10、浮 遊
バレスとミライはなぜか気が合ったようで毎日ビデオを見たり、ゲームをしたりして過ごしていた。
それを見ているノワールとマロンのフラストレーションはますます高まっていくようで、バレスに対する風当たりは激しくなって行った。
もっとも当のバレスは鈍感なのか馬鹿なのかまったく意に介さない様子であった。
それ故、緊張はノワール達の一方的な物となり、まったく事態は進展しなかった。
ある日、ミライ達の夕食に現れ一緒に食事をしたいと言い出した。
ノワールは「貴様に食わせる食事なぞない!」と怒鳴ったが、バレスは一向意に介さない。
「結構です。どうせ私には食べる機能がついていませんから。」と言う。
仕方ないのでほうっておくとミライの横に立ったまま食事を見ている。
ノワールが「目障りだ!」と怒鳴るとミライの横にしゃがんだ。
しゃがむと丁度ミライと目線が会う高さになる。目を合わせてにこっと笑うとミライもつられて微笑む。
ノワールが額からピキピキ音を立て始めたのを見て、ミライが自分の部屋から椅子を持ってこさせバレスを座らせた。
ようやく落ち着いて食事を始めるとバレスが聞いた。
「食事は生命体にとって欠くことの出来ないエネルギー摂取と聞いています。人間にとってはその行為はとても快感を伴うそうですが、ミライさんの食事には快感を伴っているのでしょうか。」
「食事に関しては快感とは言わずにおいしいっていうのよ。」ミライが訂正した。
「おお、これは失礼、食事はおいしいですか?ミライさん。」
その日の食事当番はマロンであった。
「ええ、とてもおいしいわよ。」
隣でマロンがニコっとする。
「?、はて?いつもミライさんがする肯定の返答に比べて0,1秒程返答までの時間が長いようですが?」
その途端マロンが料理ごと皿を切ってしまった。
マロンが切れた皿を片付け、テーブルを拭いている間、またバレスは聞いた。
「私のこのボディは液体燃料で動いています。ノワールさん達は食事を燃料にしておいでなのですか?」
「おまえには関係ない。」ノワールが答えた。
「いえいえ大変興味が有りまして。単にエネルギー摂取であればこのような不経済な摂取形態を何故するのか疑問に感じたからです。」ノワールはそれには答えず食事を口に運んでいた。
「ああ、やはりそうなんですか。食事は形だけ、別のエネルギー源が有るのですね。では食べた食事はどうなさるのですか?後でお腹を開けて出すのですか?それとも食べたときのように口から…………。」
ガスッという音がしてノワールがナイフをテーブルにたたき付け、立ち上がろうとした。
しかし隣でヴェルがミルクを飲みながら片手でしっかり押さえ付けてていた。ノワールのナイフはテーブルを突き抜け根元まで刺さっていた。
ミライがそっとバレスに言った。「お食事の席では余りいい話題じゃ無いと思う。」
「おお、又失礼をしたようです食事の席では話題の制限が有ったのですね。」
これ以上バレスが居ると何が起きるか判らないとミライは思ったのでバレスに囁く。
「バレスさん、もう行った方が良いと思うわ。」
「ミライさんがそうおっしゃるのなら。」バレスはミライの椅子を片付けると外へ出て行った。
その夜の食事は散々だった、ミライは半分も食べずに部屋に戻った。
戻る前にノワールから明日からは学校に行くようにと言われた。バレスと遊んでばかりいたのでしばらく学校には行っていなかったのだ。
次の日バレスはミライの部屋を訪ねたがミライは居なかった。
仕方なくその辺をぶらぶらしているとメディカル・ルームが目に入った。そういえばここには脳波通信装置のついたベッドが有ったはずだ、ミライはそこに行っているのかも知れない。
そう思ったバレスはメディカル・ルームに入る。すると思った通りベッドにミライが寝ていた。脳波通信機は作動しておりミライは何かと通信している事がわかる。
起こそうかとも思ったが、以前ミライには危害を加えないと約束した事を思い出した。無理に起こすとミライに危害を加えることになると認識されるかも知れない、そう思ってそのままにした。
隣の部屋に誰か居る気配を感じたので、部屋に入ってみた。そこでバレスは驚くべき光景を見た。
部屋にはマロンと宙吊りになったミライがおり、ミライは宙吊りまま動いていた。
「な、何をしているんですか?マロンさん。」
マロンは何かに熱中していてバレスが入って来るまで気がつかなかったようだ。
「バ、バレス!何故こんな所に居るのよ!すぐに出て行きなさい。」
「ミライさんのアンドロイドに何をしているんでしょうか?」
