44話:秘書の大槌とメイドの秘密(秘書サイド)
【視点:アイゼルベン公爵】
城の会議室から出てきたのは、目つきの悪い貴族としてちょい悪と呼ばれそうな風貌のアイゼルベン公爵だった。
今年で48歳となる。
廊下で掃き捨てるように言った。
「皇帝が脱走しただと……。もう我慢の限界だ」
傍に控えている妙齢の男性執事が静かにその言葉を聞いていた。
アイゼルベン公爵は、恒例の会議が終わったすぐ後、自分の邸宅へと速やかに帰ることにした。
「奴らを呼べ」
「彼らをですか?」
彼らとは暗殺者のことだった。
人間同士の外交戦略上、暗殺というのは最も効率の良い外交手段の一つだ。
「いつお呼びすれば?」
「いますぐだ!」
「かしこまりました」
そう言って執事は姿を消した。
城の外にひっそりと止めてあった馬車に乗り込むと、護衛の騎士とともに待っていたのは二人の黒服の男だった。
騎士の魔法で、関係者以外は視認できないように気配を消してある場所だ。
アイゼルベン公爵は早速男たちに口頭で依頼を伝えた。
「この女を殺せ。報酬はいつもの手筈で支払う。この依頼はいつもの3倍出そう」
手渡したのはその女の似顔絵だ。
長髪の黒服の男、通称フクロウがそれを受け取ると、二人とも馬車を降りた。
「これは……本気ですか?」
動揺を隠しきれないように声に出したのはもう一人の黒服の短い黒髪の男、通称カマキリだ。
アイゼルベン公爵は睨みつけると、挑戦的な声で聞いた。
「なんだ? 無理なのか?」
長髪の男、フクロウは微笑で受け流した。
「ふっ、冗談がお上手だ。これまで我々が仕事を失敗したことはありましたか?」
「……ないな」
「一両日以内には死亡報告をお届けしますよ」
そう言って二人の黒服は姿を消した。
フクロウの手に持っていた似顔絵には、少し前に皇帝になったばかりのフィオナの顔が描かれていた。
ーーーーーーー
【視点:秘書】
皇帝の秘書は名前をキリエという。
秘書の役割はたった一つ。
事務仕事でも雑用でもなく、『皇帝に反逆するものを排除する』ことだ。
いわゆる不穏分子や異端分子を帝国からとり除くことが使命ともいえる。
今しているのはそのどれでもない。
コウセイという勇者の提案を受けて皇帝を探すために軍隊を国内で動かしていた。
だが、結局さんざん探しまわっても皇帝は見つからなかった。
そんな時だった。
メイドを傍に置いて城門前の事務所である連絡を受けた。
『……というわけで、アルカリス王国の魔王による進軍は話し合いでけりがついたので安心してくれ』
どうやら話し合いの末に魔王軍と停戦協定が結ばれたらしいのだ。
秘書は驚くメイドを横目に見ながら、コウセイに対する評価を上方修正した。
「これは予想以上に、彼の行動がよい結果をもたらしたようです」
そこに城の中から一人の衛兵が報告に訪れた。
「失礼します」
「何用ですか? 今忙しいのですが」
「先ほど貴族院の会議が終わりました。そこでの新たな決定をお伝えします」
「貴族院が?」
秘書は、いぶかしげに衛兵を見つめた。
このタイミングで貴族院が横やりを入れることとは何か?
