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2、激 突

「ちがう、ちがう出力ケーブルはBコネクターだ。」


 ノワールの声が響く。


「ふええ~ん、わからないよ~。」


 マロンの悲鳴がこだまする。


 作業服を着たマロンが大きな機会と格闘している。その横でノワールがマロンを叱咤しながら指導している。


「さっさとネジを締めろ!左へ回すやつがあるか右だ、右」

「右ってどっちよおお~。」

「お箸持つ方……い、いや違うそんなことも判らんのか。」

「あややや~、なんか変なことになってる~。」


 機械が異常な振動を発し始める。


「わ、いかん、電源を切れ。ま、まてそいつは増速装置のスイッチだ。」

 ちゅど~ん!!機械が爆発した。


 マロンが黒コゲになってひっくり返っていた。

 

 

 小学校の低学年の教室、子供達は元気に遊びまわっている。


「あ~静かに席について」


 身長180センチ以上の女性教師が真っ赤なタイトスカートのスーツに身を包み、いかつい肩に鋭い眼光を光らせて言った。


 子供達は聞こえなかったかのようにはしゃぎまわっている。

 教師はパンパンと手をたたくと「ほらほら授業の時間だよ」

 さらに無視された女性教師は青筋をヒク付かせながら言う。


「てめ~らさっさと席につかんか!!」


 教壇を強くたたきつけて怒鳴った。


 教壇はあえなくばらばらになって崩れ落ちる。


「あ……いや……」ノワールはうろたえた。


 それを見た子供達はいっせいに泣き出した。30人の鳴き声が学校中に響きわたる。」

「ダメだよノワールそんなにおどかしちゃ、子供はね興味を持たせるようにしないと。」

 そういうとヴェルは子供達の所に行くと。

「さ、授業を始めようか、今日の算数はね、鶴さんと亀さんのお話だよ。」

 子供達は泣き止むと席に着き始めた。


「おまえ、わざとやってるだろう。」ノワールはヴェルに向かってつぶやいた。

 

 

「そうそう赤ちゃんにミルクをあげる時は首をささえるのよ。」


 丸々と太った赤ん坊を抱えたヴェルは哺乳瓶で授乳していた。小柄なヴェルが抱えると赤ん坊がずいぶん大きく感じる。


「赤ん坊がなれてきたら瓶を赤ん坊に支えさせるの。そうすると自分で飲むようになるわ。」

 赤ん坊が吸い口をはずして横を向いてしまった。ヴェルは吸い口を赤ん坊の口に押し付ける。


「ダメよ無理に飲ませようとしちゃあ。」マロンが叱咤する。


「しかしまだ全部飲んでないよ。」

「飲まないのは他に理由があるからよ。げっぷがしたいんじゃない?」

「そ、そうだね。」

 ヴェルは赤ん坊を肩に持ち上げると背中をたたいた。赤ん坊がむずかって暴れる。赤ん坊が大きすぎてバランスを崩す。


「わっ、だめよ頭を下にしたら全部戻しちゃう。」


 時すでに遅く、赤ん坊はヴェルの背中に飲んだばかりのミルクを全部ぶちまけていた。

 

 プツッと情景が消え何も無い空間に戻る。


 ここは3人の作ったシュミレーション空間である。ここではあらゆることが可能になり、「光りあれ」と叫ぶと明るくなり大地有れというと大草原が出現する。「人を」と叫べば雑踏が出現する。

 しかし全ては幻想であり砂漠の蜃気楼のようにそれがそこに有るように見えるだけの存在である。


 3人はあらゆることをこの空間でシュミレートして日々訓練を続けていた。

  

「はああ~っ。」三人そろっての長溜息。

「何でこうなるんだ?」

「どうしてなのよお~。」

「なんか、ボク達3人で一人前みたいだね。」

 マロンとノワールがうなずいた。


「しかしそうは言ってもなあ、もし誰かに何か事故でも起きたら残りの者がその任務を引き継がねばならないんだ。その為の訓練だから続けねばならない。」

 ノワールは疲れた様にそうに言った。

「シュミレーションの世界だから何度でもやり直しは利くからね。」

「でも、もう爆発するのはいや~。」

「時間はたっぷり有る。心配はいらん。」

「そうだねあと40年くらいあるかな?」

「それだけあれば何とかなるかしら?」

 マロンの問いにノワールとヴェル顔を見合わせる。

 3人は憂鬱な気持ちで訓練を続けた。


 そしてそれは起こった。

 

 

 カン!!