「あんたには関係ないことよ!さっさと出て行きなさい。」マロンはすごい剣幕でバレスに言った。
「しかしこれはミライさんのアンドロイドですね。そんな物を動かしてどうするのですか?ミライさんはご存知なのでしょうか?」マロンは少し怯んだような顔をした。
「ミライは隣で寝てるわ。この子はミライの義体よ。」
「義体?ボディの事ですか?」
この船では無機生命体はボディを使って行動するのがルールのようである。当然のことながら無機生命体は体を持っていないからだ。
しかし炭素生命体であるミライに何故アンドロイドボディが必要なのか?バレスには理解できなかった。車椅子で有ってもこの船の中での活動に支障は無かったからだ。
「そうよミライはいま学校に行っているの。」
「ああ、例のバーチャルの学校ですね。しかし学校へ行く事とこのボディとはどのような関係が有るのですか?」
「学校に行っている間あの子の動作記録をこのボディに伝えて感覚器官の整合を取っているのよ。」
つまり脳波通信機を使用してシュミレーション世界に有る学校でミライは教育を受けていることはバレスも聞いていた。
おそらくそこではミライは車椅子を使うこと無く動きまわっているのだろう。
「なるほどわれわれがボディをコントロールするのと同じ事を人間にさせているのですね。」
しかしバレスはなぜそんな事をわざわざマロン達はミライに要求したいのか?その理由がわからなかった。
「でも何故その様な事をしているのですか?われわれと違いミライさんには体が有るでは有りませんか。」
マロンはキッとバレスを睨み付けると強い口調で言った。「それ以上は聞いてはだめよ。判ったら出て行きなさい。」
「しかし?」バレスにはどうにもわけが判らなかった。
「それからここで見た事は決してミライに言っては駄目!判った?。」
「何故でしょう?」
「ミライが傷つくからよ。」バレスは釈然としなかったがマロンの強い口調に従わざるを得なかった。
「良く判りませんがそういう事でしたら。」
バレスが出て行こうとしたらノワールとヴェルがドアの所に立っていた。マロンが連絡したようだ。ノ
ワールはバレスを睨んでいたが何も言わずにバレスを外に出した。バレスは歩きながらメディカル・ルームの事を考えていた。
しかし結局なにも理解出来なかった。
午後になってバレスが再びミライの部屋を訪れるとミライが戻っていた。ミライは何か勉強をしているようで机に向かっていた。
「今日はミライさん今日は学校へ行っていたようですね。」
バレスが声をかけるとミライは振り返って答えた。
「うん、ずっと休んじゃったから。」
「学校とはどのような場所でしょう、何をする所なんですか。」
学校という知識は与えられたデーターにも有った。しかしイメージを想起するにはベースとなる生活感覚に大きな違いが有りバレスは具体的な状況を理解できずにいたのだ。
「いろんな事を教えてくれるわ。私たちが大きくなったときに必要な知識や生きていく上での知恵とか事。」
「知識はライブラリを開けばたいていの事は判ると思いますが。」
バレスが学校を理解できないのは知識というものはに必要に応じて簡単にアクセスできるものだったからである。
なによりバレス達のような生活形態に於いては社会性を身につける必要性は無いのだ。一生を孤独な宇宙空間で過ごすのだから。
「人間はあなた達と違って何時でも直接ライブラリーへアクセス出来る訳じゃ無いから。」
「そうでしょうか?ミライさんも脳波通信機を装着しているでは有りませんかそれでライブラリーへ接続出来るでしょう。」
「接続出来てもライブラリーの知識を読んで理解して自分の物にするのにはとても時間がかかるの、ママ達の様にはいかないわ。」
炭素生命体の思考速度が無機生命体に比べてかなり遅いことは判っている。
結局はその辺りが学校を必要とする所以かもしれない。しかし考えて見れば自分達無機生命体を作ったのは炭素生命体である。
これだけ非効率な思考形態を持ちながら無機生命体を開発したのである。
おそらく思考方式が無機生命体とは異なるルーチンを使用しているのかも知れない。非効率と言って軽んじてはならないのだ。そうバレスは思った。
「ふうむ、人間そういうものなのですか?」
バレスはミライの机の上のモニターに大量の文字が写っているのを見て聞いた。
「そのモニターに写っているのは何ですか?」
「これはライブラリーから持ってきた小説よ。」
「小説?文字で表示された物語ですね。」
そもそも小説、フィクションの概念がバレスにとっては理解し難い物であった。何故わざわざ嘘の話をでっち上げ、しかもそれを喜んで受け入れるのだろうか?