想像がつくから嫌になるのだ。
皇帝が不在の間は、軍事行動の指揮権は臨時権を持つ秘書から正式に貴族院へと移るのだ。
「現在、失踪した皇帝の捜索を行っているとのことですが、それを直ちに中止するよう決定が下りました。すぐにでも捜索をやめるようにと……。それから、失踪した皇帝フィオナ様についてですが、1カ月の間は皇帝の位はフィオナ様のままとなります。見つかればそのまま皇帝権を継続。もし、期間内に死亡が確認された場合、新たな皇帝を貴族院が擁立するとのことです」
「わかりました。下がってください」
秘書はため息を一つついて衛兵を下がらせた。
その報告に首をかしげたのはメイドだ。
「いまのはどういう意味なのでしょうか?」
秘書はもう一度ため息をついた。
貴族院の裏の意図がわかっていないのだ。
「簡単に申し上げれば、見つかる前に殺してしまえということでしょう」
そう言った瞬間、メイドは顔面を蒼白にした。
「そ、そそそそ、そんな!」
「まあ、私個人としてはフィオナ様が死のうが生きようがどうでもいいです……」
その辛らつな言葉を聞いて、メイドは秘書に非難がましい目を向けた。
そこで秘書は言葉をつづけた。
「とはいえ、私は皇帝の秘書ですから役目は果たしますのでご安心を」
秘書は一冊の古い本を手にした。
それを見てこの『魔法の書』を継承した時のことを思い出す。
まだ秘書に任命されたばかりで日が浅いのがこのキリエだった。
ついこの間までは母が秘書をしていた。
それが皇帝とともにマルファーリスに殺害されてしまった。
おそらく皇帝の秘書(母)がこの国で一番厄介だとわかっていたのだろう。
いきなり秘書に任命された時は驚いたが、仕事は仕事だと割り切れた。
キリエはそういう人間だと自分でも自覚していたのだ。
母を殺した人間の下について、何事もなかったかのように仕事を遂行することができた。
メイドは秘書の微妙な表情の変化を読み取って、聞き辛そうにつぶやいた。
「……それは?」
「知らないのですか? 『魔法の書』ですよ」
表紙には『Poena autem peccati』と書かれている。
「これがあの……。ではこの表紙にあるのが、その魔法の?」
「そうです。この秘書の使命を果たせる唯一無二の魔法が収められています」
秘書は、手に持つ『魔法の書』へと手をかざした。
そこからつかみ取るように、何かを握り込んで持ち上げた。
それは一つの木槌だった。
細い木製の柄に先端が人の頭くらいの大きさはあるだろうか。
風船見たいに膨らんで、飛び出す絵本のような仕掛けにも見えた。
「で、でもでも、聞いた話だと『魔法の書』はたった一度の使用で一国の民を全て犠牲にしないと使えないんじゃ?」
「それは問題ありません。使用条件と制限はとても魔法とは思えない極端なものばかりなので……」
「……そうなんですか。その制限って……」
「試したほうが早いでしょうね」
秘書は試しにと、その木槌をおどおどするメイドへと振り下ろしたのだ。
「え、そんな、うそ、やめて~~~」
無意識に頭を押さえて床にうずくまったメイドは、叩かれた痛みがないことに気づいて秘書を見上げた。
「どうですか?」
「あれ……痛くない? それよりもこの木槌、すり抜けてませんか?」
半透明のようになった木槌は、メイドの身体をすり抜けて地面を叩いていたのだ。
「これが制限の一つですね。あなたは皇帝に対する異分子とは認められませんでした。ですから、一切傷を負いません。痛みもありません」
「お、驚きましたけど、なんか不思議な魔法ですね」
「あと二つ制限があります。この帝国内でしか使えないこと。そして、最後が家系の制限です。血の契約によって『血印魔法』の制限方式と組み合わせることで、私のような魔法に疎い人間でも『魔法の書』を使うことが可能なのです」
「あ、あの、制限方式というのは?」
「制限方式というのは、制限によって魔法の威力や範囲を下げることを覚悟で使える魔法のことです。魔法だけではなくて、人知を超えた能力全般にも言えることですが、ある能力Aを使う際に制限がかかっていると、犠牲による代償なしにその能力や魔法を使えるというものです」
「そんな方法が……。だったら、この帝国でももう犠牲を出さずに……」
