48話:看破
俺は宿に戻ると、衛兵の詰め所で聞いた驚くべき事実を伝えた。
「――というわけで、新たに即位した皇帝、フィオナは死亡したらしい」
その話を聞いて、モニカとディビナは多少驚いていたものの、そこまでビックリというわけでもなかった。
しいていうなら、『またか……』という表情をしていた。
リリスはすでに聞いていたから……、というよりも、何を聞いてもニコニコしている気がする。
ここまでそれ以外の表情をあまり見せないのだ。
しかし、目を見開いて俺の話を食い入るように聞いていた者がいた。
それがフィーという銀髪でドレス姿の女の子だった。
モニカの友達で、俺と結婚したいと言いだす変わった子だ。
「それは……本当の話っスか?」
「ああ、間違いない。メイドのルルミーさんが確認に行ったからな。ルルミーさんはお付きのメイドだし、姿はもちろんのこと顔を忘れることはないだろうからな」
「そうかもしれないっスけど……」
フィーは首を振った。
「どうしたんだ、フィー? 新しい皇帝が知り合いと言ってたけど、やっぱりショックだったのか? 信じられないのは仕方ないだろうけど……」
「信じられないとか、そう言うことじゃないんスよ……」
「……じゃあ、どういう?」
ルルミーさんから説明を聞いたのだが、どうも新しい皇帝は貴族院から命を狙われていたらしい。
だからメイドのルルミーさんも暗殺者に殺されかけたのだ。
そいつらは秘書によって始末された。
だから、そいつらとは別の誰かが皇帝を殺したのだろう。
マルファーリスの時の再現みたいになっている。
皇帝が死んだ後は……、新たに皇帝になろうとする者がいる。
そいつが十中八九、犯人なのだろう。
そんなことを考えていると、フィーは俺の耳元へと口を近づけた。
手をかざして音が漏れないように小さな声でこう言った。
「実は……その、なんていうか、私が『皇帝』なんスよ。だから……私は死んでないっス」
俺は茫然とその事実を理解するのに努めた。
フィーがこの国の皇帝、フィオナだって?
確かに名前はフィーで似ているが……そんなはずないと思うのだが、またいつもの冗談か?
「本当なのか? そう言えば帝国に帰ったらもう一つ教えられることがあると言っていたが……」
まさか本当なのか?
あの助けたメイドさんが仕える主人で、皇帝なのがこのフィー?
「そうっス。私が逃げ出した皇帝の張本人ってことっス。ルルミーは私のお付きのメイドっスよ。だから……」
小さな声で『助けてくれてありがとうっス』と聞こえた気がした。
フィーはメイドと仲が良かったのかもしれない。
だからこそ分かったことがある。
メイドの態度を思い出し、これまでの脱走の経緯から出会いまでの時間経過やタイミングを考える。
俺はようやくフィーが皇帝であることを理解した。
だが、そうなると今度は、俺が話したことこそが間違っていると言うことになってしまう。
「じゃあ……皇帝は死んだという話は嘘で、本当は死んでいない?」
その一言を聞いていたモニカたち3人は疑問符を浮かべて俺を見ていた。
フィーから何を言われたのか気になるのだろう。
「そうなんスよ。いくらおっちょこちょいのルルミーでも、私を間違えるとは思わないっス」
「う~ん、とりあえずその死んだっていう皇帝を確認しに行くか?」
俺はいくつかの可能性を考えていた。
まず一つは、貴族院が皇帝不在を利用して影武者の死体を用意して、死んだように見せかけた。
その後、何食わぬ顔で自分たちに都合のいい皇帝候補を擁立する。
軍事・政治で好き勝手するという算段かもしれない。
もちろん、そこまで単純で、俺なんかにも思いつくような馬鹿な計画ではないだろうけど、大枠だけ見ればそれに近い事件かもしれない。
「とりあえず、ルルミーに会いたいんスけど、他の人たちに皇帝とはバレずに可能っスか?」
「俺がルルミーさんを呼びだせばいいかもしれない。彼女自身もフィーの死を信じてない様子だったからな。何かの嘘だといって、泣きはしなかったから急ぐ必要はないと思うが……」
「そうかもしれないっス。でも……やっぱりルルミーにはわずかにでも、一欠片でも死んだと思っていてほしくないっす」
「そうだな……。モニカとディビナはどうする?」
そう問われて、いまいち事情の呑み込めない二人だった。
フィーはただの一般人として接して欲しがっているから下手にバラすのはしないほうがいいだろう。
皇帝家といえば、誰にどんな恨みを買っていて、たったその事実を知るだけで良縁が切れてしまうこともあるのだから。
最初にそう言ったのはモニカだった。
「お邪魔でなければ私も行きたいです!」
意外だったのはディビナだった。
「そうなると、秘密裏の行動でしょうから、私はモキュちゃんと残ります。モキュちゃんが逃げないように見張っていますよ」
俺はディビナを真っすぐ見つめて一度頷くと、宿を出る準備をした。
といっても、なんてことはない。
ただ、宿を出ていくだけだ。
ーーーーーーーー
俺たち5人が街中を歩いて王城の死体が置かれているはずの安置室へと向かった。
なぜ4人ではなく、5人なのか?