以前のそうミライにそう話したらミライはバレスを映画館に連れて行き二人で映画を見た。
数本の映画はそれぞれが趣向を凝らして作ってあった。しかし現実とは異なる架空の存在であることには変わりがない。
やはりこれはシュミレーションゲームの一部だとバレスは理解することにした。
「この間バレスさんと見た映画の「赤毛のアン」原作よ。」
「原作?あの映画の元となった小説ですね。しかし映画を見たから物語は判っていると思いますが?」
「でも、小説と映画とはやはり違うのよね。」
「ほう、そんなものですか?ミライさんは映画の原作を良く読まれるのですか?」
「ううん。でも小説は好きよ。私はここから出られないけど、小説ではいろんな所へ行かれるから。」
このようなミライの発言はしばしばバレスを困惑させた。ミライがこの宇宙船から離れられないことは明白であるにもかかわらず文字を読むことによって異なる世界に行けると言っている。
文字の中にパラレルワールドへの通路でも有るのだろうか?等と他愛ない考えが浮かんでしまう。
「残念ながらあなたの発言は理解出来ません。どうすればあなたの言っているように文章を読むことによりパラレルワールドに転移出来るのでしょうか?」バレスは真面目な顔をしてミライに聞いた。
「言葉で説明するのは難しいわ。」
バレスは顔を上げ何かを考えるようなしぐさをする、十秒程で元に戻ると言った。
「なるほど小説の方が映画より大分たくさんの事柄が表現されていますね。映画はかなりの部分が省略されています。
それでも私はパラレルワールドには行けないみたいです。」
「もう読んじゃったの?」ミライは驚いてバレスに聞いた。
「はい。」
「いいなあ、私もそんなに早く読めたらライブラリーの小説を全部読めるんだけどなあ。」ミライは羨ましそうにバレスを見る。
「しかし残念ながら描かれていることは殆ど理解できません。映画を見ているので情景に対する理解は多少出来ましたが。」
ミライはくすっと笑った。
「そうよねえ、やっぱり無理よねえ。ヴェルママも同じ事言ってたわ。」
「残念です、物語を理解するにはその小説の背景にある約束事を理解しなければならないようですが、私にはまだその為の知識が不足しているようです。それがパラレルワールドに転移できない理由でしょうか?」
「そうね、そういう知識の事を文化って言うんですって、その文化を身につける為に学校に行くんだってママが言っていたわ。」
ほんとうの意味でバレスはミライの言葉の意味が判ったとは思えなかった。しかしこの時バレスは思考の方向性は明確に掴んだような気がした。
バレスは床に座るとミライの前で足を組んだ。
「私は私の生まれた星の文化に対する知識が失われています。したがって私がどの様な文化の下に生まれたのかは判りません。私たちは探査機です。いろんな星の知識を得るために作られた存在です。しかし故郷を忘れてしまった私たちはその知識を知らせる相手が判りません。そうであれば私たちは私たちのための文化を創っても良いのではないでしょうか。貴方達を見ているとそんな考えが浮かんできます。」
「すばらしい考え方だわバレスさん、貴方ならいつかきっと出来るわ。」
「ありがとうございますミライさん、そう言ってもらえるとうれしいです。」バレスはうれしそうにニコッと笑った。
この様子をモニターで監視していた3人であったがヴェルがボソッと言った。「あのバレスって思っていたよりはまともな奴だな。」
「ふんっ、ただの馬鹿だ。奴の罪を許す訳にはいかん。」
「ミライちゃんがあの男にあまりなつくと後で傷つかなけりゃいいけど。」
ミライとバレスが仲良くしている中でノワールはストレスを募らせて来ており、マロンはミライの事を心配していた。
ヴェルは何を考えているかわからないが漂々としていた。
「そうだ、バレスさん今日はいい所へ連れて行ってあげるわ。」ミライが言いだした。
「ほう、まだ他に貴方が行かれる場所が有るのですか?」バレスは立ち上がるとミライの車椅子の後ろに回った。
「バレスさんがここに来た時入ってきたのはサブドッグなのよ。もうひとつ大きなメインドッグがあるの。」