「いえ、それは違います。魔法の威力や性能が高いほど制限も強く働きます。犠牲なしでは前代皇帝が使っていたような戦闘魔法は天地がひっくりかえっても使えないでしょう。マルファーリスは逆に、この両方を組み合わせて戦略兵器並みの強力な魔法を個人で扱っていたようです」
「そ、そうなんですか……」
残念そうに自分の肩を抱き寄せたをメイドはなにを思ったのか、一つ思い出したように質問をした。
「確か……『魔法の書』は古代魔法の一つでしたよね?」
「そうなりますね。竜種や魔王はこの魔法が唯一使える存在なので、人間が使えること自体が奇跡に近いと言われています。ところで、なぜ帝国に竜種が攻めてこないか分かりますか?」
「それは……人間を蟻くらいにしか思っていないからでは?」
メイドはその理由をよくは知らなかった。
確かに竜種が侵略戦争を好むのに、帝国にはその間の手が及ばなかった。
「それもありますが、連合小国の中には竜種に攻め落とされた国もあります。それでも帝国に侵入してこない理由は一つ。この『魔法の書』があるからです」
「それほどの魔法なんですね……」
「予測では、この国内に一歩でも踏み込んでくれれば、殺せはしなくても竜王と互角にだって戦うことができるはずです。けれど向こうもそれを分かっているから来ないのでしょう。……ではいきましょうか?」
そこで、秘書は立ち上がると、メイドについて来るように告げた。
「え? 行くってどこに?」
「そんなことは決まっています。貴族院の中には秘書の家系がどうして強いのか、その真実を知りません。祖母や母が秘書として強い魔法を使えると思っている程度でしょう。いまはその母もいない。となれば、頭の弱い貴族の方の中から必ずおかしなことをする者が出てきます。今回の決定はまさにそれでしょう。たぶん議長はそれを知っていてそんな決定をしたのでしょうが……」
メイドはある一つの答えに行きついた。
「もしかして貴族院の誰かがフィオナ様を……殺そうとしているのですか?」
「可能性は高いです。以前の様子からも誰かくらいは見当がつきますが……」
以前から、派手に議論を交わしていたアイゼルベン公爵ならやりかねないとすぐに秘書は思い至った。
とりあえず暗殺者はすぐにでも潰すつもりだった。
二人は城門から外にでると、秘書は『魔法の書』を開いて中の文字を唱える。
そして、本の中に手を突っ込んだと思ったら、家くらいはありそうな巨大な木槌が目の前に出現した。
あまりにも巨大すぎて、先端が全く見えない。
秘書のすぐ横にいたメイドも、木槌の中にめり込んでいた。身体に何の不可もかからない不思議な感覚。
まるで半透明な映像を見ているようだった。
木槌は掴むのではなく、手先の数センチ前に接着剤でくっついているかのように固定されていた。
メイドは疑問を口にした。
「それでどうやって暗殺者を?」
その答えはすぐわかった。
「【帝国に仇なす者に罪と罰を!】」
秘書はそう呟くと、『魔法の書』が淡い光に包まれた。
国内であればこの異分子の索敵魔法から逃げることはできない。
秘書には敵がどこにいるのか位置が判明した。
直後、林の中に鋭い視線を送った。
手の動きに合わせて木槌もゆっくり後を追うように動く
。
勢いよく巨大な木槌が叩いたのは、すぐそばにある林の中の一角だった。
土煙が辺りに漂うと同時に男の悲鳴が聞こえた。
「ぐあっ!!!!!」
悲鳴のあった場所まで秘書はメイドと歩いていくと、地面には折れた木の枝と落ち葉、そして何かの赤黒い塊と血があった。
おそらくこれが暗殺者の死体の塊だろう。
「間違いありませんね。これが暗殺者でしょう」
「え? これが?」
「ええ、この木槌が効いたのが何よりの証拠です。この木槌で殺せるのは皇帝に仇なす異分子だけ……」
そこでメイドが叫んだ。
「危ない!!」
秘書を庇うような形でメイドが地面へと倒れ込んだ。
メイドの背中には短剣が3本刺さっていた。
秘書は思った。実戦経験の少なさが、この致命的な遅れにつながった。
普段なら気づけたはずなのにだ。
秘書は起き上がると、地面に倒れるメイドをゆすって声をかけた。
「ちょっと、返事をしなさい!」
その時突然、男の笑い声が聞こえてくる。
そこにいたのは長い髪の黒服の男、フクロウだった。
「ふふふふ、なるほど。これが噂の『帝国の秘書』の力ですか。聞いていたのとは少し違いますね。……ん?」
暗殺者フクロウの会話を止めたのは、背中に短剣を差したまま立ち上がったメイドだった。
