ。貴様は従う他に生きていく道などないだろう」

 事情が分からないまま、自分の目の前で会話が繰り広げられる。しかし言葉を発する隙間を見つけられるわけでもなく、俺はただじっと貝のように口を噤んでいた。

 人魚が美しい瞳を眇める。悔しそうな、憎々しげな、それでいて諦観も滲んでいるような。複雑な感情を映した歪め方だった。

 俺はその目に気づかされると同時に、一号という人を一気に身近な存在であるように感じた。

 何故なら、同じだったから。檻の中にいる者たちの中に共通していた感情と。

「明日の亥の刻に来る」

 光を反射する何か小さなものを人魚に投げ渡すようにしてから、飼い主は従者を引き連れて出ていく。俺にはもう一瞥も寄越さなかった。

 従者は従者で汚物を見る目だけを残していったから、それならば見もしない方がましだったが。

 頑丈な造りをしている離れの入り口が閉まり、鍵が掛けられたような音がする。檻から脱したというだけで、閉じ込められる生活であることには違いないらしい。絶望といってもいい感情が心を覆う。

「立てるかい」

 そういう、自分の置かれた状況の方に思考が向かっていたからだろうか。気配の察知が遅れた。

 驚いて振り返ると、穏やかな笑みを湛えた一号がそこにいる。

 俺はますます驚き、生簀の方を確認した。俺のいた土間からはそれなりに距離があったはずだったからだ。

 果たして、生簀と土間までの間はやはり記憶の通りである。

 足を持たないはずのこの人がどうやってここまで。その疑念から改めて見ると、何と下半身がヒトのものと同じになっていた。

「ヒトの姿になることもできるんだよ。それほど長い時間は維持できないけれど」

 目を見開いて固まった俺を可笑しそうに笑って手を伸ばしてくる。何をする気だと身構えたら、視界が突然に高くなった。

「……ッ!?」

 驚きから息を呑むと、どうやら抱え上げられたらしいとすぐに分かる。鎖が鳴るような音は響かなかったので、足枷はどうなったのだと見ると、外れていた。どうやら先ほど飼い主が放り投げたのは鍵だったらしい。

「な、何を……」

 ようやくそれだけを発すると、一号は笑みを湛え、そのまま生簀の脇を通り過ぎた。

「冷え切っているだろう、可哀相に。湯を用意しているから」

 混乱しきっている俺の背を宥めるようにさすり、隣室へと入っていく。また身構えかけたが、すぐに桶とそこから立ち昇る湯気が見え、言葉は真実だったらしいと納得した。

「そういえば、自己紹介がまだだったね。一号と呼ばれている人魚だ。一応、ここでは一番の古株ということになるかな」

 説明しながら何処かから手拭を出してきて、俺の傍に膝をつく。

「今日から世話役を任された。此処で一緒に暮らすことになるよ。長い時間を共にするのに、番号で呼ぶのも味気ない。私のことは『(はく)』とでもお呼び」

 柔らかい口調。そして美しい手が頭にそっと触れてきたと思えば、そのまま繰り返し撫でられる。

 生涯で初めてと言ってもいい優しい触れられ方に戸惑い、俺は目を揺らしながら人魚――白を見上げた。

「此処には妖力をある程度まで封ずる結界が張られているから、自由に外へ出ることはできないけれど、この中を動き回ることは許されている」

 確かに、白の体の何処にも枷はない。この人物を縛り付けているのは、建物に存在する術だけなのだ。

 そしてこれから俺もそうなるということで。

「……どうして、俺だけ連れ出されたの」

 檻から俺を出した時、飼い主は「今よりはいい暮らしをさせてやる」と言った。確かに、この環境はあの中よりはずっと恵まれていると言い切ることができる。

 でも、あの中にはまだ妹や仲間たちがいるのに。

「あの男の考えていることは私にもよくは分からない。今までこんなことは一度もなかったからね。でも、君にも何かしらの仕事を与えるつもりなんだろう」

 白はゆっくりとかぶりを振り、俺に手拭を持たせる。

 ――ぬしには新しい仕事を言い渡す。

 飼い主の言葉を思い出し、俺は少し身震いする。

 『新しい仕事』とは、いったい何なのだ。悪い予感しかしない。

「着替えを持ってきてあげよう。その間、少しでも体をあたためるんだよ」

 俺の震えを寒さからだと解釈したのだろうか。言葉を残し、白は奥に消えていく。

 勘違いだ、と言うほどのことでもない。それを見届けてから俺は手拭を見、用意された湯を見、あたたかな湯気を感じて、欲求に負けた。

 長く伸びた髪を鬱陶しく払いつつも、手で温度を確かめる。熱に敏感な俺でも火傷しない程度の適温で、思わず吐息が漏れた。

 足をつけ、手拭をできるだけ固く絞って体を拭っていく。冷え切って強張っていた体が少しずつ緩んでいくのが分かった。

 一通り終えたところで、足音が聞こえて振り返る。

 入ってきたのはやはり白だった。手には一枚の着物がある。

「さあ、これを」

 言いつつ、再び俺の傍に膝をついた。少し戸惑っている俺に微笑みかけつつ、そのまま着せてくれた。袖を通した着物は、今までの薄い着物とは段違いのあたたかさ。

「綿入れというんだよ。あたたかいだろう?」

 目を見開いて見上げてきた俺が何を言わんとしていたのか、白には容易に分かったらしい。微笑みを湛えたままで、また頭を撫でてきた。

「……有難う」

 小さく言うと、白の笑みは深まる。

「どう致しまして。……さて、君も『十号』とは呼ばれたくはないだろうし……名は?」

 俺はその問いかけに困り果ててしまい、眉を下げた。

「……知らない。俺は『十号』だ」

 物心ついたときにはあの檻の中にいて、そうしか呼ばれたことがない。名はない。強いて言うなら、もはや十号が名だろう。

 白はそれに目を見張ってから少し悲しげに表情を歪め、そっと俺の肩を引き寄せた。

「そうか……それなら、私が名をつけようか」

 人魚の白は、魚に近いのだろうか。それともヒトに近いのだろうか。抱きしめられたのを感じつつもそんなどうでもいいことを考えていた俺は、幾度目か驚きを以て白を見つめる。

「その綺麗な群青色の目からの連想で……そうだね、」

 優しく包み込むように抱きしめる腕と、頬を撫でるほっそりとした指。揺れる瞳で輝く青色を見上げていたら、白はふわりと笑った。


「『葉菊(はぎく)』――私の白と、群青の兄弟色の紺青の(かさね)だ。今日から君は、葉菊だよ」

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