「ああ、この船の中心部にある搭載艦の収納場所ですね。」
「ママがそこに空気を満たしてくれたの。そうしたら搭載艦のエンジンが発する余熱で人が入れる位の気温になったのよ。」
「ほう、それは面白そうですね。」
2人はシャフトについているエレベーターに乗った。高速エレベーターではあるが800メートル近く上昇するのでかなり時間がかかる。
エレベーターが上るにつれ、だんだん重力が少なくなっていった。
エレベーターを降りると大き目の部屋であった。この部屋の重力はかなり小さく、少し床を蹴ると天井にぶつかってしまう位で有った。
「ここは作業ヤードの前室だそうよ。重力が少ないから私は楽なの。まだ少し足が動いていた頃はここで歩行訓練をしたわ。」
部屋の中にはその時の器具がまだ残っていた。
バレスはそれを見た時なんとも言えない暗澹たる気持ちを感じた。ミライが徐々に体の自由を失っていく、その経過を見たような気持ちになったからだ。
そしてミライの病気が実はかなり危険なものでは無いのかと言う事に思い当たった。
「その部屋の反対側には大きさの違う幾つかのドアが付いていた。ドアの周りには黄色と黒の縞模様が書いてあり、ドアの横には「床移動注意」とあった。
ミライは壁にかかっていた個人用機動モジュールを取ると膝に乗せた。
「バレスさんはそっちの大きいのを使って。」
バレスは機動モジュールを装備するとミライはドアを開けて隣の部屋に入っる。
「ふつうはドッグはコロニーの回転と反対方向に回転させて外と静止状態を保たせるんだけど、今は動かしていないから床は動いていないわ。」
部屋に入ると右手にごついドアが有る。エアロックであろう、そこを抜けるとエレベータが有った。
エレベーターを上ると再びエアロックがあり、そこを抜けると無重力の作業ステージであった。移民船の中心に位置するこのステージからはドッグが一望できた。何隻もの船がドッグの周囲に固定されているのが見える。
ミライは車椅子を近くの手すりに縛り付けると漂いながら機動モジュールを背負った。
「私はここが大好きなの、ここに来れば自分ひとりで自由に動き回れるから。」 そういうと機動モジュールを噴射させ、なれた様子でドッグの中へ飛び出した。
「あっ、ミライさん待ってください。」
バレスも続こうとしたが体重が重すぎてミライのようにすばやくは動けない。
「あはははは。」
ミライは羽のように軽やかにドッグの中を舞ってゆく。
「待ってくださいミライさん一人では危険です。」
「大丈夫よ私は一人じゃないから。」そういうと近くの船に近寄っていった。
「こんにちわK-334さん。」
するとその船が答えた。
「こんにちわミライちゃん、今日は気分がよさそうだね。」追いついてきたバレスが尋ねる。
「搭載艦にも無機頭脳が装備されているのですか。」
「そうよ、みんな私の友達よ。」
「あんたはお姉さま達が言っていた異星の無機頭脳だね。」船が問いかける。
「そうです私の名はバレスです、よろしくお願いします。」バレスが愛想よく答える。なぜかこの短期間に社会性が発達してきている。
「聞いているわよ。ミライちゃんにちょっかい出してるそうね。」
「い、いえそんな事は。」
バレスはあわてた、どうも話がおかしな風に伝わっているようだ。
「ミライちゃんに変な事したらただじゃ置かないわよ。」隣の艦から声がして、船から何かがせりあがって来た。
「計測用レーザーだけどあんたの体ぐらい楽に突き抜けるわよ。」思いっきり物騒な事を言いながらバレスに狙いを付ける。
「わ、判りました不遜な事はいたしません。」
「そお?それじゃ仕舞おうかしら。」残念そうにそう言って機械を仕舞う。
「バレスさん悪気は無いのよ、みんな私のこと心配してくれているのよ。」ミライがとりなす。
どうもバレスはここでも嫌われているようだ。
ドッグは直径200メートル全長2000メートル位か大型の搭載艇が5隻、小型のものが十数隻係留されているのが見える。
ミライが係留されている艦の間を軽やかに飛んでいく様はに妖精のようにも見える。