それは道中で一人連れ去ってきたからだ。
いや、言い方を変えれば付いてきてもらった、といった方が正しい。
ミュースが店番をしているところに押しかけて、俺はとりあえず褒めちぎって、屁理屈をこねた後、しぶしぶ付いてきてくれたわけだ。
「あの……なぜ私が一緒なんでしょうか?」
眼鏡をしきりに触って俺にそんな問いを投げかけるミュース。
右手には一冊の古い本の入った手提げかばんを持っている。
ミュースにはフィーの事実を除いてひとしきり事情を話した。
「いや~、魔王の時も世話になったから本当は無理に連れてくるのはためらわれたんだが……。その眼鏡とミュースの思考力に頼らざるを得ないと言うかね……」
とはいえ、こうしてついてきてもらうために、さっき俺は『ミュースに来てほしいんだ』とかなんとか可能な限り口説きゼリフを吐いていた。
「はぁ……、どうしても来てほしいと言われたのでついて来たのですが、話を聞いているとますます私が必要とは思わないのですが……」
「そうか? 意外だな。ミュースならそれも簡単に当ててしまうと思ったんだけどな~~?」
俺は少しだけ挑戦的に言ってやった。
途中で帰られると困るから、あえてそう言ったのだが。
すると、ミュースは眼鏡の中の瞳を光らせた。
「もちろん、私が呼ばれた理由くらいは予想がつきます。でも、それを直視したくなかったので……」
「まあ、気持ちはわかるけど……」
意外にミュースは負けず嫌いだった。
学院で先生や生徒たちと折り合いをつけられない理由でもあるのかもしれない。
俺はミュースの発想・思考力とその眼鏡の力で死体やほかの物品を見てもらおうと考えていたのだ。
当然バレていたらしい。
「そりゃ、可愛いらしい普通の女の子が、死体を見るのはためらわれるか……」
ミュースはそれにピクリと反応した。
どこら辺が?と言うと、いつもは理知的に見せていて、本当の表情を隠している子が『可愛いらしい普通の女の子』といわれただけで口元が嬉しそうになっているところだ。
普通の子は『特別扱い』されたがると言うが、特殊で変な奴の扱いをされている子は『普通』扱いされたがるのだろう。
俺はまず一人で入っていき、メイドのルルミーさんを近くの林へと呼びだすことにした。
その後、俺は二手に分かれることにした。
まずフィーは林の中でルルミーが来るのを待機。
リリスは刀の姿になって、俺の腰へ。その隣にミュースとモニカ。
そして、ここからが本題だ。
俺は城の中へ入る許可は出ていないのだから、入った瞬間に捕まる。
だから、城の中を誰にも気づかれずに歩きまわるためには、モニカの血印魔法の力が必要だ。
「いけるかモニカ?」
「たぶん……、大丈夫だと思います。騎士のレドルさんに基本的な『霧影』の使い方は教えてもらいましたから」
俺とミュースはモニカのそれぞれ右手と左手を握る。
すると、自分たちの姿が霧に変わるようにしてその場から消えた。
以前までならこんなこと、モニカには出来なかったはずだ。
一人で誰かの影に転移して隠れることしかできなかったのだから。
いままで独力で使っていた魔法だった、と言うのもあるだろう。
それを王城で戦闘訓練をつけてくれた同じ魔法を使う騎士レドルから身につけたと言う。
俺は模擬戦を見ていてすぐに気付いた。
つまり、『あの男の騎士……俺と戦った時、手加減してやがったな!』と思ったくらいにだ。
俺に戦闘データをとらせないようにたちまわっていたのが、今ならはっきりとわかる。
ゆっくりと、空中を漂うように霧となった俺たちは城の中へと入っていく。
俺たちはまずフィーの偽物の死体のトリックを暴く。
それをメイドや秘書に伝えて皇帝は死んでないことを伝える。
そして、これ以上悲惨で好戦的な街にならないようにすると言うのが狙いだ。
ただでさえ、闇の深い帝国首都が、地獄絵図みたいになったら困る。
この状況に一番喜ぶのは、マルファーリスみたいに人間を犠牲にしておかしなことをたくらむ奴だからな。
俺の敵になる前に、そういう目は摘んでおくのが賢い奴の選択のはずだ。
