第九話 我が世の春
武士として初の太政大臣となった篁清季は、一門を朝廷中枢に登用し、鳳凰院派および帝派の公家を排して独裁体制を築く。「この世の春」を謳歌する篁家だが、それは東国の決起を促す清季の孤独な戦いの始まりであった。そこで清季は捕虜としていた義朝の甥・光延にのみ真意を明かし、東下りさせる。
一方の東国では、朝頼を旗印に挙兵を図る動きが進むが、皇室の令旨がなければ大義が立たぬという慎重論が壁となる。光延は桃紅城で目代の篁条時勝を説くも拒まれ、清和朝頼とも会えぬまま潜伏を続ける。
鳳凰院の死後、武士として初の太政大臣となった篁清季は、自身の一門の人間を朝廷に登用して急速に地盤を固めていった。院近臣として忠節を誓っていた鳳凰院派の貴族がいずれ、武士にして朝廷の官位を極めた自身に敵対すると考えた清季は、先んじて鳳凰院派の貴族を一掃していった。
清季は、今上帝の即位当初は共に武士の世を創るべく、積極的に政に力を貸していた。だが今上帝派の貴族に囲われてその影響を強く受けだした帝は、貴族の黄金期である天暦の世を再現することこそ唯一絶対の正しき政であると考えるようになった。やはり帝は武士の心がわからない。清季は哀しみに曇りながら、帝派の貴族も少しづつ排除して帝派の力を削ぎながら、朝廷の重要な官職の大半を、篁家一門で占めるようになった。
帝や帝派の貴族は清季のその専横とも思える動きを好ましくは思わなかったが、それを止める力はなかった。
皇紀一八二七年
翌年、帝と紀子の間に一人の皇子が生まれた。竹仁親王である。
孫である竹仁親王の養育費や守護を担おうと、清季は内裏宮にも一門の武士を置いた。それまで内裏の守護を担っていた武士は検非違使としての御役目を与えて遠ざけ、自身の後任として検非違使別当となっていた孫の是重の管轄とし、身勝手に動けないようにした。ここに、篁家一門による独裁体制が完成したのである。
帝は、政や京の軍事のみならず、内裏宮まで清季の手の内に置かれ、自身がまたしても力なき君主として飾られたことに、心を痛めた。
帝派の貴族で最も高位である右大臣、力石実朝は篁家の排斥を企みながらも、院近臣の左大臣であった中条憲麻呂と同じ轍を踏むことを恐れ、行動に移せずにいた。
「今や、篁清季めの天下でおじゃる。麿のこの忸怩たる思いを皆も分かってくれようのう」
貴族らは、実朝の言葉に賛同した。
「お上はようやく政を上皇から取りかえしたばかりというに、奸賊め許すまじ。古より蘇我氏、藤咲氏と奸賊が蔓延りしことはあれども、なかんずく篁家は許せぬ。武士が……神聖なる政を私するなど……あぁ穢らわしや……!」
声をひっくり返しながら怒りくるう力石であったが、彼は喚くだけでは何もできないことを知っていた。実朝は帝の不満を直接、清季へ伝えることにしたのである。あわよくば、清季と刺しちがえる腹づもりであった。仏門に入り、殺生を拒む清季ならば、非力な自分でも誅伐できると思ったのである。
六波羅御殿を来訪した実朝は、「天子様より賜りし密か事について」と言って、清季と二人きりになった。話を進めながら、自然な流れから、実朝は本題へと入った。実朝はこういう、どうでもいい話題から本当の話を切りだすのが得意な、公家らしい公家であった。
「太政官殿の慇懃無礼なるお振るまい、お上が御宸衷麗しからずと時折お零しあそばすことがあらんか、太政官殿は如何思しめしか」
「其は……残念至極と思いまする。某は娘を入内せしむる臣なれば、ご不満はすべてお申しつけあそばせと、構えて願い奉りまする」
「実を申さば、今のは例えにあらず。お上は太政官殿の近頃のお振るまいを、怖う感じておられる。お心辺りはあらしゃいませぬか」
「これは異なことを承る。那辺に恐れを抱きあそばすのか、見当もつきませぬ。……もしや、一門の登用の件か……。某、朝廷を一心に思うて、某の意に従う同門の者を登用したまで。其がご不興を賜りしことなれば、申し開きいたしとうござりまするな」