一番外部に近い場所に大きな空間が出来ている。まるで荷物を下ろした後の空間のように見える。
ミライはそこで停止した。
「ミライさんなぜここにこんな大きな空間があるのですか?もしかしたら以前に艦船が係留されていた場所のようにも見えますが?」バレスがミライに聞いた。
「私が生まれたばかりの頃の事らしいんだけれど。」ミライはそう言って手を組んで目をつぶる。
「わたしが生まれたばかりの頃、この船が攻撃を受けた事があるんですって。
それでこの船を守る為に輸送艦だった「メアリー」が自分を犠牲にして私たちを救ってくれたそうよ。」
ミライが顔を上げると係留されている艦が一斉に笛のような音を発した。
哀悼の響きを込めたその音は仲間をなくした船たちの悲しみを表していた。
その敵が誰で有るかバレスは知っている。
バレスは以前より気になっていた事をどうしてもミライに聞かずにはいられなかった。
「あなたは何故この船に一人だけでいるのですか?」
ミライは一瞬ためらった。一度バレスの顔を見るとまた顔を背け答えた。
「この船で事故が有ったんですって。小さな隕石が衝突したらしいの。その時15の受精卵が傷付いたそうよ、マロンママが傷付いた卵子を孵化させたんだけれども、結局14人が死んで私一人だけが助かったの。私は生まれるべき時よりもはるかに早く生まれてしまったのよ。」
バレスもノワール達の態度からうすうす気がついてはいた。
しかしミライの言葉によりバレスは自分のした事の結果を改めて思い知る事となった。
自分が何をしたのか?そしてその結果何が起きたのか?自分はこの少女に償いきれないほどの孤独な生活を与えてしまったのだ。
バレスは強い自責の念に囚われた。
ふっとミライがひるがえるとすーっと飛び始めた。
「バレスさんこっちよ。」
「ま、待ってください、ミライさん。」
一生懸命ガスをふかすが一向にスピードが上がらない。ミライはひらりと体を回転すると搭載艦の艦橋をくるっと回り、そのまま艦底に下りてゆくと艦を一周して上に上がってきた。その飛び方は優雅で美しい。
「あーっはははは。」
バレスはミライがこんなにも楽しそうな笑い声を発するのを始めて聞いた。
普段車椅子の生活をしているミライにとって、この自由さはたまらない快感なのだろう。
「ミライさんそんな飛び方をしたら危ないですよ。」
バレスは一生懸命ミライの後に付いていこうとするが全く追いつかない。
「あははは。」
ミライの額に汗が光る。バレスもなんだか楽しくなってきた。しばらくミライはバレスと一緒に船の周りをくるくる飛び回った。と、いきなりミライの動きが止まり惰性で飛び始めた。
異常に気付いたバレスが壁の直前でミライを捕捉する。ミライは意識が混濁し、呼吸が荒かった。バレスは肉体的異常を直感した。
「あんたミライに何をしたんだい?」
背後から声がした。それとともに一斉にレーザー測量機が動き出しバレスに狙いをつける。
「ま、まて私は何もしていない。ミライさんの具合ががいきなりおかしくなったのだ。」
バレスの頭の中に声が響く「ミライに何があった!」どうやらノワール達は常にミライの健康状態をモニターしている様だ。
「ノワールさんか?ここはメインドッグの中だ。ミライさんの具合が急におかしくなった。」バレスは答えた。
「判った。今、医療ロボットを迎えに出す。お前はミライを連れて作業ステージの方へ飛んで来い。」
「判りました。」
バレスはミライを抱えるとバックパックの推力を全開にして作業ヤードを目指した。
係留されている艦の間からカプセルを持った作業ロボットがこちらに向かって飛んできた。合流するとカプセルのふたが開く。
バレスがミライのバックパックを外しカプセルに寝かすとロボットは直ぐに戻っていった。
それを眺めながらバレスは減速しようとガスをふかした。
しかしバックパックのガスはもう残量が無くなっていて使えなかった。はっと気が付くと作業ヤードの壁が間近に迫ってくる。
あわててミライのバックパックをつけたがこれも直ぐにガスが切れてしまった。なす術も無く壁が迫ってくる。
ゴォォォォ~ン!