見回り兵士の横を冷や汗をたらしながら通り過ぎた後、地下1階に目的の場所があった。
「ここが安置室か?」
部屋の名前が書かれた看板を見て、それにモニカも同意する。
「そうみたいです。お兄ちゃん、お願いします」
モニカは『霧影』の霧バージョンを解いて、一度俺たちの姿が廊下で露わになる。
「ああ、まかせろ」
俺は扉に片手をつき、『開け!』と命令した。
すると、石作りの扉は自動で開き始めた。
複雑なカギだろうと、頑丈で壊れないな作りだろうと俺の能力の前では関係ない。
それを見てミュースが感嘆の声を上げた。
「これが、いつも言っているコウセイさんの能力……ですか。実際に見ると凄いものがありますね……」
やはりこの『物に命令できる』所が便利だ。
下手に破壊しなくても解錠もできるし、縄も解くことができる。
侵入察知のセンサーがあっても関係なし。
この力は手で触れないとダメだが、それでも使い方によっては下手な魔法よりも使い勝手が良い。
中に入って被せられたシートをどかすと、俺が目にしたのは一人の女の子の死体だった。
「これは……フィーそっくりだな。あっ!」
そこで気づいた。
これを見たら、フィーが皇帝だとバレてしまうではないか。
俺はおそるおそる二人の表情を確認した。
めちゃくちゃ驚いていた。
たぶん俺が考えたのとは違う意味で。
それはモニカのセリフからもわかる。
「お兄ちゃん、この子……フィーさんにそっくりです。3人くらいは世の中にそう言う人がいると聞いたことはありますが、まるで双子みたいです」
どうやら、フィーが皇帝だと言うことはモニカには想定外であるらしく、フィーが実は皇帝だったとは思っていないようだった。
ミュースの方は、唸りつつも眼鏡を人差し指でかけ直して死体の顔を見ながらながら何かを考えていた。
もしかしたらこっちにはバレたかもしれない。
「……これは『幻覚』の類いですね」
その一言にモニカはミュースを振り返るのが見えた。
「やっぱり偽物なのか? これは本当の死体じゃなかった」
「はい……いえ、そうではなく、これはまぎれもなく本物の死体です。けど、皇帝の容姿や顔といったパーツが幻覚魔法で出来た偽物です」
俺は視神経に対して電気パルスの操作を行うが、この幻覚が解けることはなかった。
横にいた俺の表情を見て何をしようとしたのか分かったのだろう、すぐさまミュースが答える。
「無駄だと思いますよ? コウセイさんの能力はあくまでも内的なものです。系全体にかかっている幻覚魔法は消せませんし、生命にはそれが通用しませんからね。この二つの壁があるだけで、コウセイさんすら騙せるレベルの幻覚を見せることができているわけです」
「おいおい……じゃあこの幻覚自体が俺の能力まで考慮して構築されているってことか?」
「それはわかりません。けど、一般の兵士や秘書、メイドを騙すのにここまで手の込んだ幻覚は普通使わないでしょう。本当に騙したい誰かがいるのかもしれません」
そういってミュースは、手提げ鞄の中から1冊の本を取り出した。
本の表紙を手のひらでなぞり、それから死体の女の子の顔に手のひらをかざした。
あとは何かシールでもはがすみたいに、顔の表面から薄い膜を引きはがしにかかった。
びりびりとはがれていくのは、何かの細胞だった。
モニカはなにがなんだか分からず、その作業を黙って見守っていた。
「それで結局のところ、ミュースはなにをしたんだ? 幻覚というのは魔法だとして、それなのに魔法陣がどこにもないぞ?」
「簡単な話です。魔法陣はこの地下の廊下全体に展開されていますね。暗くて見えません。それと幻覚には精神支配と同じで『核』になるものが必要です。それがこの細胞です」
手で引き延ばして見せてくるのは、薄っぺらい皮だった。
「これはなんなんだ?」
「皇帝本人の細胞から作られた細胞膜……でしょうね。しかも人工的な」
つまり、なんだ? フィーの細胞から幻覚魔法の核として細胞膜を作った奴がいるってことか?
