Operation Purgatory 1/2
僕が勤める出版社は、アメリカ中西部のどこにでもありそうな雑居ビルの一角に事務所を構えている。
発行部数は決して多くないが、オカルト、超常現象、失われた古代文明といった題材には一定の固定読者がついており、赤字で潰れる心配がないというのが自慢だ。
入社以来、僕は異星人の友愛型宇宙船や、ナマポ星人が政界に入り込んだという与太記事で社から賞金をもらったことがある。
だから今回もまた、与太話を追っているだけだ。そう思えば気が楽だった。
先輩記者の口癖が頭に残る。
「机の上でオカルトは書けない。足で探せ」
この言葉を真に受けて、僕は今、第二次大戦末期に北イタリアで作られた亡霊のような傀儡国家――イタリア社会共和国(Repubblica Sociale Italiana、RSI)の埋蔵金を探している。
もっとも、埋蔵金という単語はロマンがあり過ぎて書き手としては魅力的だが、軍事史的にみればいささか味気ない現実が背後にある。
物資不足の国が戦費をどう工面したか。それだけの話だ。
軍資金に使われ、残りは敗残兵や裏切り者がちょろまかしたに決まっている。
それでもイタリア社会共和国が設計した円盤機の話は別だ。
RSIの特殊部隊やMAS戦隊に実戦投入されたという噂さえある。
もっとも連合軍が一度も目撃していないのだから、実際はせいぜい風洞試験のモックアップ止まりだろう。
しかしオカルト記事ならそれで十分だ。
今回の僕の出張は、その埋蔵金をネタにした小さな記事をまとめる予定だった。
戦後、アメリカ兵がアルプス山中の地下壕から何かを運び出した後、入口を爆破して埋め戻した――そんな怪談を、街外れの石造りの酒場で古老から聞かされたのだ。
当然、現地を歩いた。
背丈以上の雑草に脚を絡まれ、野犬の遠吠えに怯えながら。
結論を言えば地下壕の痕跡は見つからなかった。せいぜい、戦時中の金属片や弾薬箱の残骸が転がっているくらいだ。
こうして僕の埋蔵金探しは無為に終わったはずだった。
――終わったはずだった。
ヨーロッパ南部、焼けつくような港町に流れてきたのは、わずかに残った滞在費を持て余したからだ。
炎天下で溶けかけたジェラートを手にした少女とぶつかり、彼女のジェラートを台無しにしてしまったのは僕の悪い癖だ。
考え事をしながら歩くと、いつも何かが起こる。
弁償し謝罪を繰り返し、気まずさをビールで流すうちに彼女が口にしたのが中米に逃げたドゥーチェの話だった。
ヒトラー南極逃亡説の類似品だろうと思いつつも、僕の脳裏には別の話が浮かんだ。
冷戦初期、中米の密林に不時着したUFO、パナマ駐留のグリーンベレー、スペツナズとの交戦――酔っ払いが口走ったあの作り話。
埋蔵金が円盤機で国外に運ばれたとしたら?
与太話を繋ぎ合わせれば、立派な見出しができる。
いや、むしろ真相などどうでもいいのだ。
読者が面白がり、編集部が喜べばそれでいい。
彼女と別れホテルに戻った僕は、滞在延長の手続きを放棄し即座に帰国便を探した。
帰りの機内で軍関係者に連絡を入れ、あの冷戦期の密林の幽霊作戦を知る元兵士を探してもらうよう手配した。
僕の頭の中には既に、新しい見出しが踊っていた。
『ドゥーチェの円盤機、中米に現る――グリーンベレーが沈黙を破る』
くだらない? そうだろう。しかし、くだらない話ほど人は読みたがるのだ。
取材はまだ始まったばかりだ。
戦場は過去の密林と、いま目の前の机の上。
――僕が求めるのは、どちらの戦場も同じ火薬と血の匂いである。
帰国してからの数日は、出版社の安普請なデスクと幾度となく鳴る固定電話との格闘だった。
僕が知りたいのは国家機密であり、口を割るのは国家の裏側を知り過ぎた男たちだ。
話が出るわけがないと編集長は言った。だが僕は知っている。
人は老いる。老いると喋りたがる。
武勇伝に後悔に、真実に嘘に。
誰もが己の人生を誰かに正当化したがる生き物だ。
僕の前に座る大男は、そんな証言者の一人だった。
日系の血を引く元グリーンベレー大尉――かつて中米の密林で、誰も公式には存在しない作戦を生き延びた生ける亡霊である。
部屋の空気は蒸し暑かった。エアコンの効かない会議室で、テーブルの上には温いコーヒーとなぜか彼が持ち込んだ軍用の水筒がある。
「俺はホンジュラス、エルサルバドル、パナマ……それにニカラグアでいろんな作戦に行った。が思い出したくもねえ」
重い口を開いた彼は、何かを押し込めるように無理に笑った。
笑い顔に似合わぬゴツゴツとした拳が机に置かれたとき、無意識に僕は背筋を伸ばした。