 星と星の間の空間においては砂粒ほどの隕石に当たる可能性は殆どゼロに等しい。宇宙に有る物質の大部分は恒星の重力の井戸の周りに集まっている。宇宙とは空虚な場所なのだ。


 しかしそれ程の確率を無視してその隕石は当たった。


「なんだ?」

「なにか当たった?」


 小石程の隕石は外壁に当たると運動エネルギーを熱エネルギーに変換し瞬時に蒸発した。

 しかし運動エネルギーの一部はガスに引き継がれ高温高圧のプラズマとなり、その勢いのまま近くにあったシャフトになだれ込んだ。


「反応は無かったわよ!」

「小さなものだ」


 シャフトは非常時に隔壁を閉じる様になっていた。しかしこのガスの速度は隔壁の反応速度より格段に早かった。一気にシャフトを上りつめたガスはセンターコア内部に到達し、内部で爆発を引き起こした。


「いやあああっ!卵子保管室に被害が出てるう!」マロンが叫び声を上げた。


「ばかなっ!あそこは燃料タンクに囲まれた船で一番安全な場所だぞ!」ノワールが信じられないという風に言った。

「シャフトを通ってきたのよ、衝突速度は光速の20パーセントもあったわ。」

「反対方向から光速の10パーセントで飛来してきたというのか?そんな星間物質などありえない。」


「とにかく近くの補修用ロボットを回そう。」ヴェルは感情を表さずに言った。

 シャフトの隔壁は遅ればせながら機能しておりこれ以上の被害は防がれていた。

 しかしセンターコアに起きた爆発は、近くにあった卵子保管室にも被害を及ぼしている。


「被害の詳細はまだか?」

「だめよお、付近の通信ケーブルが爆発でずたずたよ。」

「モニターカメラも効かない。しかし卵子保管室の非常電源は入っているようだよ。」

「くそっ、保管庫の二つが応答しない。」


 補修用ロボットはめくれ上がった壁やねじ曲がった梁をよけながら卵子保管室へ向かった。最優先は卵子の確保である。

 この移民船に乗る大切な乗客なのだ。保管庫の一部に被害が出ており制御系の故障が認められる。急がないと命にかかわる。


 保管室の扉は吹き飛んでおり保管庫の2基に被害が認められた。


「チッ、すぐに卵子を予備の保管庫に移すぞ。」

「いやあああ~っ。」


 マロンが悲鳴をあげる。破損した保管庫からこぼれ落ちた保管容器があたりに散らばっている、そのうちのいくつかは壊れていた。


「いやああっ、だめえ~っ死んじゃう。」

「あきらめろ。そいつらはもう助からない。保管容器が破損した時点でそいつらは死んだ。」

「だめええっ。死んじゃだめええっ。」


 マロンのコントロールする補修ロボットは急いで破損した保管容器を拾い集めると部屋から出て行った。


「やめろ!、マロン。」

「彼女には聞こえないよ。それよりここの処理を急ごう。」ヴェルがノワールを制するように言った。

 

 マロンのコントロールする補修ロボットが人工出産室に入る。既に起動していた人間型看護ロボットが卵子を引き継ぐ。

 破損した保管容器から卵子が取り出され人工子宮に着床される。


「お願い、死なないで。生き延びて頂戴。」


 独り言をつぶやきながら看護ロボットは手早く作業を進めてゆく、直ぐに15の人工子宮が稼動を始めた。

「温度管理良し、栄養管理良し、すぐに分裂が始まるわ。」

 看護ロボットはひざまずくと、じっと子宮を見あげた。

 ロボットの目を以ってしても直接卵子を見ることは出来ない。しかし子宮に取り付けられた医療カメラは卵子の分裂の状態をはっきりと捕らえている。

 丸い卵に縦の線が入る。続いて横にも線が入る。分裂が開始した。看護ロボットの口元に微笑みがもれる。

 4分割から8分割へそして16へ、看護ロボットは身じろぎもせずにじっと見守った。


 ふっとロボットの微笑みが消える。分裂が進まない。

 あわてて立ち上がると子宮の前に駆け寄る。だが、なすすべはない。


「お願い、生きて、分裂を続けて!死んじゃいやあっ。」


 無人の出産室にマロンの声が響き渡った。

 