「いたたたたた……痛いですよ、も~! これ完全に刺さっちゃってます。抜いてもらえませんか?」
こんなときでも空気の読めないメイドだった。
秘書に短剣を抜くように頼んでいた。
「あなたは……、その大丈夫なのですか?」
「は、はい……痛いですけど、けっこう大丈夫ですよ。あ~、メイド服は破れちゃいましたね……」
そんなやり取りをしてから、秘書はメイドから短剣を引き抜いて地面へと投げ捨てた。
フクロウはその様子を驚きの表情で見ていた。
「驚きました……。猛毒が塗ってあったのですよ?」
秘書だって驚いてはいるが、メイドが無事だった安堵感の方が勝った。
メイドの命が……というよりも、使命を全うできずに、明らかに自分よりも弱い者に庇われたことが心理的にも大きかった。
秘書はつい思ったことを口にしていた。
「あなたはもしかしてただのメイドではないのですか?」
「……そういえば秘書さんは新参だから『私たち』のことは知らないんでしたね」
「私……たち? それはどういう意味?」
「フィオナ様も……という意味です。私たち二人はただの人間……ではありません。いえ、正確には私は人間ですらない……ですね。言ってしまえば、人工的に作られた魔法生物なんです。初めてあった日、フィオナ様から与えられた名前はルルミーでした。人生の中で一番うれしかった出来事かもしれません」
そういって、メイドはスカートをまくって、太ももやお尻を秘書に見せた。
より正確にはそこに刻まれた魔法陣をだ。
「これが全て『外付け』の魔法陣?」
『外付け』の魔法陣というのはいわゆる人体実験の産物だ。
後発的に魔法を使えるようにしたり、より強い魔法を使えるようにするのが主な目的で生みだされたものだ。
それがフィオナ様にも魔法陣が植え付けられて……と思い至ったところで、なぜ彼女に魔法陣が刻まれたのか理解に至った。
フィオナ様が無能と言われている理由がまさにそれだからだ。
あの子は皇帝家に生まれたのに『魔法』が使えなかった。
犠牲を積み上げて無限に性能を上げられるのは、魔法だけだ。
魔法が使えないなら、後付けで使えるようにしたかったのかもしれない。
「私が生み出されるずっと前からフィオナ様は実験体でした……。死ぬよりも辛いあの地獄の実験の日々を生まれてから先代皇帝が死ぬまでずっとです。だからフィオナ様は本当はすごい方なんです。魔法が使えないだけで、ものすごく立派な女の子……なんです」
メイドのルルミーが浮かべるのは真剣な表情だった。
まさか、娘を実験台にするとは誰も思わない。
だから、外部に知らされていないのは、明らかに皇帝と秘書であった母の思惑によるものだ。
だとするとおそらく貴族連中も知らないことだろうと秘書のキリエは当たりをつけた。。
そして、あの一見ダラダラした何の取り柄もないフィオナ。
無能でしかないと思っていたが、自分の想像をはるかに越えた経験を経ていたことに気づかされた。
それでも冷静な思考で暗殺者フクロウに対しての交戦を開始することにした。
手にした『魔法の書』から引きずり出したのは、両手を広げるくらいの長さと人の頭くらいの大きさの先端をした大きな木槌だ。
さっき出したものより少しスケールを小さくて振りまわしやすくした。
「あなたは暗殺者でよろしいですか?」
秘書の問いかけに、にやりと笑みを浮かべる暗殺者の男。
「それは言えませんね。一応これでも大事な仕事中でね」
「それだけで結構です。私が決めるのではなく、この『魔法の書』と木槌があなたの罪を罰しますから」
「そうかい。でも……」
秘書は正面から木槌を振り下ろすと、男はそれをスラリとかわす。
フクロウは言葉をつづけた。
「……当たらなければ何の意味もありませんよね?」
さっきの巨大な木槌も攻撃の動作に気づいて避けたらしい。
秘書の身体的な速度とそこまで差がないことからも、身のこなしが暗殺者のプロであることは間違いなかった。
「私は今日、多くの勘違いを正されました。フィオナ様やメイドのこともそうですが、なによりもこの『魔法の書』があれば竜種にも対抗できると考えてしまったことです。あなたのような暗殺者さえ殺しきれない。全ては私の奢りでした」
繰り返し振り下ろされる木槌を軽やかに避ける暗殺者の姿を見て、メイドのルルミーはその動きを拘束しようと走り出す。
「私だってやれば出来――きゃっ」
