その4 銀髪と精霊と契約と
受付から少し離れた隣のスペースには丸テーブルや椅子が置いてあり、休憩できるスペースとなっていた。
近くには売店のようなものもあり、ここでの飲食は自由の様だ。
精霊と人間がグラスを片手に歓談しているのもちらほら見え、契約がまとまったのか時折盛り上がる声も聞こえてくる。売店の軒先には酒類も置いてありどうやら酒場も兼ねているようだった。
世界一有名なルイーダの酒場も酒場だし、契約をするという場所なら案外間違ってはいないのかもしれない。
俺は唯一開いていたテーブルへ腰かける。程なくして、大きなジョッキを二つ持った彼女がやってくる。中に入っている茶色の液体はと泡。どう見てもジュースではなさそうだ。
「おまたせぇ~。これはぼくのオゴリだから~」
「いや、俺は未成年だから酒は飲めないよ」
「あらま。でも別に誰も見ちゃいないわよぉー。ま、いっけどー」
別に強く勧める気はないらしく、席に着くと早速ジョッキに口を付ける。
精霊といっても、見た目や言動が人間と大差ない事に安心した。勿論彼女が例外という可能性はあるけれど。
「さてと。じゃあ何から話そっかぁ」
「その前にさ。何故俺と契約するのを選んだか教えてくれ。有形精霊ならもっといい条件の募集があったと思うんだけど」
俺は彼女が話し始める前にイニシアチブを取る。いきなり美味しい話が転がり込んでくると考えるほど甘くはない。契約金を吹っかけるとか詐欺だとか考えられることは幾らでもある。
「へぇ、意外に冷静なんだぁ。ま、契約主としてはそれくらい慎重な方が安心できるからいいけどぉ」
ふふっと一笑すると頬杖をつき、トロリとした眼になって俺を見つめる。
「それはね。森で君の言霊を聞いたからだよ」
「俺の……言霊?」
だが彼女から出てきた答えは想定外のものだった。
俺が使った言霊……考えられる可能性があるとすれば、それは昨日の事だろう。俺が最初に異世界へ着地したあの場所に、彼女が居たのであれば。
「いやぁ。何か襲われてる所を面白く見てたら、何か聞いた事のない言霊が飛び出て来たし! もうね、なんていうかな。とろっとろなのにがちがちっていうか。あんな言霊をぼくも受けてみたいと思ったのよ」
彼女は恍惚とした表情で一気に言い放つと片方のジョッキの空にし、もう一つのジョッキをごくごく飲み干していく。
「ぼくたち精霊にとってマナは命の源。言霊はそれを取り出すためのツールなの。斬新な言霊ほど、マナを美味しくいただけるのよ~。もうね、凄い言霊を使える人間はそれだけで契約に値するわ」
なるほど。
正確に覚えている訳ではないが、あの時口走ったのはえっちな言葉だったのは間違いない。
昨日推理した通り、この世界においてエロスは発展しておらず、えっちな行為に関連する「意味のある言葉」は言霊として強力な威力を発揮するようだ。
まさかエロゲーで蓄えた知識がこんな所で役に立つとは、夢にも思わなかったわ。
「新しい言霊で生成したマナってね、もうね。さいっこーの味がするんだよ」
「え、マナって味があるのか?」
てっきり魔法を上手く動かすオイルのようなものだと思っていた。
食べられるの?