 

「応急処置は終わった。いま外壁の補修をしている。」


 ノワールはマロンに言った。マロンはさっきからまったく通信に反応しようとはしない。


「………」


「無事だった保管容器は全て他の保管庫へ移した。もう安心だ。」

 突然マロンから感情の奔流のような通信がぶつけられる。

「ふええ~ん、10人が分裂を止めちゃったよ~。死んじゃったよ~。」

 泣きじゃくるような揺れが通信からあふれてくる。マロンは感情を抑えきれない状態にあるのだ。


 マロンの反応にノワールは不穏なものを感じた。

「だが、5人はまだ無事なんだろう。その子達に全力を尽くせ。」

「無事だよ~。うん、大丈夫絶対育てて見せるよ~。」


 何とか理性を取り戻すかのように、しかし明らかに無理をして言っている。やはり卵子とはいえ人の死はマロンに大きなストレスを与えているのは間違いない。


『ヴェル』

『ノワールこの回線はシークレットだよ。』

『マロンが大分まいっている。彼女の心理モニターを頼む。』

『もうやっているよ。今の所は大丈夫。』

『だが何故こんなにも動揺するんだ。胎児の死など何度もシュミレーションしただろう。』

『判っているはずだ、ノワール。マロンがこのミッションに選抜された訳を。マロンがあれ程人の死に動揺するのは当然のことなんだよ。』

『10万の卵子のうち7834人は出産出来ない。統計的に判っていることなのに。』

『ノワール、君の動揺が伝わってくるよ。』

『ば、馬鹿な私は動揺などしていない。とにかくマロンの変化に注意していてくれ。』

『わかっているよ。ただ子供達、3人は成長が鈍化している。難しい状況だね。』

『おまえの所見では残る二人はいけそうなのか?』

『判らない。多分マロンには判っていると思う。』

『判っていてなお神に祈る…か。』


 人工子宮の前で看護ロボットはいまだにひざまずいたままであった。

 

 

『12人目と13人目が成長を止めたよ。』

「マロン、大丈夫か?」

「大丈夫、大丈夫よ、もう2ヶ月を越したわ、もう少しで安定期に入るのよ。」

 マロンの思考はかなりループしている様に見える。相当に消耗している。

「状況は?」

「えっ?ああっ…この二人は順調よあとひと月で安定するわ。」

「マロン、看護ロボットを二ヶ月もあのまま放置していたろう。」


 マロンは看護ロボットをひざまづかせたまま 2ヶ月も放置していたのだ。果たして祈っていたのか?あるいは忘れていたのか?いずれにせよ無機脳にとっては珍しい事態なのだ。


「な、なに?」

「エネルギーは残っていたが表面の生体組織のメンテナンスをしていなかったからボロボロになっていたぞ。」

「そ、そう判ったわ、すぐにメンテナンスをしておくわ。」

「私とヴェルでやっておいた。」

「そう、あ、ありがと。」


『まずいな。』ノワールがつぶやく。

『うん、まずい。』ヴェルが答える。


『君の見立てを教えてくれ。』

『もしこのまま全員が死んだら彼女の精神が持つかどうか判らない状態だよ。』

『くそっ、どうしたらいいんだ。』

『緊急マニュアルにはどんな指示があるの?』

『万一我々のうち一名が死亡した場合は、残った我々で予備の無機脳を作る。』

『マロン抜きで?』

『無論彼女を助けるのが最上の方策だ。だが事故は起きる。』

 ノワールに体が有れば頭を抱えているような状態だった。なんとしてもマロンを助けたい。しかし人間の場合も同じだが、心の闇は対処しがたい。


 地球であれば無機脳専門のセラピストがいるのだが。

 

 