と暗殺者に後数歩で届くと言うところで、メイドは顔面から思いっきりズっこけた。
緊張感の無さは相変わらずだった。
フクロウは首をかしげる。
「う~ん? 人工的に作られた魔法生物……という割には、戦闘が素人同然ではないですか?」
メイドは起き上がりながら、理由を告げた。
「いたたた……。私はその……戦闘のためにはつくられていないので、家事やお掃除以外は全くダメで……。でも身体は頑丈なのであなたを捕まえるくらいはしてみせます!」
メイドは勢いよく飛びかかるが、フクロウはひらりと突進をかわした。
秘書の数段遅い動きでは触れることもできない。
「捕まえる? それは無理な相談です」
その交差の間に短剣を投げてメイドの額へと命中させた。
その勢いに押されて地面へと後頭部からメイドは倒れた。
メイドは慌てて額から短剣を抜き、顔から血をたらしたまま暗殺者フクロウへと向き合う。
手にした短剣を男の方へと向けて叫んだ。
「地獄のような実験の日々に比べれば、こんな痛み何ともありません! だから、フィオナ様を殺させるようなことは絶対にしません……」
暗殺者はメイドの折れない心と真っすぐな瞳を見て、本能的に危険を感じた。
身体が動く限り仕事を邪魔するのは確定的だ。
ならば、メイドも秘書もまとめて排除するべきだと。
そこでようやくフクロウは魔法を使うことにした。
フクロウが戦闘態勢を解いて一言いう。
「残念です……。そちらが引いてくれないのであれば、こちらも相応のリスクを払って、あなた方を殺しましょう」
彼が腕をナイフで切ってその血を地面へと落とす。
すると、そこを中心に水の波紋が広がるようにして魔法陣が展開された。
魔法陣の上の草花が次々と赤黒く枯れていく。
「これはまずいです。避けなさい!」
秘書はメイドに叫んだ。
魔法陣は半径15メートルくらいだ。その上の植物が毒で腐ったようになって、枯れ果てた。
さらにフクロウは自分の血をたらし続ける。
その量が増えれば増えるほど、魔法陣の円は半径を伸ばして大きくなっていく。
「こ、ここ、これは……毒?」
メイドのルルミーはそれを見て呟いた。
秘書はさっさと暗殺者を殺せないことを後悔した。
この魔法は、血をたらしその場所を中心点としている。そして、永遠に半径を広げ続けていた。
つまり、手が遅れれば遅れるほどこちらが不利になる。
近づけない上に、向こうの死の円の半径は広がっていく。
だが、メイドだけは意外な行動を取った。
毒の魔法陣の中を突っ込んでいって、暗殺者フクロウを両腕で拘束したのだ。
不意をつかれたフクロウは両腕で捕縛される。
必死にもがくが、魔法生物の腕力は人間の比ではない。
まず抜け出すことは不可能だった。
「クソっ! 離しなさい!!」
「いや、です……。さあ、秘書さん。攻撃するなら今です!!」
メイドは秘書に叫んだ。
攻撃するなら今しかないと。
「あなたの覚悟を無駄にはしません……」
秘書は『魔法の書』から改めて一回り大きい木槌を取り出す。
この距離からでも男にぎりぎり届くくらいの長さがあった。
それをゆっくりと空へと持ち上げて、思いっきり振り下ろした。
「罪には罰を!!!」
何か肉がひしゃげる音がして、メイドが抱え込んでいた男の身体が赤黒い肉塊へと変わった。
その瞬間、毒を発生させていた魔法も消失した。
その場にずるずると倒れ込んだのはメイドのルルミーだった。
いくら魔法生物でも魔法による特殊な毒の攻撃を耐えられるはずはなかった。
顔面が紫色になっていて、両手足はすでに真っ黒に変色していた。
「お願い……します。フィオナ様が見つかったら、どうか一言だけでもいいので私の言葉を伝えてください」
「何を伝えればいいですか?」
もうすぐ一つの生命が死を迎えようとしているのに、それでも秘書のキリエは表情を変えなかった。
だが、そのお願いは聞こうと固く決意した。
「『フィオナ様ならきっと素敵な王子様が見つかります。だから……』」
目がうつろになったメイドは最後にこう言い残した。
「『……もう一発ギャグは練習しなくても大丈夫ですよ。いえ、もうしないでください』と」
それを聞き届けた秘書は、初めてそのメイドの名前をきちんと呼んであげた。
「ルルミーでしたね……。あなたはまぎれもなく人間です。ゆっくりおやすみなさい」
それを聞いてメイドはゆっくりと目を閉じた。