てか、なんで皇帝本人のものだって断言できるんだ? 眼鏡のおかげなのか?
「それはボクが説明しよう!」
刀が変化して、一人の幼女が姿を現した。
幻覚と言えば一番詳しいのがこのリリスなのは確かだが、おそらくミュースから、いいとこ取りをしようと思ってのことだろう。
「ああ、説明してくれ」
俺は呆れつつそう言った。
「幻覚魔法で一番重要なのは、その魔法をくらった人間自身が『もしかしたらそれが本当なのかもしれない……』『起こりえるかもしれない……』と思うことなんだ。まあこれは精神的な幻覚・幻聴の場合だね。じゃあ、外面にかける幻覚として最も効果的なのは? それは、幻覚でそう見せたい姿そのものと本人が限りなく近づくことだよ」
「近づく? っていうのは本人に似ているってことか?」
「そうだね、そういうこと。じゃあ、簡単だよね。本人の身体の一部を使えば、より幻覚は強固になる。しかもこの地下には魔法陣まで展開されていると来た。であるならば、絶対に、誰にもこの幻覚の正体を見破ることができない……。僕であってもね。まあ、死体を焼いて核を直接破壊すれば別だけど、それじゃあ本末転倒だよね」
とリリスは説明を終えた。
そして、その説明の中に一つだけ違和感? というか矛盾があった。
「それはおかしい。だって俺たちはそれを見つけられた。核も判明した。幻覚の謎を見破った。それなのに、誰にも見破れない? ミュースができたじゃないか……」
「ハハハ。主様は一つ勘違いしているよ。そのミュースって子はなにも見破っていないんだよ」
「……え? リリスこそ何言ってるんだ? 確かにミュースが見破……」
そこまでいってミュースを見ると、いつも隠している表情が何かに焦っているように見えた。
俺はミュースの肩に手をのせた。
「おい、ミュース」
「は、ひゃい!」
ミュースは声を裏返えらせた。
珍しいこともあるものだ。
痛いほど動揺が伝わってくる。
「どういうことなんだ?」
「それは……」
俺はミュ-スがどんな子かを思い返していた。
魔王戦の時は助けてくれて、もっと前は魔法や武器についての知識を教えてくれた。
最初の時までさかのぼれば、あの眼鏡で妖刀を見破った……。
そのレアな眼鏡を貸してもらったことも覚えている。
それを借りた時、もっと早く違和感に気づいていればよかったのだが、今頃になって気付いた。
「そういえば、ミュース。君は別に目が悪くないんだよな。眼鏡を一度借りたから覚えている。度が入っていなかった。それなのに」
俺は決定的なことを問う。
「武器鑑定のとき以外にもその眼鏡をかけているのは……なぜなんだ?」
そこまでいうと、何かをあきらめたようにミュースは俯いた。
数秒何かを考えて、一つの結論を出したようだった。
「わかりました。あなたになら教えてもいいです」
俺は意外な答えが返ってきたことに驚いた。
「教えるっていうのは?」
「この眼鏡……というか、この右手に持っている『魔法の書』についてです」
そういえば、この子は常に片時も離すことなく、この古めかしい本をそばに置いていた。
本を読むのが好きだからいつも持っているのだと思っていたが、どうやら違うらしい。
タイトルには『Per omnes』と書いてある。
「魔法の書? 初めて聞く本の名前だけど……なんなんだそれは?」
「いわゆる古代魔法の一つに数えられています。古代魔法……つまり現代の魔法が使われるようになった遥か太古の昔から存在した世界の起点となる魔法。そんな魔法の奥義や禁忌が収められているのが、この『魔法の書』です」
「待ってくれ! それがあると、どうしてこの誰にも見破れない幻覚を見破れるんだ?」
「それは『魔法の書』に収められた古代魔法が、魔法の『最上位』に存在するからです。いまの魔法は『下位』の法則でしかありませんから。それをこの本が見破ることは容易いんです。いえ、そうでなくてもこの『魔法の書』に収められている魔法はたった一つ、『看破』です。もちろん、膨大な制限と使用手順がありますから、いつでも何でも看破できるわけではないのですが」
俺はいまになって思う。
なぜ実践経験の少ないミュースが、魔王や魔族との戦闘であそこまで的確なアドバイスができたのか?