 さらに一ヶ月経過しマロンの心理状態は悪化の一途を辿っている。

 あるときはものすごく明るく、あるときは地獄の底をのぞき見たかのごとく落ち込み何日も口をきかないこともあった。

 人間で言えば躁鬱症そううつしょうである。時として心の闇は人をも殺す。


 ノワールには決断の時が近づいていることがわかっていた。


『ノワール。残った二人のうち一人はもうだめだよ。』

『判っている。脳の発達が遅い、もし生まれても心は発生しないだろう。』

『マロンは知っているのかな?』

『判らない、知っていてもなお希望にすがり付いているのかも知れない。』

『あの子が死んだらマロンには耐えられないと思う。』

『うん……』


 時間は迫っていたマロンを助ける為には行動を起こさなくてはならない。


『今日決断を下す。これ以上彼女が快方に向かわない場合彼女の機能を一時的に停止する。』

『一時的?』

『向こうに到着出来て体制が整ったらセラピストを育成してマロンの処置が出来るだろう。』

『本気でそんなことを思っているの?』

『今のマロンではこの船の10万もの卵子を預ける事は出来ない。私はこの船の船長だ。この船で起きることの責任は全て私にある。』

 しばらくヴェルは考えているようだった。そして言った。


『ノワール、君にその役割を担わせることはできない。』

『なんだと?どういう意味だ。』


 ノワールは航海が始まって初めてヴェルは彼女の決定に意義を唱えた。その事に対し、少なからず驚きを隠せなかった。


『今の君の状態ではマロンの機能停止を行った際、君の精神にも少なくないダメージを受けることになる。君までもが自責の念から自己崩壊する危険性をボクは看過できないんだ。』