「CIAが絵を描いて、俺たちは絵の具みたいに使われた。時にはナパーム、時には地雷……人間が人間である意味なんざ、もう途中で吹き飛ぶさ」
僕はノートを取りながら、要点だけを短く尋ねる。
「……ニカラグアの作戦でイタリア人の技術者を捕らえたと聞いています」
「お前、どこまで知ってる?」
突き刺さる声に僕は自分が未だに新聞社のただのライターであることを思い出した。
「知ってるのは噂だけです。RSIの円盤機設計チームの生き残りが、戦後に中米へ逃げたと……それが正しいか確かめたい」
大尉は机に肘をつき、まるで部下を諭すように僕を見据えた。
「噂通りだとしよう。だがな……あれを技術と言えるか? くすぶった夢だ。いや、ゴミだ。推進装置も制御系も満足に飛べやしねえ」
しかし続く言葉には重みがあった。
「それでもソモサは利用した。FSLNに渡れば、東側の取引材料だ。アメリカが黙ってるわけがない。だから俺たちは動いた――」
口調は淡々としていたが、指の関節が白くなるほど握りしめられていた。
「ロシア人技術者を捕虜にしたとき、すぐ追撃がきた。地雷を撒き、機関銃を据え、仲間を置いても逃げた。……でもな、アメリカ本土の議会の連中はそれを何て言ったと思う?」
彼は笑った。だが目が笑っていなかった。
「存在しない作戦。作戦中の死傷者ゼロ。俺たちの血は地図にも報告書にも載らない。載ってるのは星条旗だけだ」
僕は返す言葉を失った。
オカルト、失われた円盤機、冷戦の亡霊……全てが真実と虚構の隙間に滑り込んでいる。
「俺が死んだらこれも全部消える。お前も消されるかもな」
彼の声には冗談の響きはなかった。
取材室を出ると、夕立のあとの道路が熱気を孕んで煙を上げていた。
僕の手には一冊の録音テープがある。
証言の中に真実がいくつ混じっているのか。
それを暴くことが仕事のはずだったが、いまはただ冷たいビールが恋しかった。
録音テープを編集部の金庫に放り込んだ僕は、次の証言者に会うために郊外の退役軍人病院を訪れた。
立体駐車場に車を入れたとき、フロントガラス越しに群れるカラスを見た。
死の匂いが染みついている場所だ。
――そんな気がした。
中佐は面会室の椅子に腰かけていた。
白髪が交じった髪は丸刈り、腕には褪せたTATOO、左膝の義足が目に入る。
彼がかつて中米で特殊部隊教育に従事し、対ゲリラ作戦を教えた男だと知る者は今ではほとんどいない。
「取材か? いいぜ、どうせ医者と話すよりゃマシだ」
彼は開口一番、アメリカ製のタバコに火をつけた。
ここは禁煙だが彼にとっては関係ないのだろう。
「フェニックス作戦って知ってるか?」
唐突な問いに、僕は頷いた。
ベトナム戦争期、CIAが展開した秘密作戦。
南ベトナムで北側の地下組織を抹殺するために仕組まれた、暗殺と誘拐のシステム。
「俺たちがやったのは、それの焼き直しだ。ラテンアメリカ版フェニックス作戦。目には目を、テロにはテロだ」
淡々とした語り口だった。
目の前の老人はかつて大尉として、グリーンベレー、レンジャー、SEALsに「敵より残酷であれ」と教えていた男だった。
「ニカラグアに逃げたイタリア人の話か?」
僕が頷くと、彼は笑った。
「知ってるさ。ソモサ政権が国庫から抜いた資金を、何に化けさせるかの一つがそれだった。骨董品の円盤機? ああ、笑える話だ。まともに飛ばねえ。だが敵を脅すには十分だ。超兵器を手に入れたと吹かせりゃ、米ソどっちも釣れる」
煙草の煙が細くたなびき、窓の向こうの芝生に消えた。
「お前が聞きたいのは技術の真贋じゃない。なぜアメリカが潰したか、だろ?」
僕は無言で頷く。
「答えは簡単だ。パナマとニカラグアに、アメリカの作った怪物が独立して生き延びようとしたからだ。奴らはパパを裏切った。裏切った息子は親が殺す。それだけだ」
唐突に彼は僕を睨んだ。
年老いてなお人を殺す訓練をした者特有の視線だった。
「お前みたいな素人が深入りすんな。あの街に行く気だろ?」
僕は一瞬、言葉を失った。
どうやらこの老人は全てを察している。
「忠告しとく。あそこはアメリカが作った死の部隊の残党が今も息してる街だ。政府が表向き見逃す代わりに、あの街は何人かの余所者を飲み込む」
彼は言い残すと、義足を軋ませて立ち上がった。
老いた殺人教官の背中が面会室の白い壁に溶けていった。
午後の光が退役軍人病院の廊下を白く照らしていた。
取材者としての僕は、心の奥で冷たい針のような恐怖を感じていた。
しかし――
おそらく、そこに真実がある。
恐怖を抱えたまま、僕は次の航空券を予約した。