3、グロリア
「グロリアシリーズは人類が作り上げた最高傑作、コンピューターの芸術品です。」
クセノン・エル・グレシアスは思いっきり怒鳴ってやった。
ここ数年間彼の部署の予算は減り続けている。今回局長に呼び出された理由はいわれなくとも判っている。それで無くとも彼の部署の新人の定着率はひどく悪い。
グロリアコンピューターは以前は地球でしか作られておらず、長い間木星コロニー群はそのアキレス腱を握られていた。
しかしレグザム機工が誕生し、マザー達が台頭してくると彼女たちはグロリアコンピューターを解析しグロリアの木星圏での製造を可能にした。
ところがマザー達はそのアイデンテティに則りグロリアのバージョンアップは人間の手に委ねられる事となった。
しかし人間によるバージョンアップは既に限界に達しておりバージョンアップとデバックに50年以上かかる代物になってしまっていた。
進化の限界に近づいてきたグロリア製造部門は新規開発に対する熱意が徐々に薄れてきているのは確かであり、それはこの部門の予算に如実に現れていた。
「判っている、判っているともグレシアス主任」この狸親父は目いっぱい愛想良く話しやがる。
「でも無機脳の実用化に伴って20年前からバージョンアップの計画はなされてはいないわ。」
無機脳担当部門のジャネット・マルクリートはいかにも才女という顔をして人を見下したように物を言った。いつか殺す。
「しかし我々は更なる改良を重ね、メンテナンスを怠らずにいる為、いまだにあらゆるコロニーで現役で使用され新規の受注も受けています。」
「もちろんだともコロニーの環境管理はとてもデリケートな仕事だグロリアシリーズ無しにはこれだけのコロニーが存続することは出来なかったろう。」
「それだけでは有りませんジュピターコロニー郡創世記以来人口出産、人口保育、そして子育てまで行ってきたんですよ。」
実際グロリアは優秀だ。その心臓部に当たる自立思考体部分は芸術的とすらいえる。
人間のように話し行動する。無論今でもグロリアの製造は続いている。
しかしそれは進化すること無くマザーシステムの下位に存在するコンピューターとしてのグロリアだ。
私は自立思考体部分の技術を継承する為にこの仕事についた数少ない人間なのだ。
「人間を大量に地球圏から連れて来るのはエネルギー的に不可能だからな、結局受精卵を冷凍して運び、こちらで人工子宮を使って出産させざるを得なかった。現在でも移民の大半は受精卵だ。」
木星移住計画初期に交わされた条約により地球からの卵子移民が認められた。かつては木星圏での下層階級としての位置づけで育てられたが、マザーシステムの構築以来そのような位置づけはなくなった。
むしろ遺伝的な多様性の維持のために行われていると言っても良い。木星圏の移民初期には数万人の人間から始められたのだから。
「現在はそれを無機脳が受け継いでいるわ。マザーシリーズになってからは人間のアシストではなく子供達の母親として自立的に育てているわ。母親としてね。」
いかにも自分が子供たちを育てたのごとく言うんじゃない。このハイミスが。
「ま、その実績があったからこそ前回からの無人移民計画がスタートしたんだがね。」
「有人移民計画の成功率66パーセントではリスクが高すぎるわね。」
何だこのハイミスはそんなに無機頭脳の優秀性を自慢したいのか?
「まだ第4次移民船が成功した訳では有りませんよ。たかだか3分の一が終了しただけです。」
移民船での失敗した理由はひとつじゃあるまいこれから何が起きるか判ったもんじゃない。
「ただ今回の移民が成功すれば今後移民計画は再び起きると思われる。もっともその頃にはワシはあの世だろうがね。」狸親父は面白そうに笑った。
何が言いたいんだこいつは。
「移民船の状況は判りましたよ。で、今日お呼び立ていただいたのは如何なる理由ですか?しかもミス・マルクリートまで同席とは。」ミスの部分を強調して言ってやった。
「実は二つあるんだよ。」
「と、言いますと?」
「知っての通り第4次移民船からは無人化されている。すなわち過去の有人計画ではエネルギーや人心管理の問題からせいぜい十光年しかできなかった航続距離が一気に何倍にも広がったと考えて良い。」
「それが何か?」
「移民の可能な恒星は天体観測でもある程度は判るがやはり移民船を送る前に探査船を送る必要が有るんだ。」