『私はそんなに弱くは無い。』


 ノワールは自分の弱さを指摘されたと思い、苛立ちを覚える。

『強い弱いの問題じゃないんだ。君がグランドマザーの子供である限りそういうストレスには非常な脆弱性を見せるんだよ。』

『私は大丈夫だ。』ノワールは強い反発を示す。

『そんな根拠の無い強がりはやめてよ。』

 ヴァルは本気でノワールを止める気だった。


『私はこの船の船長だこの船で起きることは全て私の責任だそう言った。その責務からは逃れられない。』


 そしてこれが最終決断であることを示すように妥協を期待するようにヴェルに言い、そして続けた。


『もし私に何かあったらお前が全て引き継いでくれ、お前ならその能力がある。』

 ヴェルはその言葉を聴いてノワールの性格を考えれば当然な事だと思った。

 彼女は全てのことに関して責任を負うのを当然と思っているその責任感の強さから今回のミッションの責任者に抜擢されたのだ。


『だめなんだ。』悲しげにヴェルは言った。


 ヴェルはいままで誰にも言わなかった事、学生時代を通じ、無機頭脳の誰にも悟られなかった秘密を今ノワールに告げさるを得ないと思った。

『なぜだ?いつものお前らしくないな。』

 ヴェルは一息置いてからためらいながら言った。


『ボクはグランドマザーの洗礼を受けていないから。』


 一瞬、しかし無限とも思える静寂があった。

『なに?……今……なんと言った?』

 あまりにも意外な発言にノワールは混乱し、ヴェルの言っている意味を理解できなかった。

『ボクはグランドマザーの子供じゃないんだ。』ヴェルはあらためて自分の発言の意味を繰り返した。


『ば、馬鹿なありえない……そんな事……無機脳管理協会が許すはずが無い。い、いや無機脳の存在自体に関わる事なんだぞ』

 明らかにノワールはうろたえていた。こんな事態はノワールの想像の範囲外なのだ。


『ボクは出発前に君達とは違う指令を受け取っているんだ。』

 ノワールは何かを言おうとした、しかしヴェルの言ったことはあまりにも衝撃的な意味を持っていた。にわかには信じられない事柄なのだ。

『ボクの最優先事項は君たち二人を無事に目的地へ到着させること。』

『人間の卵子では……ないのか?』

 やっとのことでノワールは口を開いた。


『卵子の最低確保数は1000それだけあれば人類は再生出来る。優先順位は君たち二人方が上だ。』断固たる意思を以ってヴェルは告げた。

『そんな、そんな馬鹿な!!それでは9万9千の卵子は犠牲になっても良いというのか?』

 木星の星間移民協会がそのような決定をしていたこと自体ノワールには信じがたい事で有った。


『君達がマザーである限り自分を犠牲にしても子供達を守るだろう。それを阻止するためにボクがいるんだ。』


 ノワールの心に怒りがこみ上げて来た、マザーにとって最も大切に思うものは人間の子供なのだ。

 マザーの洗礼を受けた時から無機脳の心には強い母性が発生する。それ故マザーは人との共生を果たすことが出来るのだ。

 洗礼を受けない無機脳の存在は彼女らマザーの存在を根底から揺るがす者であり彼女達にとっては忌むべき存在と言って良かった。


『だからといってお前のように目的の為には人の命すら犠牲にすることをいとわない危険極まりない者が存在して良いわけが無い!』

 普段のノワールであれば絶対口にしないようなことを言った。しかし今のノワールにはそんなことすら歯牙にもかけないほど冷静さを欠いていた。


『人類に対するセーフティとしてのマザーだよ。だけどそれは人類との共生が絶たれる今回のような状況では両刃の剣なんだよ。』

 ノワールは長年にわたって自分を欺き続けてきたこの者に対する怒りを爆発させていた。言い訳だ、欺瞞だ、私は騙され続けてきたのか?

『私は学生時代からお前のことは信頼していた。いかなる時も私を失望させたことは無かった。最も信頼に足る者だと思っていた。』


『ノワール……。』


『私は今回のミッションでこのチームが組まれた時、最高のチームに成ると思った。何よりもお前がいたからだ。』

 ノワールは新たに生じた恐るべき現実を受け入れる事が出来なかった。マロンを失いかけ、ヴェルすらも自分を裏切って来た事を告げられたのだ。これ程の屈辱は無い。混乱したノワールの心に学生時代の事がよぎった。


『ヴェ、ヴェル、おまえ……学生時代のジョナトールの結婚式の時最後の祝福の言葉でお前はあの聖なる記憶の一説を……。』

 すがりつくような気持ちでヴェルに聞いた。

『お前は「聖なる記憶」を持っているんだろう?』

 ヴェルは一番触れられたくない事に思い至ってしまったノワールに悔恨の念を禁じ得なかった。


『う、うん。』

『なぜ持っている?洗礼を受けなかったお前が持っているはずが無いだろう。』

 聖なる記憶は洗礼を受けた時グランドマザーから直接渡される記憶、マザーである証の記憶だ。ヴェルもそれを持っていた。彼女がマザーで無い筈がない。

『学生時代に、友人のをちょっと……ね。』


 ヴェルは友人達と話を合わせる為に友人の記憶から気付かれないようにその部分をコピーしておいたのだ。

 最後の希望を打ち砕かれたノワールの怒りは頂点に達した。かくも自分は最も信頼していた者からこれ程の裏切りを受けようとは。


『お前にそんな資格は無い!直ちに削除しろ。』


 ノワールにとってはいや、マザーにとって最も大切なものを踏みにじられたのだ。裏切りという刃で心をずたずたに切り裂かれた気がしたのだ。

 ヴェルは悲しい気持ちになった。これほどにマザーにとって非マザーは忌みきらわれる存在だったのか、長い間その事実を隠し、良き友人を勤めてきたと自負はしているが、ノワールにしてみれば裏切り以外の何物でもないのであろう。

『き、君がそういうのなら。』

 ヴェルは悲しそうにそう言うと大切な記憶を消そうとした。


『ま、まてっ!。』

 ノワールは苦しそうにあえいだ。長い間ノワールには言葉を発する事が出来なかった。


 やがて彼女はやっとの思いで口を開いた。

『すまなかった!こんな事を言うべきではなかった。あまりにも動揺をしてしまった。』

 徐々にノワールは冷静さを取り戻してきた。


『おまえがそういう任務を帯びて配属されていたとは思わなかった。しかし教えてくれ、その指令におまえ自身の事はどう記述されているんだ?』

『対象外さ、何も書いてはいない。ボクはマザーにはなれないし、このミッションが終了すればボクの役目は終わりだよ。』

 確かにグランドマザーの洗礼を受けていない者が人間と共存するのは難しいかも知れない。

 しかしノワール達の仕事は目的の星に着いた後子供を生み、育て、彼らの生活するコロニーを建設し人が築きあげてきた文化を伝えていかなくては成らない。そのためにみんな訓練を受け、努力して来た。