それはミュースの膨大な知識と知的な推理だとばかり思っていた。
が、弱点を『看破』していたのはこの本の力によるものだったのだろう。
もちろん、彼女の思考力もあってこそだが。
となれば、あのとき質問でミュースにいろいろ聞かれていたのは、状況説明という意味合いだけでなく、この『魔法の書』を使用するための条件や手順を質問に答えることで俺が知らないうちにクリアしていた、いや、させられていたのかもしれない。
条件クリアのために会えて質問をしていたのかもな。
「それじゃあ、この幻覚を見破ったのは正確にいえば、ミュースじゃなくてその本?」
「えと、確かに『魔法の書』に収められた魔法は使っていますが、それはちょっとだけ違います。私は生まれた時からこの本を持っていたんです。そして、この本の使い方も生まれた時から知っていました。言葉も文字も常識もわからない赤ちゃんが、そんな高度な法則のことを最初から知っていたと言うだけでも恐ろしいことだと自分でも思います。この本の影響かはわかりませんが、私の知能も発想も論理的思考も、全てそれに影響されています。私と『魔法の書』は良く言えば一心同体、悪く言えば本に憑かれているんです」
「じゃあ、これはミュースの意志じゃないってことか?」
「この状況だけ見ればそうなりますね。とはいっても、今では私の唯一の取り柄? みたいになっていますから気にしていません」
この本のおかげでいまのミュースがあると、そう言っているのだ。
そんなふうに言ってしまえる所を見て、やっぱりミュースはすごい子だと思った。
「そういえば、本がその看破した力の正体だったっけ? なら、この前の眼鏡は鑑定のレアアイテムと思っていたけど……本とは別?」
「この眼鏡は、ただのダテ眼鏡です。本から魔法の貸与をしているにすぎません」
そして、いつもの眼鏡を触る仕草についても続けて説明した。
「私が恐れていたのは、私の手元に『魔法の書』があるとバレてしまうことでした。奪おうとする者もいますし、争いの火種になります。私を中心にして、政略がめぐらされるのは御免でした。そこで、別のモノに魔法を貸与することを思いついたのです」
「それが眼鏡?」
「はい。ですが、この『魔法の書』には一つ致命的な欠陥がありました。それは貸与していても本の魔法を発動させるためには、必ず手のひらで触れなければならないことです。そんなのを見られていればいつか必ず『魔法の書』が力の源だとばれてしまいますそこで、この仕草なんです」
そういってクイっと眼鏡に触れた。
その瞬間、わざと俺の顔の目の前に本をかざした。
すると、眼鏡に手が触れた瞬間に、本の表紙に手のひらを触れていた。
なるほど、こうやって視線を眼鏡に引き付けてこっそりと本に触れていたのか。
手品みたいなものか。
いや、この眼鏡に触れる行為自体も魔法発動の条件の一つなのかもしれない。
一通り説明し終わった後、ミュースは俺たち3人にこの魔法の書の存在を秘密にするようにお願いするのだった。
再び霧になった俺たちは、地下から上へと上がっていく。
すでに幻覚の核を引き離したから、その辺の衛兵が死体を見ただけでも皇帝ではなく偽物だとわかるはずだ。
帰りも慎重に廊下を歩いていくが、予想外にも俺たちは廊下で立ち往生した。
一人の少年が廊下の道をふさいだのだ。
霧になる前にミュースだけが何かを憂慮していたのが頭の片隅をよぎる。
この幻覚の魔法を解除したこと。
それそのものをもっと重視すべきだったのかもしれない。
もっと言えば、こんな巨大な仕掛けを解除して誰にも気づかれないと言う方がおかしい。
さらに言えば、あの魔法が城の中から展開されていたのだから、犯人も城の中にいるはずという当たり前のことを見逃していたのかもしれない。
「おいおい、どこへ行くんだい? もうお帰りなのかな?」
そのモニカと同じ年くらいの小さな少年は、何も見えないはずの廊下の中央に向かって問いかけた。
まさに俺たちのいる場所だ。
どうやら俺たちのいる位置がバレているらしい。
銀硝鉱石を展開できない状況だったのも影響している。
すぐ目の前に現れるまで気配がわからなかった。
モニカはバレているのだからどうしようもないし、この状態では攻撃もまともに出来ないと、魔法を解いた。
俺たち4人は廊下に突如として姿を現した形になる。
「なぜ俺たちのことが分かった?」
「それをこの僕に聞くのかい? だとしたら君は本物の馬鹿だ」