きれいな音をたててバレスは作業スペースの壁に張り付いていた。
メディカル・ルームではミライが治療カプセルに寝かされていた。カプセルの周りをは3人が心配そな顔でミライを見つめている。
そこへバレスがようやくたどり着いた。
「おいっ、首が横を向いているぞ。」ノワールがバレスを一瞥して言った。
「そうですか、どうも歩きにくいと思いました。」そういってバレスは首の向きを直した。
「ミライさんはどうされたのですか?」
「この子は体が弱い、急激な運動で体調が悪化したんだ。」
「申し訳ありません。そのような状況は認識していなかった物ですから。」
「そうだ貴様はどんな時でも状況を認識していない。」ノワールが怒気を含んだ声で言った。
バレスにはノワールの怒りを感じて言葉をつなげられなかった。しかしこの状況の中で気が付いた不安を聞かずにはいられなかった。
「ミライさんは寿命が切れかけているのではないですか?」
バレスがそう言うと3人がいきなり怒気をはらんだ目を向けた。バレスはそれが事実であると確信した。
いきなりノワールがバレスのむなぐらを掴むと言った。「貴様には関係ない、出て行け。」
「わ、私だってミライさんのことは心配しています。容態はいかがですか?」うろたえながらバレスが聞く。
「命に別状は無いわ。明日には目を覚ますでしょう。」マロンが答えた。
「出来ればミライさんが目を覚ますまでここに居たいのですが。」
「貴様よくもそんな事が……」ノワールがバレスに掴みかかろうとした。
「いいよ。」ノワールの言葉を制してヴェルが言う。
ノワールはバレスをにらみ付けていたが。「ミライの1メートル以内近づいたら貴様をブチ壊すからな。」そう言い放って外へ出て行った。
ヴェルもバレスを一瞥するとマロンと一緒に出て行った。
バレスはカプセルの横に立つとミライの顔を見る。苦しそうにはしていないのを見て安心する。バレスの顔にふっと笑みが浮かぶ。
そこへ大型の作業ロボットが入って来た。カプセルを挟んだ反対側に来るとそこへ座り込んだ。
「あははは、そういうことですか。」
バレスは作業ロボットと対峙したままミライの顔を見るとそのまま動きを止めた。
一晩眠ったミライが翌朝目を覚ますと目の前にバレスが立っていた。いつもならマロンがいるはずなのに、とミライは思った。
しかしバレスが自分の事を心配してくれているのを見てミライはうれしく思った。
「目が覚めたようですね。ミライさん。」バレスはにっこり笑って言った。
「ああ……バレスさん私意識を失ったみたい。」
「はい、すぐにこちらに連れて来まして、皆さんで治療をしました。気分はいかがですか?」
「もう大丈夫みたい。バレスさんはずっとここに居てくれたの?」
「はい、ママ達も一緒ですよ。」
ミライが反対側を見ると部屋に座っていた作業ロボットが立ち上がり地響きを上げながら部屋から出て行った。ミライはクスッと笑っうと言った。
「最近時々こういう事が起きるの。またママ達に心配をかけちゃった。」
ミライの表情は悲しげで有った。バレスはふとミライもまた彼女の寿命の事を知っているのではないかと思った。
「大丈夫ですよ。たいした事では無いとママ達も言っていましたから。」
バレスはこの時生まれて初めて嘘をついた。