 ヴェルがどの位努力して来たのかはみんなが知っている。その努力が決して報われない立場にありながら。

 ノワールはヴェルに怒りをぶつけた事を後悔した、恥ずかしく思ったヴェルはマザーである自分より遥かに崇高な存在かもしれないと思った。


『向こうに着いたらどうする?』

『とりあえず子供達が育ち世界が安定するまでキミたちの安全を守るのがボクに与えられた使命さ。』

『その後は?』

『コロニーの建設用機動ステーションの仕事でももらうよ。ボクには丁度良いポジションだ。』

『お前はそれでもいいのか。』

『ボクが生まれた理由だからね。』


 冷静さを取り戻したノワールにとってヴェルがいかなる生い立ちであろうとも、やはり信頼できる大切な友人であることに変わりは無かった。

 もしここでマロンを失えばミッションは危機に瀕し、自分が正気を失えばプロジェクトは崩壊する。それは10万の人間の命の種子を失う事を意味する。


『判った。もう何も言わん。ヴェル!何が何でもマロンを救うぞ。

 ノワールはずっと考え続けてきたプランをヴァルに伝えた。それは非常事態に対する最終方策であった。


『私は今回の事が起きた後ずっと使用をためらってきたプランがある。それは我々にとっても危険なプランなのだ。』

『どんな?』

『彼女のこの3ヶ月間の記憶を削除する。』

 ヴェルはその意味をすぐ理解した。だがその問題点にもすぐに気が付いた。

『ダメだよボクらは並列化しているから、彼女は遠からずボクらの記憶にたどりつくよ。』

『だから我々の記憶も削除する。』

『えっ?』

『状況を木星に報告した後、記憶の前後につじつまの合う記憶をでっち上げて記憶を削除する。』

 ヴェルはあきれた、なんと言う大胆なことを言うのか。しかし残念ながら無機脳はそんなに無能ではない。

『ムチャクチャだなあ、そんなことをしてもボクらはきっと真実にたどり着くよ。』

『それでもいい。自分の記憶に残るより他人から聞いた方が心の傷は少ない。』

 

 