その返答で俺はちょっとだけムッとなってしまったが、こんな小さな子に怒るのもと思いこらえた。
「言いたい放題いってくれるな……」
ミュースは手のひらを『魔法の書』に触れて少年を見た。
そして、絶望の表情を浮かべた。
驚愕でも悲嘆でもない、絶望だ。
「そんな……」
俺はそのあまりにもミュースが浮かべるにはふさわしくないと思える表情を見て、なにかこの少年が非常にヤバいことだけはわかった。
ミュースが何かを『看破』して浮かべた表情がこれなのだ。
少年の何かを知ってしまったのだ。
それでもなんとかしようとする思考だけを働かせて絶望的な状況の抜け道を考えるミュース。
とにかく銀硝鉱石を改めて廊下へと展開した。
とはいえ、あまり意味はない。
距離のある攻撃とかならまだしも、こうも堂々と目の前を歩いて近づいて来る少年にはそこまで意味はない。
そこで、芸がないのは承知しつつも小石を召喚してそれを操作してぶつける。
だが、その小石すべての軌道を首を動かし、身体をひねるだけで回避しやがったのだ。
「は……?」
思わず俺は声を漏らしていた。
その危険度をリリスも察知したのか、刀の姿へと戻った。
とりあえず、城内のモニカとミュースの安全を確保するために、林へと空間転移させた。
その瞬間だった。
俺の刀を握った両手にものすごい衝撃を受けたのは。
気付いた時には城の外まで吹き飛ばされていた。
その間に会った壁を全て内側から砕いて穴をあけながらだ。
滞空して姿勢を制御する。
何らかの攻撃を刀が防いだのだ。
今のが能力で防げない攻撃だったとして、もしリリスがいなければ俺の身体は木端微塵になっていた。
「一体、なにが……起きたんだ」
するとリリスの声が頭の中に流れる。
『あれ、やばいね。ボクとしては一刻も早くここから逃げた方がいい』
「それはなんとなくわかるが……あいつは、なんなんだ?」
「さ~て、ボクにもよくわかんないけど、人間ではないだろうね。もし僕が妖刀『リリス』として孵化していなかったら、刀が粉々になっていたところだよ」
「魔王の攻撃も防げていたお前がか?」
「本当によかったよ、孵化しておいて」
「リリス、お前……」
ついこの瞬間まで、リリスの我が儘から契約を結ばされたと思っていた。
だが、改めて考えてみると、あの契約は俺のためだったのではないか? と思えた。
俺がこれから中央大陸の支配領土を奪還して竜王と戦うという無茶な計画を知ったリリスが、その時何を思ったのか?
本当の事はわからないが、マルファーリスの計略以外ではいつも俺を助けようとしてくれていた。
だがおしゃべりの時間はなかった。
俺の右隣りには、いつの間にかあの少年がいた。
銀硝鉱石の探知が一切できていなかった。
いや、探知してもそれを感じ取る前に、電気パルスが情報の信号として送られる前に、そいつが攻撃を始めているのだ。
リリスは刀身で謎の攻撃を防御するが、そのまま地面へとブッ飛ばされてしまった。
「ぐはっ!」
内臓にも攻撃時の振動が伝わってきたらしい。
地面にぶつかったダメージは能力で無効化されているはずだ
。
わかったのは、感知できない速度で無効化できない攻撃をしてくるということだ。
そして、俺はいままで気づいていてもあえて考えないようにしていた一つの考えが思い浮かんだ。
「まさか、いやそんなはずは……。でももしかして……」
こんなところにいるはずがない。
突然、現れるはずがない。
俺をピンポイントに訪れるはずがない。
だが、防戦一方で、この勝てる気がしない相手がこの世界にどれくらいいるかなんて明白だ。
魔王でさえ倒せた俺が、これからあらゆる手段で倒すという一縷の望みさえ浮かばない相手。
そんな存在は一つしかない。
「そろそろ、君の冒険譚も終わりにしてあげよう」
目の前で笑みを浮かべた少年は一言そういった。
「お前が……」
「気付いた? だけどもう遅い。その致命的なまでの遅さ、馬鹿なまでの頭の回転の鈍さ、やはり人間は……この世界に必要ない」
そのセリフですべてが俺の想定した通りの相手だと知った瞬間だった。
順序立てて、倒されるのを待ってくれる敵がいるはずはなかったのだ。
領土を奪われるのを待っていてなどくれなかった。
自分を倒そうとしている奴くらい、いつでも排除できるなんて最強の存在からすれば簡単で当たり前の帰結を想定すべきだった。
「竜王!!!!!!!!!!!!」
俺は絶叫する。
見えない攻撃とともに全身に衝撃が走った。