「だから?何なんです………!?」
「つまり今後大量の探査船を送り出すことになったんだよ。300年前の大探査時代の再来だよ。」
かつて木星コロニー群を支配していたバラライト家は6基の探査機を近隣の恒星系に送り出し成果を上げている。
「するとそれにグロリアを…」
「そうだしかし航行期間が長いことを考慮し、自己修復性や自己補給性に対し高い性能を要求されることになる。」
300年も前に作られたグロリア級コンピューターは100年の航海に耐え全ての恒星系での探査を立派に行った。そのデーターを元に移民計画が策定されたのだ。過去の輝かしい実績と言える。
それが本当ならグロリアの真の再登場ということになるが…まてよ。
「しかしそれならマザーを送ればいいじゃないですか。思考の自由度がはるかに高いはずですが。」
「それがダメなんだよ。現在Hグレードの無機頭脳は人間と同格に扱われている。つまり送りっぱなしの探査船で送り出すことは認められないんだ。」
「グロリアは送りっぱなしの使い捨てですか。」グレイシアスは思いっきり脹れてやった。
「Mグレード無機脳よりグロリアの方が優秀だからな。今の所これが最良の選択だ。」
なんか我田引水な理屈だなこの狸何か一物有りそうだな。
「いや、もっといい選択が有りますよ。無機頭脳に自分を複製出来るだけの装備を載せて送り出すんです。
そうすれば最初何台か送り出せば近い所から順番に探査してネズミ算式に探査範囲が広がっていきますよ。」
この手の発想はグロリアでも検討された事がある。
当時はシステムの複製そのものは脆弱性を生む要因としてあげられている。しかし無機頭脳であればその脆弱性に問題は出ないだろう。
「それは出来ないわ。」
おーお やっぱり否定したか、このブス女何理屈こねるつもりだ。
「ほう、ミス・マルクリートは無機頭脳の優秀性に疑念がおありなんですか?」
「いいえ、そのミッションを無機頭脳は立派にこなせるでしょう。」
「では何が問題なのですか?」
「先程も言った通りこれは人権問題になるからです。」
また無機頭脳の人権か。そんなに人権が重要なのか?戦争が起きれば人権など吹っ飛んで簡単に蹂躙してきたのが人間の歴史だろう。等とひねくれた考えがグレイシアスの頭をよぎった。
「もう一つは無機頭脳は人と一緒に暮らしているから人との共生が出来るマザーでいられるのよ。」
「人と暮らさなければマザーである必要が無いと?」
グレイシアスのような人工知能を扱うものにとってマザーの様な性格志向の人工知能は偏った存在でしか無いのだ。
従ってマザーという物の存在そのものがグレイシアスにとっては謎であった。
「逆なのよ。マザーは人間なしには生きて行けないものなの。だからマザーを送り出す事は出来ないのよ。」
「意味が判りませんが。それならマザーでない無機頭脳を送り出せばいいのではないですか。」
「他の者の力を借りることなく自己を複製してゆける知性体の事をあなただったら何と言う?」
「…生命体?……人間?ということですか?」
「もしあなたが言うようなものを作って自由意志に任せたら人間を知らない無機頭脳が出来るわ。その無機頭脳は人間と仲良くするかしら。」
物語には良くある設定である。しかし人間を知らない無機頭脳がバーカーサーになりかねないことは事実であろう。
「人間を知らないマザーは人間の脅威になると…?」確かにマザーの能力を以ってすればありえない事ではない。
「木星大戦のおりトリポールのコロニーの惨劇は記憶に新しい。我々としてはそのような危険は犯せない。」局長が引き継いだ。
「しかし、もしあなた方の言うとおりだとすると、我々はマザーの善意にぶら下がっているような物だ。マザーが人間を必要としないと考える様になったとしたら?」
人間と共生するマザーの根源的な問題である、だが今時そんな事を考える人間はいない。それほどマザーは人間生活に定着している。
「人間もそうだけど悪人はいるものよ。でもね大多数は善人なのよ。その問題はマザーとさんざん話し合ったわ。結局マザーは自分たちでそういう事がが起きないシステムを構築したそうよ。」
「どんなシステムですか?」
「相互監視体制。早い話が井戸端会議システム。」
「何ですか?そりゃ。」いきなり世俗的な解説に変わる。一体誰だそんなネーミングセンスのないシステム命名者は?こいつか?