「その儀に及ばず。お上は親政を執ることも能わず、その願いを叶えんと欲しておりまする。もしお上に忠節を誓うならば……一門ともども身をお引きなさりませ」
「其はお断り申し上げなん。太政大臣の御役目は、鳳凰院様より任官されし大任。いくら鳳凰院様が今上陛下を蔑ろになされていたとて、畏き御方であらせられたことには相違なく。その命令を易々と放任するは、国家への不忠と心得申し候」
「その、某とか候とか、武士らしい言葉は宮中に相応しからずや。改められませ」
「如何が仰られようとも、某は武士。其を改めるは、お家を蔑ろにする不忠者として嘲りを受けましょうぞ。お家を尊ぶは、公家も武家も同じことなれば、ご容赦願い奉りまする」
「さりながら太政官」
実朝が尚も言葉を続けようとしたとき、清季は大きな声で咳払いをした。そしてじっと、実朝を見た。軽く微笑んではいたが、実朝はその目に、まるで猛虎に睨まれたかのような恐怖を感じた。
「実朝殿」
「な……なんなりと太政官」
「共に同じ尼を姦淫した不埒なる者同士。言いかたを変えれば、同じ女を愛した友ぞ。これ以上、友を消させたまうな。良いのう?」
「御……意のままにでおじゃる」
そのやり取りで、実朝は思いしった。武士を怒らせては、怖いのである。家名やそれに伴う権威など、まったく無駄なのである。武士という、命の価値観が異なる存在を前にすれば、その目に見えない強さなど、いざとなればまったく無意味なものになってしまうのである。
実朝はこの日を境に、清季に逆らうことはなくなり、徐々に今上帝派の貴族からも見放され、政の主流から外れていった。
権勢を誇る篁家は、全盛期の藤咲氏にならび称され、誰もが「篁家はこの世の春を謳歌している」と噂しあった。清季の次男にして嫡子である篁宗季は、「篁家にあらずんば人にあらず」という、傲慢不遜なことを言って、朝廷はおろか京の民草からも強い反感を買った。
清季は、嫡男までもが武士の心を忘れ、篁家が第二の藤咲氏になってしまったことを嘆いた。
「光延よ、篁家は今や、朝廷の重要な官位の半分以上を占めておる。さりながら、悲しきかな、東国の武士どもは我々を頼りて京に入り、無用な貴族どもを除いて武士の世を創ろうとはせなんだ」
「この期に及んでも東国の武士は、主の敵討ちに出ようという気概もなく、内輪揉めを制した河内義家もまた、武者の統制に勤しむだけで何の動きありませぬ。新たな揉めごとを生まぬだけの器量はあれども、やはり義朝様の二番煎じにござる」
「それ故我らが、けしかけねばならぬ。京へ軍勢を向けさせる口実を与えねばならぬのう。それが今日の、我らの権勢よ。篁家にあらざらん者は人にあらずなど、三日天下で良いのじゃ」
「この命、どのように使えばよろしゅうござりましょうや」
「其許には、何の官位も与えられなんだ。それもこのためなるぞ。光延よ、東下りをするのじゃ。篁を討つべしと触れまわれ。その中で、間者だと疑われ命を狙われることもあろう。だが其許だけが、清和氏でありながら篁家をよく知る唯一の人間なれば、この御役目を担ってもらう他ない。坂東武者どもを焚きつける炎として、その命を燃やしてくれまいか」
「坂東武者を京へ招きいれる理由として、篁家を……滅ぼしあそばされるおつもりにござりまするか」
「是非に及ばず。強き武士があらずんば、貴族を一掃し、武士の世をお創りあそばす帝を立てる夢は叶わず。永久に……武士の世は訪れぬ」
武士の世を創るためには、自らの命はおろか、御家さえも滅ぼし、未来永劫奸賊としての謗りを受けることを厭わない。それが、清季が望む自らの末路であった。
「其許に、ささやかながら礼をしたい。其許はこの篁家一門に於いて、よそ者でありながら、最も武士らしい人であった。どうかこれを受けとってはくれまいか」