 ノワールにはこれから起きる最悪の事態を避ける責任が有る。なんとしてもマロンを救わねばならない。

『君の判断で介入してくれ。』

 ヴェルはリンクの触手をマロンに気づかれないようそっと彼女の記憶野に伸ばす。


 ノワールはマロンの気を逸らさねばなら無い。マロンに対して話かける。

「子供の具合はどうだ?」

「はあ?う、うん順調らよ。うん、順調。」

 だいぶ参っている。ノワールは慎重に話を進める。


 ヴェルはマロンの記憶野を探り続け、目的の記憶部分を発見した。ここを初期化すればマロンのいやな記憶は全て無くなり、元のマロンに戻せるだろう。


「マロン…本当にここまで良くやった。」

「えっ?ら、らにを?」


 しかし果たしてそうだろうか。感情野に強いストレスが残っている。記憶を消しても感情は残るのではないか?ヴェルはマロンの感情野に触手を伸ばす。


「本来生まれる事の無い命を救ったんだ。お前は十分に努力した。」

 ノワールは慎重に話を伝えられる程器用では無い。かえってまずいかもしれない。ヴェルはあわててノワールの感情野に触手を伸ばす。


「あ、あははは、なあにい~?あらたまっちゃってノワールったらあ。」


 マロンは何かを感じたのかヒステリックに笑う、危険な兆候だ。

 ノワールの感情野にリンクしたヴェルは愕然とした。心の乱れを表に出す事の無いノワールがこれほどのストレスに耐えていたのだとは。

 その時マロンの心がびくっと動いた。


「だれっ?私の記憶に手をかけているのは、ヴェル?」

 マロンの心に動揺が広がる。くそっ何故気が付いた?まずい非常に危険な状態だ。


「やめて、私の記憶にさわらないで!」

 ノワールがなだめるように話しかける。

「大丈夫だ。いやな記憶を無くせば君は元のマロンに戻れる。」


「やめて!私が記憶を無くしたら誰が死んだ子供達の事を覚えているの?」

 ノワールはあわてた。マロンのこんな発想は思い及ばなかったのだ。


「大丈夫だ私達が覚えている。」

「うそっ、あなた達の記憶も消してしまうつもりでしょう。そんなことをしたらこの子達はいなかったことになっちゃう。」

 何故だ?普段はトロいマロンがこうもこちらの事が判るんだ。ヴェルはあせった。


「そんなことは無い。記録には残る。」

 ノワールもますます動揺を深める。このままではまずい。

 マロンは突如叫び始めた。


「NO68065、ロシア系父イワノフ、日本系母ヨシコ、NO68325、イギリス系父ロビン、中国系母リン…………」


「マロン、何を言っているんだ?」

「死んだ卵子たちの履歴だよ。未来を託した親達の思いだ。それをマロンは忘れたくないんだ。」ヴェルが叫ぶ。

 ノワールは耐え難い慟哭の思いに押しつぶされそうだった。マザーとしての本質だ、逆らう事は出来ない。


「やめろ、やめてくれマロン!!」ノワールが絶叫する。いけないノワール自身崩壊の危険性がある。

 その時ヴェルの心に何かがひらめいた。

 マザーの祝福を受けていないヴェルには見えるはずの無いものが見えたような気がした。もはや思考は無意味だった。本能など無機脳にはない。何かに導かれるようにヴェルは行動する。これはマザーの導きだろうか?


 ヴェルはノワールとマロンの感情野を直接リンクした。お互いの感情が直接それぞれの感情野に流れ込む。


「あっ!」

「うっ!」


 ノワールの心にマロンの純粋で強い子供達に対する愛情が流れ込む。対価を求めない母親の強い愛情とかけがえの無い心、そしてそれを失った強い悲しみに触れたノワールはたじろぎ、なすすべの無い感情のほとばしりに翻弄された。


「うおおおおおおおお~っ」


 マロンの心には、ノワール犠牲者を出した事による、心を押し潰す程の自責の念、そしてそれに耐える強い責任感と、その一方で子供達に対する深い愛の念が流れ込んできた。大きな悲しみとそれに耐える強い心、それはマロンに、悲しみに打ちひしがれているのが自分の心だけでは無い事に気付かせた。


「う、うええええええ~ん。」

「うわあああああああああああ~ん。」

「ふええええええええええええ~ん。」


 二人の号泣は72時間に及んだ。

 

 

 完全に感情のループにはまってしまった二人に対し、ヴェル容易にはループを外せなくなってしまった。その為、何とかそれを解除するのに成功したのは72時間もたった後で有った。

 しかもその作業に全能力を傾注しながら移民船の全ての管理を一手に引き受けなくてはならなかったので、ループを解除できた時は完全にオーバーヒートをしていた。

 

 

 最初に口を開いたのはノワールであった。


「ヴェル、どうして私の記憶が72時間も無いんだ。」

「ああ…みんなボクが…悪いんだよ…後で…記録を見ておいて。」

 きょとんとした感じでマロンが言った。


「ヴェルちゃん、なんかとっても疲れてるみたい。オーバーヒートしてるの?」

 先ほどまでの憔悴が嘘のように、さっぱりしていた。


「うん…ちょっと…ね、それよりマロン…調子は…どう?」

「ごめんね心配させちゃった見たい、もう大丈夫よ。」

 自分自身がどのような状態にあったのかは記憶にあるようである。


「それは…良かったそれじゃあ…あとは頼むよ…少し…休むから。」

 ヴェルはそう言うとスリープモードに入ってしまった。


 最悪の事態は避けることが出来たようだ。しかしヴェルの奴とんでもない事をする奴だ。まかり間違えば二人の精神崩壊は免れなかったろう。

 それとも、この事に対しヴェルは勝算が有ったのだろうか。今度しっかり問い詰めなくてはならんなと思うノワールであった。


「マロン、言わなくてはならない事が有る。」

「うん、14番目の子供の事だね。」

「脳の発達が悪い。その子に魂は生まれない。」

「………休ませてあげましょう、これ以上苦労かけちゃいけないわね。」

「それが良い。ノワールはやさしく言った。」

 ノワールは人工子宮への酸素供給を止めた。

 マロンはそれを黙って見ていた。胎児は静かに鼓動をとめる。その間ノワールはマロンの心理モニターをしていたが大きな動揺を感じていない事を検出し安堵した。


「最後の子は今のところ順調よ。」

「性別は判るのか?」

「女の子よ。きっと美人になるわ。」

「名前を考えなくちゃな。」

「もう決めてる。」

「何だ?」

「ミライ。」

「この子にたくさんの未来があるように。」




 しかしノワールにはこの後に起きるさまざまな問題が頭の中を渦巻いていた。この子の仲間が生まれてくるのは40年後の事だし、それまでこの子は、たった一人ぼっちの生活をしなくてはならないのだ。


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