第63話 婚約破棄された会計令嬢は、今日も定時で幸せに働く
今日も北方契約局は、それなりに忙しかった。
朝一番で共同備蓄の残量確認。
午前中に王都からの照会二件。
昼前には市場の計量規格の相談。
午後は新人向け講習と、北壁点検の簡易報告。決して暇ではない。むしろ普通に忙しい。
でも、私はもう知っている。
忙しいことと、潰れることは同じではない。
仕事が多いことと、人生を奪われることも同じではない。
「本日の急ぎ、終了です!」
エマが声を上げる。
「未清算申告、対応完了!」
ヨルクが続く。
「王都照会、返送済み!」
ミアが札を右端へ動かした。
私は板を見渡して、満足して頷いた。
「では、本日はここまでです」
「お疲れさまでした!」
局員たちの声が重なる。
帰り支度をしながら、私は窓の外を見る。
街には灯りが点き、遠くの灰晶壁は静かに光っている。誰か一人の犠牲ではなく、ちゃんと分け合われた責任の上で、今日も立っている光だ。
鞄へペンをしまい、持ち帰りがないことを確認する。
これがいまだに少し嬉しい。
前世の私は、仕事を終えて帰るという当たり前を、ずっと上手くできなかったから。
玄関を出ると、冷たい空気が頬を撫でた。
でも心は軽い。
帰る場所があり、待っているお茶があり、明日またやる仕事がちゃんと明日に残っている。
それだけで、十分だ。
道の途中でハンナさんに呼び止められる。
「今日は蜂蜜パンあるよ!」
「では二つ」
「公爵様のぶんも?」
「ええ、もちろん」
「仲いいねえ」
「たぶん、ほどほどに」
笑いながらパンを受け取り、私は邸へ向かう。
玄関の灯りの向こうに、温かな気配がある。
婚約破棄されたあの夜、私はただ“どこかましな場所”を探していただけだった。
いまは違う。
私はここで働き、ここで暮らし、ここへ帰る。
そして明日もまた、仲間たちと一緒に、壊れかけた約束を見つけては整え、見えない負担へ名前をつけ、必要ならちゃんと線を引くだろう。
派手な英雄譚ではない。
でも、だからいい。
読める言葉で結ばれた約束の中で、私は今日も定時に帰る。
そして、ちゃんと幸せに働くのだ。