そういうと清季は、家宝である弓を光延へ渡した。武士の象徴的な武器である弓を渡す。それが家宝ともなれば、それは武家としての魂を託すという、清季の意思を強く示すものであった。
「これは我が祖父が、京で百鬼夜行が起きた際に、鵺を射殺した弓だ。その名を雷上動と言う。雷神、武甕槌命の神力を纏っている神器じゃ」
「かくも貴重なものを、某などが承るなど……!」
「其許は、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んでくれた。不満あらずんば、この弓を受けとり、我が大志に尽くしてくれぬか」
「御礼申し上げ奉りまする……! この光延、かかる大命を仰せつかり、この上なき武士の誉れと心得まする!」
光延は自室へ戻り、雷上動を含め、自らの荷物を纏めあげた。明日にでも、京を発つ予定である。京へ戻ることは二度とないであろう。そう思うと、途端に、寂しくなった。思えば主たる義朝が政争に巻きこまれ命を落とした忌み深き地であったが、清和氏を朝敵にさせじと、ただ一人篁家へ寝返った。親兄弟は手打ちとなり、今や浪人として根なし草の駆武者として、色々な陣営を旅しているという。主の死後は自らも半ば捕虜として、武士の誉れを失ってしまった。転落の地であるこの京でさえ、誉れのために死ぬこととなった今は、人生を変えた感慨深き地に感じた。
京を歩けば、童が遊びまわっていた。かごめ歌を歌い、無邪気にはしゃぐ姿を目に焼きつけた。
「懐かしいのう。うしろの正面だあれ……とな」
童が童歌を歌いつづけることができる世を守るには、蝦夷や魑魅魍魎を討つ武士がいなくてはならない。平和はすべからく武で護らなくてはならない。その武士が自らの処遇に不平不満を抱き、互いに手を取りあえない今の世が続けば、童はたちまち、死に絶える末路となる。
武士の世を創るべく、光延は京へ別れを告げ、東へと下った。
東下りの道中、桃紅城の城下町へ入った光延は、篁条一の城の美しさに見惚れた。上洛する際は、廿楽城から海道へと進んだため、桃の美しさを見ることはなかった。
茶屋に腰掛け、団子を食した。桃の味がして、京の団子とは異なる美味しさがあった。道行く女子の声に耳を傾けたとき、気になる名が聞こえてきた。女子は、「美白郎と城主はご昵懇の仲にして、篁の狼藉を正す旗印」などと、噂していた。
「店主よ、美白郎とは何者か。城主と昵懇とあらば、それなりの人物とは心得るが」
「それなりの人物だなんて、見当違いも甚だしい。美白郎は、清和朝頼。流人のことよ」
「なんと、流人でありながら、城主と親しいのか。この城の主はこの広大な篁条の中でも随一の実力者、篁条時勝様であろう」
「それはずっと前から皆の知るところよ。あんたどこから来たんだい」
「京じゃ。東下りをしておるのじゃ」
「京からお武家さんがねぇ。本当に、京へ兵を挙げるのかい?」
「其はよそ者の某には分かりかねる」
「でも、わざわざ京から東へ行くってんなら、訳ありなんだろう?」
「訳ありではござるが……美味い団子にござった。これにて御免こうむる」
光延は清季より賜った篁家の印綬を手にし、城へ向かった。時勝へ、直々に挙兵を促すべきと考えたのである。棟梁の嫡男にして流人の身にある朝頼とわざわざ友となっているならば、時勝にも篁家を討つべきという時勢が理解できると思ってのことだった。
「篁太政大臣清季が家来、清和光延にござりまする。篁条篁条守時勝殿のご尊顔を拝し奉り恐悦至極にござりまする」
「楽にせよ、光延殿。其許は我が主家の家来といえども、その名を耳にしたことはない。何故、清和の者が篁家に仕えたのか」
「かくかくしかじかございましたことは、言うに及ばず。掻いつまんで申し上げれば、俗に言う義朝の乱の砌、清和家が朝敵として滅ぼされることを避けんがため、篁家に降り、取りいりましてござりまする」
「馬鹿正直よのう……して、何故この期に及んで篁家を離れ、東下りなど致すのか」
