36話:新しい皇帝の擁立と貴族院(秘書サイド)
殺伐な話が続く中で、ちょっと息抜き話です。
後半がとくに。
黒ぶち眼鏡の女性――仕事のできる女、といった感じの女性が一つの部屋へとはいる。
この女性は代々皇帝のお付きの秘書をやっている家系だ。
中央に座る議長の所まで歩くと報告書を手渡して部屋の隅へと移動した。
ここは帝国内にある貴族街の大きな屋敷。
その会議室では数名の貴族たちが話しあっていた。
その理由は一つだ。
議長が一枚の羊皮紙を手にこう締めた。
「報告は以上の通りだ。どうやら、マルファーリスは死んだらしい」
「だから言ったんだ!!」
テーブルを叩いたのは強面の貴族だった。彼は帝国貴族院の中でも外交を務めるリッチフォード家のアイゼルベン公爵だ。
もともと皇帝は、政治に疎かったため、ほとんどの仕事を貴族院へと委譲した。
内政・外交・経済・法。これらは貴族院とそれが認める者たちが運営している。
しかし、その権力は次第に暴走し始め、皇帝に表立って反逆の意思は見せないものの、皇帝には不満が多いのも事実だ。
アイゼルベン公爵は興奮気味に言った。
「どうなされるつもりですか議長! 力だけならば御しやすいと踏んでマルファーリスなんぞという小娘を皇帝に掲げて、しかも死んだですと? これ以上外交で不利になると戦争が起きますぞ」
議長はため息を吐いた。
「アイゼルベン公爵、少し落ち着きたまえ。まだ外交上は公式な発表をしていないのだ。言い訳は立つ。それにマルファーリスは知らなかったようだが、皇帝の娘がいるだろう?」
「それはそうですが……」
確かに武力派の第一・第二皇子は殺されたと報告されていた。
一方で、皇帝の娘は血をひいているとは思えないほどの無能ぶりで、貴族街の隅っこに密かに暮らしていたという。今年でまだ13歳。
そのため、マルファーリスが脅威として排除しなかった、というのが功を奏した。
議長は続けた。
「また年若き小さな娘を皇帝にするのは心苦しいが、我々としては下手に政治介入される可能性があった皇子と比べれば、裏から操りやすかろう」
「まあ……そうですな」
内政担当のフィッシュフォート家の当主、スレイマン伯爵は頷いた。
可決を取り、賛成多数で次の皇帝を皇帝の第一息女にすることに決めた。
「新しい皇帝はフィオナ=ガーダバルンとする」
そのまま、可決した書類を秘書は受け取ると、部屋を出て行く。
秘書は公示の用意を帝国本部の事務官に指示すると、直接、新皇帝となった第一息女フィオナ姫にそれを伝えることにした。
北にある貴族院の街のはずれにある一つの屋敷。
他の屋敷と比べても非常に大きな建物で、その中へとメイドに話を通してはいる。
応接室へと通された秘書は、メイドと隣に座る少女の向かいに座った。
メイドはどこの田舎者なのか知らないが、癖の強い髪でくるくるの天然パーマで野暮ったい顔をしていた。
秘書はとにかく必要事項を伝えることにした。
「この度、フィオナ様を新しい皇帝として擁立することが決まりました」
「そ、そうでございますですか、フィオナ様が……」
メイドは忙しなく視線を泳がせながら、仕切りにフィオナのことを気にしていた。
「フィオナ様……どうかなされたのですか?」
秘書は、頼りなさそうなメイドを残念そうに見た後、その隣に座っているフィオナをよく見てみる。
銀髪の綺麗な髪なのに、なぜかボサボサ。恰好もドレスではなく、ぶかぶかの寝間着だった。手には枕も抱えている。
秘書は顔を近づけて観察すると、フィオナのまぶたには、黒いインクで目が書いてあった。
たまに学院の生徒が居眠りのために行うと、秘書は聞いたことがあった。
「ぐ~~~」
いびきもかいて、ぐ~すか寝ているようだ。
これでは返事が来るわけもない。
メイドはフィオナの肩をゆすった。
「ちょっとフィオナ様! 起きてください! 大事なこと話しているんですから!!」
身体をゆすってもフィオナが起きる気配はなかった。
メイドは仕方ないと言った感じで、フィオナの小さな鼻をつまんだ。
「ぐ……ぐずず、ぐずっ……、パ~~~~~~~~~~~~~~~~~~」
目を見開いたフィオナは口で大きく息を吸い込んだ。
涙目になりながら、メイドの方を睨むフィオナ。
「す、すいません。ですが起きていただかないと……」
「も~、うるさ~~~い。昨日は徹夜だから眠……ぐ~~~~~~」
「ちょ、ちょっと寝てはダメですって。もう、だから言ったじゃないですか。徹夜で一発ギャグの練習なんてしちゃダメだって……」
「む……、いまは面白い女の子がモテ……、ぐ~~~~~~」
「起きてくださいよ。私だって徹夜に付き合わされて眠いんですからぁ~~~~」
メイドは叫んだ後、秘書に平謝りした。
「す、すいません。フィオナ様ったら、婿を娶って、一生ダラけて生きていきたい、と前々からおっしゃられていて。いつまでたっても自分の代わりに働いてくれる王子様が迎えに来ないからって、モテることに終始していて……」
「そうですか……」
秘書はさして興味もなかった。
確かに、この無能な姫を結婚相手に選びたい貴族はいないだろう。
政治的にも大して意味はなかった。むしろ、こんな無能をもらいうけた家系は裏で笑われることだろう。
「どうやら、同い年くらいの子から『いまは面白い女の子がモテる』と聞いたらしいんです。そんなことはないよって言ったんですけど。それで……」
メイドの話によると、昨日の夜中に叩き起こされて、一発ギャグの練習に付き合わされたらしい。
「はあ……」
これでは話が進まないと思い、秘書はあえてフィオナを寝かせたままにすることにした。
「ではあなたが代わりに話を聞いて、後でお伝えください。私がここまで足を運んだのは、皇帝になったかたをないがしろにしないための配慮にすぎませんから」
言外に形式的な皇帝だから、と意をこめて。無能と呼ばれている彼女にさして期待はしていなかった。
「そうですか、でも新皇帝になったマルファーリス様はどうして退位なされたのですか?」
「なんでも竜に食われたそうです」
「りゅ……竜ですか? そそそ、れはあわわわわ……」
「落ち着いてください。なんでもその日冒険者になったという少年が竜を倒してくれたそうなので」
「そ、そうなのですか?」
「はい、マルファーリス様の残した情報から身元も判明しています。そこで、最初の仕事となります。戴冠後に、その少年に恩賞を授ける儀をしてもらいます」
「はあ……。具体的にはなにを?」
「いえ、こちらから皇帝陛下に指図することはしません。それはフィオナ様に一任されます」
「……わかりました。頑張ります」
意気込むメイドに手で制する秘書。
「いえ、あなたではありません。フィオナ様に頑張ってもらってください」
「あ……そうでした。後ほどしっかりとお伝えします」
「ではこれで」
秘書は屋敷を後にした。
そして思う。この国はもう終わりだと。いろいろな意味で。