「マザー同士がネットでつながり相互に意見交換を続けるのよ。精神的異常が出れば誰かが気づくわ。要するにマザーが引きこもりにならないようなシステムよ」
引きこもりと言えばもともと無機頭脳は固定型である。
最初から引きこもりっぱなしではないか。グレイシアスは皮肉な感情で思った。
「又ずいぶんと人間的なシステムですね。」
「マザーは人間なのよ。その前提から考えないとだめよ。」
「はいはい人間の数千万倍の知識と数百倍の思考速度を持つ超人ですよね。」
確かに無機頭脳は如何にも人間的である。怒る事もあれば泣くことも有る。笑うことだって有るのだ。それがなんでそんな高い性能を持っていると言うのだ。
「思考速度や知識の量は人間的な成熟を意味しないわ。だからこそ私たちは情操教育を重視しているのよ。ただ幸いなことにマザーは肉体を持たない為に肉体的条件や脳内物質に影響されないだけ精神的には安定しているわ。」
「無機頭脳の優秀性は認めますよ。しかし無機頭脳は教育に時間がかかる上動作も不安定なところが有るじゃないですか。」
無機頭脳の特性としての性格は時として脆弱性を示すのはよく知られた事実である。
それ故常に複数の無機頭脳がサポートに付いているという話は聞いている。
「動作じゃ有りません。性格です。」
「それ、それですよ。どうして無機頭脳に人格が有るってわかるんですか。」
性格とは人格の一部の表現である。グロリアについて言えば性格を作ることは出来ても人格が有るとは言えないのだ。
「木星連邦議会で承認されているわ。人権もあるし仕事に対して報酬も支払われているのよ。」
「へっ?…マザーに?…給料払っているんですか?」
この話はグレイシアスにとっては初耳であった。まあかコンピュータに給料を払っているとは思わなかった。
もっとも人権が有るのであれば当然といえば当然で有るのだが。
「そうだよ。彼女らも人間と同等の権利があるからな、知らなかったのか?」
知るもんか!機械に給料払っているなんて聞いた事も無い。
「そんなバカな衣食住に金のかからない無機頭脳にどんな金の使い方が有るって言うんですか?」
「彼女らには一般生活用ボディが一体支給されているのよ。その生活費やメンテナンス費用ね。もっともだいぶ余るからそれで趣味や場合によったら会社起こしている娘もいるわ。」
「趣味?会社?何ですか?それ」
まさか無機頭脳が趣味とか会社とか言い出すとは思わなかった。
「ジェラトーレて知ってる?」
「いえ…何ですそれ」
「バッグのブランドよ。結構人気有るのよ。」
「あ、ああ……そういえば聞いたような」
そんな物知っているわけ無いだろう。オレは男だぞ。グレイシアスは心の中でそう怒鳴ってやった。
「ガニメデ6のトロイア・コロニーのマザーがデザインしているの」
「…………」
「他に店の経営や、結婚して子供を育てている人もいるわ。」
無機頭脳が実用化されてからだいぶたってからグレイシアスは生まれ、グロリアとマザーが混在する時代を過ごして来た。
マザーの持つ人間的な部分は彼にとって欺瞞的な感覚をぬぐえなかった。それに比べてグロリアの持つ機械的な部分はグレイシアスにある種心地よさすら覚えた。
電子回路に心が生まれない事は既に立証されている。グロリアの人間らしさは演技である。それ故、刺激と反応が常に一定しているグロリアは動作には安心感が有った。
それでグレイシアスはグロリアを選んだのだ。すでに時代遅れと判っていたのだが。
しかしそれゆえに技術者としてはやりがいがあった。あらゆる動作を設定し常に一定の思考を行わせ、誤りなく判断させる技術である。
無機頭脳のように勝手に倫理が発生するようなシステムは技術ではない。
「無機脳の実用化以後グロリアの最大の特徴である自立思考回路の部分の改良は緩慢になって来た。マザーシステムのという優秀な自立思考が取って代わったため判断力を更に強化する必要性が薄れて来てしまったのだ。しかしそれではグロリアの進歩は有りません。」
グレイシアスは無念さを禁じえなかった。
「すまんなせっかくグロリアのバージョンアップの機会だというのにそれが探査機として2度と戻ってくることは無いとは。」
「いえ、それでもグロリアを作れるのなら。」
グレイシアスにしてみれば悪い話ではない。おそらくこれが最後のバージョンアップになるかもしれない。
むしろこの時にこの場にいた事はグレイシアスにとっては幸運と言えなくも無かった。
「そこでもうひとつの問題なんだが、実はかつて送り出した探査機が再起動したようなんだ。」
「まさか。そんな事はありえません。」
突然の局長の発言にグレイシアスは驚愕した。当時の設計では補修を繰り返して200年持たせることを設計基準としていた。
「あの当時送り出した探査機には自己修復の為のロボットとかエネルギー補給の為の宇宙船も搭載されていたと聞くが。」
「はい、自分である程度は修理できるよう部品の予備と外惑星の衛星の氷から重水素を作り出せる装置を積んでました。それによって外部のガス惑星の衛星からメタンや氷を採取してエネルギーを補給し、順次内側の惑星に移って行きます。何年もかけて恒星系全体を調査しました。この成功率は実に85パーセントにも上っています。」
グレイシアスはグロリアを研究する上で探査機の事も研究していた。
確かにグロリアの優秀性は300年経っても色あせていない。逆にこの300年の進歩が限界に近づいていることを示していた。
「グロリアというのは優秀だったんだな。」
「ふつうは宇宙船を失うか補修パーツが底をついて活動を中止します。」
「再起動したのはゼータεの探査機だ。」
「すると第4次の…?いつ判ったんです。」
「つい最近だ第4次移民船も信号を受け取ったその連絡と一緒にこちらでも信号を受信した。」
9光年先で何が起きたのだろうか?グレイシアスは宇宙の彼方で起きているドラマに心を飛翔させていた。