「太政大臣の命に従い、京を攻めるためにござりまする」
「京を……攻めるとな?」
「戦の時が迫っておりまする。今や鳳凰院は世を去り、天子様の御代とおなりあそばしました。なれども天子様はまだお若く、その采配は貴族の公家衆によって行われ、政は不安定なものと相成り申した。其は、人々の不満の根源となり、魑魅魍魎を生み、その厄災から逃れんと欲する民草により豊かな土地の奪いあいが起きまする。かかる事態と相なれば、ゆくゆくはその隙を狙う賊や蝦夷が跋扈する乱世を招きまする。この連鎖を断つべく我が主は、己が利のため京の外を顧みない貴族を政から遠ざけ、遠方や民、敵をよく知る武家が政を行う、武士の世を創成せんと欲しておりまする。京へ軍勢を進め、力で貴族を除く必要、これあり。その時は、刻一刻と迫っておりまする」
「軍勢と申すが、篁家こそが、西国の要たる畿内の武家における最高峰であろう。何故、東国武士を招くのか」
「主曰く、篁家はもはや、武家にあらず。公家の如くふぬけた家人に、貴族を除く力はござり申さず」
「しからば……戦を起こす大義名分として、天子様を蔑ろにする自らを、君側の奸という餌にしようという腹積もりにござるか」
「ご明察にござりまする」
時勝は思案した。このままでは主家が滅ぼされる。主家が謳歌するこの世の春を、家来筋である分家が、東国武士と共に討ちほろぼすことが、果たして道理といえるのであろうか。
戦の勝敗によって変わる未来よりも、主の願いに従い謀反を起こして主家を討つことが、果たして天の道であるのか、時勝に分別をつけることはできなかった。
「主家の篁家が、京で傍若無人な振るまいから嫌われておることは、この時勝の耳にも聞こえておる。なれども光延殿。忠義というものは、天の道よりも、時として主のため、それに逆らい世の中を敵とすることもあろうて。なればこの時勝、主のため、京へ攻めいる坂東武者と戦いて、この城を枕に果てる所存。役目大義。この城を抜け、東へ参られよ」
「しからば、どうかこの儀をお聞きいれくださりませ。どうか、美白郎清和朝頼様へお目通りのほどを」
「それはならぬ。仮にも朝頼殿は、某が見張っておる流人ぞ。それを逃したとなれば、それは不忠となり、この首で、清季太政大臣並びに天子様へ詫びねばならぬ。この命、其許と相まみえる日まで、惜しむ」
「承知……仕りましてござる」
無念であった。光延は、すぐ近くに朝頼が居ると知りながら、会うことも許されず、はなはだ無念であった。坂東武者と会うとなれば、篁条の軍勢と旗印となる朝頼の存在が必要であった。そうでなければ、坂東武者は話も聞かずに、寝返り者として斬りつけてくるに相違なかった。もしそうなれば、御役目を果たせず犬死にとなる。それだけは何としても避けなければならなかった。
光延は重たい足取りで城を出ようとした。そのとき、一人の商人が、光延を呼びとめた。
「御辺は、清和光延殿にござらぬか。某を覚えておるか」
「御辺は……紫葉貞任殿か……! 何故商人などに身を落としたのか!」
「これは仮の姿だ。朝頼公を篁条家から取りもどすため、密かに接触しておるのじゃ」
「誰の命じゃ」
「河内八幡太夫義家様じゃ」
「棟梁となりながら、朝頼公をお探しなのか?」
「自他ともに認める仮の棟梁じゃ。やはり嫡流の朝頼を御旗としてこそ、大義名分が立つというもの」
「つまり、皆一丸となって、朝頼公をお迎えする腹積もりなのか」
「いかにも。実はのう光延殿。すでに幾年もかけ朝頼公と話しあい、御旗としてお立ちあそばすことは取りきめておるのじゃ。なれども、皇室が篁清季を朝敵として断じねば、如何に精強な東国武士団を率いようとも、敗れしときに立つ瀬がなくなると仰せでのう」
「それは至極まっ当なれども……簡単には行かぬものよのう」
京を出る前、光延は宮様と会うなど検討さえしていなかった。清季もまた、東国で蜂起があれば貴族の誰かしらが宮を焚きつけ、令旨を出すものと思っていた。