「口から食べる訳じゃないから味覚は関係にゃいんだけどね。固い言霊はがっつりした味がするし、柔らかい言霊はフルーティーなんだ。君の言霊は……一体どんな味なのカナ~」
彼女の瞳は相変わらず眠そうなであったが、どこか肉食系を思わせるような光がその奥に閃いた。
「そ、そういえばだな。あの時俺は触媒を持っていなかったはずなんだが、君は一体何処からマナが生成されたか見ていないか?」
視線と話題を逸らす。肉食系女子は苦手なんだよな……。
「んー。そんな事まではわかんないよ。生成した精霊に聞いてみればいいんじゃないの?」
「ちょいと理由があってな。どんな触媒から生成したかは分からないんだ」
「ふうん。ま、ぼくが君と契約してもいいって理由はそれだけよ。今無職だしね、へへ」
彼女の手にあったもう一つのジョッキは既に空になっていた。頬も心なしか赤い。
「しかし精霊って。まるで人間にしか見えないんだな……」
「そんなことないよ。ぼくは歩き回るのが好きだから人型を取ってるけど、固有マナが少ない無形精霊だと、そもそも形を取ってない子が多いしー」
「ふうん。人型の方が何かとやりやすそうな気もするけど」
「人間だって色んな適正があるでしょ? 精霊にも色んな適性があるの~」
にははと笑う彼女。空になったジョッキの淵を指でなぞりながら、チラリとこちらを見る。
「で、どうする? ぼくと契約してみる?」
「どうするかな」
と、思案しているように返答したが、俺の答えはほぼ決まっていた。
ぶっちゃけこのまま探しても、契約できそうな有形精霊が見つかる可能性は低い。彼女と契約できるのであれば願ったりだ。
微妙に訳アリっぽいのが気にはなるが、この際細かい事を気にしていても仕方がない。
「オッケー。君と契約しよう」
「うふーふ。よろしくだよ。えっと……」
「南野美樹人だ。ミキトでいい」
「じゃ、この契約書にサインおね~」
彼女は胸元からペンと一枚の紙を出す(どこから出すんだどこから)。受付でも見させてもらったのと同じもので、精霊との契約に必要な書類だ。別に詐欺とかではなさそうだ。
そこに書かれているのは『お互い契約を尊守する』という一行だけ。あとはお互いの署名欄しかない。
俺は自分の署名をした後、紙とペンを彼女に差し出す。……そう言えば、彼女の名前をまだ聞いていなかったな。
精霊は鼻歌を歌いながら署名をしようとして……筆を止める。
「あ、そういえば名前……無くしちゃったんだった」
「名前を無くした?」
「う~ん、前の契約のせい……というか実はちょっと記憶がないんだよねぇ」
名前を無くすなんて重大な事のような気もしたが、当の本人は別に気にした様子もなく、あっけらかんとしている。
「契約には名前がないとだめなんだよねぇ」
と、上を見上げながら手持ち無沙汰に指でペンをくるくると回す彼女だったが、何かを思いついたようにパッと俺を見る。
「ねぇ。何かぼくに名前を付けてよ」
「は?」
「何か呼び名がないと契約を結べないし。適当でいいからさ~」
随分と無茶振りをする精霊だなおい!
名前ってのは……なんというか子供ができた時うんうんと唸りながら考えるモノなんじゃないか。果たして俺なんかが付けていいのだろうか。
少々戸惑ったがとりあえずいくつか候補を考えて見る。姫星や七音、もしくは今鹿ってのはどうだろうか……。きらきらネームを幾つか思い浮かべて彼女を見た。
光すら弾くような美しい銀髪。それが目に入った時、俺は思い浮かべたうちのどれでもない言葉を口にしていた。
「じゃあユキ」
「ユキ……ユキか。ふうん。ま、悪くないね」
彼女――――ユキは微かに笑うと、迷うことなくさらさらとペンを走らせる。お互いの署名がされた直後、契約書が薄らと発光し光の粒に分解されていく。
暫く漂ったそれは、俺とユキの胸に吸い込まれていった。
「これで契約完了だよぉ。よろしくミキト、ぼくのごしゅじんさま(マインローダー)」
これまでで一番の笑顔になった彼女が俺に手を差し出してくる。
眠そうな瞳に美しい銀髪。一瞬見惚れそうになったのを悟られないよう、俺は平然とした表情でその手を握り返したのだった。