「流人でありながらも、気位を損なわずお持ちあそばされるお姿は、まさに義朝様の御子なれども……いささか勇気が足りぬとお見うけいたす。……おうそうじゃそうじゃ。御辺は何故ここへ参ったのじゃ。いままでどこにおったのか」
「某は……義朝様の乱の砌、篁家に寝返り、清和氏が朝敵とならぬよう篁清季殿に取りいりながら願い奉っておったのじゃ」
「某ならば、其が忠義であることは分かるが……不忠と呼ぶ者もおろう。ここだけの話になるが、実を申さば、大庭景虎を初めとした面々は今も生きており、嫡流の朝頼公を棟梁と据えることを条件に、お隠れになっておるのよ」
「左様とあらば……某は大庭殿に殺されるやも知れぬな……。あの気性の荒さは、目に余る御方ゆえ」
「なれば、御辺は京へ戻るのじゃ。某が義家殿に頼み、篁清季討伐の挙兵を行う準備が整っておる由、認めていただき書状にて預かって参る。それを御辺が、篁家に不満を抱くどこぞの宮様へお渡しすればよろしかろう」
「相分かった。それがもっともも手早かろう。御辺の書状を受けとるまで、この地で一休みいたそう」
光延は、この桃紅城にて潜伏することとなった。長い旅の前に癒しを得られることに、光延は安堵した。
稲穂が実る季節、河内にて潜伏する大庭景虎は、未だ朝頼を取りかえす手立てがない現状に苛立ちを隠せずにいた。腹心である鎌村幸良は、疑念を抱きつつあった。
「我が君、これは……我らを飼い殺しせんがための時間稼ぎにござ候わずや?」
「どういう意味だ」
「すでに朝頼公の心は決しており、流人として慎ましく暮らしていくことは明白ながら、我らが再起するのを恐れて義家らは隠しておるのではという意味にござりまする」
「その真偽を確かめる方法はなかろう。あらぬ疑念を抱けば、余計に腹が減るだけであろう。良いか幸良、一度信じると誓ったのであれば、我らはただ、待つのみぞ」
「信じる気持ちは大切にござりまする。さりながら、それだけでは、幾ばくが心許無うござりまする。我らは居城を失い、兵を集めることも叶わぬ身。爪をもがれた虎にござりまする」
「ならば如何せよと申すか」
「手勢を鍛えるのでござりまする」
「どこで左様なことを致すのか」
「この河内にも、愛宕寺はござりまする。愛宕権現を祀りし宗派なれば、剛の者がおりましょう。参拝の名目で赴き、鍛えるのです」
「其もよかろう」
河内の領内にある愛宕寺を訪ねた二人は、和尚の大愚と会った。寺の中は、所々に傷がついていたが、敢えて触れないでおこうとした。しかし、大愚は自ら、恥入りながらその件に触れた。
「我ら僧兵の力を頼りにまかり越されたならば、あと五日早く起こしになるべきでした」
「何故にござるか、和尚殿」
「欠けた柱に、抉れた岩。これはすべて、一人の僧がつけたものにございます」
「その剛の者は、今いずこに?」
「相分かりませぬ。二尺四寸(2m20cm)、百七十斤(108kg)の大男にございますれば、方々を訪ねて歩き、見つけることもできしきんましょう」
「その僧兵は、この愛宕寺にて育った者にございまするか」
「いいえ、旅をしているというので宿泊をさせたのです。そして、武勇の誉れ高い僧兵より兵法を学び奉りたいと申すので、教えを施し、数日後、寺の僧兵を相手に一人で戦いを挑みました。そして大暴し、僧兵は皆傷を得て降参し、寺を制した男は去って行きました」
「その男の名は、何と申すのですか」
「鵄錦と号する男にございます。錦の鵄と書きます」
その僧兵を、力でねじ伏せたいと景虎は思った。その首を取れば、愛宕寺の僧兵を大勢、味方につけられる。名が知れた武者である大庭景虎がすでに死しているならば、再び武で人を魅了するしかないのではないか。直情的ではあるが、理に適った再起の筋道が立ったように思えた。
景虎は太陽を見上げ、再び大暴れできる環境を与えてくれた天に対し、感謝した。
それから二人は方々を訪ねてまわった。しかし流浪の僧兵を見つけることは、容易ではなかった。もしかすれば、もうすでにこの河内国を出てしまったのかもしれない。そうであれば、鵄錦と戦うことはできない。景虎は、数日をかけて歩きまわった自分を嘲笑した。
二人は日照りに汗だくとなり、付近の村に立ちよった。井戸で水を掬い、石垣に腰を下ろした。
「存外、こういう気を抜いたときに、出会すものやもしれぬよのう」
「猿楽の演目なら、そんな一幕もありましょうが」
「ほれ、事実は猿楽より奇なりというやつよ」
猿楽とは、役者が舞台の上で舞を踊り、物語を演じる劇のことである。猿楽ならば、そんな物笑いな一幕もあるだろうと思ったが、幸良はそんなことは起こらないと思った。
「のう幸良、山中を探しまわって、結局見つからぬとは。物見遊山を楽しんだだけではないか」
「如何にも。なれども、久々に自由を謳歌しているようで、思いのほかに楽しゅうござりました」
のほほんと談話していると、井戸の水を掬いあげる音が聞こえた。村人かと思い振りむくと、そこには中々お目にかかれないほどの、大男がいた。
汗だくの大男を哀れに思って、景虎は水で濡らした手拭いを差しだした。
「そこの御仁、これで汗を拭われよ。よう冷えるぞ」
「ひや〜ありがてぇ」
大男は額の汗を拭い、坊主頭と顔も、同様に拭って冷やした。気持ちよさそうな顔につられて、景虎もニンマリとした。
幸良は訝しんだ。これほどの大男が、そう何人もいるものか。幸良は刀に手をかけて叫んだ。
「名を名乗れ!」
「か、勘弁してくだされ……! 俺はただの百姓じゃ……!」
「検める故に名乗れ! 拒めば切りすてる!」
「木下三郎じゃ……!」
「村民……とな」
幸良は口をぽかーんと開けたまま、黙った。
「これは失礼仕った。家来になり代わり、詫びる」
「いいえ、滅相もない。お武家さんに詫びられるとは……滅多なこともあったもんじゃ……」
「人違いをしてしもうてのう。たまたま、そなたに似た大男を探しておった故」
「付近の寺の僧兵にもこの前、謝られたばかりです。そのお方も、人違いをしてしまったと言っておりました」
「僧兵……とな。その者は、何という者を探しておると申しておったか」
「シキン……と。西の新塚村へ向かったと教えたら、走って行きましたよ」
「鵄錦は西の村におるのか」
「ええ、俺の生まれた村ですんで、みーんな肥えてデッカくて。それで身を隠せると思うたんでしょうなあ」
「それは異なる。強き者を探して向かったのじゃ。恩に着る三郎よ」
景虎は幸良に、銀の粒を渡すように伝えた。京では篁清季主導で、宋銭なるものが出まわって、やり取りがやりやすくなっているとのことだが、生憎そんなものは持ちあわせてはいなかった。
新塚村は険しい山の上にあったが、道中は苦ではなかった。歩きまわったせいで、草鞋が傷んでしまった。急いだせいで、代えの草鞋を村で買いわすれてしまっており、手持ちは最後の二足しかなかった。
「ここで出あえることと相成れば、もはや草鞋などどうでもよい。もう歩きまわることもない。首を刎ねて、その功名で猛者どもと徒党を組んでやろうぞ。某の家名や東国武士団の名ではなく、某の武勇に従う真の御仲間をのう!」
勇みたって村へ入ったとき、二人は驚愕した。そこかしこに、大男や大女が、何食わぬ顔で暮らしていた。
「皆して……八紋蛇為朝様の如し体躯じゃ……!」
「殿、ここは真に村にござりましょうか」
「物の怪の巣の如しじゃが……ただの人間。武者がかような者に怯えるでない」
村民に声をかけてみれば、大柄であることを除けば、ただの村民である。自らがちっぽけになったような不思議な気分になりながら、景虎は「鵄錦なる僧兵を知らぬか」と尋ねると、村人は村で一番大きな家を指して、小声で「村長を殺して家宝を奪い、居座っておりまする。退治してください」と言った。
景虎は「任せよ」と言い、家へ飛びいった。
「何者じゃ。僧の読経を邪魔だていたすとは無礼千万。仏の罰が下ろうぞ」
「辻斬りを続け命を奪う僧が、仏を語るはこれこそ無礼千万と心得る」
「言い分ごもっとも。お主は妙に綺麗な言葉遣いじゃ。直垂に刀とは、そなたは武士か」
「実にも。そなたも、目を凝らして見てみれば、袈裟も数珠も綺麗で、粗暴には見えぬ。経も見事じゃった。坊主らしく教養を積んでおるようじゃ。仏に帰依する僧の身にありながら、殺しを楽しむ下郎と心得違いをしておった。無礼仕った」
「それも、拙僧の本性なれば、詫びは無用にござりまする」
「御名を頂戴仕りたい」
「いくつか名乗り、幾度も改め申したが、今は鵄錦と名乗っておりまする。お主は?」
「某、大庭愛宕権現景虎と申す」
鵄錦は驚き、振りかえった。暗い部屋の奥から扉へ近づきながら「討死なさったとお聞きいたし申した」と告げた。
「事情があって、偽りを申しておりまする」
「かような大事を、人にお話になるとはいかなるご存念か」
「決まっておりましょう。鵄錦、そなたを討てば知る者は居なくなりまする」
「面白きこともあるものですな」
鵄錦は笑い、暗闇の中からその姿を現し、二人は対峙した。
「義朝家来衆一の武辺者と戦えるなど、光栄の至り」
「ようやっと見つけた。御託はもはや無用。武器を取られよ」
鵄錦は村民を呼び、馬を引かせ、隠していた竹槍を用意させた。騎馬武者として名高い景虎に、全力を尽くしてもらおうという考えであった。
鵄錦は、僧兵らしく薙刀を手に取り、構えた。
乗馬した景虎は、ようやくそれで目線が同じ高さになる鵄錦の巨体に、改めて見入ってしまった。武者震いがし、血が滾る思いであった。
景虎は、馬の腹を蹴り、「はいや!」と叫んだ。駆けだす馬は一直線に鵄錦を狙い、徐々に徐々に速度を上げていく。影虎は勢いに乗せて、槍を叩きつけようとした。
鵄錦は片手で薙刀を振るい、風を切る鋭い音がした。すると互いの馬がいななき、動きを止めた。前足を上げたまま動きを止める馬を一瞥し、鵄錦は薙刀を再び振るった。
景虎はその薙刀をなんとか竹槍で払ったが、馬が体勢を崩して倒れこみ、その下敷きとなった。
鵄錦は薙刀を振るかざし、景虎を斬りつけた。しかし景虎の馬が暴れてその薙刀の邪魔をし、図らずも景虎ではなく馬の首を叩き斬った。
景虎は好機と見て、薙刀が抜けぬ鵄錦めがけ竹槍を突いた。
鵄錦は槍が腹に刺さったが、痛がる素振りもせず、竹槍を奪ってひっこ抜き、自らの馬の下敷きとなり足が動かない景虎めがけて竹槍を突きさした。
景虎は腰の辺りに槍が突きささり、叫び声を上げた。
鵄錦が無理に竹槍をひっこ抜くと、竹槍は折れた。
「これでは……武器は奪えぬ。拙僧の負けにござりまする」
「首を取らぬと申すのか……情けか鵄錦よ……!」
「拙僧は武士ではありませぬので、情けも武士道も心得ておりませぬ。武器を奪えぬなら、拙僧の戦いは負けにござります」
「冥土の土産に教えるのじゃ……! そなたが戦う目的はなんぞ……!」
「千の敵を殺し、その武器で千の猛者を率いる天下一の強者となることにござりまする。我が師にその姿をお見せするのが、拙僧の生涯の願いにござりますれば、お主のお命など、取る気もござりません」
そういうと鵄錦は去っていった。武士道では測れない生き様を見せつけられた景虎は、幸良や村民に抱えられ、看病されることとなった。景虎は、死にたくないと思った。面白い男に出会い、世界が広がった気がしたのである。流浪の僧によった、東国の外には知らない世界が広がっているのだと思ったとき、無性に、東国の外で生きる剛の者と戦ってみるまでは死にたくないと思ったのである。
「幸良、某は死なぬぞ」
「はい、殿は死にませぬ……!」
「某は西国へ向かい、天下を広く見てみたい。そして再び鵄錦と相まみえ、再び刃を交えとうござる……!」




